中嶋:ペンギンのように

先日、仲間といっしょにラフティングに行ってきました。

中嶋は、国内外含めて今回が6回目!

なかなかのベテラン!?になってきました(笑)

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今回も、みんなで大笑いしたラフティング。

いろいろな遊び方をしてきました。


波立つ川をボートで下るのはもちろん
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わざとボートから落ちてみる
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ボートに立って仲間を落とし合う
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川に浮かんで流されてみる
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そして、一番印象に残ったのが、
岸壁から川に飛び込んでみる!

飛び込もうと登っていくみんなの姿は
さながら、集団生活をしているペンギンです(笑)
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実はこの岸壁。
登っていくと相当高いところまで行くことになり
飛び込み位置につくと、あまりの高さに恐怖感で襲われます。
まさに、足がすくむ感覚(涙)

最初にたどり着いた人は、
「こりゃ、だめだわ!!」
と戻ってきました。。。

ここから、面白い現象が起こります。


皆さんは、「ファーストペンギン」を
ご存じでしょうか?

ペンギンは、エサを取りにいくために
海の中へ入らなければいけないのですが
氷の下には天敵のアザラシやシャチなどが
いる可能性があるのでまさに命がけです。

そんな状況下で、1羽のペンギンが海へ飛び込み
その1羽目の安全を見届けてから
他のペンギンたちも続いて飛び込みます。

その先陣を切った1羽目のペンギンが
「ファーストペンギン」と呼ばれます。

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ビジネス界においては、
新しい分野でもリスクを恐れず挑戦する
ベンチャー精神の持ち主のことを
この勇敢な“最初の1羽”になぞらえて
「ファーストペンギン」と呼びます。


我々も、まさにペンギンでした。

だれが一番最初に飛ぶんだろうと戦々恐々としていたのですが。

最初のファーストペンギンが飛んだら
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その後から、次々と飛びはじめて

「こりゃ、だめだわ!!」
とあきらめていた人も全員飛び込みました(笑)

面白いですね!!


ちなみに、、、

実際のファーストペンギンは、
群れをなしているペンギン同士が押し合っていて
そのうち、端にいたペンギンが押し出されて
自分の意志とは関係なく、ただ落ちているだけ

ということが、最近の生態調査でわかってきたそうです。
これはこれで、群れが狩りをするためには必要な存在なのですね(大笑)

伊藤:放ったらかし家庭菜園

今年の初夏、我が家の花壇に数年前に撒いたゴーヤとシソが芽を出しました。
好き勝手にどんどん出てくるので、
最初は芽を摘んでは、ポイッ…としてましたが、
かわいそうなので、元気でしっかりとした芽は別の場所に移植したところ、
何とか元気に成長してくれました!!

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手前がシソで、右横がゴーヤ。
さすが?シソ。
元気、元気でぐんぐん成長してくれました。
なので、我が家の食卓には薬味のシソがてんこ盛りで、うれしい悲鳴です(;^_^A
せっかくなので、その奥にナスとピーマンも試しに植えてみました!
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植えっぱなしで大丈夫という苗を買ったのですが、
ほんと!その名の通り、ちゃんと実ができてきました。
さらに・・・
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ちょっと分かりにくいですが、
立派に成長してくれて、おいしいナスとピーマンが収穫できるように!!

さて、その頃ゴーヤは…
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わさわさ茂ってました。うれしい~(#^.^#)
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ちょっと目を離すとすぐに熟れてオレンジに。
我が家のゴーヤ、小ぶりですがおいしいです。(#^.^#)

しかし、うれしい事ばかりではあらず…
手間のかからないお野菜たちに喜び、意識はそちらに注がれてしまっていたところ・・・
花壇の方が大変なことに!!

シソとゴーヤの芽を移植し、その後も見つけると摘んでいたのですが、
ある時から、まっい~か…と放置していたら・・・
みるみるうちに大きくなり、
ゴーヤは、サンパラソル(花)の支柱まで奪い、茂っていました Σ( ̄ロ ̄lll)
やっぱり、めんどくさがってはいけませんね。反省。
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ゴーヤのおかげで、サンパラソルがあまり成長していません (>_<)
かわいそうな事をしました…。

やはり、自分で作る野菜は美味しく感じます。
何もしていなくても美味しいんですから、
手間をかけたら、喜びも倍増しますし、味も格別に感じることでしょう。
来年はもう少し手をかけて作ってみようかな…と思いました。

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今年もひまわりが元気に咲いてくれました。
今年、いち早く芽が出て大きくなったひまわりは、
その高さ、3m近くまでになりました。

工藤:夏の終わり

8月の下旬、今年最後の「夏」を感じようと
早起きして海辺のレストランに向かった

電車とバスに揺られること1時間半、
到着すると、目の前には求めていた
真っ青な海が壮大に広がる

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何て気持ちのいい景色だろう!

朝の光はキラキラと眩しく
波の音は耳に心地よく

時折吹く爽やかな風はきっと
早起きしたご褒美に違いない
(思い込み)

許されるなら半日ほど居座りたい…

店にとっては大迷惑なことを考えながら
夏の景色と朝食を愉しむ


心とお腹が満たされると
駅からわざわざバスで来た道のりを
帰りは歩いてみようかと思えるから不思議だ

日差しは強くなってきたものの、
やはり晴れた海は気持ちがいい

波打ち際まで近づいてみる

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きれいだな~と写真を撮っているうちに、
思ったより勢いのあった波にやられる

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あーーー

優雅にスタートした朝は、
足元ビシャビシャで終わった


が、この状況がなぜか可笑しく
友人と腹を抱えて大笑い

波に濡れるのも
熱い砂がベッタリ足に付くのも
サンダルの中がジャリジャリするのも
必死に水道を探すのも

何だかそんなに悪くない

案外、こんなことがあったほうが
記憶としては鮮明に残るもの

夏の終わりには毎年一抹の寂しさを感じるが、
数年後、友人と思い出し笑いするのが
今から楽しみだ

小野塚:営業所長って募集するもの!?その8

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このブログの連載も8回目。あの頃を振り返りながら、思い出しながら書いている。

懐かしいなあ。昔のことを振り返るなんてジジイになったなあ。(笑)

続きを読みたいという熱狂的なファンがいましたので、今回も続編を。


前回までのあらすじ。


新卒で、建設資材(建設機材ともいう、いわゆる足場)の会社に入社したワタシは、
25歳で「新設の埼玉営業所長募集」機材担当の最年少の所長に大抜擢っ!
4000坪の土地探しをするが、難航。暫定的に大宮営業所がスタートし
未経験の営業にチャレンジすることに。

その後、8,000坪の土地を見つけるが、そこは9人の地主が持ち主。彼らを口説くために
接待旅行や地元の有力者の根回しでようやく内諾をもらう。
しかし地元の事業者でないと貸し出すことはできないので、一時的に800坪のミニ事業所を
仮事務所としてオープンすることに、しかもたった一人で作れという命令が……。

若さと未経験の強みという恐ろしい(?)パワーを武器に、
ナントカ営業所がスタートしたのだが、ようやく念願のスタッフ増員の夢が叶う。
しかし、それは5人の新入社員だった……!


詳細はこれを読んでね!


「営業所長って募集するもの!?」

「営業所長って募集するもの!? その2」


「営業所長って募集するもの!? その3」



「営業所長って募集するもの!? その4」


「営業所長って募集するもの!? その5」


「営業所長って募集するもの!? その6」
http://blog.livedoor.jp/samaster/archives/52612151.html


「営業所長って募集するもの!? その7」
http://blog.livedoor.jp/samaster/archives/52613780.html


新入社員が入社してきた。5人だ。男ばかり。

地主の組合長さんの紹介で、ようやく30代の女性事務員さんも入社。

むさ苦しい二十代の若者が6人と女性事務員1人。これが営業所の全スタッフ。

結果だけいうと、仮の機材センターを1年で卒業し、

念願の8,000坪のセンターへの移転の許可が町から降り、契約が締結。

そして機材センターがオープン!!!ここがワタシの城だっ!オレが作り上げたのだ!!!


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もちろん舗装、トイレ、水道付き(笑)ウチで働く協力業者さんも3社で8名。

足場機材を運んでくれる運送業者さんも2社開拓でき、順風満帆とはいえないが……

ひとつの事業所として起動に乗り始めた。

新人たちもだんだん仕事を覚え、多忙過ぎたワタシも少しずつ自分の時間が取れるようになっていた。


この頃、1992年は、
日本人宇宙飛行士・毛利衛さんが宇宙へ出発し、

バルセロナ五輪で14歳の岩崎恭子が金メダル獲得。

尾崎豊が亡くなり、松井秀喜が甲子園で、5打席連続敬遠の頃

会社と一人暮らしのアパートの往復の生活も落ち着き、ふと、自分の仕事について考え直していた。


「はて……オレのやりたいことってなんだろう!?この会社に勤めることなのだろうか?

このままこの会社で一生、定年まで働き、出世し、部長になり、役員になり、それなりの肩書と

収入を得る。これがオレの目指していることなのだろうか?」

いままでは目の前の課題をこなすのに精一杯で、アタマの中を整理する時間もなかったのだ。


ちょうどその頃、大手出版社から『ビジネス戦略戦術講座』の案内が届いた。

これはこれからの時代の新しいマーケティングの手法や必要な知識を30冊の百科事典のような書籍で学ぶ。

そして画期的だったのは、会員同士の交流会を定期的に開催している、ということだった。

もともと自分を磨くのが好きなので、自分のスキルアップのために申し込んだ。30万の自己投資だった。

なにか自分を変革するきっかけが欲しかったのだろう。

狭い、ワンルームのアパートにドサッと本が届いた。サラサラっと開いただけで満足。(笑)


さて、楽しみなのは、交流会だ!『異業種交流会』という言葉もなかった時代。

御茶ノ水のオフィスで開かれた交流会に参加した。

驚いた!びっくりした!ものすごい刺激を受けた!!!

当時ワタシは、28歳。

名刺には、「所長」の肩書。でも世間のことは、他のビジネスのことは何も知らなかったのだ。

建設業界の中の下請けの下の孫請けの下のずーっと下の建設機材を扱っている業者の所長。

あまりに視野が狭すぎた。誰でもが知っている上場企業、名前は子どもでも知っているような大企業、弁護士、税理士、社会保険労務士など「士業」の先生。

年齢、男女、関係なく自分より優秀なビジネスマンの中にいて、ちっぽけな自分がいた。

普段の仕事の中では絶対に出会えない人たちばかりだった。

恥ずかしかった。打ちのめされた。視野が広がった。名刺交換をして、自己紹介をして、自社のプレゼンをする。そんなことはやったことがなかった。

結果的には、この会に入ったことが、自分の人生の中での大きな転機となった。

毎月参加して刺激を受けている中に、とある外資系保険会社のライフプランナーがいた。

……なに、このヒト……男なのに保険会社の勧誘をやっているのか……、と訝しげな視線で彼を見る。

彼の自己紹介が始まった。

「◯◯生命の◯◯です。皆さん、安心してくださいね。ワタシは皆さんには、保険の勧誘は一切しませんので。私は、ウチの会社に2年前にヘッドハントされました。基本給ゼロ、固定給ゼロの完全能力主義の会社です。先月、ようやく前職の収入を超えました!!!これからも新しい、本当の、本物の保険を広げていきます!」

そんなスピーチだった。誰よりも惹きつけられた。身なりとルックス、高級なスーツ、ゆとりと余裕、笑顔、話し方と堂々した鷲のエネルギー。

成功者が持つ独特のオーラが輝いていた。私よりひとつか2つ年上だろうか。



いつも交流会のあとは刺激がいっぱいでアタマの中が熱をもったようなカンジになるのだが、

その日はいつもにも増してスゴカッた。知恵熱か!♪

「なんで、男性なのに保険の仕事をやっているんだろう?ヘッドハンティングってなんだろう?どうやって選ばれるのだろう?転職するのにコワくなかったんだろうか?
基本給ゼロ、固定給ゼロの完全能力主義の会社って日本にあるのか!?前職の年収を超えるって、いくらぐらい稼いでいるんだろう?もし成績をあげなかったらどうなるんだろう!?……などなど」

疑問が次から次へと浮かんで仕方がなかった。



ワタシは次の日、もやもやしたアタマを整理するために、「自分にとっての理想の仕事とは何なのか?」を考えてみて文章にしてみた。


■やればやっただけ収入が上がる仕事 → ウチは能力給とは口だけでどんなに成果を出しても固定給。どうせ仕事をするなら、稼ぎたいよなあ。

■社会的に役立つ仕事 → 建設機材のことをいくら勉強しても、マニアックすぎて、社会的には役立たないよなあ。

■一生できる仕事、専門職 → 当時、ウチは55歳定年、ようやく60歳になろうとしていた。定年のない仕事って憧れるよなあ。

■転勤のない仕事 → そろそろ結婚を考えたいし、会社の命令で転勤するのも、いやだなあ!


こんなことをリストアップした。でも具体的には転職を考えているわけでもない。

でも言えることは「今の仕事は、一生続ける仕事ではない」ことは確かだった。


そんなとき、本社から呼び出しがあった。いつものN取締役部長だ。

部長から呼び出されるときは、何かイヤな予感がする。(笑)

「テル、ご苦労さん、ようやく埼玉の機材センターも起動に乗ってきたな」

「はい、ありがとうございます。(本当は自分の努力の賜物だけど)みなさんのおかげで、ようやくここまでなりました!」

「そこで、お前に、新しい仕事がある。

もっとやりがいが欲しいだろう!?

達成感が欲しいだろう!?」


「えっ!?なんすか!?」


「実は、横浜の金沢八景に新しい機材センターを作る予定がある。

今回のお前の経験を活かして、そこの所長として、

立ち上げをやってほしい!」



ええー!!!!(・_・;)

「さっそく、現地を見てほしいのと、引っ越しの準備をしてほしい!」


ええー!!!!!!!(・_・;)


ま、またー!?せっかくここを起動に乗せて、楽ができると思ったのに……。


またゼロからセンターを作り上げるのかあ!!!!

一難去って、また一難。さあ、無事に横浜の機材センターはオープンできるのか? 続く……。

岡根:一周忌

今月父の一周忌で田舎に帰った。

兄や妹たちと父を偲んでいるうちに
昔話に花が咲いた。

私の講演や書籍にたびたび登場するので、
父に会ったことのない人の中には
「本当に素晴らしい理想的な父上ですね」
と、神格化してくださる方もいますが、
これは「寅さん」と同じ理論で、
映画や小説の登場人物としては素晴らしいキャラクターでしょう。
しかし実際に寅さんが家族の一員だったらと想像してみてください。

とんでもなく大変なことになります。

空気を読むとか、周りに気を配るとか
SAプログラムでいうところの
「相手の心の扉を開く」などは一切無視!

自分以外の誰の言葉も受け付けず、自分の哲学を貫き通す。
だから毎日何かしらのトラブルが起こるのでした。

母に相談することもなく、突然勝手に仕事を辞めてきて
「おい、仕事辞めてきてやったぞ!酒買ってこい!」
とまるで手柄でも立ててきたかのように威張っていたり、
子どもの授業参観に来ては先生の揚げ足を取って、
教室の空気を凍らせたあげく
自分は背中で風を切って帰って行ったりと、
驚きのエピソードをあげたらキリがない。

まあよくいえば、長髪を導入した高校野球部の監督と同じように、
同調圧力には全く屈しない人であった。

そんな話を父の仏壇の前で、妻や子や孫たちが
ケラケラ笑いながら思い出していた。

うん、確かに寅さんと同じだ。
一緒に暮らしていた時間は、悲劇だったけど、
思い出となって距離が離れてみれば、
面白い喜劇として少しだけいい話にも思える。

確かチャップリンも同じようなことを言っていたなあ。

実家の庭では蝉が非常ベルの如く鳴きちらし、
8月の空はどこまでも青く澄み渡っていた。

東京に帰った後、兄が懐かしいのが出てきたと
一枚の写真を送ってくれた。

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「和歌山から愛知に引っ越したばかりの、
 つっかえ棒のあるあばら屋で」

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