la vie du Fukuoka

日々の憂鬱、悔悟、悦楽、虚栄、無為、虚無を語る。精神医学、精神病理、医学全般、雑多な文学、語学など

現代的内因性うつ



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臨床精神病理 2016年 No3より


ググってみてもなかなか出てこない書籍である。
精神病理学会の機関紙、ということになっているが書店でも入手はできるらしい。
毎号興味深い記事ばかり、とはいかない、何とか読んでみようと興趣を誘う記事だけは読む、という怠惰な私であり、隅から隅まできちんと読むという勤勉な先生方には申し訳ない。

存在の「ひねり」とパロールの「ひねり」 219頁 
芝 伸太郎 先生著

である。
一言で行ってしまえば鬱病に関する考察である。
明快、秀逸な記述である。

表題の「ひねり」であるが、何故括弧つきなのであろうか。
まずそこからが謎であり、読み手は疑念、丸め込まれまいという用心、或いは無視する、各人様々であろうし、それでよいのである。

私はmetaphore 隠喩、喩えなのかな、と思ってみたが、これも正解はないのである。

様々な言葉が出てくる。
今日の鬱病を語るときに、たいてい瀕用される語句である。
読み進めるままに拾い上げていく。


内因性うつ病
病前性格論
神経症性うつ病
躁うつ病
メランコリー親和型
下田の執着気質
現代的内因性うつ病
古典的内因性うつ病

という論じるものによって微妙に内容の異なる語句が並んでいく。

さらに主題である「ひねり」

Freudのいうナルシス的同一化
ヒステリー的同一化

さらに

ハイパーナルシズム
括弧つきで
「互酬の原理」
「交換の原理(市場経済の原理)」
「依存と庇護のループ」
未熟型うつ病
「献身と反対給付のルーフ」
「甘え」

貨幣経済
「鏡が覆われること」
「異能」

他にも多々あるのだろうが、多義的であると同時にうつ病を考えるうえで鍵となるヒントがあちこちに隠されている。

全てを語ることは碩学大先生にお任せしたい。

この論文の白眉とは、「異能」である。
これは実にユニークな着目、記述であり、瞠目した。
以下は、著者の記述に依拠した内容とお考えいただきたい。




著者の経験では、現代型うつ病に相当する患者さんの診察で経験するなかで、彼らが持つ特に鋭敏な察知能力、臨床医の心情を瞬時に察知する、という鋭敏なセンサーのことを「異能」と記述しているようである。

著者の記述を換言すると、その「異能」とは「瞬時」に臨床医の落胆、悲哀、驚嘆、等々の情動を察知する、というある意味「超能力」なのかもしれない。
しかし、彼らの「異能」とは時間的奥行きのない思考である。
人間と人間が対するとき、つまり人間の関係性であるが、その関係性とは瞬時のこともあれば、何十年にもわたる時間軸に沿ったものでもあり、瞬時の心情というデジタルなものはそのごく一部に過ぎない。
従って時間を「終わりのない物語」と換言、ひねればその物語の裏筋には「異能」のセンサーが及びかねる。
あくまで瞬時のそれも表向きの物語には及ぶかもしれないが、歴然とした限界がある。
裏を読み取ることが能わない。

対照的に神経症水準者の場合、時間軸に沿った思考が可能である。
しかし内因性うつ病者のような、瞬時に読み取る「異能」は持ち合わせていない。

さてこの相違はどこから生じるのであろうか。

現代的内因性うつ病の場合、ある種の事情がそうさせている。
その事情とは以下の如くである。

先のkey wordで述べた「依存と庇護のループ」「献身と反対給付のループ」という円環構造、これは一つの仮説というか説明モデルである。
著者は、現代的内因性うつ病ではこのループ、円環構造は予め破綻していると考える。
母子未分離の一方的依存関係にうつ病者はあるのである。
ナルシズムレヴェルでの、いわば固着というよりも母子分離の失敗があると考える。
一次ナルシズムの水準となるのである。

このナルシズムの病理がむき出しになれば、それは精神病レヴェルの高度の病理性を発現せしめてしまう。ラカンの言う鏡像段階ともどこかで共通する病理である。

それをカヴァーしてきたのは、貨幣経済である。
つまりこの原始的ナルシズムを隠蔽する、もっと上品な言葉でいえば抑圧するものとは、資本主義システムが持つ労働の対価としての賃金、という別々のものを互いに支え合う構造、つまり「ひねり」であった。
これが新自由主義経済、市場至上主義経済の発展によって破綻してしまった。
労働者とは、もはや低コストを最優先すべき生産ツール、いつでも置き換え可能な備品に過ぎないのである。

つまる「へねり」を影ながら保証してシステムがほころび、破たんしつつあるのである。
ほころんだ結果、現代的内因性うつは、ナルシズム的対人システムを時に顕現させてしまう。
診察の現場では、現代型内因性うつと呼称される人は、精神科医に対してそのナルシズムの鏡を見るのである。
つまり鏡に映るままに精神科医の心情を察知する、という異能を発揮するのである。




というのがこの論文の中核をなしている、と乱暴に括ってしまうと、お叱りの言葉が飛んできそうである。

さていろいろな見方ができるであろう。

ここで注目される「異能」であるが、正直に言って私にはあまり思い当たる節がないのである。
私の感受性が鈍い、或いは硬い、冷たい気質のせいもあるかもしれないが。
確かに、主治医に対してズケズケとものをいう、立ち入ったことを聞いてくる、やたらとなれなれしくこちらの心情をうかがい知ろうとする、初診時から大切な「秘密」をあけっぴろげに開陳する、などという患者さんはたくさんおられる。
しかしそれは現代型うつの相当する人たちともかなり違うような気がする。
人格障害レベル、あるいは神経症水準の人に多い気がする。

お人柄というか、好奇心旺盛ともいえるし、やはり転移関係であろう。

「異能」の裏にある「ひねり」の欠如、これは確かに現代型内因性うつのように不器用な人には多いと思う。
世間様の本音と建前の厳しい相克に、唖然とするほど無頓着であり、結果的に傷つきやすい。
であるから、「未熟型うつ」なるnegativeな呼称もあるくらいである。
確かに社会の変質、従来型資本主義、高度成長経済信仰の破綻は人心に大きな影響を与えた。
99%はnegativeな影響である。
人々は、「こんなはずじゃあ、なかったのに・・・」
傷つき悲嘆絶望し、やがて自らを憐憫するとともに、世の中社会が悪い、自分は犠牲者だと思いがちとなる。
実際そういった面は多々ある社会である。
そういいたくなる根拠は山ほどある。

ナルシズムの克服に難のある方々は、ここで大きく躓き、あやふやな他者、この場合世間、社会となるが「他罰的」となる。
いったんことあらば他者に対して甚だ不寛容なお人柄となる。
よってたかってのマスコミ上のいじめ、ネット炎上、とまでは言い過ぎだが。
他罰は99%失敗するから、その攻撃性は自分に回帰してくるゆえの現代型内因性性うつ、にいたる、私はそう日々感じている。

古典的内因性うつとはこの点で大いに異なる。
古典的な方は、野蛮な超自我がナルシズムの昇華の出来損ないで内在している。
この厄介で野蛮、凶暴な超自我が、主体、本来の飼い主様を鞭打ち始めると発病となる。
今の時代、この超自我が見えてこない。
無理に探し回ると、幻想の中の父なるもの、国粋主義、内向きの愛、野蛮な排他主義となりそうである。
これは日本だけではない。
欧米でも共通する集団心理、トランプ、ルペンであるし、プーチンもこの心理を上手に利用している。

もう一言追加すると、もともと我々が持っている交換回路、貨幣経済である。
われわれが漠然と日常感じている感覚、漠然とした信頼感とは錯覚に過ぎないのである。
資本主義経済とは、本来貨幣経済ではなく紙幣という単なる紙切れに「信用」という中央銀行が施したお化粧をしたいかさま、博打経済なのである。
これに我々は普段気づかなかったのである。
労働への対価としての賃金、紙幣とはそもそもがいかさまなのである。
とりあえずは、衣食と交換可能であるうちは、そのからくりに気づきはしないが。
ところが今の経済状況である。
まさにそのいかさまがバレまくっている時代である。
どんなに勤勉に働いても、裏切られ捨てられる時代がやってきたのである。
ご近所の広大な東芝工場の跡地がそれを物語っている。
広々とした空き地に雑草が茂り始めている。

ますます現代型内因性うつ、増えるばかりである。

なかなか示唆に富んだ論文で、読んでよかったと思った。

それに引き換え、毎月膠原病が腎臓病の何の役にも立たない特集しかやらない日本内科学会、なんとかしろよ、といいたくなる。











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シャンデリア  川上未映子





今どきの読書というものは、キンドルや携帯、いやスマホでするもの、らしい。
かさばる単行本では、手狭な書庫はすぐに埋め尽くされてしまう。
本というものは、捨てる時も労力を要する。
再読する気のなくなった本、大半はそうなのであるが捨てるしかない。
もっともブックオフにもっていかれる方も多いであろう。
私の場合、病院の図書館に寄贈と称して押し付けることにしている。
そろそろOTの職員から嫌な顔をされるようになってきたが。

ところで「かさばらない」キンドル本である。
確かにかさばらないが、私の場合パソコンしかもっていないので寝転がって読むわけにはいかない。
単行本、文庫本と比較して廉価であるわけでもない。
中古本と比較すれば割高な場合が多い。
最大の弱点は、まだ品揃えがよくないことである。

アマゾンのプライム会員なる制度にて、キンドル本読み放題コーナーがある。
これを時に利用する。

さて目ぼしいものは、とみても新しい本はあまりない。
著作権の切れた漱石、鴎外、芥川、荷風などは読み切れないほど上梓されてはいる。
もっともこれは会員制に無関係、そもそもが無料なのである。
何時でも読めると思うと、つい読まないのが人の常である。

さて最近の本は、と探してみる。
川上未映子の「シャンデリア」という作品があるではないか。
今なら読み放題、つまり無料である。
一読してみた。
短編である。
読了するのに昼休み、それも食事後のひと時で十分おつりがくる分量である。

有体に申し上げれば、これのみでお金をいただいては申し訳ない、という作品である。
かといって、まったく貴重な休み時間を無駄にして返す返すも残念至極、という作品でもなかろう。
パソコンでネットサーフィンすることと、同じ程度の無駄さ加減ではある。

さて主題であるが。
都会の女性の孤独、よくあるテーマであるし、今更ながらでもある。
そこに付加価値、つまり一工夫、ひねりを加えるとすれば、その女性なるものと他者との関係性の有様云々である。

なにやら小品から大問題に発展してしまいそうな大上段ぶりであるが、そうとしか言いようがない主題であるし、今日の首都圏において生きる人々にとっては、あっけらかんとした日常そのものでもある。

この小品の主題とは、主体と他者との関係性、その中の一断面、大まかに行ってしまえばそう括ることができる。
主体と他者との関係性で何が浮かび上がってくるのか、それは読者一人一人、各人各様である。
また、そうでしかない。

この作品では、関係性のきっかけ、関わり合いの手始め、語りかけるもののしんどさであり、それは意味、つまりは貨幣価値へと手早く換算される。
しんどさとは、大げさに言えば心の負担、ナルシズムの傷つきへと言葉を置き換える、そういう変換もまたよろしかろう。
さらに言えば、相手に対してことさらに気を使う、いわば労働とも呼ぶべき行為でもある。
キャバ嬢、ホスト君を代表とする接客業、水商売がその代表である。
かくもうす私も、精神科医療に携わるその手の商売の末席にて従事する者である。

さて自由であるべき、あるいはそう錯覚されてきた他者とのかかわり合いに対して、今の世の人々、大都市圏の人々はしんどさ、息苦しさを感じているし、耐久性も乏しい。
すぐに「傷つき」へこたれてしまうのである。
そのせいか孤立への道を人々は選択しがちである。

さてこの女性たちの関わり合い、そのしんどさの代償とは、この作品での帰結とは「プレゼント」である。
ブランド品の小物、化粧品である。
フェンディーのなんチャラ、ランコムの化粧品、オヤジには縁のない世界である。

さてこのプレゼントなるもの、謂わば今の女性たちにとっては、労働の対価である。
不文律的に親切さの代償として準備、用意されるべきものなのである、きっと。

世の関わり合いといっても、つかみ合いの闘争から愛の行為までさまざまではある。
ここで描かれた関わり合い、他者への関心とは、いわば暖かなまなざしでり、時には羨望であり、突き詰めたメタファーとしては相手への愛の備給であり、ナルシズムへの備給である。

そのお返し、ナルシズムの逆備給が、孤独な都会の人々のナルシズムを、なんとなく、影のようにして支え続けてきたし、ごく最近ではあからさまに支えている。

主人公、中年の女性は老婆に対してこの労働を果敢存分、滑稽、露悪的なほど過分に果たすのである。
別れの際に、自己愛をたっぷりと備給してもらった老婆は、ささやかなプレゼントを主人公に渡すのであるが、これが主人公の労働対価には不似合いだったらしい。
女性はほぼ例外なくケチであり、自分には寛容であるが、他者には峻厳、剣呑である。
主人公の女性は、その法則に忠実に従い老婆を罵倒する。

さて報われなかった労働の果て、疲れ果てた主人公は家路の途中でより若年の女性と出会い、これ幸いと自己愛の補給に勤しむ。
そして、その対価はきちんと支払うのである。

さて、この予め対価が予測され切った愛の奉仕、他者への自己愛の備給とは、今の世ではけして無償である、なんぞとという綺麗ごと、虚偽、虚飾を被ってはいない。

しかし一昔前の日本の世界では、分厚いベールをかぶっていたものであった。
それはそれで奥ゆかしきことであるが、それは日本人特有の錯綜しきった森の奥、心の奥の院であった。
昔々から、とどのつまりはお返しがあることが前提ではあり、けして無償ではなかった。
無言の約束手形として、長期国債のごとく何十年後かに支払いが保証されていたのである。

そのいわば長期国債は、ヴェールの向こう側で愛の備給として沈殿してきたし、何かの行き違いで支払いが破綻した場合、奥ゆかしき日本人は傷つくのである。
ある者は自己愛の傷つき、備給システムの破綻から他罰ではなく自罰、うつ病になる。
支払いを拒んだものを責めるのではなく、そんな空手形を信じた自分を責めるのである。
その対価を期待した自分のせこさを大いに恥じるのである。

ところが今の世では、傷ついたものは声高に癒し、瞬時の報い、償いを主張するのである。
それは今日金銭、紙幣へと置換される。
「お金ではとても傷は癒えないよ」といいつつも、紙幣では埋まらない隙間、それに別段執着するわけでもない。
この置換が保証され、次々にメタファーさせていける限りは、自己愛の傷つきとは神経症的鬱で済んでしまうわけである。

現代型鬱患者さんの多くが、DSMの項目を満たしていても、実際には神経症水準であることはよく経験する。
ただDSMにおいては、古典的意味での神経症概念は抹殺されて久しい。


ブランド品なるものとは、その記念品、或いは戦利品である。
それ自体無意味に近いのであるが、ブランドとはその恨みつらみ、傷つきを癒す愛のsignifiantなのである。

埋まらないことにあくまでこだわる人は、自罰ではなく他罰へと攻撃性を向ける。
これが、今の日本中を埋め尽くす現代型鬱の患者さんである。
ただ、何故古典的鬱病者が自罰であり、現代型鬱が他罰となりがちなのかは、私にはよく分からない。
ナルシズムを映し出す鏡、それは他者との関係性であるが、その鏡の役割、作用が変化した結果なのかもしれない。
或いはその鏡自体が機能しなくなってきたのかもしれない。
長期国債の支払いをあてにできなくなってしまった、大いなる時を隔てたのちに機能する鏡ではもはやなくなった、からかもしれない。

或いは、鏡に機能してもらっては困る、不都合である、赤裸々に映し出してしまっては困るではないか、という社会の思惑もあるのかもしれない。

この作品「シャンデリア」のごとく、煌びやかではあるが何も映し出さない鏡のほうが望ましい、普段私たちが目にするものとは。

と偉そうなことを書いている私であるが、臨床精神病理37巻3号 芝 伸太郎先生:存在の「ひねり」とパロールの「ひねり」読んで、思い浮かんだことなのであるが。




日本のジャズの衰退

私は若い頃、というよりもガキの時代からジャズ好きであった。

最初に耳にしたのはGerry Mulliganのピアノレス四重奏団のアルバム、What is there to sayである。
Art Farmerが端正なトランペットを演奏していた。
たまたまジャズフアンでもなかった父が購入していたLP盤である。






冒頭から厳かというか渋いバリトンサックスと甘いトランペットの絡み合う旋律が流れ始めた瞬間、12才の小僧はすっかり心を奪われてしまった。
時はビートルズ全盛時代、ローリンストーンズの名がようやく日本にも伝わってきた時代である。

中学生だった私は、楽器を買うことを熱望するようになった。
バリトンサックスに憧れたが、あんな重くでかい楽器を中学生で演奏することは困難が予測された。
値段は20万以上、とても買えはしない。
当時はまだヤマハではなく、日本管楽器の時代であった。
思い悩んでいる私をみたのか、父がポンとアルトサックスを買ってくれた。当時で8万円台だったと思う。
来る日も来る日も吹き続けるがちっとも上達しない。
音だけはでかくなり、高校の吹奏部に入ってみたが私の金切り音は「むいていないよ」と引導を渡されてしまった。

ジャズの時代はマイルスのモード旋風となったが、小難しい理論なんぞ、ガキにわかるはずもない。
時を置かずニュージャズ、アヴァンギャルドの時代となった。
まったく好みではなかった。

さらにマイルス、ハービーハンコックらの電化時代となった。
これも最初は興味を持ったが、すきにはなれなかった。

そうこうしているうちに大学生になった。
大学に入ってビッグバンド部に入部した。
文化系のはずがなぜか体育会系、汗臭いクラブであった。

お前のサックスは音のでかいとろこだけは良い、と褒められた。
当時の私は全く譜面を読めなかった。
地道な練習も全くしていなかった。
面倒見のよい先輩のおかげで2か月もすると何とか読めるようになったが。
ついでに日管の壊れかかったアルトから、先輩のほぼ新品のYAS61-Sを譲り受けた。
マウスピースは、ビッグバンドなのにメタルのベルグラーセンである。
ただでさえ大きかった音が、さらに不愛想、狂暴になった。
サックスのパートはいつもバランスが悪かったが、あれは私のせいである。

コルトレーンのレコードに合わせて物まねだけをしていた、実に質の悪い私の音である。
パツイチコード、或いはメージャー、マイナー、ブルーススケールだけで適当にナンチャッテ・アドリブをしていたのである。
このインチキなアドリブ、結構当時は物珍しかったらしい。
耳だけを頼りに、So what、Impressionsなんかを延々と吹き続けていたので、アドリブソロになると私が引っ張り出されることがしばしばであった。
もっともコード進行の複雑なエリントンの曲、Sophistecated ladyなどになると、全く手も足も出なかったが、当時の学生バンドはそんな難しい曲はやらなかった。
もっぱらカウント・ベーシー、みなうっとり、グルーブ感いっぱい、幸福になれたのである。
あれはあれで奥が深い、底なしにであるが。

当時の田舎大学学生バンドはこの程度であった。

さてジャズ界の昨今を聴くと、衰退の一途であるとか。
ジャズ、それもモダンジャズになると客が集まらない。
高齢化した客、それもごく一握りの私のようなオヤジ客ばかりだそうである。

http://ameblo.jp/osamukoichi/entry-10378288191.html

ここに簡潔に記述されている。

もっと詳しく知りたい方には以下のサイトがよろしかろう。
かなりマニアック、詳細に今日の日本ジャズ事情が記述されている。

http://www.tomoyosejazz.com/imitation12016.html

かなり手厳しい御指摘、痛々しい。





こちらもプロのミュージシャンが記述している。
頷けることばかりである。

http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2015/03/19/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AB%E4%BA%BA%E3%81%8C%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%90%86%E7%94%B1%E2%91%A0


アマゾンのキンドル本としても購入できるらしいが2000円はちと痛い。

私も同意見である。
悪いことに私ときては、ジャズクラブ、ジャズコンサートには何十年も行ったことがない。
アマゾンで廉価な中古CD、著作権の切れた61年代以前のBox setを買いまくって楽しんでいる、というミュージシャンにとっては最悪のジャズ・ファンである。
さらにUチューブという、ほぼタダで閲覧視聴できるツールもある。
ネットの時代は恐ろしい。
アマチュアから無名の地方ミュージシャン、更には大御所まで、自宅に居ながらにして聴き放題である。
或いは海外のコンサート、地元のクラブまで、もう無限にある。

さて若い人がジャズを聴かなくなった、CDを買わなくなった、ジャズクラブに行かなくなった、色々な理由が挙げられている。
確かに、私のような年配のオッサンがかくのごとく偉そうに薀蓄を並び立てる、けむたい、うざい、というのもあるだろう。
甚だ不快であろう、たしかに良くないことである。

蓋し、最大の要因とはジャズがあまりに高度な和声を追及しまくったあげく、民衆の耳に馴染みにくいものとなってしまった、という点が大きいのではないだろうか。

無学な私が日常このんで聴いているのは、50年代後半から60年代のハードバップである。
この時代のブルーノートレーベルの作品に駄作はない。
何故かわからないが、気合が入っている。
音がビシッと締まっている。
尚且つ楽しい。

ところで和声の学習、楽器の扱いは、今日のアメリカ、フランスの音楽大学ジャズ科の優等生たちは優れている。
優秀すぎるのかもしれない。
contemporary派と呼ばれる高度に複雑化した彼らの音楽は冷徹、清潔、端正、確かに美しいが私にとっては魅力がない。

といいつつもこれは美しい。
主題の提示はスマートである。




https://www.youtube.com/watch?v=8xuZpDOXd_o




しかしアドリブに入るや、なにかメリハリが乏しい印象を持ってしまう。
が、このようなヌルッとした旋律を好む人は、きっと死ぬほど好きなのであろう。
元々のコード進行を随分と変化させているので、主題の趣は希薄になってしまっている。
和声は、凝ってしまうと際限がなくなってしまいがちである。
あまりに凝りすぎると、かえって薄味、無味乾燥、平板になるものである。
それが効果的であるかどうかは、演奏家のセンス次第ではある。
が、先端を走る人々の感覚と私のような古い人間とは随分と隔たりがあるのだろう。






「ニューヨークの秋」の別の演奏。
最近の若手音楽家、全員がイスラエル出身。
こちらはなかなかオーソドックス、主題を大切にしてよく歌っている。
聴衆に訴えてくる何物かを持っている。
フランス、ジャンゴ・ラインハルト・ジャズ・フェステイヴァルでの演奏。

テナーサックス、リーダーのEli Degibriが良く管を鳴らし切っている。
注目はピアノの若手、20歳くらいだろうか、女の子のようになよなよとしたGadi Lehavi、凄くうまい。
ガンガン鳴らすタイプではない。
曲想をいじりまわさない素直な解釈、繊細なarticulationが好ましい。
ディミニッシュコードばかりで埋め尽くす個性のない若手、世界中うじゃうじゃいるが、もう飽き飽きした。








さらに40年前の録音だが、物凄くうまい「ニューヨークの秋」
80歳にして今もニューヨークのクラブで活躍中、Gorge Colemanのバリっと決まった演奏。
オットーリンク マウスピース独特、鋼のようなテナーサウンドの嵐である。
昔の人のほうがうまかった、実際。




https://www.youtube.com/watch?v=VROLUnLHyqk


少し古い話であるが、Bill Evanceも晩年は随分と先端的というか、尖っていたものである。
生前のライブを私は聴いたが、どこをどう演奏しているのかさっぱりわからなかった。





これでは私のような無知無学な大衆は、離れていってしまう。



ジャズとは、米を中心としたアフリカ系の人々、殆どが奴隷として拉致された人々の子孫が西欧音楽に出会い、触発された音楽を祖とする、いわば伝承大衆芸能である。
隷属、恥辱、差別、その救いのない抑圧の中でのいわく言い難い鬱憤を昇華させたものであり、ギラギラとした因縁まみれのものであり、実にこってり濃厚な芸能なのである。
今やそんな古臭い能書きを真に受ける人は少ないであろうが、日本人が戦前にジャズに出会ったとしても、このソウルフード的伝承芸能の世界にはなかなか入りにくいものである。

西欧、アフリカ、中東の人々に能、歌舞伎ができない、と決めつけるわけにもいかないし、ジャズの引き合いに能を出すのも適切ではないとは思う。

しかし、目に見えない壁を意識せざるを得ないのがオヤジ世代の宿啊である。
若い人々は、もう関係ないのかもしれないが。

私が好きなのは昔懐かしき故本田竹廣氏の熱い演奏である。
峰厚介氏のテナーも豪快である。
豪放磊落でいながら、キッチリとタンギングは緻密である。
最初の十秒間、何の曲かわからなかったが「朝日のごとくさわやかに」である。
2種類、いや3つだろうか、モード奏法、パツイチでガンガン、この時代らしい。
粘っこい汗をほとばしらせながら、熱い。
が今の若い人には暑苦しいのであろう。






ここまで熱くならないでも、こんなファンキー、グルーヴな演奏が好ましく思えてしまう。

なにせ歴史に名を残す大名人たち、百分の一の力、余裕ありまくりであるが。
鼻歌気分であろうが、まるで剃刀のような音のキレである。

国家の罠  佐藤優






著者は現在高名というか、最も人気のある評論家である。
ご本人は作家と称しているしwikiにもそう記述されている。

私も一フアンなのである。
ただし出る杭は打たれるかどうかは定かではないが、氏への批判も夥しい。
無知蒙昧な私には、氏の宗教哲学や論理学をはじめとする博覧強記、まことに羨望を禁じ得ない。
しかし、あまりに明快というか八面六臂に展開する記述の流れに心地よさを感じる反面、ふと不安も覚えるのである。

私が関心があるのは、氏の著作の中でもロシア、或いは中東に関する廉価な書物だけである。
キリスト教学に関する文庫本は読むことは読んだが、ほとんど記憶に残っていない。
ただ筆の運びが優れているため、ついアマゾンで興味を引く内容を探すのであるが、結構中古でも値が張るのである。

私が取り上げたいのは、氏の代表作、というよりもデビュー作「国家の罠」である。
これは氏の個人的体験を赤裸々にというか、あくまで正当化、無実の表明として記されているから、難解な教義思念は殆どが排除されている。

2002年の事件である。
私はメデイアからの一方的報道からしか氏を知らなかったし、メデイアに導かれるまま外務省のラスプーチンという、凄まじいバイアスのかかった見方をしていたものであった。

ただ意を新たにしたのは、氏が511日という長い拘留期間をものともせず、容疑を頑強に否認し続けたことである。
また鉦太鼓をうち鳴らした地検特捜部が、90万円という背任としてはなんとも細々とした容疑しかあぶり出せなかった。
氏には一円も渡ってはいない。
或いは偽計業務妨害にしても、こじつけ的苦しい起訴内容に帰着してしまったことに、私は一庶民として検察に不信を禁じ得なかった。
そして判決文のもつ、何とも曰く言い難い歯切れの悪さである。
疑わしきは罰せず、とは今の世では時と場合によっては死語であり、法曹会とは無縁の素人の迷信に過ぎないのである。

氏の著作であるからして、自らには非がないことを主張してやまないことは当然ではある。
しかし体験したものでしか記述しえない、というか想像力を駆使してもたどり着けないような記述の数々である。

それは拘置所という、一市民にとっては非日常世界の記述だけではない。
外務省職員、ロシア大使館三等書記官、或いは帰日してからの外務省国際情報局分析第一課主任分析官、という庶民にとっては別世界での体験は大変興味深い。
外務省内の魑魅魍魎の世界というのも摩訶不思議な世界ではあるが、これはかねがね耳にしていたお役所世界の典型であるから、あまり意外感は抱かされなかった。

ノンキャリアであった氏が、いかに情熱のまま、おそらくそれは42才の氏が知的興味に身を任せたまま突っ走ったのか。
そしてその結果とは、氏にとって人生における大挫折、転換点となったわけであるが。
氏を駆り立てたものとは知的興味だけではなかったのではなかろうか。
単純無垢な愛国心でもない。
氏は意識していなかったかもしれない、或いはそう装っているだけなのかもしれないが、ノンキャリア、若輩の身のまま鈴木宗男元衆議院議員と日露外交交渉、それも北方領土返還交渉の先頭を突っ走ってしまった。
無我夢中、陶酔しきってしまったのかもしれない。
氏を酩酊させたものとは、権力という庶民には窺い知れない魔界の力なのである。
ここに陶酔しきったこと、そのことこそが氏の有能な官僚としての人生を終結させてしまった最大の原因であった。
いわば最前線で突進しすぎ、後方部隊との補給線が立たれてしまった、そのような状況であった。

直接的な氏の記述はないものの、あちこちで仄めかされている。

彼ら二人を葬り去ったのは、小泉元首相、或いは清和会である、私はそう思った。
田中真紀子元外相は単なるピエロ、アイコン、添え物に過ぎない。

更にはその飼い主たるアメリカ政府、こちらも平和条約締結に向けて驀進する佐藤鈴木両氏による日露交渉を不快としていたはずである。
日本の北の脅威が霧散してしまえば、アメリカの日本に対する影響力は軽減されてしまう。

佐藤、鈴木氏逮捕と時を同じくして小泉政権の平壌訪問が大々的に挙行され、大いに人気を博したが、裏にはこのような動きがあったのである。
大きな外交イベントが二つ重なっては、国民の人気取りを狙う政治家にとって不都合極まりないではないか、おのれの功が色あせてしまう。

まんまと後ろから足をすくわれたのである。
老練な政治家、外交官はそこまで織り込まねばならない、生き残るためには。
見えない後ろにこそ、刺客は息をひそめて機会をうかがっている。

時同じくして、氏の指摘のごとく鈴木宗男的ケインズ的資本主義は否定されつくした。
そして小泉構造改革を錦の御旗としたアメリカ型市場至上主義経済への大転換が、日本ではいつの間にか国是となってしまったのである。
愚かな私もその当時は何も気づかなかった。

しかし10年以上の年月を経た今、彼らの突っ走った軌跡はそれなりに世間様から評価されているのであり、氏も本望であろう。

つい先年もプーチン大統領が来日した。
佐藤、鈴木両氏がテレビに顔を出すことが多くなり、国民は期待を抱いたものであった。
結果があまり華々しいものではなかった、ということになっているようである。
が、これは単なる通過点であり、この先にまだ外交交渉という根競べの物語が横たわっているのであろう。
物語を形作っていく登場人物達は、やがて一人また一人と儚く消え去っていくのであるが。
庶民には窺い知れないものである。

さて、この著作から一庶民、一勤務医の私が学んだ点とは以下のごとく安易、卑俗なものである。
すなわち医師とはけして目立ってはいけない、出過ぎてはいけないということである。
教師、公務員と並んで最も攻撃されやすい職種である。
名医として世間の評判をとる、更にはメデイアに自ら進んで露出するなどは、まことに危険極まりない自殺行為である。
幸いにしてそのような危惧、懸念の必要性は私の場合全く見当たらないが。

しかし世間から犯罪が減少しつつある昨今、警察、検察の食指は医師に向けられていることは現実である。
最近メデイアが力を入れている医師による強姦事件、違法薬物等は罰せられて当然である。
しかし治療の失敗、或いは意に沿わない結果をもってして業務上過失致死を警察検察が濫用し始めている懸念を、現場の医師は感じているのである。
裁判官は、司法の独立性よりも世の流れ、名誉、出世、保身に最も意を注ぐ。

医師は臆病になり、保身、逃げの医療に専念する。
現に私がそうである。
その大きな弊害、付けは回りまわって世間に達するのであるが。
面倒な患者、疾患はよそに回せ、である。
現にそういう病院、そういうところに限って公的ブランド病院なのであるが、増えているのである。
断り続け空床ばかりになっても、理事長、銀行は別であるが、下っ端勤務医は気にもしないのである。


全て真夜中の恋人たち  川上未映子





この作家については全く存じ上げなかった。
なんとなく手に取ったわけでもない。

手に取った動機は、たわいもないものである。
何か最近の小説を読みたくなったのであるが、私には全くなじみのない作家ばかり、単に私が疎いだけなのであるが。
たまたまラカン派の旗手、かの小笠原晋也氏のブログを読んでいるうちにこの作家の名を目にした。
別に秀作であるとか、なにか斬新な切り口があるとかの話ではなかったと思う。
作家が書いた新聞コラムを読んで、小笠原氏が言及した、今記憶しているのはそれが全てである。
そもそも小笠原氏自身も、作家の作品を読んだこともないのである。
手がかりは何でもよい、まずはアマゾンを覗いてみようか、とみると実に多作である。

最近の作品で廉価なもの、となるとこの作品であった。

なかなか趣深い作品である。
主題とは、東京という大都会における女性の孤独である。
そこに恋愛であったり、女性の自立、或いは他者の関係性等々、読者が各々勝手に主題を見出せばよいのである。
私は、東京で生活したことがないので実感できないのであるが、あの無機質で茫漠とした地域で、正気を保ったまま生活をしていくことは大変だと思うのである。

そのためかどうかは分からないが、皆は、孤独というよりも孤立を選択する。
いや選択ではなく、孤立へといつの間にか追い込まれるのである。
そこではできる限り他者との関係性を断ち、シンプルに生きていく、それがこの混雑し込み入った世界ではもめ事に巻き込まれ、傷つく、それらを回避する最良の処方箋である。
かのごとく、東京とはその地の住人に執拗に繰り返し刷り込むのである。

主人公は、34歳女性、所謂ワーキングプア―である。
年収300万円強、フリーの校正者、社会保証は何もない。
将来、なにか実のある成果を結ばせうる、その可能性も殆どない。
東京で生きていくために機械のごとく働く、ただそれだけである。
会社という煩わしい人間関係を回避するために、主人公は深く考えもせずフリーの道をあえて選択する。
かくのごとく、今の世の平凡といえば平凡極まる人物でもある。

文体として特徴的なのは、夥しい会話である。
会話といっても相手がいての2人称、これが煩わしいほどに夥しい。
或いは主人公の主観を通した間接的な2人称、更には主人公の独白、である。
独白であっても、誰か、つまり読者に語り掛けてくるのであるが。

この女性同士の会話、その綿密な記述は実に息苦しく、興味深くはあるが果てしなく凡庸であり、他に変容しえない硬直した言述である。
まさに、スターバックスの隣の席の女性たちの会話である。
ただ、主人公は殆ど持論を述べない。
相手に喋らせるだけ喋り、曖昧に答える。

喋らされた相手は、己の貧困さを露呈しつつ、その場ではそこそこの満足、ある種の癒しを得るのである。
たいそう安直にであるが。
この安直さが大切というか、この刹那の癒し、その語りを反復させていく保証書となる。

相手をさせられる主人公は、友人と見做され、何がしかの実利を与えられる。
そして己の空虚さを感じつつも何をするわけでもない。
空虚さを充填するのに手近なものとは、アルコールである。

そのような主人公が、何かの変調、つまり閉塞した世界を破れるのでは、と期待したのだろう、カルチャースクールに向かうのである。
そこで二回り年長の男性と知り合う。

その男性とは、何かとりたてて主題を定めるわけではない。
物理学における光の話が多いようであるが、とりとめもなく語り合う。
ただ語り合うのである。
相手の発言に相槌を売ったり、関心を示す。
語り合うことで、彼女の内面はようやく発酵し始めるのである。

というとなにやらタルムード、禅の語り、とも思えるのであるが。
ただどちらが師と弟子であるかは定かではない。

精神分析の語りとも異なるであろう。
転移を意識する、或いは取り上げるわけでもない。
読者が転移関係ととれば、それもありかもしれない。

ただ二者の間での関係性が構築され、その言述は様々な変遷、変移の可能性を示唆するのである。
その二者の間には、暗黙のルールがある。
毎週の水曜日、場所は喫茶店、というだけであるが。
暗黙のルールとは、その場にいるが見えない他者、三人目の人物でもある。

主人公の内面の動きが活発になるにつれて、独白は豊穣となっていく。

深海をうごめく魚群の動きのように最初は密やかにである。やがて波打つ水面のきらめきとなり、光は集簇し炎のように燃えたつのであり、けして静謐なものではなく、黒煙の彼方からの悲鳴の叫び、哄笑、爆発音であり、混沌とした破壊的なもので充溢し溢れ、噴きこぼれていく。

この女性ならではの、というと性的偏見になってしまうが、独特のうねりを持つ濃密な文章がたいそうセクシーであり、魅惑的である。
これがこの魅力的な作品の全てではなかろうか。
てんこ盛りの女性たちの饒舌な語りとは、単なる脇役、添え物でしかない。

その混沌としたものに突き動かされつつ、主人公は対話の片割れを喪失するのである。
それは宿命でもあるが。
この激しい独白、炎こそがカプセルホテルのような小市民世界を解放してくれる、おのが存在を天空の中に位置づけ杭を打ち込んでくれる、がごときカタルシスをもたらしてくれる。
この火炎がどこに向かっていくのかは、読者が各々の羅津儀をもって考えるしかないが。

と、何時ものように1円でゲットした書籍からの、私なりのささやかな感想である。

ところで何故最近の小説が読みたくなってきたのだろう、私自身の謎ではある。

多分、閉塞感を人並みに感じているからであろう。

留学  遠藤周作

留学 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社
1968-09-27






遠藤周作の作品では、あまりというか普段話題になることが少ない作品ではないかと思う。
つまりあまり売れなかった本ではないだろうか。
なんでも氏の代表作「沈黙」が映画化されたとかで、テレビで目にすることが俄かに多くなった。
しかし私がこの作品を読むきっかけはその絡みではない。

17世紀、日本からローマに渡った司祭、トマス荒木について知りたかったからなのである。
遠藤周作の「銃と十字架」で、トマス荒木は登場する。
が、謎だらけの人物である。
例によってデフレ日本の美点なり、アマゾンにて古本1円でゲット。
かなりくたびれた本ではあるが内容にはふさわしい。

ところで肩透かしというか、トマス荒木についての記述はあることはあるのだが、短い。
本全体が3篇の短編中編からなる、意地悪な見方をすれば寄せ集め集である。
トマス荒木は2編目の「留学生」で触れられる。
しかし内容は薄い。

さてこのトマス荒木に絡む日欧の交流史、その闇は奥深く、歴史教科書では記述されていない不都合な真実が隠蔽されているのである。
ここでその巨大な迷路には触れ得ないが、果敢に取り組んだ詳細なサイト、文献がある。

さて「留学」であるが
第1章「ルーアンの夏」
舞台がルーアン、40ページほどの短編。
 
第2章「留学生」
舞台は長崎、マカオ、ローマ、いや特定の都市は定まってはいない。10数頁の短編
 
第3章「爾、もまた」
舞台は主にパリ、そして南仏サド侯爵の城跡La coste、リオンである。
250頁の中編であるが、量、質ともにこの本の中核をなしている。

1950年代初頭、日本は終戦後の焦土から急速に立ち直り始めていたが、サンフランシスコ平和条約の発効以前である。
各国の大使館も再開する以前のお話である。
フランスも第2次大戦の戦禍から立ち直りつつあったが、ベトナム、アルジェリアの独立戦争の開始直前であったし、世界中の植民地を失いつつあるさ中でもあった。

そのような渦中でパリに留学、今の世から想像する以上に艱難辛苦のてんこ盛りだったに違いない。
実際に作者は、宗教組織であるカトリック教会の後援で日本からフランスに留学生として渡る。
政府や学術団体ではなく、カトリック教徒である作者が、その信者組織の寄進、後押しでフランスに向かう。
「現代カトリック文学の研究」という留学テーマで船に乗ってかの地に渡るのである。
まるで400年前の天正遣欧使節団のようではないか。

しかしこの留学生、かっての少年たちほど熱烈、清新な精神の持ち主ではなかったようである。
次々と湧き上がる不安、何とも言い難い居心地の悪さ、ついには西欧世界全体に対する憎悪とも呼べるようなどす黒い思いさえ抱き始める。

いかにもである。
居心地の良いはずはない。
今日においてもフランスのみならず、日本人にとっての西欧とは、いまだに抜き差しならない、跳躍しえない裂孔の彼方に臨める他者である。
終戦間もない頃の日本、金も政治力も失ってしまった日本人にとって、カトリックというのは数少ないかの地へのパスポートだったのかもしれない。

さて第3章「爾、もまた」の主人公、もう都内大学の講師というご身分である。
留守中の教室のことも気になる、といっても自分の保身、立身出世ということであるが。
ついでに留守中の家族のことも気になる。
彼は父親になったばかりでもある。

フランスで取り組むのは、まさにカトリックの本質を追及した文学者、Donatien Alphonse Francois Sadeである、というのはなかなか巧みな設定であろう。
1950年初頭に日本においては、サドの研究家はまだ少なく、皆一斉にスタートトラインに立った頃合いらしい。
反教会、反カトリックを叫び続けたサドこそが、カトリックを照らし出すエックス線である、そう見做されていたのかもしれない。

さてこの作品でサドについて主人公が肉薄しえたかどうかは、多分そうではないのであろう、なにか消化不足である。
それよりも、サド研究に人生をかけ続けていくフランス人研究家、同時に奇人変人でもあるが、ルビーの描写こそが趣深い。

在仏の日本人たちの群像、小説家、画家、彼らは藤田嗣二ら先人の伝統を踏まえモンパルナスのカフェ、
La Rotondeに集うのである。
彼らの孤独、不安、野心、メルトダウンしつつある自己愛、群れたがる心理、俗物ぶりが主人公の目を通して粘調に描写され、鬱陶しくも悲哀に溢れている。

幾筋かの旋律を含みながらも、この作品の根幹にある主題とは、以下のごとくである。
日本人にとっての西欧というもの、その精神であり、時間、意識、歴史でもあるが、それらの有象無象のものとしか表現のしようがない巨大で異様なもの、これに対峙し身をすくませた自分自身の姿を表現したものであると。
あくまで個人的な感想であるが。

さてこの作品を読んで、というよりも読書中に釈然としない点が私にはあった。
主人公は、日本のことをどう思っているのであろうか。
戦後5年を経て、作家の周囲に燻ぶっていた焼け跡のすえた臭いも感じられなくなってはいただろう。
全てを失った日本人、確かに国富、軍隊、インフラ、官僚権力装置を失ってしまった。
米軍の占領下である。

しかし日本の地下には、あまりに根深く目にすることができないのであるが、日本という凄まじい繁殖力を持った不気味なものが今も昔も生き続けている。
それは私たちの内臓、神経組織の中にも潜んでおり、身体の外でも、街頭、住宅、駅、どこにでも満ち満ちているではないか。
まさに不気味である。
その日本という、精神という言葉では永久に空振りしてしまう不気味なものに立ち向かうことこそが、帰国後の主人公の責務であったであろう。
それは今を生きる私にとっても、きわめて個人的な課題でもある。
おそらく永久にたどり着けない課題というよりも彼岸であろう。
そのためにこそ西欧があるにすぎない。

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アフリカのひと  ル・クレジオ

アフリカのひと―父の肖像
J.M.G. ル・クレジオ
集英社
2006-03







アフリカの人 ル・クレジオ著  菅野昭正訳 集英社  2006年刊

L’Africain J.M.G Le Clezio

正月の読書である。
肌寒いこの季節、アフリカを舞台にした作品を読むことにした。
例によってのわたくし、寡聞にしてこの作家について全く知らなかったが、2008年ノーベル賞受賞作家であるとか。
そのせいか彼の翻訳作品は実に多い。
アマゾンで例によって中古1円でゲット。
全然読まれていなかったらしくまっさらな美品である。

140ページの小品である。
しかし濃密な味わいを持っている。
アフリカの赤土、泥、湿地の澱んだ水のごとく。

ひどく散漫でもある。
人様に読ませることに気配りする、作品の流れに顧慮する、纏まりを塩梅するなどという親切な配慮は皆無ではないが、はなはだ希薄である。
小説ともエッセイとも言えない、いわば自分の幼年期、学童期へのノスタルジーの記述であるし、蜂蜜のごとくべたつく追憶、狡猾な自己欺瞞でもあり、その彼方には他者への侮蔑が巧妙に隠蔽されてもいる。
頁をめくり、行を追うごとに読者は作家の筆を通したアフリカ、或いは熱帯医学の臨床家であった父親への賛歌、はなはだ聞き苦しい歌なのであるが、付き合わされることとなる。

作家の追憶は、時間軸には沿わず右往左往するので読者は戸惑わざるをない。
が、すぐに気づくのである。
そんな作家の生い立ちなんぞを先回りして追いかけるなどは、徒労にすぎないと。

この文章の記述されたものとは、作家の学童期、幼年時代を過ごした美しきカメルーン、ナイジェリア東部の山間地への賛美ではなく、作家の揺れ動くというよりも夢のごとく流離う意識なのであり、朦朧としつつ、ナイジェリアの泥の河に流されていくクリ舟であるから、付き合うつもりで一緒に小舟に乗ってやればよいのである。

日本人にとって、アフリカ、そのエキゾチシズムは確かに官能をくすぐる。
阿片のごとく魅力的ではある。

ギニア湾を漂流するように航行する古びた客船、対岸には密林が生い茂り、8歳児が汗疹に悩ませられながらたどり着いたアフリカの中央部、ヴィクトリア周辺の植民地の光景、貴重な木材を運搬する汽船、周囲を漆黒の肌をしたアフリカ人が漕ぐ小舟が緩やかに行きかい、大河はやがて泥水の流れとなり、各々独自の伝統文化、伝統を数百年維持し続けている小部族の生活圏へと入っていく。
一家が居住する「箱」と呼ばれた現地の木造の宿舎、診療所、そこで繰り広げられる極彩色の絵巻。
強烈な日光と激しい雨、うららかな日々、嵐、憑依されたごとくのたうつ強風、際限なく繁茂し巨大化する樹木、夥しく飛び交う小鳥、狩猟する鷲、地上を這う色とりどりの蠍で遊ぶ子供たち、油断すると瞬時に皮膚から肉体に侵入し個体を食い尽くそうとする凶暴な兵隊蟻。
果てしなく続く草原地帯、放牧民、次いで険しい山岳地帯の踏破、断崖に築かれ朽ち果てた要塞、作家の追想はその果ての砂漠へとつながっていく。

一つ一つのエピソードの積み重ねというよりも、思い浮かぶままに記述されたもの、現実のアフリカそのものではなく、作家の主観、感情、センチメンタルな回顧であると共に、特権的な西欧人としての免罪を留保しつつの作家自身の西欧への侮蔑であり、嫌悪でもあることに読者はやがて気づかされる。
作家の父、彼はセーシェル諸島出身であり英国で医学教育を受けた医師である。
父への思い、というよりも作家の記憶の中にある男、意固地なDV親父であり、同時に英国植民地経営の一環と知りつつも、現地での医療に尽力し疲弊しつつ、何よりもそれを誇りとするあまり西欧を嫌悪し、侮蔑が結晶化した植民地医師の姿、たいそう奇態である、が浮かび上がってくる。

確かにおのれの意識の儘に筆を進め、記述していくという手法であり、今様にカッコいい、であろう。
読者は戸惑いつつも、いつしかその自由連想を装った記述の流れに酩酊していくことに感興を見出し、翻弄されつつ耽溺していく。

しかし、なにがしかの違和感が、靴の中の小石の如く常に読者を醒めさせることも確かである。
濃密な油彩画の中に、作家彼自身の手におえない何物か、不気味で名づけがたい、が確かにある。
それを幼年時代のアフリカ体験という鮮やかな絵巻で投影させていくことに、息苦しさを読者は終盤感じ取らざるを得ないし、共有するにはあまりに作家は饒舌過ぎたのである。
その作家の意識とは、確かにパリコレのモデルが纏うオートクチュールのように美しくお洒落であり、グロテスクでもある。
日本人である私には、たいそうエキゾチックであり、魅力的である。
しかし鍋の底で突き当たってくるような、収まりの悪いものがある。

それは植民地であり、戦争であり、西欧のいまだに続く他の世界への優越感であり、同時に作家が免罪を希求するその重苦しさとも重なってくる。
免罪符を得るには、あまりに西欧は他者を踏みつけにしてきたし、踏みつけている足の重さは基本的には今も変わってはいない。
ではお前たち日本人はどうなのだ、という声も私にも聞こえないではないが、そういう言述は頭の悪い私にとってあまりに難解であり、もっと学識深く賢明な人たちにやってほしい。













円の支配者

円の支配者 - 誰が日本経済を崩壊させたのか
リチャード A ヴェルナー
草思社
2001-05-08





2001年発売、もう古くなってしまった書籍である。
著者は日銀の研究員として日本に滞在経験のあるドイツ人経済学者。
しかしショッキングな内容である。
読後暗澹たる思いを抱かさせられる。
つまり誰しもがこの著作の指摘を重大なことだと認識、評価はしていている。
しかしいまだに内容に対する考察、批判、反対がほとんど出てこない。
ほぼ黙殺されている。
不可思議である。
「たんにあんたが知らなかっただけで、みな知っているよ」
といわれれば確かにそうかもしれない。
それはそれで慄然とせざるを得ない。

確かにこの著書、論文とは到底言えない。
トンデモ本、陰謀本という人もいることだろう、きっと。
現在の日銀幹部は黙殺するであろう。
かなりの文献資料、新聞から学術書、或いは日銀、旧大蔵省幹部へのインタヴュー、多彩な素材が下敷きになってはいる。
私の如き無知な輩にはなかなか理解しづらい経済学、社会学としての記述もある。
全体としては細かなデーターの分析に裏付けられた論文ではなく、日銀研究員として日本滞在間に考察した著者の思索を記述したエッセイともいえる。


さてこの著作の副題でもあり、最も著者が力を入れた論点は以下のごとくである。


‘本にとって、1986年から5年間続いたバブル経済、そしてその後の失われた10年、いや20年とは何だったのであろうか。

著者は声高に断定はしないが。

あの5年間とは、日銀のプリンスたちが緻密に計算した経済計画であったし、その後の日本経済の低迷も、その計画に含まれたいわば必須条件であった。
さらに言えばバブル経済そのものは眼目ではなく、バブルの破裂、その後の長い低迷こそが彼らの狙いであったし、一部を除いてその計画はほぼ達成できた。


日銀プリンスたちの動機とは以下のようなものである。
日本の経済構造は、戦前1930年以前は欧米と同様な自由主義資本主義経済であった。
企業買収は活発、終身雇用などなかった。
しかし軍国主義にならざるを得ない事情から、戦時経済体制、国家総動員法発令となった。

戦後の日本経済は、アメリカの主導で自由な資本主義経済社会になったはずである、少なくともアメリカはそう思っていた。

しかし実際にはそうならなかった。
戦時経済システムがゾンビのごとく生き残り、企業、社会構造の深い部分まで浸透しつくしていた。
戦時経済システムとは、戦後の復興に非常に効果的であった。
あっという間に日本は高度成長経済の波に乗り、世界経済の牽引役となった。
それはモノづくり、輸出型経済である。
優れた日本製工業製品は、欧米のそれを凌駕、駆逐するまでにそれほどの時間は要しなかった。
戦時型経済とは利潤追求を第一義とするのではなく、市場の占有率を最重視する。
ライバルを打ち負かすまで飽くことなく製品の洗練化、低廉化、効率化が果てしなく追及される。
大企業は、メインの銀行の主導のもとに多くの下請け会社を束ねグループ会社化、互いに持ち株会社化する。
各々が極めて閉鎖的企業体質である。
外部からの企業買収は困難を極める。
その中で社員は各々の技量を切磋琢磨し続け、終身雇用、年功序列がルールとして定着する。
社員は企業を第一義とし、家庭は殆ど顧みない。
いや企業こそが家庭である、とみなされ己を企業戦士とみなしてしまう。
企業とは経営者と従業員のために存在するのであり、株主は副次的存在、末席の存在である。
株主への配当金はアメリカに比較して甚だ低い。
得た利益の大半は設備投資、製品の開発研究に惜しみなく費やされる。


F本を戦後復興から立ち上げると同時に、冷戦下でのソ連の影響を被らないためにも、日本独自の戦時経済体制をアメリカは黙認してきた。
しかし冷戦は1991年ソ連の崩壊と同時に終了した。
さらにこのまま日本の経済活動、特に輸出産業を野放しに出来なくなった。
アメリカの自動車産業の代表されるモノ作りは、ほぼ空洞化してしまった。


ぅ▲瓮螢は日本の構造改革が必須であると考えるようになった。
日本の自民党政権、政府官僚自体は概ねアメリカに従順ではあるが、迅速に従うとは限らない。
むしろこれまで何度も失望させられてきた。

テ本の「構造改革」に必要なのは、日本の中央銀行、日銀の完全なる独立である。
円は基軸通貨であるアメリカドルを見習わなければならない。
日銀の独立とは、政府、大蔵省からさえも手の及ばない孤高の存在であることを意味し、唯一無二の存在となることである。

ζ銀を指導、支配するのは日銀生え抜きの社員であり、日銀プリンスに相当する。
けして大蔵省官僚ではない。
たとえ日銀総裁が旧大蔵省、財務省出身の時期であっても、実務はあくまでも日銀出身者が掌握する。
その場合は副総裁、或いは営業部長が実権を掌握する。
いくつかの重要会議が日銀内会議室にて密かに非公開、定期的に行われ、選ばれた者だけが参加する。
それは「月曜会」というような、まるで私的会合のような名称であるが、実際には日銀内の最高意思決定機関である。
そこで日本経済の重要事項が決定される。
が、大蔵省出身の総裁がその場に呼ばれることは、まずない。
総裁でさえ参加できない。
通常プリンス出身でない総裁は、かなり遅れて部下から決定事項を知らされる。
また会議内容が外部に報道されることは、漏れない限りない。

日銀プリンスとは、入行した後数年を経て、同期の中から特に優れた人材がいわば指名される。
プリンスの地位に実際につく数十年前からすでに決定している。
彼らは例外なく、アメリカの銀行政策、通貨発行等についてアメリカ国内での業務経験が豊富、或いは通暁していなければならない。
有名だったのは佐々木総裁、前川副総裁、三重野総裁、そしてバブルの主導者福井総裁である。
彼らは福井総裁以外はいずれも東大法学部出身、三重野氏を除いては海外勤務経験がある。
中でも三重野氏は絶大な権力を行使した。


これらの指摘がこの著作の骨格となっている。
つまり日本が経験したバブル景気とは、日銀プリンスが周到に仕掛けた経済的自爆であり、その後の凄まじいデフレ不景気も彼らのもくろみ通りであった。

1985年プラザ合意当時、日本は未曽有の円高不況に直面し、これが日銀の計画発動の狼煙となった。
同時期に出た日銀からの前川レポートにおいて、日本経済の「構造改革」が述べられている。
日本の輸出主体型から内需主体、関税、非関税障壁の撤廃等、開かれた市場経済への移行が日本政府ではなく、日銀の名によって提唱、主導された。

このことの実現のために、彼らは大幅な金融緩和を行った。
「窓口指導」と呼ばれる日本独自の手法である。

日銀の営業部長が、都市銀行、地方銀行と序列に準じて順次各銀行の貸出担当重役を呼び出し、貸付拡大を執拗に厳しく「指導」するのである。
何度も何度も繰り返し行われた。

指導というよりも強制、ありていに言えば恫喝である。
指導を守らなければ次回からの当該銀行への日銀からの貸付枠は大きく削減されてしまう。
これは銀行にとっては市場を失う、ライバル行から後れを取ることを意味する。
窓口指導によってマネタリーサプライは、かってないほどに拡大し、名目GDPを超える伸びとなった。
市中の円はジャブジャブである。
日本の場合、投資先が見つからず円が飛びついたのは土地、不動産であった。
日本国内に飽き足らず、海外不動産まで円の触手は伸びた。
かくしてあの華やかなバブル時代となったわけである。


そして5年後、「もうよかろう」という判断が日銀に生まれた。

そしてエリート中のエリート大蔵省は、摂待がらみのスキャンダルを機に権力の座から転がり落ちてしまった。
激しいマスコミの攻撃が大蔵省に対して連日行われた。
大蔵省は財務省と名を変えられたのみならず、金融庁という銀行監視機関を支配下からもぎ取られた。
小泉竹中コンビに指揮された金融庁は、不良債権処理を口実に市中銀行を締め上げ、阿鼻叫喚の中どんどん潰していった。
日銀プリンスの筋書き通りではあった。
大量の不良債権処理、日本はこの過程を通じて大量の国富を失ってしまった。
それを外資ファンドが吸い上げつくしたことは記憶に新しい。
それでも日本の「構造改革」を彼らはなさねばならなかったのである。
日銀法の改正と共に日銀への影響力も旧大蔵省は失い、彼らよりも日銀は実質的には上位に君臨することとなった。


かくして日銀は、日本経済の実質的支配者となった。
彼らは、お金の蛇口を手のひらを反すが如く1991年、突然ぴったり閉じたのであった。

日本と同様の出来事はアジア、インドネシア、タイ、韓国でも起こった。
INFの介入が行われ、経済主導権を各国政府は失った。
換言すれば各国の政府ではなく、中央銀行が主導する自由主義経済、更にアメリカFRB或いはFOMCの意のままの国際経済システムの構築がアジアでは完成した。
例外はマハティール首相の抵抗が強かったマレーシアだけである。


ただ日銀プリンスの思惑と食い違うこともあった。
これほどにもデフレが長引くとは、さすがの彼らにとっても見込み違いであった。

https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2016/ko160908a.htm/
「私が日本銀行に入ってから38年になります。この間、わが国をとりまく経済金融環境は激変しました。これに伴い、中央銀行の政策課題も大きく変わってきました。伝統的にインフレ・ファイターとして認識していた中央銀行で、デフレ克服にこれほど苦闘することになるとは新人時代には想像していませんでした。 」

ここでは素直に後悔、愚痴が吐露されている。
場所は皮肉にも在日米商工会議所講演会である。
語っているのは日銀副総裁中曽弘氏、現在の日銀プリンスの一人である。
なお現黒田日銀総裁は日銀出身ではない。

今や日本は、アメリカ型自由経済主義、市場開放、TPP参加、「構造改革」を経て、あっという間に日銀の思惑通りに動いてきたわけであるが。

ところで海の向こう側では、少し様子がおかしいではないか。
アメリカは自国の保護貿易を目指し、TPP不参加のようであるが。






優雅なハリネズミ

優雅なハリネズミ  L'elegance du herisson 
 ミュリエル・バルベリ著 川村真紀子訳 早川書房


優雅なハリネズミ
ミュリエル・バルベリ
早川書房
2008-10-09






女性というものは厄介なものである。
厄介というよりも理解しづらいものである。
ここでいう「女性」というのは生物学的女性ではなく、人々が「女というものはかくかくしかじか」と措定したものといったほうがよいかもしれない。
何ものでもない、何者かとしか言いようのないもの、である。

生物学的に男性であり、本人も男性と思っている人においても、「かくかくしかじか」では女性の範疇に入れるべき欲望を抱いているものである。
この作品は、この厄介な「女性」ばかり登場してくる。

勿論引き立て役として「男性」も登場はするが、あくまで引き立て役、添え物としてである。

この厄介な人々の延々と連なる独白が描き出そうとするのは、花のパリ、なかでもお金持ちたちが群生する6区のアパルトモン、そこからせいぜい500m以内の小宇宙である。
花のパリ、見方を変えれば環状線道路によって閉ざされた空間、城塞である。
或いは終身徒刑囚たちを閉じ込める牢獄、といったほうが妥当かもしれない。
その牢獄内では獄舎ごとに、国会議員からホームレスまで、厳然たるヒエラルキーがあるそうである。

(ところでアパート管理人、日本でいえばマンション管理人とは、かの国ではずいぶんと卑下されがちな職であるとか。そのことは作中にて執拗にほのめかされる。日本の社会ではなじみにくいものである。
つまり露骨な職業差別表現ということである。
差別的といえば、作中タイ人の幼児に対する憐憫に名を借りた差別感情、作家の上から目線が露わな箇所がある。ご近所、同じアジア人としては慄然とさせられる。)

その牢獄の中で肥大しきった自己愛の咬み付き合いが日々繰り返され、毎日が流血の大惨事なのであるからして、住民は何時しか疲弊しつくすわけでもある。
飽くことなくいがみ合い、ののしり合いを繰り返す家族、隣人に対して冷ややかな視線を投げかけつつ「あたしは、そんな下品な人間じゃないんだよ」と防御の為にハリネズミ化した人物が2名、一人は50代、もう一人は10代前半の女性である。
いわば知的スノッブであり、孤高の保持こそが自らの拠り所であり、他者には正体を悟られないように無害を装いつつ防御する、という入念な作業を日々繰り返すわけである。
ところが、この作業は随分と疲れ疲弊するものである。

自らの内的世界、宇宙とするものは実際には脆弱であり、それは仕方ないとしても他者を排斥してのみ成立すると仮定した仮想空間であるから、何時しか堂々巡り、ステレオタイプ化し黴臭く陳腐なものとならざるを得ない。
いわば排除を繰り返すのみの運動体と化すのである。
それは「自分」という肥大化しきった自我を描出してくれる、と彼女たちが期待したものなのであるが。

それを読書、他者の知的言説という食糧、エネルギーにて充足する、その活動はその瞬間においては完結したかのごとく思えるのであるが、何かが欠如したままなのである。
また疲弊しやすい孤独な作業であるからして、遠くまでには及べない。
中年の彼女がフッサールに到達したのちに、ハイデッガー、サルトルに至る現象学的記号、意識、概念、存在論。
それらを網羅し、かみ砕いた知恵のおすそ分けを賜れるのでは、という読者の期待はあっさりと裏切られる。

かくのごとく、いわば知的ヒステリー者の独白を読者は読まされるのであるから、半ばまで行かずともかなりのウンザリ感は禁じ得ない。

その閉塞感、閉じ切った円環を解きほぐすツールが新たな来訪者、日本人男性オヅ、あの小津安二郎の遠縁、である。
彼は特別気の利いたことを語るわけでもなく、ただ静かにたたずみ、彼女たちの話に耳を傾ける。
あくまで人畜無害な存在である。
そして彼は異なる世界からやってきたガイジンさんであり、何時の日にかこの地を去るべき運命を背負った人物、あくまでそうでなければならない。
彼女たちはオヅと触れ合うことによって、いわば閉ざし続けてきた心、閉鎖された円環、無限の周回運動を開放する、かのごとく物語は展開していく。
いわばオヅ、という男性を霊媒師、いや触媒として彼女たちは新たな知を授かる、或いはこの物語のエピソードのごとく雌カマキリとして受精を受け、豊穣かつ新鮮な生命の誕生を期待する。
オヅにはオスカマキリのごとく儚く消えてもらうのであるが。

この作品の結末、このいわば受精が首尾よく行くかと思ったときに、知的ヒステリー者に死という絶対的去勢者が現出してしまうのは、当然の帰結であり物語としてはそうでしかありえないのである。
つまりこのパリという知的放蕩者たちが死を賭し戦い合う円形闘技場は、彼女たちに不吉なものを贈呈すべく手ぐすね引いて待ち構えているからこそ、私を含めた人々を魅了できるのである。
底なしの虚無と幻滅こそが、幾世代を経たパリの人々がたどり着くべき彼岸である。

しかしその虚無の沼に沈んでこそ、健全、柔和、他者に寛容、イスラム教徒だからといってヒステリーを起こすようなことのない、良きパリ市民たり得るのであるが。

原題の優雅なハリネズミ、或いはハリネズミにおける優雅さ、とはかくのごとく悲劇的でもあり、執念深くも絶え間なくエンドレスの歓喜を求める、甚だ貪欲なものでもある。

ちなみに作家はこの作品の執筆後、京都に一年間滞在してしまったとか。
なにか黒々、不吉な雲行を連想してしまうのであるが、私の杞憂であってほしい。
きっと至福の感動を味わってご帰国なさった、とは思うのであるが。

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フランス組曲

フランス組曲
イレーヌ ネミロフスキー
白水社
2012-10-25








フランス組曲  イレーヌ・ネミロフスキー(Irene Nemirovsky) 作 野崎 歓 平岡敦訳 白水社


日本語訳は2012年であるが、本作品が書き記されたのは1942年7月以前のことである。
著者の没後60年たっての刊行である。
この作家は、生前よりフランス語圏では著名な小説家であった。 
ウクライナで出生、当時この地域ではユダヤ人迫害、ポグロムの嵐が吹き荒れており、ネミロフスキー一家はフィンランド、更にはフランスへと10代で亡命、ソルボンヌ大を卒業した。
彼女は学童期からロシア語、フランス語に堪能であった。
この作品の悲劇性を高めてしまったのは、原稿が彼女のトランクの中から、いわば遺品として見出されたことである。

ナチスドイツのジェノサイドから逃れ得た作家の娘が父、つまり作家の夫から託されたものであった。
娘は当初日記ではないかと思ったそうであるが、実際には小説の原稿であった。
残されていた原稿も膨大なものであったが、作家の構想ではさらにこの数倍の長さにわたる大長編小説として計画されていたのである。この作品は、いわば未完成の組曲である。
作家はボーランド国内、おそらくアウシュビッツで1942年命を落としている。
39年の短い人生であった。

第一部:六月の嵐

第二部:ドルチェ

第三部:捕囚

第四部:戦闘

第五部:平和

という構成になる予定であったことが、制作ノートから伺われる。
私たちが後世の読者として楽しむことができるのは第二部までなのである。
従って、読み進めるうちに何かちぐはぐではあれど、どこかで交錯しあいそうな無数の人々の描写に引き付けられつつも、戸惑いのまま本の外の世界へといきなり放り出されてしまう。
執筆当時、既に安住の地と思っていたフランスはナチス・ドイツに占領され、当初は穏やかだった占領政策も次第に仮借なきユダヤ人狩りへと、残虐な本性を表し始めた頃であった。
いつ訪れるかわからない破滅の時を作家は想像し、恐怖しながらもきっと様々な思念を作品として結実させていったのだと思う。

第一部:六月の嵐

ドイツ軍の進出が始まったパリの未明から始まる。
1940年6月3日未明、けたたましいサイレンと共に爆発音でパリの人々は目覚める。
憂慮しつつも、なんとかなるさ、と奇妙な楽観主義者でもあったパリ市民たちは、来るものがやってきてしまった、という恐怖から雪崩を打つような恐慌状態に陥った。
主な登場人物らは、パリ市内で優雅な大ブルジュア一家、或いは慎ましい銀行員、スノッブで強烈な選良特権意識を持つ作家、そこそこ財産なり失うものを持つ者たちであった。
彼らは恐怖に駆られてパリから逃げ出す。
何故逃げ出さねばならないのかは読者には不明である。
彼ら自身も曖昧、いや不明である。
ドイツ人、ドイツ兵という恐ろしい魔王からの逃走である。
そのための自動車、馬車、荷車、自転車、或いは己の足以外は何も持たない人々、夥しい群衆はオルレアン門から南西の方向、おそらくドイツ軍がやって来ないであろうフランス南部トウ―ルーズを目指す。
紙幣、証券、宝石、それに持てるだけのありったけの家財道具、それは銀の食器からベッド、乳母車までさまざまである、それを自動車の屋根にあたうる限りのせ、延々と数十万人の人の列、今でいえば難民である、が道路を埋め尽くす。

彼らの目的地のない逃避行、今日のシリア難民と重ねることはできない。
彼らを追い立てる爆撃機も銃弾も飛び交ってはこなかったのである。
例外は鉄道であった。
諦めて結局パリのアパルトマンに戻ってしまった夫婦もいた。
久々のパリ、初夏のさわやかな日差しが彼らを待っていた。
そして最初から逃げ出すことを諦め、以前のままに日常を送る人々も夫婦を懐かし気に待っていた。

第二部:ドルチェ

ドイツ占領地帯ではあるが穏やかな田舎町。
そこにもドイツ国防軍がやってきた。
恐る恐るカーテンの端から兵士を見守る住人たち。
彼らの日常は悠久の歴史、といっても大革命後随分と様相が変わったのであるが、基本的には中世的身分制度の残滓、沈殿物に浸されたままである。
何故かは不明であるが、ドイツ軍の若い将校たちは土地の有力者たちの居館に下宿させられるのであった。
ドイツ人たちを忌避しつつも、来迎を拒絶できない村の有力者たちの心境が綴られる。
フランスの田舎町のブルジュアの家庭、それは優雅でも繊細でも、機知に富んだものでもない。
甚だしく頑迷で利己的、見栄っ張りであり、他者に対して排他的、嫉妬に満ち吝嗇である。
その自らが構築した牢獄に不平不満だらけの人々である。
不幸でないことは罪、とされる社会であり、今もそうであるが、全てのブルジョアジーとはかくあるべし、という見本のような人々が登場する。
そのなかでフランス国内では当初規律正しく金払いもよかったドイツ兵士は、若いフランス人女性から次第に好まれるようになってきた。
ハンサムなドイツ陸軍将校と、寄宿先の美しい夫人、彼女の不実な夫は捕虜収容所で長き不在、よくある主題であるが、煮え切らないまま青年は東部戦線に向かう。
おそらく彼は二度と夫人と会うことはできなかったであろうが。

実際に作家の創作ノートの中に、その予定である旨の記載がある。


1942年5月、作家の筆は突然絶えてしまう。
彼女自身、ブルゴーニュ地方の小さな村に潜んでいることが官警の知るところとなり、フランス憲兵隊によって捕捉、ポーランドの収容所に送られ二度と帰ってはこなかった。


この未完の作品を読んでの感興とはなんであろうか。
なんとも記述しにくい、ある種の郷愁であり、美しい土地への憧れであり、異文化への興味であろうか。
一気に読破させるような力強さは感じさせられなかったが、膨大な人々の行動、感情、運命、それらが交錯しながら描き出されてくる複雑、躍動的な描線、厚塗りの油彩から淡い水彩までの色彩からなる妙である。
この美点が私の如き怠惰な読者をも惹きつけるのである。
作家がその後も存命であったなら、重厚長大な長編小説となったであろうし、創作ノートには「戦争と平和」を意識した旨がある。

その作家の無念の胸中を知る由もないが、ごく一部分であるが作品としての纏まり、整合性はよくとれている。

第一部の群衆劇、確かにカオスである。
2003年のフランス映画Bon voyageはこの時の大騒動を舞台にしている。
パリから一斉逃げ出す人々、彼らを駆り立てるものが何なのかは彼ら自身もわかってはいなかったし、今の我々にもわからない。
第2次大戦後アメリカ軍が日本に進駐してきたとき、腹を切った軍人たちはいたが、民間人は不安と共に平静を保ってはいたであろう。
各々の日常世界が継続することは確信しえた、とは言えなくとも逃げ場所は海の外でしかないから、日本にとどまるしかない。
カンボジア紛争、ポルポト派が国土を制圧した時、プノンペンから政権幹部らは逃げ出したが一般住民は逃げ出さなかった、逃げ出すすべがなかった。
彼らを待ち受けていたのは同胞による凄まじい粛清と虐殺の嵐であった。

今日の戦争、紛争ではどうであろうか、ISが街に迫ってきたとき、人々は国外へと活路を見出そうとしている。
そのしわ寄せが欧州に波及し、結果としてはEUは解体の危機、英国の離脱が始まってしまった。
一つの国家という権力装置、暴力装置でもあるが、それが崩壊するとき、下々庶民はどう判断し行動するかは予測しがたいことではある。

作家はユダヤ人である。
彼ら、ユダヤ人は流浪の民であり、紀元前17世紀からパレスチナから追放された人々の子孫である、ということはもはや神話に過ぎないのであるが、いまでも建前としてはそうなのである。
その神話のおかげで、今日も紛争、流血は絶えないが。
作家自身も両親に連れられて1914年ウクライナからフランスに亡命している。
作家が11歳、ロシア革命の嵐が吹き荒れた時代であった。父は富裕な銀行家、もしも亡命していなかったならば、その後の絶え間ない戦乱、ポグロムによる虐殺、或いはホロドモールというソ連の作為による大飢饉で命を落としていたであろう。
そんな彼女であったから、反ユダヤを旗印に掲げるナチスドイツのフランス占領にはある種の覚悟があったのだと思う。
ただこの作品中にはユダヤ人、ユダヤ教的題材は一切が排されている、奇妙ではあるが。
未完の作品のどこかでは登場させえたのかもしれないが、まだ筆を及ぼす勇気がわかなかったのかもしれない。

平和な日本で安閑としている私などでは察することはあたわないことでもある。
そのような崖っぷち、緊迫した日常の中での唯一の慰撫がこの作品の執筆であったのであろう。


第二部 ドルチェとは意味深い。
切なく甘いデザート、としか思い浮かばない貧しい私であるが、この未完の作品の主部となっている。
作家にとっては、第三部捕囚、第四部戦闘、という重い主題において渾身の叙述をなすつもりであったろう、その前奏曲としての第二部であったが。
このドルチェ、初夏の朝、さわやかな微風と花の香、のごとく甘美なものとは言い難い。
むしろ晩秋の霧のごとく重苦しく陰鬱であり、ほろ苦い。
フランスの田舎町、堅苦しい地域共同体、というよりも自らを閉じ込めるがごとき古めかしい牢獄といったほうがよい。
窮屈そのものである。
大革命後も子爵、今は町長を務める旧家もすでにブルジュアジーの台頭で往時の権威は表向きだけである。
代わったブルジュアジー、地主たちもベルエポックの時代ははるか遠く、黴臭い居室の中でアルコール浸りで往時をしのぶ毎日なのであり、20世紀に入り二つの大戦で疲弊は極まりつつある。
中でも女性たちは旧来の不文律、旧家としての意地、体裁に縛られ、というよりも自縛であるが、その中で閉塞しきっている。
何かのきっかけで窒息感は不満として爆発しそうなのであるが、そのカタルシスは何十年待っても起きそうもない。
フランス第三共和政の崩壊とヴィシー傀儡政権の誕生、ドイツ軍占領地への進駐がこの町に何を起こしたのか。
例外はあっても別に大きな事件が起きはしないし、町民の生活ががらりと変わったわけでもない。
相変わらずの味気ない灰色の日課をこなし、日曜日になればカトリック教会に礼拝に赴く日々。
その中でドイツ軍将校と、まだ若さを保ったまま枯れ果てようとするフランス人女性の道ならぬ恋、それは臆病におずおずと始まり、将校の東部戦線への転属であっけなく終わる。
ジェノサイドの噂の中、密かに潜伏する作家にとっては、それは必死で握りしめてきた最後の小さな宝石、ささやかではあるが命のように煌めくものであっただろう。


単独に作品として読んでみると、突然映写を停止し明々とした照明が灯された映画館のようなあっけなさを感じさせられるが、作家の人生、時代を考えると趣深いものがある。

翻訳は美しい文章を構成している。

この作品は映画化もされているが、私はまだ未見である。









第125回精神保健指定医研修会

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冬空である。
幸い雨は降っていない。
小倉駅近くの駐車場に車を止める。
1日800円なりで往復タクシーの半額以下であるが、こういう時だけは寂れ果てた町のありがたさをしみじみ味わえる。
平日朝7時43分のこだま号に乗る。
福岡までの御通勤の方々、ずいぶん多いようであるが空席はある。
眠くなる。
うとうとしているうちに音声案内で到着を知らされる。
8時過ぎの博多駅、ずいぶんの人混みである。
通勤途中というよりも大型旅行鞄を引きずる方の方が多いような気がする。
やや遅めの朝食をとる人の列、コーヒーショップの前に並んでいる。

信号を渡り300mほど歩くとホテル日航福岡である。
人影はまばら、ひっそりとしている。
パリのパラスホテルよりも清潔で広々とした玄関ホールに飾り付けられたクリスマスツリー。
年の瀬が近いことを思い出させられた。
あてもなくぐるぐると周遊しているおもちゃの汽車が物悲しい。


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3階の会場を目指しエスカレーターを上る。
このホテルも久々であるが、内装はなかなか凝っている。
鉄板焼きのお店の前の漆細工と組合わせた屏風、休憩用の椅子、中国風の壺からあしらえた照明ランプ、机類も大量生産品であるが、控えめな気品を保持している。
騒々しい主張をしない、地方都市、小市民としての分相応を保持できることは素晴らしい。

受付のおばちゃんに薄青色の封筒を渡す。

これが写真一枚、申請書一枚のみの精神科指定医更新書類である。
5年に一度、運転免許更新と似たようなもの、いやもちょっと厳しい。
というのも受講できる機会は日本全国内にて年に数回、しかも近場つまり福岡はいつも混み合っている。
今回も定員は受け付け開始から数日で埋まったとか。
うっかり失念してしまうと、取り返しがつかない。
失効してしまう。1年以内の申請は救済されるが。
しかしそれを過ぎると最初からやり直しであるから、事実上再取得不可能である。


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30分前の会場到着であったが、すでに3分の1程度の会場の入りである。
定刻となり、おばちゃんたちに促されて入場。
前から数列目、といやな席である。
それとなく周囲を見渡す。
お隣は長崎から、後ろの先生はなんと遠路はるばる北海道から。
年配の先生方、私もいつの間にかその一人となってしまったが、まだまだハナタレである。
最後列には大先生方、車椅子の方も例年かなりの数おられる。

開会に際してエライ先生、この場合日本精神病院協会主催であるからして、日精協の副理事長先生の御成りであった。

さてダブルのスーツを着てご登壇。
さる名門精神科大病院の院長先生、日精恊の副理事長先生のお言葉に耳を傾けねばならない。

「今回の指定医89名の資格取り消し処分でございます。
誠に遺憾、残念なことでございました。
私としてはできる限り救ってあげたかったのです。
しかし調べれば調べるほど実情はひどいものだったのです。
なにしろ主治医として関わったはずの当該症例のカルテをすべて取り寄せ、詳細に点検いたしました。
ですからたいそう時間がかかりました。
そのカルテのどこを見渡しても主治医とする者の署名捺印がない、かかわった形跡を指摘することができなかったのです。
或いは指導者でございますが、この方々も症例にかかわった形跡が見当たらない。
中には指導医が過去に主治医として提出したケースレポートと同一の症例もございました。
甚だしいものに至っては、既に過去に提出されたレポートと一言一句同一のレポートさえあったのです。
これでは悪意をもって不適切なレポートを捏造したとしか言いようがございません。
今後このようなことがないように、各症例の厳密な点検はもちろんでございますが、口頭試問等の新たな条件の追加も検討中でございます。

ところでわたくし、この後公用がございますので、この場から失礼させていただきます。」

言いたいことだけを言ってこのエライ先生、風船のごとく消え去っていった。
一切の質疑応答はなかった。

指定医の取り消し処分とは、精神科医にとって事実上の死刑宣告、業界からの永久追放処分である。

各不正内容の例数、非処分者の言い分を聞きたかったのであるが、この先生あくまで厚労省の走狗でしかない。
我々、下々の末端を管理しているつもりなのであろう、自分たちで法令として定められた厳密な研修会を主宰しておきながら、公用の一言ですたこら逃げ去ってしまうのであった。

同じく厚労省精神・障害保健課、課長様もご講演と伺っていたが当日は「公用」にてドタキャン、偉い人はやっぱり違うのである。
厚労省の課長様といえば雲上人。
とはいえ医師であったら上級試験なしキャリアーの最終ポイント、終着駅である。
課長どまりで局長級にはまずなれない。
文系キャリアーの下からは邪魔者扱い、きっとナントカ財団とかへ天下るのであろう。
エライ先生ほどこのようなものである。

格下、課長補佐殿の御講演となった。
自画自賛の嵐、昔々日本の精神科医療は超長期入院の極悪医療であったが、厚労省の優秀なお役人の奮闘努力の甲斐あり、欧米先進国並みの短縮を達成しつつあるとか。

なんのことはない、長期入院の診療報酬をどんどんカットしただけなのである。
民間精神科病院としては、生き残る道として急性期病棟へと変換中なのである。

官僚たちが、安易な道、飴と鞭での成功体験、と勘違いしてしまうと悲惨、大惨事、医療難民の大量発生を引き起こすのだが。
犠牲になるのは下々庶民であって、高級官僚ではない。
彼らは分厚い福利厚生で常に防御されている。

何時もお馴染みの上智大、法律家大先生の御講演、まるで静脈麻酔薬のように強烈な眠気を催す、とてもためになるお話であった。
法をお説きになるのなら、まず自ら講演時間を守っていただきたいものである。
だらだらと長いのは迷惑である。

午後にはシンポジュウムなるおバカなセッションがある。
バカげたと私がここで揶揄するのは理由がある。
「これはあくまで上っ面だけの法律論なんですよ。
そのくだらなさを大人の事情、百も承知の上での討論であることをお察しください」
という暗黙の了解が聞かされる者に甚だ伝わりにくい運営である。
大枚2万円強を参加者から徴収しての研修会である。
あまりに下手くそではないか。

例えば、だれが見てもうまくいきっこないBPDの症例である。
旧法でいう保護者として不適切なクレーマーのおまけつきである。
こんな症例を無理やりの医療保護入院とし、隔離した挙句の自殺事故。
誰でも容易に結末は予想できる、精神科医ならば。
普通の精神科医だったら、恥ずかしくて人前では発表できない稚拙な診療内容である。
或いは、個人情報保護法に則りのフィクションなのであろうか。

臨床医学的判断こそ、法的妥当性の第一に吟味すべき焦点である。
この点は華麗にスルーしての隔離運営の妥当性の議論なんぞ、現実と遊離しきったばかばかしい空論である。
ここでの大問題の結論とは、5分間ごとにモニターを使った巡回、カルテ記載があったのでセーフ、なんだそうである。
あくまで小手先の法律論だけにしないと纏まりがつかない、荷が重い、というお考えだったのであろうか。

これらの空疎、果てしない宗教論争的法律論の結末とは以下のごとくであった。

乱暴にくくってしまうと以下のごとくとなる。
ぎりぎりの判断なくしての隔離、拘束するのは違法、民事上損害賠償を請求される。
隔離、拘束しなくて自殺、或いは転倒による外傷を起こしても違法、賠償の対象という弁護士先生の解説を承る。
不法行為とならないごくごく狭い隘路を、われわれは日常奇跡のごとく潜り抜けねばならないそうである。

今どきの潮流として確かなことがある。
それは医者が善意として、患者にとって良かれとしてなす行為、例えばミトンでの手袋、車椅子への固定ベルト、はてはつなぎの服も大半は拘束とみなす。
つまり日常の精神科医療、特に認知症を扱う病棟では、ほとんど機能不全を起こしかねない支配的観念が、現在の法的モデルとなってしまっているのである。
厚労省は、細かいこと、或いはばちかぶりそうなことには一切口を出さない、どこにも指針なんぞの証拠は残さない。
まことに賢明というか狡猾である。
裁判所、裁判官という法曹界のサラブレッドたちが下す判例が、いつの間にか医療の世界をどんどん支配し追い詰めていくのである。
彼らは善意と誠実な知力をもってして職務を粛々と遂行しているだけなのであるが。
遺憾なことに、彼らには現場に立った経験、世間というジャングルに対する洞察が欠落しているのである。

リーガルモデル、つまりアメリカ的人権最優先、それこそが先進国日本の選択なのである。
患者さんの人権はすべてを駆逐する。
その結果医療の恩恵を受けられない、たとえ死を含む不利益を患者さんが被ったとしてもそれは自己責任である。
ご本人の怠慢、無知ゆえのことであり、仕方がないことなのである。
国家は自由と権利の守護者であるからして、何らかの不利益、救済しがたい限界も同時に存在する。

ということなのだそうだ。

夕方の冬空は、暗くうつろであった。



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東京国立博物館

細かな砂が舞うような微光に包まれている階段では、人の声がこだましては消える。
常に控えめで謹厳な沈黙、或いはエロチックな愉悦が来訪者を待ち受けている。
ここは、ベランダから庭園を見下ろせるかの如く、夥しい時間、人の欲望と必ず訪れる死を、
さながら俯瞰するかの如く見渡せる悦楽の場でもある。

右手の薄暗い展示場、まるで縁日のお化け屋敷のごとくおどろおどろしい。
どことなく禍々しさ、不吉さ、汚泥の香りがする。
人間の欲、そのものが最も率直、赤裸々に表現された場である。
仏像の展示室である。

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時代別に展示されているのだが、その流れは精々鎌倉期で止まってしまう。
江戸期の仏像、夥しい数が民間にはプールされている、は目にできない。
ここにいるものとは選りすぐり、仏像の中の超エリートたちなのである。
国立博物館であるからして、修復も怠りなく状態の良いものばかりである。

平安以前の古い木彫。11面観音菩薩、素朴さと同時に大陸伝来そのものという異国趣味を感じさせられる。




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平安後期、地蔵菩薩、浅い彫で波の如くに思いのままの表現力、洗練しきった造形である。
特権的貴族社会の美意識、そのものである。
仏師のどや顔が思い浮かぶ。




何故か、他の仏像はみな撮影禁止になってしまっていた。
博物館自体の持ち物が少なく、借り物が多いせいであろうか。
ホームページに記載されている浄瑠璃時の見事な十二神将は、展示されていなかった。

隣の部屋、主に室町の工芸品、豪華な漆器が並ぶ。
小さな空間に小宇宙を注ぎ込んだ、かの如く饒舌でもある。
大半は東山御物的な訳ありの作品だと思う。

男山蒔絵箱

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安土桃山期の書見台、どこかで見たことのあるような意匠、高台寺と縁のある作品らしい。



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珍しく幕末の作品、微細、繊細な造形が見事である。


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更に進む。



刀剣の展示室。
美しい造形であるが、ずらりと並べられると素人には差異がわからなくなってくる。
鎌倉期の古刀。
大切に伝承され、実戦では使われなかったのであろう、だから伝承したのかもしれない。


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古志野をはじめ陶磁器、あまり縁のない世界である。

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細川忠興ゆかり、郷土の高取焼もあった。

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素人目には、鍋島の優雅な中に厳然とした頑迷さの伺われる作が印象に残った。




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途中でベランダに出る。


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昔の上野寛永寺敷地内、門主の邸宅にあった庭園らしい。
池の向かいには小堀遠州作の茶室、この日は庭園は解放されていなかった。
幕末最後の門主は北白川宮能久親王であった。
上野の戦い、彰義隊に盟主に担ぎ出され、寺の伽藍は燃やしつくされ、徳川慶喜には除名の嘆願をさせられ、挙句には半ば拉致のごとく榎本の軍艦に引っ張り込まれ、戊辰戦争の仙台藩まで付き合わされたお気の毒な宮様。
維新後は陸軍中将、出発点の僧職とは似ても似つかぬ人生であったとか。

いつもこの辺りで休憩。
昭和、戦前の建築、あちこちの造形は美しい。

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安土桃山期狩野元信の二曲一双の屏風。
元は障壁画だったのではなかろうか。
大切に保存されてきたらしく状態は良好。
律儀に硬い絵であるが、清明な冷気を感じさせる山水画である。
しかしどんな部屋に飾られてきたのであろうか。


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江戸、おそらく後期の狩野派六曲一双の屏風絵、最近書かれた絵のごとく金泥も鮮やか、どこか世慣れた派手な絵である。
無名無落款。
中国の帝冠図、十二の孝行を描いた図であろうか。
がちがちの武家書院には合わない気もする。



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曽我派の山水図、細かな描写は優れているが全体のバランスが歪でまとまりに欠ける。





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ギンギンの琳派の絵。
尾形光琳の弟子、名前は忘れてしまった。
見事な作品ではあるが、型にはまりすぎた、外に広がっていけない窮屈感を感じた。
先生が偉すぎた、といっても有名な京の遊び人、大浪費家だったのだが。


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酒井包一の有名は襖絵、何度か目にした絵であるが静謐で美しい。
どこか乙女チックでもある。

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本館のみならず、隣のアジア館も素晴らしい。
超高価な中国陶器も素晴らしいが、私はあまり好まない。


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クメール彫刻が充実している。


踊り子やナーガ、シヴァ神、ガルーダ、それぞれが深き冥界をさまよっている。


幸福な一時を味わうことができた。
別に特別展滋賀県櫟野寺(らくやじ)の秘仏、数十点を見ることも出来た。
平安後期の地方仏、直ぐお隣京の都とは異なる素朴、豪快、彫後も生々しい泥臭い秘仏。
珍しかったが撮影禁止、ものすごい人出、ゆっくりとは見れない、あえて行くまでもなかったが。



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大量処分




最近厚労省から精神保健指定医の取り消し処分が発表された。
なんと89名、大量処分である。
このうち49名が「不正」なレポート提出による、取り消し処分である。残る40名とは、その49名のレポート作成を指導した、つまりレポート提出時に署名した医師たちである。
この中には現役の大学精神科教授が1名含まれている。
幸か不幸か、まあ幸いに決まっているのだが九州では処分者が出なかった。
沖縄では1名処分者が出た。
私の周囲では無風であった。

ところで精神保健指定医とは、とあらためてここで蘊蓄を垂れても詮無きことである。
この資格がないと、昨今の精神科病院では非常に仕事がやりづらい。
全くできないわけではない、しかし入院治療を主とする精神科病院では医療保護入院、隔離、拘束の是非の判断は指定医でなければできない。
まあ、そんな人権を蔑ろにしかねない入院なんぞしなければよいのであるが。
入院患者さんは、すべて任意入院、隔離、拘束一切なし、もちろん開放病棟、となれば施設基準云々という野暮を言わなければあり得る。
実際総合病院の精神科ではそういう病棟が多い。
それにクリニック、開業となれば診療報酬の云々を考えなければ、必要ではない。

現実には、措置入院を含め指定医の出番が多いことが実情である。
では指定医になるにはどうすればよいのか、というとこれまた長い蘊蓄となる。

今回の大量処分の特徴として、大病院での診療にかかわった医師が多いことである。
というのも、一人の患者さんの入退院に複数の医師がかかわっていることが多いからであろう。大学病院などは特にそうである。

精神保健指定医の新規申請等に係る事務取扱要領について 0713第1号 2の(2)
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shougai/jigyo/koushin.files/shiteiishinsei.pdf

という通達が平成24年からなされているそうで、以前にもまして事細かにレポート足りえる条件が規定されている。
聖マリア大学の不正取得、コピペしまくりのレポートは論外であるが、この規定を熟読しないままレポートにしてしまい、先輩医師もそのことに気づかずスルー、更にはレポートを審査した、つまり厚労省から委託された精神科医もスルーしてしまった、という可能性もありかねない。
処分するからには、多分その条件を悪意を持って誤魔化したゆえであろうが。

かく申す私も平成24年の通達なんぞは、ちっとも知らなかった。
最も私なんぞは誰のレポートにもサインをする立場でもないし、私に頼むような奇特なお方は皆無である。
私もこちらに災難が降りかかりそうなこんな役目なんぞ、ごめんである。

私が指定医を取得したのも既に10年以上前であった。
レポート作成、あんな面倒な書類には2度と関わりたくないものである。
プリンターが擦り切れるまで、とにかく何百回も書き直したものである。
最近では、定型文ソフトが各医局で出来上がっており、それに入れ込むように打ち込むだけとも聞く。
が、そういうレポートは当然読んでいて直ぐに氏素性、出どころがわかるものである。
何度か偶然目にしたことがあるが、読んでいて不快そのものであった。
実に見苦しい、醜悪なecritureであった。
肝心の定型文に難があれば、意外と当人たちだけは気づかないのであるが、瑕疵は不可避である。
苦労してでも自分なりのオリジナルを作ったほうが、かえって安全である。

さらに、指定取得は精神科医の第一歩に過ぎない。
道は果てしなく長い。
指定医であっても全く使えない精神科医は厄介であるし、巷には多いものでもある。
私もその一人かもしれない。



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横浜 

久々の羽田であった。
午後21時も回ると、空港の人通りもやや疎らになるが、家路を急ぐ人々も多い。

バスに乗るとすぐに地下のトンネルに入る。
実に延々長大な人口道路である。
どこまでも続くボーリング場のようにあらゆる騒音がこだましては消えていく。

トンネルを抜けると石油コンビナートの大小不同の鉄塔、火力発電所の煙突、飛行機の格納庫を思わせる巨大な倉庫、延々と並ぶトラック、入り江にさしかかると停泊したまま錆果てていくような貨物船。海面を照らす光も油を映し出すように黒々としている。
何れも人気のない深夜の遊園地のごとく寒々しい。

巨大な橋にさしかかる。
ギヤを落としたバスは息も荒く駆け上がっていく。

橋の頂上の達するころから右手の陸地のほうに淡く緑色に光る観覧車、集魚灯のように小さな穴から光を放つビル群が見え始める。ささやかな光は段々と大きく華やぐのであるが、その頃には横浜の街中である。

再び地下通路に入り、何度かバスの車体をくねらせ急なコーナーを通過する。

静かな地表に出てくる。
街路樹の落葉にはまだ早いが、人通りはない。
通りには深夜営業のファミレスが客を待ちわび、工場や倉庫群よりもさらに静謐で冷ややかなようである。
ポルシェの営業所の窓越しに、まるで折り目正しい制服のように白く塗装された高価な車両たち。
彼らは浅い眠りを許された奴隷のようである。

巨大なビルの谷間を抜け、鉄骨、更には鉛色の雲の合間から月の光を眺める。

バスセンターに到着する。
今から出発するのであろうか、深夜の待合所には若者のざわめき、笑い声であり、生気に満ちおどけて見せる男友達、微笑む少女たちの語らいで満ちている。
彼らにとって長距離バスとは、心ときめく美しい旅を象徴するものなのであろうか。
しかし深夜に高速道路を驀進するバスの姿は孤独であろう。

東京に限った話ではないのであるが、大都会というものは孤独、無縁、仮借なきもの、殺伐さというありきたりではあるが、居心地の悪さを保証する語句で形容されることこそがふさわしい。

それはおそらく、そのとおりの環境、小宇宙だからであろう。
ここで居心地の良さを味わうことができる人間はまれである。
できると思っても、それは誤解であり、勘違いでしかない。
都会とはあくまで人間を疎外し、外の世界へと弾きだすものなのである。
何故ならば何人もここでは必要とはされていないからである。

大都会とは、組織、それは官であっても民であっても構いはしない、人間という存在とは無縁の何ものか、或いは生産し収益を目指すことのみを目的とした集落、いや構造体だからである。
その付属品、別にあってもなくても構わない、或いはないと困るけれど交換可能なパーツ。
それが人間なのである。
そのようなむき出しの居心地の悪さ、容赦しない冷酷さを率直、正直に教示してくれるものこそが都会なのである。



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匿名


匿名性という魔法



名もなき者、私を含めて私を取り巻く世界というものを構成している他者とは、名もなきものでしかないし、そのことを悔やむ必要もない。
名がある、自ら私はこれこれの者です、と名乗ったとしてもそれは他者によって名づけられたものでしかない。或いはそうみなされているものでしかないのである。

ブログを記述する行為、私を含めて多くの者は無名の何者か、名もなきものと自らを見做す。
「私は何の何某です」と名乗ってもよいであろう。しかしその何某の世界とはあらかじめ予測され、既に記述されつくした、つまり既に死んだ者となる。名というのは死を意味しているのかもしれない。
いわば「名もなき者」イコール匿名性とはならないのであろうが、匿名で記述することとは、死者が幽霊のように生き返り、世界を渉猟することを可能にする。などという幻想をかりそめの鎧として身にまとい、パソコンで世界と触れ合うかの如き幻想に酔いしれることなのである。
この幻想に酔うことを必要とするにはそれなりの転換子を必要とする。それが匿名という無名性なのかもしれない。

無名性といっても、例えば私自身は性別年齢、職業、勤務先のある程度の特定は可能であろう。
しかし無名であるからこそ様々な噓、虚偽の言説をでっちあげることもある程度可能である。医者だと称して医者ではないかもしれない。女性なのかもしれない。
たわいない嘘ではあるが。
虚構をなす戯れがなければ、記述する意欲は霧散してしまう、その程度、低レベルの記述である。

ところが、嘘であろうと真実であろうと、これが特定の人々を攻撃する、或いはその意図がなくとも傷つけてしまうこともあり得る。
攻撃されたほうは大変迷惑であろう。なにしろ無名の何某からの一方的な攻撃だからである。
意図しない傷つけ、加害というものは厄介である。
しかしその責を問われた場合、何がしかの釈明、弁明、或いは時としては謝罪を必要とするであろう。

「ブログで炎上」なる現象、最初はどういう状況なのかさっぱりわからかったが、よほど読む者の興味を惹きつける興趣あふれるものであろう、そう私は想像している。
もしそのブログが無名、或いは匿名者であったならば、荒れる程度で終わり果てたのかもしれない。


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私の庵に棲みついてくれた黒猫、ここ2,3日風邪気味でかすれ声であった。
今朝は随分と元気になってくれた。

平成28年度 日本内科学会生涯教育講演会A 福岡会場

日曜日の朝、しのつく雨である。
8時の新幹線に乗った。
連休のせいか自由席はほぼ埋まっている。
欠伸をしているうちに博多駅に着く。小倉駅と違ってずいぶんの人ごみである。

驟雨となった。
地下道を伝って銀行の前にあるバス停につくと、混んだ車列の中に国際会議場方面に行くバスが並んでいる。
騒々しい韓国人たちとともにバスに乗る。
彼らは帰途につくらしく、各自が大型の旅行鞄を抱え込んでいる。
高速船の出る港に向かっているのであろう。

バス停から会議場まで15分ほどである。
ほとんど雨に濡れず会議場に着いた。

日本内科学会生涯教育後援会Aなる、たいそう有難い講演会に出席である。
なにせ近場で10単位をゲットできるのである。

4月の総会、年次講演会とも称する、では15単位を獲得できたが、なにせ東京フォーラムであるからして、それに会場費1万円であったろうか、旅費等を含めとても費用が嵩む。
5年間で75単位を確保しておかねばならない。

油断していると資格更新できなくなる。
学会とは、会員にとっては会費というお布施、ぼったくりをかます団体、と私は思う。
さながら宗教団体のようなものである。
さて本日の生涯講演会は近場の福岡、会場費2000円、とお手頃価格である。

余談であるが、内科学会総合内科専門医試験はこの講演会の内容から出題されることが、多々ある。
大雨の日であったが、結構参加者は多い。
席の7割は既に埋まっている。

何時ものごとく最後方、ソファーのできのよさげなあたりに座する。
これは学会参加の重要ポイントである。

見渡すと随分とご年配の方々が多い、私なんぞはまだ洟垂れのほうである。

既に第1席「肝炎治療薬の進歩」は終わりがけである。
C型肝炎治療の進歩は目覚ましい。新薬開発によりインターフェロンは過去のものになりつつあるが、市井の精神科医にとっては縁の乏しい世界である。
試験を受けられる方は、ウイルスタイプと、推奨される薬物治療の流れは押さえておくべきである。

2席は「炎症性腸疾患と腸内細菌の関わり」である。
今メデイアで喧しく取り上げられるテーマである。
所謂糞便移植に関する薀蓄である。
健全な腸内細菌とは云々、という前振りがあったと思うが、全く興味を持てなかった。
演者はこの分野に日夜血道、いや熱意をあげておられるのであろう。

ご承知の通り、というか今のところ糞便移植が有効であると明確にされたのは、難治性偽膜性腸炎である。
大半は抗生物質投与後にクロストリディウム・ディフィシ、という多剤耐性の細菌が繁殖し大腸に偽膜を形成、発熱、粘液分泌、全身倦怠感をもたらす、術後の感染症でも重要な疾患である。
暫くの間、抗生剤の中止、及びバンコマイシンの経口投与、補助的に輸液等で事なきを得る、とされてきた。
私も数例経験し、大事に至ったことはなかった。講演のデーターでは、いまやバンコマイシン投与による有効率は30%に過ぎないとか。強力な抗生物質投与が日常化している今日、偽膜性腸炎そのものが難治化しているのであろうか。それには演者は触れていなかったが。
対して糞便移植は80%に有効であったとか。

まあ、腸内の細菌を入れ替えてしまうわけであるから、当然といえば当然である。

潰瘍性大腸炎、安倍首相もこの疾患に罹患しているそうであるが、昨今糞便移植が開始されている。
偽膜性腸炎ほどの有効率ではないそうであるが、有望であるとか。

クローン病では期待されたほどの有効性はなく、プラセボ―と大差なかったそうである。病変の主座が主に大腸ではなく小腸という疾患の性質が異なる故であろうか。

腸内フローラ、とよく言われる。演者も強調していたが、腸内の細菌叢の何らかの変異によって、腸管粘膜上皮の浸透性が脆弱化し、最近の毒素やエンドトキシンが全身にも影響を及ぼすとか。

メタボリックシンドローム、虚血性心疾患、喘息等々、免疫機構、炎症性疾患、数え上げればきりがない。
腸内フローラの乱れがあるといっても、それは結果であって原因ではない。
或いは原因の一つではあっても、他にも多数多様の原因がありその中のさして重要とは言えない原因の一つに過ぎない。
という論は今の時点では正当であり、それを排せるだけの根拠は何もない。

ひょっとして可能性があるとすれば、神経性食思不全症ANでの腸内細菌叢の関与である。
腸内フローラの乱れが免疫機構を介して視床下部に影響するとかしないとか。
が、これも疾患のもたらす結果であって、原因ではないかもしれないし、無関係とはいえないが、せいぜい疾患を修飾する因子の一つに過ぎないのかもしれない。

少し前であるが、ヘリコバクターピロリが、あらゆる疾患の原因である、という仮説が流布した。
心筋梗塞、動脈硬化等々である。
結局は従来の胃十二指腸潰瘍に加え、MALT系の悪性リンパ腫、特発性血小板減少性紫斑病、最近になって分化型胃癌発生リスクを高める、という論におち着いた。

あまり自分の研究領野に期待を抱きすぎると、論を逸脱してしまいがちである。

第3席目は「甲状腺疾患の診断と治療」である。
エコーによる甲状腺スクリーニングの広まりの結果がまず述べられた。
充実性結節なら5舒幣紂嚢胞では20舒幣紊鮴査困垢襦
甲状腺分化癌であっても1儖焚爾覆薹于甦兒,任茲蹐靴ぁ
というものであった。

橋本病のIgG4関連疾患としての位置づけは周知であるが、バセドウ病でも6.4%に高IgG4血症が存在する。さらにこれらの群では抗甲状腺材への反応が良好である。
妊娠とTSH値との関連が述べられた。

4席目「肥満とメタボリックシンドローム:最近の知見と展望」

5席目は「動脈硬化予防を目指す生活習慣病の管理」
退屈でほとんど寝ていた。
スタチンの推奨で殆ど言説が埋め尽くされた感があった。
何度も同じような内容を聞かされると退屈であるし、迷惑でもある。

以後は、心原性脳塞栓、COPDと喘息との関連、RAの生物学製剤、今更ながらの講演が続く。

最後、やっと終わるぞとうれしくなったが「身体診察による臨床診断」
すこしだけ期待したがはずれであった。
今更ながら既知のことばかりである。
今更、末端肥大症、細菌性心内膜炎、オスラー結節、ジョンウエイ斑もなかろう、心雑音の詳説のほうが重要である。

帰りはありがたいことに土砂降りであった。
タクシー乗り場には1時間待ちの長蛇の列、雨の日につきものの渋滞で路線バスは来そうにない。
大雨の中、他の参加者とともに呉服町まで憂鬱な気分で歩くことになった。

福岡では、今後大きな学会はやめてほしい、切にそう願う。
たった1400名参加の学会でこの惨状である。
メジャー科の総会ともなると1万人が押し掛けるのである。


大雨に打たれ疲れ果てるよりも、自宅で寝転がってネットで勉強したほうがきっと役に立つと思う。







これは実にねちっこく心音を解説してくれる。
臓器をイラストにしてくれるので理解しやすい。















視診、聴診、触診、肝臓の移動性等実に詳細に所見を拾い出そうとしている。
こんな診察手技、昔習ったが最近ちっとも使っていない。
(ただし膝関節を屈曲させていないのは謎である、何か主義主張があるのだろう)

綺麗な女医さんだな、と思ったら看護師さん、大学看護学科准教授でいらっしゃるとか。

日本でこれだけやっている、或いはやれる医師が一体どれだけいるだろうか。
若い医者ほど、MRI、PET、内視鏡、特殊抗体、遺伝子変異には目の色変えるが。
彼らを指導するおじさん達も50歩100歩であり、身体診察には無関心である。
そんな所見を拾ってきても、感度にバラつきが大きく特異度は低く、従って科学的根拠が乏しい云々、となり果ててしまう。

もっともそんな長時間、懇切丁寧な診察なんぞは、ここ日本の現実世界ではあり得ないのであるが。

アメリカの臨床医学では札束乱れ飛び、なんでも金次第、腐敗荒廃の坩堝だ、というのは今の日本人医師の間のコンセンサス(私もそう思っている)であるが、侮れない一面もある。

他にもザクザク資料はあるので、勉強にはなる。

サーカスが通る Patrick Modiano

サーカスが通る
パトリック モディアノ
集英社
1995-03




サーカスが通る  パトリック・モデイアノ  石川良子訳 集英社







Un cirque passe Patrick Modiano folio 1994

とりとめのない物語である。
何気なく、暇つぶしで読み進むが何も手ごたえなど得られない。
途中で読む気をなくす。
しばらくしてまた気になってくる。本を手に取り寝転がって読む。

シテ島の闇、淡い光に浮かぶノートルダム、行くあての定かではない、笹舟を大きくしたような川船が流されていく。
セーヌの汚濁は夜の闇から聖別され、黄色い光を煌かすが香りは廃油そのものである。
うっすらと瞬くポンヌフ橋の街灯、通り過ぎていく車のライト、濡れた舗道の石畳、両岸のアパルトモンの慎ましい電灯、みな儚くあてのない生活を寛受する者たちの身から発する灯である。
微かなざわめき、足音、笑い声、エンジン音、煙のように耳からは遠ざかっていく。
排気ガス、暖炉からの煙、それらは冬の空に流れ去っていくが、ホテル、アパルトモン、どこの部屋も長く締め切られ黴臭いことには変わりはない。差し込む光の中で乱舞する埃は降りやまぬ雪のようである。

そのような街の中でひっそりと現れ、静かに去っていった主人公の私を含める男女、正体の定かではない男たち、さして意味を持つとも思えない徘徊であり、徘徊とは言えなくとも、金を受け取り、車を受け取り、そして返し、或いは本意の分からない厄介ごとの片棒を担いでしまう。

読者はそのようなとりとめもない人間の会話、喫煙、食事、ドライブ、やり取り、取引に付き合わざるを得なくなり、そして本意ではないものの抜き差しならない経緯に陥ってしまう。
そのような無為ともいえる読書を続けるうちに、「私」は何か不気味な意味、というよりも刻印に気づかされるのである、意味がないはずなのだが、それは重大なほのめかしになり、更に醜悪で忌まわしい記憶へと向かうのである。

その忌まわし意味とは、この本を手に取っただけではわからないかもしれない。
作家はそれほど正直でもないし、正直であったならば抹殺されていた時代を熟知するものでもある。
この本の裏側にこっそりと記されていること、それは16区の瀟洒な住居、生業が定かではないが金回りの良い男たち、パリ郊外Neuilly門近く、Rue de Fermeのカフェ、乗馬服、静謐な通りで何気なく為される拉致、警察官をほのめかし恫喝する禿頭の男。既婚者であるが、夫が実在するのか定かではない若く美しい女。たいそう犬好きでもあった女。

これらの雑然とした記号から思い当たらされるのは、ナチの占領下のパリ、そこではフランス人同士が裏切りあい拷問し殺しあった、或いはアルジェリア戦争でもパリの日常の中で暗殺が繰り返され、家族、愛する者は突然消え去り、私の記憶の中に彼らの愛した葉巻の香り、微かな香水、ドレスの柔らかな手触りだけを残していった。

事情が定かでないままに「私」の前から去った父は、永遠に行方不明であり、そしてつかの間の恋人も永遠に去ってしまう。不条理は見えない鉄の楔として立ちはだかり、またいつしか見えなくなる。
記憶が記憶でなくなり、書かれたものとなり果てるのは宿命であるが、セーヌに浮かぶ塵芥となるか薔薇の花弁となるかは、読むものによって選択は自由である。


最後はむなしく美しい。


Monsieure...
Il ne trouvait pas les mots mais j’avais complis avant meme de l’entendre. Votre amie. Accident. Juste apres le pont de Suresnes. On avait decouvert la carte de l’hotel dans la poche de son impermeable et on avait telephone ici.
Je suis sorti machinalment. Dehors, tout etait leger, clair, indifferent, comme le ciel de janvier quand il est bleu.


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正常という定義不能性

何故、我れは障碍者を美談でカモフラージュしつつも差別し、人によっては憎悪するのか?
一方でオリンピック選手のような超人を賛美するのであるが。

以下あくまで個人的見解、ある程度フロイドの仮説に沿った仮説の仮説である。
その凡庸なる仮説とは、人間の動物的特徴の際立った点として、親の養育が長期間必要とされる、 つまりそれだけ独り立ちの遅い脆弱な哺乳類である点を論拠とするものである。
つまり親的な役割、庇護というものが、たとえ現実の親が不在であったとしても、乳幼児については生存のためには必須である。
呑気そうな乳幼児は長期間、不安恐怖に暴露され続け、それは苦痛そのものなのである。
泣き叫ぶことでしか、彼に生存のための養育、哺乳、排便の処理等を要請する手段はない。
「健常者」いや仮に「非」障碍者と呼ばれる人々の自我、或いはもっと曖昧に自己といっても、 実は定義はあたわない、いわば不可能なことなのである。
単に私はそう思う、とここで私が述べていることと、健常者の定義とやらは五十歩百歩なのである。
曖昧、不確実な言説そのものであるし、そうでしかありえない。

「私」「自己」とは、「非」という虚なるものによって初めて差ししめされるいわば幻想なのである。
「私」とは、もともと名もなき、実体のない身でしかない。
その「虚」という不安を掻き立てるものが「非」障碍者を怯えあがらせる、 つまりかっての幼児期に体験した莫大な不安、不快体験を惹起せしめるのではなかろうか、というのが私の仮説である。

しかし「非」という虚があってこそ、まるで虚数同士が実数になりうるような 錯覚を起こし、かりそめ、幻想の「私」という自我を生じせしめる、あくまで幻想でしかないが。
そのおかげ、ご利益として「私は医者です」「私は障碍者です」「私は患者です」 という幻想の言説を生み落とせる。
ここに倫理が、いかに忌避しようとしても各人に課せられる。
差別するものとはこの虚を眼前にし、怯えすくみ、 この振りほどき不能の紐帯を、現実世界でもブチ切ろうとするもののことである。
誰しもそれが可能かもしれない、という幻想を内在している。
それを偽善というヴェールで隠そうとしても、不可能である。

Freudによれば「否定」という思考、概念こそ、自我の形成、無意識、抑圧という機能を稼働させるには不可欠な鍵なのである。
植松のようなサディスティックで反社会的な人物といえど、いやそういう人物こそ「ごく普通の健常人」との幻想に耽溺できるのである。
その基本的心性は共通して相似的である。
であるから凡庸、平凡ともいえる。 が、決定的に異なる点もある。

それは「超自我」というある面では良心、マナー、法、法律の原点ともいえる人間の心性である。
「超自我」というとこのようなご立派なものを我々はイメージしがちなのだが、実際は全く異なる。
「凶悪な犯罪」を好み実行したがるものほど、この「超自我」が悪に対して容赦なく苛烈、サデイズム化してしまう。
「健全な正常人」のなかでは、「超自我」は程よく身をゆだねられる、安心して打ち解けあえる父、バカボンのパパのような柔和さを持ったものが「健全に」備わっていなければならない。

私たちの誰しもが、時によってはヒステリックにこの「超自我」を振りかざし、他者を弾劾、避難する。
が、ろくなことはない。 サディズムへと頽落するだけである。
様々な情報をもたらすメディアとは、いつの世もそのサデイズムの旗振り役であるし、それ以上の者であったためしはない。

植松を犯罪へと駆り立てたのは、この粗野でサディスティックな「超自我」であった、それは多くの犯罪者でも似たり寄ったりである。

彼は、彼自身の「のさばり、ふんぞり返る超自我」の歪んだ虚像である権威、権力、国家を崇拝し愛しぬくのある。
愛しぬいて彼らの恩寵を受けるために、彼を不安にさらす彼にとっての「悪」である障碍者を「正義」「大義」によるかの如く殺戮しまくったのである。
サデイズムの語源であるマルキ・ド・サドは3百年前に「閨房の哲学」でこのことを巧みに語っている。

というのが私なりの説明モデルであるが、だからといって何も救いにはならない。


相模原事件

相模原市で7月26日、26歳男性の犯行とされる大量殺人事件が起こった。
凄惨な事件である。
殺された、或いは傷を負わされた50数名の被害者の方々、理不尽極まりない不法行為の結果大変痛ましいことであり哀悼の意を表したい。

さて、私は精神科医療に携わっている者として、この事件に関心を寄せるものであるが、不明、不確実な点が多く、あまり踏み込んだ、或いは差し出がましい記述をここで為すことは躊躇われる。

反社会性パーソナリティ障害、及びDSM3-Rまで存在したサデイズム性パーソナリティ障害の若者、
という理解でおおよそ間違ってはいないと個人的憶測では思う。
が詳細は不明である。

ネット、テレビで不確実、或いは虚偽かもしれない情報をもとに考えてみる。

もっとも私が関心を持つのは以下の点である。

“鏥深圓任△襪海亮磴っ棒が何らかの精神疾患に罹患しているのか。

被疑者が本年2月に措置入院となり、12日間の入院治療を経て退院となった経緯。
及びその後の経緯。

このような悲惨な事件を今後どうやって防ぐのか、社会はどう対応するべきなのか。

なんとも市井の一精神科医、それも内科医からの転向組、非アカデミックの最たる私であるが、なにせ日々の今後の生業にも直接関係してくる可能性の高い本件、無関心でいることはわが身を危うくする。

,砲弔い討任△襦
テレビで報じられる被疑者のここ数年の生活ぶり、確かに荒れてはいるが触法の経歴はなく、このような若者はよくいる、といってしまうと身もふたもないが。

障碍者、病躯の老人、貧困層等弱者に対する露骨な差別意識がある。
或いは尊大、肥大化しつつも未熟幼弱な自我でしかなく、社会的適応が上手くいかない。
焦燥と怒り、弱者への攻撃性は身にあまり自らを焼け焦がすほどである。
このような過酷な状況である若者は、何時の世にも巷に満ち溢れている。

テレビ、ネットで話題になったのが被疑者が大島衆院議長に直訴した三枚の手紙、手書きである。

http://mera.red/x%E6%A4%8D%E6%9D%BE%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99%E5%85%A8%E6%96%87

いくつか目を引く点がある。

なぜ手書きなのであろうか。いまどきの若者であるから、ワードではと思うのであるが。
手書きでこそ真剣に描いた気合、被疑者なりの真摯な思いが伝わると思ったのであろうか。

1枚目の手紙。
「気の毒だから抹殺する」「彼ら自身のため」「国家のため」「世界平和のため」という理不尽な自己正当化。

2枚目の冒頭。
「殺人衝動に駆られて殺すのではなく大義がある」
という記述から身勝手、偏奇な記述ではある。
が、所謂ヤ―スパースがいう了解不能、妄想とは差異化されうる粗野な言説と解するべきである。

その先で自分のことを開示、甚だ稚拙な文章であり、また主題が右往左往して纏まりにはかける。
フリーメーソン、UFOと陳腐な文言が出てくる。
が、精神病に由来する思考解体とは全く異なる。
虚偽を交え精神病を装った、という可能性もある。

脈絡が乏しいのであるが被疑者は大麻の合法化を訴えている。

こここそ精神科医療との絡みでややこしくなった一因を成している。

三枚目で、凶行の実行後、自分を擁護する、或いは数億円の報酬を嘆願する、まことに身勝手で怒りを誘う記述である。
が、これも歪んだ願望充足であり、了解不能とは言えない。

つまりこれをもってして精神疾患の根拠とはなりえないが、参考にすべき資料ではある。
全体にわたって、精神病質というか反社会的パーソナリテイ障害でよく目にする、すえたような腐敗臭がする。
彼ら特有の病んだナルシシズムの嫌な臭いである。

さてこのような凶行の実行を予告する文書を公的立場にある衆議院議長に直訴するということは、脅迫であり障碍者施設への悪質な業務妨害とみなされる。
当然通報を受けた警察官は被疑者を取り調べることとなったのであろう。

そこからである。この被疑者、確かに脅迫等、触法である。
他害の可能性あり、である。

精神疾患と見做しえるであろうか。
そこは現場の警察官の判断となる。

詐病である、とみなし刑法の対象者として取り調べ、しかるべき処分をする、そうなるべきであったと私は思うが、後出しじゃんけん論でもある。


そこから△砲かわってくる。

しかし精神疾患であり、他害の可能性ありと判断され措置通報が保健所に為されたのであろう。

それから某大学病院精神科における特別措置入院の診察が行われたわけである。
この診察にあたった指定医、その時の被疑者の様子は不明である。興奮状態か或いは冷静であったか、疎通性はどうであったか等々不明なままいろいろ言っても仕方がない。
詳細不明であるからして無益である。

マスコミが言い募っている12日間という措置入院期間である。
12日間の間に他害の可能性がなくなり、、患者から退院の希望があれば退院となる。

入院時の病状、いや様子といったほうがよいのかもしれないが、わからない。
憶測でものを言うのはよくないが、言ってしまう。

入院中大人しく殊勝にしていたのではないだろうか。

病名は大麻使用障害ともいわれている。入院時言動がひどく乱れていても薬物が抜ければ平静、素に戻る患者さんのほうが多い。

普段忘れがちだが、大麻使用だけでは触法とならない。
所持、売買は勿論ご法度であるが。
これには農作業が絡んだややこしい事情がある。

「二度と馬鹿なことはしません」
「通院治療いたします」
「違法な薬は一切使用しません」
等、の言があり日常生活の纏まりがみられればやむなく退院となる。

ただし、私の場合であるがいきなり退院とすることは少ない、今までで一度しかない。
医療保護入院、任意入院と入院の法的形態を変えつつ患者さんの病状を観察しつつ、というのが私の基本的スタンスである。
例外的な1度とは、「早く家に帰せ、医療保護入院などとんでもない」と患者さんの奥様から入院の同意が得られなかった場合であったが。

しかし、措置解除からすぐに退院というケースは、それほど稀ではない。個々の事情は色々である。
「短いからけしからん」という論には、私は反対である。

また措置入院のほかに医療観察法に基づく入院もあるが、ここで述べても混乱するばかりだと思う。

また措置入院はあくまで行政的な入院であり、知事もしくは政令都市市長の命令による強制的な入院である。
入院に不服を申し立てることはできるが、本人、家族が入院に同意しない、できなくても強制的な入院を可能とする。
つまり患者さん本人の精神科治療を目的とした医療保護入院とは性格が全く異なる。
どちらが重い、軽いという言述にはなじまない質の異なる法的背景を持つ。
この辺も混同すると、論がややこしくなってしまう。

であるが、いったいどうやったらこのような凄惨な事件が防げるであろうか。

社会の秩序、治安を守るのは日本では警察である。
精神科病院ではない。あくまで医療施設でしかない。
そこをはき違えると人権侵害を含む様々な混乱を引き起こしてしまう。
しかし今現在もよくありがちな混乱である。

退院後、保健所から当該施設には連絡が入り警備を強化していたとの報道である。
ここは警察に頑張ってもらうしかない。
日常の定期巡回、訪問で被疑者の自宅、居住地を訪問する、等の地道な警察活動によるしかないのである。
施設をパトロールしても24時間の防御は無理である。

というと警察関係者からは、現実を無視した暴言である、理想論、綺麗ごとばっかり言うな、と叱られそうである。

しかし近隣住民、最寄りの警察、場合によっては保健所とも、連携、連携とよく言うが、難儀ではあるがやってみるべきである。
ただ人権、個人情報保護、クレーマー人種の繁殖、ありとあらゆる手かせ足かせのまとわりつく昨今、莫大なエネルギーと神経をすり減らす消耗戦である。

お役所であるからして、申し出る場合、必ず文書である。

せっつかないと動きはしないが文書を出されると動かざるを得ない。


最後に老婆心ながら。
社会と全くなじめない、社会的機能の劣悪さ、という点では被疑者は確かに病的ではある。

しかし憶測であるが、裁判の吟味の過程で刑を免除する、軽減すべきである、
という点は今のところ被疑者にとっては不本意であろうが皆無と言わざるを得ない。

映画 セッション (原題:Whiplash)












セッション 原題:Whiplash

随分と話題になった作品である。
アカデミー賞もとったらしい。
私が歴史に残る本作品について薀蓄を垂れるのは、まことにもって相応しくはないのであるが。
なにせこの作品を私が目にしたのは、映画館でも自宅でのDVD映像でもない。
U-tubeの映像ですらない。

パリ往復の飛行機の中、あのちっぽけな液晶モニターなのである。
失礼ついでに申し上げれば、飛行機の中の大半の時間は爆睡していたので、行きに前半、帰りに後半を拝見したのであった。

なんとも不遜極まる発言、ご容赦願いたい。
で、感想である。

一言で申し上げると、何だこのつまらぬ演奏は、である。
ドラムのテクニックであるが、実に古臭い。
もはや懐メロである。
さりとて古典芸能にもなりえていない。
もっと上手なミュージシャンは、なにせアメリカであるからして山ほどいるはずなのだが、不思議といえば不思議である。
監督にジャズのセンスがなかった、全然わかっていない人だった、ということに過ぎないと思う。

主人公はBuddy Richをアイドルにしていたようであるが、Buddy Richのような稀有な大天才、かつ努力家の真似をしようとしても、容量の小さなコップにバケツ一杯の水を注ぎ込むようなものである。
確かに練習をしまくれば (俗にアメリカの演奏家は毎日8時間やって、才能のあるものはどうやら目鼻がついてくるとか)コップから花瓶程度にはなるかもしれない。
無理なものは無理なのであり、その容量にあった個性を見つけるべきなのである。
大天才がぞろぞろいたのでは暑苦しくて適わない。

映画では手掌から出血するシーンがあったが、あの程度の練習量は当たり前なのである。
切れれば血ぐらい出るのが当然である。ギター弾き、サックス吹きでも指、唇からだらだら血を流すものである。
へらへら笑いながら、あれ血が出ちゃった、でよいのである。
巨人の星、星飛馬のジャズ版というのもアナクロ、まことにもって鬱陶しい。

好きだからこそやれる。
嫌になれば止めればよい。

ビッグ・バンドというのは学生さんの世界ではジャズの登龍門である。
まずは譜面をよく読みこみ、作曲家、編曲家の意図を解釈する、他の楽器の音を聞き分けバランスを考える、同じセクションの中でのarticulationを整えるのは特に重要である。

そのなかでソロをとらせてもらえるようになれば、まあその辺りで有頂天、お山の大将にはなれる。
そこまでに達しない、そこで終わるのが100人中の90人である。

残りの勘違いした10人はソリストで味を占め、コンボでも演奏を始める。

ここで完膚なきまで打ちのめされ、諦めきれないやつ、残りの9.9人はフュージョン、パツイチコードでお茶を濁す。結構この世界は遊べるのである。
残された変人、つまり0.1人は今や伝承芸術、世界記憶遺産化したハードバップにしがみつく。
というとフュージョンをやっている大名人、プロの方々に大変失礼になってしまう。
が、この辺で気を晴らしているナンチャッテ演奏家、アマチュアが実際に随分と多いと思うのである。

ただここで留意しておかねばならないのは、コンボの演奏家がビッグバンドのメンバーよりも技量才能が富んでいるという意では全然ない。
無関係といってよい。
ビッグバンドとコンボとはまるで別世界なのである。
あくまでも勘違いした若者の場合、としてのド素人談義にすぎない。

さてこの映画で取り上げられる曲であるがwiplash、飛行機の中、ヘッドホーンで初めて聴いた。
変拍子というか4分の7拍子である。
ドン・エリス、昔は脚光を浴びたが今はどうしているやら、が取り上げていたらしいが、奇をてらっただけで面白い曲ではない、第一スイングしない。
フォービートできちんとやれるようになった、やりまくった、或い煮つまりすぎて目先を変えたい演奏家が、奇をてらってやればよいのである。

最後に出てくるキャラヴァンであるが、これは古典である。
シンプルな曲だから、創意工夫を凝らさなければ古臭さのみが前面に出てしまう。
この映画での演奏は素直に黴臭いほどに古臭い。

主人公のドタバタ、騒々しいだけでキレのない、手首の返しが遅いので音がことごとく死んでいる粘ついたドラムの騒音、これも鬱陶しい。
管のソロもパラパラ出てくるが、個性皆無、まるでパッとしない。

ストーリーときては古臭いスポ根物語そのものである。

話題になったパワハラバンマスであるが、こんなバンマスはどこにでもウジャウジャいる。
プロだったら当たり前というか、使えないと分かったなら来なくていいよ、の一言で終わりである。
パワハラする暇もない。
要はサディストでもパワハラでもない。
音楽学校の学生バンドだからアマチュア以上セミプロ未満、と考えてもそんなもんである。
冷酷なバンマスを恨む必要はない、ヘタッピな自分を恨めばよいのである。
いやなら参加しなければよい、単純な話である。
自分にあったスタイルを探せばよい。

最近思うのであるが、表面的にはテクニックあり、そこそこ聞かせるジャズ演奏家、そんな若者が多い。
しかししばらく聴いていると実に詰まらない、退屈である。
何百回も聴きなおしたくなるような演奏家はまれになった。

昔はよかったよ、年寄りはそう言いたくなってしまう。
どこがどう違うのかはなかなか指摘しがたい。
音の締まり、緊迫感がまず全然異なる。
がっちりと纏まりつつ、首筋をぞくっと剃刀でえぐるような油断ならない鋭さ、トリッキーさがない。

クラシック的トレーニングのやり過ぎではないか、と私は思うのだが。
音楽教室に通いそつなくまとまってしまうが、それから先はない。
教則本、マニュアルから何時まで経っても離れられない、個性なんぞはとっくに失くしてしまった。

指だけはパラパラよく動くからフレージングは一応破綻はない。
本人周囲も、上手いと勘違いしてしまう。
こうなったら取り返しがつかなくなる。
自分なりの吟味、工夫なんぞはそもそもないからつまらないのである。
結局は指癖で弾いているのである。
すぐにばれるのだが。
昔の人は、これはと思ったフレーズはしつこく、粘着にこねくり回しては首をひねっていたのである。

と親父は思ってしまう昨今である。


Buddy Rich 確かに古典的であるが物凄いテクニックとパワー、それに何より音楽的ウイット、センスがあった大名人である。
ぐいぐいとバンド全体を牽引していく圧倒的なドラムさばきである。
ブラスも引きずり回され最後は暴走寸前、のふりをしてビシッと纏まる。

バシバシ要所を決めまくる切れが凄い。
体力もすごいが、本人にとっては4,5分程度。
案外力は抜けているからどこか余裕がある。





余談だが、Elvin Jones、この人は凄かった。本当にすごかった。
日本にも暫く住んでいた。
パワーもすごいが、4ビートでもポリリズムを感じさせる真の革命家であった。
こんな人はもう出てこないだろう。








なんだか意味不明のビデオだが、一応笑える。