la vie du Fukuoka

日々の憂鬱、悔悟、悦楽、虚栄、無為、虚無を語る。精神医学、精神病理、医学全般、雑多な文学、語学など

Constellation    Adrien Bosc著

Constellations
Adrien Bosc
Librairie generale francaise
2015-08-20





  

2014年アカデミーフランセーズ賞受賞という、なんとも華やかな栄誉に輝く作品である。
本邦未訳である。
例によってアマゾンの洋書コーナー、500円プラス送料だったと思う、で 購入。
読んでみての感想である。
期待過大というか、肩透かしを食らった感が強い。
本文210ページの小品である、だから私でも読めたのであるが。
主題は1949年10月27日アゾレス諸島、Sao Miguel島で起こった、ロッキード社製旅客機コンステレーションの墜落事故である。


https://www.google.co.jp/maps/@37.8093799,-25.2110685,3a,75y,124h,90t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipP0xqMLk0D7nAuYXVbXoWyoKjlYsuakyFOVE0Av!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipP0xqMLk0D7nAuYXVbXoWyoKjlYsuakyFOVE0Av%3Dw203-h100-k-no-pi-2.9338646-ya284.5-ro0-fo100!7i8704!8i4352?hl=ja

http://aviatechno.net/constellation/rapport_f-bazn.php









37人の乗客、11人の乗員が搭乗していた。
パリ、オルリー空港からニューヨークに向かう途中であった。
事故の原因は悪天候、視界不良等複数ある。
が、最大の原因とは当時まだ未熟であったナヴィゲーション、その致命的ミスである。
当該機は途中寄港するアゾレス諸島、Saint Maria島空港にビーコンに従うまま向かい、高度を下げつつあった。
まだ雲の中、時折町の灯火が見え始める。

しかし、実際には別の島、北西に100卍西北にあるSao Miguel島の上空約700mを航行していたのである。
悪天候、雲に遮られ地平の状態を視認できない。
まだ海上を降下中と思っていたパイロットは、午前2時51分「地平が見える」と叫んだ。
直後、機はMont Rondo山頂に激突した。

スペイン側からの強すぎる電波が致命的混信の元凶であった。
後日事故検証にて、当日と同様ビ―コンに従って航行した機体は同じ山頂付近に達してしまった。
原因が実証された。

機長はJean de La Noue、飛行時間6000時間、夜間飛行は1500時間以上、戦時中は自由フランス空軍輸送機のパイロットであった。
乗員のうちには2名の副操縦士(戦時中彼らは戦闘機パイロットであった)、2名の機関士、2名の無線技士、1名の航空士、3名のCA、計11名の搭乗員を搭載していた。

本作品はドキュメンタリーであり、同時に作者の想像による記述も同居している。
作者の寄せる興味は、乗客に集中している。

なにしろ1949年、世界大戦終戦から4年後当時、大西洋横断の長距離旅客機に搭乗できる人物は富裕な人々に限られるだろう。
きっと後世のコンコルドのようなものであったであろう。
皮肉なことにコンコルドの運命も、このConstellationに近似しているが。

機中では温かな機内食、シャンパンがふるまわれ簡易ベッドで乗客は睡眠をとれた。

確かに有名人、ボクシングチャンピオンMarcel Cerdan、
有名ヴァイオリニストGinette Neveu、ピアニストの兄、
売れっ子画家Bernard Boutet de Monvel、
ディズニ―の有名アニメ作家Kay Kamenらである。

しかしこの記述が、実につまらない、退屈である。
彼らに対して私には興味がないのが最大の原因であるが。
CerdanとEdith Piafの今日でいう不倫愛、フランスでは当時でもとやかく言われなかったようであるが、これが延々と長い。
本作品の3分の1はこのエピソードで占められている。
映画「愛と悲しみのボレロ」「La vie en rose」でも描かれた有名な逸話である。
船を使おうとしたCerdanを、Piafが「まどろっこしい、飛行機で来い」と急かしたとか。
ドラマチックなエピソード、と言われれば確かにそうだが事故だから仕方ないことである。
しかしフランス人にとっては、忘れがたい偉大なボクサー、英雄であった。




Ginette Neveu、確かにすごい演奏家だったようである。
U-tubeで聴くと非常に力強く豪快、粗野ともいえる演奏である。
ドイツ占領下の彼女の武勇伝の記述もある。

彼女には、死後遺体を取り違えられるという二重の悲劇も待ち受けていた。
最後まで彼女の遺体は見つからないままであった。
彼女の死後後追い自殺したファンもいた。

彼女が信頼するヴァイオリン職人、調律師は、アメリカ講演旅行への同行を求められたが応じず、結果的には命拾いした。
彼女所有、ガダニーニ、或いはオークションにかけられた楽器ケースに関する因縁話もあったが、興味を持てず読み飛ばしてしまった。






時々目にするMonvelの絵画である。不気味にのっぺりとした肖像画、というかお金儲け目当ての商業絵画、私にはそう思えるのであるが、最近大人気、高値を呼んでいる。
生前から富裕で、パームビーチに豪邸、今や歴史的建造物、を所有していた。







http://tdclassicist.blogspot.jp/2016/04/notable-homes-bernard-boutet-de-monvel.htmlhttp://tdclassicist.blogspot.jp/2016/04/notable-homes-bernard-boutet-de-monvel.html



Kaymenに関する苦労話、成功物語、これは最もつまらなかった。
ミッキー・マウスのフアン以外は興味を持てないと思う。

それよりも読者の興味を引くのは、富裕ではないごく普通の人々である。
不思議というか、高価な運賃にもめげず飛行機を選択した人々がいたのである。

5人のバスク人の羊飼い、アメリカの牧場に雇用されたのである。

腕の良いナイロン製糸工員もいた。

レジスタンスの闘士、過酷な地下闘争、戦争を生き抜いたが飛行機事故で命を落とした。

もっと気の毒な人もいた。
飛行機搭乗前、パリ郊外の自動車事故で生死の境をさまよい「奇跡の生還」を果たした女性。
なんとこのConstellationに乗ってしまった。
家族にいるキューバに向かう途中であった。

離婚問題でアメリカとフランスを行ったり来たり、働き盛りの工場経営者。
離婚が絡んでいるもう一人、ニューヨークのビジネスマンに嫁いだフランス出身の女性もいた。

これらの人々のエピソードの方がはるかに興味深い。
が、作者の筆はあまり触れはしない。
入手し得る資料の少なさ、遺族のプライバシー保護もあるのだろう。
遺族の一人であるアメリカ人医師を探し当て、実際に会いに行っているが作中では何も記述されていない。

ショッキングなエピソードもある。

墜落直後のことである。
近隣の村民たちが轟音と炎に気づき、すぐに現場に駆けつけた。
村民らは、遺体を放置したまま、金銀、宝飾品を略奪していたのである。
Ginette Neveu所有、ステラディヴァリウスも盗まれ、後日警察官により回収された。
この辺境の島を当時も今も統治しているのは、ポルトガル政府である。
この事故当時のポルトガルの遺体回収に対する対応は、実に迅速誠実であった。
絶海の孤島にも、軍が駐屯していたようである。
軍の遺体に対する敬意、慎重さは村民らの無法ぶりとは対照的である。




では、この作品を通じて作者は何を表現したかったのであろうか。
運命であろうか。
偶然であろうか。
読者各々が思念を巡らせればよい。
作家は、自分の出生日、星座 constellationへと帰結する偶然の重なりをたいそう愛している。
こだわっている。

70年後、現地を訪れた作者の抒情が控えめに記述されている。
なぜかタ・ブッキの「Femme de Porto Pim」が出てくる。
遠く見渡せるアゾレス海に、青く輝く鯨の姿を眺めた作者の独白である。

巻末では戦中戦後フランスの大作家Blaise Cendresに関する長々とした記述に達する。
この連関とはconstellation、星座に関するCendresの詩からの連想なのであるが、冗長である。

作家は31歳、これまで雑誌の編集者をしていた。
本作品は彼の処女作である。













グローバリズム以後  エマニュエル・トッド




グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命 (朝日新書) 新書 – 2016/10/13
エマニュエル・トッド  (著)

昨今引っ張りだこの、人類学者である。
いや人類学者という立場を忘れ、いや忘れているのはご本人ではなくて周囲の私を含む夥しい人々にすぎないのであるが、まるで預言者の宣託のようにもてはやされているいる学者先生である。

本著作、いやこれも単なるインタビュー集であって著作ではない、もおそらくベストセラーになり、数十万人の日本人読者が手にしたのではないかと思う。
例によってアマゾンで百数十円でゲット、休日の数時間で読了。
その程度の内容とご理解いただいてよいと思う。
平易な口語体でスラスラと読める。

ただし、これは最近いろいろと批判されることの多い朝日新聞社、そこにご勤務の記者がトッドにインタビュした内容を文章化したものに過ぎないし、インタビューも時系列は恣意的に降順に並べられている。
果たして、しゃべった通りに朝日新聞社記者氏が記述できているか否かは確かめようもないが。
また大真面目に人類学者としての論拠、数字を出せと出せと求めても詮無き内容である。

では全く無価値化といわれれば、そうとも言えない、ド素人の私にはそう思える。

これまでトッドが主張してきた反グローバリズム、アメリカの衰退、中国経済の脆弱性、日本の人口減少問題の危うさ、いろいろ多種多様であるが、格段の目新しさはない。

いくつか目新しいこと、私にとってであるが、あった。

(胴颪砲ける白人中年男性の死亡率が上昇している。
黒人では減少し続けているのに。
かといってもまだ現時点では、黒人の死亡率は白人を上回っているが。

http://jp.wsj.com/articles/SB12055383950015144394104581334663298544334

白人中産階級の疲弊化、貧困層への没落が背景にある。
そして薬物中毒、アルコール、自殺、様々な社会的負の要因が語られる。
トランプ大統領誕生の原動力である、何か説得力はある。

無知な私なんぞは、アメリカ人様はみな好景気の中で幸せに自由主義経済がもたらす幸福に酔いしれていると、最近まで思い込んできた。
どうもそうではないらしい。

意外な言説もある。

¬閏膽腟舛紡个垢襯▲鵐哀蹇Ε汽ソン族の寄与である。
というよりもトッドが言うには英国の民主主義の歩み、政治、社会の画期的革命はフランス大革命に百年先んじているというわけである。
それに合わせ、現代社会における英語の優位性、特権性である。
フランス人はアングロ・サクソンに一歩ならず遅れてしまった。
その結果、今日の英語圏諸国、特に米国の覇権があるのかもしれない。

しかし私としては、トッドの主張は解せない点がある。
それは今日的、西欧的民主主義の発展に対するカルバン派の寄与、というか刷り込みである。
この宗教という強烈な因子があるのではないだろうか。
オランダの80年戦争、その血みどろな抗争を勝ち抜いてきたのはカルバン派を奉じるオランダ人、貴族、富裕商人の勇敢で流血をいとわない獰猛な連合体である。

このオランダという気難しい小国を抜きにしては語れないのではないだろうか、今日的西欧的民主主義、普遍的価値観という狂信的宗教を考えるにあたっては。

私は、故岡崎久彦氏の著作でしか知らないが。




オランダは、冷血残忍のスペイン相手に血みどろ、皆殺しの戦闘を延々と続け、その間に共同体意識、民主主義の規範を形成していった。
血であがなって作り上げた民主主義、市民社会である。
その結果かどうかはわからないが東インド会社、船舶、繊維製品等の技術革新、経済発展である。
海を隔て覇権を賭け英国と反目、だらだらと数十年戦争し続けた国である。
太平洋戦争後、講和条約後も隷属させていたドル箱、インドネシアを奪い去った日本に対して、特に高齢者では嫌日感情が強いと聞く。


更に一転興味深い指摘があった。

先進国における所謂エリートの退廃、倫理観の喪失を指摘するのである。
鍵となる概念として自己愛、ナルシシズムを語る。
これが異常に肥大化しているし、その閉鎖回路でエリートさんたちは、もがきつつ窒息している。
日本においては、エリート層に限った話ではないと思うが、確かにうなづける。

この自己愛への耽溺が、政治的には内向き、保守を通り過ぎて、というよりも保守とも無関係で粗野な民族主義化、或いは右傾化に拍車をかける。
なにしろソ連崩壊後、欧米にとって敵はいなくなってしまったのであるから。

日本の場合、最近敵の数はむしろ多すぎて切羽詰まっている気がするが。

いや違う、こじつけ過ぎである、ナルシズムへの耽溺とは、「ほどほどに健全な」自己同一性を喪失した結果の退行、幼児化と考えたほうが良いような気もする。
そこには米英アングロ・サクソンにとっては絶対核家族主義の成れの果て、どん詰まり、分断、逃げ場のない刺々しい孤立、退廃、疲弊を意味する。

社会的には、ナルシシズムとは新たな人々の需要を喚起し経済発展の触媒となりうる、ような気もするが閉鎖回路である以上マンネリ化は素早い。
すぐにビジネスモデルとしてのパワーを失う。
ナルシズムに浸り、他者への転移を不得手とする個人、企業、国家には衰退の運命が待つ。

ぅ▲戰離潺スを、ケインズ的、平等主義的政策と評価している点は興味深い。
日本人としては、あまりそうとは思えないのではあるが、海外から見ればそうなのかもしれない。
米国へのお付き合い、目先のドル防衛、輸出企業応援としか私には思えないのであるが。
日本の場合、直系家族主義による国家、企業、家庭といった権威、秩序への敬意は、グローバリゼーションの猛毒のために失墜し果て、人々はよりどころを失ってしまった。
女性の地位は向上したが、少子化の動きはもう止まりようがない。

等々、様々な視点を展開させてくれる味のある本ではあるが、プロ的社会学者様、右的方々たちから見ればトンでもない、ということなのであろう。

が、日本は核武装すべきだ、とかねてから推奨なさっている人類学者なのでもある、トッドは。











ブラジルの赤  ジャン・クリストフ・リュファン

ブラジルの赤
ジャン=クリストフ リュファン
早川書房
2002-12





野口雄二訳  早川書房



冒険小説である。
日本では2002年訳出初版、例によってアマゾンの中古、100円で購入。
作者はフランス人医師にして小説家。この作品で2001年、あのゴンクール賞を受賞している。
この作者の作品を初めて読んだ。

結論から申し上げると、秀作ではある。
があまり面白くはない。
楽しめる、誰にでもぜひ読みなさいと推薦できる作品では全くない。
重苦しく衒学的、韜晦である、というわけでも全然ない。
史実に出来る限り忠実、良心的に沿い、かつ作家としての想像力を奔放に交えながら自由に執筆したものではある。

では何がつまらないかというと、素人の私が個人的につらつら思うに、率直に言って作家の筆力不足なのである。
老婆心ながら訳は読みやすく平易である。

時は大航海時代、1550年から約10年間、舞台はフランスから南太平洋、ブラジルであるから、ファイナルファンタジーのごとく延々と続く大冒険物語を最初の頁をめくる読者は想像しがちではある。
その期待の大半は裏切られる。

物理的には地球の半分を舞台にはしているのだが、作家の手元から浮かび上がってくる世界とは、南仏の片田舎の修道院、狭苦しい木造船、広大なブラジルといってもそのごく一部の地域しか舞台とはならない。
後世のコパカバーナ海岸、そこに近い、これまた狭苦しい島の要塞、広大なジャングルではあるが、その中の木造の粗末な小屋の一室、それから、といっても世界はそれ以上には広がらない。
読者が期待する美しい大海原、荒れる断崖のような波、広大無辺の密林、濃密な湿気、瘴気、猿の吠え声、虫の羽音、それらは全くないわけではないが遺憾なく描写できているかと問われれば、全く否である。

さながら舞台劇のようである。

いや、まさに舞台劇である。
主人公、長き不在の父を追う思春期の二人の兄、妹、ルネッサンス的教養に富みつつも人格が瓦解していく要塞司令官の騎士、その周囲の影の薄い素朴な部下、兵士達。
或いは司令官の勝手都合でスイスから遠路はるばる呼び寄せられたお気の毒な役回り、辛酸をなめつくすカルバン派の人々。
要塞から脱走し夜盗化していくフランス人。
フランスと植民地争い、敵対するポルトガル人司令官。
西欧諸国のあらゆる貴顕とつながる、ベネチア共和国の命運を左右する謎の超大物工作員も。
大いに読者の期待をそそるも、結局単なる使い捨て工作員なのだが。
その他多数、なにやら能書きは様々なのであるが、結局は添え物的存在のブラジル先住民。
役者の数にはこと欠かない。

訳者の後がきにあるごとく、19世紀的大ロマン派小説なのである、本作品は。
個々の登場人物の内面を深く彫像する意図は、最初から放棄されているし作家の本意ではない。
様々な人物の生死を分かつ行動そのものが、本作品の主題なのである。
その中で目立った主題は2点である。
それは極めて今日的でもある。

1点目は、宗教対立である。
本国フランスで吹き荒れた宗教戦争が、この地で最初は戯画的に、次いで不気味に再現されるのである。
私のように宗教に無神経、無関心な輩にとっては、この生存していくことが甚だ困難な異国の地で、互いの憎悪に偏執的に固執し足を引っ張り合うカトリック、プロテスタントのふるまいの愚かさ、不寛容さ、醜悪さ、依怙地さ、偏狭さは不可解というよりも不快この上ない。
このキリスト教的偏狭さとは、今の時代にも西欧の提唱する民主主義、共通する価値観とやらで巧み、密やかにカモフラージュされ、潜り込まされているのである。
随分と口当たりはソフトになっているのではあるが。
この点は、今日イスラム問題であり、移民であり、政治体制であり、西欧と他の社会の対立図式への隠喩として遺憾なく機能しており、現に私のごとく駄文をしたためている次第となる。
作家の狡猾な狙いとは、まさにここにある。

2点目は1点目とつながっているのだが、西欧と非西欧社会との相克である。
この作品、21世紀フランスの作家が著したものである。
フランス文学会とは、文化人と称する、口うるさく不気味醜悪な輩がうようよいる魔界である、
いや内情については、私なんぞは全く存じ上げないが、まともな世界であるはずはない。

植民地問題として西欧人が陥りそうな優越感、先進性とやらを作者は巧みに迂回、回避している。
「お前のその上から目線がそもそも問題なんだよ」
などといわれないよう、十分な配慮がなされた記述が頻繁に目につく。

その代表としてあげると、食人の食習慣、儀式がある。
当時から人食い人種とは、イコール野蛮人だったそうである。
でもこれを直接ずけずけと言うのも、今日居心地悪いではないか。

そこで作者が取り上げるキリストのパン、葡萄酒論争である。
フランスから遥か遠いブラジルの小島、そこでカトリックとカルバン派が、大人げない議論を戦わせ抜き差しならない関係となる。
これなどは、まさにその食人の隠喩である。
が、作家の周到な根回しも、どこか隙がある。

なにしろこの時代にそう遠くない(といっても500年前であるが)第一次十字軍、アマッラの戦いでの十字軍兵士による人肉食。
イスラムを殺戮して大鍋で煮込みシチューにして食べてしまった。
さほど飢餓とも関係のない快楽のための食人として有名である。

中世に限らず、つい最近第2次大戦、ヨーロッパの東、飢餓のロシア戦線では日常茶飯事であった。
どこか落とし穴というものはあるものである。
と意地悪な私はあげつらいたい、ここで。



作家は私とほぼ同年代、同じ職業、といっても作者は国境なき医師団の創設者、セネガル、ガンビア大使の経歴を持ち、ゴンクール賞受賞の大作家、という経歴を持つ超エリートである。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Christophe_Rufin

医師にして対独レジスタンスに参加していた祖父の影響を強く受け、医師の道を選ぶ。
と簡単にwikiに記載があるが、パリで医学部に入れるということは、作家が超成績優秀者であったということを意味している。
試験の成績順に進学先を選択できる権利を合格者は持っている。
初期研修、兵役(産科を選択した)のち、パリに戻った作家はl'hopital Saint-Antoineにて精神医学を学ぶ。
と簡単に行ってしまいがちだが、サンタンヌ、といえば泣く子も黙るフランス精神医学最高峰の牙城である。
初期の経歴からわかるように、作家は頭脳明晰、勤勉であると同時に現実検討に富み処世にも抜かりなき人物のようである。
ところがこのエリート若手医師、ここで魔がさしたというか、アカデミックな道への欲望が政治的世界へと方向転換する。

国境なき医師団の創設者となる。
世界中の紛争地を巡る。
エチオピア、ブラジルにも滞在材経験があり、この時入手した資料を基に作品化している。
その成果が評価されたゆえか定かではないが、セネガル、ガンビアの駐在大使としてのキャリアも手にする。
現在は、作家としての道を選択しているようである。
アカデミーフランセーズ最年少会員でもある。

さてこの老い先の人生をどう選択するのかは定かではないが。

偶然 帆船アザールの冒険   ル・クレジオ

偶然―帆船アザールの冒険
J.M.G. ル・クレジオ
集英社
2002-03






ゞ然 Hasard アザールの冒険
▲▲鵐乾蝓Ε沺璽蕁     

著者 ル・クレジオ/ J.M.G. LE Clezio  集英社




ノーヴェル賞作家である。
大作家、巨匠である。

だから傑作ぞろい、当たりはずれなし、どれも推薦図書であるし読書家たる者よ、熟読玩味せよ。
というわけでは全然ない、中にはお勧めできないよ、好きな人だけ読めばいいんじゃん、という作品もあろう。
これはその好例である、あくまで私見であるが。
例によってアマゾン中古100円にて購入。

2編の中編からなる刊行物である。
全く毛色の異なる2編である。
共通する点とは、舞台が中米パナマというだけである。
前作では地中海、カリブ海からパナマにかけて、後者ではコロンビア国境近くの密林地帯が舞台、ただそれだけである。

1篇目は、乱暴に括ってしまえば外洋航海、その冒険物語である。
ただそれにまつわる有象無象の人物像、その因縁話、これが冗長である。
更に乱暴に括ってしまえばこの因縁話が凡庸、どこにでもころがっている話である。
前作では、所謂クレオール系を父に持つ少女、初老の映画業界人、この2人が主な登場人物である。
どうでもよい話と言ってしまうのは暴論であるが、ありがちな人物像、特に深く彫像されているわけではない。
印象に残る美点は、問われれば考え込んでしまうが、ない。
真の主人公は帆船アザール号なのである。

さてこの作品の秀逸な点は一点に尽きる。
前半、外洋航海の躍動感に富む美麗な記述である。
地中海沿岸の寄港する港、古風な街並み、埠頭の上を飛翔する鷗、群がりくる日焼けした子供たち、酒場で昼間から飲んだくれている太った男たち、岬のかなた宇宙に広がっていくような外洋、夕闇と風、跳躍しつつ追走する海豚、静かに追尾する鮫、夜の闇、星、延々と揺らす波、星のように群がる夜光虫、クリスマス、無風のカルカッソー海、そして何よりも魅惑的なものとは、ものすごいスピードで波を蹴立てていく帆船の雄姿である。
舳先に押し寄せてくる波を飛沫に粉砕しつつ風の力で驀進していく姿は、獰猛、精悍な野獣のようである。

ただ、航海技術にまつわる描写が貧弱である。
まだGPSの発達以前の時代である。
無線通信、海図の解釈、入国審査、書類の整備等々ものすごく多忙なはずである。
更に、たまたま嵐に見舞われず平穏な航海だったとしても、激しい波に曝され続ける木造船舶、航海中の破損は不可避であり、備品による補修に追われるのが常である。
このあたり、あっさりとスルーされている。
あくまで金持ち道楽クルーズなのである。

私自身もヨットに乗せてもらったことは一度しかないが、あんな忙しいものはない。
博多湾の外に小一時間出ただけであったが、二度と乗ろうとは思わない。
まさに苦行である。
こんなにのんびりとした外洋航海など、現実離れしているように思えてしまう。

Hasard、偶然であるが文中、薀蓄が若干述べられていたがどうでもよいように思えた。
偶然、必然、何か西欧人らしい思念があるのだろうが、愚かな一読者として全く関心をひかれなかったし、意表を突く鋭い思索が煌いていたわけでもない。

要約すると、前半のみ、自然、風景描写は楽しめるが、それで終わっている作品である。
その先は、貧困とまではいわないが凡庸である。
後半の読書は、かなり苦痛であった。

2編目、アンゴラ・マーラ、最後までこの語の意味が分からなかったのであるが。
舞台はパナマの辺境、密林地帯、作家はこの国に数年滞在経験がある。
憶測であるが、その時に耳にした民話、或いは新聞で知った実際の事件をもとにした悲話ではないかと思う。
密林の神秘的、濃密な描写は素晴らしい。

ただ人物像の表現、これには1篇目と同じく不満を禁じ得ない。
あくまで西欧、ユダヤキリスト教、いやその文化を奉じるものが描いた先住民、その混血の人々の人物像である。
わけのわからい彼らの素朴さ、暴力性、不潔さ、不条理さ、西欧人らの横暴、権力の暴力性、それらは確かにそうなのであろうが、今や茶の間でご飯を食べながらISのニュースを観る私たちである。

更に感情を排し、淡々と民話のごとき記述のほうが味わい深かったような気がする。

この脈絡の乏しい2編、愚昧な私はあまり評価できないのであるが、一冊の本になること、これだけがHasardと呼べるのかもしれない。
いや、あまり共感できない点は必然 Necessiteのような気もする。
それはこの作家の中に内在する文化に由来するのだと思う。
この作品を執筆する大作家の筆先から、あっけなく露呈してしまうグロテスクな西欧人意識こそが趣深い。





PB030640

日本のジャズの衰退 その2






以前私は日本のジャズの衰退、という不遜なお題で駄文を期した記憶がある。
というかつい最近のことではないか。

あれからいろいろと考えてみた。
各方面からお叱りの言葉、なんぞは誰もこんなつまらない駄文集は読んでいないから全然来なかったのだが。

「考えてみた」といってみたが、実際にはU-tubeを覗いてみただけである。
しかし実に多彩である。
元祖、アメリカはもとより日本、最近では東南アジア、韓国、中国のジャズに身をささげる殉教者、ではなかろうがおのが人生の数パーセントを捧げつくしている人々の姿を目にする。
そのような中で、このお方なかなかいいじゃないの、と思えることも多々あった、
あくまでド素人、田舎者、時代遅れの私めが「思った」というに過ぎないのだが。

浜崎 航というテナーを主としたサックス奏者である。

http://www.watarujazz.com/wataru/Profile.html

猫も杓子もオットー・リンク的メタルサウンド、うねうねと無味乾燥のスケールで埋め尽くしていく若手の中、昔ながらのハードーバッパーである。
最初、ハンク・モブリー的バップフレーズ派かな、と思ってみたが時にズート・シムズ的アルペジオ的になってみたり、旋律が多彩である。
ビートの安定感が非常に秀逸である。最近の若手は、幼児期からジャズを聴いてきているから古い世代より背負うハンディが軽いのかもしれない。

特筆せねばならないのが、よく音が抜けきっていることである。
力まずに吹奏できるから、脳内の旋律をタイムラグを最小にして表現できる。

さてCDを購入するわけでもないドケチ素人の私は、好奇心のままググってみた。

なんとこの浜崎 航という演奏家、医師免許の所持者ではないか。
名古屋市立大医学部卒、医師国家試験合格している。
卒後研修は不明であるが、ジャズに一生を捧げるお覚悟であるとか。

医師をしながらジャズの名人、地方には結構いらっしゃる。
私の先輩、山口県在住小児科のY先生はピーターソン張り、分厚いブロックコードで埋め尽くす華麗なテクニック、ほんとうまかった。
福岡にはドラムの名人、内科開業医のH先生がおられる。
福岡でジャズドラムをやる若者なら、だれでも知っているテクニシャンである。


しかし皆さん、本業はあくまで医者である。
濱崎 航(先生)、医者の仕事はやっておられないとお見受けした。
日本各地を、毎日飛び歩いてライブ活動中であるからしてとても病院勤務は無理である。
スポットで当直バイトなら、オフの日に可能であろうが。

すごく上手いし情熱も素晴らしい。
多分毎日長時間の練習をこなしているはずである。

ただ、医者の仕事をしながら人生の機微に触れつつ、或いは時には修羅場をくぐりながら、といったほうがきっと偉大なジャズ演奏家になれると思うのであるが。
あくまで私見である。

Chet Baker、Bill Evance、パーカー、彼らのような薬物依存は困るが、Dexter Gordonにしろ味のある演奏家は晩年に花開く者も多い。
Hank Mobleyみたいに、晩年があっさり40代で来ても困るが。
コルトレーンも20代は麻薬問題を抱えていたし、50歳の晩年は肝硬変で苦しんだ。
若い時代の花、パーっと花開いた人たち、リッチー・コール、今何しているのだろうか。
ジャッキー・マクリーン、フィル・ウッズ、若い頃いろいろあった人たちである。
スタン・ゲッツ、ズート・シムズ、薬中、アル中組、思い浮かんでくるのはなんだか不良ばかりになってしまうが。
ベニー・ゴルソン、ジョージ・コールマン、こちらはご長寿である。

最近の名人達、ジョシュア・レッドマン、ジェームス・カーター、彼らのこと寡聞にして私は知らないが。
アメリカではジャズは勿論、ハードロックさえも衰運であるとか。
モダンジャズとは、数寄者間の間での極めて趣味的音楽である。
まるで茶道のごとき伝承芸術である。
あちこちの大学、音楽学院でジャズ学部が創設され、アメリカ伝統音楽として文化保護にあい務めているが。

日本では、かくのごとき情熱あふれる若者が徐々に増えつつある、寡聞ながら私も耳にした。
技術、音楽理論、ビート感覚、まさに新世代である。
技術的には長足の進歩を遂げている。

しかし日本のジャズのこの先とは如何なものかというと、これは衰運である、としか申し上げようがない。
演奏家の99%は、経済的に成り立たない、いくら才能があっても食ってはいけない音楽である。
狭いジャズクラブの真剣勝負のライブ、聴衆とはせいぜい10数人、みな真剣に耳を傾けているがほぼプロ、セミプロ仲間たちである。


ジャズとは瞬間芸である。
即興演奏である。
ここに魔性が潜んでいるし、一旦取りつかれた若者はなかなか逃れ出れない。
すべてを捧げつくさねば魔物は容赦しない、奪いつくししゃぶりつくす、まさに不寛容なサディストである。
人間の心の奥底に必ず住み着いているのである、ひっそりと息をひそめつつ。

3分間の船旅

窓硝子越しに見える夕暮れ時、雨からみぞれに変わった。

男達の険しい声が聞こえてくる。
ひそひそ話かと思うと、急に怒声へと変わる。
子供心に、何か難しい話なんだろうなと思うが、煌めく魅惑に充満した外の雑踏に吸い寄せられていた。
次々にやってくる路面電車、バス、更にその先には人の列と船着き場、波に揺られペンキが剥げかかった小型連絡船、傘をすぼめながら低いタラップを渡る勤め帰りの男達、船員が鳴らす甲高い笛、その頃には下船した人々は電車の停留所に流れ去ってしまう。
電車は時を合わせるように発車する。
行き交うバス、トラックの合間に波止場が見える。
夜漁の準備に忙しい漁船、甲板に積み込んだ赤茶色の網を煙草をくわえながら手繰り寄せ纏める漁師、捨てられた小魚をついばむ鴎、中型の石炭運搬船が波を蹴立てて速度を上げつつ遠ざかっていく。

外の景色を眺めいっこうに飽かない子供をしり目に、何時しか男たちは酒を酌み交わし始めた。
石炭をくべられた鋳鉄製のストーブからは、暖気と共に安煙草、重油或いは汗とも判別できないような匂いが漂ってくる。
一升瓶でコップ酒を皆に注いでいるのは、冬だというのにランニングシャツ姿、背中から肘まで刺青を入れた男である。
和やかというほどではない。
何冊もの帳面を積み重ねた机には底に酒を滴らせたコップが並び、乾杯の音頭をとるわけでもなく、思い思いに男たちは酒杯を干し始める。
四人の男達、40代から50代であろう。
みな目つきが鋭いというより、何か不穏である、全身から言いようのない不満、誰にも向けようのない怒気を漂わせている。
それほどたくさんの酒が進むわけでもなく、2杯目を空にすると一人の男が厚手の外套を手にし立ち上がる。
短い挨拶にそっけない返事。
私の手を取り事務所の軋むドアを開け外に出る。

すり減った石の階段を降りると、雑踏の喧騒に巻き込まれる。
向かいの船着き場に向かい、窓口で切符を買う。
船に乗せてくれるという約束を、私は心待ちにしていた。
対岸と行ったり来たりを繰り返す渡船はいつでも乗り込める。
吹き曝しであるが、外を見渡せる船尾に乗り込む。
そこから眺める大小さまざまな船、白く塗られた漁船、緑の艀船、暗い何色ともいえない石炭、砂利運搬船、白、紺、紅、華やかなペンキで彩られ、様々な信号機をはためかせる貨物船、まるでサーカスのパレードである。
夢中になって見惚れているうちに対岸についてしまう。
渋々下船するが、聞き分けのない私は男にせがんでまた渡船に乗せてもらう。
苦笑しながら男は切符を買い求める。

それを十回は繰り返しただろうか、漸く私はあきらめ男に手を引かれ路面電車の駅に向かう。
電車内は通勤客で込み合っっている。
すぐに電車は動き出すが、私は外の景色に夢中になる。レンガ造りの立派なビル、たいてい海運会社の事務所が入っている。
商店、食堂、後片付けで忙し気な男たちが右往左往する市場も見える。
繁華街を過ぎると石炭の貯蔵所、倉庫、見張りの鉄塔、陰気な建物が夕簿に黒ずみ始める。
大門で電車を乗り換え、家路に向かう。
男は昔痛めた右足を引きずりながら、慎重に階段や坂を上る。

この男とは、私が住んでいた同じ町内、すぐご近所の住人である。
この当時、この街での親密な近所づきあいは盛んであった。
私の両親もこの男を信頼しきっていた。
私は子供心に、どこかわびし気なこの男に同情していた。
後になって知ったのであるが、彼は戦時中の大エリートであった。
男の家には夥しい白黒写真があった。
私が不審に思ったのは、人物の背景に移っている不思議な風景であった。
見慣れない、異国の風土が写っていた。

男は岡山県内、片田舎の出身、実家はそこそこの農家であった。
野心家の彼は勉学に秀で、京都帝大法学部卒業後、満州鉄道に就職した。
満鉄傘下、数千人規模の製鉄所の所長となった。
まだ30代であった。
当時の満州の生活ぶりは豪奢を極めた。
宿舎という宮殿に数人の家政婦、用心棒、秘書と称するかばん持ち、運転手付きの大型外国車で出勤、というよりも宴席に出る毎日であった。
奉天、長春、繁栄していく大都市、各街のヤマトホテルで繰り広げられた宴席では、年長の将官、外交官たちと肩を並べ、杯を重ねる。
八紘一宇、理想国家、いや帝国の建設であったのだろう。
男は有頂天であった。
競争などない、開拓といえば人聞きは良いが根こそぎ資源、鉄鉱石、石炭を奪い取り、本国に鉄材を送るのである。
やることなすこと計画通り、思うが儘、延々と続く夢のような生活であった。
しかし関東軍の撤退と同時に男の運命は暗転した。

庶民に先んじて日本に逃げ帰れた男は比較的幸運であったが、文無しとなった。
妻子を連れ実家に戻るも、兄たちからは掌を反すように邪険に扱われた。
暫くは飢えをしのぐため、田舎の生活に甘んじざるを得なかった。

1950年代ともなり世が復興景気に沸く。
あちこち手をまわし再就職の道を目指すが、旧満鉄幹部の肩書は、予想以上に重い軛となった。
彼自身、甘い生活に慣れ切ったため工夫、競争、阿諛追従ということに疎くなってしまった。
なんとか銀行に職を得るも、上手く泳げない。
金の勘定はしたことがなかったし、騙す騙されたが当たり前、数字が全て、というのが銀行の世界である。
営業ということをされることはあっても、自ら実践したことはなかった。
辞めていく彼を引き留める者もいなかった。

最後に辿り着いたのは当時の流れ者の集積地、八幡であった。
私の父も製鉄所景気に引き付けられた流れ者の一人であった。
製鉄所の溶鉱炉は、熱く焼けた鋼鉄をほとばしりだし続け、それは夥しい紙幣に身を変じていた。
ここで彼が手に出来た職とは、石炭ブローカーであった。
今でもそうであるが、当時もこの業界は博打であった。
上手くはいかなかったようである。

そんな彼であったが、社交的、温厚、楽天家であり、また漢籍古典によく通じていた。
親切な人柄でもあったから、子供の頃の私はよく懐いた。
私が大学生になった頃、彼はひっそりと世を去った。
大阪の下町で書道教室を細々と営んでいた。

子供の頃以来、久方ぶりにこの地を訪れてみた。
静謐である。
電柱は舗道に埋没され、塵一つ落ちていない清潔な街並みである。
往年の繁栄を謳歌したはずの街の人々、そのひっそりとした日常が偲ばれる。

海の遥か向こうには、かって男が耽溺しきった豪奢な夢の世界があったのである。






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YAS-61S

40年ぶりにアルトサキソフォーンを手入れに出した。
B♭のキーが動かなくなってしまったのである。
キーを調整しているコルクが剥げ落ちてしまった。
数日してヤマハの修理担当者から電話がかかってきた。
オーバーホールが必要だという。
どのタンポンもからからに乾燥しきってしまい、まともに穴をふさげないのである。

確かにそうであろう、何しろ40年以上前の楽器であるが一度たりと手入れに出したことがない。
私が医者になったとたん、ヤマハのアルトサックスYAS-61Sは何時も邪魔者にされてきた。
一番不遇だった時期、家屋内に居場所がなく、車のトランクで数年を過ごすという荒んだ処遇であった。
夏の酷暑と湿気、毎日数時間揺さぶられまくる、楽器にとって考えうる最悪の住処であった。
普通の楽器だったら、ここで生涯を終えたであろう。
ところがこのヤマハYAS-61Sは頑丈であった。

できるだけ廉価なオーバーホールで、というこれまた最悪の所有者の意向を受けた修理担当者は1週間後に電話をかけてきた。
意外にしっかりとしていてよく鳴りますよ、と。

U-tubeでみかけた、Dave Kozなる人気サックス奏者、女性に大人気である。
所謂スムーズ・ジャズ演奏家(私は全く興味ないが)だそうだが、YAS-61S
(いや62Sだった)を使っている。
余談だが、彼のアイドルはフィル・ウッヅというから、プライヴェートでは実はハードバップをガンガンやっているのだと思う。
生暖かなCDが一時期大ヒットのKenny G、彼も普段は大名人兼バッパーだとか、小耳にはさんだ。
生活の音楽と実際の嗜好とは異なるのである。
「いつも飛行機、車で演奏旅行に出かけるが、長時間揺すられても耐えてくれるのはヤマハのこれだよ」とのこと。




さて家に持ち帰ったYAS-61Sであるが、昔使っていたメタルのベルグラーセン、鳴ることは鳴るし、音は馬鹿でかい。
しかし実に不快、耳障りな金属音である。
尚且つ20代の頃力任せに吹けても、寄る年波には勝てずである。
口の筋力の老化が著しい。
すぐに吹き疲れ、まともには演奏できない。

たまたま昔先輩にもらったセルマー・ソロイスト、40年前の黴だらけの年代もの、であるがケースの底に転がっていた。
どうせ駄目だろうと思いつつ、吹いてみると楽に吹けるではないか。
ボーとした汽笛のような音、よく言えば長閑、牧歌的、実際には締まりのない音ではあるが。
メタルのシャープで大きな音に固執する必要性はない。
セルマー・ソロイスト、今ではKenny Garrettが使っているので人気だそうだが、私の嗜好には全く合わない。

何時ものネット通販で安いのは、と探してみるといろいろと出てくる。

最初はブリルハート・エボリン、20年ほど前の製品。
8000円ほどのプラスチック製の廉価な商品、なかなか甘い音色、気に入って吹いていた。
しかし全域で上手く鳴ってくれるわけではない。
それに何かチープ、奏者の腕が悪いに過ぎないのであるが。
安香水のような音、それはそれで場末のdeepでお洒落な雰囲気を醸し出せるのであるが。

好奇心ついで、今や大人気、Gotzの中古を買ってみた。
ヤフオクで、もちろん中古1万2千だったと思う。
いったい今まで何人の所有者が咥えて吹きこんできたのであろうか、そんなことを考えるものはこの世界には不向きである。
なにせ、演奏中管にたまった唾液を、平気で床にまき散らすのがこの世界の流儀である。

このマウスピース、高音域は実にスイートである。
なんだか巨匠になったようなかん違いを吹奏者に起こさせるには、遠く至らないが。
ところが中音域は私の力不足であるが、息漏れ過大、ホワイトノイズ、これはこれでよいと思う人もいるのだろうが、使いにくい。
それに早いパッセージでは音の鳴りだしが遅れる。
全体に重量感というか、重いのである。
ネットでは初心者にも向いているという記事が多いが、私には不向きであった。

といいつつアマゾンの中古、1万円強で買ったマウスピースに結局落ち着いた。
Alexander Willscher、ドイツのメーカが制作したマウスピース、セルマーよりも更にほっそりとしている。
最初吹いてきたときは、あまりに不愛想、質実剛健、硬い音に感じられがっかりした。
が、Gotzのマウスピースで疲れ切った時に、これを吹いてみると意外と良いではないか。
音の輪郭がとにかく鋭い。
剃刀とまではいかないが、よく切れる鋏で切りだすような音が聞こえてくる。
結局、音の流れがまとめやすい。
下手くその私だと、他のマウスピースではぼやけた音、曖昧な音しか出てこないのである。
さて音選びで一段落したら、何をどう演奏するかである。

さてもはや、old classic、などと揶揄されるハードバップであるが、これは実は物凄く奥が深く、素人が生半可にやって体を成すものではない。
10代から人生のすべてを費やし、換言すれば一生を台無しにして会得すべき音楽なのである。
素人がぶち当たる壁はあまたある。

以下、素人の私が抱いている独断と偏見である。
まず分かりやすいのはバップのリズム、独特のビート、というかシンコペーションの会得である。
ドラマーがぶち当たる、数十年かかるというハイハットの刻み方である。
赤ん坊のころから親しんでいるアフロアメリカン、対して盆踊りのリズムを聴いてきた日本人では、スタート時点で目の眩むような格差がある。

次いで和声である。
これは書字で記述すればある程度は理解可能である。
ところがコード記号のままに音符を並べていくとどうなるであろうか。
ジャズとは別の音楽とは言えない何ものか、まるで電子音の信号、或いはモノ、les chosesとなってしまう。
このモノをいかに耳に心地よくとまではいかなくとも、耳障りにならないものとするには、ということで先人は心を砕いてきたのである。
という言述は、ある程度は当たっているが実際には異なる場合も現実にはある。
しかし感覚が先に立ち、理論が後についてくるということ、これはあくまで天才の為した奇跡である。
さて今の世はネット時代、無料のジャズカラオケ、U-tubeにはこと欠かない。

普段は会話録音用のICレコーダーで演奏というか、私が惹起した騒音集を聴いてみる。
非常に下手である。
聞き苦しい。
どこが聞き苦しいのであろうか、どこかではない、全部である。
その救いがたい騒音集をいかに人の世に馴染めるようにするのか、少なくとも苦痛なく聞き流せる程度に解毒濾過するかが当面の目標である。
当面といってしまったが、究極の到達点であることは、今の私にも薄々は分かっているのであるが。



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宮古島

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島の天候は気まぐれである。
5月にしては刺々しいほどの日差しである。

昨日までは土砂降りであったらしい。
だが、真夏の青空とはどこか違う。
どこかよそよそしい。
雲を押しのけつつ、不機嫌そうな青空が地上まで羽を広げていくが、はるか先の海原には逃げ去る兵士のように千切れた雲の群れが風に吹き流されていく。

小さな空港に降り立つや否や、慌ただしくシャトルバスと称するワゴン車にキャリーバックと一緒に乗せられ、県道を行く。
暫くはレンタカーの営業所、運送会社の倉庫、シャッターが随分以前から閉じられたままの自動車修理工場、不動産会社のオフィスが並ぶ。
が、すぐにサトウキビ畑が延々と広がるだけの土地に入っていく。
未だ刈り取りの終わらない畑、背の高いキビが風に揺れている。

周囲にはフクギの木が規則的に植えられ、延々と続く並木道である。
めったに対向車はやってこない。
ワゴン車のディーゼル・エンジン音だけが頭蓋の中に響き渡る。
路上に人影はない。
不思議なほどに無人である。
しかし道路は綺麗に清掃され、どこの植木も丹念、神経質に整えられている。
人手がおそろしくかかっている。
点在するおそらく農家であろう、鉄筋コンクリートの平屋の建物は、みな古びてはいるが家屋の傷みは目につかない。
こじんまりと纏まり、静かで人気がない。
誰もが急に消え去ったのであろうか、不安夢のような光景である。

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20分ほど景色を眺めていると、ワゴン車は急に県道をそれる。

数棟の大型のマンションが立ち並ぶ地域である。
まだ建設中の足組、それにあの紺碧の色、ブルーシートも見える。
工業団地のような殺伐さ、無機質さを露呈しつつ、リゾート地域とでもいうのであろうか、観光客を囲い込むべき地域に入る。
好意的にいえば別世界といえようか、実際にはテーマパーク、集金全力集中型施設群としかいいようのない世界である。

ある忌まわしい言葉、camp concentration 。
不思議と自生的に意識に上ってきた。
次いで浮かんできたのは、sun city。
これも嫌な言葉と言い切ってしまってはお叱りの言葉が飛んでくるのであるが。
リゾートと称するsun cityである、お金持ち老人相手の。


無数の飲食店が点在する。
各々は駐車場を備え、店員が散水したり、掃除をしている。
いくつかの大型ホテル、コテージを過ぎると、旅の宿に到着。

自宅からタクシー、新幹線、地下鉄、飛行機、乗り継いで宮古まで、という長い旅であった。
しかし自宅を出て僅か5時間後のことではあった。

さて宿であるが、どこにでもあるリゾートホテル、あのウンザリとさせられる多国籍インテリア、主に中国製であろうか藤の家具、白っぽいクッション、インドネシア的吹き抜け風の天井、稚拙なレリーフ飾り、凡庸な花器に南国風外来種の花、メリハリ無しの怠惰、耳障りなハワイアン的ダラダラ音楽が絶え間なく流れる、の世界である。
折角宮古にやってきたのに、那覇、いや福岡郊外のホテル、北九州郊外のカフェ、道の駅、それらと何ら変わりはない。
それでも連休で込み合っている。

期待もしていなかった、予想通りではあった。

「ジャグジー付きのアップ・グレードのお部屋にしましょうか」と宮古出身らしい女性職員の美味しい言葉につられてみたが、なんのことはない塩素臭い不快なぬるま湯を入れ、一人悦に入る小さな水槽でしかなかった。
1階だったから、景観なしである。
後にして思えば、空いているハズレの部屋に体よく押し込められただけなのである。

よくありがちだが、無理やり傾斜地に建てられている建造物である。
その傾斜地がむき出しである。
部屋の薄暗い戸口からガラス越しにむき出しの斜面が見える。
申し訳程度に観葉植物が植えられ、庭石的な物体が置かれている。
先島といえば台風、大雨がつきものである。
その折、土砂が今にも1階まで押し寄せて来るのでは、と危惧される。

おひとり様1万円から多分2万円覚悟、沖縄本島、内地から食材運ぶからだろうか、食事が驚愕するほど高い、等々まだまだ愚痴を言い出せばうんざりするほどあるのだが、わざわざここを選んでしまった自己責任である。
別のさらに高額な宿代の棟には、ウミガメプールなる奇態なものまである。
ウミガメ、絶滅危惧種である。
きっと個体のなんらかの訳、事情あり、水質、餌等法の順守は厳密に為されているのであろうが、いい気分では正視しづらかった。
なんだかんだで、がっかり体験であった。

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海は素晴らしく美しい。

サトウキビ畑の平原、これも美しく静謐である。
宮古の美しさは、内地的リゾートとは無縁の世界にある。

最近、宮古周辺の伊良部、來間島、池間島に長大な橋梁が建設された。
これのおかげで一気に離島の開発が進むことになったようである。
さて、よいことばかりではないような気もする。

最大の伊良部大橋は建設費380億とか、他の橋を含めて年間の維持費がどれだけかかるのであろうか、よそ者の私が心配するのは余計なお世話であるが。

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宮古には2泊3日、ごく短期のあっという間の旅行であった。
ホテルの従業員、ビーチのレンタルやさんのおじさん、ホテルからしばらく行った先の居酒屋さんの女将さんたちとしか会話はなかったが、みな温厚、鷹揚な人々であった。

私が7年前、沖縄本島にいた頃は、ある種の都市伝説が盛んであった。
「本島、特に那覇の人々と宮古の人とは琉球王朝時代の弾圧、搾取に由来する経緯で不仲である。
宮古の人は頑固で意地っ張り、大酒のみ、一方で頑張り屋で勉強のできるものは県庁のキャリアー、警察官、医者、弁護士になり、威をふるうので本島の人間は面白くない」

2chレベルでは、まだまだこの手の話は盛んであるが、ナイチャーの私にはわからない地元の事情である。



現代的内因性うつ



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臨床精神病理 2016年 No3より


ググってみてもなかなか出てこない書籍である。
精神病理学会の機関紙、ということになっているが書店でも入手はできるらしい。
毎号興味深い記事ばかり、とはいかない、何とか読んでみようと興趣を誘う記事だけは読む、という怠惰な私であり、隅から隅まできちんと読むという勤勉な先生方には申し訳ない。

存在の「ひねり」とパロールの「ひねり」 219頁 
芝 伸太郎 先生著

である。
一言で行ってしまえば鬱病に関する考察である。
明快、秀逸な記述である。

表題の「ひねり」であるが、何故括弧つきなのであろうか。
まずそこからが謎であり、読み手は疑念、丸め込まれまいという用心、或いは無視する、各人様々であろうし、それでよいのである。

私はmetaphore 隠喩、喩えなのかな、と思ってみたが、これも正解はないのである。

様々な言葉が出てくる。
今日の鬱病を語るときに、たいてい瀕用される語句である。
読み進めるままに拾い上げていく。


内因性うつ病
病前性格論
神経症性うつ病
躁うつ病
メランコリー親和型
下田の執着気質
現代的内因性うつ病
古典的内因性うつ病

という論じるものによって微妙に内容の異なる語句が並んでいく。

さらに主題である「ひねり」

Freudのいうナルシス的同一化
ヒステリー的同一化

さらに

ハイパーナルシズム
括弧つきで
「互酬の原理」
「交換の原理(市場経済の原理)」
「依存と庇護のループ」
未熟型うつ病
「献身と反対給付のルーフ」
「甘え」

貨幣経済
「鏡が覆われること」
「異能」

他にも多々あるのだろうが、多義的であると同時にうつ病を考えるうえで鍵となるヒントがあちこちに隠されている。

全てを語ることは碩学大先生にお任せしたい。

この論文の白眉とは、「異能」である。
これは実にユニークな着目、記述であり、瞠目した。
以下は、著者の記述に依拠した内容とお考えいただきたい。




著者の経験では、現代型うつ病に相当する患者さんの診察で経験するなかで、彼らが持つ特に鋭敏な察知能力、臨床医の心情を瞬時に察知する、という鋭敏なセンサーのことを「異能」と記述しているようである。

著者の記述を換言すると、その「異能」とは「瞬時」に臨床医の落胆、悲哀、驚嘆、等々の情動を察知する、というある意味「超能力」なのかもしれない。
しかし、彼らの「異能」とは時間的奥行きのない思考である。
人間と人間が対するとき、つまり人間の関係性であるが、その関係性とは瞬時のこともあれば、何十年にもわたる時間軸に沿ったものでもあり、瞬時の心情というデジタルなものはそのごく一部に過ぎない。
従って時間を「終わりのない物語」と換言、ひねればその物語の裏筋には「異能」のセンサーが及びかねる。
あくまで瞬時のそれも表向きの物語には及ぶかもしれないが、歴然とした限界がある。
裏を読み取ることが能わない。

対照的に神経症水準者の場合、時間軸に沿った思考が可能である。
しかし内因性うつ病者のような、瞬時に読み取る「異能」は持ち合わせていない。

さてこの相違はどこから生じるのであろうか。

現代的内因性うつ病の場合、ある種の事情がそうさせている。
その事情とは以下の如くである。

先のkey wordで述べた「依存と庇護のループ」「献身と反対給付のループ」という円環構造、これは一つの仮説というか説明モデルである。
著者は、現代的内因性うつ病ではこのループ、円環構造は予め破綻していると考える。
母子未分離の一方的依存関係にうつ病者はあるのである。
ナルシズムレヴェルでの、いわば固着というよりも母子分離の失敗があると考える。
一次ナルシズムの水準となるのである。

このナルシズムの病理がむき出しになれば、それは精神病レヴェルの高度の病理性を発現せしめてしまう。ラカンの言う鏡像段階ともどこかで共通する病理である。

それをカヴァーしてきたのは、貨幣経済である。
つまりこの原始的ナルシズムを隠蔽する、もっと上品な言葉でいえば抑圧するものとは、資本主義システムが持つ労働の対価としての賃金、という別々のものを互いに支え合う構造、つまり「ひねり」であった。
これが新自由主義経済、市場至上主義経済の発展によって破綻してしまった。
労働者とは、もはや低コストを最優先すべき生産ツール、いつでも置き換え可能な備品に過ぎないのである。

つまる「へねり」を影ながら保証してシステムがほころび、破たんしつつあるのである。
ほころんだ結果、現代的内因性うつは、ナルシズム的対人システムを時に顕現させてしまう。
診察の現場では、現代型内因性うつと呼称される人は、精神科医に対してそのナルシズムの鏡を見るのである。
つまり鏡に映るままに精神科医の心情を察知する、という異能を発揮するのである。




というのがこの論文の中核をなしている、と乱暴に括ってしまうと、お叱りの言葉が飛んできそうである。

さていろいろな見方ができるであろう。

ここで注目される「異能」であるが、正直に言って私にはあまり思い当たる節がないのである。
私の感受性が鈍い、或いは硬い、冷たい気質のせいもあるかもしれないが。
確かに、主治医に対してズケズケとものをいう、立ち入ったことを聞いてくる、やたらとなれなれしくこちらの心情をうかがい知ろうとする、初診時から大切な「秘密」をあけっぴろげに開陳する、などという患者さんはたくさんおられる。
しかしそれは現代型うつの相当する人たちともかなり違うような気がする。
人格障害レベル、あるいは神経症水準の人に多い気がする。

お人柄というか、好奇心旺盛ともいえるし、やはり転移関係であろう。

「異能」の裏にある「ひねり」の欠如、これは確かに現代型内因性うつのように不器用な人には多いと思う。
世間様の本音と建前の厳しい相克に、唖然とするほど無頓着であり、結果的に傷つきやすい。
であるから、「未熟型うつ」なるnegativeな呼称もあるくらいである。
確かに社会の変質、従来型資本主義、高度成長経済信仰の破綻は人心に大きな影響を与えた。
99%はnegativeな影響である。
人々は、「こんなはずじゃあ、なかったのに・・・」
傷つき悲嘆絶望し、やがて自らを憐憫するとともに、世の中社会が悪い、自分は犠牲者だと思いがちとなる。
実際そういった面は多々ある社会である。
そういいたくなる根拠は山ほどある。

ナルシズムの克服に難のある方々は、ここで大きく躓き、あやふやな他者、この場合世間、社会となるが「他罰的」となる。
いったんことあらば他者に対して甚だ不寛容なお人柄となる。
よってたかってのマスコミ上のいじめ、ネット炎上、とまでは言い過ぎだが。
他罰は99%失敗するから、その攻撃性は自分に回帰してくるゆえの現代型内因性性うつ、にいたる、私はそう日々感じている。

古典的内因性うつとはこの点で大いに異なる。
古典的な方は、野蛮な超自我がナルシズムの昇華の出来損ないで内在している。
この厄介で野蛮、凶暴な超自我が、主体、本来の飼い主様を鞭打ち始めると発病となる。
今の時代、この超自我が見えてこない。
無理に探し回ると、幻想の中の父なるもの、国粋主義、内向きの愛、野蛮な排他主義となりそうである。
これは日本だけではない。
欧米でも共通する集団心理、トランプ、ルペンであるし、プーチンもこの心理を上手に利用している。

もう一言追加すると、もともと我々が持っている交換回路、貨幣経済である。
われわれが漠然と日常感じている感覚、漠然とした信頼感とは錯覚に過ぎないのである。
資本主義経済とは、本来貨幣経済ではなく紙幣という単なる紙切れに「信用」という中央銀行が施したお化粧をしたいかさま、博打経済なのである。
これに我々は普段気づかなかったのである。
労働への対価としての賃金、紙幣とはそもそもがいかさまなのである。
とりあえずは、衣食と交換可能であるうちは、そのからくりに気づきはしないが。
ところが今の経済状況である。
まさにそのいかさまがバレまくっている時代である。
どんなに勤勉に働いても、裏切られ捨てられる時代がやってきたのである。
ご近所の広大な東芝工場の跡地がそれを物語っている。
広々とした空き地に雑草が茂り始めている。

ますます現代型内因性うつ、増えるばかりである。

なかなか示唆に富んだ論文で、読んでよかったと思った。

それに引き換え、毎月膠原病が腎臓病の何の役にも立たない特集しかやらない日本内科学会、なんとかしろよ、といいたくなる。











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シャンデリア  川上未映子





今どきの読書というものは、キンドルや携帯、いやスマホでするもの、らしい。
かさばる単行本では、手狭な書庫はすぐに埋め尽くされてしまう。
本というものは、捨てる時も労力を要する。
再読する気のなくなった本、大半はそうなのであるが捨てるしかない。
もっともブックオフにもっていかれる方も多いであろう。
私の場合、病院の図書館に寄贈と称して押し付けることにしている。
そろそろOTの職員から嫌な顔をされるようになってきたが。

ところで「かさばらない」キンドル本である。
確かにかさばらないが、私の場合パソコンしかもっていないので寝転がって読むわけにはいかない。
単行本、文庫本と比較して廉価であるわけでもない。
中古本と比較すれば割高な場合が多い。
最大の弱点は、まだ品揃えがよくないことである。

アマゾンのプライム会員なる制度にて、キンドル本読み放題コーナーがある。
これを時に利用する。

さて目ぼしいものは、とみても新しい本はあまりない。
著作権の切れた漱石、鴎外、芥川、荷風などは読み切れないほど上梓されてはいる。
もっともこれは会員制に無関係、そもそもが無料なのである。
何時でも読めると思うと、つい読まないのが人の常である。

さて最近の本は、と探してみる。
川上未映子の「シャンデリア」という作品があるではないか。
今なら読み放題、つまり無料である。
一読してみた。
短編である。
読了するのに昼休み、それも食事後のひと時で十分おつりがくる分量である。

有体に申し上げれば、これのみでお金をいただいては申し訳ない、という作品である。
かといって、まったく貴重な休み時間を無駄にして返す返すも残念至極、という作品でもなかろう。
パソコンでネットサーフィンすることと、同じ程度の無駄さ加減ではある。

さて主題であるが。
都会の女性の孤独、よくあるテーマであるし、今更ながらでもある。
そこに付加価値、つまり一工夫、ひねりを加えるとすれば、その女性なるものと他者との関係性の有様云々である。

なにやら小品から大問題に発展してしまいそうな大上段ぶりであるが、そうとしか言いようがない主題であるし、今日の首都圏において生きる人々にとっては、あっけらかんとした日常そのものでもある。

この小品の主題とは、主体と他者との関係性、その中の一断面、大まかに行ってしまえばそう括ることができる。
主体と他者との関係性で何が浮かび上がってくるのか、それは読者一人一人、各人各様である。
また、そうでしかない。

この作品では、関係性のきっかけ、関わり合いの手始め、語りかけるもののしんどさであり、それは意味、つまりは貨幣価値へと手早く換算される。
しんどさとは、大げさに言えば心の負担、ナルシズムの傷つきへと言葉を置き換える、そういう変換もまたよろしかろう。
さらに言えば、相手に対してことさらに気を使う、いわば労働とも呼ぶべき行為でもある。
キャバ嬢、ホスト君を代表とする接客業、水商売がその代表である。
かくもうす私も、精神科医療に携わるその手の商売の末席にて従事する者である。

さて自由であるべき、あるいはそう錯覚されてきた他者とのかかわり合いに対して、今の世の人々、大都市圏の人々はしんどさ、息苦しさを感じているし、耐久性も乏しい。
すぐに「傷つき」へこたれてしまうのである。
そのせいか孤立への道を人々は選択しがちである。

さてこの女性たちの関わり合い、そのしんどさの代償とは、この作品での帰結とは「プレゼント」である。
ブランド品の小物、化粧品である。
フェンディーのなんチャラ、ランコムの化粧品、オヤジには縁のない世界である。

さてこのプレゼントなるもの、謂わば今の女性たちにとっては、労働の対価である。
不文律的に親切さの代償として準備、用意されるべきものなのである、きっと。

世の関わり合いといっても、つかみ合いの闘争から愛の行為までさまざまではある。
ここで描かれた関わり合い、他者への関心とは、いわば暖かなまなざしでり、時には羨望であり、突き詰めたメタファーとしては相手への愛の備給であり、ナルシズムへの備給である。

そのお返し、ナルシズムの逆備給が、孤独な都会の人々のナルシズムを、なんとなく、影のようにして支え続けてきたし、ごく最近ではあからさまに支えている。

主人公、中年の女性は老婆に対してこの労働を果敢存分、滑稽、露悪的なほど過分に果たすのである。
別れの際に、自己愛をたっぷりと備給してもらった老婆は、ささやかなプレゼントを主人公に渡すのであるが、これが主人公の労働対価には不似合いだったらしい。
女性はほぼ例外なくケチであり、自分には寛容であるが、他者には峻厳、剣呑である。
主人公の女性は、その法則に忠実に従い老婆を罵倒する。

さて報われなかった労働の果て、疲れ果てた主人公は家路の途中でより若年の女性と出会い、これ幸いと自己愛の補給に勤しむ。
そして、その対価はきちんと支払うのである。

さて、この予め対価が予測され切った愛の奉仕、他者への自己愛の備給とは、今の世ではけして無償である、なんぞとという綺麗ごと、虚偽、虚飾を被ってはいない。

しかし一昔前の日本の世界では、分厚いベールをかぶっていたものであった。
それはそれで奥ゆかしきことであるが、それは日本人特有の錯綜しきった森の奥、心の奥の院であった。
昔々から、とどのつまりはお返しがあることが前提ではあり、けして無償ではなかった。
無言の約束手形として、長期国債のごとく何十年後かに支払いが保証されていたのである。

そのいわば長期国債は、ヴェールの向こう側で愛の備給として沈殿してきたし、何かの行き違いで支払いが破綻した場合、奥ゆかしき日本人は傷つくのである。
ある者は自己愛の傷つき、備給システムの破綻から他罰ではなく自罰、うつ病になる。
支払いを拒んだものを責めるのではなく、そんな空手形を信じた自分を責めるのである。
その対価を期待した自分のせこさを大いに恥じるのである。

ところが今の世では、傷ついたものは声高に癒し、瞬時の報い、償いを主張するのである。
それは今日金銭、紙幣へと置換される。
「お金ではとても傷は癒えないよ」といいつつも、紙幣では埋まらない隙間、それに別段執着するわけでもない。
この置換が保証され、次々にメタファーさせていける限りは、自己愛の傷つきとは神経症的鬱で済んでしまうわけである。

現代型鬱患者さんの多くが、DSMの項目を満たしていても、実際には神経症水準であることはよく経験する。
ただDSMにおいては、古典的意味での神経症概念は抹殺されて久しい。


ブランド品なるものとは、その記念品、或いは戦利品である。
それ自体無意味に近いのであるが、ブランドとはその恨みつらみ、傷つきを癒す愛のsignifiantなのである。

埋まらないことにあくまでこだわる人は、自罰ではなく他罰へと攻撃性を向ける。
これが、今の日本中を埋め尽くす現代型鬱の患者さんである。
ただ、何故古典的鬱病者が自罰であり、現代型鬱が他罰となりがちなのかは、私にはよく分からない。
ナルシズムを映し出す鏡、それは他者との関係性であるが、その鏡の役割、作用が変化した結果なのかもしれない。
或いはその鏡自体が機能しなくなってきたのかもしれない。
長期国債の支払いをあてにできなくなってしまった、大いなる時を隔てたのちに機能する鏡ではもはやなくなった、からかもしれない。

或いは、鏡に機能してもらっては困る、不都合である、赤裸々に映し出してしまっては困るではないか、という社会の思惑もあるのかもしれない。

この作品「シャンデリア」のごとく、煌びやかではあるが何も映し出さない鏡のほうが望ましい、普段私たちが目にするものとは。

と偉そうなことを書いている私であるが、臨床精神病理37巻3号 芝 伸太郎先生:存在の「ひねり」とパロールの「ひねり」読んで、思い浮かんだことなのであるが。




日本のジャズの衰退

私は若い頃、というよりもガキの時代からジャズ好きであった。

最初に耳にしたのはGerry Mulliganのピアノレス四重奏団のアルバム、What is there to sayである。
Art Farmerが端正なトランペットを演奏していた。
たまたまジャズフアンでもなかった父が購入していたLP盤である。






冒頭から厳かというか渋いバリトンサックスと甘いトランペットの絡み合う旋律が流れ始めた瞬間、12才の小僧はすっかり心を奪われてしまった。
時はビートルズ全盛時代、ローリンストーンズの名がようやく日本にも伝わってきた時代である。

中学生だった私は、楽器を買うことを熱望するようになった。
バリトンサックスに憧れたが、あんな重くでかい楽器を中学生で演奏することは困難が予測された。
値段は20万以上、とても買えはしない。
当時はまだヤマハではなく、日本管楽器の時代であった。
思い悩んでいる私をみたのか、父がポンとアルトサックスを買ってくれた。当時で8万円台だったと思う。
来る日も来る日も吹き続けるがちっとも上達しない。
音だけはでかくなり、高校の吹奏部に入ってみたが私の金切り音は「むいていないよ」と引導を渡されてしまった。

ジャズの時代はマイルスのモード旋風となったが、小難しい理論なんぞ、ガキにわかるはずもない。
時を置かずニュージャズ、アヴァンギャルドの時代となった。
まったく好みではなかった。

さらにマイルス、ハービーハンコックらの電化時代となった。
これも最初は興味を持ったが、すきにはなれなかった。

そうこうしているうちに大学生になった。
大学に入ってビッグバンド部に入部した。
文化系のはずがなぜか体育会系、汗臭いクラブであった。

お前のサックスは音のでかいとろこだけは良い、と褒められた。
当時の私は全く譜面を読めなかった。
地道な練習も全くしていなかった。
面倒見のよい先輩のおかげで2か月もすると何とか読めるようになったが。
ついでに日管の壊れかかったアルトから、先輩のほぼ新品のYAS61-Sを譲り受けた。
マウスピースは、ビッグバンドなのにメタルのベルグラーセンである。
ただでさえ大きかった音が、さらに不愛想、狂暴になった。
サックスのパートはいつもバランスが悪かったが、あれは私のせいである。

コルトレーンのレコードに合わせて物まねだけをしていた、実に質の悪い私の音である。
パツイチコード、或いはメージャー、マイナー、ブルーススケールだけで適当にナンチャッテ・アドリブをしていたのである。
このインチキなアドリブ、結構当時は物珍しかったらしい。
耳だけを頼りに、So what、Impressionsなんかを延々と吹き続けていたので、アドリブソロになると私が引っ張り出されることがしばしばであった。
もっともコード進行の複雑なエリントンの曲、Sophistecated ladyなどになると、全く手も足も出なかったが、当時の学生バンドはそんな難しい曲はやらなかった。
もっぱらカウント・ベーシー、みなうっとり、グルーブ感いっぱい、幸福になれたのである。
あれはあれで奥が深い、底なしにであるが。

当時の田舎大学学生バンドはこの程度であった。

さてジャズ界の昨今を聴くと、衰退の一途であるとか。
ジャズ、それもモダンジャズになると客が集まらない。
高齢化した客、それもごく一握りの私のようなオヤジ客ばかりだそうである。

http://ameblo.jp/osamukoichi/entry-10378288191.html

ここに簡潔に記述されている。

もっと詳しく知りたい方には以下のサイトがよろしかろう。
かなりマニアック、詳細に今日の日本ジャズ事情が記述されている。

http://www.tomoyosejazz.com/imitation12016.html

かなり手厳しい御指摘、痛々しい。





こちらもプロのミュージシャンが記述している。
頷けることばかりである。

http://k-yahata.hatenablog.com/entry/2015/03/19/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%81%AB%E4%BA%BA%E3%81%8C%E9%9B%86%E3%81%BE%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%90%86%E7%94%B1%E2%91%A0


アマゾンのキンドル本としても購入できるらしいが2000円はちと痛い。

私も同意見である。
悪いことに私ときては、ジャズクラブ、ジャズコンサートには何十年も行ったことがない。
アマゾンで廉価な中古CD、著作権の切れた61年代以前のBox setを買いまくって楽しんでいる、というミュージシャンにとっては最悪のジャズ・ファンである。
さらにUチューブという、ほぼタダで閲覧視聴できるツールもある。
ネットの時代は恐ろしい。
アマチュアから無名の地方ミュージシャン、更には大御所まで、自宅に居ながらにして聴き放題である。
或いは海外のコンサート、地元のクラブまで、もう無限にある。

さて若い人がジャズを聴かなくなった、CDを買わなくなった、ジャズクラブに行かなくなった、色々な理由が挙げられている。
確かに、私のような年配のオッサンがかくのごとく偉そうに薀蓄を並び立てる、けむたい、うざい、というのもあるだろう。
甚だ不快であろう、たしかに良くないことである。

蓋し、最大の要因とはジャズがあまりに高度な和声を追及しまくったあげく、民衆の耳に馴染みにくいものとなってしまった、という点が大きいのではないだろうか。

無学な私が日常このんで聴いているのは、50年代後半から60年代のハードバップである。
この時代のブルーノートレーベルの作品に駄作はない。
何故かわからないが、気合が入っている。
音がビシッと締まっている。
尚且つ楽しい。

ところで和声の学習、楽器の扱いは、今日のアメリカ、フランスの音楽大学ジャズ科の優等生たちは優れている。
優秀すぎるのかもしれない。
contemporary派と呼ばれる高度に複雑化した彼らの音楽は冷徹、清潔、端正、確かに美しいが私にとっては魅力がない。

といいつつもこれは美しい。
主題の提示はスマートである。




https://www.youtube.com/watch?v=8xuZpDOXd_o




しかしアドリブに入るや、なにかメリハリが乏しい印象を持ってしまう。
が、このようなヌルッとした旋律を好む人は、きっと死ぬほど好きなのであろう。
元々のコード進行を随分と変化させているので、主題の趣は希薄になってしまっている。
和声は、凝ってしまうと際限がなくなってしまいがちである。
あまりに凝りすぎると、かえって薄味、無味乾燥、平板になるものである。
それが効果的であるかどうかは、演奏家のセンス次第ではある。
が、先端を走る人々の感覚と私のような古い人間とは随分と隔たりがあるのだろう。






「ニューヨークの秋」の別の演奏。
最近の若手音楽家、全員がイスラエル出身。
こちらはなかなかオーソドックス、主題を大切にしてよく歌っている。
聴衆に訴えてくる何物かを持っている。
フランス、ジャンゴ・ラインハルト・ジャズ・フェステイヴァルでの演奏。

テナーサックス、リーダーのEli Degibriが良く管を鳴らし切っている。
注目はピアノの若手、20歳くらいだろうか、女の子のようになよなよとしたGadi Lehavi、凄くうまい。
ガンガン鳴らすタイプではない。
曲想をいじりまわさない素直な解釈、繊細なarticulationが好ましい。
ディミニッシュコードばかりで埋め尽くす個性のない若手、世界中うじゃうじゃいるが、もう飽き飽きした。








さらに40年前の録音だが、物凄くうまい「ニューヨークの秋」
80歳にして今もニューヨークのクラブで活躍中、Gorge Colemanのバリっと決まった演奏。
オットーリンク マウスピース独特、鋼のようなテナーサウンドの嵐である。
昔の人のほうがうまかった、実際。




https://www.youtube.com/watch?v=VROLUnLHyqk


少し古い話であるが、Bill Evanceも晩年は随分と先端的というか、尖っていたものである。
生前のライブを私は聴いたが、どこをどう演奏しているのかさっぱりわからなかった。





これでは私のような無知無学な大衆は、離れていってしまう。



ジャズとは、米を中心としたアフリカ系の人々、殆どが奴隷として拉致された人々の子孫が西欧音楽に出会い、触発された音楽を祖とする、いわば伝承大衆芸能である。
隷属、恥辱、差別、その救いのない抑圧の中でのいわく言い難い鬱憤を昇華させたものであり、ギラギラとした因縁まみれのものであり、実にこってり濃厚な芸能なのである。
今やそんな古臭い能書きを真に受ける人は少ないであろうが、日本人が戦前にジャズに出会ったとしても、このソウルフード的伝承芸能の世界にはなかなか入りにくいものである。

西欧、アフリカ、中東の人々に能、歌舞伎ができない、と決めつけるわけにもいかないし、ジャズの引き合いに能を出すのも適切ではないとは思う。

しかし、目に見えない壁を意識せざるを得ないのがオヤジ世代の宿啊である。
若い人々は、もう関係ないのかもしれないが。

私が好きなのは昔懐かしき故本田竹廣氏の熱い演奏である。
峰厚介氏のテナーも豪快である。
豪放磊落でいながら、キッチリとタンギングは緻密である。
最初の十秒間、何の曲かわからなかったが「朝日のごとくさわやかに」である。
2種類、いや3つだろうか、モード奏法、パツイチでガンガン、この時代らしい。
粘っこい汗をほとばしらせながら、熱い。
が今の若い人には暑苦しいのであろう。






ここまで熱くならないでも、こんなファンキー、グルーヴな演奏が好ましく思えてしまう。

なにせ歴史に名を残す大名人たち、百分の一の力、余裕ありまくりであるが。
鼻歌気分であろうが、まるで剃刀のような音のキレである。

国家の罠  佐藤優






著者は現在高名というか、最も人気のある評論家である。
ご本人は作家と称しているしwikiにもそう記述されている。

私も一フアンなのである。
ただし出る杭は打たれるかどうかは定かではないが、氏への批判も夥しい。
無知蒙昧な私には、氏の宗教哲学や論理学をはじめとする博覧強記、まことに羨望を禁じ得ない。
しかし、あまりに明快というか八面六臂に展開する記述の流れに心地よさを感じる反面、ふと不安も覚えるのである。

私が関心があるのは、氏の著作の中でもロシア、或いは中東に関する廉価な書物だけである。
キリスト教学に関する文庫本は読むことは読んだが、ほとんど記憶に残っていない。
ただ筆の運びが優れているため、ついアマゾンで興味を引く内容を探すのであるが、結構中古でも値が張るのである。

私が取り上げたいのは、氏の代表作、というよりもデビュー作「国家の罠」である。
これは氏の個人的体験を赤裸々にというか、あくまで正当化、無実の表明として記されているから、難解な教義思念は殆どが排除されている。

2002年の事件である。
私はメデイアからの一方的報道からしか氏を知らなかったし、メデイアに導かれるまま外務省のラスプーチンという、凄まじいバイアスのかかった見方をしていたものであった。

ただ意を新たにしたのは、氏が511日という長い拘留期間をものともせず、容疑を頑強に否認し続けたことである。
また鉦太鼓をうち鳴らした地検特捜部が、90万円という背任としてはなんとも細々とした容疑しかあぶり出せなかった。
氏には一円も渡ってはいない。
或いは偽計業務妨害にしても、こじつけ的苦しい起訴内容に帰着してしまったことに、私は一庶民として検察に不信を禁じ得なかった。
そして判決文のもつ、何とも曰く言い難い歯切れの悪さである。
疑わしきは罰せず、とは今の世では時と場合によっては死語であり、法曹会とは無縁の素人の迷信に過ぎないのである。

氏の著作であるからして、自らには非がないことを主張してやまないことは当然ではある。
しかし体験したものでしか記述しえない、というか想像力を駆使してもたどり着けないような記述の数々である。

それは拘置所という、一市民にとっては非日常世界の記述だけではない。
外務省職員、ロシア大使館三等書記官、或いは帰日してからの外務省国際情報局分析第一課主任分析官、という庶民にとっては別世界での体験は大変興味深い。
外務省内の魑魅魍魎の世界というのも摩訶不思議な世界ではあるが、これはかねがね耳にしていたお役所世界の典型であるから、あまり意外感は抱かされなかった。

ノンキャリアであった氏が、いかに情熱のまま、おそらくそれは42才の氏が知的興味に身を任せたまま突っ走ったのか。
そしてその結果とは、氏にとって人生における大挫折、転換点となったわけであるが。
氏を駆り立てたものとは知的興味だけではなかったのではなかろうか。
単純無垢な愛国心でもない。
氏は意識していなかったかもしれない、或いはそう装っているだけなのかもしれないが、ノンキャリア、若輩の身のまま鈴木宗男元衆議院議員と日露外交交渉、それも北方領土返還交渉の先頭を突っ走ってしまった。
無我夢中、陶酔しきってしまったのかもしれない。
氏を酩酊させたものとは、権力という庶民には窺い知れない魔界の力なのである。
ここに陶酔しきったこと、そのことこそが氏の有能な官僚としての人生を終結させてしまった最大の原因であった。
いわば最前線で突進しすぎ、後方部隊との補給線が立たれてしまった、そのような状況であった。

直接的な氏の記述はないものの、あちこちで仄めかされている。

彼ら二人を葬り去ったのは、小泉元首相、或いは清和会である、私はそう思った。
田中真紀子元外相は単なるピエロ、アイコン、添え物に過ぎない。

更にはその飼い主たるアメリカ政府、こちらも平和条約締結に向けて驀進する佐藤鈴木両氏による日露交渉を不快としていたはずである。
日本の北の脅威が霧散してしまえば、アメリカの日本に対する影響力は軽減されてしまう。

佐藤、鈴木氏逮捕と時を同じくして小泉政権の平壌訪問が大々的に挙行され、大いに人気を博したが、裏にはこのような動きがあったのである。
大きな外交イベントが二つ重なっては、国民の人気取りを狙う政治家にとって不都合極まりないではないか、おのれの功が色あせてしまう。

まんまと後ろから足をすくわれたのである。
老練な政治家、外交官はそこまで織り込まねばならない、生き残るためには。
見えない後ろにこそ、刺客は息をひそめて機会をうかがっている。

時同じくして、氏の指摘のごとく鈴木宗男的ケインズ的資本主義は否定されつくした。
そして小泉構造改革を錦の御旗としたアメリカ型市場至上主義経済への大転換が、日本ではいつの間にか国是となってしまったのである。
愚かな私もその当時は何も気づかなかった。

しかし10年以上の年月を経た今、彼らの突っ走った軌跡はそれなりに世間様から評価されているのであり、氏も本望であろう。

つい先年もプーチン大統領が来日した。
佐藤、鈴木両氏がテレビに顔を出すことが多くなり、国民は期待を抱いたものであった。
結果があまり華々しいものではなかった、ということになっているようである。
が、これは単なる通過点であり、この先にまだ外交交渉という根競べの物語が横たわっているのであろう。
物語を形作っていく登場人物達は、やがて一人また一人と儚く消え去っていくのであるが。
庶民には窺い知れないものである。

さて、この著作から一庶民、一勤務医の私が学んだ点とは以下のごとく安易、卑俗なものである。
すなわち医師とはけして目立ってはいけない、出過ぎてはいけないということである。
教師、公務員と並んで最も攻撃されやすい職種である。
名医として世間の評判をとる、更にはメデイアに自ら進んで露出するなどは、まことに危険極まりない自殺行為である。
幸いにしてそのような危惧、懸念の必要性は私の場合全く見当たらないが。

しかし世間から犯罪が減少しつつある昨今、警察、検察の食指は医師に向けられていることは現実である。
最近メデイアが力を入れている医師による強姦事件、違法薬物等は罰せられて当然である。
しかし治療の失敗、或いは意に沿わない結果をもってして業務上過失致死を警察検察が濫用し始めている懸念を、現場の医師は感じているのである。
裁判官は、司法の独立性よりも世の流れ、名誉、出世、保身に最も意を注ぐ。

医師は臆病になり、保身、逃げの医療に専念する。
現に私がそうである。
その大きな弊害、付けは回りまわって世間に達するのであるが。
面倒な患者、疾患はよそに回せ、である。
現にそういう病院、そういうところに限って公的ブランド病院なのであるが、増えているのである。
断り続け空床ばかりになっても、理事長、銀行は別であるが、下っ端勤務医は気にもしないのである。


全て真夜中の恋人たち  川上未映子





この作家については全く存じ上げなかった。
なんとなく手に取ったわけでもない。

手に取った動機は、たわいもないものである。
何か最近の小説を読みたくなったのであるが、私には全くなじみのない作家ばかり、単に私が疎いだけなのであるが。
たまたまラカン派の旗手、かの小笠原晋也氏のブログを読んでいるうちにこの作家の名を目にした。
別に秀作であるとか、なにか斬新な切り口があるとかの話ではなかったと思う。
作家が書いた新聞コラムを読んで、小笠原氏が言及した、今記憶しているのはそれが全てである。
そもそも小笠原氏自身も、作家の作品を読んだこともないのである。
手がかりは何でもよい、まずはアマゾンを覗いてみようか、とみると実に多作である。

最近の作品で廉価なもの、となるとこの作品であった。

なかなか趣深い作品である。
主題とは、東京という大都会における女性の孤独である。
そこに恋愛であったり、女性の自立、或いは他者の関係性等々、読者が各々勝手に主題を見出せばよいのである。
私は、東京で生活したことがないので実感できないのであるが、あの無機質で茫漠とした地域で、正気を保ったまま生活をしていくことは大変だと思うのである。

そのためかどうかは分からないが、皆は、孤独というよりも孤立を選択する。
いや選択ではなく、孤立へといつの間にか追い込まれるのである。
そこではできる限り他者との関係性を断ち、シンプルに生きていく、それがこの混雑し込み入った世界ではもめ事に巻き込まれ、傷つく、それらを回避する最良の処方箋である。
かのごとく、東京とはその地の住人に執拗に繰り返し刷り込むのである。

主人公は、34歳女性、所謂ワーキングプア―である。
年収300万円強、フリーの校正者、社会保証は何もない。
将来、なにか実のある成果を結ばせうる、その可能性も殆どない。
東京で生きていくために機械のごとく働く、ただそれだけである。
会社という煩わしい人間関係を回避するために、主人公は深く考えもせずフリーの道をあえて選択する。
かくのごとく、今の世の平凡といえば平凡極まる人物でもある。

文体として特徴的なのは、夥しい会話である。
会話といっても相手がいての2人称、これが煩わしいほどに夥しい。
或いは主人公の主観を通した間接的な2人称、更には主人公の独白、である。
独白であっても、誰か、つまり読者に語り掛けてくるのであるが。

この女性同士の会話、その綿密な記述は実に息苦しく、興味深くはあるが果てしなく凡庸であり、他に変容しえない硬直した言述である。
まさに、スターバックスの隣の席の女性たちの会話である。
ただ、主人公は殆ど持論を述べない。
相手に喋らせるだけ喋り、曖昧に答える。

喋らされた相手は、己の貧困さを露呈しつつ、その場ではそこそこの満足、ある種の癒しを得るのである。
たいそう安直にであるが。
この安直さが大切というか、この刹那の癒し、その語りを反復させていく保証書となる。

相手をさせられる主人公は、友人と見做され、何がしかの実利を与えられる。
そして己の空虚さを感じつつも何をするわけでもない。
空虚さを充填するのに手近なものとは、アルコールである。

そのような主人公が、何かの変調、つまり閉塞した世界を破れるのでは、と期待したのだろう、カルチャースクールに向かうのである。
そこで二回り年長の男性と知り合う。

その男性とは、何かとりたてて主題を定めるわけではない。
物理学における光の話が多いようであるが、とりとめもなく語り合う。
ただ語り合うのである。
相手の発言に相槌を売ったり、関心を示す。
語り合うことで、彼女の内面はようやく発酵し始めるのである。

というとなにやらタルムード、禅の語り、とも思えるのであるが。
ただどちらが師と弟子であるかは定かではない。

精神分析の語りとも異なるであろう。
転移を意識する、或いは取り上げるわけでもない。
読者が転移関係ととれば、それもありかもしれない。

ただ二者の間での関係性が構築され、その言述は様々な変遷、変移の可能性を示唆するのである。
その二者の間には、暗黙のルールがある。
毎週の水曜日、場所は喫茶店、というだけであるが。
暗黙のルールとは、その場にいるが見えない他者、三人目の人物でもある。

主人公の内面の動きが活発になるにつれて、独白は豊穣となっていく。

深海をうごめく魚群の動きのように最初は密やかにである。やがて波打つ水面のきらめきとなり、光は集簇し炎のように燃えたつのであり、けして静謐なものではなく、黒煙の彼方からの悲鳴の叫び、哄笑、爆発音であり、混沌とした破壊的なもので充溢し溢れ、噴きこぼれていく。

この女性ならではの、というと性的偏見になってしまうが、独特のうねりを持つ濃密な文章がたいそうセクシーであり、魅惑的である。
これがこの魅力的な作品の全てではなかろうか。
てんこ盛りの女性たちの饒舌な語りとは、単なる脇役、添え物でしかない。

その混沌としたものに突き動かされつつ、主人公は対話の片割れを喪失するのである。
それは宿命でもあるが。
この激しい独白、炎こそがカプセルホテルのような小市民世界を解放してくれる、おのが存在を天空の中に位置づけ杭を打ち込んでくれる、がごときカタルシスをもたらしてくれる。
この火炎がどこに向かっていくのかは、読者が各々の羅津儀をもって考えるしかないが。

と、何時ものように1円でゲットした書籍からの、私なりのささやかな感想である。

ところで何故最近の小説が読みたくなってきたのだろう、私自身の謎ではある。

多分、閉塞感を人並みに感じているからであろう。

留学  遠藤周作

留学 (新潮文庫)
遠藤 周作
新潮社
1968-09-27






遠藤周作の作品では、あまりというか普段話題になることが少ない作品ではないかと思う。
つまりあまり売れなかった本ではないだろうか。
なんでも氏の代表作「沈黙」が映画化されたとかで、テレビで目にすることが俄かに多くなった。
しかし私がこの作品を読むきっかけはその絡みではない。

17世紀、日本からローマに渡った司祭、トマス荒木について知りたかったからなのである。
遠藤周作の「銃と十字架」で、トマス荒木は登場する。
が、謎だらけの人物である。
例によってデフレ日本の美点なり、アマゾンにて古本1円でゲット。
かなりくたびれた本ではあるが内容にはふさわしい。

ところで肩透かしというか、トマス荒木についての記述はあることはあるのだが、短い。
本全体が3篇の短編中編からなる、意地悪な見方をすれば寄せ集め集である。
トマス荒木は2編目の「留学生」で触れられる。
しかし内容は薄い。

さてこのトマス荒木に絡む日欧の交流史、その闇は奥深く、歴史教科書では記述されていない不都合な真実が隠蔽されているのである。
ここでその巨大な迷路には触れ得ないが、果敢に取り組んだ詳細なサイト、文献がある。

さて「留学」であるが
第1章「ルーアンの夏」
舞台がルーアン、40ページほどの短編。
 
第2章「留学生」
舞台は長崎、マカオ、ローマ、いや特定の都市は定まってはいない。10数頁の短編
 
第3章「爾、もまた」
舞台は主にパリ、そして南仏サド侯爵の城跡La coste、リオンである。
250頁の中編であるが、量、質ともにこの本の中核をなしている。

1950年代初頭、日本は終戦後の焦土から急速に立ち直り始めていたが、サンフランシスコ平和条約の発効以前である。
各国の大使館も再開する以前のお話である。
フランスも第2次大戦の戦禍から立ち直りつつあったが、ベトナム、アルジェリアの独立戦争の開始直前であったし、世界中の植民地を失いつつあるさ中でもあった。

そのような渦中でパリに留学、今の世から想像する以上に艱難辛苦のてんこ盛りだったに違いない。
実際に作者は、宗教組織であるカトリック教会の後援で日本からフランスに留学生として渡る。
政府や学術団体ではなく、カトリック教徒である作者が、その信者組織の寄進、後押しでフランスに向かう。
「現代カトリック文学の研究」という留学テーマで船に乗ってかの地に渡るのである。
まるで400年前の天正遣欧使節団のようではないか。

しかしこの留学生、かっての少年たちほど熱烈、清新な精神の持ち主ではなかったようである。
次々と湧き上がる不安、何とも言い難い居心地の悪さ、ついには西欧世界全体に対する憎悪とも呼べるようなどす黒い思いさえ抱き始める。

いかにもである。
居心地の良いはずはない。
今日においてもフランスのみならず、日本人にとっての西欧とは、いまだに抜き差しならない、跳躍しえない裂孔の彼方に臨める他者である。
終戦間もない頃の日本、金も政治力も失ってしまった日本人にとって、カトリックというのは数少ないかの地へのパスポートだったのかもしれない。

さて第3章「爾、もまた」の主人公、もう都内大学の講師というご身分である。
留守中の教室のことも気になる、といっても自分の保身、立身出世ということであるが。
ついでに留守中の家族のことも気になる。
彼は父親になったばかりでもある。

フランスで取り組むのは、まさにカトリックの本質を追及した文学者、Donatien Alphonse Francois Sadeである、というのはなかなか巧みな設定であろう。
1950年初頭に日本においては、サドの研究家はまだ少なく、皆一斉にスタートトラインに立った頃合いらしい。
反教会、反カトリックを叫び続けたサドこそが、カトリックを照らし出すエックス線である、そう見做されていたのかもしれない。

さてこの作品でサドについて主人公が肉薄しえたかどうかは、多分そうではないのであろう、なにか消化不足である。
それよりも、サド研究に人生をかけ続けていくフランス人研究家、同時に奇人変人でもあるが、ルビーの描写こそが趣深い。

在仏の日本人たちの群像、小説家、画家、彼らは藤田嗣二ら先人の伝統を踏まえモンパルナスのカフェ、
La Rotondeに集うのである。
彼らの孤独、不安、野心、メルトダウンしつつある自己愛、群れたがる心理、俗物ぶりが主人公の目を通して粘調に描写され、鬱陶しくも悲哀に溢れている。

幾筋かの旋律を含みながらも、この作品の根幹にある主題とは、以下のごとくである。
日本人にとっての西欧というもの、その精神であり、時間、意識、歴史でもあるが、それらの有象無象のものとしか表現のしようがない巨大で異様なもの、これに対峙し身をすくませた自分自身の姿を表現したものであると。
あくまで個人的な感想であるが。

さてこの作品を読んで、というよりも読書中に釈然としない点が私にはあった。
主人公は、日本のことをどう思っているのであろうか。
戦後5年を経て、作家の周囲に燻ぶっていた焼け跡のすえた臭いも感じられなくなってはいただろう。
全てを失った日本人、確かに国富、軍隊、インフラ、官僚権力装置を失ってしまった。
米軍の占領下である。

しかし日本の地下には、あまりに根深く目にすることができないのであるが、日本という凄まじい繁殖力を持った不気味なものが今も昔も生き続けている。
それは私たちの内臓、神経組織の中にも潜んでおり、身体の外でも、街頭、住宅、駅、どこにでも満ち満ちているではないか。
まさに不気味である。
その日本という、精神という言葉では永久に空振りしてしまう不気味なものに立ち向かうことこそが、帰国後の主人公の責務であったであろう。
それは今を生きる私にとっても、きわめて個人的な課題でもある。
おそらく永久にたどり着けない課題というよりも彼岸であろう。
そのためにこそ西欧があるにすぎない。

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アフリカのひと  ル・クレジオ

アフリカのひと―父の肖像
J.M.G. ル・クレジオ
集英社
2006-03







アフリカの人 ル・クレジオ著  菅野昭正訳 集英社  2006年刊

L’Africain J.M.G Le Clezio

正月の読書である。
肌寒いこの季節、アフリカを舞台にした作品を読むことにした。
例によってのわたくし、寡聞にしてこの作家について全く知らなかったが、2008年ノーベル賞受賞作家であるとか。
そのせいか彼の翻訳作品は実に多い。
アマゾンで例によって中古1円でゲット。
全然読まれていなかったらしくまっさらな美品である。

140ページの小品である。
しかし濃密な味わいを持っている。
アフリカの赤土、泥、湿地の澱んだ水のごとく。

ひどく散漫でもある。
人様に読ませることに気配りする、作品の流れに顧慮する、纏まりを塩梅するなどという親切な配慮は皆無ではないが、はなはだ希薄である。
小説ともエッセイとも言えない、いわば自分の幼年期、学童期へのノスタルジーの記述であるし、蜂蜜のごとくべたつく追憶、狡猾な自己欺瞞でもあり、その彼方には他者への侮蔑が巧妙に隠蔽されてもいる。
頁をめくり、行を追うごとに読者は作家の筆を通したアフリカ、或いは熱帯医学の臨床家であった父親への賛歌、はなはだ聞き苦しい歌なのであるが、付き合わされることとなる。

作家の追憶は、時間軸には沿わず右往左往するので読者は戸惑わざるをない。
が、すぐに気づくのである。
そんな作家の生い立ちなんぞを先回りして追いかけるなどは、徒労にすぎないと。

この文章の記述されたものとは、作家の学童期、幼年時代を過ごした美しきカメルーン、ナイジェリア東部の山間地への賛美ではなく、作家の揺れ動くというよりも夢のごとく流離う意識なのであり、朦朧としつつ、ナイジェリアの泥の河に流されていくクリ舟であるから、付き合うつもりで一緒に小舟に乗ってやればよいのである。

日本人にとって、アフリカ、そのエキゾチシズムは確かに官能をくすぐる。
阿片のごとく魅力的ではある。

ギニア湾を漂流するように航行する古びた客船、対岸には密林が生い茂り、8歳児が汗疹に悩ませられながらたどり着いたアフリカの中央部、ヴィクトリア周辺の植民地の光景、貴重な木材を運搬する汽船、周囲を漆黒の肌をしたアフリカ人が漕ぐ小舟が緩やかに行きかい、大河はやがて泥水の流れとなり、各々独自の伝統文化、伝統を数百年維持し続けている小部族の生活圏へと入っていく。
一家が居住する「箱」と呼ばれた現地の木造の宿舎、診療所、そこで繰り広げられる極彩色の絵巻。
強烈な日光と激しい雨、うららかな日々、嵐、憑依されたごとくのたうつ強風、際限なく繁茂し巨大化する樹木、夥しく飛び交う小鳥、狩猟する鷲、地上を這う色とりどりの蠍で遊ぶ子供たち、油断すると瞬時に皮膚から肉体に侵入し個体を食い尽くそうとする凶暴な兵隊蟻。
果てしなく続く草原地帯、放牧民、次いで険しい山岳地帯の踏破、断崖に築かれ朽ち果てた要塞、作家の追想はその果ての砂漠へとつながっていく。

一つ一つのエピソードの積み重ねというよりも、思い浮かぶままに記述されたもの、現実のアフリカそのものではなく、作家の主観、感情、センチメンタルな回顧であると共に、特権的な西欧人としての免罪を留保しつつの作家自身の西欧への侮蔑であり、嫌悪でもあることに読者はやがて気づかされる。
作家の父、彼はセーシェル諸島出身であり英国で医学教育を受けた医師である。
父への思い、というよりも作家の記憶の中にある男、意固地なDV親父であり、同時に英国植民地経営の一環と知りつつも、現地での医療に尽力し疲弊しつつ、何よりもそれを誇りとするあまり西欧を嫌悪し、侮蔑が結晶化した植民地医師の姿、たいそう奇態である、が浮かび上がってくる。

確かにおのれの意識の儘に筆を進め、記述していくという手法であり、今様にカッコいい、であろう。
読者は戸惑いつつも、いつしかその自由連想を装った記述の流れに酩酊していくことに感興を見出し、翻弄されつつ耽溺していく。

しかし、なにがしかの違和感が、靴の中の小石の如く常に読者を醒めさせることも確かである。
濃密な油彩画の中に、作家彼自身の手におえない何物か、不気味で名づけがたい、が確かにある。
それを幼年時代のアフリカ体験という鮮やかな絵巻で投影させていくことに、息苦しさを読者は終盤感じ取らざるを得ないし、共有するにはあまりに作家は饒舌過ぎたのである。
その作家の意識とは、確かにパリコレのモデルが纏うオートクチュールのように美しくお洒落であり、グロテスクでもある。
日本人である私には、たいそうエキゾチックであり、魅力的である。
しかし鍋の底で突き当たってくるような、収まりの悪いものがある。

それは植民地であり、戦争であり、西欧のいまだに続く他の世界への優越感であり、同時に作家が免罪を希求するその重苦しさとも重なってくる。
免罪符を得るには、あまりに西欧は他者を踏みつけにしてきたし、踏みつけている足の重さは基本的には今も変わってはいない。
ではお前たち日本人はどうなのだ、という声も私にも聞こえないではないが、そういう言述は頭の悪い私にとってあまりに難解であり、もっと学識深く賢明な人たちにやってほしい。













円の支配者

円の支配者 - 誰が日本経済を崩壊させたのか
リチャード A ヴェルナー
草思社
2001-05-08





2001年発売、もう古くなってしまった書籍である。
著者は日銀の研究員として日本に滞在経験のあるドイツ人経済学者。
しかしショッキングな内容である。
読後暗澹たる思いを抱かさせられる。
つまり誰しもがこの著作の指摘を重大なことだと認識、評価はしていている。
しかしいまだに内容に対する考察、批判、反対がほとんど出てこない。
ほぼ黙殺されている。
不可思議である。
「たんにあんたが知らなかっただけで、みな知っているよ」
といわれれば確かにそうかもしれない。
それはそれで慄然とせざるを得ない。

確かにこの著書、論文とは到底言えない。
トンデモ本、陰謀本という人もいることだろう、きっと。
現在の日銀幹部は黙殺するであろう。
かなりの文献資料、新聞から学術書、或いは日銀、旧大蔵省幹部へのインタヴュー、多彩な素材が下敷きになってはいる。
私の如き無知な輩にはなかなか理解しづらい経済学、社会学としての記述もある。
全体としては細かなデーターの分析に裏付けられた論文ではなく、日銀研究員として日本滞在間に考察した著者の思索を記述したエッセイともいえる。


さてこの著作の副題でもあり、最も著者が力を入れた論点は以下のごとくである。


‘本にとって、1986年から5年間続いたバブル経済、そしてその後の失われた10年、いや20年とは何だったのであろうか。

著者は声高に断定はしないが。

あの5年間とは、日銀のプリンスたちが緻密に計算した経済計画であったし、その後の日本経済の低迷も、その計画に含まれたいわば必須条件であった。
さらに言えばバブル経済そのものは眼目ではなく、バブルの破裂、その後の長い低迷こそが彼らの狙いであったし、一部を除いてその計画はほぼ達成できた。


日銀プリンスたちの動機とは以下のようなものである。
日本の経済構造は、戦前1930年以前は欧米と同様な自由主義資本主義経済であった。
企業買収は活発、終身雇用などなかった。
しかし軍国主義にならざるを得ない事情から、戦時経済体制、国家総動員法発令となった。

戦後の日本経済は、アメリカの主導で自由な資本主義経済社会になったはずである、少なくともアメリカはそう思っていた。

しかし実際にはそうならなかった。
戦時経済システムがゾンビのごとく生き残り、企業、社会構造の深い部分まで浸透しつくしていた。
戦時経済システムとは、戦後の復興に非常に効果的であった。
あっという間に日本は高度成長経済の波に乗り、世界経済の牽引役となった。
それはモノづくり、輸出型経済である。
優れた日本製工業製品は、欧米のそれを凌駕、駆逐するまでにそれほどの時間は要しなかった。
戦時型経済とは利潤追求を第一義とするのではなく、市場の占有率を最重視する。
ライバルを打ち負かすまで飽くことなく製品の洗練化、低廉化、効率化が果てしなく追及される。
大企業は、メインの銀行の主導のもとに多くの下請け会社を束ねグループ会社化、互いに持ち株会社化する。
各々が極めて閉鎖的企業体質である。
外部からの企業買収は困難を極める。
その中で社員は各々の技量を切磋琢磨し続け、終身雇用、年功序列がルールとして定着する。
社員は企業を第一義とし、家庭は殆ど顧みない。
いや企業こそが家庭である、とみなされ己を企業戦士とみなしてしまう。
企業とは経営者と従業員のために存在するのであり、株主は副次的存在、末席の存在である。
株主への配当金はアメリカに比較して甚だ低い。
得た利益の大半は設備投資、製品の開発研究に惜しみなく費やされる。


F本を戦後復興から立ち上げると同時に、冷戦下でのソ連の影響を被らないためにも、日本独自の戦時経済体制をアメリカは黙認してきた。
しかし冷戦は1991年ソ連の崩壊と同時に終了した。
さらにこのまま日本の経済活動、特に輸出産業を野放しに出来なくなった。
アメリカの自動車産業の代表されるモノ作りは、ほぼ空洞化してしまった。


ぅ▲瓮螢は日本の構造改革が必須であると考えるようになった。
日本の自民党政権、政府官僚自体は概ねアメリカに従順ではあるが、迅速に従うとは限らない。
むしろこれまで何度も失望させられてきた。

テ本の「構造改革」に必要なのは、日本の中央銀行、日銀の完全なる独立である。
円は基軸通貨であるアメリカドルを見習わなければならない。
日銀の独立とは、政府、大蔵省からさえも手の及ばない孤高の存在であることを意味し、唯一無二の存在となることである。

ζ銀を指導、支配するのは日銀生え抜きの社員であり、日銀プリンスに相当する。
けして大蔵省官僚ではない。
たとえ日銀総裁が旧大蔵省、財務省出身の時期であっても、実務はあくまでも日銀出身者が掌握する。
その場合は副総裁、或いは営業部長が実権を掌握する。
いくつかの重要会議が日銀内会議室にて密かに非公開、定期的に行われ、選ばれた者だけが参加する。
それは「月曜会」というような、まるで私的会合のような名称であるが、実際には日銀内の最高意思決定機関である。
そこで日本経済の重要事項が決定される。
が、大蔵省出身の総裁がその場に呼ばれることは、まずない。
総裁でさえ参加できない。
通常プリンス出身でない総裁は、かなり遅れて部下から決定事項を知らされる。
また会議内容が外部に報道されることは、漏れない限りない。

日銀プリンスとは、入行した後数年を経て、同期の中から特に優れた人材がいわば指名される。
プリンスの地位に実際につく数十年前からすでに決定している。
彼らは例外なく、アメリカの銀行政策、通貨発行等についてアメリカ国内での業務経験が豊富、或いは通暁していなければならない。
有名だったのは佐々木総裁、前川副総裁、三重野総裁、そしてバブルの主導者福井総裁である。
彼らは福井総裁以外はいずれも東大法学部出身、三重野氏を除いては海外勤務経験がある。
中でも三重野氏は絶大な権力を行使した。


これらの指摘がこの著作の骨格となっている。
つまり日本が経験したバブル景気とは、日銀プリンスが周到に仕掛けた経済的自爆であり、その後の凄まじいデフレ不景気も彼らのもくろみ通りであった。

1985年プラザ合意当時、日本は未曽有の円高不況に直面し、これが日銀の計画発動の狼煙となった。
同時期に出た日銀からの前川レポートにおいて、日本経済の「構造改革」が述べられている。
日本の輸出主体型から内需主体、関税、非関税障壁の撤廃等、開かれた市場経済への移行が日本政府ではなく、日銀の名によって提唱、主導された。

このことの実現のために、彼らは大幅な金融緩和を行った。
「窓口指導」と呼ばれる日本独自の手法である。

日銀の営業部長が、都市銀行、地方銀行と序列に準じて順次各銀行の貸出担当重役を呼び出し、貸付拡大を執拗に厳しく「指導」するのである。
何度も何度も繰り返し行われた。

指導というよりも強制、ありていに言えば恫喝である。
指導を守らなければ次回からの当該銀行への日銀からの貸付枠は大きく削減されてしまう。
これは銀行にとっては市場を失う、ライバル行から後れを取ることを意味する。
窓口指導によってマネタリーサプライは、かってないほどに拡大し、名目GDPを超える伸びとなった。
市中の円はジャブジャブである。
日本の場合、投資先が見つからず円が飛びついたのは土地、不動産であった。
日本国内に飽き足らず、海外不動産まで円の触手は伸びた。
かくしてあの華やかなバブル時代となったわけである。


そして5年後、「もうよかろう」という判断が日銀に生まれた。

そしてエリート中のエリート大蔵省は、摂待がらみのスキャンダルを機に権力の座から転がり落ちてしまった。
激しいマスコミの攻撃が大蔵省に対して連日行われた。
大蔵省は財務省と名を変えられたのみならず、金融庁という銀行監視機関を支配下からもぎ取られた。
小泉竹中コンビに指揮された金融庁は、不良債権処理を口実に市中銀行を締め上げ、阿鼻叫喚の中どんどん潰していった。
日銀プリンスの筋書き通りではあった。
大量の不良債権処理、日本はこの過程を通じて大量の国富を失ってしまった。
それを外資ファンドが吸い上げつくしたことは記憶に新しい。
それでも日本の「構造改革」を彼らはなさねばならなかったのである。
日銀法の改正と共に日銀への影響力も旧大蔵省は失い、彼らよりも日銀は実質的には上位に君臨することとなった。


かくして日銀は、日本経済の実質的支配者となった。
彼らは、お金の蛇口を手のひらを反すが如く1991年、突然ぴったり閉じたのであった。

日本と同様の出来事はアジア、インドネシア、タイ、韓国でも起こった。
INFの介入が行われ、経済主導権を各国政府は失った。
換言すれば各国の政府ではなく、中央銀行が主導する自由主義経済、更にアメリカFRB或いはFOMCの意のままの国際経済システムの構築がアジアでは完成した。
例外はマハティール首相の抵抗が強かったマレーシアだけである。


ただ日銀プリンスの思惑と食い違うこともあった。
これほどにもデフレが長引くとは、さすがの彼らにとっても見込み違いであった。

https://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2016/ko160908a.htm/
「私が日本銀行に入ってから38年になります。この間、わが国をとりまく経済金融環境は激変しました。これに伴い、中央銀行の政策課題も大きく変わってきました。伝統的にインフレ・ファイターとして認識していた中央銀行で、デフレ克服にこれほど苦闘することになるとは新人時代には想像していませんでした。 」

ここでは素直に後悔、愚痴が吐露されている。
場所は皮肉にも在日米商工会議所講演会である。
語っているのは日銀副総裁中曽弘氏、現在の日銀プリンスの一人である。
なお現黒田日銀総裁は日銀出身ではない。

今や日本は、アメリカ型自由経済主義、市場開放、TPP参加、「構造改革」を経て、あっという間に日銀の思惑通りに動いてきたわけであるが。

ところで海の向こう側では、少し様子がおかしいではないか。
アメリカは自国の保護貿易を目指し、TPP不参加のようであるが。






優雅なハリネズミ

優雅なハリネズミ  L'elegance du herisson 
 ミュリエル・バルベリ著 川村真紀子訳 早川書房


優雅なハリネズミ
ミュリエル・バルベリ
早川書房
2008-10-09






女性というものは厄介なものである。
厄介というよりも理解しづらいものである。
ここでいう「女性」というのは生物学的女性ではなく、人々が「女というものはかくかくしかじか」と措定したものといったほうがよいかもしれない。
何ものでもない、何者かとしか言いようのないもの、である。

生物学的に男性であり、本人も男性と思っている人においても、「かくかくしかじか」では女性の範疇に入れるべき欲望を抱いているものである。
この作品は、この厄介な「女性」ばかり登場してくる。

勿論引き立て役として「男性」も登場はするが、あくまで引き立て役、添え物としてである。

この厄介な人々の延々と連なる独白が描き出そうとするのは、花のパリ、なかでもお金持ちたちが群生する6区のアパルトモン、そこからせいぜい500m以内の小宇宙である。
花のパリ、見方を変えれば環状線道路によって閉ざされた空間、城塞である。
或いは終身徒刑囚たちを閉じ込める牢獄、といったほうが妥当かもしれない。
その牢獄内では獄舎ごとに、国会議員からホームレスまで、厳然たるヒエラルキーがあるそうである。

(ところでアパート管理人、日本でいえばマンション管理人とは、かの国ではずいぶんと卑下されがちな職であるとか。そのことは作中にて執拗にほのめかされる。日本の社会ではなじみにくいものである。
つまり露骨な職業差別表現ということである。
差別的といえば、作中タイ人の幼児に対する憐憫に名を借りた差別感情、作家の上から目線が露わな箇所がある。ご近所、同じアジア人としては慄然とさせられる。)

その牢獄の中で肥大しきった自己愛の咬み付き合いが日々繰り返され、毎日が流血の大惨事なのであるからして、住民は何時しか疲弊しつくすわけでもある。
飽くことなくいがみ合い、ののしり合いを繰り返す家族、隣人に対して冷ややかな視線を投げかけつつ「あたしは、そんな下品な人間じゃないんだよ」と防御の為にハリネズミ化した人物が2名、一人は50代、もう一人は10代前半の女性である。
いわば知的スノッブであり、孤高の保持こそが自らの拠り所であり、他者には正体を悟られないように無害を装いつつ防御する、という入念な作業を日々繰り返すわけである。
ところが、この作業は随分と疲れ疲弊するものである。

自らの内的世界、宇宙とするものは実際には脆弱であり、それは仕方ないとしても他者を排斥してのみ成立すると仮定した仮想空間であるから、何時しか堂々巡り、ステレオタイプ化し黴臭く陳腐なものとならざるを得ない。
いわば排除を繰り返すのみの運動体と化すのである。
それは「自分」という肥大化しきった自我を描出してくれる、と彼女たちが期待したものなのであるが。

それを読書、他者の知的言説という食糧、エネルギーにて充足する、その活動はその瞬間においては完結したかのごとく思えるのであるが、何かが欠如したままなのである。
また疲弊しやすい孤独な作業であるからして、遠くまでには及べない。
中年の彼女がフッサールに到達したのちに、ハイデッガー、サルトルに至る現象学的記号、意識、概念、存在論。
それらを網羅し、かみ砕いた知恵のおすそ分けを賜れるのでは、という読者の期待はあっさりと裏切られる。

かくのごとく、いわば知的ヒステリー者の独白を読者は読まされるのであるから、半ばまで行かずともかなりのウンザリ感は禁じ得ない。

その閉塞感、閉じ切った円環を解きほぐすツールが新たな来訪者、日本人男性オヅ、あの小津安二郎の遠縁、である。
彼は特別気の利いたことを語るわけでもなく、ただ静かにたたずみ、彼女たちの話に耳を傾ける。
あくまで人畜無害な存在である。
そして彼は異なる世界からやってきたガイジンさんであり、何時の日にかこの地を去るべき運命を背負った人物、あくまでそうでなければならない。
彼女たちはオヅと触れ合うことによって、いわば閉ざし続けてきた心、閉鎖された円環、無限の周回運動を開放する、かのごとく物語は展開していく。
いわばオヅ、という男性を霊媒師、いや触媒として彼女たちは新たな知を授かる、或いはこの物語のエピソードのごとく雌カマキリとして受精を受け、豊穣かつ新鮮な生命の誕生を期待する。
オヅにはオスカマキリのごとく儚く消えてもらうのであるが。

この作品の結末、このいわば受精が首尾よく行くかと思ったときに、知的ヒステリー者に死という絶対的去勢者が現出してしまうのは、当然の帰結であり物語としてはそうでしかありえないのである。
つまりこのパリという知的放蕩者たちが死を賭し戦い合う円形闘技場は、彼女たちに不吉なものを贈呈すべく手ぐすね引いて待ち構えているからこそ、私を含めた人々を魅了できるのである。
底なしの虚無と幻滅こそが、幾世代を経たパリの人々がたどり着くべき彼岸である。

しかしその虚無の沼に沈んでこそ、健全、柔和、他者に寛容、イスラム教徒だからといってヒステリーを起こすようなことのない、良きパリ市民たり得るのであるが。

原題の優雅なハリネズミ、或いはハリネズミにおける優雅さ、とはかくのごとく悲劇的でもあり、執念深くも絶え間なくエンドレスの歓喜を求める、甚だ貪欲なものでもある。

ちなみに作家はこの作品の執筆後、京都に一年間滞在してしまったとか。
なにか黒々、不吉な雲行を連想してしまうのであるが、私の杞憂であってほしい。
きっと至福の感動を味わってご帰国なさった、とは思うのであるが。

IMGP5991



フランス組曲

フランス組曲
イレーヌ ネミロフスキー
白水社
2012-10-25








フランス組曲  イレーヌ・ネミロフスキー(Irene Nemirovsky) 作 野崎 歓 平岡敦訳 白水社


日本語訳は2012年であるが、本作品が書き記されたのは1942年7月以前のことである。
著者の没後60年たっての刊行である。
この作家は、生前よりフランス語圏では著名な小説家であった。 
ウクライナで出生、当時この地域ではユダヤ人迫害、ポグロムの嵐が吹き荒れており、ネミロフスキー一家はフィンランド、更にはフランスへと10代で亡命、ソルボンヌ大を卒業した。
彼女は学童期からロシア語、フランス語に堪能であった。
この作品の悲劇性を高めてしまったのは、原稿が彼女のトランクの中から、いわば遺品として見出されたことである。

ナチスドイツのジェノサイドから逃れ得た作家の娘が父、つまり作家の夫から託されたものであった。
娘は当初日記ではないかと思ったそうであるが、実際には小説の原稿であった。
残されていた原稿も膨大なものであったが、作家の構想ではさらにこの数倍の長さにわたる大長編小説として計画されていたのである。この作品は、いわば未完成の組曲である。
作家はボーランド国内、おそらくアウシュビッツで1942年命を落としている。
39年の短い人生であった。

第一部:六月の嵐

第二部:ドルチェ

第三部:捕囚

第四部:戦闘

第五部:平和

という構成になる予定であったことが、制作ノートから伺われる。
私たちが後世の読者として楽しむことができるのは第二部までなのである。
従って、読み進めるうちに何かちぐはぐではあれど、どこかで交錯しあいそうな無数の人々の描写に引き付けられつつも、戸惑いのまま本の外の世界へといきなり放り出されてしまう。
執筆当時、既に安住の地と思っていたフランスはナチス・ドイツに占領され、当初は穏やかだった占領政策も次第に仮借なきユダヤ人狩りへと、残虐な本性を表し始めた頃であった。
いつ訪れるかわからない破滅の時を作家は想像し、恐怖しながらもきっと様々な思念を作品として結実させていったのだと思う。

第一部:六月の嵐

ドイツ軍の進出が始まったパリの未明から始まる。
1940年6月3日未明、けたたましいサイレンと共に爆発音でパリの人々は目覚める。
憂慮しつつも、なんとかなるさ、と奇妙な楽観主義者でもあったパリ市民たちは、来るものがやってきてしまった、という恐怖から雪崩を打つような恐慌状態に陥った。
主な登場人物らは、パリ市内で優雅な大ブルジュア一家、或いは慎ましい銀行員、スノッブで強烈な選良特権意識を持つ作家、そこそこ財産なり失うものを持つ者たちであった。
彼らは恐怖に駆られてパリから逃げ出す。
何故逃げ出さねばならないのかは読者には不明である。
彼ら自身も曖昧、いや不明である。
ドイツ人、ドイツ兵という恐ろしい魔王からの逃走である。
そのための自動車、馬車、荷車、自転車、或いは己の足以外は何も持たない人々、夥しい群衆はオルレアン門から南西の方向、おそらくドイツ軍がやって来ないであろうフランス南部トウ―ルーズを目指す。
紙幣、証券、宝石、それに持てるだけのありったけの家財道具、それは銀の食器からベッド、乳母車までさまざまである、それを自動車の屋根にあたうる限りのせ、延々と数十万人の人の列、今でいえば難民である、が道路を埋め尽くす。

彼らの目的地のない逃避行、今日のシリア難民と重ねることはできない。
彼らを追い立てる爆撃機も銃弾も飛び交ってはこなかったのである。
例外は鉄道であった。
諦めて結局パリのアパルトマンに戻ってしまった夫婦もいた。
久々のパリ、初夏のさわやかな日差しが彼らを待っていた。
そして最初から逃げ出すことを諦め、以前のままに日常を送る人々も夫婦を懐かし気に待っていた。

第二部:ドルチェ

ドイツ占領地帯ではあるが穏やかな田舎町。
そこにもドイツ国防軍がやってきた。
恐る恐るカーテンの端から兵士を見守る住人たち。
彼らの日常は悠久の歴史、といっても大革命後随分と様相が変わったのであるが、基本的には中世的身分制度の残滓、沈殿物に浸されたままである。
何故かは不明であるが、ドイツ軍の若い将校たちは土地の有力者たちの居館に下宿させられるのであった。
ドイツ人たちを忌避しつつも、来迎を拒絶できない村の有力者たちの心境が綴られる。
フランスの田舎町のブルジュアの家庭、それは優雅でも繊細でも、機知に富んだものでもない。
甚だしく頑迷で利己的、見栄っ張りであり、他者に対して排他的、嫉妬に満ち吝嗇である。
その自らが構築した牢獄に不平不満だらけの人々である。
不幸でないことは罪、とされる社会であり、今もそうであるが、全てのブルジョアジーとはかくあるべし、という見本のような人々が登場する。
そのなかでフランス国内では当初規律正しく金払いもよかったドイツ兵士は、若いフランス人女性から次第に好まれるようになってきた。
ハンサムなドイツ陸軍将校と、寄宿先の美しい夫人、彼女の不実な夫は捕虜収容所で長き不在、よくある主題であるが、煮え切らないまま青年は東部戦線に向かう。
おそらく彼は二度と夫人と会うことはできなかったであろうが。

実際に作家の創作ノートの中に、その予定である旨の記載がある。


1942年5月、作家の筆は突然絶えてしまう。
彼女自身、ブルゴーニュ地方の小さな村に潜んでいることが官警の知るところとなり、フランス憲兵隊によって捕捉、ポーランドの収容所に送られ二度と帰ってはこなかった。


この未完の作品を読んでの感興とはなんであろうか。
なんとも記述しにくい、ある種の郷愁であり、美しい土地への憧れであり、異文化への興味であろうか。
一気に読破させるような力強さは感じさせられなかったが、膨大な人々の行動、感情、運命、それらが交錯しながら描き出されてくる複雑、躍動的な描線、厚塗りの油彩から淡い水彩までの色彩からなる妙である。
この美点が私の如き怠惰な読者をも惹きつけるのである。
作家がその後も存命であったなら、重厚長大な長編小説となったであろうし、創作ノートには「戦争と平和」を意識した旨がある。

その作家の無念の胸中を知る由もないが、ごく一部分であるが作品としての纏まり、整合性はよくとれている。

第一部の群衆劇、確かにカオスである。
2003年のフランス映画Bon voyageはこの時の大騒動を舞台にしている。
パリから一斉逃げ出す人々、彼らを駆り立てるものが何なのかは彼ら自身もわかってはいなかったし、今の我々にもわからない。
第2次大戦後アメリカ軍が日本に進駐してきたとき、腹を切った軍人たちはいたが、民間人は不安と共に平静を保ってはいたであろう。
各々の日常世界が継続することは確信しえた、とは言えなくとも逃げ場所は海の外でしかないから、日本にとどまるしかない。
カンボジア紛争、ポルポト派が国土を制圧した時、プノンペンから政権幹部らは逃げ出したが一般住民は逃げ出さなかった、逃げ出すすべがなかった。
彼らを待ち受けていたのは同胞による凄まじい粛清と虐殺の嵐であった。

今日の戦争、紛争ではどうであろうか、ISが街に迫ってきたとき、人々は国外へと活路を見出そうとしている。
そのしわ寄せが欧州に波及し、結果としてはEUは解体の危機、英国の離脱が始まってしまった。
一つの国家という権力装置、暴力装置でもあるが、それが崩壊するとき、下々庶民はどう判断し行動するかは予測しがたいことではある。

作家はユダヤ人である。
彼ら、ユダヤ人は流浪の民であり、紀元前17世紀からパレスチナから追放された人々の子孫である、ということはもはや神話に過ぎないのであるが、いまでも建前としてはそうなのである。
その神話のおかげで、今日も紛争、流血は絶えないが。
作家自身も両親に連れられて1914年ウクライナからフランスに亡命している。
作家が11歳、ロシア革命の嵐が吹き荒れた時代であった。父は富裕な銀行家、もしも亡命していなかったならば、その後の絶え間ない戦乱、ポグロムによる虐殺、或いはホロドモールというソ連の作為による大飢饉で命を落としていたであろう。
そんな彼女であったから、反ユダヤを旗印に掲げるナチスドイツのフランス占領にはある種の覚悟があったのだと思う。
ただこの作品中にはユダヤ人、ユダヤ教的題材は一切が排されている、奇妙ではあるが。
未完の作品のどこかでは登場させえたのかもしれないが、まだ筆を及ぼす勇気がわかなかったのかもしれない。

平和な日本で安閑としている私などでは察することはあたわないことでもある。
そのような崖っぷち、緊迫した日常の中での唯一の慰撫がこの作品の執筆であったのであろう。


第二部 ドルチェとは意味深い。
切なく甘いデザート、としか思い浮かばない貧しい私であるが、この未完の作品の主部となっている。
作家にとっては、第三部捕囚、第四部戦闘、という重い主題において渾身の叙述をなすつもりであったろう、その前奏曲としての第二部であったが。
このドルチェ、初夏の朝、さわやかな微風と花の香、のごとく甘美なものとは言い難い。
むしろ晩秋の霧のごとく重苦しく陰鬱であり、ほろ苦い。
フランスの田舎町、堅苦しい地域共同体、というよりも自らを閉じ込めるがごとき古めかしい牢獄といったほうがよい。
窮屈そのものである。
大革命後も子爵、今は町長を務める旧家もすでにブルジュアジーの台頭で往時の権威は表向きだけである。
代わったブルジュアジー、地主たちもベルエポックの時代ははるか遠く、黴臭い居室の中でアルコール浸りで往時をしのぶ毎日なのであり、20世紀に入り二つの大戦で疲弊は極まりつつある。
中でも女性たちは旧来の不文律、旧家としての意地、体裁に縛られ、というよりも自縛であるが、その中で閉塞しきっている。
何かのきっかけで窒息感は不満として爆発しそうなのであるが、そのカタルシスは何十年待っても起きそうもない。
フランス第三共和政の崩壊とヴィシー傀儡政権の誕生、ドイツ軍占領地への進駐がこの町に何を起こしたのか。
例外はあっても別に大きな事件が起きはしないし、町民の生活ががらりと変わったわけでもない。
相変わらずの味気ない灰色の日課をこなし、日曜日になればカトリック教会に礼拝に赴く日々。
その中でドイツ軍将校と、まだ若さを保ったまま枯れ果てようとするフランス人女性の道ならぬ恋、それは臆病におずおずと始まり、将校の東部戦線への転属であっけなく終わる。
ジェノサイドの噂の中、密かに潜伏する作家にとっては、それは必死で握りしめてきた最後の小さな宝石、ささやかではあるが命のように煌めくものであっただろう。


単独に作品として読んでみると、突然映写を停止し明々とした照明が灯された映画館のようなあっけなさを感じさせられるが、作家の人生、時代を考えると趣深いものがある。

翻訳は美しい文章を構成している。

この作品は映画化もされているが、私はまだ未見である。









第125回精神保健指定医研修会

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冬空である。
幸い雨は降っていない。
小倉駅近くの駐車場に車を止める。
1日800円なりで往復タクシーの半額以下であるが、こういう時だけは寂れ果てた町のありがたさをしみじみ味わえる。
平日朝7時43分のこだま号に乗る。
福岡までの御通勤の方々、ずいぶん多いようであるが空席はある。
眠くなる。
うとうとしているうちに音声案内で到着を知らされる。
8時過ぎの博多駅、ずいぶんの人混みである。
通勤途中というよりも大型旅行鞄を引きずる方の方が多いような気がする。
やや遅めの朝食をとる人の列、コーヒーショップの前に並んでいる。

信号を渡り300mほど歩くとホテル日航福岡である。
人影はまばら、ひっそりとしている。
パリのパラスホテルよりも清潔で広々とした玄関ホールに飾り付けられたクリスマスツリー。
年の瀬が近いことを思い出させられた。
あてもなくぐるぐると周遊しているおもちゃの汽車が物悲しい。


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3階の会場を目指しエスカレーターを上る。
このホテルも久々であるが、内装はなかなか凝っている。
鉄板焼きのお店の前の漆細工と組合わせた屏風、休憩用の椅子、中国風の壺からあしらえた照明ランプ、机類も大量生産品であるが、控えめな気品を保持している。
騒々しい主張をしない、地方都市、小市民としての分相応を保持できることは素晴らしい。

受付のおばちゃんに薄青色の封筒を渡す。

これが写真一枚、申請書一枚のみの精神科指定医更新書類である。
5年に一度、運転免許更新と似たようなもの、いやもちょっと厳しい。
というのも受講できる機会は日本全国内にて年に数回、しかも近場つまり福岡はいつも混み合っている。
今回も定員は受け付け開始から数日で埋まったとか。
うっかり失念してしまうと、取り返しがつかない。
失効してしまう。1年以内の申請は救済されるが。
しかしそれを過ぎると最初からやり直しであるから、事実上再取得不可能である。


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30分前の会場到着であったが、すでに3分の1程度の会場の入りである。
定刻となり、おばちゃんたちに促されて入場。
前から数列目、といやな席である。
それとなく周囲を見渡す。
お隣は長崎から、後ろの先生はなんと遠路はるばる北海道から。
年配の先生方、私もいつの間にかその一人となってしまったが、まだまだハナタレである。
最後列には大先生方、車椅子の方も例年かなりの数おられる。

開会に際してエライ先生、この場合日本精神病院協会主催であるからして、日精協の副理事長先生の御成りであった。

さてダブルのスーツを着てご登壇。
さる名門精神科大病院の院長先生、日精恊の副理事長先生のお言葉に耳を傾けねばならない。

「今回の指定医89名の資格取り消し処分でございます。
誠に遺憾、残念なことでございました。
私としてはできる限り救ってあげたかったのです。
しかし調べれば調べるほど実情はひどいものだったのです。
なにしろ主治医として関わったはずの当該症例のカルテをすべて取り寄せ、詳細に点検いたしました。
ですからたいそう時間がかかりました。
そのカルテのどこを見渡しても主治医とする者の署名捺印がない、かかわった形跡を指摘することができなかったのです。
或いは指導者でございますが、この方々も症例にかかわった形跡が見当たらない。
中には指導医が過去に主治医として提出したケースレポートと同一の症例もございました。
甚だしいものに至っては、既に過去に提出されたレポートと一言一句同一のレポートさえあったのです。
これでは悪意をもって不適切なレポートを捏造したとしか言いようがございません。
今後このようなことがないように、各症例の厳密な点検はもちろんでございますが、口頭試問等の新たな条件の追加も検討中でございます。

ところでわたくし、この後公用がございますので、この場から失礼させていただきます。」

言いたいことだけを言ってこのエライ先生、風船のごとく消え去っていった。
一切の質疑応答はなかった。

指定医の取り消し処分とは、精神科医にとって事実上の死刑宣告、業界からの永久追放処分である。

各不正内容の例数、非処分者の言い分を聞きたかったのであるが、この先生あくまで厚労省の走狗でしかない。
我々、下々の末端を管理しているつもりなのであろう、自分たちで法令として定められた厳密な研修会を主宰しておきながら、公用の一言ですたこら逃げ去ってしまうのであった。

同じく厚労省精神・障害保健課、課長様もご講演と伺っていたが当日は「公用」にてドタキャン、偉い人はやっぱり違うのである。
厚労省の課長様といえば雲上人。
とはいえ医師であったら上級試験なしキャリアーの最終ポイント、終着駅である。
課長どまりで局長級にはまずなれない。
文系キャリアーの下からは邪魔者扱い、きっとナントカ財団とかへ天下るのであろう。
エライ先生ほどこのようなものである。

格下、課長補佐殿の御講演となった。
自画自賛の嵐、昔々日本の精神科医療は超長期入院の極悪医療であったが、厚労省の優秀なお役人の奮闘努力の甲斐あり、欧米先進国並みの短縮を達成しつつあるとか。

なんのことはない、長期入院の診療報酬をどんどんカットしただけなのである。
民間精神科病院としては、生き残る道として急性期病棟へと変換中なのである。

官僚たちが、安易な道、飴と鞭での成功体験、と勘違いしてしまうと悲惨、大惨事、医療難民の大量発生を引き起こすのだが。
犠牲になるのは下々庶民であって、高級官僚ではない。
彼らは分厚い福利厚生で常に防御されている。

何時もお馴染みの上智大、法律家大先生の御講演、まるで静脈麻酔薬のように強烈な眠気を催す、とてもためになるお話であった。
法をお説きになるのなら、まず自ら講演時間を守っていただきたいものである。
だらだらと長いのは迷惑である。

午後にはシンポジュウムなるおバカなセッションがある。
バカげたと私がここで揶揄するのは理由がある。
「これはあくまで上っ面だけの法律論なんですよ。
そのくだらなさを大人の事情、百も承知の上での討論であることをお察しください」
という暗黙の了解が聞かされる者に甚だ伝わりにくい運営である。
大枚2万円強を参加者から徴収しての研修会である。
あまりに下手くそではないか。

例えば、だれが見てもうまくいきっこないBPDの症例である。
旧法でいう保護者として不適切なクレーマーのおまけつきである。
こんな症例を無理やりの医療保護入院とし、隔離した挙句の自殺事故。
誰でも容易に結末は予想できる、精神科医ならば。
普通の精神科医だったら、恥ずかしくて人前では発表できない稚拙な診療内容である。
或いは、個人情報保護法に則りのフィクションなのであろうか。

臨床医学的判断こそ、法的妥当性の第一に吟味すべき焦点である。
この点は華麗にスルーしての隔離運営の妥当性の議論なんぞ、現実と遊離しきったばかばかしい空論である。
ここでの大問題の結論とは、5分間ごとにモニターを使った巡回、カルテ記載があったのでセーフ、なんだそうである。
あくまで小手先の法律論だけにしないと纏まりがつかない、荷が重い、というお考えだったのであろうか。

これらの空疎、果てしない宗教論争的法律論の結末とは以下のごとくであった。

乱暴にくくってしまうと以下のごとくとなる。
ぎりぎりの判断なくしての隔離、拘束するのは違法、民事上損害賠償を請求される。
隔離、拘束しなくて自殺、或いは転倒による外傷を起こしても違法、賠償の対象という弁護士先生の解説を承る。
不法行為とならないごくごく狭い隘路を、われわれは日常奇跡のごとく潜り抜けねばならないそうである。

今どきの潮流として確かなことがある。
それは医者が善意として、患者にとって良かれとしてなす行為、例えばミトンでの手袋、車椅子への固定ベルト、はてはつなぎの服も大半は拘束とみなす。
つまり日常の精神科医療、特に認知症を扱う病棟では、ほとんど機能不全を起こしかねない支配的観念が、現在の法的モデルとなってしまっているのである。
厚労省は、細かいこと、或いはばちかぶりそうなことには一切口を出さない、どこにも指針なんぞの証拠は残さない。
まことに賢明というか狡猾である。
裁判所、裁判官という法曹界のサラブレッドたちが下す判例が、いつの間にか医療の世界をどんどん支配し追い詰めていくのである。
彼らは善意と誠実な知力をもってして職務を粛々と遂行しているだけなのであるが。
遺憾なことに、彼らには現場に立った経験、世間というジャングルに対する洞察が欠落しているのである。

リーガルモデル、つまりアメリカ的人権最優先、それこそが先進国日本の選択なのである。
患者さんの人権はすべてを駆逐する。
その結果医療の恩恵を受けられない、たとえ死を含む不利益を患者さんが被ったとしてもそれは自己責任である。
ご本人の怠慢、無知ゆえのことであり、仕方がないことなのである。
国家は自由と権利の守護者であるからして、何らかの不利益、救済しがたい限界も同時に存在する。

ということなのだそうだ。

夕方の冬空は、暗くうつろであった。



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東京国立博物館

細かな砂が舞うような微光に包まれている階段では、人の声がこだましては消える。
常に控えめで謹厳な沈黙、或いはエロチックな愉悦が来訪者を待ち受けている。
ここは、ベランダから庭園を見下ろせるかの如く、夥しい時間、人の欲望と必ず訪れる死を、
さながら俯瞰するかの如く見渡せる悦楽の場でもある。

右手の薄暗い展示場、まるで縁日のお化け屋敷のごとくおどろおどろしい。
どことなく禍々しさ、不吉さ、汚泥の香りがする。
人間の欲、そのものが最も率直、赤裸々に表現された場である。
仏像の展示室である。

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時代別に展示されているのだが、その流れは精々鎌倉期で止まってしまう。
江戸期の仏像、夥しい数が民間にはプールされている、は目にできない。
ここにいるものとは選りすぐり、仏像の中の超エリートたちなのである。
国立博物館であるからして、修復も怠りなく状態の良いものばかりである。

平安以前の古い木彫。11面観音菩薩、素朴さと同時に大陸伝来そのものという異国趣味を感じさせられる。




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平安後期、地蔵菩薩、浅い彫で波の如くに思いのままの表現力、洗練しきった造形である。
特権的貴族社会の美意識、そのものである。
仏師のどや顔が思い浮かぶ。




何故か、他の仏像はみな撮影禁止になってしまっていた。
博物館自体の持ち物が少なく、借り物が多いせいであろうか。
ホームページに記載されている浄瑠璃時の見事な十二神将は、展示されていなかった。

隣の部屋、主に室町の工芸品、豪華な漆器が並ぶ。
小さな空間に小宇宙を注ぎ込んだ、かの如く饒舌でもある。
大半は東山御物的な訳ありの作品だと思う。

男山蒔絵箱

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安土桃山期の書見台、どこかで見たことのあるような意匠、高台寺と縁のある作品らしい。



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珍しく幕末の作品、微細、繊細な造形が見事である。


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更に進む。



刀剣の展示室。
美しい造形であるが、ずらりと並べられると素人には差異がわからなくなってくる。
鎌倉期の古刀。
大切に伝承され、実戦では使われなかったのであろう、だから伝承したのかもしれない。


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古志野をはじめ陶磁器、あまり縁のない世界である。

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細川忠興ゆかり、郷土の高取焼もあった。

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素人目には、鍋島の優雅な中に厳然とした頑迷さの伺われる作が印象に残った。




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途中でベランダに出る。


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昔の上野寛永寺敷地内、門主の邸宅にあった庭園らしい。
池の向かいには小堀遠州作の茶室、この日は庭園は解放されていなかった。
幕末最後の門主は北白川宮能久親王であった。
上野の戦い、彰義隊に盟主に担ぎ出され、寺の伽藍は燃やしつくされ、徳川慶喜には除名の嘆願をさせられ、挙句には半ば拉致のごとく榎本の軍艦に引っ張り込まれ、戊辰戦争の仙台藩まで付き合わされたお気の毒な宮様。
維新後は陸軍中将、出発点の僧職とは似ても似つかぬ人生であったとか。

いつもこの辺りで休憩。
昭和、戦前の建築、あちこちの造形は美しい。

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安土桃山期狩野元信の二曲一双の屏風。
元は障壁画だったのではなかろうか。
大切に保存されてきたらしく状態は良好。
律儀に硬い絵であるが、清明な冷気を感じさせる山水画である。
しかしどんな部屋に飾られてきたのであろうか。


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江戸、おそらく後期の狩野派六曲一双の屏風絵、最近書かれた絵のごとく金泥も鮮やか、どこか世慣れた派手な絵である。
無名無落款。
中国の帝冠図、十二の孝行を描いた図であろうか。
がちがちの武家書院には合わない気もする。



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曽我派の山水図、細かな描写は優れているが全体のバランスが歪でまとまりに欠ける。





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ギンギンの琳派の絵。
尾形光琳の弟子、名前は忘れてしまった。
見事な作品ではあるが、型にはまりすぎた、外に広がっていけない窮屈感を感じた。
先生が偉すぎた、といっても有名な京の遊び人、大浪費家だったのだが。


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酒井包一の有名は襖絵、何度か目にした絵であるが静謐で美しい。
どこか乙女チックでもある。

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本館のみならず、隣のアジア館も素晴らしい。
超高価な中国陶器も素晴らしいが、私はあまり好まない。


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クメール彫刻が充実している。


踊り子やナーガ、シヴァ神、ガルーダ、それぞれが深き冥界をさまよっている。


幸福な一時を味わうことができた。
別に特別展滋賀県櫟野寺(らくやじ)の秘仏、数十点を見ることも出来た。
平安後期の地方仏、直ぐお隣京の都とは異なる素朴、豪快、彫後も生々しい泥臭い秘仏。
珍しかったが撮影禁止、ものすごい人出、ゆっくりとは見れない、あえて行くまでもなかったが。



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