la vie du Fukuoka

日々の憂鬱、悔悟、悦楽、虚栄、無為、虚無を語る。精神医学、精神病理、医学全般、雑多な文学、語学など

自殺 2  エマニュエル・トッド 直系家族

自殺率の国際比較。
よくネットで見かける。
日本のお隣、韓国がOECD加盟国中第1位、十万人当たり25.6である。
と思っていたら2017年のデーターでは、バルト海東岸のリトアニアも突出して高い。
日本は19.7である。

かねがね韓国の自殺率が高いことは、よく知られている。
社会、経済不安、若者の失業問題、格差社会、よくある文脈で語られる。
日本とは、昨今共に「なかよし」「お騒がせ」の韓国である。
日本とは切っても切れない国であり、抜き差しならない民族でもある。
なにせ今の日本人のルーツの民族らしい、色々と異論はあるだろうが。
半島からやってきた人々、彼らがそう遠くない昔、日本の支配者となった。

一方で、彼らの来る数千年前から日本に住み着いていた人々もいるのである。
南の海流に乗ってやってきた人々、或いは北の氷の国からやってきた人々たちである。
なにせ、当時は文字を持たなかったのであるから、謎の人々である。
この先住民、素人の私としては、縄文人と同一視しているが、現代における日本の家族システムを考えるうえで、今も微妙な影響を与えている、私はそう思っている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC#%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E9%BB%8E%E6%98%8E

日本に文字が伝来したのは、それほど古い時期ではなかったらしい。
古墳時代、紀元後3から7世紀頃である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97#%E6%BC%A2%E5%AD%97%E3%82%92%E8%BC%B8%E5%85%A5%E3%81%97%E3%81%9F%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%80%81%E7%8F%BE%E5%9C%A8%E3%81%AE%E4%BD%BF%E7%94%A8%E7%8A%B6%E6%B3%81


なにせ西欧でも、ラテン語、ギリシャ語、更にはセム語となると紀元前にさかのぼるが、フランス人やドイツ系の人々が文字を持ち、文書を記述し始めた時期も日本とほぼ同じ、「浅い歴史」の人々なのである。



https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%99%82%E4%BB%A3









韓国も日本も、トッドに言わせれば「直系家族主義」なのである。
が、直系家族主義といっても、相違点がいろいろとある。
日本は、いとこ婚を古くから許容している。
相続は、原則としては男子、長子であるが、婿、女系の相続も場合によってはあり得る。
対して韓国、というよりも朝鮮では許容されない。
いとこ婚を認めないし、男子以外の相続は認められてこなかった。
このことが社会システムとどう影響しあっているかは、様々な言説があり得るであろう。

日本の直系家族が確立したのは、半島からの人々が渡来し、日本を支配した時期、とは即断できない。
男系長子相続が定着し始めたのは、日本ではどうも鎌倉末期から室町期であったらしい。
それまでは武家であるが、所有地を兄弟で分割していたのである。
室町期になって、原則として長子が全部の領地を相続し、他の兄弟は土地所有を諦めねばならなくなった。
農地開発の技術的限界が訪れ、人口密度が飽和した時期であったのかもしれない。
狭い土地を、更に細切れにすることは、氏族の脆弱化を意味していた。
が、原則ではあって例外もあったであろう。
江戸期に至っても、分家、傍流、長子を立てながらも様々な兄弟間の不平等を緩和する策が為された。
勿論、本家の血流が途絶することの回避もあった。
逃げ道、保険でもある。
逃げ道、保険というのは社会の激変に対応、生存し続けるうえで重要である。


更に、日本であるが北海道のアイヌ、或いは沖縄では、家族観が異なる。
意外といっては先入観が露呈してしまうが、共に核家族である。
沖縄では、母方同居という特徴がある。
この母方同居核家族は、南の方向、インドネシアまで広がりを持つ家族主義である。

アイヌの場合は、双処居住核家族である。
日本の場合、単一の家族主義ではないのであるし、日本の北端、南端の両地に異なる家族主義がある、ということは、これらが元々の古来からのオリジナル、素の家族主義である可能性が高い。
周辺部、辺境にこそ、古来からの、アルカイック、素のシステムが残存している可能性が高い、トッドそう主張する。

また近畿以西と比較して、関東より東の地域では、日本においてはより古い家族システム、共同体家族の残滓がある。
これは先祖から続く農地の開墾を経て、一所帯当たりの所有面積が広いことに由来する。

更に五島、長野県の山間部には共同体家族システムも見出されている。
これはその地域の特産品、その生産技術の伝承、その秘匿が義務付けられていたゆえだそうである。


新ヨーロッパ大全〈1〉
エマニュエル トッド
藤原書店
1992-11-01




ところでもう一つの自殺大国、リトアニアである。
バルト海に面する小国である。
ここも直系家族主義である。
が、様々、複雑な要因、歴史を包含している。
すぐ隣、或いは近在の強国、ロシア、ドイツ、スウエーデンに翻弄されてきた。
社会、文化においてその影響を受けている。

ロシアは共同体家族、ドイツ、スウエーデンは直系家族である。
リトアニアは、貴族、騎士という支配階級が、ドイツの影響下に直系家族システムを取ってきた。
その影響が庶民にまで、下方向に浸透した。
あるいは、隣国の最強国ロシアに住民全体が反発し、直系家族システムを採用した可能性もある。

なにか日本を含め、自殺と直系家族との関連を考えたくなってしまう。
自殺ランキング上位の国の共通性として、「直系家族」を高々と掲げるのは短慮である。

ポルトガル南部に突出して自殺率の高い地方がある。
この地方の家族システムは、共同体家族である。
母型居住である。
全く直系家族とは異なる。
母権が強い。
婚外子、庶子の誕生率が高いのだそうである。















自殺 日本における家族システム 1

先日、わが荒廃都市にて精神科の勉強会があった。
当日のお題は、精神科領域における自殺問題であった。
その場では、治療現場、ミクロ的、メデイカル・モデル的視点での講演があった。
自殺念慮、企図がある患者さんにいかに適切に対応するか。
総合病院、精神科病院、それぞれ微妙ならず複雑な事情がある。
精神科医のみで解決できない問題である。
PSW、多職種をフルに稼働させ、社会的バックアップを図らねば成果はおぼつかない。
で、社会資源である。
行政である。
保健所、児相、所轄警察、行政ではないが裁判所、といろいろある。
司法書士、行政書士、弁護士、サポート的立場の民間団体、等々民間の方々の御助力を多々必要とする。
そのあたりの話は、業界人なら今更なにを、耳にタコ話ではあるが。

別に視点を持たねば、退屈極まりない。
そこでマクロ話、ソシアル・モデルからの視点で考えてみたい。
人口十万人当たりの自殺者、自殺率は2003年の27.0をピークに徐々に低下し、2016年は17.3だそうである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA#%E6%88%A6%E5%BE%8C

この要因は様々な推論があるであろう。
過去にも1958年の25.7があった。
2003年がピークの自殺率、この要因は何といってもバブル崩壊、というよりもその後の苛烈な不良債権処理の不幸な結果である。
企業破綻、失業、非正規雇用の増加、それは違うというご意見も多々あろうが、竹中平蔵元金融担当大臣率いる金融庁が意図的に惹起した大災害、私は個人的にはそう思っている。
現在も、氏は安倍政権、加計問題のいわくつき、国家戦略特区の委員として活躍中、また派遣社員の元締めたるパソナ取締役である。

さてなぜ自殺率の低下に至ったのであろうか。

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/H26/H26_jisatunojoukyou_03.pdf

回復が早いのは、大都市部だそうである。
対して地方では遅れている。
日本という狭い様で多様な国、大雑把ではあるが都道府県別の比較データーは、ネットで容易に検索可能である。
但し、年齢構成等様々な要因がバイアスとして作用し得る、そのことを考慮することは必須である。
年度によって入れ替わりが激しいが、東北地方、日本海沿い、男性では秋田、島根、新潟、青森県だそうである。
が、九州ではこの年は佐賀県が上位に位置している。
意外なことに東北からは遠い沖縄県、年度によっては上位に位置するらしい。
年齢補正によってかなり入れ替わりがあるだろうが。
それに分子がいかんせん低値であるので、毎年の上位常連以外は入れ替わりが激しい。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/other/15sibou/dl/16.pdf


神奈川、大分、愛知で低く、また東京でも近年低下が著しいそうである。
年齢層的には、かって多かった40,50代年齢層の低下が著しい。

これをもって景気回復、アベノミクスの成果と唱える政治家、識者もおられるようである。
そうかもしれない。
そういう面もあるだろう。
最悪よりはましである、現在は。
借金取りから追い回される生活、そこから破産なりで負債を清算、ほっとしたところなのかもしれない。


が、自殺率が依然高い地域について考察してみることは、自殺の予防、自殺企図したが救命しえた人々の今後を考えるうえで大切である。
精神科医療単独では、その力が及ぶのはごく一部、視界に入りえるごく狭い領域でしかない。

あくまで私の憶測、仮説でしかない。

http://todo-ran.com/t/kiji/10557


自殺者数 [ 2016年第一位 秋田県 ]http://todo-ran.com/t/kiji/18573
自殺者数 [ 2016年第一位 秋田県 ]



さてこの都道県マップをみていると、気づくことがある。
確かに日本海側に自殺率の高い県が多い。
震災の影響であろうか、東北地方全般に高い。
東北ではないが山陰の島根県も高い。


九州、年度によっては宮崎、鹿児島県、あるいは沖縄県も高くなるそうである。

地方、中でも農業、漁業の従事者の多い地方に注目するべきであろうか。

http://todo-ran.com/t/kiji/11541
農業就業人口 [ 2015年第一位 岩手県 ]http://todo-ran.com/t/kiji/11541
農業就業人口 [ 2015年第一位 岩手県 ]



相関係数、どなたか統計に熱心な大学者先生にやってほしい。

となると、人口減少、高齢化県、家族構成、核家族か否か、が絡んでくるかもしれない。
所得とも関係してくるだろう。

http://todo-ran.com/t/kiji/17181

総人口増減率 [ 2016年第一位 東京都 ]http://todo-ran.com/t/kiji/17181
総人口増減率 [ 2016年第一位 東京都 ]




日本海沿い、東北地方、人口減が目立つ。
が、なにもこの地域に限った話ではないが。
65歳以上の多い県ともいえるが、これも偶然そうなったのかもしれない。




http://todo-ran.com/t/kiji/12053


65歳以上人口(高齢者数) [ 2016年第一位 秋田県 ]http://todo-ran.com/t/kiji/12053
65歳以上人口(高齢者数) [ 2016年第一位 秋田県 ]





核家族、あるいは逆にみると3世代同居率はどうであろうか。

http://todo-ran.com/t/kiji/16414

三世代世帯人数 [ 2015年第一位 山形県 ]http://todo-ran.com/t/kiji/16414
三世代世帯人数 [ 2015年第一位 山形県 ]





今まで出てきた図表とよく似た、ある種の共通性が伺われる。
3世代家族が多い地域と自殺率の高い県とが重畳する、そう私には思えた。




以下は、あくまで私の独断と偏見、強引な暴論である。

バブル後の金融引き締め、統制で日本の経済、社会は大混乱に陥った。
最も痛手を負ったのは、企業、商店当の自営業、その中核をなす40,50代の男性であった。
彼らは経済的破綻の後、多くの方々は今日立ち直ってきた。

それは政権による経済政策の成功、それも若干あるかもしれないが、都市部で回復しえたということは、単に経済的回復のみでは説明しにくい。

東京など、大企業本社が集中する地域は確かにお金の流通は盛んであろう。
大都市には、顕著な異変が生じた。
バブル後に押し寄せてきたのは、新自由主義経済、グローバルゼーションという新たな大波であった。
(グローバルゼーションという名ではあるが、実際はアングロ・サクソン的思考法である。
世界共通、或いは普遍的思考なんぞとは、無関係である。
イギリス、その中でもイングランド地方、アメリカの支配層に分布する人々、あくまで彼らにとって都合の良い思考法である)

大都市での人々は、生きていくためにその本来の思考を転換した。
彼らは、もともとは核家族ではなかった。
本来の彼らは、サザエさん、マルちゃんの世界を生きてきた人々である。
三世代同居、父権的家族である。
昭和50年代の家族がそのイメージを代表している。

大都市では、核家族化が急速に進展した。
居住環境、就労状況も、核家族こそが大都市で生きていくにはふさわしかった。

エマニュエル・トッドがいうアングロ・サクソン的絶対核家族主義に、都市生活者は近似してきた。
しかしあくまで近似であって、本質的変貌、転換ではないのであるが。


対して自殺率の高い地域(沖縄は別に考えねばならないが)であるが、農村地帯、3世代居住、人口減というのが共通項である。
自作的農地での継承的農業従事、3世代同居、というのは特に重要である。

代々、農地で生活の糧を得、原則長男相続、父親の権威を重んじる。
兄弟間の不平等は容認する。
長男相続というのは、ある一定の耕作地の維持、細切れ的不動産拡散の防止、及び伝承されてきた農業技術の教育、継承を包含する。
漁業、林業においても、事情は同様であろう。

つまりトッドが言う、日本に伝統的である直系家族主義の濃厚な地域、なのかもしれない。
少し前の日本そのものである。
更に飛躍すると、この日本古来の直系家族主義は、アングロ・サクソン的絶対家族主義と折り合いが悪い。
絶対核家族主義の価値観、他者に無関心(特に無関心という点は重要である、差別にも無関心なのであり、社会的不平等にも無関心、無視或いは是認する)、非権威主義、絶対的自由主義という特性とあらゆる点で軋轢を生むのである。

この軋轢に耐久性を持たない地域、そこは地域社会が不安定化せざるを得ない。


要約すると、都市部では本来直系家族主義であったが、バブル崩壊後父親的権威は霧散し、権威よりも自由を選択し、核家族化した。

折から、刹那的、性急な成果を要求するアングロ・サクソン的新自由主義経済の大波が押し寄せ、絶対核家族主義的価値観を都市の人々は甘受するようになった。
そこでは従来重視され、長期間を費やしてきた社員教育、熟練工養成は無駄だと排除されるようになった。
瞬時に買収、合併、吸収される企業では、これまで尊重されてきた社風、伝統、会社への忠誠心は無価値となった。

社員、その家族にとって、他者への無関心、伝統権威の軽視、不平等の容認、諦念が処世訓となる。
その結果、何とか生活は再建できるようになってはみた。
が、彼らの根底には太古から伝わる直系家族主義が蠢いているし、深層では健在である。
ゾンビカトリシズム的郷愁を祖先、或いは皇室に未だに求め、心奥に抱き続けている。
が、すがりつくもの、権威を喪失している都市生活者には、常に空虚感がつきまとうのである。


また例外的地域もありそうである。
北九州市、筑豊のような少数の地域は、例外かもしれない。
この地とは、直系家族主義の農漁村から次男、三男が食い扶持を求めたどり着いた土地である。
この地の人々は、明治時代以来の平等主義核家族である。
所詮150年前からの家族主義ではあるが、いまだにその気風は根強い。

そのせいか、地域経済は今も振るわない。
衰退の一途である。

闘争領域の拡大  ミシェル・ウエルベック

闘争領域の拡大 (河出文庫)
ミシェル ウエルベック
河出書房新社
2018-02-06




今やフランスきっての有名小説家となったミシェル・ウエルベックの処女作である。
初版は絶版、中古で6000円以上する。
買えなかった。
最近お手頃価格の文庫本が発売されたので買ってみた。

彼自身の著作の表紙、或いはYou-tubeでみる彼の風貌、どこか疲れておりインタビューでは怯えた表情も見せ、なかなか打ち解けた様子は見せない。
イメージと違って、あまりシニカルには見えないのであるが。
日本でもよく見かける、そこそこ中途半端な学歴、大卒の公務員、けれどキャリアなんかじゃない、恋人はいない、実家には顔出さない、特に趣味もない、なんとなく都会で生活している、電車に乗ると隣に座っているような、そんな青年、いやもう40近いオジサンを思い浮かべてしまう。
そんな青年がしたためた私小説、彼の切なく空しい日常をしたためたもの、私にはそう思えた。

淡々とした記述が続く。
文体はごく簡明、シンプルである。
ある意味、潔い。
風景の描写にしろ、内面の吐露にしろ持って回った言い回しをこの作家は好まない。

ストーリー性といっても格別瞠目すべき事件、事象が起こるわけでもなく、
「僕」の眠たげな陳述、どこかけだるく無力感が充満している、が延々と続く。
そういう話法、手法は後年の作品にも共通している。

ウエルベック自身は、両親の離婚のあおりを食って祖母に養育された。
農業技術系grandes ecole卒、一応エリートなのだそうである。
が、ENA出、超一流のエリート様では全くない。

パリ市内にはこのような中途半端な方々、もう青年とは言えないオジサンたちがひしめき合って生活している。
そんな事情は東京も同じであるが。

ここでの「僕」は、いつも冷めた目で周囲を細かく観察し続ける。
関与を忌避しつつも「観察」は死ぬほど好きである。

周囲の他者のみではない。
吐き気を催す街の風景、役所、オフィス、地下鉄、歩道、カフェテラス、
各々が素敵に「僕」の繊細な「神経」主に脳内神経組織を好き勝手に苛み、嘲笑するのである。

「僕」には、他者とはあくまでなじみの薄く、どちらかといえば意地悪であり、油断ならない何ものかであり、
同時に憐憫、嫌悪、軽蔑、つまりは大いなる違和感を惹起せしめるものでしかない。
他者への侮蔑は、同時というよりもそれに先行して恐怖がある。
彼らから「僕」が承認され、愛されることは金輪際ないのである。

最後には「僕」という意識、存在の希薄な志向する主体そのものも「他者」と判然としなくなる。
主体、つまり曖昧模糊、脆弱ひ弱、メルトダウンしつつある「僕」という主体、
そして眼前にそびえたつ他者、その差異化が困難となりはててしまう。

さて他者とのかかわりにおいて、30歳そこそこの「僕」にとって、唯一魅惑的なもの。
苦痛そのものである空虚をいやすすべ、とは何であろうか。
かっては、つまり2年前までは憧憬の対象であった「性関係」を「僕」は思慕する。
それは本能を充足してくれるだけではなく、「愛」という甘美な他者との関係性を易々と構築する、
かの如き幻想をつかの間ではあっても抱かせてくれるのである。

が、そこにはもうかってのような魅惑ではなく、意地悪く殺伐、冷酷な「性関係」しかない。
僕の思念の中には、性関係とはただでさえ冷淡な現世から徹底的に放逐を強いる拷問具なのである。
うっとりとするような官能的悦楽ではなく、落胆、屈辱、恥辱、さらには嫌悪、身をよじらせるような苦悶こそが報酬である。

「僕」は、性的享楽も社会的階級により無残にも差異化されてしまっている、と被害感を炸裂させる。
社会的特権、高い給与、知的ウイット、美しい外見を所有するものこそが享楽にありつける。
まるで数値化され、システムとして社会の中に組み込まれているかのごとくに。

などとくどいほどに主張する。
が、その開放化、民主化を主張する程の膂力はなどは皆無である。

何も特権的な人々のみが性的享楽に身を浸しうるのではない。
愛の対象としての「他者」との親密な関係性を好み、心地よく思う人、熱心かつ、泥臭い努力をいとわない方々。
何よりも「他者」としての緊張関係を超克、とまでいわなくとも共感、尊重するものこそが「愛」の恩恵に浴しうる点は、太古の昔から変わらないと私は思うのであるが。


そのような、今日の日本でも隣の席にいそうな絶食系青年、 
その「僕」が最後に意図せずとも、その情念の流れ込んでいく河口とは「うつ病」であることは、うんざりとするほど自明である。
それも古典的「内因性うつ病」ではなく、あくまで今日巷間満ち溢れる「現代型うつ病」ディスメチア型うつ病、
となることはこれまた自明ではある。
「僕」にとっては「僕が悪い」という自罰ではない。
「僕」とはあくまで被害者である。
対して他者、或いは世の中、社会は実に悪い、嘘つき、偽善者ばかりである。
「僕」は傲然と、そう主張する。


そのような「僕」であるが、何か憎めない、
電車の隣に座っり、疲れた表情でスマホをいじっているあなたな、或いはい眠りをしている私なのである。

という点では、極めて私小説的である。
日本もフランスも同じ穴のナントやら、五十歩百歩である。

文豪、大作家ウエルベック先生に是非お勧めしたいことがある。

来日し、日本のヤンキー、彼らをじっくりと観察してほしい。
イスラム嫌いのウエルベック先生である。
内婚制共同体イスラムと違って、ヤンキーの家族観とはパリジャンと同じく平等性核家族である。

10代早々の早々としたを性交渉の開始、活発奔放な性活動、女性はイケイケで放縦、子沢山、高い離婚率、シングルマザーの頑張り、力強さ、彼らこそウエルベック的、青白く病んだ西欧知識人への最善の処方箋である。


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スコルタの太陽  ロラン・ゴデ

スコルタの太陽 (Modern & Classic)
ロラン ゴデ
河出書房新社
2008-06




https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2+%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%83%E3%82%B8%E3%82%A2+%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%81+%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%83%E3%83%81/@41.9452056,15.9902295,529m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x1337b1c766e1dcd3:0x3835e9cf47184513!8m2!3d41.9446328!4d15.9927564?hl=ja



南イタリア、プーリア地方、アドリア海に面した小さな村モンテプッチ。
と聞くと、私のような単細胞の日本人は、夢想に包まれるのである。
陽光にきらめくアドリア海、青々と広がる海原、浮かぶ小舟、爽やかな潮風、飛翔する海鳥、丘を下ると砂浜が広がり、途切れたあたりには大小さまざまな奇岩が重なる。その上には白壁が連なり中世から続く石造りの家々が身を寄せ合う。そこでは昔ながら、先祖の風習を守りつつ、潮風に声がかすれた男たちの生活が営まれる。

などという型どおり、なんら新鮮味のない連想しか浮かばないのである。
行ったこともないから、テレビのお仕着せイメージそのものである。
そのような、まさに凡庸な私めが読んでの感想である。

汗臭い小説である。
乾いた土、まいたつ砂ぼこり、よどんだ水路の臭い。
赤ら顔の太った男たちがくゆらす煙草、昼間からの強い酒、汗のにおい、脂っこい食事、残飯に群がる鷗、狭い路地の空にはためく洗濯物、村の教会の鐘、眩い太陽、静謐と倦怠、その中で少しずつ家族の物語が語られていく。

150年間にわたる家族の物語。
やわらかで居心地の良いソファーで語られる、耳障りの良い話、とはいえない。

貧困、延々続く貧しさ、それに影法師の如く付きまとう屈辱、恥辱、怒り、憤懣、最初は折り目正しく梱包されているが、やがて発酵、腐敗し風船のように膨張していく。

なにかを切っ掛けに血が流れる。
ある命が消えていく。
それは4世代にわたって繰り返される。

各人、凡庸であり善良でもある。
が、あえて運命を受け入れ、甘受する。
というよりも、何も考えていないのである。
無学、無知である。
カトリックである。
そこそこに信仰心はあるが、さほど熱心ではない。
目の前のパスタを平らげるように、運命を飲み込んでいく。

昔ながらの伝統を重んじ素朴な彼らとて、努力しないわけではない。
なにか、自分を昂揚させるものがありはしないか、時に思いをはせる。
旅をする、恋をする、泥棒をする、商売をする、密輸を稼業とする、いろいろとやってはみる。
が、このちっぽけで貧しい村からは離れられないのである。

4世代、特に後半の2世代の人生模様がこの小説の主題である。

などと書いていくと、私がこの作品を気に入ったような記述となってしまうが、違う。

退屈である。
凡庸とは言わないが、さりとて傑出した作品とも思えない。
十数人、その彼らの内面の描写はち密さからは程遠い。
まるで農夫が描きあった、各々の肖像画である。
素朴で力強いが、そこで終わってしまう。
顔の皴のこまごまとした陰影まで筆が及ぶわけでもないし、そのようなことは最初から何ら顧慮されてはいない。
乱暴に言うと、どの人物も似たり寄ったりである。


何も予備知識がなければ、イタリア人作家の手になるイアタリアの小説と思ってしまう。

作者はLaurent Gaude、生粋のパリジャンである。
本作品は、2004年ゴンクール賞に輝いている。

パリ生まれ、パリ育ち、両親はともにラカン派の分析家。
南イタリアからは遠い、うすら寒く狭いアパルトマンの暗い一室で記述された作品である。
パリの知識階級、なにか気難しいへ理屈ばかり主張し倦むことを知らない奇態で不健全な人々、そのような偏見を持つ私にとっては、全く意外である。

Laurent Gaude、劇作家でもある。
彼の文体は独特である。
とにかく文章が短い。
わざとらしさ、作為、厭味に感じさせられるほどである。
プルースト、あのうねうねと続く峠道のような文章の対極である。
今読みかけの彼の作品、La porte des enfers でも同じような文章が並ぶ。
舞台もイタリア、ナポリである。
作家には、幼児期に過ごしたイタリアに愛着が強烈らしい。
「パリを舞台にし、パリジャンの生活を描くなど私にはできない」
Michel Houellebecqの対極でもある。

さて私が最も興味を持ったのは、ここで描かれたこの家族の姿、というより様式である。
Emanuel Toddがいう南イタリアでの特徴、平等主義、或いは不完全共同体主義家族である。
兄弟は、平等関係である。
長男を重んじる直系家族とは、全く価値観が異なる。
何よりも平等、自由が重視される。
父親の権威は、重視されない、少なくとも本作品では父親像は希薄であり、強力で支配する父親は不在である。

結婚後の兄弟の家屋が互いに独立しているかが問題であるが、作品では明確ではない。
少なくとも共同家屋ではなさそうであるが、互いの行き来は非常に密であり、近接した生活らしい。
平等主義であるとともに、共同体主義の色彩も持つ。
但し、父権は強くないから、基本的には平等主義である。
権威、時には教会もそうなる、を嫌悪する。
実際、司祭を一人こっそりと殺してしまう。

パリ市、パリ周辺地域の平等主義核家族と、ある種の共通する価値観(平等、反権威主義)があるからこそ、パリの人々の共感を得やすいのかもしれない。
直系家族主義の日本人にとっては、私もその一人であるが、彼らの生活ぶり、価値観、相当に奇異に思えるのである。





作品中出てくるトラブッコ、釣り用、木製の崖にせりだした足場である。
音がうるさいのでご注意を。





いまどき精神科医

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いまどき精神科医
最近といって良いのか悪いのかはよくわからない、という言い訳をしつつの言説である。

私は内科医からの精神科転向組である。
その当時は、比較的転向組なんぞ、稀であった。
私の卒業時、そもそも精神科入局希望者は僅か2名であった。
今でこそ二桁であるが。
その2名とは、1名は開業マイナー科医の長男、他は精神科勤務医の息子さんであった。
精神科医とは、不人気科医、地味で裏街道の外道イメージが強かった、いや今もそうであるが。
そのことに気づかないまま、入局、或いは転科する若者が多いので困る。

かくもうす私も、最初はなんでも屋、いまでいう総合内科に別にこれといった理由もなく入局した。

その内科医局のバイト先が田舎の精神科病院、居心地が良かった。
のんびり、時間がゆっくりと流れる、あるいはずいぶんと前から止まっている世界であった。
学位を取得したのち、封建的、貧乏、能書き垂れるが技術は身につかない、派閥争いが伝統芸能、空疎なプライド以外は何もない大学医局、そこでの茶坊主見習い生活を一秒でも早く辞めたかった。

なんの役にも立たない学位をゲットした後、翌月退局した。
精神科病院に勤務する内科医として勤務し始め、同期の内科医たちからは憐み、蔑みの温かなまなざしを注いでいただいたものであった。

医者のヒエラルキー、普段は目に見えないのであるが当時も今も厳然としてある、では最下層に位置していたのが精神科医である。
いまでは、下から何番目かに、若干ではあるが出世しているようである。

今も昔も実家が精神科大規模病院、そこのご子息というのは精神科医局に素直、まっすぐに入局なさるようである。
もちろん例外もある。
いや、例外は当時から多かった。

親子で微妙に不仲であると、最初は身体科医になられる先生もおられた。
そして微妙なご家庭が、実に多かった。
が、親が病気になったりすると周囲から懇願される形を万端に整え、ご帰還なさり最短5年で精神科指定医を滞りなく取得なさる。
この場合、大学精神科医局の全面的バックアップ、がたいていある。

さて、わたしのような歳をくってヒラの精神科医の場合、あちこち渡り歩くことが多い。
私の場合、今の病院が4件目である。
稼働停止までに、10件くらいは踏破したいものである。


一概には言えないのであるが、最近の若手精神科医、といっても結構歳をくっている先生が多い。

が、例外もある。
女医さんであった。
進学校からのストレート、最短29歳、精神科指定医を取得なさり、風のように去っていった。
頭脳明晰、仕事は万事そつなく要領よく、家庭、育児と仕事を見事に両立、なかなかの美人、
なんだか出来すぎであった。
出来過ぎるお方は、今から先が怖い。

もう一人いた、いた、若くはないが。
40歳近くで医師免許を取得なさった女医さん。
もともと看護師さんであった。
医師を目指し、まず教育学部に一旦入学、
が、あくまで踏み台である。
そこで皆勤賞、「優」をとりまくり編入試験で他大学の医学部に編入、という軽業師がおられた。
げに女は執念深く、したたかである。


さて今の私の周囲の若手の先生方、といってもみな40歳過ぎ、おっさんである。
彼らの経歴をみると、といっても一括りにはできなのであるが、実にあちこち放浪なさっておられる。
出身大学を見るとすごい、想い出すままであるが東大、阪大、東京医科歯科、神戸、名古屋、千葉、少し落ちるが国立大学卒ばかりである。
高偏差値校ばかり、私のような4,5流私立卒なんぞおられない。
彼らに共通してるのは、18歳の段階では、医学部に進学する意思がなかったことである。

食っていくための職業選択、やりたい学問、ともにはっきりしなかったそうである。
一流大学をご卒業なさって「こんなはずじゃあなかった」という暗澹たる思いが湧き上がってくる。

おりしも、バブル破裂後の長い就職氷河期である。
中には銀行、教職に就職したり、目標のない海外留学、或いは発展途上国への海外協力隊に参加した方もおられる。
すんなり医学部に入れた方もおられれば、何年か浪人生活を送った方もおられる。
そんなご苦労のあげく、医学部に入学、医師免許証をゲットなさった時は既に30歳半ばをとっくに過ぎ40歳近い。
素直に老けておられる。

そんな紆余曲折を経た方々ばかり、さぞかし経験豊富、人智に富み、教養に優れ、鋭敏な現実検討能力を保持し、感情もゆたかであろうと思う、私も最初そう思っていた。

全く違うのである。

まるで違う。
今述べたことの真逆と思っていただいてよろしい。

特に目立つのは、患者さん個別の症状、抱えている社会的、家族的問題への洞察、治療していくうえで必須の社会保障、そのどのシステムを活用するべきなのか。
といった基本的問題の抽出、その解決法(それは数種類あることが望ましい)が、さっぱり洞察できない点である。
いや、医師以前の問題、一市民としての常識さへ、十分とは程遠い。
例えば、幼児、老人の虐待、家庭内暴力にどう対処するか、等。
守秘義務(医師に限らずあらゆる職種ではこれを負う)をいかに守り、いかなる場合には第三者にも開示、その手続きを如何にするか等々、山ほどある。

乱暴に括れば、彼らの拠り所とはマニュアルである。
学会診断基準、治療指針、DSM、それらを遵守することは勿論大切であるが、それを個別の症例にどう反映させ、うまくいかないときはどう修正させてていくべきか、で壁に突き当たるのである。

そのためか、お役所に提出する書類、精神科では非常に重要なのであるが、これが書けない
型どおり書けばよいのであるが、一人一人患者さんの型は異なるのである。
マニュアル的なものはあっても、あくまで個は個である。

黄色やピンクの紙、その狭い枠の中にその患者さんのいわば人生を凝縮し的確に記述する、かの如き顧慮をにじませつつ、齟齬なきように上手くまとめ上げねばならない。
ここで彼らの優秀な頭脳は簡単にフリーズする。

結局、下書きを私に見せるのである。
他人に厳しく意地が悪い、それが私である。
嫌な顔を見せつけつつ、殆ど全部書き直してしまうことになる。
昔と違って、今はワードのフォーマットがあるので楽にはなった。
楽にはなったが、彼らの子供っぽい記述にあきれることが多い。
昨今、入試や大学内の試験では記述問題が多くなったと思うのであるが、彼らがこの関門をどうやって潜り抜けてきたのか謎である。

所謂国語力不足とも異なる。
型どおりの文章なら、彼らは遺漏なくきちんとかける。

が、人間を観察するうえでの想像力は皆無である。
全くない。
そもそも人間に対する興味が殆どない、
あっても希薄、ごく限られた範囲だけである。
メガトライアル、統計的有意差、マウスの学習能力には鋭敏であり、興味を示す。

例えば彼らに力動だ、転移、或いは自分の逆転移感情は、など泥臭い議論しても全く通じない。
勿論彼らがマニュアル通りにこれらを学習したのちは、話が別であるが。
型どおり話をまとめては来るだろうが、数種類の仮説の設定は無理である。
マニュアル通り、ワンパターンである。

あくまで型どおりである。



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文化防衛論  三島由紀夫






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正月である。
この歳になると別に感慨というものはないわけではないが、早朝の氷の如く薄い。
正月休み、不思議と三島由紀夫の本を手に取ってしまう。
何故か、懐かしく感じるのである。
作家の死が昭和45年11月25日であるから、テレビでこの時期作家の姿を目にすることが多いからである。

「文化防衛論」硬い題名のエッセイである。
昭和43年7月中央公論初出、とあるから作家の死の2年前である。
最初に読んだのはいつであったか、もう記憶していない。
坊主頭、ニキビ面の頃であったろう。
当時さっぱり理解できなかった、ただ日本文化の中軸とは天皇である、という主張だけは読み取れたが、少年の頭の中、それも明晰とは程遠い、では唐突に感じられた、という記憶しかない。
今回再読してみての感想である。
やはり没後40年の月日である。
今なら、趣旨は同じであってもこうは書かなかったのではないだろうか。

冒頭に、何故このエッセイを記したか、その意図が表明されている。

2行目より
「近松も西鶴も芭蕉もゐない昭和元祿には、華美な風俗だけが跋扈してゐる。情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を拂い、詩の進化は顧みられない。

中略

われわれの生きる時代がどういふ時代であるかは、本来謎に満ちた透徹である筈にもかかわらず、謎のない透明さとでもいふべきもので透視されている。」

「昭和元禄」懐かしい言葉である。
もう忘れ去られつつある言葉でもある。
昭和39年東京オリンピック、その4年後である。
高度成長経済、という日本にとっては伸び盛り、若々しい青年の時代であった。
昭和43年、東大安田講堂を学生が占拠、安保条約改定前、世は学園紛争で大荒れであった。
数万人規模の大デモが各地であった。
中学生の私には「なんだか騒々しいお祭りだな」という意識しかなかったが、同時にベトナム戦争は米軍の旗色は思わしくなかった。
北爆の効果により戦術的には米軍は優勢であったが、日本、世界の世論は反米的であった。

さらに三島が言うこの記述である。

「近松も西鶴も芭蕉もゐない昭和元祿には、華美な風俗だけが跋扈してゐる。情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を拂い、詩の進化は顧みられない」

この評価が果たして妥当であるかどうか、そう決めつけられる根拠がどうも判然とはしない。
「謎」ではなく、「物語」と記せばより分かりやすい文章だと素直な私は思うのであるが、三島にとっては、ここは「謎」とすることは絶対に譲れなかった、そうも思う。

が、「謎」と記することは
「何か書きつくせない、記述し得ないなにものか、そんなものが存在し得る」
という超先験的、結論ありきを、読み手は知らず知らずに鵜呑みにされてしまうのであるし、こういう文章ではありがち、プロが瀕用する常套手段でもある。

が、先んじて「詩の進化は顧みられない」と迂闊にも本音を漏らしてしまっている、
「謎」とはecritureなのである。
案外三島はかくのごとく正直者でもある。

wikiを見ると興味深い。

昭和43年を見てみる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1968%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%A6

三島はこの年、あまり目立つ作品を出版し得ていない。

一方では、川端康成のノーベル賞受賞があった。
三島、でもよかったはずなのであるが、本人にとって残念であったろう。

対照的に昭和44年である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/1969%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%A6

三島は、この年はもの凄く頑張っている。
死の前年、必死で4部作のうちの2作品「春の雪」「奔馬」、
及び戯曲「黒蜥蜴」「癩王のテラス」、歌舞伎台本「椿説弓張月」を上梓しているのである。
いわば三島の中では、「文化防衛論」を記述した昭和43年とは、アイデアが充溢してはいても未だ纏め上げきれていない苦悩の時期であったろう。
焦り、不安があったのだと思う。

当時の三島は、文壇の中で最も高額所得者、稼ぎまくっていた作家であった。
扶養家族が多く、また優美、豪華な南欧風建築を都内に自宅としてあつらえていた。
当然稼がねばならない、書かねばならない、しかし思うがままには書けない、書くにしても恥じねばならないような作品は身を落とすこととなる。
というのはあくまで私の個人的憶測である。

ついで当時の日本文化批判を繰り広げる、あくまで三島が見たところのであるが。
人畜無害化され毒を消し去った「文化」こそを理想とする価値観が、今の日本を覆いつくしている。
嘆かわしいではないか。
そうじゃないだろう、汚らしくおぞましく卑しく忌避すべきものさえも文化は包含する、いや、それらおぞましいものこそが弁証法的に文化を支えているのである、という三島のかねてからの主張(私の独断と偏見で括ったにすぎないが)を怒りを込めて炸裂させる。
そうである、市民社会における「健全な文化」というものはまさに、三島が告発する偽善、上っ面だけのきれいごと、でしかない。

当時も今も、似たり寄ったりである。
私も、大いに賛同したい。
「文化」を「美」と称しなおすとさらに三島らしい文脈となったのではなかろうか。

しかしそこと社会主義政権下の文化を引き合いに出すのは、冷戦後の今の世の人にはピンとこないであろう。
社会主義といっても、もはや北朝鮮、いや朝鮮民主主義人民共和国のような国家しか、私は思い浮かばないのであるが。
いや、お前が無知なだけだ、依然としてアフリカ、中東、お隣中国なんぞは、いまだに独裁者に正面から歯向かう言説は圧殺される、とお叱りの言葉も聞こえてきそうではある。


次いで非武装中立論とは、一億総玉砕と軌を一にする妄念であると批判する。
これも、今の世ではもう黴の生えた言説となってしまった。
もうそんなことを主張するお花畑の住人は、どこかに消え去って久しい今日この頃である。


さてここまでで、私には気になる三島の記述があった。
あげあし取り、ともお考えになっていただいえて構わない。

冒頭近くに出てくる「菊と刀」である。
有名なアメリカ人ベネディクトの著作の題名であるが、三島はここでは日本文化の精髄を語るべく引用するのである。
これは奇妙というか、変ではなかろうか。
アメリカ人が提唱したからといって、それ自体矛盾であるというわけではないが、日本文化、それも防衛を語ろうとする者が、何故日本人として自らの思惟、観念を記述しようとしなかったのであろうか。
アメリカに対して、三島は反米的ではない。
私見であるが、やや好意的でさえある。
これまた個人的希望であるが、三島には力強く声高に力説してもらいたかった。
「日本に平和憲法を押し付け、日本文化を堕落させた張本人はアメリカである」という言説を私は期待してやまないのであるが。
ただ私は、結構な誂えの今の平和憲法とは、政治軍事的プラグマティズム的観点からは、ありがたやと高評価してきたし、今日の改憲論については慎重な立場である。


またまたあげあし取りである。

「博物館的死んだ文化」という記述がある。
今の世なら、ネットで炎上するような無遠慮、失礼極まりない記述である。
小市民、私もその一人であり、かっての三島もそうであった。
その小市民が王朝の雅、日本の美の精髄に触れ、粋で優雅な美意識を掲げながら生き、死んでいった祖先を思慕し、つかの間であっても心の安息を得るのは、まさに博物館のガラスの向こうの世界があるからである。
何気ない言葉、「博物館的死んだ文化」という記述、
悪意でとれば「自分は日本文化の精髄に身近な存在であったし、現に今もそうである」
かの如き三島の歪んだ選良意識がここに露呈している、のではないか。
またこの個所に限らず、そのことを無防備、無邪気に露出させてしまうこの時期の三島の脇の甘さ、自我の脆弱化、痛ましいと私は感じるのである。


さらにあげあし取りである。

「パリは一フランスの文化であるのみではなく、人類全体の文化的遺産であるから、これを破壊から護ることについては敵味方は一致するが、政治的局面においては、一方が他方に降伏したのである。そして国民精神を代償として、パリの保存を購ったのである。このことは明らかに国民精神に荒廃をもたらしたが、それは目に見えぬ破壊であり、目に見える破壊に比べたら、はるかに恕しうるものだった!」


パリは確かに、今日世界遺産である。
人類全体の宝でもある。
が、今のパリはたかだか150年前、フランスの大バブル期、ナポレオン三世、オスマン男爵によって綺麗に整備された都市設計の一傑作(他にも沢山傑作はある)でしかない。
フィリップ・オウギュスト敬虔王の壁なんぞも残っているが、ごくごく一部である。
作品としては、大規模ではあるが、まだまだ真新しい、熟成する以前に凝固した作品なのである。

三島の記述、パリをここ(文化とその防衛を語る文脈において)で持ち出すことには、私は違和感をぬぐいきれない。
確かにフランス人ならば、誰しもパリを誇りには思うであろう。
しかし既にナチスにフランス国内を蹂躙され尽くし、戦力の大半を喪失したフランスが降伏し、ナチスのパリ占領を甘受したことは、それほど恥じねばならないことであろうか。
賢明であった、ということでしかない、私はそう思う。
げんに、ドゴール将軍、ルクレール中将らフランス人の手で取り戻したではないか。



次いで、この論での最も重要な記述となる。



三島がいうところの文化とは、一体どんなものなのだろうか。

次の段落である。



日本文化の國民的特色

「第一に、文化は、ものとしての帰路を持つにしても、その生きた態様においては、ものではなく、又、発現以前の無形の國民精神でもなく、一つの形(フォルム)であり、國民精神が透かしみられる一種透明な結晶體であり、いかに混濁した形をとろうとも、それがすでに「形」において魂を透かす程度の透明度を得たものであると考へられ、従って、いはゆる藝術作品のみではなく、行動、及び行動様式をも包含する。」

おそらく三島はここで自分なりの文化の定義、といえる程の厳密さは回避しつつ、文化とは何ぞや、という問いに対する回答を記述したものと思われる。
なにか曖昧模糊とした記述である。
というのも、「もの」「生きた」「形」「結晶體」、さらには「魂」という最も多義的な語句を曖昧なままに記述しているからである。

ちなみにネットで日本語でいう「もの」を調べてみた。

wikiには以下の如く記述されている。

該当しそうなものには便宜的に,らまで番号を挿入させていただいた。
物(もの、ぶつ)とは、広義には対象を特定化せず一般的・包括的にいう語であり、人間が知覚し思考し得る対象の一切である。
ゞ間のある部分を占め、人間の感覚で捉えることが出来る形を持つ対象。
物質、実体、または物体等。
具体的な存在から離れた、人間が考えられ得る形を持たない対象。
物事や事物、言葉、学問等。
妖怪や霊魂等、不可思議で霊力を持つ得体が知れない存在。
E学では経験の対象(客観)とされる時間的存在者のこと。空間的・時間的対象。ドイツ語で Ding。(反対語:物自体 Ding an sich)

以下略す。

三島が使った「もの」という語句は、この場合、,諒質的存在、或いは△隆冉暗な対象、これらを判然とさせないまま記述していると、私は思う。
というのはこの後に、解体、再構築を前提とした「日本の木の文化」、それと対照させる意味で「西欧の石の文化」の記述が出てくるからである。
ただの意味、現象学派が言う「もの」、ラカン派が言う「もの les choses」、哲学的にこだわりだすと混迷を極めることとなる。

しかし三島は意識していなかったであろうが、文脈からはの意味での「もの」と重畳しているのである。
というのも、三島が言う「文化」とは、「一つのかたち(フォルム)」である、「行動をも包含する」という記述に連なるからである。
三島はかねがね、芸術とは様式である、と主張してきた経緯がある。
しかしここでは「様式」と固定させてしまうとそれは概念、そして概念であれば「もの」そのものとなってしまうのであるが、三島は、いやそうではない、行動である、と力説する。

行動、というからには以下のことが問われるべきである。
|が、つまり「主体論」
¬榲、つまり乱暴に括れば「欲望の対象」
9堝阿箸いΔ發里蓮∋間の連なりであり、時間の連続体である。
す堝阿垢襦△弔泙蟠間内を移動する。
空間が問題となる。
たとえ不動の行動であっても他の空間がなければ、「不動」は成立しえないからである。
一つのかたちとは、その分節化である。

ところで「一つ」とはなんであろうか。
一つ、唯一なのであろうか、例えばという言い回しなのであろうか、一つというからには、2,3、さらには無限大の数値が想定されるべきであり、それらは「他」としいて差異化されねばならないはずであるし、「一つ」と「他」とは弁証法的な関係性を持たざるを得ないのである。

ただ、形、フォルムを特徴とする芸術、芸能は、何も日本の専売特許ではない、西欧であれ、非西欧もどこかしこも万国共通である。
「フォルムがフォルムを呼び、フォルムが絶えず自由を喚起するのが、日本の藝能の特徴であり(以下略)」
とあるが、三島の記述は自分の主張のこだわるあまり、視野狭窄を起こしている、私にはそう思われる。


次いで三島は論を展開させていく。
「オリジナル」と「コピー」論になる。
西欧は、まずオリジナルありき、石の彫刻、建築である。
パリは石の建築であり、破壊されれば廃絶してしまう。
今日、ギリシャ彫刻(本来のオリジナル)の大半は失われてしまっている。
したがってそのコピーともいえるローマ彫刻を見ることによって、オリジナルのギリシャ彫刻を偲ぶしかない。


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たいして日本は木の建築であり、何度も焼失しては再建、それを繰り返してきた。
そこにはオリジナルに対するこだわり、コピーとの落差は生じない。
伊勢神宮をみよ、あれは20年ごと新築されるが、常に新しいものこそがオリジナルなのである。

上げ足を取ることになるが、日本の木の文化、建築は、常に古い時代、先輩の作品を尊敬、追慕し続けてきた。
聚楽第の遺構、どれほど尊ばれ各地に再利用されてきたことか。

京都の寺院、方丈、その多くに御所の再利用がみられる。
茶室もそうである。
木の建築文化とは、常に再利用を考慮され、古材は尊ばれ融通無下に再利用され続けてきた、それが日本の伝統である。
昔から日本の建築文化とは、エコだったのである。

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次いで三島の主張は一気に飛躍する。




伊勢神宮の造営、オリジナル、コピー論からの続きである。

「このような文化概念の特質は、各代の天皇が、まさに天皇のその方であって、天照大神とオリジナルとこコピーの関係にはないところの天皇制の特質と見合ってゐるが、これについては後に詳述する」

これは唐突な記述である、首をひねってしまう。
各代の天皇各々がオリジナルの天皇であって、けして天照大神のコピーでもないし、他の天皇のコピーでもない、という意であろうか。
そのわりには、加後号といって後一条天皇、等々たくさんおられた。
いろいろあっての天皇即位の正当性、或いは祖先をしたって号したとか。
各々すべてがオリジナルであり、オリジナル、コピーの関係性ではないという三島の主張は、少し無理がある。
天皇も、歴史の中ではご苦労なさりやっと即位できた方もたくさんおられたし、無理やり退位された方もおられた。
この天皇と文化概念とが見合っている、と三島はいう。
今までの文脈から言えば、似ているかもしれないが、ただ似ている、共通する点がある、というだけなのではないだろうか。

ついで次の段落となる。
國民文化の三特質
ここで三島は、〆撞∪、∩澗寮、主体性の三つを特質として挙げている。
これも曖昧で回りくどく分かりにくい記述である。

,寮睫世涼罎如屬發痢廚箸いΩ斥佞出てくる。
更に見られるもの」「見るもの」 という記述が出てくる。
ここまでくると、三島が以前から関心を寄せていたハイデッガーを意識しての記述であることがうかがわれる。
Wikiが分かりやすく要約してくれていることに気づいた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「日本文化の特質は「再帰性」「全体性」「主体性」の三つに要約される。
「再帰性」とは、文化が過去にのみに属する「完結したもの」ではなく、現代の日本人の主体に蘇り、現在の時に「連続性と再帰性」が喚起されることである。
「全体性」とは、文化を道徳的に判断するのではなく、倫理を「美的」に判断し、〈菊と刀〉を「まるごと容認」することである。文化とは本来は「改良」も「進歩」も「修正」も不可能なものであり、包括的に保持するべきものである。
「主体性」とは、文化創造の主体者たる個人における「形(フォルム)」の継承である。人間が「主体なき客観性」に依拠した単なるカメラや機能であってはならない。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「見られるもの」「見るもの」との言う記述は、この中で「再帰性」を語る文脈の中で出てくるのである。
なにか今風というか、再帰性、反復という語で置き換えると、デカルト的特権的主体ではなく、「見られる」つまり「他者によって」見られるような主体、という意図が伺えるかの如くもとれる。
文化に必須である伝統、歴史、時間、それらの中で生きる主体とは、常に他者による眼差しを受ける主体、それは意識しないまでもそのしがらみの中でしか生きてはいけない、という発想が芽生えている。
フロイドでいえば、反復強迫である。

三島の記述である。
「文化の再帰性とは文化がただ「見られる」ものではなくて、「見る」ものとして見返してくる、といふ認識にほかならない。」
という中で「見る」ものとは、過去の伝統、他者である。
三島にとっての主体の中には、この時点で時間、他者という思考が折込まれつつつあったのだろうか。

「全体性」については、まさに三島の指摘に賛意を示さないものは、今の世ではごくごく少数派であろう。
美と醜、健全と頽廃、痛み、不快を伴いつつ、我々はありとあらゆる雑多、混沌、いわばかりそめで使う言葉であるが「すべて」を包含させ、甘受するべきであり、そうでしかない。

「主体性」 これについては色々と議論があるだろう。
三島は、丹羽文雄の戦中、戦後の文筆活動に批判的である。
丹羽文雄のペンとは、克明に写し取ることのできるカメラである。
そこには主体の関与はない、という趣旨である。

私が思うに、カメラレンズのごとく事象を克明にペンで写実として記述できるなら、まさに文筆家の到達点であり、見事、素晴らしいことであろう。
三島が言うほど、主体は他者から独立し、孤高の存在として自らの欲望に能動的に関与し、果たして実行できるであろうか。
近代的、というよりも古典的主体観に三島が陥っていたことが伺われる、私はそう思う。
三島は、自分の自我の中に潜み操る他者に対して、あまりに無邪気、無防備であった。
これは行動論への三島的な不思議な「確信」へと繋がっていく。




次の段落である。


何に対して文化を守るか

「體を通してきて、行動様式を学んで、そこで初めて自分のオリジナルをつかむという日本人の文化概念、といふよりも、文化と行動を一致させる思考形式は、あらゆる政治形態の下で、多少の危険性を孕めていると見られている。」

で始まるのであるが、なにやら陽明学に関する三島の思いがほのめかされる。
言論統制が、文化の切断、断絶を意図するもの、として俎上に挙げられる。

ここで源氏物語について言及される。
江戸時代、源氏は「淫蕩な」書、特に儒学者の間で見做されきた、らしい。
ここで再度「菊と刀」が取り上げられる。
「刀」による防衛の必要性、重要性、必須性を強調する。
文化は、文化によっては防衛できないとするのである。
三島は、「文化主義」「平和主義」にひそむ偽善性、怯懦を告発する。

しかし、ここには目もくらむような論理の飛躍がある。
抑圧するものは、言論だけとは限らないであろう、音楽、美術、藝能も場合によっては、権力者、或いはある種の集団、大衆、民族によってさえも弾圧され得るであろう。
ここでいきなり文化の防衛のために、人は「刀」を抜かねばならないのであろうか。
これでは当事者同士いくら命があっても、足らないであろう。
文化を抑圧するもの、それは出所は様々であろうが、暴力であれ、権力であれ、法的拘束力であれ、何らかの物理的強制力を持つものである。

戦後仇討ちをテーマとした歌舞伎、大革命中のサドの作品はその渦中で苦悩にあえいだ。
三島の作品「癩王のテラス」、最近までアマゾンでは入手困難であった。
一昨年の3月、同作品「ライ王のテラス」と名付けられ劇場公演が行われたことを、無知な私は今日知った。

これは権力と、それに抗する作家、愛好者の権力闘争となる。
言論での闘争から、地下出版、法廷闘争、或いはデモ、平和的なものから暴力的なものまで、或いは民族闘争、戦争もその民族の持つ文化を守る防衛である。
幅広いものであり、複雑な現実への関与、投企であり、場合によっては身を滅ぼす、死にもいたり得る「行為」ともなる。

ラカンに言わせれば、「現実界」である。
この捉えがたい、或いは捉えることが可能であってもごくごく一部でしかない捕捉不能、不可能な「世界」なのである。
三島の記述中には、この捉えがたい「現実」というなかで生き、変化し、翻弄される「文化」という捉えがたい「もの」と一体化し得るに違いない、そうでなければならない、という超理想主義が潜伏している、そう私には感じ取れるのである。
幻想であり、それは必ず不幸な帰結、幻滅に終わる、それは宿命である。
三島がいう「文化」とは、いつの間にか対象aにすり替わっているのであるが、それは硬く武骨な記述のかなたに見え隠れしているのでわかりにくい。


ただ言論、表現の自由、その究極点を三島は主張しているのでもあるが、その点は私ならずとも多くの人々は賛意を示すものである。
が、表現の自由とは、不幸にも今日、権力、時によって人権という新たな権力によって遮断されうることを覚悟せねばならない。

弱者、少数者、排除されつつある人々、彼らの人権を自由に蹂躙する言論の自由とは、「シャルリ・エブド」でテロによって遮断されたばかりである。
これには議論あるところではある、いまだに。




次の段落である。

創造することと守ることの一致

「自我分析自我への埋没といふ孤立から、文化が不毛に陥るときに、これからの脱却のみが、文化の蘇生を成就すると考へられ、蘇生は同時に、自己の滅却を要求するのである。」

これは自我への埋没、ここで云う自我がなんであるかという疑問をまず感じるのであるが、自我に執着する文化、例えば私小説的な記述を批判しているのかもしれない。
文化が不毛に陥る原因を、自我への執着にのみ帰する事へのリスクを顧慮しなくてよかったのであろうか。或いは他の複数多々の要因を吟味し、具体的に記述したがそれら原因としては該当しえなかった、という過程をすっ飛ばしてしまった、私にはそう思える。


「かくて、創造することが守ることだといふ、主体と客体の合一が目賭されることは自然であろう。文武両道とはそのような思想である。」

何げなく記述されている一文であるが、三島の思想を考える上で非常に重要な記述である。
「創造することが守ること」とは、そういう場合もあり得るだろう。
しかし等価であろうか。
そうう言い切ってしまう危うさを包含している。

更には「主体と客体の合一が目賭されることは自然であろう」という曖昧な記述が続く。
創造する=守る、でありその二つは「主体と客体の合一」へと繋がっていく、と看做すことは「自然であろう」
という流れに、読者は巨大な警戒感を抱かざるを得ない。

ー臑里筏丗里蓮△修發修盥膂譴憩世襪發里任△蹐Δ。
これは思想上の大きな問題であり、一行の記述で済む問題とは異なる。

◆崛和い垢襪海箸守ることだ」と「主体と客体の合一」との関係性とは、「それらは単に類縁関係である、必然的不可避的関係性を保証し得ない」という言説には反論し得るのであろうか。

「自然であろう」というが、「自然である」とはここでは何を意味、隠喩し、何を意味しえないのであろうか。

なにか結論ありき、後付けの理屈のようでもある。
なにがなんでも文化、武道、肉体への賛美、彼の中で未消化な宝石を、ずらり並べるうえでの無理を重ねた修辞ではないだろうか。

この短い記述の中に三島が抱えていた深い懊悩、解決を焦らねばならない焦燥、それは深く暗い冥界なのであるが、その暗渠をうかがわせる。




次の段落である。

戦後民族主義の四段階

ここで三島は民族主義について記述し始める。

「血族共同体と国家との類縁関係はむざんに絶たれた。しかしなほ共同体原理は、そこかしこで、エモーショナルな政治反応を引き起こす最大の情動的要素になってゐる。それが今日、民族主義と呼ばれるところのものである。よかれあしかれ、新しい共同体原理がこれを通して呼び求められてゐることは明らかであろう。」

ここで三島が言う「血族共同体」というものがどういう意味、位置づけなのかは明らかではない。
が、血族とわざわざ記述したところから、「家族制度」の意味を含有させていたのではなかろうか。
家族を出発点とする共同体、さらには国家という権力機構との関係性が、絶たれている。
そのような意味であろうか。

それを償う、或いは代償するために蠢く、時に勃興するものとは民族主義という位置づけで論じられるようである。

「民族主義」の発展段階として、三島は以下の如く記述した。


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戦後しばらく、占領下の民族主義は国家観念の明らかな崩壊の状況下に社会革命なるものと癒着してゐるやうな外見を呈した。
それはおとなし気な外観とともに、声高な革命の空想とも癒着してゐた、とする。
これは1960年、第一次安保闘争で一旦終焉を迎えた。

自民党政府は、徐々に国家権力による民族主義の収奪を考へた。 中略 オリンピックにおいて、平和憲法と民族主義との戦後最大の握手が国家の司祭によって成功した。
所得倍増政策、高度成長経済の達成、さらにはその記念碑としてのオリンピックを、民族主義の国家によるガス抜き済みの偽善的管理である、と三島は批判しているようである。
その偽善をあからさまに告発し、国家の目論見を失敗させたたのが、円谷選手による自刃であった、と主張する。

F本で最盛期を迎えた学生運動、三島はエンタープライズ事件を引き合いに出す。
すなはち、ヴィエトナム戦争への感傷的人道主義的同情は、民族主義とインターナショナリズムの癒着を無意識のうちに醸成し、反政府的感情とこれが結合して、一つの類推を成立させた。
佐世保の米軍基地に学生2名が突入した学生運動を取り上げ(結構その行為に対して三島は快哉を感じていたが、ただ侵入に終わったことに晦渋な表現で失望を述べている)その背後には反米主義、ベトナム戦争によって醸造された、民族主義とインターナショナリズムの「危険な野合」を指摘する。
この三島の指摘は、今日当を得ていると私も思うのである。

ぁ‖茖潅奮について記述される。
ところがここで今日の視点から言えば、大変な逸脱を喫してしまう。
なにせ40年前ではある。
中央公論社でも、特に奇異とは思わなかったであろう。

民族主義とは、本来、一民族一国家、一個の文化伝統・言語伝統による政治的統一の熱情に他ならない。

日本は世界にも稀な単一民族単一言語の国であり、言語と文化伝統を共有するわが民族は、太古から政治的統一をなしとげてをり、われわれの文化の連続性は、民族と国との非分離にかかってゐる。

同じようなことを放言し、謝罪した政治家を思い出す。
なにせ40年前ではある、目くじら立てても仕方がないが。
ここから、日本には民族問題はそもそも存在しない、と三島は記述する。

「沖縄問題」「朝鮮人問題」「新島の島民」を糧に、加害者、被害者の政治的プロパガンダそれの道具としての民族主義が顕在化している、と主張する。
が、このあたりから三島の文化の窮屈さ、息苦しさ、固定化した可変性の喪失、思想の中のそれこそ「死んだ美」「剥製のような美」が忍び寄ってくるのである。






次の段落である。

文化の全体性と全体主義


「敍上の如く、日本では戰後眞の異民族問題はなく、左右いづれの側にとっても、同民族の合意の形成が目標であることはいふまでもないが、同民族の合意とは、少なくとも日本においては、日本がその姿に目覚め、民族的目的と國家的目的が文化概念に包まれて一致することある。その鍵は文化にだけあるのである。」


なんとも思い込みの強い言である。

1970年代といっても、いかに島国日本といえどアイヌ、少数であるが二ヴフ、ウイルタといった北方、独自の文化を持った人々がいた。

70年代は少なかったかもしれないが、すでに朝鮮に限らず世界各国から日本に帰化、様々な民族性を背負いつつ日本人となった人々が少なからずいたはずである。

これらの人々の「文化」を無視し、所謂大和人を基準とした前の段落での「単一民族」、本段落での「異民族問題はなく」とは、いかにも違和感をぬぐえない。
このような狭量、強引な視点では、日本という多彩で雑然とした文化を持つ人々、そのとてつもなく複雑な集団を、一括りで語ることは不可能というか、どこか上滑りとならざるを得ない。
そのような「単一民族」「異民族問題はない」を前提とする三島はさらに不安定、奇異ともいえる記述をし始める。

そもそも文化の全体性とは、左右あらゆる形態の全体主義との完全な対立概念であるが、ここには詩と政治とのもつもっとも古い対立がひそんでいる。文化を全体的に容認する政体は可能かといふ問題は、ほとんど、エロティシズムを全体的に容認する政体は可能かといふ問題に接近してゐる。」

ここで三島が言うエロテイシズムとは、おそらく三島が高く評価していたG.バタイユ的文脈であろう。
いつもエロティシズムを語るとき、三島は中国の凌遅刑を常にバタイユ的見地から語っていた。
写真を載せるわけにはいかないが、私なりに要約すれば、おぞましさの極致、自我を消し去ってしまう生で赤裸々な主体が露出する「現実」であり、絶対者、死を眼前とする光景なのである。


包括的、幅広い文化(美から醜、貴から賤、純から雑、ありとあらゆるものでなければならないとする)というもの、三島はこれを必須とする。
そういいながらの「単一民族」なのであるが。
この文化の全体性に「嫉妬」し、これを束縛するものが「全体主義」であり、三島は全体主義こそを排する。
これは今の世でもまさに正論である。

ここから先の三島の記述は、最初は微妙であるが段々と大きな円弧を描きながら逸脱していくのである。
「言論自由は本質的に無倫理的であり、それ自体が相対主義の上に政治技術的概念であるから、」

当然である。
それであるからこそ、文化は多様であり、豊穣、猥雑、節操にかけるのであり、尊いのである。
ところが三島は文化に絶対の安定性、ないものねだりなのであるが、それを希求し始める。

「前略 文化共同体理念は、その絶対的倫理的価値と同時に、文化の無差別包括性を併せ持たねばならぬ。ここに文化概念としての天皇が登場する。」

相対的、不安定さを身上とする文化である。
そこに無理やり、しゃにむに絶対性、安定性を求めるがために現人神、天皇が登場してしまう。


最後の段落である。


文化概念としての天皇

三島はこの最後の文章を記したいがために、これまでの記述を為したわけである。
下準備の後の記述、というわけであるが、それでも「菊と刀」、天皇と軍隊という三島の主張は今の世では突飛というほかはない。
だがこの時代、70年安保が祭りの炎のごとく燃え上がり、しかしさほどの社会的変革をもたらしたわけでもなく終息を迎え、なおも冷戦時代であった。
三島なりに、切迫した危機感を抱いていたのであろう。

最初はよくある手法であるが、三島の忌憚なき意見ではなく「思想界」の重鎮というか、識者のご意見を読者は拝読するはめになる。
当時の「佐々木惣一博士」、「和辻哲郎氏」の論争、昭和22年頃の象徴天皇制と「国体」概念論争らしいが、今読んで興味を持てる内容ではない。
退屈である。
天皇制、国体、政治、文化、共同体、これらの概念をどう組み合わせるや否や、という括りしか粗雑な私の頭ではできなかった。
が、三島にとって必要だったのは以下の如き記述であったと思う。


「ここで氏(和辻哲郎氏)が、天皇概念を国家概念と分離するとき、そこまで氏自身が意図したかどうかは定かではないが、『国家が分裂しても国民の統一は失われなかった』歴史的事実における統合の象徴としての天皇が、文化共同体の象徴概念であるがゆゑにこそ、変革の理念たりえたといふ消息がおのづから語られてゐるのは示唆的である。」

何か三島にとって都合の良いというか、「権威者」の言述から美味しい部分を抜き出したに過ぎないのではないか、という意地悪な見方もできる。

鎌倉幕府崩壊から、南北朝、更には皇室が貧窮を極めた戦国時代、この時代においてはたして「国民の統一は失われなかった」と言えるのであろうか、国民、武士団(それは農民でもあったのだが)は離合集散を常に抜け目なく繰り返し、首が飛ばないように必死、懸命であった。
「国民の統一」とは程遠かった。
幕末もそうである。
鳥羽伏見の折、幕府の若手首脳部は、本気で武力による皇室廃止を画策していた。

次いで三島は、津田左右吉氏の論として、以下のごとく引用する。

『今一つの重要なことがらは、皇室の文化上の地位とそのはたらきとである。上代においては皇室が文化の中心でもあり指導者でもあられたことは、いうまでもないがこれは日本の地理的位置と、農業本意である日本人の生活状態とから、民衆が異民族と接触しなかったために、シナの文物を受け入れるには朝廷の力によらねばならなかったところに主因があり、武力を用いられることの無い皇室が、おのずから平和の事業に威を注がれたことも、それを助けること事情となったであろう。 以下略』


実はこ天皇制を考えるとき、重要な記述が記されている。

‘本が島国であり、今日よく言われる地政学上の特徴により、独立、或いは孤立した歴史を長期間歩むことができた。
日本は農業本意の生活状態であった。
D廷が中国との外交を一手に受け持った。
す勅爾鷲靂呂鰺僂い覆った。(これは、南北朝だけを考えても、そう言い切ってしまうのは如何なものかとは思うが)

このあたりは、今日においても常識的であり、青筋立てて反駁する筋合いではない。

が、三島の記述は、これ以降飛躍が目立ち始める。
三島の本意は以下のごとく記述されている。

「雑多な、広範な、包括的な文化の全体性に、正に見合ふだけの唯一の価値自体として、われわれは天皇の眞姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない。」


「このような文化概念としての天皇制は、文化の全体性の二要件を充たし、時間的連続性が祭祀につながるとともに、空間的連続性は時には政治的無秩序さへ容認するにいたることは、あたかも最深のエロティシズムが、一方では古来神権政治に、他方ではアナーキズムに接着するのと照應してゐる。」

「『みやび』は、宮廷の文化的精華であり、それへのあこがれであったが、非常の時には、『みやび』はテロリズムの形態さへとった。すなはち、文化概念としての天皇は、国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側へも手を差し伸べててゐたのである。」

この実例として三島は、「光明天皇の大御心に應へて起った桜田門変の義士達」「二・二・六事件」をあげた。

「(戦後)天皇と文化は相関はらなくなり、左右の全体主義に対抗する唯一の理念としての『文化概念たる天皇』『文化の全体性の統括者としての天皇』のイメージの復活と定立は、つひに試みられることなくして終わった。」

「みやびの源流が天皇であるといふことは、美的価値の最高度を『みやび』に求める伝統を物語り、左翼の民衆文化論の示唆するところとなって、日本の民衆文化は概ね『みやびのまねび』に発してゐる。」

等々、同じような趣旨の文章が並ぶ。
三島は、天皇に日本の美の精髄、その根源を求めるのである

ここで唐突に日本神話、頻用されるエピソード、須佐之男命である。
ここの反逆、革命、卑俗さへも「みやび」に包括されるとする。
とどのつまり「みやび」を起点に、「菊と刀」、ついには以下の記述へと飛躍する

「菊と刀の栄誉が最終的に帰一する根源が天皇なのであるから、軍事上の栄誉も亦、文化概念としての天皇から與へられなければならない。」

ほぼ文脈としてはかくのごとくである。

一つ一つに賛同する、反対する、色々な考えがあるであろう。
むきになって論を重ねても退屈なだけである。

私としては、ここで40年後の今、視点を変え記述してみたい。

1・天皇と武力の問題
2・天皇と「穢れ」の問題
3・三島がこれを記述せざるを得なかった心情への仮説
4・三島がおそらく抱いていたであろう家族観

である。




1・天皇と武力の問題

私は歴史の専門家ではない。
ど素人である。
そのような私の歴史論議でしかないのである、と言い訳をさせていただく。

おそらく平安時代以前の日本、天皇家の内紛、内乱は頻繁であったようである。
最近では、中大兄皇子、天武天皇の時代、大きな政変があったという説をよく聞く。
少なくとも、古代の天皇は、殺戮を勝ち抜いてきた人々であった、らしい。

ところが平安時代、特に藤原氏の摂関時代に至り、天皇と武力との関係性はどんどん希薄化していく。
律令制にも、兵部省、刑部省と軍隊警察機構はあったが、何故か著しく非力であった。
更に桓武天皇の時代、常設の軍隊を一切保持しなくなった。
これは巷間、「穢れ」の概念が当時の皇室周辺で強く影響していたと言われているが、確証はない。
なにか「穢れ」という概念的なものだけではなく、常備軍を保持することは、経済的に無理があったのかもしれない。
中世、ルネッサンス期の西欧でも、似た事情があった。
フランス王も近衛兵しか持たなかったが、それもドイツ、スイス人傭兵であった。
京の治安を守る必要性から、検非違使という令外官制度が作られたが、京市中の警察的役割しか持たなかった。

一方、無警察状態の地方では、治安維持に苦慮した。
その結果、農民が武装化し武士団を形成するようになった。
武士団の棟梁となったのは、都では摂関家に冷や飯を食わされ、地方に任官下野した、或いは追放された皇族、その末裔たちであった。
というのが歴史の授業で教わった天皇と武力との経緯である。
天皇、及びそれを取り巻く公家たちの「穢れ」への怖れ、それは死であり疫病、更には人を殺す武士、武力への怖れ、侮蔑へと転じ、汎化した、という説をよく目にする。
が、常備軍を維持する経済的負担、及び皇族同士の内紛、クーデターで常備軍を利用され寝首を掻かれる、或いは常備軍そのものの反逆、というマイナス要因を勘定に入れていたのではないだろうか。

だが、南北朝時代ともなると天皇家も悠長なことは言っていられなくなった。
後醍醐天皇の息子たちは、みな各地に散って北朝方勢力と戦闘に明け暮れていた。
中でも後村上天皇、幼児期から北畠親房に連れられ戦場を転々とする生活であった。
97代天皇に即位後も大和賀名生に本拠地を置き、足利一族と抗争を繰り返した。
足利家の内紛に乗じ、一時的ではあったが京の奪還にも成功している。
伝説では、天皇は僧形に鎧兜、薙刀を持ち乗馬して出陣した、という。
負け戦では、命からがら逃走し天皇の鎧には数本の矢が刺さっていたとか。
後村上天皇、例外的な存在ではあった。
以後天皇は、軍事から遠ざかった。

ただ、明治からの皇室はがらりと変わった。
宮たちの多くは、軍服をまとい海外の戦地にも赴いた。




2・天皇と「穢れ」の問題

天皇は神道の総帥である。
戦前は現人神であらせられた。
天皇が何故、例外を除き基本的には武力を保持してこなかったのか、その説明に使われる概念に「穢れ思想」がある。
穢れについてwikiをみるがあまり要領を得ない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E3%82%8C

神道において、「穢れ」の源泉になるものとは、どうも「死」に繋がっていくようである。
一方では、女性の月経、出産、出血が絡むものであるが、これも「穢れ」に相当するそうである。
一種のタブーであろうか。

「死」とは、生命体である人間にとって絶対としての他者である。
全ての生命体にとって、何時かは出会わなければならない不可避の絶対者でもある。
人間にとって、そのことから逃れられない宿命であるからこそ、「祓う」という行為が為され、そのことを尊ぶ。
女性の出産、昔は現実的に「死」と隣り合わせの大仕事であったし(今もそうであるが)、同時に「死」の対極に位置していた。
これまた不可知、未知の生命体誕生である。
これも見方を変えれば、対極にある「死」を思い起こさせる、不吉なものである。
同時に人智の及ばない神秘でもある。
いわば無から有が生じる不条理な事象でもある。

この「死」、そして生命体の「誕生」という「穢れ」を祓う、禊を行う祭祀者こそが天皇である。
いわば「穢れ」同士の綱引きの中央部に位置して、何とかバランスを維持する、バランスをとりながら、かくの如き緊張関係をヴェールで覆い隠蔽する、隠蔽により民の安寧を維持させる。

天皇の担う責務とは、そのような緊張関係の上に存在せざるを得ない。
三島が執拗に主張する「エロティシズム論」とは、本来この「穢れ」に遺憾なく綿密、執拗、仮借なく赤裸々に言及するべきであり、そうでしか三島の論拠は存在し得ない。
何故、三島がバタイユに言及しつつも曖昧、煮え切らぬ言述に終始したのは、「穢れ」が持つ禁忌に触れることを恐れたからであろう。
言及することはタブー、禁忌であるからこそエロティックなのであるが、これは物書きとして反則である。

ところで明治以前歴代の天皇は、対外的に排他的であったようである。
なにせ遠いご先祖は、7世紀の白村江の戦い、13世紀元寇でさんざんご苦労なさった経験がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87#%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9E%E4%BD%BF%E7%AF%80
元寇の折は、1268年鎌倉幕府は、外交は天皇の役割、と交渉の役割を当初朝廷に振っている。
朝廷は、元との外交交渉を即座に断っている。

次に興味深い天皇と外国との接触があった。

カトリック勢力、イエズス会の布教である。
1551年、京に滞在したザビエルは、室町将軍足利義輝との拝謁は京が戦乱の為にできず、後奈良天皇への拝謁は全く相手にされなかった。
余談であるが、当時の後奈良天皇、先代の後柏原天皇共に、歴史上最も貧窮した天皇である。
京都御所、道喜門のいわれをNHKが紹介していた。
川端道喜という餅屋が、貧窮していた天皇に粽持ちを毎日差し入れしていたのである。
後柏原天皇は、毎朝の差し入れを、まだかまだかと楽しみになさっておられたとか。
この風習は、幕末まで続いた。

wikiにはザビエルの貢物が不足していたから、とあるが実際にはもっと根源的問題があった。
1560年、ガスパール・ヴィレラ司祭は、足利義輝への拝謁が叶い、布教を許可されている。
が、正親町天皇との拝謁は、けんもほろろ全く叶わなかった。
あくまで異国人、異教徒として朝廷からは強く排斥された。

ところが1581年、織田信長によって内裏で催された有名な京都御馬揃えの際、ひと悶着があった。
正親町天皇御高覧の席である。
大規模な桟敷が設けられた。
天皇、公家が坐する位置から見える場所に、当時来日していたイエズス会ナンバー2、巡察使であったアレキサンドル・ヴァリニアーニ一行が招かれ見物していたのである。
それを見た天皇、皇族、公家共にひどく困惑したとか。
天皇にとって、彼らはおそらく「穢れ」として映ったのであろう。


3・三島がこれを記述せざるを得なかった心情への仮説

三島の記述の中ではなかなか伺い知れないことであるが、語り言葉、言述を聞くと三島が実に誠実で正直であることがわかる。
三島の「文化防衛論」における主旨を再度まとめてみたい、私なりにであるが。

‘本の文化の構造、その中の空間、時間の中軸にあるのは生身の天皇である。
空間的広がりの説明の中で、日本文化というのは無政府状態、アナーキズム、放埓な反乱さえも包含しえた。
更には文化の「全体性」として、ありとあらゆる卑俗なものさえも包含しえる、そのような権能を持つ。
ここに天皇を中心とした日本文化のエロティシズムとしての、本質がある。

日本文化の精髄とは、歴史の中で断絶する危機はあったかもしれないが、今日まで綿々と継続し続けている。
時間という連続した軸、その中軸にあるのは天皇である。
天皇とは、各々がオリジナルであり、常に過去から「みられ」かつ「みる」という反復性を維持し続けるのである。

I靂呂筏離を置き続けた天皇は、常に文化、特に「詩」の洗練に意を尽くし続け、その清華が今日の日本文化の精髄を成している。
そもそも日本とは、世界にも稀な単一民族からなる、純度の高い精緻な文化を構築し続けてきた歴史がある。
(いうまでもなく、聞かされるほうも恥ずかしい誤謬、偏見に満ちた軽薄、浅薄な言説である。かくの如き狭量な思考こそが、三島をして文化の祭祀者、すなわち天皇へと強引に収斂させてしまう。その三島の引っ込みのつかない呪縛、不自由な思考が希求したのは自決であり、不可解な悲劇であった)

ぁ´△能劼戮親本の文化の危機、それは明治以降、常在している。
天皇は、常に政治勢力によって政治のために利用され続けた。
このため本来の文化の中軸としての権能が見えづらくなってしまった。
日本文化の防衛とは、この歪みを正すことである。
文化防衛とは、言論の自由と大きく重畳するし、その自由とは倫理を知らない。
そのような自由を、我々は何よりも重んじなければならないものである。
自由を束縛する全体主義は、共産主義、資本主義、その政治体制ににかかわらず、断固排さねばならない。

ヅ傾弔蓮武力を持たなかった。
しかし日本文化とは「菊と刀」である。
反逆や放埓な武さえも包含しえるのが、天皇の文化であった。
天皇にこそ、日本の軍隊の統帥権を帰するべきである。


思いつくままに記してみた。
お前全然わかってないな、というお声も聞こえてきそうである。
三島の主張に、没後40年以上たった今日においても耳を傾けることは有意義である。
私なりに、三島の心情を推し量ってみた。
三島が自決する数か月前のインタヴューがYou-tubeにアップされている。









実に興味深い。
もうこの時点では、死を決していたはずである。
もう死ぬ身である。
「見ていてくださいよ、じきにわかりますから」
何度か繰り返されるこの言葉が痛々しい。

さて、三島の記述、言述から、ある種の言説と奇妙な類似点を感じた。

カトリックである。
三島文化の中心軸を、天皇が唯一であり、他にはない、とする。
インタヴューの中では、絶対性と陳述する。
まるで神の代理人ローマ法王ではないか、いや違うと三島はいうだろうが。
しかし一神教の教義のようである、三島の記述からはそう思える。

私見であるが、日本は神々の国である。
多神教の人々が常に大多数であり、神々を祭祀しながら営みを継続し続けてきた国である。
三島の主張に、まず違和感を感じるのはこの点である。
天皇は、確かに日本文化の中枢にあった。
しかし中枢にあるのは、他にも多々あるのではないだろうか。
例えば卑俗なもの、賤しい、排除されてきたもの、隠蔽され続けてきたが絶滅しえなかったもの、いわば天皇の正当性を逆説的に支えてきたものである。
日本という空間を網羅し、時間を通じて脈々と伝わて来た数々のアイテム、その中の一つが天皇制であり、天皇制はその中でも中枢部、根幹に位置している、私はそう思うことにしている。
多彩なものは、多彩であり、ある種のカオスであり、それがこの世の豊饒さを保証し、人々を飽きさせないのである。


三島の主張に別の見方もできる。
天皇を文化の精髄、中軸、みやび、詩を次々に生み出す美の生産者、様々に賛美する。
更には「菊と剣」であり、刀を付与せよというのである。
ラカン的にいえば、天皇をファルス化しているといえる。

斜線を引かれたS  $を主体とし、語り得ぬシニフィアン、S1(三島がファルス化した天皇である)に語り掛けるとどうなるであろうか。
生産されるものとはS2である。
S2とは、様々な言説である、しかし、あくまで残渣物、残り物、更には主体にとってのごみであり、作品でもあり、抜け殻でもあり、主体の求めに対し施しを金輪際、一切もたらさない。

三島は空疎な言述に、心の奥底では落胆するし、まだ語りつくせるはずだ、と幻想を抱く。
その幻想とは真理の場であり、対象aで表されるが、三島には到達することはあたわない。
よく知られた、ラカンの4つの言説の中のヒステリー者の言説である。
重要なことは、ファルスに向かって語る主体$にとって真理の場に出現する対象aとは、剰余享楽である。


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いわば三島が繰り返し主張し、魅了されていることも公言していたが、天皇の周囲にあるはずの禁忌、エロティシズムとは、実はここに潜んでいるのである。
三島は、このエロティシズム、対象aに魅せられ、現実界の中を闇雲に突っ走ってしまった。
「禁忌」を犯し、市谷の総監室で血塗れの惨劇、自決を決行する、それは苦痛に満ちた死でもあった。
いわば享楽でもあった対象aに、三島は生きながら出会い、その数秒後に死んでいったのである。
三島にとっては、エロティシズムとの一体化を果たしてしまったのである。




4・三島の家族観

三島の祖父は樺太庁長官、父は東大卒後農林省の局長まで務めた高級官僚、超エリートの家庭であった。
祖父定太郎が死亡する1942年まで、三島は祖父、父、と三世帯家族であった。
祖母は三島を溺愛した有名な夏子である。

後年三島は結婚し2子をなす。
超有名作家になった後も、父梓は三島と同居し続けている。
やはり三世帯家族である。
三島は3人兄弟の長子、妹は17歳で早逝、は有名である。
弟千之氏は、祖父の代からの官僚の道、外務省を選ぶ。
そして弟千之氏は、ポルトガル大使の経験もあり、早くから家を出たようである。

とみてくると、昔ながらの日本の家庭である。
エマニュエル・トッドのいう典型的直系家族である。
日本、特に戦前の東京では最も主要な家族形態であった。
更には、伝統的農耕社会では頻繁にみられる。
他の家族形態、絶対核家族主義、平等主義核家族主義、共同体家族とは異なる性格を持つ。

三島の日常生活にも、この家族観に大きな影響があったのでは、と思われる。
すなわち、父親は権威的である。
権威には従順であり、秩序、しきたりを尊重する。
勤勉であり、教育熱心である。
兄弟間の不平等を止むを得ない、或いは社会の中でも不平等は当然であると受け入れる。
長男以外は、早くから実家を出て自分の生活手段を獲得しなければならない。

三島の文化観、思想形成の中で、このような伝統的家族観が大きな比重を占めていたと、私は考える。
天皇家も、この直系家族の一典型である。

ここまでだらだらと記してきたが、ネットを主とした乏しい知識を基にした雑文であり、いや違う、とおっしゃる方々がたくさんおられると察せられる。

もっとも正解などは、ないのであるが。




















月が登らなかった夜に    ダイ・シ・ジェ





読み始めてすぐに、これは傑作だと感じた。
もう一度言おう、これは傑作である。

ベストセラーとなった「バルザックと小さな中国のお針子」、本当は悲惨な物語、苦労話なのだろうが、読後の読者の思念に残るのはユーモアに富んだ青春小説であった。






「フロイトの弟子と旅する長椅子」は良くなかった。
文中に瀕用されるフロイトもラカンも消化不良、いや精神分析の名を借りてはいるが全く無縁、無関係、或いは不適切な道具仕立てであった。
中国社会の混沌に逆に飲み込まれた無残な失敗作、と個人的には思っていた。




が、本作品に関しては傑作、としか申し上げようがない。

作者はDai Sijie フランスでは文学者、そして映画監督でもある。
自作の小説「バルザックと中国の小さなお針子」を映画化、カンヌ映画祭で2002年 un certain regardに選出された。

この作家、非常に衒学的である。
スノッブである、作者はそのことを臆面なく披瀝しまくる。
なにせ中国4000年の歴史であるから、薀蓄をおっぱじめればそもそもきりのない世界である。
小説の題材には事欠かないであろう。
しかし本作品の主題とは、中国、その歴史、文化、社会、人々の生態等々、よく取り上げられてきた題材ではない。
中国における仏教伝来、それにまつわる或る一時代の記憶、といってしまうとこれまた違う。

太平洋戦時下日本陸軍航空機に搭乗していた満州国皇帝溥儀、帝国は崩壊し亡命の途に就くどさくさ時、ご乱心を呈した末に破り捨てられ、空から地上へと捨て去られた紙切れのお話なのである。
一巻の巻物、その切れ端の物語である。
紙切れには、今日知られていない言語が記載されている。

眩暈を感じるような複雑な語り口で語られる物語である。
語り語らるのは皇帝溥儀から北京の路地裏の人々、商店の売り子、学生、四川の刑務所の栄養失調の徒刑囚、刑務官、フランス人女性、フランスから中国に国籍変更した言語学者、ソルボンヌのチベット人僧侶兼教授、ひたすら仏典を木版に彫り続けるミャンマーの僧侶達であり、ありとあらゆる人々、としか言いようがないのである。
仏教の伝来、伝承、それに魅せられた人々が錯綜し、愛し、捨てられ、迫害され、殺され、時間という潮流に流される。

潮流の果てに小舟がたどり着くのは北京の路地裏、紫禁城、日本軍の連絡航空機、西域の砂漠、砂の中で朽ち果てた僧坊(その僧坊の奥には忘れ去られた極彩色の仏画が絵が画れ観る人もない)四川の山奥、囚人がひしめく劣悪な収容所、生き残ることが困難な強制労働鉱山、パリのモンパルナス通の狭いアパルトマン、カフェ、静謐なミャンマーの僧院、ありとあらゆる場所である。

あざとい光と汚泥が織りなす豪奢な織物である。

一読者として思うのは、かくのごとく奇態な作品こそは大真面目に歴史云々を考証(まともに考証すれば虚偽だらけである)するよりも、溢れ出る豊かな語彙と失われたものへの儚き憧憬、背骨をへし折るが如き仮借ない絶望を楽しめばよいのである。
読む間は、甘美で深く不健全で退廃的な酩酊に酔うことができる。
実に有難いことではないか。

この物語を語らせ続けるのは、人ではない。
古びれぼろぼろに黄ばんだ紙切れなのである。

そしてそこに記された謎の言語なのである。

この辺りからは、アラン・ポーの「盗まれた手紙」を想起させられる。

無意味を読解することこそ、人を魅了し幾重にも誤解を繰り返させ、行動へと駆り立てるものであり、無と有の間を周遊させるものである。
周遊し果て、翻弄されたのち何かを悟るのではなく、再び新たな旅に出ることになるのであるが。


Les quatre vies du saule

Quatre Vies Du Saule (Folio)
Sa Shan
Gallimard Education
2001-06-01






Shan Sa、パリ在住の中国人女性作家である。
本作品は、作家が27歳の時の執筆。
Cazes賞受賞作である、といってもどんな位置づけなのかは私は知らないのであるが。
サンジェルマンにあるLippというアルザス料理店、アポリネールが顧客であった店らしいが、そこに出入りする文学スノッブらが創設した賞らしい。
私レベルの者でも、何とか読み通せる平易な内容、日本でいえば中高校生の課題図書にふさわしい水準であろう。
4つの短中編、各々時代を異にする、から構成されている。
一 二 三 四 と文頭に表記されている。
各々明朝、清朝末期、文化大革命、現代、と異なる時代の物語、通時的に何事かを語るという体を成す。


  

一 


明朝、正統帝英宗の頃である。
主人公は宮廷人の息子、両親を早く失い、山間部にて貧窮しつつも学問にはげむ。
文中Chong Yangと表記されており以前はwikiにて漢字名が表記できていたが、今日になって再検してみたら出てこない。
が、事の経緯から于謙のことではないかと思われる。
歴史上実在の人物、明朝の宰相である。
そのChong Yang、貧窮の頃出会った無二の友人、その双生児の妹と結婚する。

貧しい庵には柳の木があった。
仲睦まじく日々を送るが、別れを惜しみつつも都に出立する。
科挙の試験を優秀な成績で突破、宮廷につかえる。
故郷においてきた妻を案じながら、勤勉、真面目に官吏の道を順調に歩む。
有能であったから、上司には目をかけられ出世街道を目覚ましい勢いで上昇していく。
ついには官吏のゴールに達するころ、宮廷内の大派閥、中国で威を馳せた宦官たちとの勢力争いに巻き込まれる。
宮廷内で生き残るため、そして帝の意もあり「やむを得ず」有力な家柄の娘を迎え入れねばならなくなる。
故郷の妻は見捨てられてしまう。
彼は、罪の意識に苛まれる。
遠い地の妻に何度も語りかける。
が、彼の内奥に伝わってくるのは妻の恨みと絶望の声、そして最後は寂寥とした別れの言葉しか返ってこないのである。

1449年、国家の命運をかけたモンゴル族オイラトとの戦争、土木堡の変にも関わる。
同年八月明は大敗し、皇帝英宗はなんとモンゴル軍の捕虜になってしまう。
首都北京に残っていた明朝の王族、そして宰相に達したChong Yangらは捕虜になった正統帝の弟である景泰帝を擁立する。
宦官一派を粛正した明王朝は、首都北方の防衛線を固め、襲寄せてきたモンゴル軍を同年10月撃退した。
が、首都防衛には成功したものの、モンゴル族の捕虜から北京に帰還し体よく監禁された先帝栄宗は面白いはずがない。
1457年、弟景泰帝が病床に付したことを契機にクーデタをおこし、天順帝として重祚、再度即位した。
このごたごたの結果、Chong Yangはこの作品の中では身一つで北京を追放され、どことも知れずに消え去っていく。(史実では帝の命で処刑されたとある)

後には柳の葉が風に舞うのみであった。

  





清朝末期、長城の北、延々と丘陵が続く辺境の地の若き双生児の兄、妹の物語。
架空の物語である。
双生児、というのはこの時代何か特別な意義付けがあったのであろう。
その地の有力な地主、領主の子として生まれた女性が主人公である。
作家の自己像の投影であろうか、詩歌、学問に秀で、琵琶の演奏にも長けた才媛である。
が、この時代の中国、あくまで女性は男たちの愛玩物、家僕でしかなかった。
主人公は思春期を迎える前に纏足を強いられる。
空間の異動を著しく制限されるため、家屋の外の世界には出ることがあたわない。
壁にまたがり眺め渡す彼女の前には、広大な外の世界がある。
無限に広がる草原、そのかなたへの強い憧憬を彼女は抱き続ける。
一方双子の兄、彼は勉強は大嫌い、怠惰、しかし乗馬、鷹狩には情熱を燃やす。
この兄と教養知的水準は高いもの阿片に耽溺し、愛人、側室だらけ、専横な父との葛藤が兄、妹の別離をもたらす。
父から側室とのあらぬ仲を疑われ殺されかかった兄は、主人公の妹からあたふたと家を出るように仕向けられる。
どさくさの中、専横な父は1番目の側室から刺殺される。

兄は、当てもなく辺境の彼方へと旅立つ。
結果として、主人公の妹は幼くして一家の女主人となり、使用人に対して峻厳な大地主となる。
邪魔な父の側室たちは放逐する。
中国における近代的女性の確立である。

一方あてのない旅に出た兄、丘陵を超え、広大な湖、深い渓谷から山岳地帯、雪、寒さに振るえる。
ステップ的乾燥地帯、最後には砂漠、そこではかって交易で栄え今では朽ち果てた都市、砂に覆われつつある城壁、寺院、或いは遊牧するモンゴル族との出会い。
更には万里の長城を通過、黄河を小舟で旅し、はるばると広がる田園地帯、泥まみれの貧しい農民を目にし、最後には北京に達する。
北京紫禁城、そこで兄の足取りは途絶え、消えていく。
古代から続く祖先、父祖の世界へと入っていく。
物語的構成を云々するよりも、道行きでの広漠として美しい光景、草原を駆ける馬のいななき、駱駝の鈴の、砂をまき散らす風の音、身を焦がす砂漠の光、峻厳な渓谷と立ち込める靄、情緒に満ちた記述が美しい。


 





1970年代、毛沢東による権力奪取の闘争、その道具として利用され弄ばれつくした紅衛兵、若年の主人公である。
作家の一世代前の女性の物語である。
諫め、宥め、制止する賢明な両親の説得を振り切り、実家を飛び出してしまう。
「修正主義者」との闘争を通じ、真の革命家を目指す。
若者の集団、そこでは有象無象の政治的スローガンは念仏の如く数限りなく出てくるのであるが、実態は何もない。
農村に出て厳しい労働にいそしむ。
そこでは主人公の分身ともみなせるSaule 柳という名の少女に出会う。
弱弱しいSauleを主人公は軽蔑するが、一方では妹のように庇う。

が、そこで待ち受けていたのは、派閥争い、いろいろと主義主張をかざしつつも権力闘争の魔力に引き込まれた若者たちの共食いである。
その渦中に巻き込まれた主人公は刑務所に投獄、劣悪な環境下で栄養失調に苦しむ。
夜の闇に紛れ、刑務所にこっそりと食物を持参したSaule、そして主人公は看守の銃弾に落命する。


 





現代の北京。
Aijingという女性、キャリアウーマンとして多忙な生活を送る主人公。
現在は独身。
美容関係の企業に勤務している。
物質的には不満はない、高級マンションで生活、朝から晩まで多忙である。
常に焦燥、不満で身を焦がし続ける。
母からの電話にも、不機嫌なまま癇癪を起すのだった。
遅くまで残業をし短時間の睡眠、ぼんやりした頭でいつもの出張の旅に出る。
香港に向かって離陸した飛行機の中で、寝不足の彼女は眠りに入る。
美しい夢を見る。
白馬にまたがる騎士が彼女を美しい宮殿に誘う。
広大な庭園と森、はるかに広がる湖、華やかな宴会、美しい宮廷人。
彼女は女帝によって皇太子妃に選ばれたのであった。
幸福な主人公、入念に化粧し着飾り、今の世の美の化身となる。
あらゆる富と健康、美貌を体現する。
ハンサムで素晴らしい伴侶、そして出産、美しい王子が現れる。
子供は何の危惧もなく成長する。
至福の酩酊のうちに、あるものが訪れる。
老いである。
膚の皴、背は曲がり、白髪に覆われる。
自らの人生が、死に向かいつつあることを悟る。
そのような年老い死へと向かいつつある自分への愛、その至高の愛の法悦を求め、それは遺憾なく適えられ目を閉じる
エクスタシーのような至福の中、香港に到着するアナウンスで彼女は覚醒する。
ぼんやりとしたままホテルに到着した。
ゆったりとした入浴の後、身支度をしなければならない。
テレビインタヴューが彼女を待ち受けている。
スーツケースを開ける。
洒落たスーツの狭間、色あせた柳の葉の輪を見つけるのであった。

  *

一から四までの寓話は、東洋的とも過去に言われ続けてきた輪廻、その輪で結ばれている。
儚く可憐であり、どこか悲し気な情緒が漂う。
素直にその儚さを、美しいフランス語の文章を通して楽しむことができる。
物語の筋書きを云々するよりも、その文章がもたらす情緒、風情を楽しむほうが賢明である。





彼女の作品は日本でも数冊翻訳され、なかなか人気のある作家のようである。
「碁を打つ女」
「女帝 わが名は則天武后」
「午前4時東京で会いますか? パリ・東京往復書簡」

なんとなく読んだのだが、最も印象に残っているのは三番目の著作である。











現在Luxenbourg公園近く、多分お洒落なアパルトマンに在住であるとか。
10代の頃フランス留学中の父親に呼び寄せられたこの女性、中国でも文革でご両親が翻弄されまくり、彼女はパリの高校、フランス語学習で手厳しい洗礼を受けた。
その際の怨念話が、ねっとり、執拗に記述されている。
実にあくの強そう、というか強烈な電磁波の如きオーラが行間から漂ってくる。
確かに中国国籍で、あのこすっからいパリで生き抜き、更に生き血をすする百鬼夜行のフランス文壇で頭角を現す、常人にはできないことではある。
最近は、画家、何かもやもやとした抽象画を描いておられるが、としても頭角を現しつつある。

が、真似はしたくないものである、いやそもそもできもしないが。




東京の秋  5

江戸後期、酒井抱一による美麗な絵巻。
wikiでは文化15年頃、50代の最も円熟完成した頃の作である。




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狩野派でよく見るお手本集かと思うが、絹地の高価な紙に丁寧な描写をしているところから、どこかの大名、というより大金持ちの顧客からの注文で描いたのではないだろうか。

まるで現代の日本画の様な鮮やかな色彩、高価な岩絵の具を惜しげなく使うのが彼の手法である。
四季折々の花々、草木、花鳥、地面を這う虫の姿も愛らしい。
姫路の酒井雅樂頭家次男で、絵に秀で江戸で活躍。
色々と人生に紆余曲折あり、結局は性に合ったお金持ちたちのサロンで絵師、文化人として一生を送ったそうである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92%E4%BA%95%E6%8A%B1%E4%B8%80


遊ぶには、今も昔も先立つものが必要。
彼は絵を描きまくったし、美麗な彼の絵は当時の江戸では大人気、注文も殺到した。
注文に追い付けないときには、自分はちゃっかり何もせず弟子に描かせまくったそうである。
鈴木其一、彼は抱一に重用というか利用されまくった。

一応弟子のできを見て落款、印は自分で押したらしいが。
真偽のほどは、定かではないが。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%85%B6%E4%B8%80#%E7%94%BB%E9%A2%A8%E6%BA%96%E5%82%99%E6%9C%9F%E3%83%BB%E8%8D%89%E4%BD%93%E8%90%BD%E6%AC%BE%E6%99%82%E4%BB%A3


麗しき花実 (朝日文庫)
乙川優三郎
朝日新聞出版
2013-05-08







私はあまり興味なく知らなかったが、酒井抱一、最初は武家の習いで狩野派にて修練をつんだとか。
尾形光琳への傾倒は案外後になってからだそうである。


乙川氏の小説では、女性の蒔絵工芸家の題材が主題となり、酒井抱一をはじめ鈴木其一が登場、爛熟しきった江戸文化の様子を伝えてくれている。
この櫛を見ていると、ふと思い出した。


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繊細で美しい。
当時の、おそらく裕福な商家の女性の美しい髷に飾られたのであろうか。
デザインには、おそらく中世の物語や古今和歌集の意趣が込められているのであろう。


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室町の頃の扇絵、豪華で美しい。
土佐派の絵であろうか。


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室町時代、おそらく女性が使ったであろう蒔絵の箱、細かな細工、夥しい鳥の姿である。





他にもなんだかんだと盛りだくさんなのであるが、一日で観れる作品は限られる。
午後5時、博物館を後にした。

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東京の秋  4

円山応挙の六曲一双の屏風。

近世江戸後期の人であるし、今日まで残された作品は多い。
中でもこの作品は有名である。

山水画である。
夏の夕暮れと冬景色である。
観る者を物思いに誘うような静謐さがある。

夏は金砂をまぶし夕暮を巧みに表現、冬は雪を白抜きの紙の地の色で表現、
と熟練の大家らしい技巧である。
川岸の岩は、狩野派のような奇怪な武骨さは避け優し気であるし、樹木は幹も細く輪郭が曖昧、気弱でさえある。
日本の風土を見たままに写生しました、と言えばこうなるのであろう。
人物、細かな表現も愛らしい。

何度か見た作品である。
その度毎に見入ってしまうのであるが、今回は鎌倉、室町の力作を見た後。
何か戦艦、重巡洋艦に対して駆逐艦、と言ってしまうと身もふたもないのであるが、
そんな感を禁じ得なかった。
何かこじんまり感、繊細さと同時に線のひ弱さ、誰にでも好感を持たれる、良き市民の一日的纏まり感を感じさせられる。

応挙、やがて京都四条派の源流ともなる大家であったが、きっと真面目で優しいお人柄だったのだろう。


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東京の秋  3

様々な絵画

一遍上人絵巻  鎌倉期 円伊筆 1299年頃

京都と神奈川の寺院での所蔵であったとか。

全3巻、国宝として東京国立博物館にて公開。

その3巻目だと思う。
京都における一遍上人の布教活動を描写して作品。
鎌倉時代、当時においておそらく貴重であったであろう絹張の紙が使用されている。
800年前の作品であるが、高価な絵具を使用したのであろう、生き生きとした色彩である。

一遍上人、名前は有名であるが彼が布教に尽力した時宗は踊る宗教、民衆の幅広い支持を集めるも、
他派からの圧迫、弾圧で殆ど滅び去ってしまった。






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非常に細かな描写である。
一人の人物はせいぜい2,3兮腓任△蹐Δ。
空也上人所縁の念仏堂での念仏踊り、どれが一遍上人であるのかは判然とはしないが。
2,3枚目の写真上、右上方の指さしている人物が一遍上人らしいが。
細かな写実性、緻密性、野卑ともいえる躍動性、型にはまらない自由さ、
いずれも鎌倉時代の絵画が持つ水準の高さ、他の時代は結局凌駕できなかったのであるが、
圧倒的である。



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室町期の善画僧による作品。
はなはだ典雅である。





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桃山から江戸初期にかけての伝説の絵師、戦国武将荒木村重の息子、
ともいわれる岩佐又兵衛のいわゆる美人画。
ひどく面長である。

同じく伝説の残酷サディスト大名、実際は捏造なのであるが、松平忠信卿に使えた絵師である。





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東京の秋  2

2階展示室にある、鎌倉盛期の慶派の作品。

何れも力作である。



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東京国立博物館所蔵の文殊菩薩像である。
13世紀、仏師善円の作といわれている。
鎌倉物らしく、実に写実的である。
玉眼も凛々しい。
同時に少女のような愛らしい姿である。



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何度もお目にかかった菩薩像であるが、美しくセクシーな像である。
細部のち密な彫刻が見事である。





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獅子にまたがる如意輪観音像、奈良興福寺の蔵。
これも写実的な力作である。





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光背の彫刻もち密であり見ていて飽きることがない。





























































東京の秋  1

この秋、東京を2度訪れる機会があった。
何れもさわやかな晴天、幾分肌寒くはあったが。
2度共に昼間は上野の国立博物館を訪れた。
他に行く当てもないのである。

駅を降りると何時もの人だかりである。

銀杏の木の落葉で、歩道は一面に埋め尽くされている。
足で踏みしめていくうちに、何かはかない夢の醒め果てた後、欲望と幻想を押しつぶしているかのようである。
どんな夢だったのかは、記憶からすっかりと消えてしまったのだが。

展示品はいつか見たような作品が多く、何度か見ているうちに昔の自分の視線、とても虚ろで落ち着きのないものであったが、を思い出す。

作品たちは、何食わぬ顔で静かに佇んでいるのであるが。
思いつくままに想起してみる。



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平安後期、技巧の限りを尽くし取り澄ました作品が並ぶ中、京都丹波の古寺所蔵の素朴で躍動感に満ちた作品。
ひときわ目を引いた。







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平安前期の作、京都の神社にて伝承されたきた木像、粗削り、素朴ながら静謐、神々しい精神性が見事である。













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鎌倉期の力強い作品かと思ったら、平安期であるとか。
鎌倉的な写実性がすでに確立している。



1階右手、入ってすぐの展示室では平安仏の秀作を観ることができた。

また、三十三間堂から長期出張中、鎌倉盛期千手観音3体。
何度も見ていると最初の頃受けた衝撃的な刺々しさ、攻撃性は自分の心の投影ではなかったか、とも思えてきたが、そればかりではないだろう。

ディ―パンの闘い








強い感銘を受けた映画である。
と、偉そうに書いているが、映画館に足を運んだわけではない。
DVDを購入したわけでもない。
アマゾンのプライムビデオ、いつの間にか会員になっていた。
無料でスクリーミングできる貧乏人の友、これで視聴したにすぎない。
観終わって知ったのであるが、2015年カンヌ映画祭Palme d’Orを受賞している。



http://www.festival-cannes.com/en/films/dheepan





だから素晴らしいというわけではない。


監督は既に名声を確立したJacques Audiard、この世界では既に超有名人、私は全く存じ上げなかったが。
2015年、奇しくもシャルリー・エブド襲撃事件のあった年である。
移民、暴力、貧困、社会的不遇を扱った本作品の受賞には、キワモノ的見方があったらしく、受賞発表時には記者席から拍手とブーイングが入り混じったとか。
確かにJacques Audiardなる人物、のらりくらりの受け答え、時折口ごもるも海千山千、狡猾そうな業界人ではある。

受賞の適否については、私は興味はない。
この映画で描かれた物語に興味がある。
主題は複数にわたっている。
数え上げればきりがないのだが。

^槎洩簑蝓△海虜酩覆任魯好螢薀鵐人、なかでもヒンズー教徒、タミル系の人々である。

内戦、政治的亡命、主役Antonythasan Jesuthasanは、18歳頃からスリランカ北部で解放の虎(LTTE)の兵士であった。終息後、政府軍からの迫害から逃れ香港、タイを経てフランスに亡命している。

パリ、20区をぐるりと取り囲む周辺都市、Banlieueの生活。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC

これはありそうで意外というか、故意というか、日本ではなかなか目にする機会が少ない。

ぅ侫薀鵐垢妨造蕕覆は辰任△襪、貧困、若者の暴力、犯罪、ドラッグ。
この作品では、バンリューではお馴染み、チンピラ集団の抗争が主題の縦軸になっている。

ゲ搬欧箸蓮△箸いμ簑蝓
興味深ことにこの作品では、亡命のための方便から無理やり偽造した家族、偽造家族が描かれている。
全くの他人同士の偽物、かりそめの親子3人である。


私が最も惹きつけられたのはである。

banlieueを題材にした映画というのは、私が無知であるから故なのではあるが、あまり目にしなかった。
古くは「憎しみ」、最近では「最強の二人」、アクション映画の「アルテイメット」、それに「YAMAKSHI」も多分banlieueが舞台であろう。

本作品の舞台とはbanlieue以外の地域、それも団地、A棟、D棟の二つの集合住宅以外は、ほとんど出てはこない。
郊外電車、子供が通う学校、ヒンズー教寺院が例外であろうか。
私の脳内世界であるパリ市内1から20区とは、無縁の世界(いや実は切っても切れない関係、コインの裏表なのであるが)である。

この団地、ガラの悪いチンピラの根城である。
フランス版ヤンキー、と言ってしまうと日本のヤンキーに対して失礼を通り越し、とんでもない暴言となってしまう。
日本版ヤンキーとは縁もゆかりもない、反社会的フランス版チンピラ、その連中が昼間から野球バットを手にし、ウロウロたむろしている。

屋上には、監視役のチンピラが絶えず通行人が見張っている。
そのチンピラどもが生業としているのは、麻薬取引である。
更に、チンピラども、ほとんどが拳銃を所持し、簡単に発砲する。
側聞ながらフランスは、銃規制に甘い国だそうである。
護身用の件銃所持が、許可制であるが認められている。

警察は介入どころか、全く姿を見せない。
まるで治外法権、チンピラ自治社会である。

そこに迷い込んでしまうのが、この偽造家族3人である。

この3人、散々苦労するが真面目な努力家である。
男は団地の管理人、女は近所の老人宅の家政婦、女の子は学校に通い少しずつなじんでいく。
チンピラどもも、普段の日常は粗暴でもなく、優し気にナイーブな心情を吐露するものもいる。

この殺伐で閉塞感に満ちた生活描写、当事者の荒い息遣い、冷たい汗、すえた体臭、動悸まで聞こえてくるがごとく繊細で美しい。
緊張感、恐怖、不安、つかの間の安堵、自己憐憫、心情の描写が実に精密である。

このまま上手くいってしまえば、「話題の映画」にならない。
単なるホームドラマである。

最後は「本意ではないが降りかかる火の粉は、払わねば致し方あるまい」という主人公、
さながら阿修羅のような大立ち回り、殺戮、暴力が炸裂するのである。
ハリウッド映画でよくあるパターンである。
何せ主役が元解放のトラLTTEの兵士、凄味がある。
自然体、無造作、淡々、そっけなくチンピラを「始末」していくところが寒々しい。
この殺戮の大団円、考えてみると貧しいもの、疎外された者同士、不毛な殺し合いである。
更に皮肉なのは、結末である。
ガラの悪いbanlieueから念願であったイギリスに3人様ご一行は逃げ出す、
めでたし、めでたし、である。
まるで本当の家族の如く三人の笑顔が満ち溢れる。


このあたり、フランス国内では大批判の嵐であったようである。
カンヌ映画祭でも、前述の如くである。
「日本に亡命したが、命からがら更に韓国に亡命し、ようやく幸福をつかんだ」という筋書きのようなものである。


http://leplus.nouvelobs.com/contribution/1413275-dheepan-de-jacques-audiard-arrogant-et-stupide-un-film-politiquement-infect.htmlhttp://leplus.nouvelobs.com/contribution/1413275-dheepan-de-jacques-audiard-arrogant-et-stupide-un-film-politiquement-infect.html






















banlieueへの誤解、偏見を生む、あんなところは実際にはないよ、誇張がひどすぎる、
イギリスはそんなに良いのか、おとぎの国か、そんなことはあり得ないよ、と愛国的フランス人は憤る。
或いは弱者をダシにし、受け狙い、あざとさ、製作者の意図がスケスケである。
批判する方々のお気持ち、遠い日本の私にも分からないわけでもない。



ただ、私が感銘を受けたのは以下の如くである。
戦乱から逃れ、身一つ、無一文、言葉も分からない、裸体のままの人間が、文明先進国、民主主義の牙城と称される国家において、いかに生き抜いていくか、格闘していくのか。
その人間の姿の崇高さが、ぬるま湯どっぷり、平和ボケ、その私にも伝わってくるのである。


あくまで計算づく、巧みに演出され偽造された嘘物語なのであるが。


2年前私が宿泊したリヴォリ通り、ホテル・ムーリスの制服を着た荷物係、
彼の容姿がこの主人公によく似ていた。
暗く悲しげで鋭い目つき、かすかな不穏さ、なにか近寄りがたかった。
彼が同じような立場であったか否かは、全く想像の余地もないのであるが。

ここは退屈迎えに来て 山内マリコ






退屈しのぎに買ってみた。
表紙がお洒落である。
いつもの如くAmazonで1円なり。

最初のうち、なにかとても損をしたような気分になってしまった。
どこにでもありがち、だらだらとしためりはりのない記述、どこかのブログ(ここもそうであるが)でもみかける稚拙な文体、送料257円損しちゃったかな、という思いがよぎる。
が、257円分を回収すべく我慢して読み進める。

短編集である。
各編、コントとしてオチが用意されている。
なにか肩透かし、いきなり足を払われるような腑に落ちない違和感があるが、これが不思議と心地よい。
甘美さというよりも雑味、苦み、生臭さがある。
腐敗臭とまで言える濃密さはない。
雨の日の満員バス、すし詰めの女子高生たちの汗臭さ、お菓子のような香料、安っぽい化粧品、それらが入り混じった匂いである。
きっと好きな人は好きなのであろうが、得体のしれない不気味な臭いである。

私にとっては不気味な10代から20代の女性ら、彼女たちの愛と倦怠の物語であるが。
愛とは、ありふれている。
どこにでもある。
その辺に石ころの様にごろごろ転がっている。
彼女たちは、それを宝石と思い込んでいる。
いや、そう思い込みたいのである、無理をしてでも。
熱烈に胸を焦がしながら。

一方、倦怠である。
彼女たちの一部は、自分たちの住む地域社会、地方都市にその要因を見出そうとしている。
どこの都市も同じであろう。
いや実は、全然異なるのである。
その街、その地域、それぞれ個別の世界、物語はあるものなのであるし、同じだと思うのはそう思う人が表層的、或いは傲慢なるが故である。
切なく、あまずっぱく、残酷で血みどろの物語がしっかりと用意されているのである。
その甘美な物語とは、巧妙に隠匿されているし、鈍感、いや純粋無垢、素朴な彼女らは気づかない、目を向けようとしない、したがってぐるぐると囲い込まれた空間、同じ場所を彷徨うから退屈だと思ってしまうのである。

物語、それは一つとして同じものはない。
唯一の物語として連歌のごとく、次から次に語られ語り継がれるべきものなのである。

彼女たちに共通するもの、それは実際には指摘できないものである。
一つとして同じ物語はない。
あくまで唯一無二なのである。

そして彼女を規定、定義づけ、遺憾なく記述し尽せるものでもない。
彼女たちは何かを欠いている、かのごとく著者は記述するし読者にそう訴えかけてくる。
内部にぽっかりと空洞を抱いている、少なくともそう思い込んでいる。
ラカン派ならばファルスの欠如、ヒステリー者の言説といいそうである。

私見である。
退屈こそが、実は幸福なのである。
この現実世界において、ほどよくバランスの取れた幸福。
弛緩した表情、虚ろなまなざし、何かをねだるような媚、そのような擬態を演じる、その彼女たちの退屈とは、実際には彼女たちの心の安寧を約し、支えててくれるもの、そのものなのである。
実に有難いものなのである。
何ものでもなく、何ものも持っていないからこそ、「彼女たち」とはあくまでn=1でしかありえず、n=100などの母集団、統計学的対象とは程遠い、いわば集約不可という厄介な存在であり続けるのである。

論理の世界、というか閉じた世界の中で一生懸命彼女たち、いや彼女のことを考えてみても、いつの間にかするりと抜け落ちていく、肩透かし感に我々は気づかざるを得ないのである。

彼女の退屈こそ、幸福であり魅惑への欲望の擬態でもあり、何者かを呼び寄せようとする囁き、魅惑となるのである。

「ここは退屈迎えに来て」

真に受けてどこかに連れていこうとしても、彼女、というよりも彼女の真の欲望はいつの間にか姿を消しているのである。
しれ―とした顔で「いや、ここじゃぁないわ」と必ず言うのである。


世界が土曜の夜の夢なら  斎藤環著







私が住む北九州市は、ヤンキーの街である。
よそ様から見ると、どうもそうらしい。

http://j-town.net/tokyo/research/results/188543.html?p=all


住人の一人である私にとっては、普段電柱や自販機の如く見慣れた風景、人物であり、特にこれまで意識したことはなかったのだが。
しかし指摘されてみると私の患者さん、特に若い層ではヤンキーと称されるであろう、そのような方々が多いことに気づく。

ここで注意しなければならないのは、多分これらの人物像に関して私が抱いた独断と偏見に過ぎない、他の人々がそう思っているとは限らない、ということである。
皆さん、いろいろ個人、家庭、友人に問題があっても(おっさん、おばんでも同様であるが)一生懸命生活しておられる点をここで記述しておきたい。

で、この著作である。
例によってアマゾン中古1円プラス送料にて入手。
土日2日で読了。
当初軽めの本かと思うも、様々な問題を読者に投げかけてくるし、時折同意しかねる微妙な記述も多いのである。
休日の読書としては好適でもある。
大真面目に肩ひじ張った本ではないのと同時に、世間の動きに疎い私のような田舎者には興味深い指摘が多々ある。

著者の斎藤環先生、精神科医であり筑波大学心理学講座教授であったろうか、大学人でもある。
ひきこもり、ニート、それは現象面に過ぎないのであるが、そのような人生の困難に四苦八苦している青年たちに深くかかわってきた豊富な臨床経験、その著作が多いと聞く。
夜10時ころの教育テレビで以前よくお見掛けしていた。

「世界が土曜の夜の夢なら  ヤンキーと精神分析」というなんともユニークな主題である。
しかし少し読み進めるうちに精神分析とは殆ど関係ない、とも言えないが重畳しつつも殆ど無関係であることがわかるし、そのあたりを期待して読まれる方は失望なさると思う。
何しろ、転移の分析、逆転移なんぞの記述は皆無である。

あくまで思いつくまま筆を進めたecriture、エッセイ―集、少し硬い表現をすれば社会心理学とも言えなくもないが。
あまり大真面目に論拠、論理、仮説の妥当性等々青筋立てて論じても仕方ない。
読んでみれば面白いのである。
読了してから思いつくまま書いてみる。

ヤンキーと称される人々が好むもの、まず音楽があげられる。
まず矢沢永吉、横浜銀蝿、この時代は私もよく知っている。
最近では濱崎あゆみでありYoshiki、それにExileである。

有名歌手については、疎い私も名前と顔くらいは知っている。
他にも、と言っては失礼千万なのであろうが有名歌手、グループ名があげられる。
私は関心がないので、今更ながらではあるがYoshikiの演奏をYou-tubeで聴いてみた。
意外といっては失礼千万であるが、ごくまっとうな音楽ではないか。
矢沢永吉、キャロルの頃のチューニングのいい加減なうるさい音とは全然異なり、プロの作品としてよく纏まっている。
ロックドラマーとして、優れてテクニシャンである。
音圧、グルーヴ感、パワーは今一つだが、正確なビート、ダブルのバスドラの使い方、日ごろの鍛錬、練習量がしのばれる。
ピアノもオーソドックス、独創性には欠けるがarticulationも綺麗であるし、両手のバランス、音量共にプロの仕事ぶりである。

作曲であるが曲調はメランコリック、というかラフマニノフ的、東洋的でもある。
正直に申し上げての私の感想は以下のごとくである、意外性がない、単調、和声も独創的とは言えない。
事大主義的で古めかしい。



ただ、Yoshikiとヤンキーとがどう結びつくのかがよくわからない。
天皇陛下奉祝、その演奏と絡めての著者の記述なのかもしれない。
Exileもそうである。

安室奈美恵、私はこの歌手はヤンキー系と思い込んでいたが、違うそうである。
アムラーはギャル系なのだそうである。
ギャル系は独特の言語、discours、ではなくparoleを持っている。
「アゲ」であり「モル」という価値観を持っている。
急に言われてみても何のことかわからない、まさにアヴァンギャルドである。

対してヤンキー系は「気合」「いきおい」である。
あくまで古典的、月並みである。
彼らの言語とは話し言葉ではなく、特攻服に書かれているあの仏教経典のような抹香臭い文字。
あて字、難解な漢字にて構成されたecritureこそが、彼らの共有する自我理想なのである。

著者によれば、そうなのだそうである。

だが分かりやすいヤンキーの典型としてキムタク、意外な名前が出てくる。
この辺で、著者の意図が少しつかみかけてくる。
奥様の工藤静香、と言われればなるほど頷ける。
キムタクが大変な家庭第一主義者、ご家族思いであることはことに有名である。

ここでヤンキー独特の家族愛、という問題が抽出される。

確かにそうかもしれない。
彼らの多くは、家族をとても大切にする。
私の周辺の人々もそうである。
一方、被虐待、ネグレクトの体験、という問題も稀ではない。
よく言われることである。
ヤンキーの早婚、子沢山である。
子供が激減しつつある日本では、ヤンキーはまさに救いの神である。
家族という問題から傍観すると、ある問題が浮かび上がってくる。
著者がここから演繹してくる思考とはかくのごとくと解した。

ヤンキーのそもそものご本家であるアメリカ、そこの労働者階級のはらむ問題である。
そのアメリカの持つ母性である。
意外なことに母性なのである。
父性ではない。

アングロサクソンのアメリカ、イギリスに敗戦し、戦後今に至るまでアメリカの核の傘で生存し続けてきた日本である。
アメリカに対しては、女としての「擬態」をとるしか冷戦下の超大国の狭間で生きる道はなかった。
更にそのアメリカの母性を日本のヤンキーは、受容した、いやそうせざるを得なかった。

ヤンキーの道徳律として最も重要視される「行動」である。
ヤンキーは、能書き、主義主張、仮説、証明、帰納法、演繹、等々よりも「行動」至上主義なのである。
極端な場合「理屈じゃねえよ、行動さ」
つまり反知性主義、行動主義を専らとなす。
それは父性原理とは相反するものなのだそうである。
父性原理とは、論理、或いは掟の世界であるからして、論理或いは暴力を含む権力としての強制力であり、所有する欲望であり、有象無象の混沌の中から欲望の対象を選び取る、簒奪する、切断する行為なのである。
時には、放逐、排除、殺害をも選択しえる。
基本となるのは「所有」である。
著者の記述を私なりの要約するとかくの如くである。

対して母性の場合は「所有」ではない。
父性に反して「関係性」への志向が専らとなる。
つまり「放置できない」「繋がり、絆を保ち続ける」
といえば聞こえが良いが、反面「個」としては存立しえない、根源的なというか「根源」がない、つまり自らが立脚できる自我理想、プラットフォームを持たない、脆弱なものともいえる。
換言すれば、ファルスを持たない。
それは去勢されたのではなく、最初から「ない」のである。






自治医大 松本卓也先生の著作(ラカンの思想的変遷を1930年代から晩年までを、分かりやすく整理して記述した良著)を参考にして以下のごとく考えてみた。


ネットでは萩本先生のサイト(高レベルの労作である)があるが、難解で私には理解不能である。

http://www.ogimoto.com/ronbun/jack.htmlhttp://www.ogimoto.com/ronbun/jack.html

「女」のポジションに立たざるを得ない、著者の立脚するというラカンはに言わせれば、そういう姿をなすのである。

更に「(ラカン的)ファルス」を持たない彼らとしても、何らかの掟に従わざるを得ない。
ラカン的には「ファルス関数に従わない女性がいないわけではない」個別否定命題の否定となる。

また「すべて」という概念には当たらない、或いは「すべて」という境界を持たない、差異化する術を持たない彼らヤンキーとは、どこまでいってもn=1でしか捉えられない。
普遍性、概念性を持てないのがヤンキーである。
つまり「すべての女性がファルス関数に従うわけではない」普遍肯定命題の否定へと繋がる。
それは著者が言う「換喩」でしか彼らを捉えられない、という著者の一見唐突ともいえる記述へとつながる。

更にその「換喩」をつなぎとめ束ねるのが「天皇」という現人神、ファルスである。
あくまで私個人の読みであるが、そういう流れになるのである。

ヤンキーの家族愛、仲間への親和性を、著者はかくのごとく論じる。



さて著者が論じなかった視点から、ヤンキーを眺めてみたい。
エマニュエル・トッド的視点、家族論である。

ヤンキーとは、トッドの分類によれば平等主義核家族に対応する。
北九州市のヤンキーについて考えてみる。

私の父もそうであったが、この地の人々の多くは3,4世代前はよそ者であった。

各地の子だくさんの農家の次男三男であったり、実家にはいられなくなった、食い詰めた人々がこの地にたどり着いた。
当時八幡製鉄所、帝国陸軍工廠が全盛であった。
重労働であったが雇用は豊富であったし、貧しいながら何とか所帯を構えることができた。
彼らは、職があるときは重労働にあえぎ、唯一の娯楽は酒であった。
職を失う、或いは定年後は昼間から安酒を飲み、60歳も過ぎると大抵脳梗塞で死んでいった。


その子孫が現在の北九州市のヤンキーである。
父は早くから彼らの中では不在である。
母への思慕は強烈である。

同じ境遇の仲間を求める。
皆平等に貧しく、将来性もなく、互いに濃密な関係性を維持し連帯感に浸り続ける。
将来に展望、夢はないから、というわけでもないが恋人ができれば先のめどを考えず早婚である。
子沢山であるが、教育には関心が薄い。
平等、不平等には非常に敏感である。
政治的には平等を重視する。
自己同一性の希求が強く、出自、民族性を重視する。
右翼的、或いはロシア的、プーチン的専制主義への憧憬を持つ。

日本の伝統的家族主義とされる直系家族とは、折り合いが悪い。
直系家族の特徴である長子相続、不平等性の受容とは時に激しく軋轢を生じる。
この辺りの事情は旧産炭地、筑豊とも共通する。

以上斎藤環先生の本著作を読んでの、あくまで個人的独断である。

しかし、今の世の日本人のひな型はヤンキーである、という言説は頷けるし、ある地域においては昔も実はそうだったのかもしれないのである。

格差社会の日本である。
今や大多数者となりつつある、落ちこぼれ彷徨える貧しい若年者達、彼らは0.01%の成功した仲間を眩しく見上げつつため息をつくヤンキーと化すことこそが、生き抜いていくすべなのかもしれない。

或いは、4畳半の自室を全宇宙としてヒッキー化するかである。




















狩野元信展  サントリー美術館

日比谷線六本木駅でおり、地下道を進む。
平日のお昼時であるためか、八重洲周辺、横浜駅と比べれば人の波は穏やかである。
長い地下通路を何度か曲がる。
比較的真新しい地下通路、動く歩道に立ち、ゆるゆると身を任せるうちに目指す建物に到達した。
モダンな建築物である。



通路が広い。
真新しいブテイック、コーヒーショップが並び、煌びやかとまでは言えないが清潔でよく整っている。


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地上に上がると、まだ空席の目立つカフェテラスで人々が昼食を取り始めている。



さらにエスカレータで3階に上がる。
都内でも有数の民間美術館であるブリジストン美術館である。
美術館であるからホール、通路、壁、コーナー、トイレ、どこも清潔、すっきりとよく整えられている。


狩野元信の展覧会が開催されている。1476年生、1559年没とWikiにある。
室町末期、狩野家の祖、狩野直信の息子である。
狩野派の画風をほぼ確立し、当時戦乱の中権力を確立しつつあった武家の中に狩野家の礎、要するにコネであるが、確立した人物である。
この織豊政権、徳川幕府の中枢に入り、江戸狩野は幕府、大名家をパトロンとして明治まで枝葉を広げつくした。
京都では、京狩野、さらに各地にも狩野派の絵師が増え続け、大名家、有力な家臣の書院のみならず、寺社建築の障壁を飾り続けてきた。
その作品は、夥しい。
今日でこそその評価、人気は高くはないが近い将来必ず再評価されるであろう。

さて狩野元信の作品展である。
撮影禁止である。
やむなく美術図鑑、日本美術全集 13(1993年 講談社)からデジカメで撮った写真を用いた。
草山水図襖図のみは芸術新潮20007年11月号である。

何れもアマゾンで1円、中古で購入したものである。




冒頭にあるのは、京都大徳寺大仙院、書院を飾っていた襖絵である。
現在は東京国立博物館にある。
禅画である。
香厳撃竹図 1553年頃の作とか。
禅の公案を描いたものであり、禅僧が掃除中に石ころが竹に当たる音を聞く、その瞬間に悟りを開く、という内容だが、云々してもあまり意味はない。
人物像は細かく表情も豊かであるが、一際目を引くのは茫洋と広がる霞、というより濃密な霧であろう、その先に臨める岩や樹木、月並みな言葉であるが幽玄な風情を見る者は心を開き、寛ぎを得られる。
岩や竹、その描写はすでに狩野派の画風を既にこの時点で確立している。




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山水画である。
草山水図襖、京都大徳寺真珠庵蔵。
元信のスタイル真、行、草の草に当たる様式である。
短時間で仕上げ、隅の濃淡を楽しむ作品である。
広々と広がる湖水、ゆるやかな山裾、霧が彼方から少しづつしのび寄ってくるような気配、湿り気、冷気、簡潔であると同時に官能を揺さぶる繊細さを持つ。
濃淡で、すでに遠近法を確立させている。



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狩野元信の父、狩野正信(1434〜1530 90歳以上生存のご長寿だったらしいが真偽不明)の有名な作品、竹石白鶴図、六曲一双の屏風絵、京都大徳寺真珠庵蔵である。
優雅な鶴の姿、岩、竹、のちの狩野派の基本条件が丁寧に描きこまれている。



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同じく狩野正信の山水図個人蔵、想像よりもずっと小さな作品である。
細やかなかきこみが為されている。


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有名な四季花鳥図、京都大徳寺大千院の襖絵、色彩豊かである。
きっちりと手堅い描写であると同時に、滝や水の豪胆で荒っぽさをも感じさせる描写、メリハリが効いている。
一方で、硬さゆえに動きの乏しい印象は拭えない。



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ボストン美術館蔵、有名な観音像、色彩が美しい。
修復が巧みで驚かされる。
まるで近年の作品である。六百年前の作品であるが。
描線の繊細さと豪胆さ、明晰さが素晴らしい。
また光背の微妙な描写、半透明に透かして見える樹木、まことに繊細である。


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室町期の連歌師、茶人の飯尾宗祇。同じくボストン美術館所蔵。
馬上の壮年の男、文人というよりもまるで武将のようであり。
鋭い眼光、頑なさ、剣呑な野心を隠匿する狡猾さ、まるでルネッサンスの肖像画、テイッツアーノのようである。
鋭いといえば、馬の眼光まで鋭く気性の荒さを伺わせる。




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サントリー美術館所蔵、酒呑童子絵巻である。
非常に細密な描写である。
色彩が鮮やかであり、まるで幕末の作かのようである。
最後、鬼の首を刎ねる血まみれの光景は見れなかった。

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なかなか楽しめる展覧会であった。
ただ残念なのは、「伝」狩野元信、或いは「印」狩野元信という作品が多い、多すぎた点である。
つまり後の狩野派の子孫が「元信の作品である」と証した、或いは元信の落款が押されている、という作品が多すぎた点である。
画風を見るとまるで別人の作品か、と素人は思うのであるが。
なにか無理して「狩野元信をかき集めてきました」のでは、と余計なことを思ってしまった。
生意気な文句を言ってしまったが、ついでというか当時のお手本であった、あの牧谿の猿画の展示を見れたのは僥倖であった。











Constellation    Adrien Bosc著

Constellations
Adrien Bosc
Librairie generale francaise
2015-08-20





  

2014年アカデミーフランセーズ賞受賞という、なんとも華やかな栄誉に輝く作品である。
本邦未訳である。
例によってアマゾンの洋書コーナー、500円プラス送料だったと思う、で 購入。
読んでみての感想である。
期待過大というか、肩透かしを食らった感が強い。
本文210ページの小品である、だから私でも読めたのであるが。
主題は1949年10月27日アゾレス諸島、Sao Miguel島で起こった、ロッキード社製旅客機コンステレーションの墜落事故である。


https://www.google.co.jp/maps/@37.8093799,-25.2110685,3a,75y,124h,90t/data=!3m8!1e1!3m6!1sAF1QipP0xqMLk0D7nAuYXVbXoWyoKjlYsuakyFOVE0Av!2e10!3e11!6shttps:%2F%2Flh5.googleusercontent.com%2Fp%2FAF1QipP0xqMLk0D7nAuYXVbXoWyoKjlYsuakyFOVE0Av%3Dw203-h100-k-no-pi-2.9338646-ya284.5-ro0-fo100!7i8704!8i4352?hl=ja

http://aviatechno.net/constellation/rapport_f-bazn.php









37人の乗客、11人の乗員が搭乗していた。
パリ、オルリー空港からニューヨークに向かう途中であった。
事故の原因は悪天候、視界不良等複数ある。
が、最大の原因とは当時まだ未熟であったナヴィゲーション、その致命的ミスである。
当該機は途中寄港するアゾレス諸島、Saint Maria島空港にビーコンに従うまま向かい、高度を下げつつあった。
まだ雲の中、時折町の灯火が見え始める。

しかし、実際には全く別の島、北西に100卍西北にあるSao Miguel島の上空約700mを航行していたのである。
悪天候、雲に遮られ地平の状態を視認できない。
まだ海上を降下中と思っていたパイロットは、午前2時51分「地平が見える」と叫んだ。
直後、機はMont Rondo山頂に激突した。

スペイン側からの強すぎる電波が致命的混信の原因であった。
後日事故検証にて、当日と同様ビ―コンに従って航行した機体は同じ山頂付近に達してしまった。
原因が実証されたのである。

機長はJean de La Noue、飛行時間6000時間、夜間飛行1500時間以上、戦時中は自由フランス空軍輸送機の熟練パイロットであった。
乗員のうちには2名の副操縦士(戦時中彼らは戦闘機パイロットであった)、2名の機関士、2名の無線技士、1名の航空士、3名のCA、計11名の搭乗員を搭載していた。

本作品はドキュメンタリーである。
そして作者の想像による記述も同居している。
作者の寄せる興味は、乗客に集中している。

なにしろ1949年、世界大戦終戦から4年後当時、大西洋横断の長距離旅客機に搭乗できる人物は富裕な人々に限られた、と想像される。
きっと後世のコンコルドのようなものであったであろう。
皮肉なことにコンコルドの運命も、このConstellationに近似しているのだが。

機中では温かな機内食、シャンパンがふるまわれ簡易ベッドで乗客は睡眠をとれた。

実際には、事情は異なっていた。

確かに有名人が乗っていた。
ボクシングチャンピオンMarcel Cerdan、
有名ヴァイオリニストGinette Neveu、ピアニストの兄、
売れっ子画家Bernard Boutet de Monvel、
ディズニ―の有名アニメ作家Kay Kamen、である。

この有名人らの記述が実につまらない、退屈である。
彼らに対して私が興味を持てないのが最大の原因であるが。

CerdanとEdith Piafの今日でいう不倫愛、フランスでは当時でもとやかく言われなかったようであるが、これが延々と長い。
冗長である。
本作品の3分の1はこのエピソードで占められている。
映画「愛と悲しみのボレロ」「La vie en rose」でも描かれた有名な逸話、道ならぬ恋の悲劇的結末、観客の興味は引けはする。
船を使おうとしたCerdanを、Piafが「まどろっこしい、飛行機で来い」と急かしたとか。
ドラマチックなエピソード、と言われれば確かにそうだが事故だから仕方ないことである。
フランス人にとっては、忘れがたい偉大なボクサー、英雄であった、特にボクシングフアンにはそうらしい。
が、私は全く興味が持てない。





Ginette Neveu、確かにすごい演奏家だったようである。
You-tubeで聴くと非常に力強く豪快、彫りの深い演奏である。
不躾な表現をさせていただくと、粗削り、粗野ともいえる演奏である。
ドイツ占領下の彼女の武勇伝、ドイツ軍に対して一切物おじ、遠慮をしなかったとの記述である。

彼女には、死後遺体を取り違えられるという二重の悲劇も待ち受けていた。
遺族が、別人だといって遺体の引き取りを拒絶した。
歯科医師の鑑定で事実は明らかになった。

結局最後まで彼女の遺体は見つからないままであった。

彼女の死後、後追い自殺したファンまでもいた。

彼女が信頼するヴァイオリン職人、調律師は、アメリカ講演旅行への同行を求められたが応じず、結果的には命拾いした。
彼女所有、ガダニーニ、或いはオークションにかけられた楽器ケースに関する因縁話もあったが、興味を持てず読み飛ばしてしまった。






時々目にするMonvelの絵画である。不気味にのっぺりとした肖像画、というかお金儲け目当ての商業絵画、私にはそう思えるのであるが、最近大人気、高値を呼んでいる。
生前から富裕で、パームビーチに豪邸、今や歴史的建造物、を所有していた。







http://tdclassicist.blogspot.jp/2016/04/notable-homes-bernard-boutet-de-monvel.htmlhttp://tdclassicist.blogspot.jp/2016/04/notable-homes-bernard-boutet-de-monvel.html



Kaymenに関する苦労話、成功物語、これは最もつまらなかった。
おそらくミッキー・マウスのフアン以外は、全く興味を持てないと思う。

それよりも読者の興味を引くのは、富裕ではないごく普通の人々である。
不思議というか、高価な運賃にもめげず飛行機を選択した人々がいたのである。

5人のバスク人の羊飼い、アメリカの牧場に雇用されたのである。

腕の良いナイロン製糸工員、貧しい女性たちもいた。

レジスタンスの闘士、過酷な地下闘争、戦争を生き抜いたが飛行機事故で命を落とした。

もっと気の毒な人もいた。
飛行機搭乗前、パリ郊外の自動車事故で生死の境をさまよい「奇跡の生還」を果たした女性。
なんとこのConstellationに乗ってしまった。
家族にいるキューバに向かう途中であった。

離婚問題でアメリカとフランスを行ったり来たり、働き盛りの工場経営者。
離婚が絡んでいるもう一人、ニューヨークのビジネスマンに嫁いだフランス出身の女性もいた。

これらの人々のエピソードの方がはるかに興味深い。
が、作者の筆はあまり触れはしない。
入手し得る資料の少なさ、遺族のプライバシー保護もあるのだろう。
遺族の一人であるアメリカ人医師を探し当て、実際に会いに行っているが作中では何も記述されていない。

ショッキングなエピソードもある。

墜落直後のことである。
近隣の村民たちが轟音と炎に気づき、すぐに現場に駆けつけた。
村民らは、遺体を放置したまま、金銀、宝飾品を略奪していたのである。
断定はされていないが、指輪を盗むのに死体の指を切断したとか。

Ginette Neveu所有、ステラディヴァリウスも盗まれ、後日警察官により回収された。

この辺境の島を当時も今も統治しているのは、ポルトガル政府である。
この事故当時のポルトガル軍の遺体回収に対する対応は、実に迅速誠実であった。
絶海の孤島にも、陸軍部隊が駐屯していのである。
有名なポルトガル独裁政権、その軍の遺体に対する敬意、慎重さは村民らの無法ぶりとは対照的である。




では、この作品を通じて作者は何を表現したかったのであろうか。
運命であろうか。
偶然であろうか。
読者各々が思念を巡らせればよい。
作家は、自分の出生日、星座 constellationへと帰結する偶然の重なりをたいそう愛している。
こだわっている。

70年後、現地を訪れた作者の抒情が控えめに記述されている。
なぜかタ・ブッキの「Femme de Porto Pim」が出てくる。
遠く見渡せるアゾレス海に、青く輝く鯨の姿を眺めた作者の独白である。

巻末では戦中戦後フランスの大作家Blaise Cendresに関する長々とした記述に達する。
この連関とはconstellation、星座に関するCendresの詩からの連想なのであるが、これも冗長である。

作家は31歳、これまで雑誌の編集者をしていた。
本作品は彼の処女作である。

なにか吹っ切れない、焼き入れ不足の料理のようではあるが、文体は美しく簡明と感じた。











グローバリズム以後  エマニュエル・トッド




グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命 (朝日新書) 新書 – 2016/10/13
エマニュエル・トッド  (著)

昨今引っ張りだこの、人類学者である。
いや人類学者という立場を忘れ、いや忘れているのはご本人ではなくて周囲の私を含む夥しい人々にすぎないのであるが、まるで預言者の宣託のようにもてはやされているいる学者先生である。

本著作、いやこれも単なるインタビュー集であって著作ではない、もおそらくベストセラーになり、数十万人の日本人読者が手にしたのではないかと思う。
例によってアマゾンで百数十円でゲット、休日の数時間で読了。
その程度の内容とご理解いただいてよいと思う。
平易な口語体でスラスラと読める。

ただし、これは最近いろいろと批判されることの多い朝日新聞社、そこにご勤務の記者がトッドにインタビュした内容を文章化したものに過ぎないし、インタビューも時系列は恣意的に降順に並べられている。
果たして、しゃべった通りに朝日新聞社記者氏が記述できているか否かは確かめようもないが。
また大真面目に人類学者としての論拠、数字を出せと出せと求めても詮無き内容である。

では全く無価値化といわれれば、そうとも言えない、ド素人の私にはそう思える。

これまでトッドが主張してきた反グローバリズム、アメリカの衰退、中国経済の脆弱性、日本の人口減少問題の危うさ、いろいろ多種多様であるが、格段の目新しさはない。

いくつか目新しいこと、私にとってであるが、あった。

(胴颪砲ける白人中年男性の死亡率が上昇している。
黒人では減少し続けているのに。
かといってもまだ現時点では、黒人の死亡率は白人を上回っているが。

http://jp.wsj.com/articles/SB12055383950015144394104581334663298544334

白人中産階級の疲弊化、貧困層への没落が背景にある。
そして薬物中毒、アルコール、自殺、様々な社会的負の要因が語られる。
トランプ大統領誕生の原動力である、何か説得力はある。

無知な私なんぞは、アメリカ人様はみな好景気の中で幸せに自由主義経済がもたらす幸福に酔いしれていると、最近まで思い込んできた。
どうもそうではないらしい。

意外な言説もある。

¬閏膽腟舛紡个垢襯▲鵐哀蹇Ε汽ソン族の寄与である。
というよりもトッドが言うには英国の民主主義の歩み、政治、社会の画期的革命はフランス大革命に百年先んじているというわけである。
それに合わせ、現代社会における英語の優位性、特権性である。
フランス人はアングロ・サクソンに一歩ならず遅れてしまった。
その結果、今日の英語圏諸国、特に米国の覇権があるのかもしれない。

しかし私としては、トッドの主張は解せない点がある。
それは今日的、西欧的民主主義の発展に対するカルバン派の寄与、というか刷り込みである。
この宗教という強烈な因子があるのではないだろうか。
オランダの80年戦争、その血みどろな抗争を勝ち抜いてきたのはカルバン派を奉じるオランダ人、貴族、富裕商人の勇敢で流血をいとわない獰猛な連合体である。

このオランダという気難しい小国を抜きにしては語れないのではないだろうか、今日的西欧的民主主義、普遍的価値観という狂信的宗教を考えるにあたっては。

私は、故岡崎久彦氏の著作でしか知らないが。




オランダは、冷血残忍のスペイン相手に血みどろ、皆殺しの戦闘を延々と続け、その間に共同体意識、民主主義の規範を形成していった。
血であがなって作り上げた民主主義、市民社会である。
その結果かどうかはわからないが東インド会社、船舶、繊維製品等の技術革新、経済発展である。
海を隔て覇権を賭け英国と反目、だらだらと数十年戦争し続けた国である。
太平洋戦争後、講和条約後も隷属させていたドル箱、インドネシアを奪い去った日本に対して、特に高齢者では嫌日感情が強いと聞く。


更に一転興味深い指摘があった。

先進国における所謂エリートの退廃、倫理観の喪失を指摘するのである。
鍵となる概念として自己愛、ナルシシズムを語る。
これが異常に肥大化しているし、その閉鎖回路でエリートさんたちは、もがきつつ窒息している。
日本においては、エリート層に限った話ではないと思うが、確かにうなづける。

この自己愛への耽溺が、政治的には内向き、保守を通り過ぎて、というよりも保守とも無関係で粗野な民族主義化、或いは右傾化に拍車をかける。
なにしろソ連崩壊後、欧米にとって敵はいなくなってしまったのであるから。

日本の場合、最近敵の数はむしろ多すぎて切羽詰まっている気がするが。

いや違う、こじつけ過ぎである、ナルシズムへの耽溺とは、「ほどほどに健全な」自己同一性を喪失した結果の退行、幼児化と考えたほうが良いような気もする。
そこには米英アングロ・サクソンにとっては絶対核家族主義の成れの果て、どん詰まり、分断、逃げ場のない刺々しい孤立、退廃、疲弊を意味する。

社会的には、ナルシシズムとは新たな人々の需要を喚起し経済発展の触媒となりうる、ような気もするが閉鎖回路である以上マンネリ化は素早い。
すぐにビジネスモデルとしてのパワーを失う。
ナルシズムに浸り、他者への転移を不得手とする個人、企業、国家には衰退の運命が待つ。

ぅ▲戰離潺スを、ケインズ的、平等主義的政策と評価している点は興味深い。
日本人としては、あまりそうとは思えないのではあるが、海外から見ればそうなのかもしれない。
米国へのお付き合い、目先のドル防衛、輸出企業応援としか私には思えないのであるが。
日本の場合、直系家族主義による国家、企業、家庭といった権威、秩序への敬意は、グローバリゼーションの猛毒のために失墜し果て、人々はよりどころを失ってしまった。
女性の地位は向上したが、少子化の動きはもう止まりようがない。

等々、様々な視点を展開させてくれる味のある本ではあるが、プロ的社会学者様、右的方々たちから見ればトンでもない、ということなのであろう。

が、日本は核武装すべきだ、とかねてから推奨なさっている人類学者なのでもある、トッドは。











ブラジルの赤  ジャン・クリストフ・リュファン

ブラジルの赤
ジャン=クリストフ リュファン
早川書房
2002-12





野口雄二訳  早川書房



冒険小説である。
日本では2002年訳出初版、例によってアマゾンの中古、100円で購入。
作者はフランス人医師にして小説家。この作品で2001年、あのゴンクール賞を受賞している。
この作者の作品を初めて読んだ。

結論から申し上げると、秀作ではある。
があまり面白くはない。
楽しめる、誰にでもぜひ読みなさいと推薦できる作品では全くない。
重苦しく衒学的、韜晦である、というわけでも全然ない。
史実に出来る限り忠実、良心的に沿い、かつ作家としての想像力を奔放に交えながら自由に執筆したものではある。

では何がつまらないかというと、素人の私が個人的につらつら思うに、率直に言って作家の筆力不足なのである。
老婆心ながら訳は読みやすく平易である。

時は大航海時代、1550年から約10年間、舞台はフランスから南太平洋、ブラジルであるから、ファイナルファンタジーのごとく延々と続く大冒険物語を最初の頁をめくる読者は想像しがちではある。
その期待の大半は裏切られる。

物理的には地球の半分を舞台にはしているのだが、作家の手元から浮かび上がってくる世界とは、南仏の片田舎の修道院、狭苦しい木造船、広大なブラジルといってもそのごく一部の地域しか舞台とはならない。
後世のコパカバーナ海岸、そこに近い、これまた狭苦しい島の要塞、広大なジャングルではあるが、その中の木造の粗末な小屋の一室、それから、といっても世界はそれ以上には広がらない。
読者が期待する美しい大海原、荒れる断崖のような波、広大無辺の密林、濃密な湿気、瘴気、猿の吠え声、虫の羽音、それらは全くないわけではないが遺憾なく描写できているかと問われれば、全く否である。

さながら舞台劇のようである。

いや、まさに舞台劇である。
主人公、長き不在の父を追う思春期の二人の兄、妹、ルネッサンス的教養に富みつつも人格が瓦解していく要塞司令官の騎士、その周囲の影の薄い素朴な部下、兵士達。
或いは司令官の勝手都合でスイスから遠路はるばる呼び寄せられたお気の毒な役回り、辛酸をなめつくすカルバン派の人々。
要塞から脱走し夜盗化していくフランス人。
フランスと植民地争い、敵対するポルトガル人司令官。
西欧諸国のあらゆる貴顕とつながる、ベネチア共和国の命運を左右する謎の超大物工作員も。
大いに読者の期待をそそるも、結局単なる使い捨て工作員なのだが。
その他多数、なにやら能書きは様々なのであるが、結局は添え物的存在のブラジル先住民。
役者の数にはこと欠かない。

訳者の後がきにあるごとく、19世紀的大ロマン派小説なのである、本作品は。
個々の登場人物の内面を深く彫像する意図は、最初から放棄されているし作家の本意ではない。
様々な人物の生死を分かつ行動そのものが、本作品の主題なのである。
その中で目立った主題は2点である。
それは極めて今日的でもある。

1点目は、宗教対立である。
本国フランスで吹き荒れた宗教戦争が、この地で最初は戯画的に、次いで不気味に再現されるのである。
私のように宗教に無神経、無関心な輩にとっては、この生存していくことが甚だ困難な異国の地で、互いの憎悪に偏執的に固執し足を引っ張り合うカトリック、プロテスタントのふるまいの愚かさ、不寛容さ、醜悪さ、依怙地さ、偏狭さは不可解というよりも不快この上ない。
このキリスト教的偏狭さとは、今の時代にも西欧の提唱する民主主義、共通する価値観とやらで巧み、密やかにカモフラージュされ、潜り込まされているのである。
随分と口当たりはソフトになっているのではあるが。
この点は、今日イスラム問題であり、移民であり、政治体制であり、西欧と他の社会の対立図式への隠喩として遺憾なく機能しており、現に私のごとく駄文をしたためている次第となる。
作家の狡猾な狙いとは、まさにここにある。

2点目は1点目とつながっているのだが、西欧と非西欧社会との相克である。
この作品、21世紀フランスの作家が著したものである。
フランス文学会とは、文化人と称する、口うるさく不気味醜悪な輩がうようよいる魔界である、
いや内情については、私なんぞは全く存じ上げないが、まともな世界であるはずはない。

植民地問題として西欧人が陥りそうな優越感、先進性とやらを作者は巧みに迂回、回避している。
「お前のその上から目線がそもそも問題なんだよ」
などといわれないよう、十分な配慮がなされた記述が頻繁に目につく。

その代表としてあげると、食人の食習慣、儀式がある。
当時から人食い人種とは、イコール野蛮人だったそうである。
でもこれを直接ずけずけと言うのも、今日居心地悪いではないか。

そこで作者が取り上げるキリストのパン、葡萄酒論争である。
フランスから遥か遠いブラジルの小島、そこでカトリックとカルバン派が、大人げない議論を戦わせ抜き差しならない関係となる。
これなどは、まさにその食人の隠喩である。
が、作家の周到な根回しも、どこか隙がある。

なにしろこの時代にそう遠くない(といっても500年前であるが)第一次十字軍、アマッラの戦いでの十字軍兵士による人肉食。
イスラムを殺戮して大鍋で煮込みシチューにして食べてしまった。
さほど飢餓とも関係のない快楽のための食人として有名である。

中世に限らず、つい最近第2次大戦、ヨーロッパの東、飢餓のロシア戦線では日常茶飯事であった。
どこか落とし穴というものはあるものである。
と意地悪な私はあげつらいたい、ここで。



作家は私とほぼ同年代、同じ職業、といっても作者は国境なき医師団の創設者、セネガル、ガンビア大使の経歴を持ち、ゴンクール賞受賞の大作家、という経歴を持つ超エリートである。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Jean-Christophe_Rufin

医師にして対独レジスタンスに参加していた祖父の影響を強く受け、医師の道を選ぶ。
と簡単にwikiに記載があるが、パリで医学部に入れるということは、作家が超成績優秀者であったということを意味している。
試験の成績順に進学先を選択できる権利を合格者は持っている。
初期研修、兵役(産科を選択した)のち、パリに戻った作家はl'hopital Saint-Antoineにて精神医学を学ぶ。
と簡単に行ってしまいがちだが、サンタンヌ、といえば泣く子も黙るフランス精神医学最高峰の牙城である。
初期の経歴からわかるように、作家は頭脳明晰、勤勉であると同時に現実検討に富み処世にも抜かりなき人物のようである。
ところがこのエリート若手医師、ここで魔がさしたというか、アカデミックな道への欲望が政治的世界へと方向転換する。

国境なき医師団の創設者となる。
世界中の紛争地を巡る。
エチオピア、ブラジルにも滞在材経験があり、この時入手した資料を基に作品化している。
その成果が評価されたゆえか定かではないが、セネガル、ガンビアの駐在大使としてのキャリアも手にする。
現在は、作家としての道を選択しているようである。
アカデミーフランセーズ最年少会員でもある。

さてこの老い先の人生をどう選択するのかは定かではないが。