February 26, 2023

ついでなので

よーしおじさん記事書いちゃうぞー
ほんとにおじさんの歳になってるしな。
30代の時に40代の人がSNSやってるの見てちょっと引いた記憶があるけど、
明日は我が身どころかもうすぐ40代終わりだよ。

サービスが無くなってない限り数年後に見たら面白そう、ってだけで書く。

ついったでもあんまり言ってないような事でも書いとくか。

今の会社入ってたぶん5年目になる?そろそろ年月の記憶があやしい。
よっぽどの理由がないと残業させないのはまだいいとしても、
出張の為に早く出勤しても何も出ないし、
現地で17時になりました、帰社は19時でした、定時扱い、とか、
それよりもとにかく基本給が上がらない。びっくりするくらいに。
それで、お金足りな過ぎて、
何かの時用に取っておいた、親がこつこつ積み上げてくれてたいろんなお金を
切り崩し始めてる。
始めてるっていうか、切り崩し先が減ってきた。
あるだけましとは言えるけど。
はい、私は副業でこんなにです預金通帳見てくださいとかは帰れ。
やばいよねえ、仕事内容自体はそんなに嫌いじゃないんだけど、
どこか別へって言っても、転職サイトやらそういう会社に任せても
安売りされるのしか見えないし、
何か特技を作って自活にしてもインボイスとか始まるし、
逃げ道なし。
仕事そんなに嫌じゃないって書いたけど、
その業界ではそこそこ名前が知れてる会社でも底浅いなーって思わざるを得ない場面が
ちょいちょい見えてきてて、本格的に嫌になる前に穏便にいきたいところはある。
前の所辞める時は逃げ場求めすぎて焦った感あったなって思ってるし。

体調は特に。
ずつーが止まらないやつが若干頻度増えたかも。
とりあえず、気づいたら腐敗物になってないのが目標。
いやほんとに。
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久々に見たら

どこかの時間があり余っててうらやましい人によく理解できない内容の記事を強制的に書かれてた。
お前のケツ毛が一晩で5m伸びますように。
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April 15, 2014

伯父

父親の兄が伯父弟が叔父、覚えておこう。

通称保土ヶ谷の叔父が亡くなった。
昨日仕事から帰った途端に連絡があって夜9時前に
横浜の聖隷病院まで行って会ってきた。
会ったとはいっても肺関係のいろいろな合併症ですでに呼吸困難で
モルヒネも増えてて当然話すどころではなかった。

うちの父親は4人兄弟で、うち2人は若いうちに亡くなり、
それなりの歳まで生きていたのがうちの父と保土ヶ谷の叔父だった。
この叔父も昨年奥さんを亡くしていて、1年と数ヶ月過ぎたところ。
うちの父も母が亡くなって1年経たないくらいだったし
やっぱり肺が悪くて最後呼吸困難だったな、と思っていた。

アクの強い人で、元気な頃は苦手意識もあったけど、
自分が父の葬式を出す際には本当何から何まで面倒をみてもらって、
その後の何回忌とかもいろいろ話をつけてくれて感謝の意が絶えない。

よく、若い頃から人の葬式の面倒ばかりみていたんだ、
という話をしていて、色々思うところがあったらしく、
遺言に従って葬儀をせずにそのまま墓地へ、とするとの事。
死にまつわるいろんな事って、結局は残った人間のエゴでしかないし、
それでいいと思う。
どんな大きい葬式やったってなーんにも死んだ人間の為になんないんだから、って。

聖隷病院、くしくも父方の代々の墓がある久保山の近所。
もう少ししたら姉と示し合わせて墓に行くことにする。

じいちゃんありがと
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January 18, 2014

記録

母親死んでからなんかどっかおかしくて
母親が病気になる前の記憶がほとんどふっとんでたんだけど
昨日夢に出た。
夢だからいろいろまともじゃないところはあるけど、
うちに来て栗ごはん作っていった。
姿は50代入ってからの普通だったときの姿だった。
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November 21, 2013

最近の考え事

いちおう放射脳じゃないよっていう前置きで。

機械メンテの端くれとしては、
もう今あるものは止めてないで動かすべきだと思う。
動いていたものを中途半端に止めたままにするのって
止めた期間が長いほど再起動した時のリスクが大きい。
でも、いまだに、
計画停止した東海発電所の解体も予定ぶっちしまくってるのをみると
どうなんだろうなって思っております。
とりあえず、新規に作るべきじゃないよなあとは思いますわ。
動かそうが止めようが時期が来たらバラさないといけないのは
決まってる事だし。
高度経済成長期にえいやーで作って
あとは技術進歩してなんとかなるだろのノリだったのって
ほんと駄目だ。
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May 02, 2013

近況

熱が出てないのに熱のときの様な症状が出ていたが、
休みに入ったら解消された。
ナロンエースよりもセデスハイの方がそういう状況では効いた気がするが、
原因が分からないのでなんとも言えない。

花粉症の季節も終わりの筈だが鼻水がまだ出る。

姉が一人で機嫌悪くなっていて居心地が悪い。

昨年末に買物をしすぎて口座残高がものすごい減った。

電気代も無駄に高い。

仕事は特に変化なし。割と好きなようにできている。

25インチブラウン管のテレビが写らなくなって来た。
画面中央に水平線一本のような状態になる。
今の所少し暖まると症状が出ない。

冷蔵庫も今の所なんともないけど、
コンプレッサーの起動停止時の振動が大きい。

一人きりで生活したい。

煙草1ヵ月弱止めてる。肺が痛かったので。
まだ煙草を吸いたいという気持ちは抜けない。
ニコレットを噛むと体調悪くなる気がする。
煙草止めた所で特に体調に変化はない。
十数年が1ヵ月程度で解消されるわけはない。

体重は68キロ周辺。5年前より10キロ増だがその頃の方が異様。
しかし65キロ以下にはしたい。

40歳が近づいて来て、
彼女を作りたいとか結婚したいという気がなくなってきた。

長く生きる気もないので、身の回りの物を処分して身軽になりたいのだが、
ものを簡単に捨てられない性分はどうすればいいのか。

人前でライブをもうちょっと完全に出来るようになりたいとか、
声優さんのイベントにもうちょっと行きたいとかの欲はできてきたので、
まだもうちょっとは生きますね。



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December 15, 2012

15区

地元の選挙の話。
ツイッタからもフェイスブックからもxassoからも離れたここでする。
ますださんとして。

前回の選挙の時、世間が民主一色になりつつあるのをみて、
自分は自民と河野太郎に入れた。
長年政権を担い続けていた自民党には割と好感があった。
太郎に対してはなかったけどね。
で、危惧していた通り民主政権の間に日本は弱体化した。
ついでに、野党に落ちている間に自民党もすごい勢いで腐った。
そのついで、いらなかったのに。
民主政権に変わった直後の新聞の政治欄をみていて、凋落ぶりにはほんと目も当てられなかった。

前回の選挙、神奈川は民主で埋まる中、
河野太郎はまんまと当選した。
自分は別に信任したわけじゃなく、
民主政権になるのが嫌だから入れただけなんだけどね。
前回小選挙区で落ちたけど比例で当選した民主の勝又とかいうやつは当選の見込なしとみたのか、
他の選挙区に逃げた。
第三極とか、第三帝国みたいなこと言ってるやつらも地元の選挙区にはこない。
だって、河野一族の地元浸透力盤石だもの。平塚周辺。
とある平塚の成金の会社に勤めていた姉のところにはしっかり太郎から葉書来てたし。
成金周辺にはほんと腐った話いっぱいあるんだけどずれるので今は。

選挙っていうのは、
とりあえず行かないと意味がない。
いろいろ意見があるけど自分はそう思ってる。
小選挙区になって以来は、当選した人以外に入れられた票は全て死票。
つまり意味がない。
でもとりあえず入れないといかん。
そのへんジレンマだけどシステム上いかんともしがたいので。

野党の間に自民がだめになって、
いよいよ信任するつもりどころか落選させたい気持ちになっている。
そのまま腐って溶けて流れておいてよ的な。
落とすにはまた別の候補に入れないとなんだけど、
今回は共産の薄っぺらい感満載の女性しか対立候補にいない。
でも、そいつに入れないとまた投票権持ってる意味がなくなる。
ほんとこの辺のシステムなんとかなんないのって思う。

共産に入れる日が来るなんて思わなかったよ。
ま、9割5分太郎が当選って言い切ってもいいけどね。

戦争すんのかなあ。なんかしかねないなあ。
でもここで生きてくしかないんだよなあ。
なんともはや。
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October 15, 2012

維持

体力低下を感じるようになってきました。

変化あるのかもしれないけど自分はずっと地続きなのでよくわかりません。
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June 03, 2012

チラ裏夢メモ

みたのを覚えてたのでメモ

架空の東北方面に出かけている。
新幹線が1時間に1本しかないらしい。
待ち時間に買った雑誌をみて、
東京?に戻ってアイドルのイベントに行く。
妙に仲良くなるというかアイドルが馴れ馴れしい。
膝の上に乗ってきたり。
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May 26, 2012

最近の話題にからんで

ついたーさんもふぁせぼさんもあれなのであえてこっちで

受給関係の話。

もういないからできる話だけど。
うちの両親は放蕩もせず、
今思えば家庭人としての自覚を持って生きてくれた。
姉も含め家族内での確執があった覚えはないし、
60までに一切借り物を残さず払ってくれていた。
世の中往々にしてそういう人ほど早くいくもので、
二人とも60代前半〜半ばでしかも病気による苦しみの中でした。
そういう前提があるので、
うちに関しては親の具合が悪いのを看るのは当然であるといえました。

家賃のない持ち家もあり、車もあり、
本来自分だけでは到底作れない資金もあり、
自分もそれなりの金がもらえる仕事に就けていて、
姉を生活基盤的な部分のみ養っていますが、
他に大きな金のかかる要素もさほどなく、
同世代の中では比較的経済的不安は少ないほうだと思います。

比較的問題のない、数千万人のうちの一人の
自分の状況を説明するだけでもこれだけかかるのに、
もっと家庭の事情が複雑な人たちの事を
一見の印象だけでどうこう言うのはどうなんだよボケが、
という話でした。

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