小島一志/本当の公式【wiki辞典】 嘘や捏造のない事実のプロフィール

●Wikipediaの犯罪に挑む…… 近年、Netの世界ではHPや個人サイト等に対する「荒らし」と呼ばれる誹謗中傷や名誉毀損が平然と野放し状態になっています。更には殺人予告など悪質性のエスカレート現象が社会問題となっております。 それらは当然、犯罪行為なのですが、Net上における他人のコラムや写真などの無断転載(著作権侵害罪、肖像権侵害罪に相当します)の氾濫についても何ら対策を講じようとしなかった各プロバイダも最近では警察の指導の影響からか自主規制に向けてようやく重い腰を上げたのが多少の救いと言えるでしょう。 しかし、そのような規制強化・改善の流れの中で唯一無政府または治外法権状態にあるのが俗に「wikipedia」と呼ばれるジャンルです。現在も活動中の著名人に関する多くのwikipediaを見れば、その荒れ様は明白です。 「Net界の百科辞典」を謳いながら、その現実は何ら規制らしい規制もなく、誰もが自由にwikipediaを編集可能という事実。対象となる本人への確認も一切なく、ともすれば読者の偏見、ひいては悪意に満ちた内容でさえ容易に掲載されてしまう事実。そのジャンルに関して当人のスタンスが中立か否かの確認もなく、単に特定の条件を満たした者が容易にwikipedia編集者に採用され、内容に対するクレームに対する是非の判断の殆どが彼らに託されている…事実。 現在のwikipediaは内部が腐れ果て、外部からの侵入者の悪意にも気づかない末期的症状に陥っていると断言しても過言ではないでしょう。 これで内容の「公平性」が保てるのでしょうか!? 唯一彼らが取る「荒らし」への対抗手段は、最大で期限付きの書き込みロック。後は言葉だけの言い訳しかありません。 「以下の内容の真実性については現在、編集者で協議中です」 「内容が全て正確とは保証出来ません」 賎しくも「百科辞典」を標榜する機関が「記述内容の真偽に対して保証出来ない」と公言しているのです。にも拘わらず何故、そんな真偽不明の内容を堂々と公開するのでしょうか? wikipediaにて扱われた本人(当事者)がクレームをつけようにも機械的な作業を延々と繰り返し、しかしそれでも編集者の合意がないと変更も削除も出来ないという現状。ましてやそれらの作業はPCでなければ不可能という。PCの扱いに慣れていない者にはまさに「泣き寝入りをしろ」と突っはねているのも同然です。 自らの正当性を主張する目的で以下のような断り書きが掲載されているのも良識を疑わざるを得ません。 「最初は事実でなくとも編集者たちの努力によって必ずや正確な内容に近づいていくことをご理解下さい」 芸能人、文化人等の著名人のwikipediaを試しに幾つか見て頂ければ一目瞭然です。必ず前記したような「内容は事実とは言えない」といった逃げ口上が巻頭に掲載されている物に遭遇するでしょう。 wikipediaの最大の罪は「Net界の百科辞典」を標榜しつつ、事実とは認定不可能な内容であっても、無責任な断り書きを掲載するだけで放置し、また本人(当事者)への確認が一切為されないという点、更には本人(当事者)であってさえ「事実と異なる誹謗中傷」と訴えても削除が容易ではないという部分にあります。 また「Net界の百科辞典」というキャッチフレーズを信じる人たちが他のHPや掲示板より圧倒的に多いという現実が更なる深刻さを生んでいるのです。普通ならば、まさか「百科辞典」の内容が嘘だらけとは思わないでしょう。疑うことさえないでしょう。 私はNetを殆ど見ない主義ですが、たまたま5年振りに自らのwikipediaを覗いて愕然としました。まるで他人の事では!? と疑い、卒倒する程に事実誤認の羅列に驚きました。その背景には明らかな悪意が感じられました。 PCに疎い私には為す術がありませんでした。結果的にすがる思いで顧問弁護士に相談するしかなかったのです。弁護士は内容を一瞥しただけで「名誉毀損罪で法的手続きに入るのに十分な案件だ」と驚き呆れました。 こうして、この度私はwikipedia(他のプロバイダも含む)に対して刑事告訴及び民事訴訟を起こす事を決意し顧問弁護士を法的代理人に立てる決定に至ったのです(2010年4月)。 また虚偽と誹謗中傷にまみれたwikipediaに対抗すべく、こうして顧問弁護士や後援者、更にはNet専門探偵社のもとに私版ながらも「事実のみを掲載するwiki辞典」を公にする事にしたのです。 ちなみに、タイトルに「wiki」とつけたのは、せめてもの対抗心と皮肉によるものだと理解して下さい。

【episode 食べる事】

自称・アンチグルメである。また所謂「B級グルメ」という言葉も嫌っている。
食べるのは大好きだが、元々体育会系で「大食こそが命」という教育の影響が40年近くにわたってトラウマになっているとBOSSは自己分析をしている。

それを決定つけたのが極真会館創始者である大山倍達総裁だった。古い弟子や内弟子で知らぬ者はいないだろうとBOSSは断言する。とにかく死ぬ一歩手前まで食べさせられたという体験だ。だから如何に空腹であれ、総裁に食事を誘われた時は光栄である以上に地獄に誘われる気分が先にしたものだ。
池袋東口の一角(現在は土地整備が進み、店も移ってしまった)に大山総裁御用達の「アリラン」という朝鮮焼肉店があった。
BOSSがMUGENのスタッフ2人と共に店に行くと、既に大山総裁が奥にある広い個室の上座に大仏のように控えている。総裁の脇には大抵「パワー空手」編集長の井上氏、またメディアエイト社長の前田氏がいることが多かった。
BOSS達が揃うと、雑談も程々に次々と料理が運ばれてくる。大きなテーブル一杯! まずはナムル、各種キムチ(見た事のない水キムチも)、サンチュ…みなデカ盛が2-3皿ずつ。ついで高級な(どれも高級なのだが)タン塩が人数前、つまり5人分×2=10人分。後はハラミやロース、カルビは勿論、初めて聞く内臓肉~レバー、ホルモン、センマイとかコブクロとか最低10種類以上の肉が各3人前。これでは終わらない。BOSSが酒が飲めないゲコなのを総裁は知って下さるので烏龍茶。他のスタッフは有無もいわずマッコリ…。
こうしてやっと乾杯!!
しかし総裁や井上さんは殆ど肉を食べず、タラの塩辛・チンジャをオカズにもうご飯を食べ始めているではないか!?
「君達は料理を全部平らげなさい」
総裁の言葉は絶対だ。ガムシャラに肉を焼こうとすると、また総裁が口を挟んでくる。
「君達は焼肉のマナーを知らないね~、まずは塩タンからこうして焼いて(中省略)、脂の多い肉はまず網の脇に置くのよ。それで脂身が落ちたら真ん中に持ってきて1度裏返したら5秒以内に食べなくちゃいけないよ」

BOSS達の食べ方や食べっぷりを総裁はよ~く観察している。さすがは鍋奉行ならぬ「焼肉奉行」である。
食欲と緊張感は融合しないもの。しかしこの際、食べなくてはならない。美味しい!! と感じたのは最初の20分位。徐々にお腹が苦しくなってくる。すると総裁は意地悪にもライスと骨付きカルビを3皿注文する。続きを読む

【episode 女性と恋愛】

本人は大の女性好きだと豪語する。とは言いつつ「男子高シンドローム」をもろに被り、10-20代のBOSS(小島)は大の奥手=ウブであったようだ。中高は柔道部。その後も(弱いクセに下手の横好きで)空手など格技三昧の生活を送る。常に男だけの汗臭い青春。それも奥手の主要因になったに違いない。
20代の半ばまで、ひとつの例外を除いて女性と話す事自体が殆どなく、話せるチャンスがあっても何も話せず相手の眼も見られないという体たらくだったとBOSSの友人は笑う。
とはいえ、「初体験は19歳だった!」と、またもや本人は威勢がいい。本人の言葉が本当だとすれば、当時としてはかなり早かったといえる。
立教大学在学中、従兄弟の紹介でアルバイトとして世話になった御徒町の職人・人足派遣会社(それは表看板で、実は怖い【稼業】の事務所だった。こうしてBOSSはボクサーあがりの従兄弟に誘われるまま早くも危ない世界に足を踏み入れる事になる)
…そこで経理をしていたのが30代後半の自称バツイチ・静香さん。夜の顔は間違いなく水商売か風俗嬢!! 厚化粧のエッチ系美人熟女だった。ある日、そんな静香さんにコーヒーに誘われ、食事に誘われ…ハッ!と気がついたら、かの有名な「目黒エンペラー」にチェックイン!!
初めて見る艶やかなキラキラした回転ベッド。ガラス張りの天井に写る自分の姿を見ていた記憶しかないと本人は語る。「行為」については…、ただ仰向けになったままだった事、更には相手のオバサンが想像以上に痩せた貧乳だった事くらいしか覚えてないという。
「アンタ、オンナを知らないね!? もっと勉強なさい」
静香さんの言葉がトラウマになったのかもしれない。早稲田大学入学以後、本人は授業を無視し空手と激しいアルバイトに励み、それを資金にありとあらゆる「風俗系」に通い詰めた。
「早稲田の極真同好会の先輩達を連れてストリップからサロン、ソープランドなど行きまくった。4年生の柴山先輩と山田先輩、3年生の横田先輩、関口先輩、2年生の荻野先輩や同期で佐藤塾の西村とか、みんなチェリーボーイを卒業させてやるのに貢献しょったわい」
BOSSはうそぶく。でもプロの世界に精通しまくる反面で、普通の女性との交際は失敗続き。中学時代から初恋の女性(史子さん)には20歳を過ぎても告白できず中学生並みの片想い。「補欠、第2候補クラス…」と勝手にランク付けをしたミユキちゃん、ノリちゃん、安里さん、サトミちゃん、まさみ…結局、全戦全敗。唯一の例外はタマミちゃんだけでした。

※早稲田時代唯一のガールフレンド、 タマミちゃん。川村短大生。ギターの弟子でした。
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※1985年前後3年間。葉子さんとお付き合いをしていた頃の写真。ダセツ!!
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【episode 趣味】

趣味について

本人は意外にも「俺は寂しい無趣味人間だと長く口にしていた。曰く
「読書や映画鑑賞は当然、平均並みじゃないかな。音楽鑑賞ももっぱら自分が若い頃流行したもので止まっているし、昔は毎日弾いていたギターも約20年間全然、手にする事もなく、高校入学時に買ったYAMAHAをクローゼットの奥にしまったままだった」
ところが約5年前から状況が変わったという。息子の大志がギターに興味を示しBOSSに習いたいと言い出したのがきっかけだった。古いYAMAHAでウェスタン・フォークのイロハを教え始めたが、そのうち自分自身も大昔に味わったギター演奏の快感が甦ってきた。

小島の中・高時代、更に大学時代は多くの若者がギターに夢中になっていた。でも当時はみんな貧乏だったから買えるのは1万円前後のモーリスやアリヤ、YAMAHAだった。BOSSのYAMAHAは当時の価格で24,000円だったが、これはまだ高価な方で、5万円を超えるギターを持っていたら「大金持ち!!」と騒がれたという。
当時の憧れのギターはなんと言ってもGibsonとMartinだった。特にGibsonはアメリカ的な華やかさが若者たちを虜にした。かぐや姫の南こうせつが持っていたGibson Humming-Bird。アリスの谷村新司が抱えていたGibson-Dove、そしてBob=Dylanを筆頭に吉田拓郎、岡林信康といったスターのギターといえばGibson'J-45…。
1ドル300円前後の時代、また輸入制度が確立してない時代、どんなに安いGibsonでも100万円は下らなかった。本人は、「あの美しいHumming-Birdに憧れながら、友だちはモーリスの安いHumming-Birdのコピー商品で我慢していた…。いつかGibsonが欲しい! こう思いながら気がついたら30年以上が過ぎていた」と振り返る。
「一生に一度でいいからHumming-Birdを弾いてみたい」

いつしか昔の思い出が強烈に甦ってきた。


松井館長との友情セッション
松井が持つギターはGibson最高機種、SJ-200original(日本ならば300万円で売れるとギター専門家はいう)
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プロフィール

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