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2007年01月23日 起業と経営のコラム

起業できる就職(真田の場合)

今年も新卒採用、就活の季節がやってきた。
KLabの場合、私自身がどんどん学生に会っていくというやり方をとっているため、この季節は面接で忙殺される。

KLabのようなベンチャーに就活に来る学生は、「いつかは自分も起業したい。その時までに修行したい。実力が身につく会社に就職したい。」
と思っていることが多い。

そこで、「起業できる就職」 について書いてみたい。


私も、かつて、起業するための就職をした。

まずは、自分の昔話から。

私は、学生時代に会社を設立し、そのまま大学を中退してしまったので、いわゆる新卒として就職を経験したことは無い。19歳で起業して以来20年以上、社長業をしているが、その中で、たった1年だけサラリーマンをしていた時期がある。

1年間のサラリーマン経験のお陰で、私は次の起業に成功した。


1997年当時、以前に倒産させた会社の債務を引きずりながら、私は経営コンサルタントのような仕事をしていた。

その頃、インターネットが流行り始め、私も、次はインターネットで世の中が変わると感じ始めていた。そして、いつの間にか「インターネット関連の事業を起こしたい。」と考えるようになった。

しかしながら、その当時の私は、インターネットどころかコンピュータやソフトウエアのこともよく解らなかった。インターネットのことを勉強しようと本を買い集めたが、いくら本を読んでも、肝心なことが解らなかった。

インターネットを活用したビジネスアイデアは、いくらでも浮かんだ。それこそ、真田式発想法でマトリクス書いて、かけ算でアイデアを膨らますようなこともした。しかし、インターネットの技術の事が解らないから、実現までの行程がイメージできないし、問題点や課題点すら解らない。

もし、ラーメン屋を始めるとしたら、ラーメン屋経営の指南書を読むよりも、流行っているラーメン屋に勤めてみることだ。そうすると、いろんなノウハウが見えてくる。

インターネット関連のビジネスを始めるなら、その前にインターネット関連の会社に勤めてみることが一番勉強になるはずだ。

私は、そう考えるようになった。 


当時、私は、借金返済を6年間続け、不完全燃焼の日々ながら、それなりの収入があった。コンサルをしていたJCMという会社は、駐車場機器製造の町工場から、私が企画したリースバックの仕組みによって急成長を始めていた。

このまま行っても、「そこそこの人生」は送れる。

しかし、久々に来るかもしれないインターネットという大波に乗ることができれば、大復活できるかもしれない。

今すぐ起業しなければ、波に乗り遅れるかもしれない。

様々な思いが交錯した。

そんな中で、私は決断をした。
会社は廃業して、インターネット関連企業に就職して、技術を覚える。
コンサル先からは、「アフター5で手伝ってよ」というようなお声がけも頂いたが、中途半端になりそうな気がして、それもお断りした。

何も知らない人間が、「誰よりもインターネットに詳しいと胸を張れる状態になる」という目標を達成するには3年はかかるだろう。と想定した。
3年勤めて、3年後に独立するとしたら、今流行っている技術ではなく、3年後に流行る技術に取り組んでいる会社に就職しよう。

それから、私の就職活動が始まった。 


当時はまだインターネット上に就職転職情報のサイトは存在しなかった。だからインターネット業界の就職を探すのに、ネットでは無く、雑誌で探すという時代だった。
その当時の唯一のインターネット情報誌「インターネットマガジン」とリクルートのBeingなどを「なんかオモロイ会社はないかな?」と探すようになった。それから3ヶ月ほど経ったある日、Beingの誌上でとてもエキサイティングな「絵」を発見した。

TVや携帯電話や冷蔵庫や電子レンジなどの家電がネットワークに繋がっている絵だった。今でこそ珍しくも何ともないユビキタスの概念の絵だが、その頃はまだ、PCのインターネットの普及前夜でユビキタスという概念も言葉も存在しない。

「これだ!!」

私はすぐに電話をして面接を受けに行った。最初の面接をして頂いた保志取締役が、「面白い応募者が来てる」と、その場で鎌田副社長を呼ばれて、次に鎌田副社長が荒川社長を呼ばれた。
当時の主要な経営陣の前で、私は過去の起業経歴をプレゼンし、私はアクセスの売上を伸ばすことが出来るとアピールした。一方でいずれ起業するための修行のつもりで就職するということも正直に話をした。

結局その場で採用が決まった。面接が始まってから5時間が経過していた。

私は、株式会社アクセス(現在:株式会社ACCESS)という、当時社員数十名の無名のベンチャーに就職することになった。

そして、その就職が、その後の私の人生を大きく変えることになった。 


私は、アクセスに於いて、平社員で営業を担当することになった。

当時のアクセスの主力商品はTCP/IPなどのプロトコルスタックやITRON系のRTOS(リアルタイムOS)、プリンターサーバーソフト、FEPなどなど。これらのソフトの組込機器への実装を受託開発するのがアクセスのビジネスだった。

営業は、例えば、他社のRTOSに比べてアクセスのRTOSが如何に優れているか、開発環境や実行効率、CPUへの対応状況などを比較して説明し、提案書、見積書を作成しなければならない。
入社直後は、社内の会話が宇宙人の会話に聞こえた。会話の中の単語の80%は理解出来なかった。

採用面接の時に啖呵を切ったように、売上を上げるどころか、自社の商品やその仕事の内容を理解できていない。「この俺がお荷物になっている!」という状況に焦りを感じた。

それまでの経営者時代、私は部下に対して、いつも
「なんで、こんな簡単ことが解らへんねん!?」
というセリフを吐いていた。嫌みではなく、なぜ解らないのか解らなかったのだ。

アクセスの上司や先輩達は、私に対して
「なんで、こんな簡単ことが解らないの!?」
「こんな事も出来ないの?」
と感じてるんだろうな。。。
あれ? これはいつも俺が感じていた感覚の向こう岸だ。。。。

初めの2ヶ月は営業としての数字は0(ぼーず)だった。今まで、経営者の立場から営業マンを見ていた。数字を上げられない営業マンに価値は無いと思っていた。まさか、自分が価値が無い人間になるとは思っていなかった。

私は、夢中になって働き、夢中になって勉強をした。

CPUやOSがどのような原理で動いているのか。プロトコルスタックがどのように会話をしているのか。というような基礎の基礎から本を読み漁った。とにかく、お客様とのMtgに同席し、議事録をとり、会社に戻ってから、その議事録の内容を深夜までかかって解読した。

先輩やエンジニアの方々に「ウザイ」と思われていることを承知で、「なぜ?」「なに?」「どうして?」を連発して、質問しまくった。 


私は、夢中になって働き、夢中になって勉強をした。

上司と先輩に恵まれ、特に渡辺智徳さんにはイロハから教えて頂いた。

学生時代に起業して以来、社長業しかやったことが無かった私は、お客様から教わることは多々あったが、上司から物を教わることが無かった。自分の発想に基づいて事業を進めているので、自分の発想に無いことを経験することも無かった。

自分の知らない知識を人から教わることが出来て、今まで出来なかったことが出来る様になってくる、役に立てる様になってくる。経営者時代には感じたことの無い充実感を感じた。

そうして3ヶ月も経つと、私は、まがりなりにも、アクセスの技術の説明をして、提案書や見積書を書くという営業の初歩が出来るようになり始めていた。

そんな頃、鎌田副社長のお供をして、YRPのNTTドコモを訪問した。
鎌田副社長は熱弁をふるった。「compct NetFrontは50Kbで実装が可能です。」それは、インターネット接続が出来る携帯電話開発のプロジェクトだった。

「真田くん、あと調整しといて」

鎌田副社長の一言によって、その後の世界を揺るがすIT業界の大波の片隅に、私は参加させて頂けることになった。

そして、後に「iモード」と呼ばれるシステムの開発が始まった。 


アクセスは、PC以外の機器、すなわちTV、STB、PDA、ゲーム機、携帯電話などの機器向けの組込ソフトウエアの開発会社である。アクセスがソフトウエア開発を受託してから半年以上先、長ければ1年以上先にその機器が発売される。
だから、アクセスで働いていると、コンシューマより1年早い情報が入手出来る。

アクセスという会社は社長も副社長もエンジニア出身でソフトウエア以外のビジネスは眼中に無く、良い意味で純粋無垢な会社だった。自社が開発に関わった製品に関して、その周辺市場まで手を拡げようという欲など全くなかった。

ところが、私は、1年後に発売される製品の構想を聞くだけで、その周辺ビジネスに関するビジネスアイデアがムクムクと湧き出て、妄想が止まらなかった。
ソフトウエア開発を受託している会社の営業マンである私が、なぜかメーカーさんのマーケティング戦略に関する提案など、本業から逸脱した動きが出来るようになってきた。そうすると、真田哲弥という個人に興味を持って頂ける方も現れ、IT業界に縁もゆかりも無かった私が、徐々に業界人脈が拡がっていった。
その人脈から新しい情報や知識がもたらされ、その刺激によって新しいアイデアや提案を思い付き、それをまた人脈にフィードバックする。という好循環が生まれるようになった。

私は、営業として入社したが、そこそこの数字を上げられるようになると、いつの間にか、自分がとってきた大型案件のスケジュールや工数、粗利の管理などいわゆるPMのまねごとまで手を出すようになっていった。入社して半年経っても、あいかわらず、毎日深夜2時3時まで残業という日々だったが、開発の現場感覚、コスト感覚なども、なんとなく解るようになってきた。

そんな環境下で、精神的に余裕が出てきたのか、仕事の合間を縫って、ビジネスプランを考えるようになった。アクセス入社以前に考えるプランと入社後に考えるプランでは、まるで質が変わった。

いろんなビジネスアイデアを妄想したなかで、一番気になっていたのが、やはりインターネット接続機能のついた携帯電話、後にiモードと呼ばれるケータイを使ったビジネスだった。


アクセスに勤めながら、私は、後にiモードと呼ばれるシステムの実験などに立ち会っていた。

「そんな小さい画面で、インターネットが使い物になるのか?」というような否定的な意見が根強く合った。世の中の8割ぐらいの人は、既成概念からアタマをチェンジして空想を駆けめぐらせることが出来ない。新しい仕組みが生まれる前、その現物を目にする前は、常に反対意見の方が多い。推進派の連中は否定意見は気にも掛けなかった。

アクセスでは様々なデモコンテンツを作り、どの程度の表現力があるのか、試してみていた。もちろん私自身もデモコンテンツを作ってみた。私は、実際にデモコンテンツを作りががら、「これはイケル」という確信を強めていった。

私は、コンテンツ提供側のビジネスの検討を始めていた。アクセスの真田として、iモードを活用した仕組みの特許出願なども行った。

私は、iモードのシステムには勝算を感じたが、
「コンテンツ提供のビジネスが成立するかどうかは、サービスモデルの設計次第だ」と思っていた。
当時アクセスが取引をしていたのはドコモの中でもYRPの研究所だった。この部署はサービスモデルについては関与していなかった。そこで、サービス全体を作っている部署、ゲートウエイ・ビジネス部を紹介してもらって、会いに行くことにした。

NTTドコモ ゲートウエイビジネス部は神谷町森ビル(現神谷町MTビル)の4Fに有った。余談だが、KLabがケイ・ラボラトリーとして創業したのは、この神谷町森ビルの1Fだ。もちろん縁起を担いだのだった。


神谷町森ビル4Fのドコモ会議室で待つこと数分。
「いや〜遅れて済みません。お待たせしました。」と男が入ってきた。
夏野剛氏との再会だった。

このあたりは、「ネット起業!あのバカにやらせてみよう」の第5章「再会」に詳しく描写されている。


夏野剛との再会の夜、私はiモードのコンテンツ提供のビジネスで起業することを決意した。

私は、占いを信じていないが、人には運命というものが有る事は信じている。夏野氏との再会は、神様が俺に「起業しろよ」と囁いている。これは運命だと感じた。

腹が決まった後の行動の早さが私の特徴の一つだ。

アクセスの業務はますます多忙になってきていたが、深夜仕事が終わった後に事業計画書を書き、土日に資金を出してくれそうな人を訪ねる、そんな日々が始まった。

そして、アクセスを退社、サイバード設立と突き進んで行った訳だ。
ここから先の詳しいストーリーは、いずれ何かの機会に書くとして、ようやく表題のテーマに戻りたい。

起業する上で必要な要素を羅列してみると

メンバー
資金
ビジネスプラン

ここまでが必須要素で、これだけあれば、取りあえず起業は出来る。

しかし、起業しても直ぐに倒産したのでは意味がない。
成功するためには、次のようなものが出来れば欲しい。

ノウハウ・技術
情報・人脈
見込み顧客
運・大義・思い込み・タイミング・流れ


私自身の事例を長々と書いたが、私は、当時の私がインターネットのビジネスをするにあたって決定的に欠けていた、ノウハウ、技術、情報、人脈などをアクセスに入社することによって得ることが出来たわけだ。

起業する業種やビジネスプランが決まっている場合は、自分に足りないモノが何なのか考えてみると良い。全てが揃ってから起業しようなどと、石橋を叩いている人は永久に起業出来ないし、起業に向かないので諦めた方が良い。

起業は、「迷うなら辞めておけ!」が鉄則だ。

投資と結婚も多分同じだ。(笑)

必須の要素が足りないことが明確な人は、それを得るための就職・転職というのも一つの選択肢だと思う。

では、学生の場合は、どうだろうか?

私が大学生時代、「会社を始める。」という事を父親に話したところ、大反対された。親父は、私に次のように言った。

「学生時代は、基礎を身に付けるべき時。それを疎かにして、目先の小さい商売に走ると、小さく出来上がってしまい、小者のまま終わるぞ。」

当時の私は全く聞く耳を持たず、会社を創り起業家への道へひた走った。しかし、今にして思えば、私の親父が言ってることは正しい。私も、同じ言葉を今の学生に贈りたい。

朱に交われば赤くなる。朱色の学生ばかりが集まった学生企業は、世の中に青色や黄色が有ることが解らない。アタマで理解していても緑色の発想が出てこない。
 

同じ事が、地方のベンチャーにも言える。 


sana3991 at 19:09│起業と経営のコラム 
Profile
プロフィール用写真


KLab(株) 代表取締役社長

19歳で株式会社リョーマを起業して以来、数々のベンチャーを起業。地獄と天国を経験し、それでもベンチャー起業と経営にこだわり続けます。


趣味:音楽(オールジャンル)、酒(飲み過ぎ)、ゴルフ(下手くそ)、サーフィン(過去形)、旅行、
出没地:六本木、西麻布、麻布十番、豊洲、沖縄

真田が登場する本

Director'sMagazine
巻頭特集では未公開の幼少期や学生時代の半生記が描かれています。


TechnoTokyo

IT系のベンチャーの受付や応接室でよく見かけるTECHNO TOKYOカレンダーの書籍版。巻頭のカラー特集では、GMOの熊さん、インデックスの小川さんなどと共に、KLab(株)、真田も掲載されています。


モテカフェMesseage
Tokyo FMの人気番組「モテカフェ」が本になりました。ゲストとして登場した13人のベンチャー社長が"モテる"秘訣を語っています。
六本木ヒルズ
真田哲弥が、三木谷浩史、藤田晋(敬称略)などとともに、10人の21世紀勝ち組企業家の1人として紹介されています。
勝ち組と言われても、今は、再び挑戦者なんですけど。。。

本表紙_あのバカ
真田哲弥の学生起業家時代からサイバードの公開直前までが描かれています。
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