かみさまとのやくそく
友人、知人ふたりのかたからススメられて、昨日渋谷にて映画を観た
副題に胎内記憶を語る子どもたちとあるように、どうやら人は皆、自分が生き方や、母親やその環境を選んで生まれてくるらしい
そうした記憶をもつ子ども達に共通するのは
’人の役に立ちたくて生まれてきた’ということ
胎内記憶、なかでも’過去生(前世)記憶’や’中間生(生まれる前)記憶’は意識が脳とは独立した存在を示す有力な証拠
人の意識は肉体を超越したものでらしいことが明らかになってくる
特に印象的だったのはそんな記憶のある子供たち3人の会話
死んだとき悔いが残ったから、その悔いを晴らすためにまた生まれてきた
課題があって生まれてきた
悔いがない人は天然で産まれてこられる
つまり自分のことだけ一生懸命に考えてればいいからストレスがない と
その一方で、セラピストの南山氏は下記のように警鐘を鳴らす
本来子どもは、何にでも興味を持ち、自己中心的でやりたいことをする無邪気でありのままの存在ですが、育っていく過程で、躾や教育をされながら禁止事項が増えていき、自我との葛藤が生まれる
親や関わる大人たちとのやり取りの中で傷つきながら、諦めを覚え、自信をなくして、、、
親の顔色をうかがうようになって、何かをしようとするエネルギーがなくなってしまう
それは子どもたちの問題だけではなく 大人でも抱えている問題
自らの’内なる子どもの声に耳を傾ける’ことが大事
子どもに翻ってみれば、神様との約束を果たすには親や環境の応援が不可欠であるということ
自分自身を再び顧みることや無条件で愛することを学ぶことが必要
成長過程で置き去りにしてきた膝を抱えたままうずくまっている自分自身を立て直したり、大切に扱う機会を与えられたと思えたなら、様々なことに感謝ができて、人生はきっと楽しくなる と
ところが実際にはありのままを認められたり、許される経験がないので実践することが難しい と
何のために生まれてきたのか?
自分の意識(魂)が何を求めているのか?
今を生きるってどういうことなのか?
マザーテレサの言葉に
’私たちはこの世でおおきいことはできません。小さなことを大きな愛でやるだけです’
というものがある
また、’もっと幸せになる為に、私たちは何をしたらいいのでしょう’の問いには
’ほかの人のためになることをしなさい’ と
そうですね
’人の役に立ちたくて生まれてきた’ のだから
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