BlackなBlog

毎日気ままに

いじめ

「いじめ発覚で教員給与下げ」発言3

この発言

どこまで取り沙汰されるか

わたみの会長の言葉だ

教育に明るいわけでもないのに

わざわざこんな発言をして

叩かれるに決まってる

なのに

この時期にこの発言

何にも分かってないと

自ら公言しているようなもの

教師は

今現在

給与カットというペナルティが無いにも関わらず

いじめを隠そうとしている

それなのに

いじめの芽を早く摘むためにも

こういう制度が必要と主張するわたみ会長

いじめの芽

それは分かりにくい

いじめそのものだって見つけにくいのに

芽をどうやって見つけるというのか

本末転倒も甚だしい

っていうか

分かってないなら

わざわざ発言しなくて良いのに

新しいことを発することで

目立ちたいだけだろー

呆れてものが言えない

大津教育長に冷笑3

まあ

そうだろうね

襲われた教育長を庇う人は少ない

「じゃれあってただけでしょ」

「やりすぎんなよ」

そんな声が飛び交っている

教育長室が現場らしいけど

自分に言わせれば

そこも

ひとつの「がっこう」

「単なる」いじめなのに

通報するなんて

過剰反応に過ぎない

、、、

なーんてね

いじめが直接の原因じゃない

なんて言う割りに

今回の通報の早かったこと

未来ある若者のしたことなんだから

警察を介入させるなんて

教育者のすることじゃないね

、、、

なんてね

いじめ復讐代行屋3

ブログネタ
話は変わりますけれど に参加中!
なんかテレビドラマみたいなタイトルだ

ありそうだけど

現実には無いでしょうと思うようなもの

だけど

あるらしい

誰が虐めているのかを特定して

その加害者の弱みを見つけるということをするらしい

たかがイジメ

されどイジメ

結局は加害者も被害者になる

エンドレスに螺旋を描くような構図

だけど

「被害者」になるとイジメは止まるらしい

それって

被害に遭って

初めてその気持ちが分かるということなのだろうか

そう思うと

推測能力を持ち合わせていないってことになる

高等動物とは言えない

自分の快楽にだけ沿って

やりたいことだけをやって

人の気持ちを慮ることが出来ないっていうことだから

恐ろしいことだ

人って

自分がされたくないことはしないとか

そういう

相手を思いやる気持ちとか

逆の立場だったりとか考えることができる

「はず」なのに

イジメはイジメの域をだいぶ超えている

昔っからイジメはあった

陰湿なイジメだってあったと思う

だけど今は

陰湿とかじゃない

殺人に近い

強迫や恐喝をするなんて

イジメという名では表現しがたいものだ

未成年という法で守られた犯罪

人は間違いを犯すものだとは思う

だけど

人を死に追いやることに対して

年齢なんて関係あるだろうか?

子どもには分からないことは沢山あるだろう

だから成人とは異なる少年法というものも存在する

だけど

人を殺すにあたって

成人とか少年とか関係あるだろうか?

少年なら人の「死」が分からなくても仕方ないと言えるのか??

ゆとりとか色んな政策もあった

平等でないからなんて言われて

皆で手を繋いで走る運動会とか

逆にその方がストレスを抱えるのではないだろうか

もっと走れるのに

遅い子に合わせる自分

「偽善」を学ぶだけだ

人には人の良さがある

悪いところも含めて自分だし

それでこそ個性というものがあり

その人らしさが際立つ

皆無理してるんだよ

きっと

出る杭は打たれるじゃないけど

変わったことをすると目立つ

だけど

それを貫き通せば変人も天才に見える

そういうものだ

根性焼きを本人同意だとか

意味の分からない教師の下にいる子どもに同情する

大人になれば選択肢が広がる

嫌なら辞めるとか

嫌なら逃げるとか

嫌なら場所を変えるとか

だけど

子どもには「その場」が全てなのだ

大人に虐められてるって言えないのだって分かる

自分にだってプライドがあるし

虐められる可哀想な自分なんて思いたくないだろうし

虐められていると発すれば報復がくることだって想像できる

なのに

「自分でやった」と言ったことを鵜呑みにする教師なんてあり得ない

もしそれが本当だとしても

そうせざるを得なかった本人の心を知りたいと思わないのか

そんなことをしてしまうほどの闇があったとは解釈しないのか

そしてそう言った彼に対して

教師は「嘘をつくなんて」と責める

見破ることもできない自分を棚に上げて

よく子どもに嘘をつくななんて言えたよなーと思う

子どもの方がよっぽど利口だよ

それなのに阿呆な教師に責められて可哀想な子ども

そう思う

自分が出来ることは無いけど

こうやって

声を上げることで

何か役に立つことを願っている

仙台のアホ学校3

ブログネタ
こんなことありました・4 に参加中!
大津の事件は珍しいことではないのか

あの事件発覚後

色んなところで被害届が出されたり

問題が明るみになったりしている

大津のことはまだまだ明らかになってはないけど

何らかの光にはなっている気がする

そんな中

仙台の私立学校で

「根性焼き」をされたのに

学校側が被害者に対して

自主退学を求めたらしい

「根性焼きは自分でしたらしい」

「自分でしたと認めたから」

っていうのが理由らしい

虐められているのかと聞かれて

自分は虐められていると

堂々と答える人がいるだろうか

教師って

そんなことも分からないなんて

動物以下だ

人間っていうのは

推測能力があるからこそ

高等動物と言われるのではないか

人の気持ちとか分からない人が教師になってて

庇ってもらえない子どもは悲劇だ

結局は

トントン拍子に人生やってきて

虐めなんて無関係な人間が教師になってるんだろうな

きっと

虐めを横目に

勉強ばかりして

傍観してきた人間なんだと思う

被害には合わないけど

加害者でもない

ただの傍観者

だけど

傍観者っていうのは

静かにそれをただ見ているという意味において

本当は罪が重いと思う

批判しないということは

参加しているも同然

教師の資質って難しいけど

人として

色んなことを経験した人になってほしい

例えば

単純だけど

ヤンキー先生って呼ばれている人とか

きっと

虐めたこともあるし

逆に虐められたこともある人だと思う

だからこそ

人の気持ちが分かるんだと思う

もちろん

「経験者」という意味ではない

だけど

なんとなく人生を送ってきて

勉強以外に脳が無い

教師以外に選択肢がなかった人っていうのは

マズイと思う

結局は

他の会社を受けても

採用されないような

勉強バカと呼ばれるような連中が

試験の得点だけで教師になり

更には社会性もないのに

「先生」ともてはやされている

ただそれだけのことだと思う

そう考えると

ダメ人間でも無理はない

当然の結果だと思う

何年か社会で経験を積んで

それなりの社会性を身に付けた人が

「先生」という職に就くべきだと思う

やる気も無いクセに

「先生」と呼ばれることで勘違いするんだと思う

結局は

『おやまの大将」に過ぎない

ガキ大将の方がもっと周囲を見ていると思う

教師のことなかれ主義は

起こるべくして起こっていると思う

人の可能性3

ブログネタ
大津のいじめ問題、誰が悪い? に参加中!
性前説って聞いたことがある

逆に性悪説っていうのも聞いたことがある

大津の事件を見るとそれ以上のものがあるのかと思う

被害者少年の机で

死後

加害者がトランプをして

楽しく騒いでいるとか

また

被害者の写真に画鋲を刺したとも

生きている時にいじめをすること

それはそれで良くない

言うまでもない当然のこと

亡くなった後にもやってるって

どういう神経をしているんだろう

だけど

返って「必要な」ことだとも思う

決っして「いじめが必要」という意図ではなく

「どれだけ悪質だったか」ということを知ってもらうことができる

「遊びの範囲だった」っていう話もあるけど

それを大きく否定することができる

亡くなった後にも

コトの重大さを感じられないような持ち主が

加害者だったという証明にもなる

つまり

更正の余地もないような残忍な性格の人間だったということ

親が庇ってくれる

きっとそのことが彼らの自信になったんだろう

引いて言えば

親以外にも担任だって口を閉ざしているし

校長だって教育委員会だって

「無かった」ことにしようとする

加害者にとってみれば

どれも自分にとって都合が良く

守ってくれる大人達

そのカサの下で

何をしても自由だと証明されたわけだ

だから反省なんてない

死後もエスカレートする彼らのことを聞いて

人に良心が全くない人っているのかなと思った

どんな人であっても

相手が亡くなれば

それなりに思い返すことも反省することもあると思っていたから

衝撃的だった

人って

思い返したり

反省したりするから「人」なんだと思ってたけど

いいように解釈し過ぎていたのかなとも思う

こんなにも酷いことが出来るんだという

恐ろしい証明をやってくれたなって

でも

そういう

人としての根源にかかわるような

性格以上のものが形成されるのって

幼少期だと思う

それは学校がどうこうという問題以前の

親子の家庭の関わり方だと思う

人って

狭いところで生きている

そして

学んだことを使う生き物だと思う

つまり

「そういう」育てられ方があったんだと思う

PTA会長の子どもなんて

そういうのが多い

結局は自分の子どもが思い通りにならないから

大きな顔して

もっと大きなことを言いたいだけで

家庭の中は不満で渦巻いているんだとおもう

そうなると

加害者も被害者だという人もいるが

それは別の話だと思う

結局

同じことを同じようにするのは知恵が無さ過ぎる

反面教師という言葉があるように

同じことを繰り返さないことだって出来る

それを「考える」ことが出来るのが人間の素晴らしいところ

だけど

それをそのまま行動化したり

いけないと考えられないのは未熟過ぎる

過失かどうかはさておき

百歩譲って過失だったとしても

その後のこの態度が全てを物語っていると思う

きっと

年齢的にも軽く処分は終わるだろう

そして

何事も無かったかのように

ヌクヌクと今後も生きて行くに違いない

何かを背負っているなんてことを

微塵も感じないような子達なんだと思う

そういう人間が沢山いるかと思うと

この世の中

どういうことなのかとも思うけど

逆に

そういう子どもが溢れていて

決して少数の話ではない

なんてこともあり得ることだ

恐いね

気付かないけど

自分だって

「そっち側」の人間かもしれない

仮面をかぶっているだけで

本性は同じかもしれないしね

そう思うと

自分も恐い

だけど

少なくとも善悪の判断はつくし

線引きできると思ってるけど

性悪説以上の何かが

人間にあるのだとしたら

理性では止められないのかな

加害者の情報は恐い

思っている以上のことがありすぎて

恐すぎる

決して

珍しい話じゃないんだろうと思う

今回

自殺者が出たことで明るみになっただけで

同じような子達は恐らく沢山いる

飛び降りた後振り返ったら

命令した子達が笑ってたっていうのも

同じようなところがある

子どもは無邪気なんかじゃないのかもしれない
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