俺と塩リターンズ

ちかごろランニングを覚えた中年男がぼそぼそ語るブログです。

2014年05月

最初に断っておきますけれど,この大会,ぼくは完走してません。ということで,「未完走記」となりました。
(もっとも,「駄マラニック」では完走扱いではあるけれど。)

博多唐津街道駄マラニック106キロに参加してきた。駄マラにはいろいろと参加してきたぼくだけど,この大会は初参加だ。夜の1時に博多をスタートして,唐津まで往復する大会でした。唐津は大好きなので,ここは当然参加でしょう。

というわけで,スタートの5月25日午前1時に,承天禅寺に集まる33人の変なひとたち。

人間のみならず,カッパさんも参加するグローバルな大会。
PA0_0032


博多の夜の1時は,まだ宵のくち。屋台があちこち。思わず第0番目エイドとして寄りたくなる。
PA0_0031



博多からずーっと古の唐津街道を走っている。といっても,さすがに博多は都会で,街道の面影はまったくない。道は広い幹線道路になっている。広い歩道を街灯がこうこうと照らし出し,ヘッドランプをつけてきたのが拍子抜け,という感じだ。
物好きな走る人たちにときどき声をかけてくれる人がいたり,一緒に走ろうとしている人もいる。
「ご一緒しますか?唐津まで!」
ひえーっと驚いて,その男の人は,連れの女の人に「唐津だって!唐津!」と言う。そして笑いあう。

ぼくらは引き続いて走り続けている。
右手に暗い海が広がって見え,ちょっと海沿いを走ったあたり,10キロちょっとで第1エイド。エイド食はプチトマト。
PA0_0030



そのあと,また道は街中を走る。地方都市という感じだ。だんだん都会をはずれてきて,歩道が消え,路側帯を走るようになる。
夜間走にはやっぱり照明器具が必要!って感じになってくる。

それでも自販機はふんだんにあるし,コンビニエンスストアもある。便利。

ぼくはカッパ先生と一緒に走っている。師の背中を拝んでいる,という感じ。
カッパ先生は実はベテランのウルトラランナーなので,このペースは少々ゆっくりなのだ。

23キロぐらいの地点のエイド。エイド食はコーヒー大福。噛むと,コーヒーにクリームまでじわっと出てくる。秀逸!
P<br>
A0_0027


さて,このあとどれくらい走っただろうか。といっても夜の町なので,基本的にはよくわからんのである。写真も写らないので撮っていないので,これを読んでいる人にもよくわからないと思う。

道路に座っている若いアンちゃんたちが,唐津だって,と聞いて「車で送りましょうか?」と言ってくれる。
駄マラニックだからそれでもいいのだけれど,ここはやはり走っていきたい。そのほうが,受けそうだ。
深夜不意に現れた河童1名をふくむ走る集団にびっくりする女の人。
「何?あれ!ガマガエル?」
背中にはちゃんとカタカナで「カッパ」と書いてあるのだが。

カッパ先生のカッパスーツはフリース地だ。ぼくもフリースは持っているが,汗を吸って重くなるし,いかにも暑そうだ。
「夏用の河童って,ないんですか?」とたずねるぼく。

途中で夜がしらじらと明けてくる。そして麦畑などが広がっている田舎の朝の光の中を走る。
工場などが点々と並んでいる。
筑前深江を過ぎると,第3エイドつまり33キロエイドだ。エイド食は,水の桃大福である。
PA0_0024

これ,実はあみりんさんの奥様がお手伝いしているとか。かみ締めるとひんやりとした中に,桃の実が入っていて,じゅわっとジュースがしみでてくる。

さて,暑くてきつそうなカッパさんは,水をもとめて,しばし自動販売機に走る。
このマラニックのよいところは,幹線道路沿いなので,自動販売機やコンビニを使った補給が容易なこと。しかし,それもあくまで前半であり,それ以後は,自販機すらろくにない田舎道に入っていく。。

道はずっとJR線沿いの道路を走っていたが,福吉の駅を過ぎたあたりで,幹線道路を離れ,踏切を渡り,田んぼの中の坂道を登っていく。季節は,甘夏の収穫の季節である。道路わきに,「甘夏100円」と書いてあり,袋に5,6個の大きな甘夏が置いてある。思わず買おうとする人がいる。皆のどが渇いている様子。
が,誰もリュックを持たず軽装で走っているので断念。

けっこう急な上り坂をくねくねと登り,ゴルフクラブの看板のあたりで下ったりしながら,道は山の中を走る。いかにも「旧唐津街道」という感じの山道だ。ぼくはニヤリとする。それでこそ,「駄マラニック」。いつもの駄マラだ

道はいくつかの集落を抜けてゆく。カッパさんの連れの人たちは元気である。しかし,この日ぼくは妙に疲れていて,なんだか力が入らなかった。おまけに30キロを過ぎたころから違和感のあった右臀部と太ももの後ろ側が本格的に痛み出して走れない。ずっと置いていかれるぼく。まあ,いいか。楽しんで走ろう。

カッパ先生は,それでもぼくと一緒のペースで走ってくれる。恩師とはありがたいものである。

山道をカッパ先生といっしょに通過して,坂を下りると,急に視界が開ける。唐津の海だ。
PA0_0026


左側には虹の松原がずっと広がる。松に,白い砂浜。それがすーっと伸びた先に,瀟洒なホテルの建物が見え,そこから橋で結ばれた小山の森から唐津城の天守閣が小さく突き出しているのが見える。半島はそこからまだまだずっと右手へ続いており,建物や塔が立っている。そして,その右側の海の沖合いには島が点々と浮かんでいる。
唐津だ。

海へ出てその後すぐ道路わきには第4エイドがある。エイド食は,チョコレート大福。チョコレートの割には和菓子っぽく,あっさりと仕上がっている。あみりん氏によれば,今回のエイド食は「大福シリーズ」で統一したとのこと。それはいいのだが,暑くて汗をかくので,さすがに塩分も欲しいところである。
PA0_0016


チョコレート大福を食べていると,あみりん氏がおニューの駄マラカーでにこやかに走り去った。駄マラニックは主催者あみりんしかスタッフがいないので,スタート後,全員の荷物を積み込んで,スタート地点を撤収し,コースを先回りしながら,白線を引き,エイドを設営する。そして,午前6時から午前10時までは唐津城にエイドをつくり,皆の荷物を受け取れるようにする。そのあと,再びエイドを撤収してスタート地点に戻り,午後1時から午後7時まで待ちうけをする,という大忙しのスケジュールなのだ。
PA0_0017



唐津はもともと,このブログではおなじみの「松浦党」が住んでいたところである。
古くは古代,中国の文献にみる末蘆国(まつろこく)として,この海や山の郷に人が住み始めた。海の幸や山の幸にめぐまれたこの土地は,採集漁労を営む人々にとって,住みやすい土地だったのだろう。
そのうち,嵯峨源氏の末裔である源久が,この九州に降りてきて,地名にちなんで「松浦氏」を名乗り,これを頭領にいただく人たちが,「松浦党」を名乗ることになったのだ。そして,東松浦郡を本拠とする上松浦党は,その後も長いことこの地を支配し続けることになる。
それが終焉したのは秀吉が九州に進出してくるころだった。朝鮮出兵にあたって秀吉にその戦いぶりを非難された松浦党の直系である波多親(ちかし)は,筑波に改易されることになったのだ。平戸の下松浦党は無事に明治維新まで存続するけれども,東松浦郡の上松浦党の中心として勢力を誇った波多氏は,ここで滅びることになる。もともと,朝鮮に近いこの地を秀吉は狙っていたという説も,ある。豊かな海の幸や山の幸をもたらしてくれる父祖の地を離れることになった波多氏の無念の思いはいかばかりであっただろうか。「岸岳末孫の祟り」と地元の人が言い伝えるゆえんである。

さて,その波多氏に代わっては,秀吉の子飼いの武将である寺沢氏が来た。同じく秀吉の子飼いの武将でも,島原を支配した松倉氏と違って,寺沢広高はそれほど評判は悪くない(天草ではキリシタン弾圧に加わったのだが)。関が原では目ざとく東軍に付き,領地を安堵される。寺沢氏は唐津城を築き,松浦川(当時は波多川と呼んだ)の土木工事を行った。しかし,寺沢氏の後を継いだ息子の代で寺沢氏も終わってしまう。その後,唐津はめまぐるしく支配者が入れ替わりつつ,明治維新を迎えることになるのだった。

それにしても,絶好のコンディションである。空はちょっと曇り気味で,ランには本当に好都合。海もきれいだ。
はるか遠くに,虹の松原も開けている。PA0_0023


前を行く人たちは海の風に吹かれつつ,気持ちよさそうに走っている。調子が悪いのはぼくだけである。尻の痛みがひどくなってきたので,ぼくはカッパ先生たちと離れて,ひとり,虹の松原に入る。虹の松原,とはいうものの,もともとは「2里の松原」と呼んだらしい。味もそっけもない名称だ。実際4.7キロほどあるらしく,ただただ長い。ぼくはそこを,とぼとぼと歩く。PA0_0015


それほど長い虹の松原も,やがて終わりを告げる。松の木の切れ間から,唐津シーサイドホテルの建物が見える。

唐津シーサイドホテル,といえば,ジャック・マイヨールに触れないわけにはいかない。マイヨールは素もぐりの世界記録を作った人である。彼は戦前の1937年ころ,唐津に滞在したのだった。マイヨール10歳。彼は唐津の北の七ツ釜で,海の魅力を知ったという。その後世界を転々とし,エンゾ・マイオルカと競って素もぐりの世界記録を作ることになる。これを映画にしたのが,リュック・ベッソンの映画「グラン・ブルー」である。ヒットしたので,見たことがある人も多いだろう。

深海。太陽光のうち赤い光は水の分子に吸収され,青い光が残る。70メートルももぐれば,地上の0.1パーセントの光しかなく,そこは青い世界(グラン・ブルー)である。地中海のとある透明度の高い海で,ジャックはエンゾと素もぐりを競い続けた。何も見えない深海。何が楽しいのだろう,と思うけれど,それはマラソンにはまる人を世間の人が見たって,そう思うかもしれないな,とぼくは思う。長距離は車でゆけばいいのに,と考える人にマラソンやマラニックの魅力はわかるまい。

唐津シーサイドホテルは,そんなジャック・マイヨールが日本に滞在した折には常宿としていたホテルである。彼は幼き日の七ツ釜の記憶を思い出していたのだろうか。
晩年の彼は,唐津の海が美しくなくなったと嘆いていたという。

きらきらと光る海はそれでも,ぼくには十分きれいに見えた。

唐津城に向かう橋をわたり,右に曲がれば唐津城エイドである。エイド食はいなり寿司。
PA0_0014


さて,ぼくの足はもう限界だ。でもまだまだがんばりますか。何が楽しいかわからない素もぐり競争をつづけたマイヨールとエンゾにあやかって(笑)。

ぼくは,「行けるところまで行きます」とあみりん氏に断って折り返しスタートした。

でも,帰りの虹の松原は,ほとんど歩いていた。その長かったこと長かったこと。
PA0_0009

天気が良くて,夏のような暑さ。勘違いした蝉の声が降りそそいでくる。
PA0_0008



しかし,終わりはやがてくる。4.7キロの虹の松原も終わる。
そのあたりで,後ろから走ってきたランナーに追い越される。

天気は最高だし,眺めも最高だ。最高でないのはぼくの調子だけ。追い越していくランナーの笑顔がまぶしい。みんな,楽しい思い出を作ってくれたらいいな。

さて,チョコレート大福のエイドまでほうほうの体でたどりつく。風にはためく「駄マラニック」の幟。ぼくはひとりぼっちで,チョコレート大福をいただく。誰もみていないから,おかわりしちゃおう(笑)。
PA0_0005


さて,ここからは再び山道に入る。上り坂は,今のぼくの状態からしてきつい。右足を前に出すと,臀部からふとももにかけて痛みが走る。無理しちまったかな,と僕は思う。
しばらくは,林の中の道を歩く。上り坂で足が出ないので,道端に落ちていた竹を,杖代わりにして前に進む。
PA0_0003


雑木林には,世話する人がなくなった蜜柑の木がある。実が道路に落ちている。これ,もらっていいのかな?
(いやいやまずいでしょう)
PA0_0004


とぼとぼ歩いていたら,雑木林の中で話している女性とおじさん。女性のほうは,ぼくのつけているゼッケンを見て言う。
「あら,唐津街道を歩いとらすと?ここが唐津街道よ。ごくろうさま!」
おじさんが続ける。
「でも,さっきん人は,走っとらしたばい。」

結構結構。ぼくの足にはもう,走る力は残っていないのだ。こんな風な痛みを覚えたのは初めてである。

その後,しばらく杖を突きながら,歩いた。
さて,ぼくの足はもう限界だ。60キロオーバーの駅「鹿家(しかか)」でワープすることにした。駄マラニックは途中でリタイアしても,ゴール写真を入れた「完走状」を送ってくれるのだ。しかし,ほんとうにリタイアしやすいコース。というのがほとんどコースが筑肥線沿いなので,だいたい駅がみつかるのである。ここでリタイアしても,「しかかない」でしょう。
鹿家の駅から筑肥線に乗る。
PA0_0000


そんなわけで,ちょっとだけ不本意な「博多唐津街道駄マラニック106キロ」が終わった。
今,おでこのすりむき傷を見ながら,あの日曜日を思い出しているところだ。
というのも,鹿家からの鉄道の中でがんばって立っていたぼくは(シートに掛けると汗で汚れるかな,と思ったのと,足が攣ると立ち上がれなくなると思ったのだ),いつの間にかブラックアウトして倒れてしまい,電車の中の人から「大丈夫ですか!車掌さんを呼びましょうか?」と言われて,大丈夫だと答えたところ,「でも,おでこから血が出てますよ。」と言われて,はじめておでこをすりむいたのに気がついたのだった。いや,疲れって怖いね。

福岡市営地下鉄「祇園」駅から歩いて3分。ぼくはにこやかに迎えてくれたあみりん夫妻に,「ワープしましたー」って正直に白状して,あみりん夫妻としばらくお話したのだった。

さて,需要があるのかないのかよくわからないこの参加記もそろそろ終わり。
言いたいことは,駄マラニックは楽しい,ってこと。
それから,ジャック・マイヨールはなんだかマラソンランナーと似てるね,ってこと。
映画「グラン・ブルー」は,どこまでも続く深海の青の中を潜っていくジャックの姿で,終わる。
実在のジャック・マイヨールは2001年12月22日,自らの命を絶った。晩年は重い鬱病に苦しんでいた,といわれる。
ジャックは今でも,きっとイルカと泳ぎ続けているのだろう。それはあるいは思い出の中にある唐津の海だろうか。今,唐津の海にはイルカは来ない。


さて,6月7日は,阿蘇カルデラスーパーマラソン(50キロ)を走る予定。こんどはきちんと完走しまっせ。
体力の下り坂を駆け抜けろ!

萩市へ入ってきた。ここでも,近くを走るランナーの人たちと一緒である。萩往還マラニックは4つのコースの人たちがすべて,萩往還を通ることになっているので,ひんぱんにランナーと行き交う。お互いに励ましながら走る。これが「共走」と称されているゆえんらしい。

萩市のコンビニエンスなどは,条例で派手にならないように規制されているらしく,看板などが地味な色に抑えられている。そんな萩市街へ入り,橋を渡って左に折れ,萩駅,そして玉江駅方面へと進む。右手には橋本川が見える。

萩市はのどかな田舎町である。ぼくは同じ山陰の町である浜田市に住んでいたことがあるのだが,雰囲気はよく似ている。懐かしい気持ちで,ゆっくり走る。

玉江駅の近くにデイリーヤマザキがある。ここで補給する人もいるようだ。
ぼくは時間が気になるので,先へと進む。

橋本川を渡る常盤小橋を渡ったあたりで,見覚えのあるランナーの人たちに追いつく。派手なマントを終始身にまとって走っている女性である。つまり佐々並へ入るところで一緒に道を間違え,後ろから呼び戻してくださった方とその連れの方である。
なんだかうれしくなって元気が出て,一緒に走る。

さて,海沿いの道をしばらく走る。左手には入り江,その先の海には,前日山口博物館で学習した,てっぺんの平べったい島が2つ,3つ浮かんでいる。
「あれ,日本では珍しい,『溶岩台地』地形なんですよね」
と誰に言うでもなく,おしゃべりしながら走るぼく。

この先が第2チェックポイントである。ここは公衆トイレの横にチェッカーが吊るしてあるのだが,午後3時からの説明会などへ出席していれば間違えないのだが,ここでチェックし忘れて,無常にも「失格」といわれてしまった人もいたみたい。
たしかに,地図を見るとここのところがちょうどページとページの折込部分になっていて,なかなか見えにくいのである。厳しいようだが,しかしチェックポイントを忘れずに通るというのがマラニックのシステムである以上,まあ仕方が無い。
ぼくは忘れずにチェックをする。

朝の漁港の景色はのどかである。海へつながる川には漁船がたくさんつないである。ここも浜田市と似た雰囲気だ。


橋を渡り,次のチェックポイントは笠山の虎が崎である。
そこまではまた,海辺の道をだらだらと走る。
疲れてきた足には,この道がまた遠く感じられる。
走る,と書いたが,ほとんど走るペースではない。しかし,それでも歩くよりは速くゆけるということに,ちょっと自分ながら驚く。
足って休めば復活するのだ。

笠山は火山である。今は活動はしていないが,山口博物館で仕入れた知識によれば,かつては日本では珍しいストロンボリ式噴火をした。そのときの溶岩や,風穴もあるようだ。
その噴火が海をせき止めて作り上げたのが明神池である。

PA0_0018


明神池はこじんまりした感じの池だ。いや,笠山自体がこじんまりした火山なのである。今は活動してはいないとはいえ,火山の風情はある。

笠山を周回している道を通る。しばらく登るが,やがて下り坂になる。椿の原生林があるようだ。海辺が見えると,そこには海へ押し出されて冷えて固まった感じの溶岩がごろごろしており,ちょうど,浅間山のような景色である。


PA0_0017

やがて第3チェックポイントの虎が崎つばきの館に到着する。ここの名物はカレーライスだ。すじ肉の入った,けっこうからいカレーである。店の中はランナーの姿でごったがえしている。A250キロの人たちはさすがにちょっと疲れ気味の様子だ。
ここでぼくは,マイカップが変形して,机に立たなくなっているのに気がついた。仕方が無い。
なお,カレーは大会本部のチケットで食べられるが,料金を払ってビールを飲んでいる人もいた。ガソリン投入,というところなのだろう。

さて,ランナーがたくさんいるので大丈夫かも,という気持ちになるけれど,他方,あんまりのんびりしているわけにもゆかない。何しろぼくは足が遅いのである。

芍薬甘草湯を飲み,一休みして店を出て,島の中をめぐる。
PA0_0016


原生林の中をきょろきょろしながら歩く。あまり走るという雰囲気でもないのだ。
やがて道が開けて,道は笠山を出て,次のチェックポイントへと向かう。
次はいつ来れるだろうか,とちょっと寂しい気持ちになる。

笠山を出て先にいるランナーに追いつく。と,この人たちは明木エイドへ向かう一升谷でご一緒した方々である。
ぼくはついつい「いつ走るの!」などと思いつつ,ろくすっぽ挨拶をせずに置いてきてしまったのだが,どこかで先行されていたようだ。たぶん,萩市の入り口でのんびりトイレに入っていたころかもしれない。

少し一緒に進むが,そのかたがたが,第5チェックポイントでリタイヤするつもりですので,先に行ってください,と言われるので,先へ進むことにした。

ここからはちょっとだけ走る。何しろ走れるところは走っておかないと,間に合わなくなるおそれがある。萩往還道は激しいのぼりがいくつもあるのだ。

山を左手に見ながら,街の中を走る。朝であり,起きてきた地元の人たちに挨拶をしつつ走る。ぼくはいつでも,地元の人たちには挨拶をすることにしている。ぼくらは遊ばせてもらっていて申し訳ない,という気持ちや,少しでも好感をもってもらえれば,次回からの大会の開催もスムーズにゆくのでは,という気持ちからだ。

やがて,小川を渡った先で左折して,川沿いの道をのぼっていく。登った先が第4チェックポイントの金照苑エイドである。忘れずにカードにパンチをする。
ここでかんきつ類の剥いたやつをいただく。お茶もいただいた。

第4チェックポイントの先をさらに登り,そして見晴らしのよいところを下っていくと,グラウンドがあり,そこが第5チェックポイントの陶芸の村である(105.1キロ)。
PA0_0015


このあたりまでくると,250キロ,140キロ,70キロ,35キロのランナーが入り乱れている。
やはり「共走」という雰囲気だ。なにしろ,2000名のランナーが集まるのである。

PA0_0013


さあ,あとは残された力を振り絞って山口へ戻るだけだ。それまでが大変なんですけどね。

道は分かっているのでもう間違えない。ただ,一緒に走っているランナーよりもやはりぼくは遅いので,置いていかれるかんじ。同じBのナンバーのランナーがいると,なんだかほっとする。
萩市を出て,坂を上る。途中「道の駅・萩往還」という施設があるが,この施設は利用してはならないことになっている。うわさによれば,その昔ここの利用客とランナーがトラブルになり,そのとき,この施設はランナーは使わないという約束をしたのだとか。
やはり地元のかたがたと仲良くやっていくのが大事である。ぼくらは皆に助けてもらって「遊ばせてもらっている」という気持ちを忘れてはならない気がするのである。

やがて,りっしんべんに卒の坂を上る。
ここで,細い階段状の山道を登っているSさんがいるのに気がついた。追いつき,追い越す。
Sさんは250キロをことし14回目の完踏(萩往還は「完走」ではなく「完踏」の語を使う)目指して参加されているが,疲れたかんじはしないものの,さすがに眠そうである。
追い越す際に,「がんばってください!」と声をかけると,眠そうなかんじで「はいはい」という返事が返ってくる。

ぼくもいつかは250に参加する日が来るのだろうか。なんだか気が遠くなりそうな感じだけれど。

さて,山道は,なんだか原宿なみに人が多い。なんだか集団ハイキングという雰囲気もある。
坂を下って,しばらく,のどかな山里の景色の中を通っていく。
少しは走らないと,と思うが,なかなか足に力が出ない。

明木エイドへ到着。明木の町では,何かお祭りをやっていて,人がごったがえしていた。
少し休んで,次へスタート。
この先,あの「一升谷」だったはずである。
あの坂を上るのか,とちょっと憂鬱になる。

一升谷は森林浴みたいな雰囲気で,なかなか感じは悪くない。ただ,上り坂であり,足が言うことを聞かない。
このペースでは間に合わない。
ストックをつきながら登っていくランナーを見て,ぼくも杖がほしいな,と思う。
道端に落ちている木を2,3本ためしてみて,2本の杖を作った。

杖をつきながら,坂を上っていく。何しろ前に進み続けなくては関門に間に合わないのだ。

このあたりはもう,あまり記憶がない。とにかく坂を登り続けることだけをずーっと考えていた。

峠へ出る。ここからはしばらく下り坂である。杖にお別れをして,小走りに下り始めた。

正直,この先のこともあんまり覚えていないのである。

山道を出て,佐々並エイドへ到着。125.3キロである。
佐々並エイドではざる豆腐をいただく。

ちょっとだけ休んで,またスタート。佐々並を出ると,道はなだらかだが,永遠みたいにずーっと続く舗装道路ののぼりである。しかし,ここは走れるので,少しは走らないと間に合わないかもしれない。
最終関門は,ここをずーっと進んだ夏木原キャンプ場(132.4キロ)というところで(チェッカーはない),そこに午後5時に到着しないと,切られてしまう。いや,街道だからって,お侍に切られるわけじゃないんですけどね。でも切られるくらい悔しいことはない。
なるべく小走りで走る。前にSさんが書いていた,「ウルトラ完走のためには『早歩き』をおぼえることです」という言葉を思い出して,早歩き早歩きと進む。あるいは坂になったら,ちょっと思い出して「つーなーひーき」などと綱引きの手をしながら自分に勢いをつけようとする。

そんなことをしながら,どうやら,ぼくは間に合ったみたいだ。

そして舗装道路の向こうに,あの石畳道の入り口が見えた。
ぼくは,思わず,某タレントの真似をして,
「萩,往還道が,キターーーーーー!」とこぶしを突き上げた。

そしてあとは,勢いよく,萩往還道を進む。なんだろう,この感動。いや往還道。

PA0_0012


行きは闇の中で見えなかった道が,帰りはよく見える。
楽しくて仕方がない。
PA0_0011


きっと,あの走り降りてきた250キロの選手も,おんなじ,いやそれ以上の気持ちだったのだ。

PA0_0010


足を引きずりながら進んでいる250の選手がいる。
杖をつき,休みながら前に進んでいる。
「がんばって!」と声をかけて追い越す。

やがて天花畑の入り口。
ここでぼくは記念写真を撮った。
撮ってあげましょうか,と別のランナーが声をかけてくださったが,大丈夫とお断りした。

そして,ダム湖の周りを通り,あとはずっと下り。

と見覚えのあるランナーの人が見える。

あのマントの女性ランナーではないか。どうやら追いついたようだ。と,思ったけれど,向こうはぼくよりもはるかに速いので,すぐ離されてしまった。

まあ,いいさ。これで24時間内に無事到着できそうだ。

そして,瑠璃光寺の中に設けられたゴールを万歳しながらゴールした。
直後,椅子に腰をかけてチェック。
芍薬甘草湯のおかげか,のんびりペースのおかげか不思議なくらい無事だった。

タイムは22時間58分であった。いや,タイムはどうでもよい。ほんとうに楽しかったのだ。多くのランナーが,同じ山道をとおり,励ましあってゴールに向かうこと。この楽しさが味わえる大会って,やはり,この大会だからじゃないんだろうか。
萩往還マラニックも他のウルトラの大会同様,ボランティア不足とか,大会運営上,いろいろと難題はあると聞くけれど,27回,28回と続けていってほしいと思う。

さて,これでぼくの初のオーバー100の大会が終わった。
で,これで,250に参加する資格は得られたらしい。
そのうち,ぼくも250にチャレンジしたりするんだろうか。
まあ,資金面とかいろいろな理由で,まだまだ走らないと思うのだけれど,しかし,250に挑む人たちの気持ちがなんとなく分かったような気がした。


さて次は,5月25日の,「博多唐津駄マラニック106キロ」ですぞ!

山口100萩往還マラニック大会は,ことし26回目を迎えるマラニック大会である。いまさら書くまでもないと思うけど,「35キロ歩け歩けの部」「70キロ」「140キロ」そして萩往還といえば「250キロ」と,それぞれの経験と実力に応じて,古の道「萩往還」の魅力を楽しめるコースとなっている(つまり,どのコースも必ず「萩往還」を通るよう設定されている。)。

それでは「萩往還」とはいったい何なのか。ウィキぺディアによれば,江戸時代に整備された街道で,長門国「萩」と周防国三田尻をほぼ直線に結ぶ,全長53キロの道なのだそうである。
「ほぼ直線」。だいたい昔の道はそうだ。ぼくは「旧街道等高線無視説」を提唱しているのだが,つまり,
お殿様「街道を作ることにする。では地図をこれへ。」
家来「ははー」
お殿様「どれ」
硯に墨を摺り,筆をおろして地図上にぐいと直線を引く。
家来「お言葉ですが・・・。途中,なかなか険しい山でございます。」
お殿様「この時代の地図に,等高線などない。」
家来「かしこまりました。(どうせ俺が作るわけじゃないし)」

という具合だったのではないかと想像する。それくらい,街道というのは等高線を無視してまっすぐだ。
平戸往還もそうだし,長崎街道もそうだ。
と,いうことはランナーが街道を走るというのは,場所によりとてもしんどいことなのである。

さて,萩往還マラニックのうち,ぼくは140キロのBコースに参加してきた。このコースは24時間で,140キロを走ることになっている。コース予習のため大会本部が送ってきた地図を見て,グーグルマップ上でコースを追ってみたりした。簡単に言えば,山口を出発して,防府方面へ走り,英雲荘という第一チェックポイントでチェックしてもらい,同じコースを戻ってくる(49キロ)。そして山口から今度は萩往還を通り,萩方面へ向かい(ここまでで約80キロ),萩市内に設けられた第二チェックポイントから第五チェックポイントまでをぐるりと回り(ここまでで約100キロ),それから再び萩往還道を通って山口市内へ戻ってくる(140キロ)というコースである。それぞれ関門が設けられており,関門時間をクリアできなくては先に進めない仕組みになっている。
グーグルマップによれば,防府までの折り返し約49キロはわりと普通のマラソンに近い感じだ。足の遅いぼくとしては,ここで飛ばして時間を稼ぐことにしよう。萩往還道に入ってしまえば山の中だから,歩いてもそれほど差はつかないので,下り坂など走れるところで走ればなんとか間に合うかもしれない。まあ,そういう計画だ。実をいうと,先週の「九十九島」の疲れはまだ残っていて,足がやや痛い。でも走ればそのうち忘れるだろう。


夜行バス「カルスト号」で5月3日朝8時に山口市に到着したぼくは,スタート,ゴール地点である瑠璃光寺(るりこうじ)へ行ってみた。途中,町の小さなパン屋さんでパンを買って朝食。
「ランナーの人ですか」と聞かれる。そうだと言うと,昨日も前を走って行ったよ,と言われる。
つまり,250キロの人々はきのうの2日にスタートしている。今頃は仙崎あたりを走っているのだろうか。
おじさんはパンを1個,おまけしてくれた。

パンをかじりながら到着した瑠璃光寺は風情のある寺である。PA0_0034

このお寺の横の香山公園内に,ナンバーなどをくれる受付がある。行って受付してもらう。
袋の中身を見て,チェックシートなどが間違っていないことを確認する。

そしてぼくは,ぶらぶらと洞春寺という寺へ行ってみる。ここが荷物置き場や着替え場となっているはずなのだ。萩往還マラニックでは貴重品預かりはなく,荷物などは寺のお堂に置いておくだけである。ぼくはだから,小銭などはポーチに入れて身に着けて走ることにしている。それは,途中でコンビニや自動販売機で「自主補給」するためでもあるのだが。

本日午後3時から山口市教育会館というところで説明会がある。それまで暇だ。

山口市教育会館に行ってみたところ,もう着替えを済ませたランナーの人が講堂の廊下の椅子で仮眠していた。ぼくもトイレで着替えることにした。ついでに芍薬甘草湯も飲んでおく。
ぼくは,この間リュックを背負って死ぬ思いをしたので,思い切ってリュックは背負わず,ポーチを何個かつけるだけにした。所持品は,財布や保険証カードなど貴重品のほかには,「マイカップ」。萩往還マラニックでは,資源節約のため,紙コップはなるべく使わず,自分のカップを持ってくるようにと注意書きがある。そこでぼくは,宝焼酎ワンカップの220ccのプラスチックボトルをカップにした。これは軽いのでポーチに入るし,口は広いし,フタもできるので便利なのである。
また,ポーチには,当然,攣り防止のための「芍薬甘草湯」もあと5包入っている(1日3包ということだが予備のため。)。それから夜は冷えるということらしいのと,あとは股ズレ防止のために,タイツをはいて,その上からランニングパンツをはいている。乳首はバンソーコでガードしたし,しかるべきところにはワセリンを塗っている。これらは先日の「九十九島」での実験の成果である。
そして日が暮れたらヘッドランプを点灯して走る。ポケットには100均で調達した懐中電灯が入っている。
夜間走行の危険を避けるために,大会本部からは,ちょうど2個ずつのチカチカライトと,反射板をかねたネームプレートが配布されている。これを前後につけて走らないと走らせてもらえない。1個は帽子につけてみた。


着替えは終わったが時間があるので,教育会館を出て,近所の山口博物館で山口の自然や歴史の勉強をする。萩はその昔,火山活動があったところらしく,今回第3チェックポイントがある笠山も日本では珍しい「ストロンボリ式噴火」をしたところだそうな。萩の入り江の沖に浮かぶ島は,日本では珍しい「プチ溶岩台地」というべき地形であるようだ。ふむふむとうなずく。しかし,ランナーの格好をした中年が,少年たちに混じって博物館でふむふむしているのはちょっと妙な景色ではある。

まだ時間があるので,続いて山口県立美術館へ行ってみる。ここでは香月泰男の展示をやっている。香月は画家であったが戦争に集められ,戦闘しないまま終戦を迎え,そのままシベリアに送られてつらい経験を積んだ。そして戦後復員してからそれを作品にした画家である。
具象画だが高度に抽象化された画面は重苦しい雰囲気である。ふむふむ。
ここでも,おしゃれな美術館内で,ランナーの格好でふむふむしている中年はやや浮いていたかもしれない。

そんなことをしているうちに時間になったので,教育会館で説明会に参加する。しかし,あまりコースの具体的な説明などはない。なんとなく終わる。

今回,荷物預け用のコンビニ袋大の大きさの袋が2枚,渡されている。1枚は歩いていけるぐらいの,福祉センターに荷物を置くための袋である。つまり防府まで折り返して戻ってきた49キロ地点で着替えるための荷物を入れておくと便利なようにである。これは,着替え終わっておいておけば,最終地点に戻してくれる。
もう1枚は萩の第五チェックポイントの「陶芸の村」へ運んでもらえる荷物だ。これも着替えを入れておけば,100キロ走った後に着替えをすることができる。戻しておけば,最終地点に戻してくれるのは同様である。

ぼくは,1枚に着替えとかあるいは簡単なお菓子などを入れて,福祉センターにぶらぶらと歩いていき,荷物を置いて,スタート地点の瑠璃光寺へ戻った。
今回,参加者は4つのコースそれぞれ500名を超える。だから,スタートは数十人ごとに「ウェーブスタート」である。記録はスタート時点から測定してくれるからいいのだが,問題は関門時間であり,スタートが早かろうと遅かろうと,関門時間は同じである。だから,ぼくのように関門に脅かされる遅いランナーは,できるだけ早いウェーブに並んだほうがよい。
といっても,スタート地点へ1時間前に行ってもすでに第1,第2ウェーブは決まっている。こりゃあしくじったかなあ,もっと早くきたらよかった,などと後悔しつつ,並ぶ。

前を見ると,おなじみの熊本のウルトラマラソン鉄人集団「てれっと」のオレンジ色のシャツがみえる。また横を見ると,「九州爆走女」のシャツを着た妙齢の女性などもいる。ぼくは,去年(出走できなかった)阿蘇カルデラの黄緑のシャツを着ている。みかけはウルトラランナーに見えるので,「阿蘇カルデラに出られたんですか?」とさっそく話しかけられた。ぼくは正直に,「いえ,出ませんでした。仕事が入ったので。だからシャツだけでも活用してやろうと今日着ているんです」と返事をする。正直な返事ではあるが,なんとなく気まずい雰囲気になり,相手の人は,向こうへ行ってしまった。
絡みづらい奴と思われたのだろう。

さて,時間になった。
PA0_0031

第3ウェーブで5月3日の夕方6時10分すぎに,「えいえいおー!」の掛け声とともに,瑠璃光寺をスタートしてぼくは走り出した。第2ウェーブに追いつかんばかりの勢いである。そして,山口駅を過ぎ,妙な形をした陸橋へ登り,左へ折れて川を渡り,川に沿って矢原河原公園の折り返しに向かう。
PA0_0028

あれれれ,萩往還から逸れてるんじゃ?という声が聞こえそうだが,たぶんこれは距離調整のためなのだと思う。それにしても尿意を催してきたのだが,トイレが見当たらず閉口する。
のどかな川沿いのサイクリングロードを走っていると,なんだかジョギング気分になる。しかし,厳しい関門があるのだと気分を引き締めて走る。矢原河原公園で折り返して,また妙な形をした陸橋へ登り,こんどは本当に防府方面へと走る。日が暮れてきたので,ヘッドランプを点灯する。コースはずーっと国道沿いで,歩道が広いため,走りやすいといえば走りやすい。道路を渡る場所も,信号ではなく地下道を通れるところがほとんどであり,その意味で「走れる」コースである。どちらかといえば普通のマラソンに近い感じ。アップダウンもない。と言っていると,道路はやや鯖山へ向けての登り道となる。
鯖山は21.5キロ地点で,峠である。ここに,「たそがれ庵」といううどん屋さんがあり,配布されているチケットでうどんが食べられる。コースは帰りも同じところを通るから,帰りがけに食事をしてもよいが,ぼくは行きに食事することにした。
PA0_0027


ここでコースは国道を離れて,旧道へ入る。グーグルマップのストリートビューだと,昼間は車の来ない雰囲気のよい道だが,夜は真っ暗である。明かりがないと何も見えない。
しばらく真っ暗な中を走り,そしてまた国道へ。
ここからは防府はもう目と鼻の先である。下り坂が続くこともあり,ここで時間を稼ぐのだ,と思い切って疾走する。痛快痛快。帰りはここを登るのだけれど,そのことは考えないことにする。
防府市内へ入ると,ところどころに係りの人がいて,方向を指示してくれる。あらかじめチェックしていた地図の記憶,ほかのランナーの姿,係員の指示を頼りに,英雲荘の公園に到着する。
PA0_0025


さあ,あとは山口まで折り返して戻る。とりあえず,49キロは普通のマラソンのつもりで走る。あとはそのときに考えることにした。

帰り道も同じ道だが,登り道になるので,そんなにスピードは上がらない。それでもなるべく走ることにして進む。
しかしやっぱり49キロは遠いので,まだかまだかと思いながら,日が変わるころになってようやく山口福祉センターに到着した。
PA0_0023

PA0_0022


さて,もう足はパンパンである。どうしようか,と思う。関門は午前1時40分だから,一応余裕をもってたどり着くことができたので,少し休む。休めば,また走れるという確信のようなものがある。

とりあえず,下着を着替えて,着替え終わった荷物は預けてゴールまで運んでもらうことにし,あらためてしかるべきところにワセリンを塗りなおして,スタート。

瑠璃光寺を横目に見ながら,こんどは住宅地の中のような道を登っていく。夜の12時,真っ暗だ。道はやがて,山へ向かう舗装道路に入る。小走りに駆け上る。地図だと,もうすぐダム湖に着くはずだ。

ダム湖につくと,道はやや平らになる。しばし走る。関門をクリアするためには走れるところは走っておく必要がある。足は,しばらく歩くとまた復活して走れるようになる。
ダム湖を左に見ながら走る。ちょうど他のランナーと出会って一緒に走った。「他のランナーがいないとミスコースしたような気がして不安になりますよね。」などと話す。

ダム湖を抜けると,やや上り坂になる。すぐに萩往還の石畳の坂の入り口である天花畑に着くはずだ。

このころになると,数名のランナーと一緒になる。そして,石畳の坂に入る。けっこう急な坂であり,もう,走るというよりも夜間登山という感じだ。真っ暗な中,ヘッドランプの明かりに照らされた道がぼーっと浮かび上がる。
登山,というと,この萩往還ではストックを持ったランナーも相当数いた。ただし,ストックを福祉センターに預けてはいけない,ということになったので,最初の49キロの,いわば普通のマラソンに近いコースも,ストック持ちの人はこれを抱えて(あるいはリュックに刺して)走らないといけなくなったようである。しかし,こんな山道を登っていると,ストックの威力を痛感せざるをえない。

と,そこを走り降りてきたランナーがいる。250キロのAのランナーの早い人がもう,ここを走り降りてきたのだ。凄い!と感心する。
足場は悪い。うっかりゆるい石を踏むと,ぐらぐらしたりする。石畳の道は九十九折を繰り返し,いつまでも続くかのようだ。そんなところを走り降りてくるというのは,ちょっと凄いかもしれない。

どれだけ登ったろうか,石畳道はきり通しに出る。そして,階段を下りたところで県道62号と交わる。
と,同行の方が言われる。「前の何人かが,ここを走り降りて行かれたんですけど,まだ,ここじゃないですよね。」

140キロの往復コースでは往路,夜間にここを通るが,ここは間違えやすい場所である。つまり県道62号と旧萩往還道は,より合わせた糸のように2箇所で交わっている。その最初の交わりと,2度目の交わりは,雰囲気が極めてよく似ているが,最初の道を左に降りていくと,なんと,県道62号は,登ってきた天花畑方面に戻ってしまうのである。他方,2番目の道を左に降りていくのが正解である。この道は県道62号をさらに先へと運んでくれるのだ。実は1番目の道には白線の矢印は引いていないが,2番目の道には白線で左への矢印が引いてある。

あぶないあぶない,と思いながら県道62号を横切り,さらに石畳道へと入っていく。ここは最近砂利が敷かれたようだが,なじんでおらず,さらに足場が悪くなっている。そして,また,九十九折の道が続く。

どこまで続くのか,と思っているうちに,道は板堂峠(標高545メートル)を過ぎ,下り坂となる。そして,下っていkと,ようやく2番目の県道62号との交差へ出る。階段を下りていくと,道には左へ折れる白線矢印が引いてある。
ここからは下り坂である。降りていけば,夏木原キャンプ場方向へゆくはずだ。

ここからのくだりがまた,長い。ここは県道に沿い,途中上長瀬というところを通り,川に沿ってずーっと下っていく道だ。下りつつ「帰りはここを登るのか・・・」とやや憂鬱になりそうなだらだら道である。そして,日南瀬というところで,再び県道62号を離れて,旧道へと入っていくが,やがてまた旧道を出て川沿いの道へ戻る。

この道を走っていけば,佐々並へと着くはずだ。
ぼくは男女の3人ほどのランナーの方と一緒に走っていたのだが,川を渡って舗装道路を登っていく。と,いつのまにかぼくが一人になっている。振り返ると,3人ほどの方がこちらを見て,ぼくを呼んでいる。
どうやらミスコースしたようだ。たしかに佐々並へゆくためには,道をずっとゆくのではなく,町の前で右に逸れて旧道へ入らなくてはならなかったようだ。
大会関係者の人の車がちょうど,そこを通ったので,道をたずねて,佐々並まで戻ることにする。

しばらく戻って,佐々並エイド。
PA0_0020


ちょっとした人だかりができている。
熱いお茶を注いでもらった。これは凍えた体にとてもおいしかったのだが,どうやらぼくの持ってきたマイカップ(宝焼酎のプラ瓶)は熱で変形してしまったようで,机に置いても立たなくなってしまった。


まだ暗いうちに,佐々並エイドをスタートする。佐々並の町を出ると,道はまた,旧街道の赴きのある道へ入っていく。またしても走れない,山登りになる。ここからは,暗かったので景色もろくに見えなかったことや,同行の人たちといろいろとおしゃべりしながら進んだので,あまり覚えていないのだが。

道は峠に出て,そこからは開けた道をしばらくゆくことになる。そして,「一升谷」へ向けた下り道へ入っていくことになる。
一升谷,というのは,豆を食べながら登っていくと,ちょうど一升食べてしまうぐらいしんどい登り,というところから来ているようだ。ただ,140キロだと,行きは下りである。戻りは登るのか,と思うと,やや暗い気持ちになりつつ降りる。
下り道の途中に,地元の方がされている臨時の私設エイドがあり,お茶を出していただいていた。
「次の明木(あきらぎ)エイドまではちょうど半分なんです」と教えていただく。
さらに道を下る。

そのうち,走っちゃおうか,と思いつき,走り降りる。そうなのだ。萩往還の24時間という時間制限をクリアするためには,遅いぼくは走れるところは走らないといけないのだ。
いつ走るの?
今でしょ!

という感じで,走り降りると,だんだんと夜が明けてくる。
夜が明けてきた感じで,たどりついたのが明木エイドであった。

明木エイドはスタートから74.6キロ地点であるらしい。途中ミスコースしかかったりしながら,なんとかここまで来た。しかし,140キロからすれば,ちょうど半分を少しすぎたあたりなのだ。しかも帰りは今,下ってきた激坂が「登り」になって襲ってくるのである。ちょっと気分がひきしまる。

明木エイドを出て,しばらくは川のほとりの山の脇のような舗装道路を走る。走るといっても,だいぶ疲れてきたので,のんびりペース。

しばらくのどかな山里の風景を見ながら進むが,やがて,最後の山道へ入っていく。
リッシンベンに卒業の卒と書く坂である。これがまた激坂であり,やはり走れない。道幅も狭い。
もう明るいので,街道脇のいろんな風物がよく見える。駕籠立場がある。これは平戸往還にもあり,要するに駕籠を担ぐ人たちが駕籠を置いて一休みする場所である。
というよりも,こんな激坂を駕籠を担いで進むというのは,想像を絶するような気もする。
駕籠が重くて放り出したりしないだろうか。谷に向かって放り出されたら,大怪我をするだろう。

そんなことを考えながら,道はやがて下り坂になり,やがて景色が開けて,もうそこは萩市である。

もうすっかり夜が明けている。ガイドによれば,遅いペースであっても,この先の旧村田蒲鉾店には,午前7時ころに到着しないといけない。

間に合うのだろうか(後編に続く)

4月27日は「九十九島駄マラニック99」に参加してきた。去年に引き続いての参加である。

ぼくは今年の5月の連休,かの「萩往還マラニック」の140キロのコースにエントリーしており,オーバー100の大会ははじめてなもんだから,少しでも距離を走っておきたいという気持ちがあった。で,そんなとき気軽に参加できる大会というと,おなじみ,「あみりん」氏の主催する「駄マラニック」シリーズなのでありました。

駄マラニックは長崎県松浦市在住のあみりん氏が開催するマラニック大会のシリーズである。「マラニック」という言葉はだいぶ一般的になったけれど,マラソンの選手が,ゆっくりと長距離をピクニック的に走る練習(ロングスローディスタンス)あたりが起源らしい。マラソン選手ほどたいしたものではないという謙遜の気持ちが「駄」にはこめられており,略して「駄マラ」と呼んだり,走る人を「駄マラー」と呼んだりもする。
初心者向けに「遅いがエライ」大会ということになっており,実際,いちばん遅かったランナーは「最優秀駄マラー」として表彰されたりもする。(なにも出ないけれど)。大会運営は,仲間の人が協力してくれたりもするけれど,基本的にあみりん氏がひとりでやっており,エイドは10キロおきに,「駄マラニック」の幟が立てられたところに,飲料と食料が入ったクーラーボックスがおいてあり,参加者は自分でそれを飲み食いして,また片付けていくことになっている。そんなシステムだから,基本的に自己責任であり,参加者は,公共交通機関を使ったり近道をして(ワープ)も独力でゴールしなくてはならない(すればいい)ことになっている。
反面,エントリー料はいわゆる公式の大会と比べて,とてもお手ごろだ。スポーツエントリーから申し込めるので,あみりん氏のコース設定の的確さもあり,(エントリーが満杯で申し込めないという心配こそないけれど)全国からひそかにファンがあつまる大会なのである。

あみりん氏は実はランナーでもあり,もともと仲間内で走っていた大会が「駄マラニック」の源流となっている。

さて,それまでさんざんなことが続いていたぼくだったのだけれど,萩往還には備えなくてはいけない。なので,4月の半ばには自主トレとして,おぎようかん駄マラニックのコースをアレンジして70キロぐらいを走ってきたりもした。だけど,一日中雨の中を走ったので,風邪を引いてしまった。やっぱり健康がいちばんだ。

で,そうしているうちに,4月27日の「九十九島駄マラニック99」の日が到来した。
これ,去年も走って,最優秀駄マラー賞を受賞したこと(つまりびりだったこと)はこのブログに書いた。けど,そのとき書かなかったことがある。
あみりん氏は駅前で,最後の駄マラーを有料駐車場で待っていてくれたのだった。待っているうちにも駐車場代があがっていく。あみりん氏の胸中はいかがなものであったろうか。人を待つ,ということも大変なのである。

やっぱり好意に甘えすぎてはいけない。というわけで,今回ぼくの目標は,のんびり走るけれど,あんまり待たせすぎないようにする,というのがひとつのテーマということになった。

九十九島駄マラニックは99キロの距離を歩いたり走ったりするので,フルマラソン(42.195キロ)の距離を越える,いわゆる「ウルトラマラニック」である。しかし,「ウルトラ」というよりは,フランス語ふうに「ユルトラ」というほうがぴったりくる。つまりゆるいウルトラである。時間制限は18時間とのんびりしている。途中,疲れたら公共交通機関を使った「ワープ」も完走とみなされる。
実際,コースはいろんなところで,「松浦鉄道」と接しており,松浦鉄道の終点がちょうど佐世保なのだった。
コースはこんな感じ。http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=df4e477eb7bd6914fb6f058e4979e62f

深夜1時に長崎県北の中心,佐世保市の駅前を出発して,国見山方面へ行き,10キロエイド,その後松浦市方面に走り,20キロエイド,やまびこロードを走り,松浦市へ降りてゆき30キロエイド,その後松浦市を抜けて,「月イチ松浦フル駄マラニック」のコースを逆行して,御厨町で40キロエイド,その後,「飛び石」で川をわたり,江迎方面へ向かう途中に,私設エイド。
江迎方面まで平戸街道を走り,かの伊能忠敬が木星を観測しようとしたという長坂を下ったあたりで50キロエイド。その後,「つつじ祭り」が開催中の長串山公園(なぐしやま)へ向かってゆく途中に,60キロエイド。つつじ祭りの開催中の長串山公園へ上って降りて,九州最西端の,神崎鼻へ向かい,70キロエイド。そして,小佐々町から佐々町小浦免で80キロエイド。その後,相浦,鹿子前(かしまえ)の入り江で,90キロエイド。鹿子前から,石岳へ登り,下ってSSK(佐世保船舶工業)のドックが並ぶ前を通って,駅前に戻る。こんな感じの風光明媚なコース。
エイドはいつもどおり,10キロおきの設営だ。ただし,ウルトラということもあり,今回はコーセー先生が私設エイドを設けてくれているほか,去年に引き続いて御厨町では親子のほのぼのエイドのあたたかい野菜スープがある予定。楽しみ。



さて,4月27日に日が変わった午前0時ころ,ぼくが佐世保駅でぼんやりとしていると,見るからにランナーというかんじの方々が同じ駅舎に集まってきた。長崎からやってこられた女性ランナーお2人とお話する。お一人は,橘湾岸173のランナーであり,もう一人は,看護師でもある方である。もう,着替えをすませて,駅舎内でストレッチをされており,やる気十分という感じ。内気な中年は,もじもじしながら元気な主婦2人とちょっとだけお話をする。ぼくが,佐賀桜マラソンで足がつった,という話をすると,これがいいですよ,と「芍薬甘草湯」という長細い袋の薬を一袋いただく。
これが,正にあのさくらマラソンで処方された薬「芍薬甘草湯」との劇的な(というわけでもないけど)再会だったのでした。

お2人は,正規スタート時刻の午前1時ではなく,アーリースタートされるとのこと。あ,いいなと思う。ぼくも,先週の自主トレ以来,風邪を引いていることもあって,完走の自信がなかった。じゃあ,お2人とご一緒にアーリースタートしようか,と思って,午前0時ころ,あみりん氏にことわって,佐世保駅前をスタート。


深夜のマラニックは装備が必要である。ぼくはマラソンを走るときには,たとえば「乳首」をガードするためのバンソーコを張ったり,あるいは股ズレ防止のために,しかるべきところにワセリンを塗る,というような準備をする。股ズレ防止のため,今回はとくにタイツをはいてきた。いつものそんな装備に加えて,西友で1000円で買ってきたヘッドランプ(去年も使った)と,ダイソーで100円で買ってきた懐中電灯も装備している。ウェアはいつものランパンとシャツは痛恨の寛平マラソンのシャツである(オレンジ色なので夜間は目立ちやすいかなと思ったのだ)。そんなところ。リュックもしょっているのだけれど,ぼくは肩こりなので,今回しんどかったら萩往還ではもう,リュックはやめとこうかなと考えたりもしている。加えて,ポーチにはお2人からいただいた「芍薬甘草湯」が入っている。

心配された天気も,今日は夕方までは持ちそうだ。

さて,主婦お2人とおじさんの変な人たちは,ご機嫌なサラリーマンの歩いている佐世保の市街を抜けて国見山方面へとのんびり歩いたり走ったり,夜の闇の中をおしゃべりしながら進んでいった。フェイスブックを実名でやっているなんて信じられない,というお話とか,職場で私物の携帯を充電するなんてありえないよね,という話とか。
ぼくは実はどちらもあてはまるのだけど,非難の嵐になるといけないので黙っていた。


見上げれば空は少しだけ星を浮かべた曇り空。静かな山道にそよ風が吹いてくる。ほぼ平坦な道は,やがて国見トンネル方面へ向けて登り道になる。走りからだんだん,歩きになる。ここで10キロエイド。エイド食はカッパ巻き。PA0_0081

途中コンビニエンスでトイレ。女性はトイレの心配が大変だけれど,コンビニは夜中も開いているので,本当に助かる。

田舎道は人家もまばらだ。街の明かりもずいぶん遠くなった。お2人のうち1人は今回のコースは初めてとのこと。夜の気持ちの悪い道は嫌い,ということなので,オトコとしてちょっとお役に立てたかな,とひそかに思う。

佐世保と伊万里をつないでいる国見トンネルへ向かう道の途中,コースは国見トンネル方面へは行かず,世知原方面へと左折する。まだ,しばらく登ったあと,世知原方面へ長いトンネルがあったはずだ。それを抜けると道はしばらくくだりになった記憶である。
世知原は茶で有名なところであり,茶ができるということは昼夜の寒暖差が大きいということである。タイツは防寒にも有効だ。やがて長い長いトンネルに入り,しかし明るいのでちょっとだけほっとする。


トンネルを出て,道はしばらくずーっと下りである。車も走ってこない夜の道路をのんびりと気持ちよく下る。ここで通常スタートの早い人が追いついてきて,追い越してゆく。
今回の駄マラニック,参加者は19名程度とささやかだ。やはり99キロを走ろうなどという物好きは限られるというのと,5月の連休には,萩往還マラニック(250キロ,140キロ,70キロ),橘湾岸マラニック(173キロ,80キロ,55キロ)など,この時期は著名なウルトラマラニック大会が多いのでその兼ね合いで,「疲れを残さない」からエントリーを控えたという人もいそうだ。しかし,常連の「草のつくKさん」とか,古い駄マラニックの常連でもあるウルトラ女性ランナーのSさんなどもひさしぶりに参加しており,「濃い」感じのメンバーである。

下りつめると集落がある。ここで20キロエイド。エイド食は大福(中身はチョコだったかコーヒーだったかイチゴだったかちょっと忘れたけどうまかった)。
PA0_0078

さて,ここから,松浦市へ向かって,道はやまびこロードののぼりへと入る。ときどき歩きを入れながら,ほぼ漆黒の闇のなか,登る。ここまでご一緒してきたお2人も一緒である。なんだか心強い気がする。「去年はここを上り詰めるとコーセー先生のエイドがあったんですよ」という話をする。おなじみのコーセー先生が,今年もエイドをしてくださっている予定。

ランナーは走っていればいいので楽だけど,ほんとうはエイドが大変かつ大切なのである。ランナーの状態に気を配りつつ,ときには先回りしてエイドを設営しないといけない。費用だって馬鹿にならない。
コーセー先生は,自家用車にキャンプ用の椅子,テーブルやコンロ,はたまた自家発電設備に照明器具などを詰め込んで,あたたかい味噌汁やカレーなどを出してくださる。食器,紙コップなども自前である。感謝の気持ちしかない。

延々つづくやまびこロードをようやく上り詰めて,コーセー先生のエイドに到着して一息つく。ソーメンの入った味噌汁とか,汁粉とか,ポンカン,チョコなど走る人の気持ちを心憎いほど理解したエイドだ。
PA0_0077

後ろから,またランナーの人が追いついてくる。皆,表情がほっとした感じで,明るい。

さて,もうここは松浦市である。エイドを出ると,コースは,あみりん氏が毎月開催している「月イチ松浦フル駄マラニック大会」のコースを逆行して,松浦市街へ向かって山道を下っていくことになる。
松浦市へ入ると,30キロエイド。エイド食はおなじみのいなり寿司である。
PA0_0072

お2人のうち,「気ままにマイペースで走る」ことを是とされている方が,「私,去年よりも早いペースなんですよ」と話されている。ぼくは,フルマラソンで4時間が切れないと悩みつつ,この3月と4月走りながら,ちょっとランニングが楽しくなくなっていたところだった。思い返すと,ぼくは3年前に,ダイエットの散歩から始めて,本当に歩くぐらいの速さのジョギング,マラソン大会への参加とステップを踏んできた。だけどそれこそ子供のころから,かけっこは苦手で,決して速くはなかったし,中年になったからってましてや速くなれるはずもない。無理なことに挑むと,気持ちが萎えてくる。それよりは,自分がどれだけがんばれるようになったのかを基準にするほうが楽しい。
そうか,このところ,自分は目指すところを少し間違っていたようだ。ぼくはそんな気持ちになる。


松浦市へ下っていくときに,夜がしらじらと明けてくる。そこに,派手なスポーツウェア(ランニング用でない)を着た小柄でたくましい女性ランナーがうしろから着実なペースで迫り,抜いていく。かかと着地とすり足の立てる音がリズミカルに響く。
Sさんだ。Sさんはあの,萩往還マラニック(250キロ)をもう10年以上完走している方であり(ことしも完走されました),ぼくと年齢的には同じぐらいとお見受けしたけれど,ウルトラマラソンの世界ではもうベテランといってよい方だ。
そうか,あれが萩往還250キロ完走者の走りなのか,今年の140,あんな感じで走れたらいいな,と思いつつ目に焼き付ける。

松浦市街でコンビニエンスストアの前を通る。ここで,夜も明けたことなので,スタートからずっとご一緒してきた長崎からの女性お2人とはお別れして,顔見知りの草のつくKさんと,その連れの方の集団についていくことにする。コンビニエンスストアをちらりと見ると,ちょっとした私設エイドの様相を呈している。玄関口では泡の出る飲み物をいっちゃっているお方もおられる。これが燃料になって劇的な追い上げをしちゃったりもするのがゆるいウルトラマラソン大会のおもしろいところだ(決してお勧めはしないけれど)。

松浦市のコースはおなじみで,故郷に帰ってきたような気持ちになり,ほっとする。去年の「九十九島」は今年より時期が早かったから,桜が咲いていたのを思い出す。のんびり走って,40キロエイド。エイド食はいちご大福。
PA0_0071

踏切を渡って,ちょっと川を渡るコースに寄り道。あみりん氏は,この川を渡る「飛び石」を見せたいようなのだ。童心に返って,飛び石を渡る。
PA0_0067

写真は,Kさんの連れの方。

その後,道は平戸往還に入って,江迎へ向かう道へとつながる。

ここでトーマーさんのエイド。トーマーさんはあみりん氏の友人で,コースがこのあたりを通るときには,お子さんと一緒にエイドをしてくださっている。お子さんも,夏の暑い時期など大変にもかかわらず,エイドの番をしていて,感心する。去年なんか,夏の暑い盛り,雨に打たれたり,虫にも負けずにエイドの番をしていた感心なお子さんであります。本日は野菜スープ。体が温まって元気が出る。PA0_0065


感謝してエイドを出て,旧街道だったんだろうな,というような道を抜けて,その後,だらだらと江迎へ向かう道を走る。道は延々続いているのだけれど,Kさんや連れの方と一緒なので,あんまり退屈しない。やがて,「イダテン平戸街道」でもおなじみの長坂へ。ここは伊能忠敬が木星観測をしたところらしい。ぼくも木星を見ようとしたが,もちろん見えなかった。

当時の長坂は舗装道路ではもちろんなく,急な坂道だった。現在は車が走るために,アスファルトの曲がり道ができているが,それを突っ切るように走っている近道?が本来の長坂である。
本来の長坂なのだから,誰はばかることなく堂々と近道できる。
PA0_0062

長坂を降りる途中で,50キロエイドがある。エイド食は押し寿司である。腹にもたれるかな?と思うのだけれど,なんとなく食べてしまえる。中にごぼうの煮たのが刻んで入っていて,おいしい。
PA0_0063


イダテン平戸街道だと,道は佐世保に向かって南下していくのだけれど,本日の「九十九島」では,西方向へ鹿町方面へと向かう。ここもだらだらと道が続く。ウルトラマラニックはこの単調さにどう耐えるか,という面もある。50キロを過ぎているから,足もいい加減疲れているところだ。
しばらく歩く。
しばらく歩いた後,「それじゃ,ちょっと走りますか」と誰ともなく言い出して,ゆっくりと走る。
そんな繰り返し。

道は登ったり,下ったり,トンネルを抜けたりしながら,やがて海へ出る。鹿町町の海だ。
PA0_0060
今日は曇り空なので,あんまり暑くないのが助かる。
やがて,長串山(なぐしやま)公園の表示がちらほら現れだす。ここで60キロエイド。
PA0_0057

エイド食はコーヒー大福かチョコ大福。どちらもうまい。
エイドはあみりん氏があらかじめ断って,人家の前に設営させてもらっている。
昼間から上機嫌の家のおじさんが出てくる。「どこまでゆきんさるかね?」「佐世保まで。99キロ走るんです」
おじさんはどひゃーっと驚いてみせる。なに,ぼくらが99キロを走ったところで,世間的にはどうでもいいことなのだが,地元の協力してくださる方は大事にしないといけない。
お礼を行って,長串山公園へののぼり道をゆっくり登る。
今日は,「つつじ祭り」が開催されていて,これが本日のひとつのハイライトである。
道の途中,つつじがたくさん植わっており,開花している。もうシーズンが終わりかけのものもある。いずれもとても綺麗に丹精されている。
PA0_0055
ただ,「つつじ祭り」のためか,長串山公園はごったがえしており,観光バスがひっきりなしに到着する。よくないことには,平常時と異なって入場料500円が必要,ということになっていた。
去年の駄マラでは,九十九島の眺めが無料で楽しめたのだけれど,今年,500円も払って公園に入るかというのは微妙なところがある。結局,入らず。そのまま山を降りる。

次は70キロエイドを目指す。日本本土最西端である神崎鼻には,コーセー先生がカレーエイドを設営しておられるはずだ。実は去年,ぼくはこのエイドに間に合わず,結局カレーを食べることができなかった。コーセー先生からは,太巻き寿司をいただいた。
今年こそはカレーをいただくのだ,と意気込む。

入り江に広がる漁港のようなところを抜けて,神崎鼻へ。Kさんや,連れの方とも一緒である。
PA0_0051

写真は,Kさんの連れの方である。

神崎鼻では,記念の碑のようなものを撮影したり,ぐるっと回る。コーセー先生が待っておられて,写真撮影など。カレーもいただいた。

ここで,Kさんの連れの方は,Kさんがトイレに行っている間にスタート。「自分はもうあまり走れそうにないので,先にゆかせてもらいます」との由。陶芸の里駄マラニック60キロが今まで最長記録なので,すでに未体験ゾーンに入っているのだそうである。
トイレから出てきたKさんにその旨を伝えて,70キロエイドを出発する。
道は佐々町へ向かっている。石造りの見るからに古めかしい太鼓橋などを通る。大正時代のものらしい。
PA0_0045
このあたりも,歩いたり,走ったりという感じ。しばらく歩くと,「じゃあ,走りますか」と言って走り出す。また歩く。その繰り返し。
途中,ベンチで寝ている人発見。松浦市のコンビニでビールを行っておられた方のようだ。気持ちよさそうにベンチで寝ている。仰向けに寝そべったおなかが上下している。
なんとなく,ウサギと亀の「亀」になった気分で横を通り過ぎる。


小佐々町では,橋を渡る途中の橋の上に,80キロエイドが設営されている。
エイド食はよもぎ餅。いかにも力が出そうだ。
PA0_0042
相浦方面へと進む。このあたりも,ひたすら道がだらだらと続くのを「耐える」という感じではある。Kさんが,「走りますか?」というのに答えて走ることの繰り返し。

天気は夕方から雨という話だったけど,なんとかゴールまでは降らずにすみそうである。

相浦を通る。このあたりもぼくが小さいころとはずいぶん変わっている。長崎県立大学はとても立派になっていたし,夏休みによく通った,総合グラウンドのプールも記憶とはずいぶん変わっていた。

相浦を抜けて,最後の90キロエイドがある鹿子前(かしまえ)へ。
ここでぼくはミスコースをしたのかと思ってしまった。
しかし,やがて矢印を発見したので,コースをちゃんと走っているのがわかり,胸をなでおろす。

鹿子前を抜けて,人家の前に90キロエイド。エイド食は,プチトマトであった。
PA0_0039

ここからは,石岳へ向かう最後ののぼり道だ。なかなかきついのぼりであり,ぼくはほとんど走れない。
おまけに鼻水が止まらないので,Kさんにちょっと愚痴を言ったりする。
石岳の動植物園前では,昔なつかしいアイスクリンを売っていた。金属製の入れ物に,妙に黄色っぽいシャーベット状のアイスクリンが入っており,これをコーンについでくれる。
でも,買おうという気持ちがわいてこない。もう元気がないのである。

そうこうしているうちに,ようやく道は下り坂になる。
石岳を降りて,SSK(佐世保船舶工業)のクレーンが立ち並ぶ前を通る。
ぼくとKさんは相変わらず走ったり,歩いたり。
PA0_0037

と,そこに後ろから元気で走ってきた人がいるではないか。見たら,Kさんの連れの方である。「もう走れないかも」と言っておられたのがうそみたいにチョー元気に疾走してこられる。
息せき切って追いついてこられた。「いや,75キロ地点でもうリタイヤしようかと思ったんです。で,佐々の駅で電車を待とうかと思ったんですけど,そしたら足が復活して,走れるかな,と。」

ウルトラではときどき,こんなことが起きる。セカンドウインド,というのだろうか。去年,橘湾岸スーパーマラニック秋のステージで,Kさんともう一人の北のつくKさんが,270キロ以上を走ってきたのと,ぼくは(100キロだったのだけれど)たまたまラストで一緒になり,ちょっとだけ走った。すると,Kさんともう一人のKさんは,「今なら金龍(完走者)になれるかも」と言い合ったかと思うと,全力で上り坂を走ってゆき,ぼくはとうとう追いつけなかったのだった。
Kさんに聞いてみる。「270キロ以上走った後なのに,どうしてあんなに速く走れたの?」
「いやあ,わからないんですよ自分でも。」とKさん。

再会を祝しながら,そのあとは3人で,ゴールの佐世保駅まで向かう。
そして午後5時半ごろ,ゴール。ぼくはお2人よりも1時間早いアーリースタートなので,その分余計にかかってはいるが,あみりん氏をあまり待たせない,という目標は達成できた。

ゴールしてみたら,長崎からの女性ランナー2人が,もうさっぱりした様子である。
「帰りのバスの時間があるので,ワープしてもう,銭湯に行ってきました」とのこと。

コーセー先生やあみりん氏とお話をする。来週の連休,萩の140キロに挑む話をすると,コーセー先生が,「萩は制限時間が厳しいぞう」と言われる。ぼくは,橘の80キロの次に,いきなり173キロに挑むというのが怖かったので,萩の140をワンクッションというつもりで入れたのだが,よく考えると,橘の173キロの制限時間は36時間なのだが,萩140は24時間なのである。
果たしてどちらが厳しいのかはよく分からない。
ちょっと不安になる。

でも,今回99に出て,ちょっとだけ自信がついた。つまり,少しずつでも最後まで走れたということ,それから,芍薬甘草湯のおかげか,足が攣らなかったことである。反面,リュックは肩に食い込んで,痛くてたまらなかった。ぼくのリュックはランニング専用ではなくて,大阪の天六商店街で買ってきた1000円のリュックだからかもしれない。萩では,リュックは使うまい,と心に決める。



さて,次はいよいよ萩ですぞ!果たして時間内完走はできたのか?それはまた次回に。

しばらくこのブログを更新していなかったのだけれど,決して走っていなかったわけではない。むしろ,3月には,「淀川寛平マラソン」を,4月には「佐賀さくらマラソン」をそれぞれ走ったりして,一応充実した毎日を過ごしていた。

しかし,この期間,ぼくは今までにも増して健康の大事さを実感させられることになったのでした。

淀川寛平マラソンは,ぼくの誕生日(3月3日)の前日だということもあって,「4時間切るぞ!」という意気込みで臨んだのだけれど,まあいろいろあって前日遅くまで飲んでいて,翌日はフラフラの状態でスタートとなった。
今はやりの「ふなっしー」ではないけれど,上から下から「梨汁プシャー」の状態(婉曲表現ね)。
結局,スタートはしたけれど,吐き気は止まらず,かつ腹痛もとまらず,結局淀川下流まで降りていって戻ってきて,30キロ地点でリタイヤとなった。
もちろん,この大会,カンペイちゃんをデザインしたTシャツはしゃれてるし,たくさんのマイナーなお笑い芸人さんたちと一緒に走った。「ガオーちゃん」という芸人さんは,「ガオーちゃん,今日のガオーをやってみてください!」というぼくのリクエストに答えて,「ガオー」ってポーズをしてくれたりもしたのだった。

しかし,いかんせん,腹痛と吐き気には勝てない。結局下流へ走って折り返してスタート地点に戻ってきた30キロでリタイヤとなったのだった。公式フルマラソン大会を中途でリタイヤしたのは初めてである(駄マラはあるけれどw)。悔しい。
印象に残ったのは,「淀川寛平」のトイレは,水洗機能がついておらず,すぐに汚れて使い物にならなくなるトイレであった。もしかしたらコスト的に安いのかもしれないけど,あれはどうしたもんだろうか。


4月は「佐賀さくらマラソン」を走った。けれど,途中で足がつりそうになってセーブして走った結果,4時間は切れなかった。おまけにゴールしてスタジアムに寝そべっていたら,立てなくなった。立ち上がろうとして,腕に力を入れると腕がつる。足に力を入れると足がつる。背中や腹筋もつる。そうしている間に,地面からどんどん体が冷えてきて,「こりゃアカン」と思ったから,大声を出して,救護班に来てもらい,血圧を測定したら上が100を切っていた。いや,凍死ってあんな感じなのか(ちょっとオーバーだけど)

そのとき,救護班のお医者さんが飲ませてくれた漢方薬があって,ぼくは翌月の「九十九島駄マラニック」でそれと奇跡の再会(ちょっとオーバーかな)することになるのだけれど。

その話はまた次回。

このページのトップヘ