あみりんこと網本氏の主催する「駄マラニック」シリーズのひとつ、武雄嬉野フルを走ってきた。
九州はあんまりフルマラソンやウルトラマラソンの大会がない。そんな中で、網本氏は、「毎月フルマラソンが走れる」という「月イチフル」を開催してみたり、定番の「平戸島」「平戸街道」「九十九島」などを開催してみたり、本当に精力的にマラニックの大会を開いている人である。
網本氏は、写真好きで、街道好きの人らしい。平戸街道のシリーズなどは、昔の平戸往還をそのまま走る、というシリーズである。
で、今回の武雄嬉野フルも、そんな街道好きの網本氏のセレクトである。長崎街道、というのがある。ウィキによれば、小倉から佐賀を通って長崎まで走っている200キロあまりの脇街道である、らしい。この長崎街道は、佐賀県内の北方あたりで2本に分かれる。もともと塩田宿を通る道が走っていた。しかし、これが洪水などで通れなくなり、今の武雄温泉を通る道が新しく発達したようである。いずれも嬉野あたりで合流して、長崎に向かう。
この新旧二つの長崎街道を組み合わせると、だいたい「ひし形」になる。そしてあーらフシギ、42.195キロになるではあーりませんか!というわけで、武雄温泉を出発して、この「ひし形」を走って、武雄温泉に戻ってこよう、というのがこの「武雄嬉野」のコースである。これは嬉しいのは、武雄温泉が温泉地なので、走った後、風呂に入って疲れを取れる、ということ。

これは東京駅(最近昔の姿に戻ったという)を設計した辰野金吾が設計した楼門。この中が公衆浴場(元湯)になっている。湯は熱くて、気持ちいい。
今年の「武雄嬉野」は2月11日。連休の最終日である。そんなこともあって、駄マラニックシリーズでは多いほうの、61名も参加者がいた。
網本氏の指名を受けた選手が選手宣誓。「われわれは駄マラ精神にのっとり、ゆっくり走ることを誓います」と立派に宣誓する。
網本氏がいつもの注意をする。「遅いほうが偉い大会です。最低でも4時間かけて下さい。4時間よりも前に戻ってきても、ゴールには誰もいません!」(笑)
午前9時、選手がなんとはなし、と言う感じでスタート。
だいたい、ぼくは大会に出るときは自分なりの目標を設定する。今回も、「ゆっくりでも、とにかく歩かずに走る」がまず第一目標である。実は寛平マラソンで足を痛めたというのを言い訳にして、1週間走っていないのだ。
「練習は嘘をつかない」という言葉がある。だから、今回自分の目標はなるべく低め。
もうひとつの目標は、ちょうど1週間後の土曜日に、神奈川で「鬼あし一門会」という、漫談などをしながら茅ヶ崎をスタートして鎌倉とかを走るという催しに行く予定にしている。距離は42キロ。これはリーダーについてたぶん遅れないように走らなくてはいけないはずだ。だから、その予行練習というか、「できるかぎり人についていく」を目標にした。
そんなわけで、ぼくは先頭集団から遅れないよう、なんとか付いていこうとする。
しかし…。
駄マラの先頭集団は意外と早いのである。さっき、「ゆっくり走る」と宣誓していた人が先頭ですごく走っている。
これについていけたら別大マラソンにでも出れるのではないか、というくらいの勢いである(大げさ)
なんとか付いていこうとしたが、結局、10キロエイド先で離されてしまった。
駄マラニックのエイドは基本、無人エイドであり、クーラーボックスを自分で開けて、適当に飲み食いして、あときちんと蓋をするのがルールである。10キロエイドは、コーラ、お茶、アクエリアスに、太巻き寿司。うまい。
旧街道には特徴があり、新道と違って、だいたい細くて微妙なカーブを描いている。あと、沿道に古い建物や、寺がある。慣れてきたら、「あ、これが旧街道だな」とわかってくる。旧街道を走るメリットのひとつは、車が意外と少ないことである。駄マラニックはプライベート大会だから、いわゆる「マラソン」と違って公安委員会に道路使用の届出などは出していない。つまり、歩行者扱いであるから、道路交通法規を守って走る必要がある。そうはいっても、道路脇の歩道もないところを走るのは辛い。そんなとき、車の少ない旧街道はわりとのびのび走れるのである。
長崎街道は、観光資源でもあるので、いくつも道しるべが出ている。時間さえあれば、いろいろ立ち寄るのもおもしろそうだ。でも、今回は、とにかく付いていくつもりで急いだため、前半はあまり写真が撮れなかった。
しかし、もう離されてしまった。おれ、自分で遅いのは自覚してたけど、果たして「鬼あし」大丈夫かしら。
というわけで、こうなったらもうひとつの目標、「とにかく走る」を果たすのみである。
なぜ「走る」にこだわるのかというと、一応「ランナー」のアイデンティティというか、「ランナー」って英語で走る人じゃないですか。それと、フツーののどかな田舎道を歩いていると、のどか過ぎて飽きてくる。だから、ちょっとだけ急ぎたいのである。これが「旅人」の目線というやつなのである。
しかし、ぼくは遅い。はたからみれば多分、歩いているのとさほど変わらないと思う。それでもいいのである。
今日は、ぼくは、ポラールのハートレートモニター(心拍数計)をつけて走っている。1週間サボっていたので、体のことを考えて、一応付けているのである。それがしかし、ときどき「ピッ」とか音を立てる。まるで病院の雰囲気である。ついつい、病院に入院しているらしい「ごんもりさん」のことを思い出す。「ごんもりさん」とは権守麻美さんという画家でミュージシャンの女性である。http://sound.lomo.jp/top.html最近は音楽活動はしていないようだが、ぼくは、清水楓さんというグラドルさんのブログから権守さんのことを知り、myspaceで音楽を聴いたり、ブログなどで文章を読んだりしてから気に入っている。移ろいやすいものを文章で表現するのがうまい人だ。
で、その権守さんには潰瘍性大腸炎の持病があるらしい。直ちに命にかかわるような病気ではないけれど、治療法の確立していない難病のひとつだ。その権守さんが、数日前から入院して手術して、今無菌室に入っているということだった。まあ、彼女は若くてバンド仲間とか大勢の友人がいて、わりと元気そうなので安心しているのだけれど、走りながら、「ピッ」と音がするたびに、大丈夫かなあと権守さんのことを考えたりもする。
(追記。2014年1月現在、「ごんもりさん」は「copus(コーパス)」というバンドで音楽活動を始めたとのこと。最新作のページがこちらです。文字通り生還してきたごんもりさんの色鮮やかなサウンドをちょっと聞いてみたい、という方はこちらのページをどうぞ。http://copus.biz/?PHPSESSID=1e51496525259e23b1fa278c4c5698cf)
走っているうちに、いつのまにか塩田宿につく。嬉野市に入ったのである。
塩田宿に入る前に20キロエイド。ここではコーラ、お茶、アクエリアスと、食べ物は芋餅。芋で作った餅の上にあんこが乗っている。網本氏の好物らしい。今回、土台のアルミ箔の上にラップが敷いてその上に芋餅が乗せてあり、こまやかな心遣いが嬉しかった。これなら手は汚れない。

塩田宿の町並みは伝統的な町並みを残したり再現してある。時間があればゆっくり観て回りたいかんじである。でも今日は走るつもりであるから、通り過ぎる。
塩田宿から、鹿島方面に向かう道が続いているが、しかし、そちらにはゆかないのである。川の手前で、右折する。これをまっすぐ行く人が例年多いため、今回「駄マラニック」の上りが立ててある。
駄マラニックはゼッケンの裏に簡単な地図があるが、これは本当に簡単な地図なので、たぶん細かいことはわからない。そんなわけでぼくは前に伊万里平戸100キロで道に迷ってから、グーグルマップなどで、事前に道を下調べしてゆくことにしている。駄マラニックは、当日になると、ミステリーサークルよろしく、曲がり角などには白線引きで書かれた矢印が突如出現する。まあ、雨が降れば消えてしまうものだし、なによりもありがたい。しかし、これでも曲がり角を見落とすことがあるのである。
今回無事に、塩田川沿いの道に入る。

今日は天気もよく、暖かい。風は涼しいけれども、999円フリースは立派に防寒の役目を果たしてくれている。
うしろから3人組のおじさんたちが走ってくる。しばらく併走する。でもあちらの方が早いのですぐ離される。
また一人旅である。
塩田川を遡っていくと、わら屋根の古い民家があった。

塩田あたりの民家の屋根は「くど作り」と言って、真ん中がくぼんでいて、雨をためる仕組みになっている。
なるほどなるほどと言いつつ、ゆっくり走る。
橋をわたり、塩田川からちょっと離れて走る。旧街道を示す石碑などがときどき見つかる。長崎街道だということを示す新しい標識などもある。競技ランナーにとって、コースは、路面のコンディションとか傾きとか、要するに「記録」との関係で定義された存在にすぎない(難しい言い方しちゃったナ)。でも、マラニッカーにとっては、道はなにより人々の生活の場である。ここを通って明治時代の偉人などが行き来したんだなー、と考えるとちょっと感慨深いものがある。
ずーっと走っていくと、旧街道は道路につきあたる。ここの向かいにヤマザキデイリー(コンビニ)がある。
トイレを借りるために、「オレンジーナ」を買う。ゴールしたら飲むつもり。弱った胃に炭酸がおいしいのである。
「トイレいいですか?」と聞いて、用事を済ませてまた、走り出す。
道を折れて、山のほうに向かう。これって本当に長崎街道?とか思うのだが、そのうちちゃんと曲がり角に長崎街道の標識を発見する。

どうやら、旧街道と新街道の合流地点みたいである。
そこをを折れて山に向かっていくと老人ホーム的な建物が建っている。
ここに30キロエイドがある。
うしろから追いかけてきた人と合流、30キロエイドで休む。
エイド食は定番の「いなりずし」である。
これはとてもおいしい。2個いただく。
足を休ませてから、出発する。
実は今回下調べのグーグルマップで明確に見つからなかった部分があった。
それが今からのちょっとした部分である。
現地を見て、そのわけがわかった。

まったくの林道なのである。
アメリカ人であるグーグルさんが日本の林道にまで詳しいはずがない。
しかし、矢印はそっちを示しているので、走る。
林道は気持ちが良い。迷うのではないかという不安がどこかにあるけれど、しかしそれでも林の中をかけていくのはなかなかに気分がよいものである。

林道を抜けると、茶畑がある。さすが嬉野、という感じである。
しばらく走ると、再び道路と合流する。ここから先はしばらく退屈な道路沿いのランが続く。長崎街道という風情はあんまりない。文明は道というものを、単に店と店をつなぐものにしてしまい、つまらなくしてしまったのだなあ、と考えつつ走る。
つまらないと思っていると、「嬉野秘宝館」という建物がある。

これはあんまりつまらなくなさそうだ。
男と女の愛の殿堂、とか書いてある。
最近のAVとかと比べると、まあ、のどかなもんだ。多分。入ったことないけど。
今日は、残念ながら、寄らない。
そのまま、走っていく。
このあたりになると、練習が嘘をつかず、足が遅い。もう止まりそうな速さで走っている。止まりそうな速さで、高速道路下のガードをくぐり、止まりそうな速さで走っていく。
どれだけ走っただろうか、道は曲がり、通りを離れて、山の方向へ向かい始めた。最後のダム湖への道行きである。
上り坂なので、ときどき有森裕子神を降臨させつつ、ピッチ走法で走る。
まあ、それほど大変な坂ではない。
道はやがてダム湖沿いの道に入る。
しばらく走ると、39キロのエイドがある。

エイド食は、プチトマト。甘くておいしい。
トマト嫌いの子どもでも、思わずトマト好きになる納得の味である。
ただ、プチトマト全体にいえることであるが、皮が厚くて固いので、上あごの下にくっついたりする。
でも、もうゴールまで3キロちょいであるから、皮を上あごの下にくっつけたまま、走る。
ダム沿いの道を駆け下りて、右折し、武雄温泉の駅に通じる道路をしばらく走る。
そして、左折して、旧街道に入る。味気ない道路と比べて、風情のある、いい道だ。
酒屋がある。
「東長」しぼりたて入荷、とか書いてある。
佐賀は酒どころで、とてもおいしいのである。
我慢して走る。
もうゴールはすぐそこだ。つきあたると、最初に走った道に出る。そこを逆に折れて、ゴール地点の武雄市役所に戻ってきた。
ゴール時間は2時半くらい。だいたい5時間半かけて走ってきたことになる。
まあ練習は嘘をつかない、というのが実証された。
もともとタイムを気にしていないとはいえ、なんだかちょっと、くやしい。
でも網本氏に「鍛えなおしてきます!」といえば、きっと氏はこう答えるだろう。
「いや、鍛えなおさんで下さい。」
ともあれ、次の駄マラは、3月3日の松浦フルである。
九州はあんまりフルマラソンやウルトラマラソンの大会がない。そんな中で、網本氏は、「毎月フルマラソンが走れる」という「月イチフル」を開催してみたり、定番の「平戸島」「平戸街道」「九十九島」などを開催してみたり、本当に精力的にマラニックの大会を開いている人である。
網本氏は、写真好きで、街道好きの人らしい。平戸街道のシリーズなどは、昔の平戸往還をそのまま走る、というシリーズである。
で、今回の武雄嬉野フルも、そんな街道好きの網本氏のセレクトである。長崎街道、というのがある。ウィキによれば、小倉から佐賀を通って長崎まで走っている200キロあまりの脇街道である、らしい。この長崎街道は、佐賀県内の北方あたりで2本に分かれる。もともと塩田宿を通る道が走っていた。しかし、これが洪水などで通れなくなり、今の武雄温泉を通る道が新しく発達したようである。いずれも嬉野あたりで合流して、長崎に向かう。
この新旧二つの長崎街道を組み合わせると、だいたい「ひし形」になる。そしてあーらフシギ、42.195キロになるではあーりませんか!というわけで、武雄温泉を出発して、この「ひし形」を走って、武雄温泉に戻ってこよう、というのがこの「武雄嬉野」のコースである。これは嬉しいのは、武雄温泉が温泉地なので、走った後、風呂に入って疲れを取れる、ということ。

これは東京駅(最近昔の姿に戻ったという)を設計した辰野金吾が設計した楼門。この中が公衆浴場(元湯)になっている。湯は熱くて、気持ちいい。

網本氏の指名を受けた選手が選手宣誓。「われわれは駄マラ精神にのっとり、ゆっくり走ることを誓います」と立派に宣誓する。
網本氏がいつもの注意をする。「遅いほうが偉い大会です。最低でも4時間かけて下さい。4時間よりも前に戻ってきても、ゴールには誰もいません!」(笑)
午前9時、選手がなんとはなし、と言う感じでスタート。
だいたい、ぼくは大会に出るときは自分なりの目標を設定する。今回も、「ゆっくりでも、とにかく歩かずに走る」がまず第一目標である。実は寛平マラソンで足を痛めたというのを言い訳にして、1週間走っていないのだ。
「練習は嘘をつかない」という言葉がある。だから、今回自分の目標はなるべく低め。
もうひとつの目標は、ちょうど1週間後の土曜日に、神奈川で「鬼あし一門会」という、漫談などをしながら茅ヶ崎をスタートして鎌倉とかを走るという催しに行く予定にしている。距離は42キロ。これはリーダーについてたぶん遅れないように走らなくてはいけないはずだ。だから、その予行練習というか、「できるかぎり人についていく」を目標にした。
そんなわけで、ぼくは先頭集団から遅れないよう、なんとか付いていこうとする。
しかし…。
駄マラの先頭集団は意外と早いのである。さっき、「ゆっくり走る」と宣誓していた人が先頭ですごく走っている。
これについていけたら別大マラソンにでも出れるのではないか、というくらいの勢いである(大げさ)
なんとか付いていこうとしたが、結局、10キロエイド先で離されてしまった。
駄マラニックのエイドは基本、無人エイドであり、クーラーボックスを自分で開けて、適当に飲み食いして、あときちんと蓋をするのがルールである。10キロエイドは、コーラ、お茶、アクエリアスに、太巻き寿司。うまい。
旧街道には特徴があり、新道と違って、だいたい細くて微妙なカーブを描いている。あと、沿道に古い建物や、寺がある。慣れてきたら、「あ、これが旧街道だな」とわかってくる。旧街道を走るメリットのひとつは、車が意外と少ないことである。駄マラニックはプライベート大会だから、いわゆる「マラソン」と違って公安委員会に道路使用の届出などは出していない。つまり、歩行者扱いであるから、道路交通法規を守って走る必要がある。そうはいっても、道路脇の歩道もないところを走るのは辛い。そんなとき、車の少ない旧街道はわりとのびのび走れるのである。
長崎街道は、観光資源でもあるので、いくつも道しるべが出ている。時間さえあれば、いろいろ立ち寄るのもおもしろそうだ。でも、今回は、とにかく付いていくつもりで急いだため、前半はあまり写真が撮れなかった。
しかし、もう離されてしまった。おれ、自分で遅いのは自覚してたけど、果たして「鬼あし」大丈夫かしら。
というわけで、こうなったらもうひとつの目標、「とにかく走る」を果たすのみである。
なぜ「走る」にこだわるのかというと、一応「ランナー」のアイデンティティというか、「ランナー」って英語で走る人じゃないですか。それと、フツーののどかな田舎道を歩いていると、のどか過ぎて飽きてくる。だから、ちょっとだけ急ぎたいのである。これが「旅人」の目線というやつなのである。
しかし、ぼくは遅い。はたからみれば多分、歩いているのとさほど変わらないと思う。それでもいいのである。
今日は、ぼくは、ポラールのハートレートモニター(心拍数計)をつけて走っている。1週間サボっていたので、体のことを考えて、一応付けているのである。それがしかし、ときどき「ピッ」とか音を立てる。まるで病院の雰囲気である。ついつい、病院に入院しているらしい「ごんもりさん」のことを思い出す。「ごんもりさん」とは権守麻美さんという画家でミュージシャンの女性である。http://sound.lomo.jp/top.html最近は音楽活動はしていないようだが、ぼくは、清水楓さんというグラドルさんのブログから権守さんのことを知り、myspaceで音楽を聴いたり、ブログなどで文章を読んだりしてから気に入っている。移ろいやすいものを文章で表現するのがうまい人だ。
で、その権守さんには潰瘍性大腸炎の持病があるらしい。直ちに命にかかわるような病気ではないけれど、治療法の確立していない難病のひとつだ。その権守さんが、数日前から入院して手術して、今無菌室に入っているということだった。まあ、彼女は若くてバンド仲間とか大勢の友人がいて、わりと元気そうなので安心しているのだけれど、走りながら、「ピッ」と音がするたびに、大丈夫かなあと権守さんのことを考えたりもする。
(追記。2014年1月現在、「ごんもりさん」は「copus(コーパス)」というバンドで音楽活動を始めたとのこと。最新作のページがこちらです。文字通り生還してきたごんもりさんの色鮮やかなサウンドをちょっと聞いてみたい、という方はこちらのページをどうぞ。http://copus.biz/?PHPSESSID=1e51496525259e23b1fa278c4c5698cf)
走っているうちに、いつのまにか塩田宿につく。嬉野市に入ったのである。
塩田宿に入る前に20キロエイド。ここではコーラ、お茶、アクエリアスと、食べ物は芋餅。芋で作った餅の上にあんこが乗っている。網本氏の好物らしい。今回、土台のアルミ箔の上にラップが敷いてその上に芋餅が乗せてあり、こまやかな心遣いが嬉しかった。これなら手は汚れない。

塩田宿の町並みは伝統的な町並みを残したり再現してある。時間があればゆっくり観て回りたいかんじである。でも今日は走るつもりであるから、通り過ぎる。
塩田宿から、鹿島方面に向かう道が続いているが、しかし、そちらにはゆかないのである。川の手前で、右折する。これをまっすぐ行く人が例年多いため、今回「駄マラニック」の上りが立ててある。
駄マラニックはゼッケンの裏に簡単な地図があるが、これは本当に簡単な地図なので、たぶん細かいことはわからない。そんなわけでぼくは前に伊万里平戸100キロで道に迷ってから、グーグルマップなどで、事前に道を下調べしてゆくことにしている。駄マラニックは、当日になると、ミステリーサークルよろしく、曲がり角などには白線引きで書かれた矢印が突如出現する。まあ、雨が降れば消えてしまうものだし、なによりもありがたい。しかし、これでも曲がり角を見落とすことがあるのである。
今回無事に、塩田川沿いの道に入る。

今日は天気もよく、暖かい。風は涼しいけれども、999円フリースは立派に防寒の役目を果たしてくれている。
うしろから3人組のおじさんたちが走ってくる。しばらく併走する。でもあちらの方が早いのですぐ離される。
また一人旅である。
塩田川を遡っていくと、わら屋根の古い民家があった。

塩田あたりの民家の屋根は「くど作り」と言って、真ん中がくぼんでいて、雨をためる仕組みになっている。
なるほどなるほどと言いつつ、ゆっくり走る。
橋をわたり、塩田川からちょっと離れて走る。旧街道を示す石碑などがときどき見つかる。長崎街道だということを示す新しい標識などもある。競技ランナーにとって、コースは、路面のコンディションとか傾きとか、要するに「記録」との関係で定義された存在にすぎない(難しい言い方しちゃったナ)。でも、マラニッカーにとっては、道はなにより人々の生活の場である。ここを通って明治時代の偉人などが行き来したんだなー、と考えるとちょっと感慨深いものがある。
ずーっと走っていくと、旧街道は道路につきあたる。ここの向かいにヤマザキデイリー(コンビニ)がある。
トイレを借りるために、「オレンジーナ」を買う。ゴールしたら飲むつもり。弱った胃に炭酸がおいしいのである。
「トイレいいですか?」と聞いて、用事を済ませてまた、走り出す。
道を折れて、山のほうに向かう。これって本当に長崎街道?とか思うのだが、そのうちちゃんと曲がり角に長崎街道の標識を発見する。

どうやら、旧街道と新街道の合流地点みたいである。
そこをを折れて山に向かっていくと老人ホーム的な建物が建っている。
ここに30キロエイドがある。
うしろから追いかけてきた人と合流、30キロエイドで休む。
エイド食は定番の「いなりずし」である。
これはとてもおいしい。2個いただく。
足を休ませてから、出発する。
実は今回下調べのグーグルマップで明確に見つからなかった部分があった。
それが今からのちょっとした部分である。
現地を見て、そのわけがわかった。

まったくの林道なのである。
アメリカ人であるグーグルさんが日本の林道にまで詳しいはずがない。
しかし、矢印はそっちを示しているので、走る。
林道は気持ちが良い。迷うのではないかという不安がどこかにあるけれど、しかしそれでも林の中をかけていくのはなかなかに気分がよいものである。

林道を抜けると、茶畑がある。さすが嬉野、という感じである。
しばらく走ると、再び道路と合流する。ここから先はしばらく退屈な道路沿いのランが続く。長崎街道という風情はあんまりない。文明は道というものを、単に店と店をつなぐものにしてしまい、つまらなくしてしまったのだなあ、と考えつつ走る。
つまらないと思っていると、「嬉野秘宝館」という建物がある。

これはあんまりつまらなくなさそうだ。
男と女の愛の殿堂、とか書いてある。
最近のAVとかと比べると、まあ、のどかなもんだ。多分。入ったことないけど。
今日は、残念ながら、寄らない。
そのまま、走っていく。
このあたりになると、練習が嘘をつかず、足が遅い。もう止まりそうな速さで走っている。止まりそうな速さで、高速道路下のガードをくぐり、止まりそうな速さで走っていく。
どれだけ走っただろうか、道は曲がり、通りを離れて、山の方向へ向かい始めた。最後のダム湖への道行きである。
上り坂なので、ときどき有森裕子神を降臨させつつ、ピッチ走法で走る。
まあ、それほど大変な坂ではない。
道はやがてダム湖沿いの道に入る。
しばらく走ると、39キロのエイドがある。

エイド食は、プチトマト。甘くておいしい。
トマト嫌いの子どもでも、思わずトマト好きになる納得の味である。
ただ、プチトマト全体にいえることであるが、皮が厚くて固いので、上あごの下にくっついたりする。
でも、もうゴールまで3キロちょいであるから、皮を上あごの下にくっつけたまま、走る。
ダム沿いの道を駆け下りて、右折し、武雄温泉の駅に通じる道路をしばらく走る。
そして、左折して、旧街道に入る。味気ない道路と比べて、風情のある、いい道だ。
酒屋がある。
「東長」しぼりたて入荷、とか書いてある。
佐賀は酒どころで、とてもおいしいのである。
我慢して走る。
もうゴールはすぐそこだ。つきあたると、最初に走った道に出る。そこを逆に折れて、ゴール地点の武雄市役所に戻ってきた。
ゴール時間は2時半くらい。だいたい5時間半かけて走ってきたことになる。
まあ練習は嘘をつかない、というのが実証された。
もともとタイムを気にしていないとはいえ、なんだかちょっと、くやしい。
でも網本氏に「鍛えなおしてきます!」といえば、きっと氏はこう答えるだろう。
「いや、鍛えなおさんで下さい。」
ともあれ、次の駄マラは、3月3日の松浦フルである。
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