なにを隠そう。ぼくは佐世保の生まれである。
で、その佐世保をスタートかつゴールとする「九十九島駄マラニック大会」が開催されるというので参加してきた。
100キロウルトラには苦い思い出がある。
去年の「伊万里平戸ウルトラ駄マラニック100キロ」である。

ゆきはなんとか平戸城までたどり着いた。
しかし帰りがけ、道を見失った。
どこを見ても田圃、家、山の風景のなか、ふと気づいた。

「ここはさっき通ったところだ!」(軽いパニック)


もとのところに戻り、コースをたどりなおしたが、そのうち足にきた。
松浦火力発電所の前で、歩けなくなった。自分の足が自分の足じゃないみたい。こんな経験は初めてだ。

結果、「ワープ」した。
伊万里駅前ではあみりん氏が待っていて、写真を撮ってくれた。
ワープしてしまったので、「汽車ポッポ」のポーズを取った。
あみりん氏にぼくは言った「鍛えなおしてきます」
あみりん氏は即答した。「いや、鍛えなおさんでください」

・・・・・・・・・・

そう、今回こそ、鍛えなおさんで来た成果を発揮するときなのだ!
そうしてぼくの約100キロは始まったのである。


前日はおじさんの法事だった。
土曜日は午後9時まで、伊万里市内の料理屋で親戚一同と、お魚をつまみに、ビールやら焼酎やら飲んでいた。一応翌日午前2時から駄マラニックなので、セーブしたつもり。
おじさんは6年前に死んだ。7回忌である。出席した親戚の方々と話していると、おじさんは高専時代は、学校代表で駅伝に出たようなランナーであったらしい。不器用で口下手、人つきあいが不得意。独り者で、パチンコぐらいしか趣味がないと思っていたおじさんが、ランナーであったとは!
生きていたら、一緒に走ろうよ、と言っていただろう。けど、残念ながら6年前はまだ、「駄マラニック」に出会う前だった。そのころはまだ、せいぜいときどき歩く程度で、しかもそのあとぼくは、ぶくぶく肥満することになり、一念発起してダイエットに励むのはその後のこと。ぼくがランニングに開眼したのはさらにその後だ。
世の中とはうまくいかないものである。


さて、午後9時に松浦鉄道で有田まで出て、有田から各駅停車で早岐乗り換えで佐世保まで。到着したら午後11時。しばらく駅ですごす。午前1時すぎて、そろそろ行ってみるかと駅前のターミナルに行くと、そこに駄マラニックの幟が。
余談だけど佐世保駅周辺も、むかしからすればずいぶん変わった。かつては地下街があり、ラーメン「お富さん」も駅前ではなく、地下街にあったのである。今は地下街はない。
小学校時代を過ごした、ぼくの生まれた佐世保を走るのである。
130324_0134~0001わくわくする。











午前2時スタート。参加者一同、夜の佐世保を走り出す。
一見して怪しい集団である。
そのまま夜の町を順調に過ぎて、世知原に向かう道へゆく。




途中、まだ酒が残っているせいか、尿意を催してきた。
酔いどれランナーはやっぱり不都合なことが多い。不都合な真実。

コンビニに入って、一応飲み物を買い、トイレを借りる。
外に出ると、ほかのランナーの姿はすでになかった。

このまま国見方面に走る。
国見って、こんなに遠かったっけ。
国見に向かう道路は、ぼくが29歳でクルマの運転免許を取ったとき、練習で走った道である。
そのときは父が横に乗ってくれた。
クルマは日産のブルーバードである。マニュアル車。
停止して五速で発進してエンストしたりしながら、国見を越えて唐津へ行った。
今はいい思い出だ。父もすでにこの世の人ではない。
しかし、走るとこんなに遠いんだ。
いろんな発見がある。
130324_0316~0001坂を上る途中、10キロエイド
蒸しケーキをいだだく。水分は補給しない。いやってほど、体中アルコールを含んだ水分だからである。














130324_0352~0001国見方面に向かう直前で、世知原方面へ左折する。
夜の中、ぼんやりとトンネルが浮かび上がっている。
世知原はお茶で有名なところであるけど、夜だから、なーんにも見えない。
トンネルの中を延々走る。
飽きたところで、トンネルを出て、くだり。
気持ちよく、飛ばす。








汚い話だが、何回か尿意を我慢できず、路傍で用足しをしている。
酔っ払いがマラニックをしてはいかん。だいいち不衛生である。しかし始まったものはしょうがない。最後まで足をもたせて走りきることが今回の目標である。めざせ、最優秀駄マラー(つまりびりってことね)。

世知原方面を抜ける。夜の闇に、「やまびこロード」への標識がぼうっと浮かび上がっている。
つまり、松浦へ向かう道だ。
130324_0438~0001途中20キロの無人エイド。
エイド食はキンカンである。
キンカンといっても塗るやつではない。
当然のことながら食べる金柑である。
おいしい。













ひたすら進む。
道は上りになる。「つーなーひーきー」と呪文を唱えつつ、のぼる。

やがてやまびこロードに出るところでコーセーさんのエイド。
コーセーさんと山下さんというボランティアの女性の方から(ここ訂正)、あたたかい味噌汁(ソーメン入り)などをいただく。
気がついた。
ここは月イチ駄マラニックの第一エイドだ。ということは、これから松浦に向かって降りてゆくはずだ。

思ったとおり、月イチ駄マラニックを逆走する。
ここで女性のランナーとしばらくご一緒する。
話をする。関東から来られた方らしい。
なんと本日、誕生日のようなのだ。
毎年誕生日はいろんなランニングの大会に出ている由。
駄マラニックもネットで検索して見つけたんですとか。
そんな話をする。
駄マラニックのコースは素晴らしいですよ、と話す。ぼくもそうだ。ぼくが、駄マラニックというホームページに出会っていなかったら、ずっと「走る奴なんて頭がおかしいに決まってる」と思い続けていただろう。




しかし、松浦までは、長い。
月イチで第一エイドまで、こんなに長かったっけ。
俺、こんなに長いのぼりをのぼってたんだ。俺ってえらいなー。
なんて思いつつ下る。

途中、月イチとは少し違って川の東側を走る。
130324_0602~000130キロエイドがある。エイド食は桜餅。

















エイドを出て、走る。
長崎の名物ってなんですかねえ、なんてのんびりした話をしながら。



途中、お店の前のレール的なものにひっかかってその方が転倒される。
「大丈夫ですか?」タイツはやぶけたけど、大丈夫というので気を取り直して走る。



でも、酔っ払いはダメである。また尿意ともうひとつの意に襲われ、松浦市内に入ったところでいつものファミリーマートに逃げ込んで、トイレ。
トイレを利用させていただいた申し訳なさから水を買う。

街中で尿意を催したときの話になると、思い出す話がある。そのときはハワイで街歩きの最中に尿意を催したんだった。日本の感覚でお店に入ってコーラを注文し、そのついでにトイレを借りようとするていで、まず、「トイレット」を借りたい、と言ったのだが通じない。「ウォータークローゼット」でもだめ。そんなやりとりを黒人女性の店員としていて、見かねた近くの主婦があいだに入ってくれた。「彼はバスルームが借りたいんじゃないかしら?」そう。ハワイではトイレは「バスルーム」。シャワー使うんかい!と突っ込みたくなるけど、店の裏のトイレの鍵をもらって開けて入ってみたら、普通のトイレだった。

そんな昔の体験談を思い出しながら、また走り出す。日本最高。



それはいいけど、ドリンクを買ったのでまた背中のリュックが重くなる。
出てみたらまた、誰もいない。
ひとり旅である。
すでに午前6時を過ぎて、夜が明けかかっている。
明るくなる前に飛び石に着けないってことは、こりゃ100キロ制限時間14時間、なんて大会に出るのは無理だね。駄マラニックでよかったよかった。などと思いつつ走る。


海のふるさと館のところの前から、のぼりに入る。
これも月イチを逆走するコースである。
勝手知ったるコースであるけれど、逆走すると意外と、きつい。
130324_0729~0001桜が咲いている。












まだ40キロエイドに着かないのか、まだなのか、と思いつつ、松浦火力発電所の前を通る。
去年はここで「ワープ」したのだ。
今年は足を温存して、完走しなくてはという思いを新たにする。
それにしても、今回の趣向、40キロ付近での「飛び石」ってまだなのか。





130324_0747~0001やがて40キロエイド。エイドはええど。
エイド付近の街中で、一人のランナーとすれ違う。
トップで走っていたが、道に迷ってしまい、あみりん氏に電話して、ようやくコースに戻れたのだという。
ぼくも去年、そういう経験をして、足を使いきってしまったんです、という話をする。
40キロエイドはイモモチである。まだ水分は補給しない。
コンビニで飲み物を買っているからだ。
コンビニが来るたびにトイレを利用させてもらうので、申し訳ない気持ちからドリンクを買う。
この繰り返しで背中のリュックが無駄に重くなる。

そうか。だから駄マラニックというのか(違うか)。



御厨のファミリーマートを過ぎる。
御厨っていう地名は、平安時代や鎌倉時代の荘園に遡るらしい。
天皇家や、寺社がもっていた荘園を「御厨」というらしいのである。
由緒正しい地名のファミリーマートの前を過ぎる。
130324_0756~0001そのまま松浦鉄道と寄り添って、走る。











しばらくすると、左に入る→があり、踏切を渡る。
どうやらここが「飛び石」らしい。と、猫車(一輪車のリヤカー)を押しているおじさんとすれ違う。
「おはようございます」


「なにごとですか?」
何事キターーーーー!
130324_0759~0001






このなにごと感が心地いいのである。
「ランニングです。マラソンしてるんです」と説明して、飛び石を渡って、走る。
まだまだ行ける。

飛び石をすぎて、また松浦鉄道沿いに戻る。
道はやがて、平戸往還へ向かう道に入ったようだ。
このまま江迎に向かう。


桜の咲いているどこか懐かしい感じの田舎の学校の下に、トーマさんのエイドがある。
娘さん?が手伝っていて、ほのぼのする。
あたたかい野菜コンソメスープをいただく。ありがたい。
再び走りだす。

なかなか味わいのある道である。これもその昔、街道だったのかしら。

江迎の前で、下り坂。
道はくねくねしながら、町へおりてゆく。

130324_0931~000150キロエイドがある。
エイド食は、
出た!定番の「いなりずし」である。
ここで女性の方に追いつかれる。いいペースである。
エイド食、ありますよ。いなり寿司、おいしいですよ、と話す。
その方「ああ、よかった」
じゃ、お先に行きますと言って、鹿町方面へ走る。













鹿町というと、海のイメージがあるけれど、なかなか海に着かない。
疲れてきて、走るより歩きが多くなる。
上ったり下ったりしている。
正直、あまり思い出せない。海際に出た気もする。海際を進んだりしたと思う。
で、「長串山公園あと5キロ」の標識があったような気もする。
あと5キロもあるんかい!と落胆しつつ走った気もする。
なんだか自分が生きているのか、死んでいるのかわからないかんじである。
いや、自分は生きているのだ。
おじさん、ぼくは生きていますよ。と思いつつ走った、ような気がする。
その間、何人かの人に追い抜かれた気もする。
いいのである。人にはそれぞれのペースがあるのだ。

130324_1045~0001これはどこかのトンネル。


















山登りをして、長串山公園(なぐしやま)に着く。
九十九島がきれいに見える絶景の場所である。
ここで先行された方がグロッキーで、ベンチで休んでいる。
伸びを何回かして、また走り出す。

長串山を降りる途中、林に向かってまた小便する。
草の下の虫たちは大慌てだろう。
啓蟄をすぎてい出してきた生物たちも洪水にあわてているかもしれない。
これだから酔っ払いは、と思いつつ走る。


長串山を降りて、海沿いをだらだら走る。
途中、軽快な足取りで先行するランナーの人においつく。
その人は自動販売機で飲み物を買っていた。


「ウルトラはよく走られるんですか?」尋ねてみた。
「ええ。でもダメですね。走るほど、タイムは遅くなります。」
いやかっこいいですよ、おじさんの走り。そんな風に思う。
しばらく休みます、とおっしゃるので先行する。


もうすぐ本土最西端の「神崎鼻」の70キロエイドのはずである。
神崎鼻、ぼくは佐世保の生まれなのだが、一度も行った事がない。
どうせたいしたもんはないと思うけどね。思い出以外は。





しばらく走ると、「神崎鼻」の標識が出ていて、それを右折する。
ここはオプション的な感じで、神崎鼻まで行って折り返してくるのである。
途中折り返してくるランナーの方とすれ違った。
妙齢の女性3人組のランナーから「お疲れ様です」と声を掛けられる。
女性は元気だなー、って思う。



神崎鼻には、コーセーさんがエイドにおられた。
70キロエイドである。
しかしコーセーさんのエイド食はすでになかった(残念)
なんでもおかゆカレーだったらしい。

130324_1110~0001代わりに太巻寿司をいただく。うまいからまあいいや。
コーセーさんが写真を撮るというので、にっこり笑ってポーズ。














ここで、長串山で休んでおられた方が到着される。
先行される。
立派な走りである。
あんなランナーになりたいもんである。



この後のことは、ほとんど覚えていないのである。
島伝いに橋を渡ったり、


小佐々では、「どこまで『小佐々』なんだよ!早く『佐々』になれ!」
とか思いながら走った記憶である。小佐々というくせに、ちっとも小さくない。


途中、何人かのランナーに追いつかれた気もする。
まあ、ほとんど歩きだったので。

130324_1520~0001佐々のエイドでは、サラダ巻きをいただいた記憶である。


















その後相浦まで走っているけど、記憶がない。
まさに生きているのか死んでいるのかわからない感じ。
思い出すのは火力発電所とか、県立大学とか断片的な記憶。
ぼくが小さいころ、相浦というと、夏になると相浦総合グラウンドのプールに行ったものだった。
たこの形をした噴水があった。
噴水はなぜたこなんだろう、と子ども心に思った記憶である。



相浦を抜ける。
相浦ってこんなに広かったっけ。






やがて道は鹿子前に着く。
鹿子前も、いろんな思い出がある。
水族館に行った。
夏になるとソーメン流しにも行った。

130324_1706~0001ここで90キロエイド。
エイド食はプチトマトである。
これが甘くてうまい。






















しかし、駄マラニックのコースはここで最後の勝負どころを用意していた。
石岳の登りである。
石岳も思い出がある。
石岳の動植物園は、遊園地で遊んだり、スケッチ大会で行ったりと、佐世保市民にとってはなじみの場所なのである。
でも、走ってみたら、いかついのぼりだし、歩道のないところばかりだし、車は来るし、正直しんどかった。
おまけに犬のウンコもあった。
ぼくは幸い避けた。けどそのウンコは踏んだ跡があった。
誰かが踏んだのだろう。
お気の毒に。



石岳から下る。
ここからは、SSK(佐世保重工業)の造船ドックの眺めである。
佐世保は成り立ちからして実はきな臭い町なのである。
明治の昔、佐世保は「佐世保村」だった。
たんなる漁村だったのである。
しかしリアス式海岸はちょうど軍の基地をつくるのに良かった。
海軍の鎮守府が置かれたのである。
そして、海軍の施設があるのに、「村」とはなにごと、ということで、「村」から一足飛びに「市」になったのが佐世保市である。
そのため、終戦前に「佐世保大空襲」で佐世保は焼け野原となった。
天気の関係で、原爆はもしかしたら佐世保に落ちていたかもしれない、という話もある。
太平洋戦争後は、この良港は、米軍基地と、自衛隊と、佐世保重工業で占められることとなった。


130324_1800~0001130324_1800~0002でも、子どものころはそういう政治的なこととは無関係に、単純に、造船所のクレーンが好きだった。
古かったりいろんな形のクレーンは、ちょうど古代のティラノザウルスの群れみたいに、あこがれの対象だったのである。
母方の祖父は造船技師だった。佐世保港では、「武蔵」を修理したのが自慢で、いつもそんな話をしていたっけ。
思い出してみたらやっぱりきな臭い話だけど、そんなこととは関係なく、単に懐かしい。


小学生のころ、佐世保船舶工業(SSK)ってすごいなあ、野球用品も作っているんだ、と思っていた。
テレビCMを見ていて「勝利はいつもSSK」なんてやっていた時代のことである。
今ではちがうSSKだとわかる。
造船業は、今では新興国に押されて、構造的不況産業である。
無邪気な子ども時代であった。


























このあたりでは、ぼくはもう、走れなかった。
歩いていた。
でも、伊万里平戸100ではそもそも歩くことさえできなかった。
今ぼくは歩いている。
足が強くなった。
それまでまったく運動音痴であった48歳のおじさんでも、「進化」できる。
なんだか嬉しい。



米軍住宅の前をすぎ、有名な佐世保バーガー「ログキット」「ヒカリ」の前を過ぎて歩く。
といっても、佐世保の昔の小学生は「佐世保バーガー」が名物だなんて思ったことはなかった。
ファーストフードはマクドナルドではなく、ロッテリアが最初である。
ハンバーガーはメニューになく、ホットサンドであった。



思い出にひたりつつ、日が沈みネオンが点りだした佐世保の町を歩く。
見るからにあやしい人である。
午後7時前ぐらいに、佐世保駅前に戻ってきた。
ゴールである。

「最優秀駄マラーですよね(俺、ビリなんだよね)」
あみりん氏に話しかける。
「あ、そう。最優秀駄マラーの写真を撮らなくっちゃ。」
あえて、死にそうな顔をしてみた。
おふざけである。
しかしあとからフェイスブックを見てみたら。
本当に死にそうだった。

ともあれ、100キロを歩いた、って思ったら実は99.9キロしかないのである。
しかし99.9キロはこれでぼくにとっては徒歩圏内になった。
これからは「あ、100キロですか?それはちょっとキツイですね。99.9キロなら徒歩圏内ですけど」って冗談を言うことにする。



かくして、「鍛えなおさんできた」リベンジ終了である。
次は4月28日の「博多唐津104」である。
こんどは歩かず、走ることを目標とする。
そう、「鍛えなおさずに」。