「駄マラニック」シリーズは長崎県松浦市在住のあみりん氏が開催するマラニック大会である。
毎月フルマラソンが走れる「月イチ」シリーズや、10キロ程度のものや、100キロのウルトラまである。
今回、陶芸の里として有名な、波佐見、有田、伊万里、三河内を巡る、「第1回陶芸の里マラニック」が開催されることになったので、5月19日のその大会を、走ったり歩いたりしてきた。

駄マラニックは、「遅いがえらい」大会である。走る大会は、「速いがえらい」傾向がある。フルマラソンでサブスリーとかサブフォーとかを目指してあえなく挫折したりする。しかし、走る楽しみはもっと別のところにあるのではないか、という趣旨の大会のようである。もちろん速い人は、速く走ってもいいのだ。しかし、駄マラニックはあみりん氏ひとりでやっているので、スタートと同時に、主催者もスタートして、無人エイドやコースの見回りにゆかなくてはならない。
だから、あまり速いと、ゴールには文字通り「誰もおらず」、さびしい思いをするのである。

いずれにせよ、ウルトラマラソン大会のエントリー料は、だいたい高い。これは大勢のボランティアの出費をまかなうには仕方ない面があるのだが、駄マラニックはその辺を節約しているので、安い。だから懐のさびしいオトーサンたちには結構ありがたかったりするのである。

今回の「陶芸の里駄マラニック」は全長60キロのコースである。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=5ec68b7705630654c0e915d792aced48
波佐見のはずれにある温泉「湯治郎(ゆうじろう)」の駐車場を出発して、波佐見町内を抜けて、波佐見のはずれから、県道104号線をとおって山によじのぼり、山の中をスカッとJR三間坂駅まで走り抜け、三間坂からさらに伊万里へ向かう県道26号線に入り、山を左右に見ながら伊万里へ向かう途中から林道腰岳線に入り、山によじのぼり、秘窯の里として有名な大川内山へ行き、そこから鍋島藩の秘密の窯跡をくだって伊万里市内へ行き(ここまでが30キロ)さらに、伊万里市内から有田へ戻る松浦鉄道有田線に沿って有田川を眺めながら川べたを遡り、40キロ付近で県道202号線とお別れして左に折れ有田町へ抜ける竜門峡行きの道を通って、陶磁器で全国的に有名な有田まで走り、あとは国道35号線をクルマの排気ガスにもまれながら全国的にはあんまり知っている人のいない三河内(三川内焼、といっても知る人はそういまい)まで出て、JR佐世保線三河内駅から、波佐見に向かうバス路線に沿って波佐見に向かい、途中でバス道にお別れして、波佐見の中でもさらにはずれにある「湯治郎」まで戻る、というコースだ。こうやって文字で書いてもなんのことやら、という人は、上のリンクを参照していただきたい。

さて、今回のスタート地点である湯治郎は、波佐見町の中でもはずれの長野郷というところにある。波佐見温泉、と銘打っているけれども、正直、大きな建物というと学校ぐらいで近くにはコンビニもなければスーパーもほとんどない。バス路線も来ておらず、「乗り合いタクシー」という不思議なものがあるだけだ。しかし、山に囲まれた平野のたたずまいはとても雰囲気のいいところである。

雰囲気はいいのだが、ぼくは自動車を持たないので、朝6時スタートのマラニックに間に合うためには、必然的に前日は泊まらないといけない。そこで「湯治郎」の近くで建設会社がやっているという、一泊3500円の素泊まり宿に連絡してみた。
「はい○○建設です」
「(建設?)素泊まり宿のことで・・・」
「ああ、うちでやってます。でもその日は一杯で。」
「え?」
「休日の前は一杯なんです。何しろ従業員アパートを改造したので、3室しかないんですよ。」
「・・・・」

どうしようと思ったのだけれど、近くに温泉旅館「泉荘」というのがあるらしいので、電話をしてみた。
素泊まり4000円だという。背に腹は変えられず、そこにした。

さて、問題はどうやってそこまで行くか、だ。コース地図を見てみたら、波佐見から最初、三間坂まで走るようだ。それなら、コースを偵察の意味も込めて、逆に走ってみるか。
というわけで、前日は、朝から、佐賀から長崎街道の風情を追いつつだらだらとマラニックして武雄付近まで走り、途中でJR線で三間坂までワープして(駄マラーだからね)、そこから、コースを逆行する、という計画を立てた。

で、その話は省略して、泉荘。泉荘はおばさんが一人でやっている旅館で、昔はもっとにぎやかだったんだろうなあ、という感じの建物で、通された部屋は特に鍵とかかからない普通の和室である。
で、「お客さんはあなた一人しかおらんかったから、お風呂焚かなかったので(ここはたしか温泉旅館じゃなかったっけ)、そこの湯治郎に入ってきて」というおばさんから、湯治郎のタダ券をもらって、前日に佐賀波佐見突発的駄マラニックの疲れ落としと、湯治郎のお湯の偵察まで済ませることができたのだった。
ついでながら、夕食は食べる店もほとんどないので、おばさんが「息子がやっとるから」という近くの「季泉」という蕎麦屋でそば定食と、波佐見の地酒「六十余洲」で一杯ごきげんになって、そのまま就寝。

例によって、だらだらと話がつづいて(駄マラーだからね)、なかなか走る話にならない。

で、もうどんどん飛ばして、翌日。
あらかじめの週末天気予報によると、週末は天気が怪しかった。当初土曜日が雨で、日曜日はあがる予定だった。それがどんどんずれて、土曜日、三間坂から走ってくるときは曇り空で結構暑かったのだ。

それが日曜日、夜半から雨が降り出した。
雨だろうと、走るときは走る、それがランナーである。
ぼくは今回も秘密兵器を用意した。
コンビニで700円で調達したビニール製雨合羽である。
ちょっとした改造を加えてある。
実は嬉野まで走ったときに途中で買ったのだが、風が強いと途中で脱げて使い物にならないことがわかった。
だから、ホックに加えて、100均でベルクロテープを買ってきて、切ってホックの上下に貼り付けてある。
これで迅速に脱げるし、着れるし、風雨も大丈夫。

短パンにランニングシャツ、頭は100均で買ったキャップ。大阪は天六商店街で1000円で買った小さなリュックを背負い、これに秘密兵器をはおれば、どこから見ても怪しいおじさんである。
今回、これで戦う。

130519_0513~0001午前4時30分ころに湯治郎の駐車場に行くと、いつもの駄マラカーがやってきて、あみりん氏が準備していた。
「あ、おはようございます」
「早いですね。あ、泊まったんでしたっけ」
「ええ、そうです。受付は何時からでしたっけ」
「5時からです」
ということで、旅館に戻り、時間を待ち、5時にまた駐車場に。

駄マラー諸氏が集まってきている。やはりというか、自家用車の人がほとんどだ。

受付をする。数回前から、「駄マラニック」ではタイムレコーダーが導入された。ランのタイムをレコードするのではなくて、いわゆる出退社関係のレコーダー。つまりこれ、あみりん氏のシャレである。
早くても名誉ではない反面、遅くても残業代はつかない。


まだ雨がやまない。というか結構ひどくなってきた。
「あ、雨がひどくなってきたんで、まだ6時前だけど、スタートということで」とあみりん氏。
参加者十数名は苦笑しつつ走り出した。

山に囲まれた平野の川沿いの道を駄マラー集団が走っていく。見上げると灰色の空から雨が落ちてくる。
先頭集団は例によって、結構早い。ぼくも何とかして付いてゆこうとするが、雨合羽の長さが邪魔になる。
すそをからげて、縛る。

130519_0634~0002どんどん走り、湯治郎からだいぶ離れたコンビニや、開店したばかりでカステラを配っている菓子店や、日曜大工のスーパーの横を通って、波佐見の市街へ向かう。ローソンで左折し、県道1号線を波佐見町役場の前を通って、世界の窯なんてものを展示してある公園の前をすぎ、東小学校の前まで行き、そこで右折して県道104号へ向かう。けっこう快調なペースだ。もちろん先頭集団は見えなくなっているが。

うすく霧にけむる波佐見の町を走る。波佐見は、むかし大村藩に属するところだった。そして、秀吉の文禄・慶長の役(1592〜1598)に参加した大名が、多くの朝鮮人陶工を連れ帰ってきた(有田では、「李参平」が泉山で磁器原料となる陶石を発見する)のと同様、大村藩の大名大村喜前も、朝鮮から「李祐慶」という李朝の陶工らを日本に連れて帰ってきたのが波佐見における磁器生産の初めであるらしい。当時、日本国内ではやきものというと「陶器」であり、白い肌の「磁器」はまだ焼かれていなかった。それが、李氏朝鮮の技術が伝わることによって、日本における磁器生産がはじまったのである。
朝鮮における戦争の凄惨な戦いぶりは伝えられているとおりであり、自分たちのふるさとやその人々を蹂躙した敵の母国で、朝鮮人陶工たちはどんな気持ちでやきものの製造に従事したのだろうか。
想像もつかない。

想像もつかないまま、走る。

染付けや赤絵の生産を行っていた有田と異なって、波佐見では当初、李氏朝鮮ばりの青磁を中心に生産していたとのことである。朝鮮人の技術者たちは、波佐見の三股地区に、磁器の原料となる陶石を発見した。そこで三股地区に窯を築いて、青磁の生産を行ったらしい。やがて、三股には皿山が置かれ、大村藩がじきじきに陶磁器の生産を管理するようになった。当時、中国では明がほろび、清がおこった。そのごたごたのため、ヨーロッパへの中国からの磁器輸出が一時ストップした。そこに割って入ったのが、有田、波佐見、そして三川内など肥前の窯であった。これらはいずれも伊万里を積出港としたため、ヨーロッパでは「イマリ」と呼ばれた。しかし、清が安定すると、こんどは一転、日本からの輸出が減少することになる。

というのは、波佐見焼のホームページで調べた単なる受け売りである。
陶芸の里マラニックということで、事前にそんなこともぼくは調べておいたのだ。
もっとも、別に走ることとは関係ないが。


マラニック大会のスタートからしばらくは、ぼくは結構気合を入れて走ることにしている。そのほうがペースができるというものである。もちろん、疲れない程度に、ではあるけれど。
130519_0639~0001130519_0649~0002県道104号はひなびた里の、神社の前なんかを通り、小さなダム湖へ向かう。坂を上った後、しばらくダム湖沿いの気持ちのよい道が続く。
そんな道を、ちょっとだけ頑張って走る。雨は降るけれど、熱いエンジンをクールダウンする水冷の雨である。
エンジンをフル回転して走る。とても気持ちがよい。
こんなとき、駄マラーもランナーなのだ、と思う。(まあ、速さはたかが知れているが。)。

駄マラニックは、走って気持ちのよい道がたくさん織り込まれている。
上り坂であっても、ちょっと頑張れば、気持ちのよい道が待っている。
それが、速さを競わないといっても、「ランニング大会」であるゆえんなのだと思う。










ダム湖を気持ちよく走り、西九州自動車道路の高架下にさしかかる。
きのう予習したとおり、ここからはコース中いちばんの山登りになる。
山登りの途中で、第1エイド。エイド食は「太巻寿司」。
朝食をとっていないので(そんな時間に開いている店など、湯治郎の周辺にはないし、ぼくは素泊まり客である)、嬉しい。
ここで先行する一人の方と会う。
「この大会はじめてなんですよ。」といわれる。ぼくは10回ぐらいです、と答える。
駄マラニックはしかし、参加すればするほど、自分が強くなるという手ごたえはあるのだが、別に速くならない。
いや頑張って走れば速くなるのかもしれない。しかし、ときどきかえって遅くなったりする。
そこが駄マラニックのおもしろいところである。

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130519_0714~0001しばらくその方の後ろを走る。点在する人家と茶畑の間を、ぐいぐい高度をあげていく。ときどききつい上り坂がある。茶畑はその形から、むかしは棚田だったであろうと想像できる。
一面の茶畑。この間走ってきた橘湾80のジャガイモ畑をふと、思い出す。
茶畑の中を走っていると、ふしぎといい匂いがする。これは新芽を出したお茶が発する匂いかもしれない。












130519_0729~0001相変わらず天気ははっきりしない。雨粒もときおり落ちてくる。
雨合羽を着ているが、いつのまにか汗だか雨だかで全身がびっしょりになっている。
神六山公園のあたりで、道は人家がなくなり、遠く見晴らしのよい、ほぼ平坦な舗装道路になる。車はまったく来ない。気持ちのよい道だ。スピードが出る道である。
高度経済成長期に全国でこんなに素晴らしい道がたくさんできたのだと思う。そのために国家財政は多額の赤字を抱えることになったのかもしれないが。だから、せめて道を走って、道を作るのに使われた税金のもとをとってやろう、という気持ちになる。
というか、こんなステキな道、ランナーだったら走らなけりゃもったいないでしょう。
いつ走るの?
今でしょ!
などと流行語を思い出しつつ、気持ちよく飛ばす。

県道104号は、ずっと続き、やがて三間坂へ向かって下りだす。眼下には陶芸の里がひろがっている。
うすぐもり、雨が降り続いている。
小学校の分校近くのスピーカーが風に乗せて「武雄市役所から。運動会の開始時間を延期します」というアナウンスが流れている。
ぼくは小学校のとき運動会が嫌いだった、という話はもう前に書いたから、いい。
きっと同じく運動会がキライな子がいるんだろうな。中年になって、駄マラニックに出会って走るのが好きになったりするのかしら。

三間坂の前で、コンビニに寄る。
気がつくと、うしろにさっきの駄マラー氏がいる。
トイレに入りますので、と断って、先へ行ってもらう。

コンビニでトイレを借りるときは、何か買い物をすることにしている。これは当然の礼儀だ。
某ヤクルト製の某健康ドリンクがたまたま目に付いたのでこれを買う。飲み干す。
トイレをお借りしていいでしょうか、とトイレを借りる。
おなかのなかがすっかり空になる。
店員に礼を言って外に出ると、雨脚が強くなったり、弱くなったりしながら、まだ雨が降り続いている。

三間坂の駅の前を通って、こんどは伊万里方面へ向かう。
山がいくつもそびえる間の平野というか盆地のような感じ。そこを道が走っている。交通量はそこそこあるが、歩道がしっかりあって、走りやすい。

130519_0823~0001途中、セツ子人形がある。というのは正式名称は知らない。交通安全の子どものマネキンである。
よくみるとどこか切ない感じの表情をしているので、「セツ子」と名づけたのである。
背中のランドセルに道路を横断するための旗が挿せるようになっている。
また、名札部分に、いろんな名前が書いてある。
セツ子人形は、きのうも見かけた。
佐賀全域にくまなく分布するのである。
いろんな名前は書いてあるけれど、本体はまったく、表情まで、どこも同じ。クローンセツ子である。
iPS細胞から作られたのかもしれない。(冗談)


130519_0835~0001セツ子人形に別れを告げてしばらく走ると、黒髪神社という地元の信仰を集める神社があり、そこの前に20キロエイドがある。
このエイド食はいなりずしである。
一人なのをいいことに3個ほうばる。
紙コップを取り、麦茶を注ぐ。麦茶のコップの中にも雨粒が落ちてくる。
最近すごく食が進むのだ。尿も進む。
これはひょっとすると日本の成人様御用達の「糖尿」の気かもわからん。
糖尿の里マラニック、とか(笑)。


そこからしばらく県道26号線を走ると、だんだん田舎道になってくる。
黒髪少年自然の家へ行く標識が出ているが、そちらにはいかないで、まだしばし、走る。
そうすると、大川内山への分岐があり、そこへ入る。

130519_0913~0001130519_0906~0001道は青螺山〜腰岳林道、という林道である。
道幅はそんなに広くないが、交通量は少なく、木々に囲まれた舗装道路である。
そこをぐいぐい上って高度をかせぎ、やがて見晴らしが広がる。かと思うと、林の中を走る。
上ったり下ったりしながら、大川内山へ走る。

雨は相変わらず降って来る。
むしろ強まってきた感じもする。
なんだかやけっぱちな気持ちで、いい気分である。
いい気分。いい道路、ひとりじめ。

大川内山は、佐賀の鍋島藩が藩窯を置いていたところである。有田で磁器生産がはじまり、染付けや赤絵の技術が発達して、海外へ輸出もされていたのはすでに書いた。しかし、大川内山はそれとは異なり、基本的に、朝廷(天皇家)や他の大名への贈答品が焼かれていたところである。
贈り物であるから、藩の威信がかかっている。金に糸目をつけず、技術的に最高水準のものを焼く。これを「鍋島焼」と称した。
その代わり、そこで務める陶工は、秘密を漏らさないために、一生涯、大川内山から外に出ることは許されなかった。

というのも有田焼のホームページからの受け売りである。

人家のない、林の中をどこまでも続く山道。それを秘窯の里に向かってひた走る。
客観的にみたら、そんなに速くないかもしれない。
しかし気分は盛り上がっている。20キロ超であるから、フルマラソンでも結構調子づいて走っているあたりである。

走りながら、居住・移転の自由を奪われた陶工の気持ちを想像する。

ときは17世紀。有田のある村。
「おみっちゃん、今度オレ、皿山に行くことになったんだ」
「唐八郎さん・・・」
藩の皿山に行くこと。それは陶工としては名誉なことだった。しかしそれは同時に、唐八郎が、二度と戻ってくることがないということを意味した。
「唐八郎さん。あたし・・・」と言いかけておみつは口をつぐんだ。
だまっておみつを抱きしめる若き陶工。

抱き合う若い二人。

ラブ、ラブ、そしてラブアゲイン。
(むかしスポーツドリンクのCMにそんなのがあったな)

ラブアゲインを想像しつつ、ややヨコシマな気持ちになってナベシマの里へと走る。





山道の途中に神社がある。のどがかわいたので、神社の水をいただく。
そしてまだ、しばらく山道を走り、林道の標識の出ているところから、大川内山の集落へと下る。

130519_0948~0001130519_0948~0002現在の大川内山は、一流の窯元が店を出すところになっている。
ひなびたたたずまいの集落を走り降りると、染付け、赤絵、青磁、白磁などの器がウィンドーに並び、目移りがする。
目移りしつつ、やはり一流品は高いのと、当然買い物なんかしている余裕はないので、眺めるだけにしながら、走る。
大川内山の入り口に「無名陶工の墓」という標識が出ている。
唐八郎くんはぼくのまったくの妄想だけど、そういう陶工がたくさんいたのかもしれない、と想像する。

大川内山を出て、のどかな景色の中を走る。
のどかな景色はなごむ。
それはいいのだけど、退屈する。
ふと、道の横のミゾを覗いてみる。
雨の勢いを受けて、ミゾの中は水がいきおいよく流れている。
表面にあぶくが浮いたり、消えたりしながら流れている。
よし、あのあぶくと競争だ。
あぶくを見ながらしばらく走る。

130519_1000~0001そこで、セツ子人形のあるあたりの30キロエイド。
130519_1001~0001エイド食は、サラダ巻きである。
今回、エイド食は、寿司の連続技である。
これは今回のマラニック前半のキツさを考えた、あみりん氏の采配であるかもわからぬ。
ぼくとしては歓迎である。サラダ巻き、おいしくて3個いただいた。
ますます糖尿の里である。

雨は相変わらず落ちてくる。
さあ、後半戦だ!(後半に続く)。