続いて11月17日は、「元祖!平戸島駄マラニック大会」を走ってきた。

もう何度となく書いているけれど、駄マラニックは、松浦市在住の「あみりん」氏が主に長崎県で開催している、「遅いがエライ」マラニック大会である。中でもこの平戸島の大会は、「スーパーマラニックin平戸島」として始まり、もう10周年を迎える大会なのだ。
ぼくも大好きな大会である。なにがよいといって、平戸島は車どおりが少ないし、のんびり走ることができる。走り疲れてワープしようと思ったらバスを待てばよい。何より風光明媚で、素晴らしいビューポイントに溢れているのだ。
今回、10周年なので、記念品として「駄マラ記念マグカップ」付である。おまけに、地元の方が、平戸島のよさこい踊りを披露してくれるようなのだ。

伊万里発たびら平戸口駅行きの松浦鉄道(MR)に乗って外を見ると、やや曇り空から雨が落ちてくる。天気が悪くならなければよいが、と心配する。
午前7時ころに平戸口に着く。ここから、スタート地点の田平公園までちょっとした距離である。やはりというか、雨が降っているので、やや憂鬱になる。


と、駅前に、なんだか前に見たことのある人がおられる。


今回の記念品の駄マラカップをデザインされた駄マラーの某さんである。むこうも僕の顔に見覚えがあられたのか、「駄マラーの方ですよね。ここでいいんですか?」などと訊ねてこられた。田平公園であり、ここから少し離れている旨説明すると、「車に乗って行きませんか?」とおっしゃる。渡りに船とはこのことである。早速、乗せていただく。

途中、田平公園前で激しい雷雨が降って来た。どうなることやらと思ったが、やがて勢いは弱まり小降りとなる。
田平公園に到着すると、おなじみの駄マラカーに、あみりん氏の姿が見える。
「雨ですね。上がりますかね?」「大丈夫じゃないですかね」などと会話を交わす。

受付をして、記念品の駄マラカップをいただく。駄マラニックのキャラクターになった「駄まるちゃん」というゆるキャラの柄が入ったかわいいカップである。

それから地元の方々がよさこい踊りを披露してくださる。
なんというか、かっこいい。
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さて、午前8時に一同、スタートして、平戸大橋方面へ走る。先ほどまで降っていた雨はあがり、でも強い風が吹いていて、なんだか涼しい。そんな風のなか、36名のランナーは平戸大橋を走っていく。
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平戸大橋の手前には、あの種田山頭火の「平戸は日本の公園である」という言葉が書かれた看板が立っている。
酒びたりの漂白の俳人が、なにを思ってこの言葉を述べたのか、ぼくにはよくわからない。でも、平戸島を走り、山や海を眺めていると童心に返る気がする。
ほら、子どものころの公園って、本当にいろんな発見があったりしたじゃないですか。木陰にキノコを見つけたり、草むらにカマキリを発見したり、ジャングルジムが宇宙船になったり、とか。
狭い公園なのに、子どもには無限の世界に思えた。
ぼくは、平戸島の変化に富むコースを走り、海の見えるループ橋から海をながめ、人家のない切り立ったがけの上の道からはるか生月大橋をみたり、海から吹く風に吹かれてみたりすると、それとおんなじ気分になる。
山頭火の時代にはもちろんマラニックも駄マラニックもなかったけれど、今、山頭火がいたら、ランニングシューズを履いて走り出したかもしれない。
いや、マスコミがなんでも取り上げる時代だから、シューズメーカーとタイアップして、ウォーキングシューズのCMに出たりして。「あの山頭火が愛用するウォーキングシューズ『ワケイッター』山頭火モデル。気分はまさに分け入っても分け入っても青い山。キミも自由律俳句のヒーローにならないか!」

ちょっと嫌な感じの空想になってきたので、空想をやめにして、景色を眺める。
黄色い花が咲いている。今回、その「日本の公園」のそこかしこに、この黄色い花が咲いていて、どんよりとした神秘的な空の下、色を添えてくれた。
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平戸大橋を渡って、平戸市街を通り抜けて道はやがて上り坂。先に行く人はびゅんびゅん飛ばして先に行ってしまった。
別にそんなに急がなくてもいいのに、とぼくは思う。きのうはリュックを背負って、肩こりに悩みながら走ったぼくであるけれど、今日は10キロおきに、あみりん氏がエイド食とエイドドリンクを用意したクーラーボックスを置いてくれている。だから忌々しいリュックを背負って走る必要がない。これだけでもう、駄マラニック「天国」という感じ。

しかし風が強い。この風なんとかならないものか。
と思ったら、「駄マラニック」の幟旗を持って走っていくおじさんがいた。
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コーセー先生である。
去年の平戸島ではエイドをしてくださったコーセー先生であるけれど、今回はランナーとして走っておられるのだ。それもただ走るのではなくて、なんだか「駄マラニック」の旗を持って走っておられる。
普通の天気ならいいんだけど、今日は物凄く風が強い日である。
大変だと思う。
でも、ヨットって向かい風でも走れるらしい。
だからきっと駄マラニックの旗を持って、向かい風でも走れるのではないだろうか。よくわからないけど。


やがて、10キロエイド、あみりん氏の奥さんが、風に吹きまくられる中、必死で「駄マラニック」の幟旗を死守して立っていた。なんだか南極のスコット隊のような風情である。エイド食は、かっぱ巻き。梅が、クエン酸だと思う。
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そこにあみりん氏が駄マラカーで走ってくる。聞くと、本日珍しく10キロエイドの設営が遅れたらしい。
ぼくも実は知らなかったのだけれど、駄マラニックのエイドは、スタート後にあみりん氏が先回りして設営するのである。それが、今回皆、勢い込んで飛ばすのと、参加者が36人と多数であるのとかいろいろで、設営が間に合わなかったらしい。

「遅いがエライ大会」なのだから、速い人がエイドが間に合わなくても別にいいと思うのだが(とくに今日は喉が渇く天気でもないし)、あみりん氏は先回りして、臨時エイドを設営するらしい。ということで、あみりん奥さんを残して、駄マラカーは出動してしまった。
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平戸市街を過ぎて、生月大橋方面に右折し、どんどん田舎道を走っていくと、海辺のループ橋に出る。
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このループ橋、ちょっといい感じである。
どんよりとした空の下、遠くに海が見える。
まさに島、という感じ。
ぼくは、ちょうど海をわたる船乗りみたいな気分になって、のんびり走っていく。
昔、船乗りの話が好きだった。
たとえば、トール・ヘイエルダールの「コンティキ号漂流記」。
昔のポリネシア人の使っていたいかだで南太平洋を漂流しよう、という学者の冒険記である。たぶん見えるのは水平線だけ。そんな状況だと、きっとあがいてみても仕方ないという気分になると思う。
今のぼくも、そんな気分。

走っているとヒマなので、思い出すのはハワイのこと。池澤夏樹さんの「ハワイイ紀行」はとても楽しい本だ。
昔の船乗りは、星の羅針盤(スターコンパス)を使って、島影も見えない太平洋をはるか航海したらしい。
ハワイではその技術はすでに失われていたのだが、その技術を伝えている人がいた。ミクロネシアのサタワル島のマウ・ピアイルグという人。その人を招いて、ハワイの人たちが、ホクレア(北極星)という名前の昔のポリネシア風の船を作り、スターコンパスを使って太平洋を横断した。
これは今でもハワイの人たちが誇りにしている「ホクレア号」の話。

そんなことをぼんやり考える。走りながら、ぼくも海を漂う船乗りの気持ちになり、もう自然とかいろんなものに逆らっても仕方がないという気持ちになる。空を見上げると相変わらずどんよりとした雲の間から、ちょっとだけ光が見えはじめている。平戸島のコースは反時計周りなので、だいたい右側が海になる。その海ははるか南太平洋までつながっているのだ。
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遠くに生月大橋が見えてきた。ここで道は左折して山側に入る。そして、つづら折れの山道を登ってゆく。
下をながめると、また幟旗を持って走っているコーセー先生の姿が見える。
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しばらく走ると、20キロエイドに到着する。
エイド食は、平戸名物「牛蒡餅」だ。
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ここで、駄マラニック若手期待の星であるKさん(33歳)と会う。
Kさんは今年の、橘湾岸スーパーマラニックのWコース(273キロ)の金龍(完走者)である。

そして、ぼくはここからはKさんとゴールまでご一緒してもらうことになるのだった。
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Kさんは饒舌である。ぼくはそれに相槌を打つ。いろんな話。
Kさんが走り始めて間もない頃、大会で大先輩であるランナーと会った。その人はKさんの走りを見て、こういったそうなのである。

「道とけんかするな。道とけんかしたって勝てん。俺の走りをみていろ」

いい話である。あたかも、ブルース・リーの「Don’t think, feel!」を思い出すエピソードではないか。
それからマラニックの走りに開眼したKさんは、今年のWコースを見事完走するに至るのであった。

もうひとつKさんと話したこと。同じ人がこう言ったらしい。「足の痛みは走っていればそのうち消える」

これもなんだかいい話である。

やがて道は、根獅子(ねしこ)の浜につく。
シーズンオフのビーチは美しい。
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Kさんはぼくのペースに合わせて走ってくれる。やがて30キロエイド。エイド食はいなり寿司である。
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そのうちに、紐差の天主堂にさしかかる。
12時をもう回っていて、天主堂の鐘の音は聴けない。
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走っていると、40キロエイドで、前を走っているランナーに追いつく。
エイド食は、イモモチである。あみりん氏の好物だそうであるけれど、これを食べて全力で走ると、腹が痛くなるのが玉に瑕。たぶん「速く走らないように」というトラップなのである。
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追いついたランナーはN先生。靴もN(ニューバランス)の靴である。実は私の高校時代の恩師であり、また『筑後川マラソン』のカッパの中身であり、実はこの先生も、橘湾岸273キロの金龍なのだった。
公園は、いろんな人々との出会いの場でもあったのである。

しばらく一緒に走る。

とやがて川内漁港にさしかかり、N先生はすり身揚げが食べたかったようなのだが見つからず。残念。
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KさんとN先生が、金龍同士でないとわからない話に興じている。「200キロ過ぎると、キロポストが人間に見えるよね!」「見えます見えます!」…。

273キロを走ると、ナチュラルで幻覚が見えるらしいのだ。
感心しつつ走る。

右手に海をみながら4人でのんびり走っていると、「鄭成功生誕石」なるものが浜辺にある。
鄭成功は、平戸で密貿易をやっていた鄭芝龍と田川マツの間に、1624年に生まれた人らしい。そのマツが産気づいたのがここだということ。
鄭成功は7歳で中国へ渡って成長し、明の国が、北方民族である清に滅ぼされようとするときに、明の王を奉じて戦った人らしい。結局、鄭成功は明の復興を果たすことはなかったが、日本風のヨロイをつけた武者を指揮して戦って戦果をあげたり、台湾を征服して清への抵抗を続けた。近松門左衛門が「国姓爺合戦」という浄瑠璃を作って大ヒットしたとか。
ちなみに、鄭成功は「お前に国の姓である『朱』の姓を使うことを許そう」と言われて「めっそうもない」と辞退したのだが、それを「国姓を使うことを許されたおじさん」的に『国姓爺』というのだそうである(以上ウィキ調べ)。

平戸はやはりはるか異国とつながっていたのである。
異国とつながっている海をみながらだらだら走る。
相変わらずの曇り空だが、だいぶん晴れてきた。

と、ホテル蘭風の前で、N先生の連れの方が転倒。先へ行って欲しいとのことなので、先へ行く。しかし心配。実はN先生自身も、ランニングの大会で転倒して腕の手術をされておられるのだけれど、連れの方の先日手術をされたばかりだそうなのである。傷が悪化したのではないか、と案じながら走る。
遠くに平戸大橋の赤い姿が見える。

しかし見えるばっかりで、走っても走ってもちかづかない。
思わず「走っても走っても遠い橋」などと自由律俳句を詠みたくなってきた。
おまけに、珍しく終盤に真面目に走るもんだから、さきほどのイモモチが胃袋の奥で暴れ出してしまった。
簡単に言うと、腹痛になってきたのである。

難儀なこっちゃなあ、とボヤキながら走る。
いや、楽しいのですよ。Kさんに加えていつのまにかEさんも追いついてきて同行3人。3人で走るのは楽しいのだけれど。それでも平戸大橋、なかなか近づかないのだ。それがちょっとしんどい。
「橋ちゃんまだか」
「橋ちゃん橋ちゃん」
「あの角曲がると橋ちゃんかいな」
などとぼやきつつ、珍しく連れの先に立ってあこがれの橋ちゃん目指してがんばる中年であった。


としばらく走ると、さすがに平戸大橋に到着。
前を走るEさんと、Kさん。
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振り向くと、今まで走ってきた道がはるか遠くに見えた。
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さて、ゴール時間は3時ぐらいだったかもしれない。別にタイムに興味はないからいいのである。
あみりん氏が待っていて、写真を撮ってくれた。

N先生と連れの方も笑顔で戻って来られて安心する。
ぼくは、田平公園のトイレでさしあたり汗を拭き、タオルで体を拭いて、松浦鉄道で家まで帰った。
そして、今、10周年記念の駄マラカップで、もずくスープを飲んでいるのです。
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あみりん氏の駄マラニックのホームページhttp://damaranic.com/をみると、あみりん氏が今まで走ってきた大会や、主宰してきた駄マラニックの大会が、年代記みたいに並んでいる。
すでに、「佐世保フル駄マラニック大会」(12月22日開催予定の「九州で一番遅い(いろんな意味で)フルマラソン大会」だ)など、新しい大会も始まっている。
駄マラニックはまた次の10年に向けて、駄マラカーでエイドを設営したり、白線引きで線を引いたりしながら、歴史を刻んでいくのだった。

祝、10周年!



ちなみに、来年もあみりん氏は、「月1回フルマラソン大会を開催する男」を続けるそうである。
(なお、開催日は毎月第2日曜日に変更とのこと)