新年あけましておめでとうございます。
ところで、昨年の暮れの12月22日に、佐世保で開催された、第1回佐世保フル駄マラニックに参加してきたのです。
本来なら、早速いつもの駄文を書き飛ばすところなのだけれど、今回は、果たしていいのか、感想を書いてもいいのか?という躊躇がある。
というのは、今回、ぼくは完走していないのである。のみならず、最初から意図的に「ワープ」するつもりで「ワープ」しているので。
真面目なランナーの人が聞いたら、怒るかもしれない。
ただ、駄マラニックはそんな不真面目なランナーでも許される懐の深い大会である、と理解していただきたい。
今回の佐世保フル、実は22日の夜には大阪で、とある大会に出る予定があった。
スポーツの大会ではない。「大喜利」というトンチの大会みたいなものだ。ぼくは前、関西に住んでいたとき、生大喜利の大会に混ぜていただいていた。九州に越してからはしばらく遠ざかっていたのだが、久しぶりに「出ない?」とお誘いいただいたのである。
さて、困った。大喜利の大会にも出たいが、第1回の駄マラ、それも自分の出身地である佐世保で開催となれば、これは外せない。
両方に顔を出すには、長崎空港から飛行機に乗るしかない。
ところが、そのためには午後1時にはスタート地点に戻ってこなくてはならないが、佐世保フルのコースを午前9時に出て4時間で走り切るのはぼくの足では無理だ。
というわけで、今回は、あらかじめ「ワープ」予定の参加となったのである。

今回の佐世保フル、参加者数80名弱!という大盛況の大会になった。それどころか、佐世保のテレビ局が取材に来て、ぼくも「駄マラニックは遅いが偉い大会だし、完走しなくても完走状を送ってくれるし、初心者にとってはもう、最高の大会です。もちろんベテランも楽しめます」というようなことをペラペラとしゃべった記憶である。
第1回大会となると、人間以外にもいろんなものが参加するようだ。

河童さんも、福岡県は久留米から参加している。
実はこの河童さん、今年の青島太平洋でもちょっと見かけた記憶がある。
中身は、かの橘湾岸273キロの金龍である。
コスチュームランナーは中身は本格派なのだ。
そんなことを考えつつ、いつのまにか午前9時になってスタート。
今回の佐世保フルのコースは、佐世保の周りをぐるっと回るコースである。
佐世保市は、リアス海岸の入り江に広がる街だが、その東には烏帽子岳、その北には弓張岳がそびえている。
今回のコースは、入り江の町から、烏帽子岳方面に走り、隠居岳(かくいだけ、と読む)へ走り登り、烏帽子岳の裏をずーっと走り、いったん、国道207号線まで下りてきて、今度は弓張岳へ走り登り、鹿子前(かしまえ、と呼ぶ)の入り江に下りてきて、佐世保重工業(SSK)を横目に見ながら、スタートラインに戻ってくるというコースである。
つまり、山登りの連続である。実はこれ、地元のランニングクラブ「MRCさせぼ」のトレーニングコースであり、脚力がつきそうなコースである。と、ともに、実は佐世保育ちのぼくにとっては懐かしいコースである。小学校の遠足のコースだったりもするのだ。

そんなことを考えつつ、人間プラス河童さんは、大宮町方面に走って行く。

大宮公園。
小さかったぼくは、この公園で遊んでいた。この公園の隣に、たこ焼き屋さんがあった。
ソース味で、表面がカリッとして、とてもおいしかった記憶だ。
その店はいまはない。
大宮町は道が狭い。今回のコースでは一番、走るのに気を使うコースかもしれない。
道はやがて下りになり、日宇の国道沿いを走って行く。
そして、黒髪町を隠居岳方面に登って行く。
今日は12月22日だから、寒いのではないかと予想していた。
しかし、意外と暖かいのである。
河童さんも、きっと暑いだろう。
河童さんは著名人である。周りのランナーといろいろお話をしている。
河童さん名言集。
「コスチュームランナーは、脱ぐときはリタイアと思え、ですよ」
きっと暑いのだが、河童さんは河童を脱がない。
「一度これを着ると、病み付きになるんですよね」
そうだと思っていた。
ぼくはきっとはまると思うので、コスには手を出さないことにしようと心に誓った。
道はまったく田舎道になり、のどかな登り道。
ここを上って行くのだあ、と見上げる。
坂とくれば、「つな引き」であり、「つな引き」とくれば坂である。
そこを、見覚えのある車。

あみりん氏の駄マラカーである。
あみりん氏の奥様が、車の中から素敵な笑顔で手を振って下さる。
あみりん氏が車の中から、「つーなーひーき、つーなーひーき!」と声をかけてくださるではないか。
ぼくも勢い込んで、坂を走って登る。
心なしか足が軽い。
ずいぶん登ってきた。見渡せば、これまで走ってきた佐世保の街がはるか見える。
爽快爽快
MRCさせぼの人達は、いつもこんなに気持ちの良い思いをしているのか。

隠居岳はウィキペディアによれば、その昔は火山であったようである。
今佐世保と佐賀県は伊万里市の間にそびえる「国見山」という山があるのだが、隠居岳はそれと一連の火山だったようなのである。
火山の噴火によって作り上げられた溶岩台地が、浸食されて現在の地形を作り出したのだ、そうである。
どうりで、多彩で楽しい地形だ。
山を登り、隠れ里みたいな平地を抜けたりしながら、やがて、第一エイド。

エイド食は「河童巻き」であった。
まさかあみりん氏も、事前に河童の参戦を知っていたわけではないと思うが、河童の共食いである。
さて、さしもの上り坂も、ようやく緩やかになってくる。
あたりの景色は、軽井沢を思わせる景色である。
軽井沢の中をぼくは、楽しく走って行く。

山の中に入ってきて、やや涼しい感じになってきた。
ところどころ、雪が残っている。

途中、直進すると烏帽子岳の近道であるが、そこをコースは右折する。
間違って直進してしまったランナーがいた。
もっとも、佐世保フルのコースは、走って行けばどこかに出るので、別にコースアウトなんかも気にする必要はないのだ。
駄マラならではといえるかもしれない。
右折して、坂道を下る。これから、きもちよく下ってゆく。
プチ軽井沢を走って行く。

ここから道は隠居岳を離れて、烏帽子岳の「青少年の天地」へ向かっていく。
涼しくて、走りやすい。
烏帽子岳は、小学校の登山で上ったことがある。今はないかもしれない「鍛錬遠足」という奴だ。
この年になって、鍛錬遠足をやるとは思わなかった。
道はほとんど平坦で、走りやすい。
教会みたいな建物を横目に見ながら、走って行く。

ずーっと行くと、20キロエイド。
フツーの民家の前のエイドである。もちろん、あみりん氏は事前に了解を得ている。
しかし、飼い犬の了解は得ていなかったようで、犬がやたらと吠える。
おどかしてごめんよごめんよ、といいつつ、クーラーボックスを開ける。

エイド食は「コーヒー大福」だ。
これ、意外とおいしいのよね。のどの渇きも癒えるし。
そこに走ってきた別のランナーの人がいた。
「エイドですよー。どうですか?コーヒー大福ですよー」と話す。
でも、その人はエイドを通過して走って行ってしまった。
そんなに急いでどこへ行く。
とは、言うものの、ぼくも時間が気になってきた。
今日は、午後2時の空港行バスに乗らなくてはいけない。
どこかでワープをしないといけないのだ。

まだ、大丈夫そう。
テレビ塔を通り、巨大な十字架を見ながら走って行く。


コースは、木立の中の狭い舗装道路になる。
ここには見覚えがある。小学校のときの鍛錬遠足のコースである。

木立の間から、佐世保の街が見える。
どれだけ走っただろうか。
道は、山の田の水源地の裏山へ降りてきた。

山の田の水源地は、ぼくが小学校の頃、遊びに来たところである。
この小さなダムの前の池で、半ズボンの上まで水につかり、ハヤを取って遊んだのが懐かしい。

今でもなんだか、小さなぼくが遊んでそうな風景を遠くに見ながら、僕は山の田の水源地を下って行った。
ところで。
ここでぼくはちょっとミスコースをしてしまったらしい。
自分の出身地だという心やすさと、懐かしがっているうちに、道を見失ってしまい、「→」が見えなくなってしまったのだ。
まあ、いいさ、とぼくは思う。
どこかでコースと、まためぐり合うはずだ。
国道沿いの道にでて、しばらく走る。ここから右へ入り、弓張岳方面の道に入ればいいのだ。
テキトーなところから、坂を上って走って行くと、→発見!ほらね

ここを行くと、梅田町。
ぼくは小学校低学年の頃、梅田町に住んでいた。
八幡小学校である。
八幡小学校は、今は保立小学校と統合されてしまったので、存在しない。
梅田町の懐かしい道を走る。
小学校の帰りに、Iちゃんという女の子の家に、当然のように寄ると、顔見知りだったので、ハチミツを水で溶いたやつとか、いちごジュースとかが出てきた。
Iちゃんの家は、今はどうなったのかよくわからないけど、すごく懐かしい。
懐かしみつつ走る。

今回、懐かしんでばかりいる感じである。
懐かしんでいるうちに、30キロエイド。

エイド食は、おなじみの「いなりずし」である。

ふと眼下に広がる街を見る。
ぼくの通った、八幡小学校が見える(今は小学校ではないのだが)。

思い出す。小学校を卒業してから、ぼくは成人するまでこの街を離れていた。
この街に戻ってきたのは、30歳を過ぎてからである。
仕事でこの街に戻ってきたのだ。
そして、この街に住んでいる間に、母と父が相次いでこの世を去った。
その意味でも、忘れがたい街、佐世保。

しかし、いつまでも懐かしんでいるわけにもゆかなかった。
30数キロを過ぎ、矢峰町の郵便局を通りすぎたあたりで、時間はやがて、正午を回ろうとしていたのだ。
この先は、弓張岳登山のコースである。遠足でも、よく行ったコースで、とても懐かしい。
「しいたけ園」なんていう、焼きしいたけを食わせる店などもあったのだ。
しかし、そちらへ行っていたら、おそらく間に合わないだろう。
ぼくは決断した。宇宙戦艦ヤマト、の沖田艦長よろしく。
「ようし、ワープだ。」
「エネルギー充填120パーセント」
「エネルギー充填120パーセント」
それから、ぼくは光に包まれて、気が付いたら米軍佐世保基地の前にいた。
ワープしたのである。
時間は午後1時近かった。
後ろから、鍛え上げた足のランナーの人たちが走ってきてぼくに追いつく。
「い、いえ、ワープしたんです。」しどろもどろに弁解するぼく。
彼らはぼくを追い抜いて行った。
やがて駅の裏、スタート地点に戻ってきたときには午後1時を少し回っていたぐらいだろうか。
あみりん氏に、「完走状」用の写真を撮ってもらう。完走していないので後ろめたい。
「ワープ」のポーズを取って、写真に写る。
あみりん奥さんが、別の車で、預かっていた80人分の荷物を持ってきて、配る。
荷物を受け取って、トイレで着替えて、あみりん氏に挨拶をしてお別れした。
こんな風に、ぼくの、第一回の佐世保フル駄マラニックが終わった。
さて、ぼくはそのあと、大阪に飛び、大喜利の大会で、「どこでもドアが普及した未来にはこんなことが起こる」というお題に「低廉な中国製ドアがどこでも爆発する」などと答えたりして、結局大喜利大会で一回戦敗退をしたりするのだけれど、そんなことはどうでもよいことなので割愛したい。
今までつらつら書いてきたことはどうでもよいのだけれど、これだけはみなさんに対して、強調しておきたい。
今年の「佐世保フル駄マラニック」は12月28日予定。
とても楽しい大会ですよ、みなさん是非「九州で最も遅いフルマラソン大会」にこぞってご参加を!
エントリーは「スポーツエントリー」からも可能で、3000円。
もちろん今度は、ぼくも文字通りの完走を目指して、参加するつもりです。
ところで、昨年の暮れの12月22日に、佐世保で開催された、第1回佐世保フル駄マラニックに参加してきたのです。
本来なら、早速いつもの駄文を書き飛ばすところなのだけれど、今回は、果たしていいのか、感想を書いてもいいのか?という躊躇がある。
というのは、今回、ぼくは完走していないのである。のみならず、最初から意図的に「ワープ」するつもりで「ワープ」しているので。
真面目なランナーの人が聞いたら、怒るかもしれない。
ただ、駄マラニックはそんな不真面目なランナーでも許される懐の深い大会である、と理解していただきたい。
今回の佐世保フル、実は22日の夜には大阪で、とある大会に出る予定があった。
スポーツの大会ではない。「大喜利」というトンチの大会みたいなものだ。ぼくは前、関西に住んでいたとき、生大喜利の大会に混ぜていただいていた。九州に越してからはしばらく遠ざかっていたのだが、久しぶりに「出ない?」とお誘いいただいたのである。
さて、困った。大喜利の大会にも出たいが、第1回の駄マラ、それも自分の出身地である佐世保で開催となれば、これは外せない。
両方に顔を出すには、長崎空港から飛行機に乗るしかない。
ところが、そのためには午後1時にはスタート地点に戻ってこなくてはならないが、佐世保フルのコースを午前9時に出て4時間で走り切るのはぼくの足では無理だ。
というわけで、今回は、あらかじめ「ワープ」予定の参加となったのである。

今回の佐世保フル、参加者数80名弱!という大盛況の大会になった。それどころか、佐世保のテレビ局が取材に来て、ぼくも「駄マラニックは遅いが偉い大会だし、完走しなくても完走状を送ってくれるし、初心者にとってはもう、最高の大会です。もちろんベテランも楽しめます」というようなことをペラペラとしゃべった記憶である。
第1回大会となると、人間以外にもいろんなものが参加するようだ。

河童さんも、福岡県は久留米から参加している。
実はこの河童さん、今年の青島太平洋でもちょっと見かけた記憶がある。
中身は、かの橘湾岸273キロの金龍である。
コスチュームランナーは中身は本格派なのだ。
そんなことを考えつつ、いつのまにか午前9時になってスタート。
今回の佐世保フルのコースは、佐世保の周りをぐるっと回るコースである。
佐世保市は、リアス海岸の入り江に広がる街だが、その東には烏帽子岳、その北には弓張岳がそびえている。
今回のコースは、入り江の町から、烏帽子岳方面に走り、隠居岳(かくいだけ、と読む)へ走り登り、烏帽子岳の裏をずーっと走り、いったん、国道207号線まで下りてきて、今度は弓張岳へ走り登り、鹿子前(かしまえ、と呼ぶ)の入り江に下りてきて、佐世保重工業(SSK)を横目に見ながら、スタートラインに戻ってくるというコースである。
つまり、山登りの連続である。実はこれ、地元のランニングクラブ「MRCさせぼ」のトレーニングコースであり、脚力がつきそうなコースである。と、ともに、実は佐世保育ちのぼくにとっては懐かしいコースである。小学校の遠足のコースだったりもするのだ。

そんなことを考えつつ、人間プラス河童さんは、大宮町方面に走って行く。

大宮公園。
小さかったぼくは、この公園で遊んでいた。この公園の隣に、たこ焼き屋さんがあった。
ソース味で、表面がカリッとして、とてもおいしかった記憶だ。
その店はいまはない。
大宮町は道が狭い。今回のコースでは一番、走るのに気を使うコースかもしれない。
道はやがて下りになり、日宇の国道沿いを走って行く。
そして、黒髪町を隠居岳方面に登って行く。
今日は12月22日だから、寒いのではないかと予想していた。
しかし、意外と暖かいのである。
河童さんも、きっと暑いだろう。
河童さんは著名人である。周りのランナーといろいろお話をしている。
河童さん名言集。
「コスチュームランナーは、脱ぐときはリタイアと思え、ですよ」
きっと暑いのだが、河童さんは河童を脱がない。
「一度これを着ると、病み付きになるんですよね」
そうだと思っていた。
ぼくはきっとはまると思うので、コスには手を出さないことにしようと心に誓った。
道はまったく田舎道になり、のどかな登り道。
ここを上って行くのだあ、と見上げる。
坂とくれば、「つな引き」であり、「つな引き」とくれば坂である。
そこを、見覚えのある車。

あみりん氏の駄マラカーである。
あみりん氏の奥様が、車の中から素敵な笑顔で手を振って下さる。
あみりん氏が車の中から、「つーなーひーき、つーなーひーき!」と声をかけてくださるではないか。
ぼくも勢い込んで、坂を走って登る。
心なしか足が軽い。
ずいぶん登ってきた。見渡せば、これまで走ってきた佐世保の街がはるか見える。
爽快爽快
MRCさせぼの人達は、いつもこんなに気持ちの良い思いをしているのか。

隠居岳はウィキペディアによれば、その昔は火山であったようである。
今佐世保と佐賀県は伊万里市の間にそびえる「国見山」という山があるのだが、隠居岳はそれと一連の火山だったようなのである。
火山の噴火によって作り上げられた溶岩台地が、浸食されて現在の地形を作り出したのだ、そうである。
どうりで、多彩で楽しい地形だ。
山を登り、隠れ里みたいな平地を抜けたりしながら、やがて、第一エイド。

エイド食は「河童巻き」であった。
まさかあみりん氏も、事前に河童の参戦を知っていたわけではないと思うが、河童の共食いである。
さて、さしもの上り坂も、ようやく緩やかになってくる。
あたりの景色は、軽井沢を思わせる景色である。
軽井沢の中をぼくは、楽しく走って行く。

山の中に入ってきて、やや涼しい感じになってきた。
ところどころ、雪が残っている。

途中、直進すると烏帽子岳の近道であるが、そこをコースは右折する。
間違って直進してしまったランナーがいた。
もっとも、佐世保フルのコースは、走って行けばどこかに出るので、別にコースアウトなんかも気にする必要はないのだ。
駄マラならではといえるかもしれない。
右折して、坂道を下る。これから、きもちよく下ってゆく。
プチ軽井沢を走って行く。

ここから道は隠居岳を離れて、烏帽子岳の「青少年の天地」へ向かっていく。
涼しくて、走りやすい。
烏帽子岳は、小学校の登山で上ったことがある。今はないかもしれない「鍛錬遠足」という奴だ。
この年になって、鍛錬遠足をやるとは思わなかった。
道はほとんど平坦で、走りやすい。
教会みたいな建物を横目に見ながら、走って行く。

ずーっと行くと、20キロエイド。
フツーの民家の前のエイドである。もちろん、あみりん氏は事前に了解を得ている。
しかし、飼い犬の了解は得ていなかったようで、犬がやたらと吠える。
おどかしてごめんよごめんよ、といいつつ、クーラーボックスを開ける。

エイド食は「コーヒー大福」だ。
これ、意外とおいしいのよね。のどの渇きも癒えるし。
そこに走ってきた別のランナーの人がいた。
「エイドですよー。どうですか?コーヒー大福ですよー」と話す。
でも、その人はエイドを通過して走って行ってしまった。
そんなに急いでどこへ行く。
とは、言うものの、ぼくも時間が気になってきた。
今日は、午後2時の空港行バスに乗らなくてはいけない。
どこかでワープをしないといけないのだ。

まだ、大丈夫そう。
テレビ塔を通り、巨大な十字架を見ながら走って行く。


コースは、木立の中の狭い舗装道路になる。
ここには見覚えがある。小学校のときの鍛錬遠足のコースである。

木立の間から、佐世保の街が見える。
どれだけ走っただろうか。
道は、山の田の水源地の裏山へ降りてきた。

山の田の水源地は、ぼくが小学校の頃、遊びに来たところである。
この小さなダムの前の池で、半ズボンの上まで水につかり、ハヤを取って遊んだのが懐かしい。

今でもなんだか、小さなぼくが遊んでそうな風景を遠くに見ながら、僕は山の田の水源地を下って行った。
ところで。
ここでぼくはちょっとミスコースをしてしまったらしい。
自分の出身地だという心やすさと、懐かしがっているうちに、道を見失ってしまい、「→」が見えなくなってしまったのだ。
まあ、いいさ、とぼくは思う。
どこかでコースと、まためぐり合うはずだ。
国道沿いの道にでて、しばらく走る。ここから右へ入り、弓張岳方面の道に入ればいいのだ。
テキトーなところから、坂を上って走って行くと、→発見!ほらね

ここを行くと、梅田町。
ぼくは小学校低学年の頃、梅田町に住んでいた。
八幡小学校である。
八幡小学校は、今は保立小学校と統合されてしまったので、存在しない。
梅田町の懐かしい道を走る。
小学校の帰りに、Iちゃんという女の子の家に、当然のように寄ると、顔見知りだったので、ハチミツを水で溶いたやつとか、いちごジュースとかが出てきた。
Iちゃんの家は、今はどうなったのかよくわからないけど、すごく懐かしい。
懐かしみつつ走る。

今回、懐かしんでばかりいる感じである。
懐かしんでいるうちに、30キロエイド。

エイド食は、おなじみの「いなりずし」である。

ふと眼下に広がる街を見る。
ぼくの通った、八幡小学校が見える(今は小学校ではないのだが)。

思い出す。小学校を卒業してから、ぼくは成人するまでこの街を離れていた。
この街に戻ってきたのは、30歳を過ぎてからである。
仕事でこの街に戻ってきたのだ。
そして、この街に住んでいる間に、母と父が相次いでこの世を去った。
その意味でも、忘れがたい街、佐世保。

しかし、いつまでも懐かしんでいるわけにもゆかなかった。
30数キロを過ぎ、矢峰町の郵便局を通りすぎたあたりで、時間はやがて、正午を回ろうとしていたのだ。
この先は、弓張岳登山のコースである。遠足でも、よく行ったコースで、とても懐かしい。
「しいたけ園」なんていう、焼きしいたけを食わせる店などもあったのだ。
しかし、そちらへ行っていたら、おそらく間に合わないだろう。
ぼくは決断した。宇宙戦艦ヤマト、の沖田艦長よろしく。
「ようし、ワープだ。」
「エネルギー充填120パーセント」
「エネルギー充填120パーセント」
それから、ぼくは光に包まれて、気が付いたら米軍佐世保基地の前にいた。
ワープしたのである。
時間は午後1時近かった。
後ろから、鍛え上げた足のランナーの人たちが走ってきてぼくに追いつく。
「い、いえ、ワープしたんです。」しどろもどろに弁解するぼく。
彼らはぼくを追い抜いて行った。
やがて駅の裏、スタート地点に戻ってきたときには午後1時を少し回っていたぐらいだろうか。
あみりん氏に、「完走状」用の写真を撮ってもらう。完走していないので後ろめたい。
「ワープ」のポーズを取って、写真に写る。
あみりん奥さんが、別の車で、預かっていた80人分の荷物を持ってきて、配る。
荷物を受け取って、トイレで着替えて、あみりん氏に挨拶をしてお別れした。
こんな風に、ぼくの、第一回の佐世保フル駄マラニックが終わった。
さて、ぼくはそのあと、大阪に飛び、大喜利の大会で、「どこでもドアが普及した未来にはこんなことが起こる」というお題に「低廉な中国製ドアがどこでも爆発する」などと答えたりして、結局大喜利大会で一回戦敗退をしたりするのだけれど、そんなことはどうでもよいことなので割愛したい。
今までつらつら書いてきたことはどうでもよいのだけれど、これだけはみなさんに対して、強調しておきたい。
今年の「佐世保フル駄マラニック」は12月28日予定。
とても楽しい大会ですよ、みなさん是非「九州で最も遅いフルマラソン大会」にこぞってご参加を!
エントリーは「スポーツエントリー」からも可能で、3000円。
もちろん今度は、ぼくも文字通りの完走を目指して、参加するつもりです。
コメント
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計画的ワープした私が言うのもなんですが、佐世保フルも松浦フルと同様、自然いっぱいのステキなコースでしたよ。
今年もどこかの駄マラニックでお会いしましょう。