世の中には「街道マニア」という人たちがいるらしい、と知ったのは最近のことである。そのつもりで街を見てみると、街の景色がいままでとは違って見える。幅の広い国道から一歩裏道に入ってみると、道幅も狭く、道と家の境界も互い違いになっていたり、急に曲がっていたりする。道に面した建物も、明治時代を思わせる白い漆喰塗りの古い建物だったり、お寺だったり。疲れて立ち止まると、そこに古めかしい石碑が立っている。

で、本題に入るのだけれど、走ってばかりいた2月、23日の日曜日は、ぼくは、佐賀県は武雄市と嬉野市を舞台に行われた「武雄嬉野フル駄マラニック」を走ってきた。主催者は駄マラニックのシリーズでおなじみの「あみりん」氏。駄マラニックの中でも、もう7回目というから、歴史が長いシリーズだ。
公式マラソン大会である「佐賀さくらマラソン」がフルマラソン化したのが去年のことだから、佐賀県で開催されるフルマラソン大会としては、今やもっとも歴史の長い大会かもしれない。プライベート大会で、準備から何からなんでもあみりん氏が一人でやっているので、エイドは10キロ置きの無人エイドのみだし、沿道の人も熱狂的に応援してくれたりはしない。せいぜい普通の感じで、「なにごとですか?」と言われるぐらいだ。その代わりエントリー料は3000円と、お安くなっております。


この「武雄嬉野」の特徴は、そのコースが、いにしえの長崎街道をほぼ忠実になぞっている、ということ。長崎街道は小倉を出発して長崎まで伸びていた脇街道で、当時貴重だった砂糖などが運ばれたので「シュガーロード」の異名をもつ。そうか、だから沿線の佐賀では、ヨーカンや丸ボーロなどのお菓子が発展したのだな、とまあそういうことになっている。
この長崎街道は、実は武雄北方のあたりで2つにわかれている。もともと嬉野へは、南回りの塩田を通る塩田道が用いられていて、その後、洪水などが多かったため武雄温泉周りの北回りコース「塚崎道(柄崎道)」が使われるようになったという。この2つの長崎街道をつなぐと、あら不思議!42キロのフルマラソンのコースが出来上がる、というわけなのだ。

そんな400年の時間を超える足でゆく旅、それが「武雄嬉野フル駄マラニック(ちなみに「マラニック」とは「マラソン」+「ピクニック」の造語で、さいきんはあちこちで耳にするようになってきた)」なのだ!とやや盛り上がりつつ、その日の出来事を書いてみますね。

2月23日はとてもよい天気で、風はすずしく、絶好のランニング日和。
同じ日、嬉野の塩田のあたりでは、伝統の『鹿島ロードレース大会』が開催されるということで、まあよい天気でよかったよかった。こちらは陸上界の若いエースが全国から集まる大会である。その大会に隣接して、のんびりした「駄マラニック」開催というわけなのだが、一つ問題があった。駄マラニックは、公安委員会に届け出を出すでもなく、普通にまちなかで行われるので、コースはそこらへんのまちなかや川沿いである。ゼッケンの内側には地図が入っているのだが、縮尺が大きいので、だいたいの部分がわかるだけで、それほど細かなところはわからない。そこで、曲がり角や間違えやすいところには、大会当日、白線引きで引かれた「謎の矢印」が忽然と出現して参加者を導いてくれることになっている。
困ったことには、「武雄嬉野」のコース中、過去一番間違えやすい部分が、塩田の古い町並みを越して嬉野市役所を過ぎた、橋の手前部分である。この橋をつい渡りたくなってしまうのだが、これをわたってしまうと、ロードレースが開催されている鹿島へ行ってしまう。あまりに間違いが多かったので、例年、「駄マラニック」の幟を立てて注意喚起していたのだが、今年は鹿島ロードレースの幟が立ち並んでいるし、あまり大きな矢印を引くと、鹿島ロードレースの迷惑になるおそれがある。そこで、今回、ゼッケンの内側の地図におまけの詳細図がつけられていた。「このはしわたるべからず」というわけなのであるが、せっかちの多いランナーのこと、「はしのまんなか」を渡ってミスコースしてしまう人が出るのではないか、という心配であった。



さて、いつも単独参加が多いぼくだが、今回は知り合い3人を含めて4人で参加である。1人はヒロシ君。去年の7月の「松浦フル」以来の参加だ。そのときの顛末は以前の記事にも書いたが、30キロオーバーであまりの暑さのためリタイヤ(ワープ)。今日はその雪辱を期すべく、走り込んできたヒロシである。
もう1人は若い知り合いのホセ君である。いや、日本人なんですけどね、どこかエキゾチックな顔立ちは、「あしたのジョー」に出てきたホセ・メンドーサを思わせるクールな若者である。フルは初挑戦だが、いいタイムを出すべく自信満々だ。最後はやっぱり若い鹿児島君。いや大分君だったかもしれない。まあそういう県名っぽい人で、常にしゃべり方はていねいだが、有無をいわさない芯の強さも感じる。今日はその芯の強さで、5年前の「指宿菜の花マラソン」以来のフルマラソンでの完走を狙っているようである。

そんな感じで今回の駄マラニックは賑やかに始まった。

絶好の天候とコースに恵まれて、今回の「武雄嬉野フル」は参加者70名超、と賑やかな大会になった。あみりん氏から選手宣誓を依頼されて、どんな宣誓をしようかを考える。実はあまり宣誓のことばかり考えていたので、ここでトイレに行くのを忘れてしまった。というか、仲間と話すのが楽しくて、トイレについ、行きそびれたというのもある。これが後で失敗のたねになるのだが。

「宣誓。我々駄マラ―は、駄マラニック精神に則り、旧長崎街道の風情を楽しみつつコースを楽しみ、途中でこらもうアカンと思ったら躊躇なくタクシーやバスを利用し、ニコニコ元気にゴールまで戻ってくることを誓います。選手代表」

こんな感じの宣誓をして、心の正しいひとにしか見えないスタートラインを超えて70名のランナーは午前9時の武雄市役所前を、てんでんばらばらにスタートした。



140223_0903~0001




スタートしてすぐ北へ向かうと、見えてくるのはお馴染みの武雄温泉の楼門である。東京駅を設計した辰野金吾の作品で、釘を一本も使っていない。

楼門の前で右折すると、もうそこは旧長崎街道の塚崎道だ。つまり武雄温泉のことを昔、「塚崎宿」と呼んだのである。朝のあかるい日差しの中を、道はときどき曲がりながら、東の方へと伸びている。まだランナーは団子状態である。その団子が少しずつ、少しずつのびて、緩んでくる。
ヒロシくんは意気込みよろしく、先へ行ってしまった。ぼくは、ホセ君や大分くんと一緒に団子の中をのんびり走っていく。

「私は途中から歩きますから」
と大分君

日曜日の朝、やや交通量が多く、人数の多いマラニックはヒヤヒヤするけれど、いい気分。

国道に出て、高速道路の下をくぐり、また道を渡り、裏道の旧街道へ入る。
道行く人には「おはようございます」と挨拶をする。
だいたい、マラニックなどやっている人は怪しいに相違なく、それが証拠に決まって飼い犬はこちらの姿を見かけると吠えてくる。そんな怪しさを少しでも打ち消すべく、さわやかに挨拶をすることにしているのだ。

140223_0954~0002


神社の前で右は南に方向を変え、ここからは塩田道へ入っていく。
見晴らしのよい田んぼの中を橋を越えてしばらく走ると、10キロエイド。


140223_1014~0001

140223_1012~0001


10キロエイドは、いちご大福だ。
駄マラニックはエイド食がちょっと変わっている。ふつうのマラソン大会では、バナナとかゼリーとかあんぱんとかがふつうだと思うけれど、駄マラニックのエイド食は、太巻き寿司であったり、いなりずしであったり、和菓子であったりする。ときどきは、食べ過ぎてしまい走ると苦しかったりする。
しかしそれが楽しい。

再びスタートして、塩田へ向かって南下する。
この道をその昔、シーボルトや高杉晋作が歩んだのだと思うと、ちょっと楽しい。

140223_1026~0001


沿道には駄マラニックおなじみの牛もいた。

ここで、長崎君、じゃなかった大分君がちょっと遅れだす。
「30キロを目標に、ここからゆっくり行きますから」
いつも丁寧な大分君だ。
ホセ君やぼく、その他の人々は、大分君を置いて、先へゆく。

140223_1034~0001


ところで、ここまでぼくは、ホセ君と一緒に5,6人ぐらいのグループで走ってきたのだが、実はだんだんと便意を催してきていて、(スタート前に行っておけばよかったのだ)我慢しながら走るもんだから、だんだんと遅れ始めた。トイレトイレ、と思うのだけれど、そこはプライベート大会の悲しさ、公園のトイレやコンビニのトイレがあればそれを利用するしかないのである。おまけに、このあたりは田舎でコンビニもない。
体をヘンな具合にねじりながら、我慢して走る。と、ようやくファミリーマートがあったので、ホセ君に断って、離脱。

すっきりして店を出ると(当然エチケットとして、アクエリアスを買いましたよ)、もう誰もいない。
さて、体も軽くなったことだし、と、ペースを上げてぼくは走り出した。
なんだか調子がよい。
客観的に速いとか遅いとかにかかわらず、こういう瞬間が楽しくて、ランニングをしているのだとぼくは実感する。


調子よく走って、嬉野市役所近くの、塩田の古い町並みのすぐ手前が20キロエイドである。
エイド食は「桜餅」。ほんのりした桜色のあん餅が、桜の葉につつまれておいしそう。
takeoman



ちょうどあみりん氏が、20キロエイドを出るところであった。
140223_1126~0001


駄マラニックは、選手スタート後、あみりん氏自身が駄マラカーを運転して、エイドを設置したり、矢印が消えていないかを確認して回る。忙しいのである。

塩田の古い町並みを抜けて、川の方向へ。
140223_1131~0001


さて、ここで川を渡ってはいけない。渡ると、鹿島まで行ってしまう。
よく見ると、橋の手前に、川沿いの道に沿って小さな、ささやかな矢印が引いてある。
間違えて渡った人がいなければいいが、と思う。

塩田は長崎街道の途中の宿場町であるが、長崎街道には塩田から船で長崎へ渡るルートもあったそうである。
ちなみにその後、塩田道自体は、洪水が多いので、途中から使われなくなり、本日の後半のルートである塚崎道を使うようになったということだ。

140223_1148~0001
140223_1148~0002


しばらくのどかな川沿いの道を走る。菜の花が咲いている。

ここで前を歩いている人がいる。見ると、大分君であった。ぼくはずいぶんゆっくり、トイレに入っていたようである。
大分君に挨拶。「暑くない?」「いや、ゆっくり歩いているので、冷えてきました。私はゆっくり行きますので」
やっぱり丁寧な大分君である。

さらに川沿いの道をゆくと、ベテラン女性ランナーのTさん。
Tさんは、これまで1000回以上、フルマラソンを走ってきたという超絶のベテランランナーである。
ご本人の話だと、1012回だそうだ。
ベテランらしく、確実な足取りで走ってゆく。
「このあと、迷いやすいところとかないですかね」と聞かれる。
「大丈夫だと思いますよ。ちょっと変わったところは走りますけれど」とお返事する。

川沿いを離れて、道は北上する。
北上してしばらく行くと、なにか特養ホームのような施設の方向へ行く。
分岐点に、標識がある。やっぱりここも長崎街道なのである。
140223_1230~0001


道は、ここからしばらくゆくと、ちょっとした山の中に入る。ここは長崎街道の往時の姿を残している山道(と思われるところ)だ。

その手前の公園で30キロエイド。エイド食はいなりずしである。甘辛く煮たいなり皮に包まれた酢飯がおいしくて、癖になるのだが、ついつい食べ過ぎると、走れなくなる。
これを「もろ刃の刃」というんだったっけ。
140223_1232~0001
140223_1234~0001


はじめて「武雄嬉野」に参加すると、ここでミスコースしたかと思うかもしれない。でも、よく見ると長崎街道の標識は出ているのだが。時間を超えた迷子になった気持ちになる。
140223_1238~0001
140223_1239~0001


茶畑などを抜けて走る。走りぬけると、また広い道に出る。
少し行くと、嬉野秘宝館の看板が出ている。
温泉場の名物「秘宝館」は日本各地にあったが、時代の流れでどこも閉館が続いている。
この秘宝館も3月で閉まってしまうとのことである。
展示のライティングは、大阪万国博覧会を手掛けた人が手掛けているとかである。いわば文化財。
まあ、中身は大人向けなんでしょうけれど。
140223_1248~0001
140223_1248~0002
140223_1248~0003



さらにさらに走って行くと、おや、見慣れた後姿。ヒロシ君である。
足をやや引きずり気味であり、ちょっとつらそうだ。

追いついて、あいさつして、一緒に走ることにした。
ヒロシ君は、このあいだ30キロでリタイヤしたので、今日はリベンジに燃えている。
リベンジに燃えて、やや燃えすぎてしまったようだ。
フルマラソンは30キロを過ぎると足に来る。ペース配分を考えないと、後半、気ばかり焦って足が動かないということになりがちである(ぼくも)。
今日は完走を目的に、マイペースで走ろうということにする。

「ホセ君は?」「先に行きました」 さすがに若いホセ君は元気なようだ。

ところで、あまり早く走らないと、足の疲れがてきめんに違うことを実感。つまりもう35キロ地点だから、ふつうのマラソン大会では、気ばかり焦って全然走れない状態になっているところだ。しかし今日はまだまだ走れそう。ダッシュなんてこともできそうだ。

国道沿いをしばらく走る。ときどき振り返って、ヒロシ君の様子を見ると、元気そうである。トレーニングの成果、といったところか。
それにしてもいい天気だ。
140223_1321~0001


国道から左に入り、ダムへ向かう。
ダムへの登り道がちょっとしんどい。
140223_1333~0001


しかし、終わらない登りはない。やがて道は上り詰め、ダムの周回道へ入る。
しばらく気持ちの良いアップダウンのある道だ。

ダムの横に、39キロエイド。
140223_1345~0001
140223_1345~0002


エイド食はプチトマト。今年の熊本城マラソンでも、エイドに出ていたので、もしかしたら意外とポピュラーなのかもしれない。

ゆっくり休み、ダムの横の坂を下りる。ヒロシ君は、足に来ていてちょっとつらそうだ。
もっとも、ここまでくればもうゴールしたも同然である。

ダムの横の坂を下りて、武雄温泉に向かう道に入る。交通量が多い道で、歩道があるが、それほど楽しくない。
しばらく我慢して走り、道路を渡って、踏切を渡る。
長崎街道に踏み切りはなかったと思うが、この道も旧長崎街道である。
140223_1405~0001


道沿いに、白い漆喰の建物や、お寺などが点在する。これが旧街道の特徴だったりする。
ヒロシ君もついてくる。

鉤型道路を通り、武雄市役所へ走り、ゴール。
タイムは、だいたい5時間半ぐらい、というところ。
ゴールしたらホセ君が待っていた。5時間ぐらいでゴールインしたというが、けっこう足に来たという。

そうだ、鹿児島君、じゃなくて大分君はどうしたろう。
ヒロシ君とホセ君に、先に武雄温泉に行ってもらい、ぼくはしばらく大分君を待つ。

すると、若い子がゴールしてくる。向こうから母親が迎えにくる。聞いたら中学3年生ということ。ラグビー部に所属するらしい、元気な男の子である。フルマラソンの距離を走りぬいたことは、きっといい経験になるに違いない、とぼくは心の中で思った。
その男の子と同じグループの少年があと2人。1人は、あれれ、逆の方向から走ってきた。もちろん、駄マラニックはワープもOKであり、完走である。
一番最後に、父親が走ってくる。
家族って、いいなあ、と思う。


ぼんやり休んでいると、ミスター駄マラニックの、草のつくKさん。
不思議である。Kさんは、ぼくより先行していたはずで、ぼくは全然Kさんを抜いた覚えがない。さすが駄マラー。気づかれないようにバックを取る術でも持っているのか、と感心したら、聞くと、鹿島方面に走ってってしまったのだという。
大変だったろう。Kさんは、中学生と楽しそうに話している。まだ年の若いKさんは、中学生と並んでも、いい兄ちゃん、という感じである。


それを横目に見ながら、ぼんやりと、待っていると、マラソン1000回超ベテランのTさんが走ってくる。まったくペースに乱れがない。さすが。
Tさんも、駄マラニックの幟の横で、あみりん氏に記念写真を撮ってもらっている。後で完走状として送ってくれるのだ。


さて、そろそろ風呂に行くか、と思っていたら、大分君が走ってきた。歩いてくると言っていたけれど、立派に走ってくる。風呂に入って打ち上げしない?と誘うけれど、奥さんが待っているというので、労を労って、そこで別れた。

ぼくは、ヒロシ君、ホセ君と、楼門の中の武雄温泉の「元湯」で汗を流して、武雄温泉駅前の「餃子会館」で軽く食事をとって帰った。

いつも一人で走っているぼくだが、仲間で走るのも楽しい。
また、そのうちに誰か誘おう、と、ひそかに思った。





























ちなみに嬉野秘宝館って、こんなところみたいです(こっそりとごらんください。)
http://b-spot.seesaa.net/article/317338162.html