4月27日は「九十九島駄マラニック99」に参加してきた。去年に引き続いての参加である。

ぼくは今年の5月の連休,かの「萩往還マラニック」の140キロのコースにエントリーしており,オーバー100の大会ははじめてなもんだから,少しでも距離を走っておきたいという気持ちがあった。で,そんなとき気軽に参加できる大会というと,おなじみ,「あみりん」氏の主催する「駄マラニック」シリーズなのでありました。

駄マラニックは長崎県松浦市在住のあみりん氏が開催するマラニック大会のシリーズである。「マラニック」という言葉はだいぶ一般的になったけれど,マラソンの選手が,ゆっくりと長距離をピクニック的に走る練習(ロングスローディスタンス)あたりが起源らしい。マラソン選手ほどたいしたものではないという謙遜の気持ちが「駄」にはこめられており,略して「駄マラ」と呼んだり,走る人を「駄マラー」と呼んだりもする。
初心者向けに「遅いがエライ」大会ということになっており,実際,いちばん遅かったランナーは「最優秀駄マラー」として表彰されたりもする。(なにも出ないけれど)。大会運営は,仲間の人が協力してくれたりもするけれど,基本的にあみりん氏がひとりでやっており,エイドは10キロおきに,「駄マラニック」の幟が立てられたところに,飲料と食料が入ったクーラーボックスがおいてあり,参加者は自分でそれを飲み食いして,また片付けていくことになっている。そんなシステムだから,基本的に自己責任であり,参加者は,公共交通機関を使ったり近道をして(ワープ)も独力でゴールしなくてはならない(すればいい)ことになっている。
反面,エントリー料はいわゆる公式の大会と比べて,とてもお手ごろだ。スポーツエントリーから申し込めるので,あみりん氏のコース設定の的確さもあり,(エントリーが満杯で申し込めないという心配こそないけれど)全国からひそかにファンがあつまる大会なのである。

あみりん氏は実はランナーでもあり,もともと仲間内で走っていた大会が「駄マラニック」の源流となっている。

さて,それまでさんざんなことが続いていたぼくだったのだけれど,萩往還には備えなくてはいけない。なので,4月の半ばには自主トレとして,おぎようかん駄マラニックのコースをアレンジして70キロぐらいを走ってきたりもした。だけど,一日中雨の中を走ったので,風邪を引いてしまった。やっぱり健康がいちばんだ。

で,そうしているうちに,4月27日の「九十九島駄マラニック99」の日が到来した。
これ,去年も走って,最優秀駄マラー賞を受賞したこと(つまりびりだったこと)はこのブログに書いた。けど,そのとき書かなかったことがある。
あみりん氏は駅前で,最後の駄マラーを有料駐車場で待っていてくれたのだった。待っているうちにも駐車場代があがっていく。あみりん氏の胸中はいかがなものであったろうか。人を待つ,ということも大変なのである。

やっぱり好意に甘えすぎてはいけない。というわけで,今回ぼくの目標は,のんびり走るけれど,あんまり待たせすぎないようにする,というのがひとつのテーマということになった。

九十九島駄マラニックは99キロの距離を歩いたり走ったりするので,フルマラソン(42.195キロ)の距離を越える,いわゆる「ウルトラマラニック」である。しかし,「ウルトラ」というよりは,フランス語ふうに「ユルトラ」というほうがぴったりくる。つまりゆるいウルトラである。時間制限は18時間とのんびりしている。途中,疲れたら公共交通機関を使った「ワープ」も完走とみなされる。
実際,コースはいろんなところで,「松浦鉄道」と接しており,松浦鉄道の終点がちょうど佐世保なのだった。
コースはこんな感じ。http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=df4e477eb7bd6914fb6f058e4979e62f

深夜1時に長崎県北の中心,佐世保市の駅前を出発して,国見山方面へ行き,10キロエイド,その後松浦市方面に走り,20キロエイド,やまびこロードを走り,松浦市へ降りてゆき30キロエイド,その後松浦市を抜けて,「月イチ松浦フル駄マラニック」のコースを逆行して,御厨町で40キロエイド,その後,「飛び石」で川をわたり,江迎方面へ向かう途中に,私設エイド。
江迎方面まで平戸街道を走り,かの伊能忠敬が木星を観測しようとしたという長坂を下ったあたりで50キロエイド。その後,「つつじ祭り」が開催中の長串山公園(なぐしやま)へ向かってゆく途中に,60キロエイド。つつじ祭りの開催中の長串山公園へ上って降りて,九州最西端の,神崎鼻へ向かい,70キロエイド。そして,小佐々町から佐々町小浦免で80キロエイド。その後,相浦,鹿子前(かしまえ)の入り江で,90キロエイド。鹿子前から,石岳へ登り,下ってSSK(佐世保船舶工業)のドックが並ぶ前を通って,駅前に戻る。こんな感じの風光明媚なコース。
エイドはいつもどおり,10キロおきの設営だ。ただし,ウルトラということもあり,今回はコーセー先生が私設エイドを設けてくれているほか,去年に引き続いて御厨町では親子のほのぼのエイドのあたたかい野菜スープがある予定。楽しみ。



さて,4月27日に日が変わった午前0時ころ,ぼくが佐世保駅でぼんやりとしていると,見るからにランナーというかんじの方々が同じ駅舎に集まってきた。長崎からやってこられた女性ランナーお2人とお話する。お一人は,橘湾岸173のランナーであり,もう一人は,看護師でもある方である。もう,着替えをすませて,駅舎内でストレッチをされており,やる気十分という感じ。内気な中年は,もじもじしながら元気な主婦2人とちょっとだけお話をする。ぼくが,佐賀桜マラソンで足がつった,という話をすると,これがいいですよ,と「芍薬甘草湯」という長細い袋の薬を一袋いただく。
これが,正にあのさくらマラソンで処方された薬「芍薬甘草湯」との劇的な(というわけでもないけど)再会だったのでした。

お2人は,正規スタート時刻の午前1時ではなく,アーリースタートされるとのこと。あ,いいなと思う。ぼくも,先週の自主トレ以来,風邪を引いていることもあって,完走の自信がなかった。じゃあ,お2人とご一緒にアーリースタートしようか,と思って,午前0時ころ,あみりん氏にことわって,佐世保駅前をスタート。


深夜のマラニックは装備が必要である。ぼくはマラソンを走るときには,たとえば「乳首」をガードするためのバンソーコを張ったり,あるいは股ズレ防止のために,しかるべきところにワセリンを塗る,というような準備をする。股ズレ防止のため,今回はとくにタイツをはいてきた。いつものそんな装備に加えて,西友で1000円で買ってきたヘッドランプ(去年も使った)と,ダイソーで100円で買ってきた懐中電灯も装備している。ウェアはいつものランパンとシャツは痛恨の寛平マラソンのシャツである(オレンジ色なので夜間は目立ちやすいかなと思ったのだ)。そんなところ。リュックもしょっているのだけれど,ぼくは肩こりなので,今回しんどかったら萩往還ではもう,リュックはやめとこうかなと考えたりもしている。加えて,ポーチにはお2人からいただいた「芍薬甘草湯」が入っている。

心配された天気も,今日は夕方までは持ちそうだ。

さて,主婦お2人とおじさんの変な人たちは,ご機嫌なサラリーマンの歩いている佐世保の市街を抜けて国見山方面へとのんびり歩いたり走ったり,夜の闇の中をおしゃべりしながら進んでいった。フェイスブックを実名でやっているなんて信じられない,というお話とか,職場で私物の携帯を充電するなんてありえないよね,という話とか。
ぼくは実はどちらもあてはまるのだけど,非難の嵐になるといけないので黙っていた。


見上げれば空は少しだけ星を浮かべた曇り空。静かな山道にそよ風が吹いてくる。ほぼ平坦な道は,やがて国見トンネル方面へ向けて登り道になる。走りからだんだん,歩きになる。ここで10キロエイド。エイド食はカッパ巻き。PA0_0081

途中コンビニエンスでトイレ。女性はトイレの心配が大変だけれど,コンビニは夜中も開いているので,本当に助かる。

田舎道は人家もまばらだ。街の明かりもずいぶん遠くなった。お2人のうち1人は今回のコースは初めてとのこと。夜の気持ちの悪い道は嫌い,ということなので,オトコとしてちょっとお役に立てたかな,とひそかに思う。

佐世保と伊万里をつないでいる国見トンネルへ向かう道の途中,コースは国見トンネル方面へは行かず,世知原方面へと左折する。まだ,しばらく登ったあと,世知原方面へ長いトンネルがあったはずだ。それを抜けると道はしばらくくだりになった記憶である。
世知原は茶で有名なところであり,茶ができるということは昼夜の寒暖差が大きいということである。タイツは防寒にも有効だ。やがて長い長いトンネルに入り,しかし明るいのでちょっとだけほっとする。


トンネルを出て,道はしばらくずーっと下りである。車も走ってこない夜の道路をのんびりと気持ちよく下る。ここで通常スタートの早い人が追いついてきて,追い越してゆく。
今回の駄マラニック,参加者は19名程度とささやかだ。やはり99キロを走ろうなどという物好きは限られるというのと,5月の連休には,萩往還マラニック(250キロ,140キロ,70キロ),橘湾岸マラニック(173キロ,80キロ,55キロ)など,この時期は著名なウルトラマラニック大会が多いのでその兼ね合いで,「疲れを残さない」からエントリーを控えたという人もいそうだ。しかし,常連の「草のつくKさん」とか,古い駄マラニックの常連でもあるウルトラ女性ランナーのSさんなどもひさしぶりに参加しており,「濃い」感じのメンバーである。

下りつめると集落がある。ここで20キロエイド。エイド食は大福(中身はチョコだったかコーヒーだったかイチゴだったかちょっと忘れたけどうまかった)。
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さて,ここから,松浦市へ向かって,道はやまびこロードののぼりへと入る。ときどき歩きを入れながら,ほぼ漆黒の闇のなか,登る。ここまでご一緒してきたお2人も一緒である。なんだか心強い気がする。「去年はここを上り詰めるとコーセー先生のエイドがあったんですよ」という話をする。おなじみのコーセー先生が,今年もエイドをしてくださっている予定。

ランナーは走っていればいいので楽だけど,ほんとうはエイドが大変かつ大切なのである。ランナーの状態に気を配りつつ,ときには先回りしてエイドを設営しないといけない。費用だって馬鹿にならない。
コーセー先生は,自家用車にキャンプ用の椅子,テーブルやコンロ,はたまた自家発電設備に照明器具などを詰め込んで,あたたかい味噌汁やカレーなどを出してくださる。食器,紙コップなども自前である。感謝の気持ちしかない。

延々つづくやまびこロードをようやく上り詰めて,コーセー先生のエイドに到着して一息つく。ソーメンの入った味噌汁とか,汁粉とか,ポンカン,チョコなど走る人の気持ちを心憎いほど理解したエイドだ。
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後ろから,またランナーの人が追いついてくる。皆,表情がほっとした感じで,明るい。

さて,もうここは松浦市である。エイドを出ると,コースは,あみりん氏が毎月開催している「月イチ松浦フル駄マラニック大会」のコースを逆行して,松浦市街へ向かって山道を下っていくことになる。
松浦市へ入ると,30キロエイド。エイド食はおなじみのいなり寿司である。
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お2人のうち,「気ままにマイペースで走る」ことを是とされている方が,「私,去年よりも早いペースなんですよ」と話されている。ぼくは,フルマラソンで4時間が切れないと悩みつつ,この3月と4月走りながら,ちょっとランニングが楽しくなくなっていたところだった。思い返すと,ぼくは3年前に,ダイエットの散歩から始めて,本当に歩くぐらいの速さのジョギング,マラソン大会への参加とステップを踏んできた。だけどそれこそ子供のころから,かけっこは苦手で,決して速くはなかったし,中年になったからってましてや速くなれるはずもない。無理なことに挑むと,気持ちが萎えてくる。それよりは,自分がどれだけがんばれるようになったのかを基準にするほうが楽しい。
そうか,このところ,自分は目指すところを少し間違っていたようだ。ぼくはそんな気持ちになる。


松浦市へ下っていくときに,夜がしらじらと明けてくる。そこに,派手なスポーツウェア(ランニング用でない)を着た小柄でたくましい女性ランナーがうしろから着実なペースで迫り,抜いていく。かかと着地とすり足の立てる音がリズミカルに響く。
Sさんだ。Sさんはあの,萩往還マラニック(250キロ)をもう10年以上完走している方であり(ことしも完走されました),ぼくと年齢的には同じぐらいとお見受けしたけれど,ウルトラマラソンの世界ではもうベテランといってよい方だ。
そうか,あれが萩往還250キロ完走者の走りなのか,今年の140,あんな感じで走れたらいいな,と思いつつ目に焼き付ける。

松浦市街でコンビニエンスストアの前を通る。ここで,夜も明けたことなので,スタートからずっとご一緒してきた長崎からの女性お2人とはお別れして,顔見知りの草のつくKさんと,その連れの方の集団についていくことにする。コンビニエンスストアをちらりと見ると,ちょっとした私設エイドの様相を呈している。玄関口では泡の出る飲み物をいっちゃっているお方もおられる。これが燃料になって劇的な追い上げをしちゃったりもするのがゆるいウルトラマラソン大会のおもしろいところだ(決してお勧めはしないけれど)。

松浦市のコースはおなじみで,故郷に帰ってきたような気持ちになり,ほっとする。去年の「九十九島」は今年より時期が早かったから,桜が咲いていたのを思い出す。のんびり走って,40キロエイド。エイド食はいちご大福。
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踏切を渡って,ちょっと川を渡るコースに寄り道。あみりん氏は,この川を渡る「飛び石」を見せたいようなのだ。童心に返って,飛び石を渡る。
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写真は,Kさんの連れの方。

その後,道は平戸往還に入って,江迎へ向かう道へとつながる。

ここでトーマーさんのエイド。トーマーさんはあみりん氏の友人で,コースがこのあたりを通るときには,お子さんと一緒にエイドをしてくださっている。お子さんも,夏の暑い時期など大変にもかかわらず,エイドの番をしていて,感心する。去年なんか,夏の暑い盛り,雨に打たれたり,虫にも負けずにエイドの番をしていた感心なお子さんであります。本日は野菜スープ。体が温まって元気が出る。PA0_0065


感謝してエイドを出て,旧街道だったんだろうな,というような道を抜けて,その後,だらだらと江迎へ向かう道を走る。道は延々続いているのだけれど,Kさんや連れの方と一緒なので,あんまり退屈しない。やがて,「イダテン平戸街道」でもおなじみの長坂へ。ここは伊能忠敬が木星観測をしたところらしい。ぼくも木星を見ようとしたが,もちろん見えなかった。

当時の長坂は舗装道路ではもちろんなく,急な坂道だった。現在は車が走るために,アスファルトの曲がり道ができているが,それを突っ切るように走っている近道?が本来の長坂である。
本来の長坂なのだから,誰はばかることなく堂々と近道できる。
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長坂を降りる途中で,50キロエイドがある。エイド食は押し寿司である。腹にもたれるかな?と思うのだけれど,なんとなく食べてしまえる。中にごぼうの煮たのが刻んで入っていて,おいしい。
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イダテン平戸街道だと,道は佐世保に向かって南下していくのだけれど,本日の「九十九島」では,西方向へ鹿町方面へと向かう。ここもだらだらと道が続く。ウルトラマラニックはこの単調さにどう耐えるか,という面もある。50キロを過ぎているから,足もいい加減疲れているところだ。
しばらく歩く。
しばらく歩いた後,「それじゃ,ちょっと走りますか」と誰ともなく言い出して,ゆっくりと走る。
そんな繰り返し。

道は登ったり,下ったり,トンネルを抜けたりしながら,やがて海へ出る。鹿町町の海だ。
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今日は曇り空なので,あんまり暑くないのが助かる。
やがて,長串山(なぐしやま)公園の表示がちらほら現れだす。ここで60キロエイド。
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エイド食はコーヒー大福かチョコ大福。どちらもうまい。
エイドはあみりん氏があらかじめ断って,人家の前に設営させてもらっている。
昼間から上機嫌の家のおじさんが出てくる。「どこまでゆきんさるかね?」「佐世保まで。99キロ走るんです」
おじさんはどひゃーっと驚いてみせる。なに,ぼくらが99キロを走ったところで,世間的にはどうでもいいことなのだが,地元の協力してくださる方は大事にしないといけない。
お礼を行って,長串山公園へののぼり道をゆっくり登る。
今日は,「つつじ祭り」が開催されていて,これが本日のひとつのハイライトである。
道の途中,つつじがたくさん植わっており,開花している。もうシーズンが終わりかけのものもある。いずれもとても綺麗に丹精されている。
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ただ,「つつじ祭り」のためか,長串山公園はごったがえしており,観光バスがひっきりなしに到着する。よくないことには,平常時と異なって入場料500円が必要,ということになっていた。
去年の駄マラでは,九十九島の眺めが無料で楽しめたのだけれど,今年,500円も払って公園に入るかというのは微妙なところがある。結局,入らず。そのまま山を降りる。

次は70キロエイドを目指す。日本本土最西端である神崎鼻には,コーセー先生がカレーエイドを設営しておられるはずだ。実は去年,ぼくはこのエイドに間に合わず,結局カレーを食べることができなかった。コーセー先生からは,太巻き寿司をいただいた。
今年こそはカレーをいただくのだ,と意気込む。

入り江に広がる漁港のようなところを抜けて,神崎鼻へ。Kさんや,連れの方とも一緒である。
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写真は,Kさんの連れの方である。

神崎鼻では,記念の碑のようなものを撮影したり,ぐるっと回る。コーセー先生が待っておられて,写真撮影など。カレーもいただいた。

ここで,Kさんの連れの方は,Kさんがトイレに行っている間にスタート。「自分はもうあまり走れそうにないので,先にゆかせてもらいます」との由。陶芸の里駄マラニック60キロが今まで最長記録なので,すでに未体験ゾーンに入っているのだそうである。
トイレから出てきたKさんにその旨を伝えて,70キロエイドを出発する。
道は佐々町へ向かっている。石造りの見るからに古めかしい太鼓橋などを通る。大正時代のものらしい。
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このあたりも,歩いたり,走ったりという感じ。しばらく歩くと,「じゃあ,走りますか」と言って走り出す。また歩く。その繰り返し。
途中,ベンチで寝ている人発見。松浦市のコンビニでビールを行っておられた方のようだ。気持ちよさそうにベンチで寝ている。仰向けに寝そべったおなかが上下している。
なんとなく,ウサギと亀の「亀」になった気分で横を通り過ぎる。


小佐々町では,橋を渡る途中の橋の上に,80キロエイドが設営されている。
エイド食はよもぎ餅。いかにも力が出そうだ。
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相浦方面へと進む。このあたりも,ひたすら道がだらだらと続くのを「耐える」という感じではある。Kさんが,「走りますか?」というのに答えて走ることの繰り返し。

天気は夕方から雨という話だったけど,なんとかゴールまでは降らずにすみそうである。

相浦を通る。このあたりもぼくが小さいころとはずいぶん変わっている。長崎県立大学はとても立派になっていたし,夏休みによく通った,総合グラウンドのプールも記憶とはずいぶん変わっていた。

相浦を抜けて,最後の90キロエイドがある鹿子前(かしまえ)へ。
ここでぼくはミスコースをしたのかと思ってしまった。
しかし,やがて矢印を発見したので,コースをちゃんと走っているのがわかり,胸をなでおろす。

鹿子前を抜けて,人家の前に90キロエイド。エイド食は,プチトマトであった。
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ここからは,石岳へ向かう最後ののぼり道だ。なかなかきついのぼりであり,ぼくはほとんど走れない。
おまけに鼻水が止まらないので,Kさんにちょっと愚痴を言ったりする。
石岳の動植物園前では,昔なつかしいアイスクリンを売っていた。金属製の入れ物に,妙に黄色っぽいシャーベット状のアイスクリンが入っており,これをコーンについでくれる。
でも,買おうという気持ちがわいてこない。もう元気がないのである。

そうこうしているうちに,ようやく道は下り坂になる。
石岳を降りて,SSK(佐世保船舶工業)のクレーンが立ち並ぶ前を通る。
ぼくとKさんは相変わらず走ったり,歩いたり。
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と,そこに後ろから元気で走ってきた人がいるではないか。見たら,Kさんの連れの方である。「もう走れないかも」と言っておられたのがうそみたいにチョー元気に疾走してこられる。
息せき切って追いついてこられた。「いや,75キロ地点でもうリタイヤしようかと思ったんです。で,佐々の駅で電車を待とうかと思ったんですけど,そしたら足が復活して,走れるかな,と。」

ウルトラではときどき,こんなことが起きる。セカンドウインド,というのだろうか。去年,橘湾岸スーパーマラニック秋のステージで,Kさんともう一人の北のつくKさんが,270キロ以上を走ってきたのと,ぼくは(100キロだったのだけれど)たまたまラストで一緒になり,ちょっとだけ走った。すると,Kさんともう一人のKさんは,「今なら金龍(完走者)になれるかも」と言い合ったかと思うと,全力で上り坂を走ってゆき,ぼくはとうとう追いつけなかったのだった。
Kさんに聞いてみる。「270キロ以上走った後なのに,どうしてあんなに速く走れたの?」
「いやあ,わからないんですよ自分でも。」とKさん。

再会を祝しながら,そのあとは3人で,ゴールの佐世保駅まで向かう。
そして午後5時半ごろ,ゴール。ぼくはお2人よりも1時間早いアーリースタートなので,その分余計にかかってはいるが,あみりん氏をあまり待たせない,という目標は達成できた。

ゴールしてみたら,長崎からの女性ランナー2人が,もうさっぱりした様子である。
「帰りのバスの時間があるので,ワープしてもう,銭湯に行ってきました」とのこと。

コーセー先生やあみりん氏とお話をする。来週の連休,萩の140キロに挑む話をすると,コーセー先生が,「萩は制限時間が厳しいぞう」と言われる。ぼくは,橘の80キロの次に,いきなり173キロに挑むというのが怖かったので,萩の140をワンクッションというつもりで入れたのだが,よく考えると,橘の173キロの制限時間は36時間なのだが,萩140は24時間なのである。
果たしてどちらが厳しいのかはよく分からない。
ちょっと不安になる。

でも,今回99に出て,ちょっとだけ自信がついた。つまり,少しずつでも最後まで走れたということ,それから,芍薬甘草湯のおかげか,足が攣らなかったことである。反面,リュックは肩に食い込んで,痛くてたまらなかった。ぼくのリュックはランニング専用ではなくて,大阪の天六商店街で買ってきた1000円のリュックだからかもしれない。萩では,リュックは使うまい,と心に決める。



さて,次はいよいよ萩ですぞ!果たして時間内完走はできたのか?それはまた次回に。