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「いやあ、太りましたか?」
コーセー先生は、走り終わったぼくのみっともない腹を見て、そう言った。
その途端に、冷や汗とともに、ぼくの脳裏には、この3年間の不摂生な日々が後悔とともに走馬灯のように流れた。

ぼくがランニングに興味を持ったきっかけが、駄マラニック天国というホームページに出会ったことがきっかけだというのは前にも書いたと思う。もともと駆けっこが大の苦手だった自分にとって、40キロとか60キロとかの距離を楽しそうに走る人びとがいるというのが衝撃的で、それって、どんな気持ちなんだろう、ぼくもやってみようかな?という気持ちがむくむくと盛り上がってきたのだった。24時間テレビのマラソンと違って、それらの写真に写る人びとは、満面の笑顔を見せてすごく楽しそうだったのだ。そこにはコーセー先生の笑顔もあった。
それに、駄マラニックのページにはもう一つ魅力的な言葉が載っていた。「遅いがえらい」という言葉である。足の遅さでは人後に落ちない自信のあるぼくでも、これなら大丈夫そうだ。というわけで、その頃40代半ばで佐賀県に単身赴任していたぼくは、毎月のように「松浦フル駄マラニック」に通った。その成果がこのブログというわけなのである。

しかし、単身赴任の期間は夢のようにすぎ、ぼくは自宅のある兵庫県西宮市に戻ることになった。3年前のことだ。通勤電車に揺られて遅くまで残業する毎日。生活に追われ、嫁さんに、マラソン大会に出たいと言い出せない日々。数千円のエントリー料がどれだけ高い壁に見えただろう。それに、うちの近所には、木の葉が舞い、風が吹き抜けるステキな道など、無い。車がみっしりと渋滞し、排ガスを撒き散らす道。走ってなにが楽しかろう。だから、仕事のストレス発散のために、酒やつまみに走った。酒に走るけど、足は走らない。体重はメキメキ上昇し、走力はメキメキ落ちた。おお!神よ、この男を救いたまえ。

そんな自堕落な日々にも、救う神がいた。
それが、駄マラニック天国の主催者だった網本氏の始めた「ジョグトリップ」である。善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。ランニングなんて知んらんとばかりに運動を怠った悪人のぼくは、駄マラニック天国への往生への希望を胸に、実に半年ぶりの九州の地を踏んだのであった。以上前置き。

さて、年末に里帰りするという名目で、女房殿からようやく許可が出たのが、12月23日(土曜日)に開催される「佐世保フルジョグトリップ」である。ぼくは佐世保の出身だから、この大会は思い入れが深い。このコースは、佐世保駅前から南へ走り、日宇川をさかのぼって隠居岳(かくいだけ)へ登っていく。そして、烏帽子岳方面へと進み、7〜8合目を抜けて、山の田の水源地へ下りてゆく。まあ、これで小学校の鍛錬遠足のコースである。しかし、佐世保フルのコースはそれでは飽き足らず、今度は弓張岳へと昇っていく。そして、頂上を目前にした鵜渡越(うどごえ)から、九十九島の絶景を眺めつつ坂を一気に下って、鹿子前(かしまえ)へと出る。鹿子前は、九十九島巡りの海賊船が出る入江だ。それから、SSK(佐世保船舶工業)の造船所を右手に眺めながら、佐世保駅へと向かうのが佐世保フルのコースである。ここまでで、さらに小学校の鍛錬遠足のもう一つのコースである。大人の鍛錬遠足とは、つまり、子どもの鍛錬遠足の二つ分である。
ちなみに、ぼくは実家へ行かないといけなかったから参加しなかったけれど、この後、ジョグトリップ一年間の「打ち上げ」もある。
このコースを立ち上げたのは、佐世保の地元のランニングクラブである。いわば定評のあるコースなのだ。

前日、仕事を終わってまっ直ぐ新幹線で博多へゆき、博多から最終の「みどり」で佐世保着。佐世保駅前のビジネスホテルに泊まり、翌日に備える。ホテル代4800円。掃除はされているけれど、さすがに古いホテルである。

翌朝、駅前に作られた「ジョグトリップ」のテントへ向かう。参加手続。ゼッケン番号は「4646」つまりヨロヨロである。
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ゼッケンには地図が描いてある。まあ、参考程度であり、これと、路面にひかれた白線の←を参考にして、自分でコースを進むのである。佐世保市の公認を受けているとはいえ、プライベート大会だから、警察官による交通整理もない。たまに沿道の人が応援してくれることもあるが、大会用のトイレもない。ただ、ほぼ10キロおきに、主催者の網本氏が事前に交渉したお宅に、エイドが設けられて、飲み物と食べ物が置いてある。それを頼りに42キロを走り切るのである。今回の参加者は60人余り。プライベート大会としては立派な人数だ。
午前8時半になると、もう、三々五々に参加者が集まってきていた。
駅前には朝、露店が出ている。いろんな干物や、かんころ餅、ザボン漬けなどを売っている。着替えたり話に興じている人々の中にはカッパ先生の姿もある。カッパ先生は、久留米走ろう会の重鎮で、実はぼくの中高の恩師でもある。それこそ、毎年のように萩往還250キロや橘湾岸に出たりされていたカッパ先生も、膝の半月板を痛めてしまったようで、最近はウォーキングに切り替えておられる。

やがて、開会式が始まった。今回はカッパ先生が宣誓。先生の宣誓である。
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佐世保は翌日の日曜日は雨の予報だったけれど、土曜日は良い天気。午前9時になり、冬の涼しげな光の中を60人はのんびりと走り出す。なにしろ、駄マラニックの伝統を引き継いで、遅い人がえらいから、急ぐ必要がない。制限時間は8時間だが、一番遅かった人は、「最優秀ジョグトリッパー」としてその栄誉を表彰されることになっているのだった。
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コースのところどころには、網本氏が白線引きで矢印を引いている。この矢印がないところは大体道なりである。雨が降ると流れてしまうのだけれど、地元の人には道路が汚れるとして嫌がる人もいる。そんなときは、すみませんと言いながらコースを変えてみたりもする。あくまで地元に配慮するランニングイベントなのである。
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佐世保という町は、もともと九州の火山活動が作った地形が侵食されてできた町で、「福石観音」や「眼鏡岩」などの奇岩怪石が残されている。ここ大宮町も、いくつもの侵食された谷間に家が立ち並んでいる。ぼくは小さいころ、岩山に上って遊んだものだったなあ、と思い出す。住宅開発でだいぶ削られてしまったけれど、まだいくつもその名残を残している。
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大宮町は、道が狭く、生活空間である朝の通りには住民の人が、何ごとかとこっちを見ている。そこで「おはようございます」とあいさつをすると、それでも返事を返してくれる。そして「どこまでゆきんさるかね?」と聞かれ「烏帽子岳を上ります。そして弓張にも」と答えると「へえ〜」と驚いた顔をしてくれた。
大宮町を抜けて、道は日宇方面に向かっている。このコースは以前と違って、日宇駅の海側を通るようになっている。このほうが交通量が少ないし、だいいち、以前日宇駅の近くでウンコを踏んで嫌な思い出があるぼくとしては、こちらのほうがよい。とはいえ、たまに車が来るし、道が狭いから車には要注意である。やがて、コースは日宇川に沿って、山をのぼっていく。

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運動不足のぼくとしては、上り道がきつい。以前は、有森さん直伝の「綱引き走法」(天草マラソンの回参照)で坂の大明神を目指したぼくだけれど、長年の運動不足のために、有森さんが降りてきてくれないのである。以前みたいな脚を取り戻したいな、と痛切に思う。
思いながら道は黒髪町をどんどん登っていく。
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川を上っていくとダムがある。猫山ダムである。ジョグトリップのコースは何かと水源地やダムと縁がある。ダムや水は見ていると心が休まるような気がする。ついでながら、このダムのわきの駐車場にはトイレがある。ジョグトリップはプライベート大会なので、トイレの位置は要チェックだ。

猫山ダムを過ぎて、コースはさらに登っていく。後ろから走ってきた人が横に並ぶ。
「はじめてなんですよ」「頑張って。この先ずーっと上りですから」とぼくは返事する。その人はぼくを抜いていく。僕の脚は、相変わらず重い。しかし、ゆっくり、ときどき歩きながら登っていくと、コースはぐいぐい高度を上げてゆく。佐世保湾と佐世保の街が冬の日に照らされて、きらきらと輝いている。
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今上っているのは、隠居岳(かくいだけ)に向かうコースである。隠居岳から烏帽子岳は、佐賀と佐世保の境目にある国見山が作り出した溶岩台地の一角にあり、烏帽子岳や隠居岳も、埋もれてしまったが、固有の火口を持っていたといわれる。烏帽子岳の烏帽子の形は、溶岩ドームの名残だとも言われる。なにしろ、このあたりが火山活動をしていたのは有史以前の話なので、記録も何も残っていないのだ。しかし、道を走っていると、ちょうど関東ローム層を思わせるような赤土の層があるのは、火山活動の跡を思わせる。ふと、九州草創期の暗闇の中に火柱を噴き上げる山々の姿を想像してみる。林の間を抜けていくコースが、どこか、あの阿蘇カルデラスーパーマラソンのコースを思わせるのはそんなこともあるのかもしれない。
コースわきに地蔵がある。
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道がちょっと緩やかになる。そして、おなじみの匂い。牛小屋である。なぜか牛小屋も、ジョグトリップのコースに付きものなのだ。特に牛小屋をコースに織り込んでいるわけではないと思うけれど。
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林を抜けた先に民家があり、ここが第一エイド。11キロ地点だ。ちょうどのどが渇いていたところである。
ジョグトリップのエイドは、簡単な食べ物と飲み物が置いてある。第一エイドは、カッパ巻である。きゅうりと梅の味が、疲れた体にしみていく感じがある。それから、以前の大会では見かけなかった温かいポットがいつのまにか登場しているので、ここぞとばかりに、専用エコカップを出してお茶を注ぐ。以前はプラスチックの使い捨てコップを置いてあったが、エコのために、専用エコカップを配っている。ただ、これ、しっかり伸ばさないと、お茶が漏れてくるというやや難ありであるけれど、エコのためだから大目に見る。

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それから民家の方のご厚意で、小ぶりのミカンが置いてある。これこそまさに「神エイド」というべきものであり、甘味と酸味のバランスが絶妙だった。これぞまさしく千両ミカン、などと思いつつ、エイドを後にする。
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コースはこのあたりから、気持ちよい林道に入っている。緩やかなのぼりだ。全盛期のぼくなら、「チョー気持ちイイ〜」などと言いながら登っていくコースであるけれど、すでに衰えたぼくの体力は走って上ることを許さない。ジョグトリップのコースは長崎県を舞台としており、長崎県は平地が少ないので、自然ジョグトリップのコースもアップダウンの多いコースである。上りは辛抱して、やがて来る下りを快調に飛ばして、その勢いで水平な道を走り抜ける感じ。だけど、今のぼくは上り道もきついし、下りは走れるけれど、水平になったところで、疲れて止まってしまう感じである。
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しばらく気持ちの良い林道を進む。ほんらいこの辺りは雑木林であったはずだけれど、戦後の林業ブームで一面に杉を植えた。これが花粉症を生み出すもとになったと言われる。今では、杉も一つの風景である。

しばらく上ると、開けた場所に出て、行く先が「ト」の字に分かれている。
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ここを右に降りる。うっかり、まっすぐ行くと烏帽子岳の頂上に着いてしまう。それも悪くないけれど、コースアウトである。さて、ここからが気持ちの良い下りだ。衰え切ったぼくの脚だけど、下りは気持ちよく走れる。
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しばらく下ると、民家のあるところに出る。以前は、家の人が声援を送ってくれたりしたものだけれど、今日は誰も出ていない。車も来ない林道を気持ちよく走っていると、しかし道はやがて水平になっていく。水平な道も以前のぼくなら気持ちよく走ったけれど、今は水平になると脚がとまってしまう。いつか、気持ちよく走れるようになるだろうか。それにしても、走ると腹の肉が揺れるんだよなあと不摂生の呪いを抱えて、中年は走るのであった。

石切り場があり、崖に目をやると、ぶあつい赤土の層と、その中に巨石がごろごろ。
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有史以前の火山活動のなごりが、目に見える形で残っていたりする。

道は延々続く。奥田民生の「イージュー☆ライダー」の歌詞ばりに、延々続く道を走ったり歩いたりしながら進む。後ろから走ってきた人が抜いていく。ベテランのランナーらしく、走るテンポをキープして着実に前に進んでいく。
どれくらい登ったり下ったりしただろうか。烏帽子岳高原のリゾートスポーツの森が見えてきた。
こじんまりしたコンクリートの教会があり、クリスマスの飾りつけがされている。
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この辺りはぼくはもう歩いている。ほとんど走っていない。だけれど、ジョグトリップはそれでもいいのだ。時間までにたどり着けなければ、ワープといって、公共交通機関を利用してゴールにたどり着いても、立派な「完走」。ちゃんと「完走状」を作って、あとで家まで送ってくれる。この辺りも、駄マラニック以来の良き伝統なのである。ちなみに、佐世保フルだと、この先、山の田水源地を降りて国道208号に出たあたり(28キロあたり)が、ワープゾーンである。市バスに乗ればほとんどのバスが佐世保駅前に到着するのだ。

たしか、この先「青少年の天地」という公共施設があり、その前あたりの民家に、エイド(オアシス)があるはずだ。20キロエイドである。青少年の天地は、開いていればトイレを借りることもできる。
さて、20キロエイドに着いた。
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これはみたらし団子である。塩分と糖分というランナーの疲れた体の二大欲求を満たしてくれる見事なエイド食だ。とともに、普通のマラソン大会ではまず、お目にかかれない立派な「お菓子」である。これは網本氏の奥様の勤務先の平戸の菓子店のご厚意によるはずだ。
別に走らなくても、実にうまい。ひと箱に団子が二本入っており、ひとり二本まで、という注意書きがある。でも、誰かが一本だけ食べて残している。こっそりと3本目をいただく。頂いた後で、思わず突き出た腹を見下ろす。これじゃあ、痩せないな。

青少年の天地はスポーツ保養施設であり、小学生でいっぱいだった。その中に交じってトイレを借りてすっきりして生き返った心地になって、さあ、烏帽子岳の下りだ。
下り道を走って右に入ると、以前は民家があったところに、メガソーラーが出来ている。家人がなくなり、家が取り壊された後、メガソーラーが律儀に発電をしているのだ。再生可能エネルギーは今後大事だと思われるけれど、いろんな感慨があるなあ。
しばらく行くと、巨大な白い十字架がある。
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「白い十字架の聖地」という標識があるけれど、いわれはよくわからない。
よくわからないけど、とても気持ちの良い林道である。
今回、林道のわきに目をやると、妙なキノコのようなものが目に入った。彼岸花の実かな、とも思ったのだけど、ちょっと違うみたい。こんなとき、すらすらと植物の名前が出ればいいのになあ、と思う。
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ほんとに気持ちの良い道を、下っていく。
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ここを降りていくと、山の田の水源地に出る。ここは小学校の頃、魚を取ったりして遊んでいたところである。ちょうど10歳の半ズボンの僕がいるような気がする。あの頃、ズボンを濡らして怒られたなあ。両親も死んでしまった。みんな行ってしまったなあ、ただいま10歳の僕………
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などと、脳裏を妙な連想が駆け巡って、ふと涙ぐんでいる。
涙ぐみながら走る52歳の中年男(腹が出ている)である。
太った中年が泣きながら走っている。
実に怪しい。
走ると、妙な物質が脳内に出るらしい。危ないお薬なんかよりも、走ったほうがよっぽど気持ちよくなれるかもしれない。
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山の田の水源地を左手に見ながら、桜木町の街並みを降りていく。
ちなみに、山の田水源地の辺りには公園があり、ここにトイレがある。
コースはやがて国道204号線にぶつかる。ここで、ぼくはワープも検討する。ここから再び弓張岳の山登りだ。そこから降りてきて、駅前まで戻るのにどのくらいかかるだろうか。
今、午後2時過ぎている。
午後5時までに間に合うだろうか?
たぶん28キロ弱のところまで来ているはずで、残りは15キロ足らずだ。
よし、行こう!そう決めて、コースに入る。

佐世保フルの名物は、ここから少し上ると、地元のランナーの人が、鰹節の薫り高い味噌汁や飲み物を出してくれる私設エイドである。看板が見えてきた。
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ゼリーや卵焼きなど、ランナーのニーズを踏まえた心憎いメニューを出してくれた。

さて、さらにコースは弓張岳の中腹の道路をどんどんと進んでいく。弓張岳は、大正五年に実業家の松尾良吉が鵜渡越(うどごえ)を訪れて、九十九島の美しさに観光開発をしようと思ったのが始まりであるそうだ。今でも鵜渡越から眺める九十九島は最高の眺めである。

もっとも、そこにたどり着くまでは、やっぱりしんどい上りで、ぼくはほとんど歩いている。
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やがて31キロエイドに到着。ここでのエイド食は、駄マラニック時代からの定番「いなり寿司」だ。甘くて辛いいなりずしは、疲れたお腹に美味しいけれど、二つ食べるとお腹にもたれて走れなくなるという噂もある。しかし、ぼくはもともと走っていないので、二ついただく。うまい。
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ここで女性二人組のランナーと一緒になる。楽し気にお話をしながら走っていくお二人。これも、「急がない」大会ならではの醍醐味なのである。
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上りは正直きついけれど、眺めは最高だ。このあたりは、ぼくが小学校の頃の鍛錬遠足のコースである。うしろから走ってきた人に「よい天気で良かったですね」と話しかける。その人は「走りやすくてよかったです」と自分に確認するようにつぶやいて、会釈をするとぼくを追い越して登っていく。ランナーは基本、孤独である。自由とうらはらの孤独が好きなのかもしれない。ランナーの話は多くは独白だ。ちょうどぼくのこのブログだって、独り言みたいなものかもしれない。
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坂をずーっと上ると、鵜渡越に着く。駐車場があり、店がある。トイレがあるので、ここで用も足せる。ぼくは、少しお腹がゆるくなっていたので、ここですっきりした。自動販売機でダイドーのシークワッサーサイダー衝撃価格100円!というのを買って飲む。でかくて安いから買ったのだけれど、大半残してしまった。それでも疲れた胃には、なんとなく炭酸が優しい気がするのである。

ここから少し上った弓張岳の頂上には、高射砲の基地があった。昭和16年から設置が始まった高射砲は、今でも砲座の、地面を掘り下げてコンクリートで固めた跡が残っている。小学生がかくれんぼができるほど巨大なものだ。ぼくは小学校の鍛錬遠足で、これはいったい何だろうといつも不思議に思ったものだった。

佐世保は、もともと戦と関連して発展してきたまちである。古く戦国時代は、佐世保を巡って松浦党が本家と平戸松浦家の二つに分かれてしのぎを削った。やがて、平戸松浦氏が勝ちを収めて江戸時代の間、佐世保を支配する。やがて明治時代になり、天然のリアス式海岸に注目した明治新政府は佐世保に海軍の鎮守府を置く。海軍の鎮守府があるところが「村」ではけしからんということで、明治35年に村から一足飛びに「佐世保市」となる。太平洋戦争になり、佐世保港には戦艦武蔵が整備のために入港したり、高射砲陣地が置かれたりした。終戦近くには、佐世保大空襲で街は灰燼に帰した。戦後、佐世保には自衛隊基地とともに、米軍基地が置かれて現在に至っている。米軍基地のある町、というと何か物々しいけれど、米軍基地もそれなりに地元との親和を図り、年に一度、基地エリアの一部を解放したりするなどの交流を図っている。
この町は、本土の西のはずれにある地理的には決して恵まれていない都市である。しかし九州では9番目の人口を誇り、実際、アーケード街を歩いても街に活気がある。それはたぶん、この街が軍港としての成り立ちと切り離せないからなのである。その分、歴史に翻弄されてきた街でもある。

大正時代の実業家を魅了した九十九島の眺めを見てしばし休む。そして、ぼくは時計を見て再び出発した。これなら、ちょうど午後5時ぐらいに到着して、最優秀ジョグトリッパーを狙えるかもしれない。鵜渡越の急坂を走って下る。この急坂を観光開発するのは、大変だっただろう。
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坂を下り切ったら、もう鹿子前だ。九十九島巡りの海賊船がのんびりと浮かんでいる。子供のころ、海賊船に乗ったり、洞窟流しそうめんを食べたりしたなあ、と思い出す。
やがて、38キロエイド。鹿子前のハンバーガー屋とコンビニの前にクーラーボックスが置いてある。

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エイド食はプチトマト。これは、熊本城マラソンでもエイド食で出たことがある。
意外と疲労回復効果が高い。エコカップを引っ張って、温かいお茶をもらう。うっかり蓋をうかべたままでお茶を注いでしまったので、まるで五右衛門風呂みたいになっている。
もうあと、5キロ弱。自分に言い聞かせてスタート。

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鹿子前を抜けて、佐世保重工業の方面へ向かう。ぼくが小学校の頃の昭和40年代は、まだまだ日本の造船業は盛んであり、誇らしげな百万トンドックや巨大なクレーンを感嘆しながら眺めたものであった。その後、造船業は構造的不況に陥り、佐世保重工業も、現在は伊万里の造船会社の傘下にある。

しかし、佐世保重工業の建物も、歴史はあるんだろうけれど、古めかしくなっている。赤レンガの建物なんて、もしかしたら戦前のものかもしれない。ぼくが好きなクレーンの群れも、絶滅した恐竜にも見える。

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米海軍佐世保基地を横目に見ながら、ひたすら佐世保駅に向けて足を動かす。まあ、走れない。
フルマラソンを歩かずに完走できた、と喜んでいたころが夢のようだ。
ぼくも再び歩かずに42キロを走り切れるようになるだろうか。

アルカスという巨大な公共施設の先を曲がって、佐世保駅に到着すると、午後4時半頃になっていた。狙った午後5時よりは早かったけれど、最優秀ジョグトリッパーになれただろうか。
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待っていた網本氏が、写真を撮ってくれる。これを完走状に仕立てて、後で送ってくれるのである。
「ぼく、当然、最優秀ジョグトリッパーですよね?」
違うらしい。まだまだ5人ぐらいいるらしい。いやあ、さすがにジョグトリップ、狙って獲れる賞ではないらしいのだ。
やがてコーセー先生と、inanekoさんがほぼ一緒に走ってきた。
コーセー先生は、いつも幟をもって走る人である。今回もジョグトリップの幟旗を持って走ってきたらしい。
そして、網本さんの話だと、コーセー先生は、ぼくが佐世保にいない間に、橘湾岸スーパーマラニックの金龍、つまり276キロを走破してしまったらしい。驚愕するぼく。長崎市を出発して野母崎を回ってきびすを返して諫早方面へ向かい、島原半島をぐるっと一周して、普賢岳を上って降りて、小浜温泉へと降りてくるマラニックである。聞くところによれば、二日間寝ないで走っていると、キロポストが人間に見えたりという幻覚が見えるらしい。
ランニングの世界はじつに奥深く、きりがないのである。

で、冒頭のシーンに続く。

佐世保フル、とても気持ちの良いコースである。たぶん、来年もこの道をぼくは走りに来ているだろう。きっと、里帰りだから奥さんの許可も出るはずだ。それに、たまに、体力を底まで使い切る経験をするのも悪くはない。何よりも、ジョグトリップは全ての人を迎え入れてくれる。ぼくみたいにトレーニング不足で腹が出てしまった元ランナーでも。走るのが遅い人は途中から「ワープ」する工夫をすればよい。足が強くなくて全コース走り切れない人は、コースの良いところを取って、途中で切り上げてゴールを目指す手もある。ランニングの楽しみはいろいろだし、「遅いから」「そんなに走り続けられないから」という理由で諦めてしまうのはもったいない。楽しみをどう見出すのかは全て参加者に任されている。これが、ジョグトリップが「大人の鍛錬遠足」たるゆえんでありそうだ。

ちなみに、ペースが思いっきり遅かったせいか、脚は翌日以降になってもぜんぜん痛まなかった。