俺と塩リターンズ

ちかごろランニングを覚えた中年男がぼそぼそ語るブログです。

カテゴリ: ランニング・マラニック

令和2019年、人類は月へと移り住んだ。小惑星が地球に衝突することが予想されたため、政府は急遽、月へコロニーをつくり、人類を移住させたのである。そのまま何世代かが過ぎ、地球の記憶は人々の中から薄れようとしていた。小惑星の衝突は避けられたという人もいたし、小惑星が地球を粉々にしたという人もいた。

そんな中、地球探査隊が組まれた。隊長アミモトの下、選ばれた隊員が、地球の様相を調査するために地球へ向かったのである。

探査機の窓から見える地上は、美しかった。「小惑星の衝突は実際には起きなかったのか?」「わからん」「そろそろ着陸するぞ。」そこはかつて長崎県の「シカマチ」と呼ばれた地域である。
一瞬衝撃が機体を包み、やがて静寂に変わった。
「空気成分は有害なものを含みません」「よし、ベース設営」
アミモト隊長以下、あわただしく探査機を出て、設営に入った。
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「シカマチ」に夜明けが訪れようとしていた。息をのむほど美しい空の色だ。
探検隊はこれから、「シカマチ」の現状を探査する。午前5時にベースをスタートし、南へと進み、「冷水岳」の頂上へ向かい、高所から「シカマチ」の全体像を把握する。そして、いったん海岸へと降り、そこから再び「長串山」へ上り、再び降りて、かつて「シカマチ」の行政府があった場所を横目に見ながらベースキャンプまで戻ってくる。全行程31キロメートル。帰還予定は午前11時だ。

必ず無事に戻ってくるという隊員代表者の誓いを聞きながら、午前5時、我々は出発した。

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何代にもわたって人が放棄したにもかかわらず、道路の状態は良好だ。ふと「もしかしたら人類がすべて月に避難したというのは誤りで、ここに住み続けていた人たちがいるのではないか」との疑念が心をよぎる。心をよぎるとともに、下腹部を疑念がよぎった。便意である。宇宙船の中で我慢していたのでこらえきれなくなったのと、宇宙船が冷房が効きすぎていたため体調を崩したらしい。

便意をこらえつつ、「雉を撃つ」場所を探していると、向こうに明かりが見えた。近づくと「あなたとコンビニ」と書いてある。あわてて地球百科を調べると古代に「家族商店」と呼ばれた商店であるようだ。
「24時間営業していたらしい」「昔の人間は無茶なことをするな。いつ寝るんだ。」「ともあれ、トイレがあれば使わせてもらおう。」「まて、当然買い物をするのがマナーだぞ。」

ウィン!自動ドアが開いた。いらっしゃいませと店員があいさつをする。おれは、棚に「はちみつ梅」というものを認め、これを非常食として購入することを決めた。
(30分後)
「なかなか快適な店だったな」「人類いたじゃないか。もう設定が破綻しているぞ。」「細かいことを気にするんじゃない。何が起こるかわからないところだ。用心しろ。」

道は次第に上り坂となってくる。おれは抗重力推進装置のパワーを上げた。足元に違和感がある。さいきん体重が増加したせいか、抗重力推進装置のサスペンション「KAKATO」に違和感を感じるのだ。
無理はできない。緊張が走る。
そのときおれは、道端にあるものを見つけた。
「JIZOU」と呼ばれる宗教的遺物である。昔の「シカマチ」の人々はこれを崇拝して、無事を祈ったのだ。おれも無事を祈ることにした。
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そんなことをしているうち、他の探検隊員とは全くはぐれてしまった。
おれは、何となく不安になって、アミモト隊長の作成した地図を見る。もうすぐ左折らしい。そのとき、地上に矢印があった。
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アミモト隊長は先行調査の際に、目印となるべき白線を現地に残してくれているはずだ。これはそれに違いない。左の道へ入る。
坂道は次第に急になる。抗重力推進装置のパワーを上げるが、体重が重いせいか限界がある。
「ダイエットしとくんだったな」
「ツナヒキ」モードに入ってみるが、しかし、いかんせんパワーが出ない。苦しい。
それでも景色はすばらしく美しい。小惑星が衝突するというのはやっぱりデマだったのかもしれない。平和と静寂、そして、月では聞くことがなかった「セミ」の声がする。
そのうち、おれはある標識を発見した。「六地蔵」という。
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六地蔵は、六体をワンセットとして作られた「JIZOU」の一種だ。これは中世というから、鎌倉期から室町期に作られたと推測される遺物である。かなり風化が進んでいるが、しかし小惑星の衝突の熱を受けた形跡はない。どうやら、小惑星は地球に衝突しなかったようだ。

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だいぶ抗重力推進装置が熱を持ってきたため、一休みを入れることにする。「家族商店」で購入した「はちみつ梅」を取り出して、口に一粒放り込む。塩味と酸味と甘さがすべて備わった完璧な非常食である。おれの目に狂いはなかった。
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元気を出して、再び抗重力推進装置に点火し、坂道を登っていく。
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夏とはいえ、早朝はまだ涼しい。高度を稼ぐにつれて、「シカマチ」の山なみと、その向こうに海が見える。素晴らしい眺めである。抗重力推進装置の調子も上がってきた。
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明星峠という方向に入る道があるが、そちらへは行かず左折する。そちらへ行くと、「長串山」へ行ってしまい、冷水岳の探査ができないからだ。

霧が湧いてきた。
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右の脇には赤土が見える。地質的には佐世保付近は全て火山活動が作り上げた地形だといわれる。実際、今回も、噴火堆積物が作り上げたスコレー丘のような地形や、赤土が見えた。
小惑星が衝突していれば、これらは一変して地獄のようになっていたはずだが、おそらく無事だったのだ。そのとき、先行する探検隊員の二人の姿が見えてほっと安堵する。


進んでいくと道端に青い可憐な花が咲いていた。小さな花があつまって大きな花を形作っている。地球百科によれば、「アジサイ」という花らしい。028


かつて、人々はここにアジサイを植えて楽しんだのだという。おれも心を癒された。しかし、どうやらここまで癒されすぎたらしく、予定時間が危ない。アミモト隊長が途中、補給ポイントとして設置してくれているはずの、13キロ地点「オアシス」は午前7時に撤収予定であり、それまでに到着しなければならないが、それが怪しくなってきた。
補給がないとなれば生命の危険である。いや、そこまでではないけれども。
焦って抗重力推進装置のパワーを上げるが思いのほかスピードがあがらない。やはり体重のせいか。
「ダイエットしとくんだったな」

既に午前7時をだいぶん回ったころ、ようやく冷水岳公園が見えた。
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公園の中を通っているとき、探査機で移動中のアミモト隊長と出会う。まだ「オアシス」は撤収していないそうである。
安心して公園の中を抜けて「オアシス」に到着した。オアシスはちょっとした野外音楽堂のようなところである。
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補給食は「イナリズシ」である。これは抗重力推進装置のパワーを5パーセントアップさせてくれるが、調子に乗って食べすぎると腹にもたれて5パーセントダウンしてしまうというものである。

「オアシス」ではアミモト隊長のパートナーの方が番をしておられた。先ほどの隊員2名の方とも合流して少し話をしたあと、出発することにした。
ここからは下り道である。抗重力推進装置の調子が良ければ最高の下り坂だが、おれの場合、サスペンション「KAKATO」の調子が今一つである。しかし、眺めは素晴らしい。
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そこで、おれは特有の匂いに気が付いた。
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「うし」である。地球では「うし」を飼って、牛乳を取ったり、肉を取ったりして暮らしている。月の人工コロニーではなかなか経験できない独特の匂いである。


アミモト隊長の引いた矢印が、別の矢印とバトルしている。
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やがて人が住んでいるような場所に来た。やはり、月に全人類が逃げたというのは誤りであり、小惑星衝突を信じないで住み続けていた人々はいたのである。そのうちに、「シカマチ」のサインと、海が見えた。澄み切った海である。「真珠」の養殖場所もあるようだ。
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右折して、こんどは「長串山」への登りへ入る。おれは、抗重力推進装置の出力を上げた。
そこでおれは、なんと、人間の首を発見した。
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緊張が高まる。地上に残された人類はいつの間にか、殺し合いをするようになって、人の首を路傍にさらすようになっていたのか。
しかし、そのとき、一人の男が近づいてきて俺に話しかけた。
「何をしておられるんですか」「地上探査中です」「かかし、珍しいですか」
さらし首は「かかし」といい、有害な鳥などを脅して農作物を守るためのものらしい。よく見ると人形の首である。
「これから長串山に向かうんです」「ご一緒しましょうか」男は隊員とも違う格好をしている。
せっかくなので同行してもらうことにした。
道はやがて山道へ入る。
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昼なお暗い、林道だ。
ところどころ荒れている。
「先日集中豪雨がありましてね」
おれの様子を察して、男はそう言った。

林道はやがて今までにない急な上りにさしかかった。
おれは「はちみつ梅」を取り出して、口に放り込んだ。
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終わりのない上りはない。やがて上りは終わり、見晴らしの良いところへ出た。
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ふと見まわしたが、見知らぬ男はいなくなっていた。あれは幻だったのかもしれない。
遠くに「クジュウクシマ」と呼ばれる島々が見える。地球の言葉で「99の島」を意味する語だが、しかし実際には200余り存在する。大地が沈み込み、海が間に入り込んで複雑な海岸線と島々を作り上げたのである。大地は常に動いているのだ。そうだとすると、地球が小惑星の衝突を免れたのはほんの偶然であり、いつまた自然は運命の悪戯で人類に牙をむくかもしれない。

そんなことを思いつつ、アミモト隊長が設置してくれた二番目の「オアシス」に到着した。ここも9時撤収予定であったけれど、すでに時間は9時半を過ぎている。厳格な地球探査のスケジュールに影響を与えていると思うと申し訳ない気持ちになる。オアシスで先行していた調査隊員の男性と出会い、少し話をした。

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ここでの補給食は、「マーコットプリン」である。
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ゆるく、なめらかな舌触りのプリンの上に、ミカンの一種であるマーコットの甘酸っぱいジュレが乗っているシャレオツな補充食である。思わず一瞬で食べ終わり、二個目が欲しくなるが我慢した。

しかし二個目を欲しくなった罰が当たったのか、再び下腹部を不安が襲った。そこで、オアシスを下った駐車場わきのトイレまで行き、キジを撃った。お腹の中がカラになった。すっきり。

ここからは下りである。お腹も下りであった(シャレ)。
気分よく坂を下りる。もっともおれの抗重力推進装置の「KAKATO」は相変わらず痛みをともなっておりサスペンションが不調である。
「ダイエットしとくんだったな。さっきマーコットプリンの2個めを我慢して本当によかった」
そう思いつつ下っていくが、しかし、そろそろ気温が上がり始めている。
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海辺が近くなる。「大加勢」という地名のようだ。少々元気のないおれに加勢してもらいたい。そんな気持ちで抗重力推進装置のパワーを入れる。
途中「エビス」を発見する。これも「シカマチ」の人々の信仰の対象である。
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それにしても暑い。
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後ろから探検隊員2名が追いついてくる。1名の方は「ワープポイント」で「バス」というワープ手段をとるらしい。もう1名の方は、まだ時間があるからと先行して行かれた。
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ここからは道は平たんだが、地球の夏の照りつける太陽とのたたかいとなる。おれは、道路わきの無人の「自動販売機」に試みにコインを入れてみた。ごとん、と音がして「麦茶」が出てきた。冷たい。やはり、ここには小惑星衝突を信じない人たちが住み続けてきたのだ。

ペットボトルのキャップを外すのももどかしく、口の中に液体を流し込む。少し麦のかおりのする懐かしい液体がのどを冷やしながら胃に降りて行く。生き返る気持ちだ。

「シカマチ」の行政施設のある地点まで到達する。時間は午前10時を回っている。どうだろう、午前11時までにベースに帰還できるだろうか。
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いくつかの入江を過ぎて、左折する。ちょっとした上り坂だ。抗重力推進装置の「KAKATO」が痛みを伴ってきている。
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ちょっとだけ道路わきによって海を眺めてみる。きれいな色をしている。しかし、暑い。
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抗重力推進装置のスイッチを入れたり切ったりしながらだましだまし進んでいく。
到達時間に間に合いそうもないので、アミモト隊長に「メール」で連絡を入れる。
「大丈夫です。お待ちしています。」と力強い返事が返ってくる。
黙々とうつむきながら、どれほど走っただろうか。

焼けた道路のむこうに木陰が見えた。意外なほど大きな樹が路面に影を落としている。
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そのとき、おれに声をかける男がいた。隊員とも違う、先ほどの見知らぬ男である。
「あれは、『希望の樹』と呼ばれているんですよ」
なぜ、おれが考えていることがわかるのだろうか。男の説明では、小惑星が衝突するという説明がなされてこの地域も月へと移住を迫られたが、そのとき、住み慣れたこの町を離れたくないと、ここに住み続けることを選択した人々がいた。
「わたしは、明日を信じる証として、ここに樹を植えたんです」
おれは、思い出した。昔の宗教者の言葉にこんなのがあったな。
「地球の滅亡が明日に迫ろうとも、私は今日、リンゴの木を植える。」

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まてよ、この木はずいぶん成長した樹だが、男はそれにしては若そうだ。
おれは、不思議に思ってふりかえったら、そこに男はいなかった。

いつのまにか俺の抗重力推進装置の調子は回復し「KAKATO」の痛みも消えていた。
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ベースキャンプに到着したのは午前11時半を過ぎていた。
アミモト隊長とそのパートナーの人、途中に会った二人の探検隊員の人、それから、このブログの読者の方ほか数名の方が、故障しかかった抗重力推進装置をだましだまし作動させて、ヨタヨタと到着したおれを迎えてくれた。
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「最優秀ジョグトリッパー賞です、おめでとう!」
そう、これは、シカマチ(鹿町)を舞台にした、ひとつの心の旅(ジョグトリップ)の物語である。

(物語は一部フィクションを含みます)

8月19日、佐賀県の武雄温泉で開催された上弦の月ジョグトリップ大会へ行ってきた。
佐賀県を離れてもう数年になる僕だけれど、そのために駄マラニック大会からもずいぶん足が遠くなった。その間に駄マラニックはジョグトリップとなったけれども、熱心なランナーの支持を得て、まずまずの盛況ぶりらしい。実際、今回の大会は、午前3時受付開始、午前4時スタートという過酷な?スケジュールにもかかわらず、100人ほどのエントリーを得ているようだ。
もっとも僕はというと、盆と暮れぐらいしか、実家のある九州へ出かける口実がないために、今のところこの上弦の月ジョグトリップと、年末の佐世保フルジョグトリップに行く程度である。

それにしても、暗い中をヘッドランプを付けて走るのは楽しい。ぼくがその楽しさを覚えたのも、ジョグトリップの前身の駄マラニック100大会でのことであった。もちろん、夜間のこととて車に気を付けるため、反射板を身に着けるなどの必要があるようだ。ジョグトリップは自主開催の大会であるから、大規模なマラソン大会のように交通整理があるわけでもない。いわば自分の身は自分で守るのが原則なのである。

さて、兵庫県に住み、自家用車もないぼくは、午前3時にどうやって武雄温泉に存在すればいいのだろうか。昨年のときは、大会前日に兵庫県西宮市から佐賀県武雄温泉まで青春18きっぷで移動し、それから朝までをどこかで過ごす(昨年は公園だった)ということだったが、今年もそうしようと考えた。自家用車が使えないといろいろ大変なのである。今年は、だいぶ報道もされた集中豪雨による水害のために、広島県あたりで、山陽本線がストップしており、こだまを使って予想外の出費をしたり、代替運送バスを待って時間ロスしたり、いろいろ大変だったけれど、なんとか18日の午後11時近くには武雄温泉につけそうだ。
そして、ぼくは昨年と違う計画を立てた。公園で朝まで過ごすのは大変そうなので、武雄温泉の一つ前の高橋で降りて、カラオケ屋で午前2時まで休息したあと、武雄温泉まで移動しようと考えたのである。しかし、これが第一の誤算であった。カラオケ屋の料金はそんなに高くなかったのだけれども、カラオケ屋は休むのに向かない。ついつい曲を入れて歌ってしまうのである。そんなわけで、ついつい元を取ろうとはっぴいえんどや山下達郎を歌いまくってしまい、一休みもできなかった。第二の誤算は、荷物入れである。ぼくとしては昨年と同様に、リュックで来るつもりだったのだが、女房の勧めにしたがって、キャスター付きのカバンを持ってきた。これがなかなかの誤算であり、なにしろ、武雄の舗装の悪い道路を、高橋から武雄温泉まで約1キロの距離を、重たいキャスター付きのカバンを深夜にがーがーと引っ張りながら移動することになり、いささか疲れた。
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それでも、午前3時には武雄市役所のあった駐車場近くの公園(受付場所)に到着した。すると、もうかなりの人が集まってきていた。
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お久しぶりの網本氏にご挨拶。「さんべ商会です」「ああ、さんべさん」「なかなかの盛況ですね」「今回100人以上も参加者がいるので、協力者を用意したんです」
みればいつもの軽バンに加えて、奥さんの車も出動している様子だ。
受付でゼッケンをもらう。このゼッケンは折り畳みになっており地図がついている。とはいっても、それほど詳細な地図ではない。しかしコースアウトも特に問題にしない大会だ。コースには、前もってあみりん氏が、運動会の白線引きで←を引いてくれている。それがない場所は道なりだ。矢印がしばらくないなと思って走って行って、矢印と出会ったときの、古い友人に再会したような感じはまた格別である。
駄マラニック時代から、この大会には不思議な魅力がある。道の魅力ということだろうか。あみりん氏は「道ソムリエ」だなあとつくづく思う。見かけはなんてことない田舎道なのだが、今回のように旧街道だったり、あるいは見晴らしの良い車通りの少ない農道や、木漏れ日のあるしずかな林の中の道を走るのは気分がよい。まあ、たまには路肩を走るしかない車通りの多い道もあるにはあるけど。で、そこを決して急がずに走るのが楽しいのですね。10キロおきにエイドがあるが、飲み物のほかに、簡単な軽食がある。以前はいなりずしが名物だった。最近はお菓子が出る。
やがて、辺りは午前4時前とは思えないほどの人だかりとなった。網本氏からの趣旨説明や注意事項説明があり、引き続いて参加者の選手宣誓。選手宣誓も、「急がない」「道を楽しむ」という趣旨を十分に理解した宣誓内容となっており、アドリブとは思えない出来だった。おそらくリピーターの方なのであろう。
ランニング人口も今はずいぶん多く、10人に1人がフルマラソンを走るという。しかし、その多くはやがてランニングに飽きてしまう。しかし、ジョグトリップは、厳しいトレーニングを積まなくてもよい。辛かったら歩いてしまえばよい。あるいは時間がなかったら、バスや公共交通機関を用いてショートカットするのも正式な「完走」とみなされる。ゴールしたら、網本氏が写真を撮って、楽しい記念写真付きハガキに仕立てて送ってくれるのである。日本は高齢化社会を迎えて、自分の健康を自分で守らなくてはならない時代になっている。そんなとき、気楽にいつでも迎え入れてくれるジョグトリップのような大会はうってつけだ。
そんなことを考えて受付あたりをうろうろしていると、カッパ先生がいた。カッパ先生はもうおなじみの、久留米走ろう会の重鎮であり、あの萩往還250キロや橘湾岸273キロの完走者である。脚を故障してしまったので走らないといいながら、この大会にも自分の足で来られている。そんなベテランにも愛されている大会なのだ。
実はぼくの中高の恩師でもあるカッパ先生にご挨拶をして、さて、午前4時になり、今回は参加者が多いので「ウェーブスタート」ということで、三々五々スタートしていく。
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この上弦の月ジョグトリップのコースの前半は、同じ武雄嬉野ジョグトリップのコースと重なるところが多い。江戸期には、九州には小倉から長崎を結ぶ長崎街道があり、砂糖などの貴重品も運ばれたのでシュガーロードともいう。武雄にはその長崎街道が走っており、その一部は、古い神社や、江戸・明治時代を思わせる白漆喰の建物など、旧街道の風情を残しているところもある。その旧街道のコースが前半であり、後半は新しい武雄の顔ともいうべき科学館を通り、スタート地点に戻ってくる総延長20キロのコースである。午前4時スタートなのは、熱中症を予防するために、涼しいうちに走り切ってしまおうという配慮である。車も少ないから安全ではある。もっとも、少ないとはいえ、用心は必要だ。

公園をスタートして北上していくと、武雄温泉の象徴である楼門がある。これは東京駅を設計した辰野金吾博士の設計になるもので、重要文化財だ。中は温泉施設になっており、早い時間から遅い時間まで、安い値段で温泉が楽しめる。今回も、走り終わったらひとっぷろ浴びて帰る予定である。
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武雄温泉の市街はまだ暗い。その中をヘッドランプをつけたり、反射板をひらめかせて走っていくランナーたち。まあなんと物好きな、と思うかもしれないが、インディージョーンズになったようで、これが楽しいのである。

細い道の街中を抜け、田圃の中の道を抜け、二階の低い古風な家々を横目に見ながら、走っていく。けれど、そのうちに置いて行かれてしまった。しかし別に構わないのである。ここが長崎街道であったのだろう。その雰囲気自体がごちそうなのだ。などとぼんやり走っていると、柔らかい柱が道の真ん中に立っている。あぶないあぶない。やはり緊張は大事である。
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さて、前半はあまりトイレがない。というわけで、コンビニを利用させてもらう。もちろん礼儀として買い物はするのである。
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ぼくのおすすめは種抜きはちみつ梅だ。塩分が取れるのがちょうどよいのである。
闇の中にぼんやり浮かび上がる、信号を渡ろうと手を挙げる小学生ぐらいの女の子の像。佐賀県はこの像を妙に推していて、あちこちにある。
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どこか和風でもありながら垢ぬけている感じがタレントの水野しずにどこか似ているので、「しずちゃん」と呼ぶことにした。しずちゃんはあちこちに立っている。

旧街道沿いのコースの特徴は、ほどほどの道幅と、古風な民家と、あと寺などの建物が沿線沿いにあることだ。古くから道沿いに人が住んでいた痕跡が残っているのだ。見えない街道を凝視するのである。そして、そろそろ塚崎道と塩田道の分岐あたりである。神社の鳥居がぼんやりと浮かび上がっていた。
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塩田道に入り、視界が開ける。ぼくは遅いので、もう夜明けが近い感じである。また、しずちゃんが立っている。けなげである。
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もう少しで10キロエイドだ。
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10キロエイドは今回の唯一のエイドである。あみりん氏と奥様が待っていてくださった。エイド食はコーヒープリンだ。味は、よく冷えたコーヒー牛乳が銭湯にありますね。あんな感じ。疲れた体を甘味が癒していくのがよくわかる。
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しばらく塩田道を行く。そして、このあたりのコースは自動車の走る新しい道である。これはおそらく、本当の長崎街道沿いは明かりがないことを考えたあみりん氏の計らいなのだろう。しかし、ぼくは遅いからもう明るくなってきている。だとしたら、本当の長崎街道塩田道に逸れてみるのも面白いかもしれない。そう思って、「塩田道」の標識のあるほうに入ってみた。いずれにせよ、だいたい二つの道は平行していて、迷うことはないのである。
夏も終わりで、田圃には稲が揺れている。大人の夏休み。そんな感じだ。
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高速道路の高架をくぐり、その先の農協のあたりで道は再び方向を変え、長崎街道を離れる。そして、今度は宇宙未来館へと向かう。過去から未来へのドラマチックなコースだ。
田圃の中を進むと橋があり、橋のたもとには再びしずちゃん像と、欄干にカッパのぼうやの像がある。
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夏の盛りだけれど、風が涼しい。疲れたので、歩きながら進む。昔、佐賀に住んでいて毎月のように駄マラニックに通っていたころは、もっと走れたような気がする。だいぶ身体も贅肉がついた気もする。しかし、あまり気にしないでよいような気がする。こうやって身体を動かすのが楽しいのだから。ゴールを目指さないというのが、ジョグトリップの極意である。ゴールに目的がある人は、我先に目指して、一番先に着かないとゴールには何も残っていないから、急ぐ。ぼくはゴールが目的ではないから、急がない。コースには、人によって違った発見があるだろう。それでいいような気がする。
のんびりと進むうちに、湖のほとりに出る。
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未来館の近くにはトイレがある。コンビニを出て以来、ここまでトイレがないコースである。要チェックである。
未来館のたたずまいは本当に未来的だ。
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湖の周りを行くと、朝顔が咲いている。そういえば夏休みの宿題で朝顔を栽培したような記憶がある。朝顔は夏の記憶につながっている。
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未来館を離れてここから先はスタート地点の旧武雄市役所隣の公園に向かうのだけれど、これで終わってしまうのはさびしい気がする。そこで、武雄神社に立ち寄ることにした。
ここには肥前鳥居がある。肥前鳥居は戦国時代の後期である16世紀後半から竜造寺を継いで鍋島が政権についた初期のころまで、佐賀を中心に作られていた独特の形の鳥居である。見てもらえばわかると思うが、笠木の形に特徴がある。
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この鳥居は今でも佐賀市内を中心に残っているが、鍋島が代を重ねるうち、次第に普通の形をした鳥居にとってかわられる。その理由は今でもわかっていない。

階段を上った小高い神社の境内の入り口にある肥前鳥居を拝む。笠木が一体となっていて、まるで日本刀の鋭さだ。
武雄神社を離れて、スタート地点に戻ってきた。
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もう、ほとんどの人たちはゴールしたようであるが、まだゴールしていない人たちもいる。
一番遅かった人が、「最優秀ジョグトリッパー」の栄光を受けるのである。
ゴール地点では、あみりん氏と奥様が待っておられて、写真を撮影してくれた。これを絵ハガキにしたてて「完走状」として送ってくれるのだ。これは思い出になる。

そのあと、ゴロゴロとキャリアを引いて、楼門のある温泉で汗を流して戻ってきた。ここの一番古い「蓬莱湯」には「あつ湯」と「ぬる湯」がある。あつ湯は43度ぐらいでやや熱い感じだ。
こちらにはサウナはないが、同じ敷地内にある、別の建物にはサウナもある。サウナのファンの人にはそちらもおすすめである。

温泉の建物を出ると、もう日が高くなっている。暑くなりそうだ。来年も、たぶん来る。























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「いやあ、太りましたか?」
コーセー先生は、走り終わったぼくのみっともない腹を見て、そう言った。
その途端に、冷や汗とともに、ぼくの脳裏には、この3年間の不摂生な日々が後悔とともに走馬灯のように流れた。

ぼくがランニングに興味を持ったきっかけが、駄マラニック天国というホームページに出会ったことがきっかけだというのは前にも書いたと思う。もともと駆けっこが大の苦手だった自分にとって、40キロとか60キロとかの距離を楽しそうに走る人びとがいるというのが衝撃的で、それって、どんな気持ちなんだろう、ぼくもやってみようかな?という気持ちがむくむくと盛り上がってきたのだった。24時間テレビのマラソンと違って、それらの写真に写る人びとは、満面の笑顔を見せてすごく楽しそうだったのだ。そこにはコーセー先生の笑顔もあった。
それに、駄マラニックのページにはもう一つ魅力的な言葉が載っていた。「遅いがえらい」という言葉である。足の遅さでは人後に落ちない自信のあるぼくでも、これなら大丈夫そうだ。というわけで、その頃40代半ばで佐賀県に単身赴任していたぼくは、毎月のように「松浦フル駄マラニック」に通った。その成果がこのブログというわけなのである。

しかし、単身赴任の期間は夢のようにすぎ、ぼくは自宅のある兵庫県西宮市に戻ることになった。3年前のことだ。通勤電車に揺られて遅くまで残業する毎日。生活に追われ、嫁さんに、マラソン大会に出たいと言い出せない日々。数千円のエントリー料がどれだけ高い壁に見えただろう。それに、うちの近所には、木の葉が舞い、風が吹き抜けるステキな道など、無い。車がみっしりと渋滞し、排ガスを撒き散らす道。走ってなにが楽しかろう。だから、仕事のストレス発散のために、酒やつまみに走った。酒に走るけど、足は走らない。体重はメキメキ上昇し、走力はメキメキ落ちた。おお!神よ、この男を救いたまえ。

そんな自堕落な日々にも、救う神がいた。
それが、駄マラニック天国の主催者だった網本氏の始めた「ジョグトリップ」である。善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや。ランニングなんて知んらんとばかりに運動を怠った悪人のぼくは、駄マラニック天国への往生への希望を胸に、実に半年ぶりの九州の地を踏んだのであった。以上前置き。

さて、年末に里帰りするという名目で、女房殿からようやく許可が出たのが、12月23日(土曜日)に開催される「佐世保フルジョグトリップ」である。ぼくは佐世保の出身だから、この大会は思い入れが深い。このコースは、佐世保駅前から南へ走り、日宇川をさかのぼって隠居岳(かくいだけ)へ登っていく。そして、烏帽子岳方面へと進み、7〜8合目を抜けて、山の田の水源地へ下りてゆく。まあ、これで小学校の鍛錬遠足のコースである。しかし、佐世保フルのコースはそれでは飽き足らず、今度は弓張岳へと昇っていく。そして、頂上を目前にした鵜渡越(うどごえ)から、九十九島の絶景を眺めつつ坂を一気に下って、鹿子前(かしまえ)へと出る。鹿子前は、九十九島巡りの海賊船が出る入江だ。それから、SSK(佐世保船舶工業)の造船所を右手に眺めながら、佐世保駅へと向かうのが佐世保フルのコースである。ここまでで、さらに小学校の鍛錬遠足のもう一つのコースである。大人の鍛錬遠足とは、つまり、子どもの鍛錬遠足の二つ分である。
ちなみに、ぼくは実家へ行かないといけなかったから参加しなかったけれど、この後、ジョグトリップ一年間の「打ち上げ」もある。
このコースを立ち上げたのは、佐世保の地元のランニングクラブである。いわば定評のあるコースなのだ。

前日、仕事を終わってまっ直ぐ新幹線で博多へゆき、博多から最終の「みどり」で佐世保着。佐世保駅前のビジネスホテルに泊まり、翌日に備える。ホテル代4800円。掃除はされているけれど、さすがに古いホテルである。

翌朝、駅前に作られた「ジョグトリップ」のテントへ向かう。参加手続。ゼッケン番号は「4646」つまりヨロヨロである。
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ゼッケンには地図が描いてある。まあ、参考程度であり、これと、路面にひかれた白線の←を参考にして、自分でコースを進むのである。佐世保市の公認を受けているとはいえ、プライベート大会だから、警察官による交通整理もない。たまに沿道の人が応援してくれることもあるが、大会用のトイレもない。ただ、ほぼ10キロおきに、主催者の網本氏が事前に交渉したお宅に、エイドが設けられて、飲み物と食べ物が置いてある。それを頼りに42キロを走り切るのである。今回の参加者は60人余り。プライベート大会としては立派な人数だ。
午前8時半になると、もう、三々五々に参加者が集まってきていた。
駅前には朝、露店が出ている。いろんな干物や、かんころ餅、ザボン漬けなどを売っている。着替えたり話に興じている人々の中にはカッパ先生の姿もある。カッパ先生は、久留米走ろう会の重鎮で、実はぼくの中高の恩師でもある。それこそ、毎年のように萩往還250キロや橘湾岸に出たりされていたカッパ先生も、膝の半月板を痛めてしまったようで、最近はウォーキングに切り替えておられる。

やがて、開会式が始まった。今回はカッパ先生が宣誓。先生の宣誓である。
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佐世保は翌日の日曜日は雨の予報だったけれど、土曜日は良い天気。午前9時になり、冬の涼しげな光の中を60人はのんびりと走り出す。なにしろ、駄マラニックの伝統を引き継いで、遅い人がえらいから、急ぐ必要がない。制限時間は8時間だが、一番遅かった人は、「最優秀ジョグトリッパー」としてその栄誉を表彰されることになっているのだった。
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コースのところどころには、網本氏が白線引きで矢印を引いている。この矢印がないところは大体道なりである。雨が降ると流れてしまうのだけれど、地元の人には道路が汚れるとして嫌がる人もいる。そんなときは、すみませんと言いながらコースを変えてみたりもする。あくまで地元に配慮するランニングイベントなのである。
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佐世保という町は、もともと九州の火山活動が作った地形が侵食されてできた町で、「福石観音」や「眼鏡岩」などの奇岩怪石が残されている。ここ大宮町も、いくつもの侵食された谷間に家が立ち並んでいる。ぼくは小さいころ、岩山に上って遊んだものだったなあ、と思い出す。住宅開発でだいぶ削られてしまったけれど、まだいくつもその名残を残している。
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大宮町は、道が狭く、生活空間である朝の通りには住民の人が、何ごとかとこっちを見ている。そこで「おはようございます」とあいさつをすると、それでも返事を返してくれる。そして「どこまでゆきんさるかね?」と聞かれ「烏帽子岳を上ります。そして弓張にも」と答えると「へえ〜」と驚いた顔をしてくれた。
大宮町を抜けて、道は日宇方面に向かっている。このコースは以前と違って、日宇駅の海側を通るようになっている。このほうが交通量が少ないし、だいいち、以前日宇駅の近くでウンコを踏んで嫌な思い出があるぼくとしては、こちらのほうがよい。とはいえ、たまに車が来るし、道が狭いから車には要注意である。やがて、コースは日宇川に沿って、山をのぼっていく。

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運動不足のぼくとしては、上り道がきつい。以前は、有森さん直伝の「綱引き走法」(天草マラソンの回参照)で坂の大明神を目指したぼくだけれど、長年の運動不足のために、有森さんが降りてきてくれないのである。以前みたいな脚を取り戻したいな、と痛切に思う。
思いながら道は黒髪町をどんどん登っていく。
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川を上っていくとダムがある。猫山ダムである。ジョグトリップのコースは何かと水源地やダムと縁がある。ダムや水は見ていると心が休まるような気がする。ついでながら、このダムのわきの駐車場にはトイレがある。ジョグトリップはプライベート大会なので、トイレの位置は要チェックだ。

猫山ダムを過ぎて、コースはさらに登っていく。後ろから走ってきた人が横に並ぶ。
「はじめてなんですよ」「頑張って。この先ずーっと上りですから」とぼくは返事する。その人はぼくを抜いていく。僕の脚は、相変わらず重い。しかし、ゆっくり、ときどき歩きながら登っていくと、コースはぐいぐい高度を上げてゆく。佐世保湾と佐世保の街が冬の日に照らされて、きらきらと輝いている。
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今上っているのは、隠居岳(かくいだけ)に向かうコースである。隠居岳から烏帽子岳は、佐賀と佐世保の境目にある国見山が作り出した溶岩台地の一角にあり、烏帽子岳や隠居岳も、埋もれてしまったが、固有の火口を持っていたといわれる。烏帽子岳の烏帽子の形は、溶岩ドームの名残だとも言われる。なにしろ、このあたりが火山活動をしていたのは有史以前の話なので、記録も何も残っていないのだ。しかし、道を走っていると、ちょうど関東ローム層を思わせるような赤土の層があるのは、火山活動の跡を思わせる。ふと、九州草創期の暗闇の中に火柱を噴き上げる山々の姿を想像してみる。林の間を抜けていくコースが、どこか、あの阿蘇カルデラスーパーマラソンのコースを思わせるのはそんなこともあるのかもしれない。
コースわきに地蔵がある。
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道がちょっと緩やかになる。そして、おなじみの匂い。牛小屋である。なぜか牛小屋も、ジョグトリップのコースに付きものなのだ。特に牛小屋をコースに織り込んでいるわけではないと思うけれど。
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林を抜けた先に民家があり、ここが第一エイド。11キロ地点だ。ちょうどのどが渇いていたところである。
ジョグトリップのエイドは、簡単な食べ物と飲み物が置いてある。第一エイドは、カッパ巻である。きゅうりと梅の味が、疲れた体にしみていく感じがある。それから、以前の大会では見かけなかった温かいポットがいつのまにか登場しているので、ここぞとばかりに、専用エコカップを出してお茶を注ぐ。以前はプラスチックの使い捨てコップを置いてあったが、エコのために、専用エコカップを配っている。ただ、これ、しっかり伸ばさないと、お茶が漏れてくるというやや難ありであるけれど、エコのためだから大目に見る。

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それから民家の方のご厚意で、小ぶりのミカンが置いてある。これこそまさに「神エイド」というべきものであり、甘味と酸味のバランスが絶妙だった。これぞまさしく千両ミカン、などと思いつつ、エイドを後にする。
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コースはこのあたりから、気持ちよい林道に入っている。緩やかなのぼりだ。全盛期のぼくなら、「チョー気持ちイイ〜」などと言いながら登っていくコースであるけれど、すでに衰えたぼくの体力は走って上ることを許さない。ジョグトリップのコースは長崎県を舞台としており、長崎県は平地が少ないので、自然ジョグトリップのコースもアップダウンの多いコースである。上りは辛抱して、やがて来る下りを快調に飛ばして、その勢いで水平な道を走り抜ける感じ。だけど、今のぼくは上り道もきついし、下りは走れるけれど、水平になったところで、疲れて止まってしまう感じである。
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しばらく気持ちの良い林道を進む。ほんらいこの辺りは雑木林であったはずだけれど、戦後の林業ブームで一面に杉を植えた。これが花粉症を生み出すもとになったと言われる。今では、杉も一つの風景である。

しばらく上ると、開けた場所に出て、行く先が「ト」の字に分かれている。
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ここを右に降りる。うっかり、まっすぐ行くと烏帽子岳の頂上に着いてしまう。それも悪くないけれど、コースアウトである。さて、ここからが気持ちの良い下りだ。衰え切ったぼくの脚だけど、下りは気持ちよく走れる。
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しばらく下ると、民家のあるところに出る。以前は、家の人が声援を送ってくれたりしたものだけれど、今日は誰も出ていない。車も来ない林道を気持ちよく走っていると、しかし道はやがて水平になっていく。水平な道も以前のぼくなら気持ちよく走ったけれど、今は水平になると脚がとまってしまう。いつか、気持ちよく走れるようになるだろうか。それにしても、走ると腹の肉が揺れるんだよなあと不摂生の呪いを抱えて、中年は走るのであった。

石切り場があり、崖に目をやると、ぶあつい赤土の層と、その中に巨石がごろごろ。
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有史以前の火山活動のなごりが、目に見える形で残っていたりする。

道は延々続く。奥田民生の「イージュー☆ライダー」の歌詞ばりに、延々続く道を走ったり歩いたりしながら進む。後ろから走ってきた人が抜いていく。ベテランのランナーらしく、走るテンポをキープして着実に前に進んでいく。
どれくらい登ったり下ったりしただろうか。烏帽子岳高原のリゾートスポーツの森が見えてきた。
こじんまりしたコンクリートの教会があり、クリスマスの飾りつけがされている。
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この辺りはぼくはもう歩いている。ほとんど走っていない。だけれど、ジョグトリップはそれでもいいのだ。時間までにたどり着けなければ、ワープといって、公共交通機関を利用してゴールにたどり着いても、立派な「完走」。ちゃんと「完走状」を作って、あとで家まで送ってくれる。この辺りも、駄マラニック以来の良き伝統なのである。ちなみに、佐世保フルだと、この先、山の田水源地を降りて国道208号に出たあたり(28キロあたり)が、ワープゾーンである。市バスに乗ればほとんどのバスが佐世保駅前に到着するのだ。

たしか、この先「青少年の天地」という公共施設があり、その前あたりの民家に、エイド(オアシス)があるはずだ。20キロエイドである。青少年の天地は、開いていればトイレを借りることもできる。
さて、20キロエイドに着いた。
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これはみたらし団子である。塩分と糖分というランナーの疲れた体の二大欲求を満たしてくれる見事なエイド食だ。とともに、普通のマラソン大会ではまず、お目にかかれない立派な「お菓子」である。これは網本氏の奥様の勤務先の平戸の菓子店のご厚意によるはずだ。
別に走らなくても、実にうまい。ひと箱に団子が二本入っており、ひとり二本まで、という注意書きがある。でも、誰かが一本だけ食べて残している。こっそりと3本目をいただく。頂いた後で、思わず突き出た腹を見下ろす。これじゃあ、痩せないな。

青少年の天地はスポーツ保養施設であり、小学生でいっぱいだった。その中に交じってトイレを借りてすっきりして生き返った心地になって、さあ、烏帽子岳の下りだ。
下り道を走って右に入ると、以前は民家があったところに、メガソーラーが出来ている。家人がなくなり、家が取り壊された後、メガソーラーが律儀に発電をしているのだ。再生可能エネルギーは今後大事だと思われるけれど、いろんな感慨があるなあ。
しばらく行くと、巨大な白い十字架がある。
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「白い十字架の聖地」という標識があるけれど、いわれはよくわからない。
よくわからないけど、とても気持ちの良い林道である。
今回、林道のわきに目をやると、妙なキノコのようなものが目に入った。彼岸花の実かな、とも思ったのだけど、ちょっと違うみたい。こんなとき、すらすらと植物の名前が出ればいいのになあ、と思う。
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ほんとに気持ちの良い道を、下っていく。
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ここを降りていくと、山の田の水源地に出る。ここは小学校の頃、魚を取ったりして遊んでいたところである。ちょうど10歳の半ズボンの僕がいるような気がする。あの頃、ズボンを濡らして怒られたなあ。両親も死んでしまった。みんな行ってしまったなあ、ただいま10歳の僕………
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などと、脳裏を妙な連想が駆け巡って、ふと涙ぐんでいる。
涙ぐみながら走る52歳の中年男(腹が出ている)である。
太った中年が泣きながら走っている。
実に怪しい。
走ると、妙な物質が脳内に出るらしい。危ないお薬なんかよりも、走ったほうがよっぽど気持ちよくなれるかもしれない。
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山の田の水源地を左手に見ながら、桜木町の街並みを降りていく。
ちなみに、山の田水源地の辺りには公園があり、ここにトイレがある。
コースはやがて国道204号線にぶつかる。ここで、ぼくはワープも検討する。ここから再び弓張岳の山登りだ。そこから降りてきて、駅前まで戻るのにどのくらいかかるだろうか。
今、午後2時過ぎている。
午後5時までに間に合うだろうか?
たぶん28キロ弱のところまで来ているはずで、残りは15キロ足らずだ。
よし、行こう!そう決めて、コースに入る。

佐世保フルの名物は、ここから少し上ると、地元のランナーの人が、鰹節の薫り高い味噌汁や飲み物を出してくれる私設エイドである。看板が見えてきた。
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ゼリーや卵焼きなど、ランナーのニーズを踏まえた心憎いメニューを出してくれた。

さて、さらにコースは弓張岳の中腹の道路をどんどんと進んでいく。弓張岳は、大正五年に実業家の松尾良吉が鵜渡越(うどごえ)を訪れて、九十九島の美しさに観光開発をしようと思ったのが始まりであるそうだ。今でも鵜渡越から眺める九十九島は最高の眺めである。

もっとも、そこにたどり着くまでは、やっぱりしんどい上りで、ぼくはほとんど歩いている。
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やがて31キロエイドに到着。ここでのエイド食は、駄マラニック時代からの定番「いなり寿司」だ。甘くて辛いいなりずしは、疲れたお腹に美味しいけれど、二つ食べるとお腹にもたれて走れなくなるという噂もある。しかし、ぼくはもともと走っていないので、二ついただく。うまい。
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ここで女性二人組のランナーと一緒になる。楽し気にお話をしながら走っていくお二人。これも、「急がない」大会ならではの醍醐味なのである。
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上りは正直きついけれど、眺めは最高だ。このあたりは、ぼくが小学校の頃の鍛錬遠足のコースである。うしろから走ってきた人に「よい天気で良かったですね」と話しかける。その人は「走りやすくてよかったです」と自分に確認するようにつぶやいて、会釈をするとぼくを追い越して登っていく。ランナーは基本、孤独である。自由とうらはらの孤独が好きなのかもしれない。ランナーの話は多くは独白だ。ちょうどぼくのこのブログだって、独り言みたいなものかもしれない。
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坂をずーっと上ると、鵜渡越に着く。駐車場があり、店がある。トイレがあるので、ここで用も足せる。ぼくは、少しお腹がゆるくなっていたので、ここですっきりした。自動販売機でダイドーのシークワッサーサイダー衝撃価格100円!というのを買って飲む。でかくて安いから買ったのだけれど、大半残してしまった。それでも疲れた胃には、なんとなく炭酸が優しい気がするのである。

ここから少し上った弓張岳の頂上には、高射砲の基地があった。昭和16年から設置が始まった高射砲は、今でも砲座の、地面を掘り下げてコンクリートで固めた跡が残っている。小学生がかくれんぼができるほど巨大なものだ。ぼくは小学校の鍛錬遠足で、これはいったい何だろうといつも不思議に思ったものだった。

佐世保は、もともと戦と関連して発展してきたまちである。古く戦国時代は、佐世保を巡って松浦党が本家と平戸松浦家の二つに分かれてしのぎを削った。やがて、平戸松浦氏が勝ちを収めて江戸時代の間、佐世保を支配する。やがて明治時代になり、天然のリアス式海岸に注目した明治新政府は佐世保に海軍の鎮守府を置く。海軍の鎮守府があるところが「村」ではけしからんということで、明治35年に村から一足飛びに「佐世保市」となる。太平洋戦争になり、佐世保港には戦艦武蔵が整備のために入港したり、高射砲陣地が置かれたりした。終戦近くには、佐世保大空襲で街は灰燼に帰した。戦後、佐世保には自衛隊基地とともに、米軍基地が置かれて現在に至っている。米軍基地のある町、というと何か物々しいけれど、米軍基地もそれなりに地元との親和を図り、年に一度、基地エリアの一部を解放したりするなどの交流を図っている。
この町は、本土の西のはずれにある地理的には決して恵まれていない都市である。しかし九州では9番目の人口を誇り、実際、アーケード街を歩いても街に活気がある。それはたぶん、この街が軍港としての成り立ちと切り離せないからなのである。その分、歴史に翻弄されてきた街でもある。

大正時代の実業家を魅了した九十九島の眺めを見てしばし休む。そして、ぼくは時計を見て再び出発した。これなら、ちょうど午後5時ぐらいに到着して、最優秀ジョグトリッパーを狙えるかもしれない。鵜渡越の急坂を走って下る。この急坂を観光開発するのは、大変だっただろう。
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坂を下り切ったら、もう鹿子前だ。九十九島巡りの海賊船がのんびりと浮かんでいる。子供のころ、海賊船に乗ったり、洞窟流しそうめんを食べたりしたなあ、と思い出す。
やがて、38キロエイド。鹿子前のハンバーガー屋とコンビニの前にクーラーボックスが置いてある。

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エイド食はプチトマト。これは、熊本城マラソンでもエイド食で出たことがある。
意外と疲労回復効果が高い。エコカップを引っ張って、温かいお茶をもらう。うっかり蓋をうかべたままでお茶を注いでしまったので、まるで五右衛門風呂みたいになっている。
もうあと、5キロ弱。自分に言い聞かせてスタート。

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鹿子前を抜けて、佐世保重工業の方面へ向かう。ぼくが小学校の頃の昭和40年代は、まだまだ日本の造船業は盛んであり、誇らしげな百万トンドックや巨大なクレーンを感嘆しながら眺めたものであった。その後、造船業は構造的不況に陥り、佐世保重工業も、現在は伊万里の造船会社の傘下にある。

しかし、佐世保重工業の建物も、歴史はあるんだろうけれど、古めかしくなっている。赤レンガの建物なんて、もしかしたら戦前のものかもしれない。ぼくが好きなクレーンの群れも、絶滅した恐竜にも見える。

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米海軍佐世保基地を横目に見ながら、ひたすら佐世保駅に向けて足を動かす。まあ、走れない。
フルマラソンを歩かずに完走できた、と喜んでいたころが夢のようだ。
ぼくも再び歩かずに42キロを走り切れるようになるだろうか。

アルカスという巨大な公共施設の先を曲がって、佐世保駅に到着すると、午後4時半頃になっていた。狙った午後5時よりは早かったけれど、最優秀ジョグトリッパーになれただろうか。
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待っていた網本氏が、写真を撮ってくれる。これを完走状に仕立てて、後で送ってくれるのである。
「ぼく、当然、最優秀ジョグトリッパーですよね?」
違うらしい。まだまだ5人ぐらいいるらしい。いやあ、さすがにジョグトリップ、狙って獲れる賞ではないらしいのだ。
やがてコーセー先生と、inanekoさんがほぼ一緒に走ってきた。
コーセー先生は、いつも幟をもって走る人である。今回もジョグトリップの幟旗を持って走ってきたらしい。
そして、網本さんの話だと、コーセー先生は、ぼくが佐世保にいない間に、橘湾岸スーパーマラニックの金龍、つまり276キロを走破してしまったらしい。驚愕するぼく。長崎市を出発して野母崎を回ってきびすを返して諫早方面へ向かい、島原半島をぐるっと一周して、普賢岳を上って降りて、小浜温泉へと降りてくるマラニックである。聞くところによれば、二日間寝ないで走っていると、キロポストが人間に見えたりという幻覚が見えるらしい。
ランニングの世界はじつに奥深く、きりがないのである。

で、冒頭のシーンに続く。

佐世保フル、とても気持ちの良いコースである。たぶん、来年もこの道をぼくは走りに来ているだろう。きっと、里帰りだから奥さんの許可も出るはずだ。それに、たまに、体力を底まで使い切る経験をするのも悪くはない。何よりも、ジョグトリップは全ての人を迎え入れてくれる。ぼくみたいにトレーニング不足で腹が出てしまった元ランナーでも。走るのが遅い人は途中から「ワープ」する工夫をすればよい。足が強くなくて全コース走り切れない人は、コースの良いところを取って、途中で切り上げてゴールを目指す手もある。ランニングの楽しみはいろいろだし、「遅いから」「そんなに走り続けられないから」という理由で諦めてしまうのはもったいない。楽しみをどう見出すのかは全て参加者に任されている。これが、ジョグトリップが「大人の鍛錬遠足」たるゆえんでありそうだ。

ちなみに、ペースが思いっきり遅かったせいか、脚は翌日以降になってもぜんぜん痛まなかった。

というのに参戦してきた。ジョグトリップhttp://www.jogtrip.org/は、あの駄マラニックを主催していたあみりんこと網本氏が主宰するランニングイベントである。今回の距離は20キロメートル。ずいぶん控えめな数字だな、と思うかもしれない。
しかし、これには事情がある。
前にこのブログを更新したのは、2年前の春だ。2年前の春に、ぼくは九州を離れ、自宅のある大阪へ戻った。住宅ローンと子供の教育費のことや借金のことが頭から離れない毎日。朝起きては犬の世話をし、通勤電車に揺られて会社へ行き、戻ってきて寝るだけの生活が待っていた。駄マラニックで毎月走っていたのが夢のようだ。
そして、駄マラニックで毎月走ることは、ぼくのような運動音痴にも、それなりの脚を保障してくれていたのだけれど。
決して速くはないが、その代わり、一晩歩き、走り続けてもへこたれない体力を。
でも、50歳を過ぎてこの2年間は早かった。
萩往還で140キロをまがりなりにも時間内にゴールインしたのもまるで夢のようだ。体重も増えた。
体力は、それこそ坂を転がり落ちるように落ちた。その間、実は淀川寛平マラソン2017には参戦したのだけれど、時間内にゴールするのがやっと。サブ4、サブ3などどこの話か、ってぐらいだ。

今、マラソンブームだという。10人に一人の大人がフルマラソンを完走する時代になった。だけど、フルマラソンを完走した人たちのほとんどが、長距離走から離れていってしまうという。

どうやら、ぼくもそうなってしまっていたようだ。
だけど、これでいいのだろうか。
あの頃の気持ちを思い出したい。
もしかしたら、あの夏の入道雲のむこうに、40を過ぎてから遅れてきた青春とばかりに元気だったぼくが待っているのかもしれない。


そんなわけで、ぼくは、8月5日、青春18きっぷを購入して、各駅停車の人となったのであった。

十三夜の月ジョグトリップは、毎年8月に武雄駅付近をコースに開催されている。午前3時、という時間から準備を始めるのは、この時期は熱中症の危険があるからだ。気温が上がる前に走り切ってしまおう、というのである。だけど、車がない人は大変だ。ぼくももちろん車がない。だから、8月5日の午後9時過ぎに武雄温泉に到着したぼくは、武雄駅近辺でうろうろする。
本当は集合場所の公園にこっそりテントを張ろうと思っていた。けれど、テントがなかったので、とりあえず、虫よけスプレーをした。公園のベンチでうとうとしながらスタートを待つのである。ベンチに寝そべって夜空を見上げる。
夜空の真ん中には、十三夜の月が引っかかっている。
きれいだ。
そこでぼくはあることに気が付いた。今の時間に中天にあるということは、ジョグトリップのスタート時間である午前4時になったら、沈んでいるのではないか?
そんなことを考えながらも、うとうとしてきた。
そのとき、公園の遠くのほうで足音がした。
夜の足音はびくっとする。聞き耳を立てる。
次の瞬間、ぐえええ、とかうわ、という音。
嘔吐する音である。ここは、武雄温泉の駅前付近で、そのあたりは当然に飲み屋街だ。
気分をそがれて、目が覚めてしまった。

それでもうとうとしながら、寝たり起きたりしているうちに8月6日になり、午前3時になる。網本氏の「駄マラカー」改め「ジョグトリップ号」が到着して、テントを設営している。ジョグトリップになっても、やっぱり主催者の網本氏が全部やっている。ただし、今回は武雄市役所の公認を受けているので、テントは終盤まで設営していて構わないようだ。でも、ボランティアのいない大会だから、網本氏はやっぱりレーススタートと共に、コースを先回りして、エイド(オアシス、と呼ぶ)の点検に向かう必要がある。
そのさい、預かり荷物も積んで一緒に回る。このあたりは駄マラニックと変わらない。

参加者が集まってきた。
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ぼくもふらふらと起きて網本氏に挨拶する「お久しぶりです」「あ、さんべさんですか」

http://www.jogtrip.org/trip/index.php/view/514

十三夜の月ジョグトリップのコースは、前半は、同じジョグトリップの「武雄嬉野フル」と似ている。つまり、長崎街道の塚崎道と塩田道を合わせたコースである。途中、白漆喰の風情のある建物が見られたりする古の風情を感じられるコースだ。ただし、コースは途中のJAのあたりで右に折れて、こんどは武雄の「ゆめぎんが」という科学館へ向かう。ゆめぎんがの前には湖があり、その前に未来的なデザインの科学館がそびえ立つ。そして、コースは一周してスタート地点へと戻ってくる。
しゃれた言い方をすると、過去から未来へ向かうコースだ。

今回の参加者は20名ぐらいであり、ぽつりぽつりと集まってくる。ランニングのベテランから、始めたばかりの人まで思い思いに走れるのが、ジョグトリップの良いところだ。
そこに登場した人がある。「肥前山口から走って、いや歩いてきたったい。」
カッパ先生とその連れの人である。過去、このブログにも何度か出てきたこともある先生とも、2年ぶりだ。「筑後川マラソン」の実行委員で、大会の途中に出現する河童の中の人で、九州ランニング界の有名人である。昨日は宴会で、そのあと終電で肥前山口まで来て、武雄温泉まで走ってきたらしい。先生は饒舌だが、酔っていなくても結構饒舌なこともあるので、酒が残っているのか、残っていないのかよくわからない。「今日は、筑後川マラソンの会議のあるけん、完走してもせんでも、始発に乗らんばいかんとたい。そいけん、前半で戻ってくるね。」と先生。体調さえ完璧なら萩往還250キロや橘湾岸273キロを完走した先生にとっては、20キロなど屁でもないはずなのだが。(補足・今回はショートカットされたそうです)

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ジョグトリップで始められたのがエコカップである。紙コップを廃止して、マイカップを持参しようという試みは、橘湾岸ほか、いろんなマラニック大会で行われている。ジョグトリップのそれは、折りたたみ式のギミックの効いたコップだ。これを無料でもらえるので、次回参加のときから持参することになっている。
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同じく今回から始まったのが、完走状撮影のときのカブリモノである。もともと駄マラニックの頃から、完走した(つまり交通機関の利用含めどんな方法でもゴールまで戻ってきた)人は、記念写真を撮ってあとで送ってくれるのだが、今回の大会から、その際は、マスコット「ジョグトリ」そっくりのカブリモノをして撮影することになったそうなのである。
このあたりが、あみりん氏のユーモア感覚で、つまりそんな大会なのだ。ジョグトリップは。


スタート時間になり、ひさしぶりなので、宣誓を仰せつかった。「宣誓。我々ジョグトリッパ―一同は、ジョグトリップ精神にのっとり、時間いっぱいまでコースで気持ちよくトリップしながら、車に気を付けて安全無事にゴールまで戻ってくることを誓います」(うろおぼえ)とか、そんな感じのことをもそもそと誓う。
で、時間になったので、あみりん氏に見送られつつ、もそもそとスタートした。残念なことには、肝心の十三夜の月は、民家のむこうに完全に姿を消していた。

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公園を出発した20名ほどは、ゆっくりとしたペースで、月明かりのない、早朝の温泉街の闇の中を走っていく。武雄温泉の楼門が見える。温泉の象徴的な建物であり、東京駅を設計した辰野金吾博士(唐津出身らしい)の設計になるものである(重要文化財)。

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ジョグトリップになっても、この大会は、要するにプライベート大会に少し後援が付く程度なので、コースといっても普通の道である。ただし、道は、街道など、走って楽しい道がセレクトされている。これが道ソムリエあみりん氏の腕の見せ所であり、今回は、旧街道の風情がスパイスになっているといえる。ただし、公式マラソン大会と違って、交通整理もなければ、ボランティアが大勢で見守っているわけでもないので、コースには要所要所に、「白線引き」で→がひかれている。
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これがない場所は、だいたい道なりに行けばよい。あと、ゼッケンの中に一応の地図があり、参考になるようなならないような。もともとコースアウトとかも問わない大会なのだ。

もう一つは、トイレの問題がある。プライベート大会だから、当然、仮設トイレなどはない。だから、途中に便意を生じた場合の対応が大事である。これはおおむね公衆トイレか、ないところではコンビニで用を足すことになるので、あらかじめチェックしておくとよい。ぼくも、朝まで公園でうとうとしていたせいか、さっきから少し腹がゆるくなっている。前半のコンビニでトイレを借りよう、と決めて、道沿いのコンビニに入った。
すっきりして出てきたら、もう主な集団からは置いて行かれていた。

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コースは現代の道路をしきりに横断する。といっても、もともとは街道があったのである。そのあと、街道を突っ切る形で道路が引かれたのであり、道路はしょせん新参者だ。だから、道路はどうどうと横断したらよい。なにしろこちらが由緒ただしい長崎街道なのである。
慣れてくると、現代の街並みの中に、消えてしまったはずの街道が「見えて」来る。これがまた楽しいのである。

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途中、次第に夜が明けてきた。爽やかな夏の朝の中、運動不足のぼくの脚も、割と軽快に動いてくれている。武雄の市街を抜けて、コースは嬉野方面へと向かう塩田道へ入っている。視界いっぱいに、朝日に照らされた田圃があり、照らされて輝く山が見える。夏の田圃では、稲が順調に育っている。
今回、実は台風5号が心配されていたけれど、逸れてくれたようで安心である。

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やがて、10キロ地点のエイド(オアシス)に到着する。エイドには、ジョグトリップ号であみりん氏が先回りして待っていてくれた。
一般のマラソン大会では、気分が悪くなったランナーを回収するエイド車なども出る。しかし、主催者がなんでもやる大会なので、あみりん氏のジョグトリップ号はそのへんも兼ねていると思われる(ただし、基本、自分の体力と相談して、無理はしない大会であるから、実際にそういう話は聞いたことがないが)
ところで、駄マラニック時代から、あみりん氏の主催する大会では独自のエイド食で参加者を楽しませてくれている。稲荷寿司などが名高い。でも今回は秘密であり、スタート地点で、網本氏が、今日のエイド食はなんでしょうかとなぞかけをしていた。その答えがこれ。
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「桃の水大福」である。ぎゅうひの饅頭の中には、半ば凍った桃が包まれている。このシャリシャリした歯ごたえと甘さが、とても良い。(まあ、夏場のこととて塩分も欲しくなるけれど、それはさておき)。なお、買おうと思ったら、平戸の某和菓子店で買えるとのこと。
水分は、コーラ、麦茶、それに水が用意されている。ずいぶん以前の話だが、夏場の大会で参加者が多くて、あとから飲み物がないなんてこともあった。それから、あみりん氏が気を配ってすぐに補給するようになっている。麦茶が2本、封を切らないまま入っていたので不思議に思って聞いてみた。「実は、今回も麦茶を補給したんです。一番人気でね」とあみりん氏。

エイドを出発して、引き続き塩田道を走る。男女ペアのランナーが前を走っている。友達が共通の趣味を持っているのはとてもいいことだ、と思う。九州を離れて関西に戻ってから、ぼくの周りにはランニングを趣味とする人もいない。それがランニングから離れる原因の一つになったともいえる。

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塩田道は、街道の風情もあるのどかな道だけれど、やや退屈だ。というか、実はもともとの塩田道はもう一つ山沿いの側を走っているのだが、早朝夜間の暗い旧街道を避けて、わかりやすいよう新しい道沿いをコースにしてあるのである。

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のんびり走ったり歩いたりしながら、科学館方面への右折ポイントに出る。横断歩道の前に、人形が置いてある。すました顔の女の子の人形だ。最近だとちょっとタレントの水野しずを思わせる顔立ちでもある。

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右折をして、科学館方面へと進む途中、川にかかった橋のたもとには、河童の像がある。カッパ先生はもう走り終わっただろうか。それとも途中で戻ったのだろうか。そんなことを思う。なにしろ今回運動不足が極まったぼくは、究極の後方集団である。つまり最優秀ジョグトリッパ―候補だ。

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ジョグトリップは順位や速さを競う大会ではない。むしろ、最後に戻ってきた人を、「最優秀ジョグトリッパ―」として栄誉を称える慣習になっている。コースを最も楽しんだから、という理由だ。賞品はとくにない。今回、最後に戻ってきた人は、スタートにずっと遅れて走り出した人であった。最後から二番目に戻ってきた人は、実は、コースを二周した人である。ぼくは最後から3番目だったので、実質的には最優秀のはずなのだが。


時間を戻すと、男女ペアのうしろをぼくは走っており、やがて、ゆめぎんが近くの湖に到着した。
爽やかな風が吹いてくる。
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ここに、後半コースで使える公衆トイレがある。ぼくはトイレを利用しないでゴールまで行けると踏んで、そのまま走る。
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走りながら、「ゆめぎんが」の威容を見上げる。こんな立派な科学館のある子どもは幸せである。
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朝日が湖に反射して、きらきらとした光を送ってくる。52歳の運動不足のおじさん(おれ)もついうっとりする。
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しかし、うっとりばかりもしていられないことには急速に便意を催してきた。しまった、やっぱりゆめぎんがで行っておけばよかった、と激しく後悔するが、もう遅い。頭の中は、便意のこと、肛門括約筋のことしか考えられなくなる。液体に近い固体を必死で袋の口を締めてキープしている感じ。
もう、走れずにぼくは歩いている。ゾンビみたいな感じである。神よ、このゾンビを救いたまえ。

と、捨てる神あれば拾う神があるものである。武雄神社の前を過ぎたあたりの駐車場のわきに、トイレがあるではないか。必死の思いでトイレに入り、用を足した。

危ないところであった。そこからは、もう何か憑き物が落ちたみたいな感じになって、のんびりゴールに向かった。先ほど、男女ペアに抜かれているので、たぶんぼくが最後尾である。

ゴールに到着したぼくを、網本氏が迎えてくれた。
鳥のかぶりものをしてジョグトリ化して写真を撮る。
これを完走証を兼ねたはがきにして送ってくれるのである。

今回、月は見えなかったのだけれど、十三夜の月ジョグトリップは十分楽しい大会だった。月はひとりで天空にかかっているように見えるし、ランナーも走っているときは、とても孤独だ。だけど、月は遠くから地球を引っ張って、潮の満ち干を引き起こすし、ランナーもどこかで、別のランナーを引っ張っている。ジョグトリップは「ゆっくり走ろう」と呼び掛けている。ゆっくり走ると、別のランナーがよく見える。そして、ランナーは、「一緒に走ろう」と別のランナーを引っ張ってくれているようだ。
今回、失った40代の青春を求めて、青春18きっぷで武雄温泉まで参加して気づいたことは、自分をランニングへと引っ張ってくれる別のランナーの大事さである。
そう、それはちょうど、あの月のように(あるいはカッパ先生のように)遠くから呼びかけてくれているのである「また、走ってみないか」と。

ジョグトリップは大村湾129キロなんていう、上級者向けの大会もあるけれど、比較的手ごろな距離の大会もある。それは、フルマラソンを完走した後、遠ざかってしまっているお父さんたちの、「走り直し」のきっかけ作りにとても良い。

そんなことを考えながら、ぼくは再び各駅停車の人となった。








もう2か月も前のことになるのだけれど,2月の第4土曜日に開かれた「武雄嬉野フル駄マラニック」を走ってきた。
もう説明はいらないと思うけれど,「駄マラニック」は,長崎に住むあみりん氏が開催するマラニック(マラソン+ピクニック)のシリーズだ。ふつうの田舎を42キロとか,55キロとか,はたまた100キロとかを,だいたい10キロおきに設営してある無人エイドでおやつを食べながら,走ったり歩いたりする大会である。
普通のマラソン大会だと,時間制限が厳しいので,特に長距離をゆこうとすると「私なんか」てな感じで気後れする。これを「ワタシナンカ現象」と呼ぶ。
駄マラニックは制限時間がゆるいから,のんびりと走り,疲れたら歩き,さらに疲れたらタクシーやバスや電車に乗ってもいい(ただし田舎なので,あまり来ないけど)。
とにかくゴールに着けば「完走」だ。遅いがエライ大会だから「ワタシナンカ現象」が起きにくい。遅い人も堂々と走れるのだ。
で,時間内にゴールしたら,ゴールであみりん氏が写真を撮って,「完走証」と証するはがきにして送ってくれる。エントリー料は今では珍しく,フルで3000円と,お安くなっております。

ちょうどぼくみたいに,遅いくせに長距離を行きたい人にぴったり!というわけなのだ。もちろん速く走っても悪くはない。ただ,駄マラニックを一人で運営しているあみりん氏は,ランナーがスタートすると同時にスタート地点を撤収してコース保守に出かけるから,フルだと4時間よりも早くゴールしてしまうと,せっかくゴールしてもゴール地点に誰もおらず,さびしい思いをすることになるのである。

さて,この4月にぼくは九州を離れることになった。駄マラニックともしばしのお別れである。そんなわけで,今回の武雄嬉野は,ぼくの職場にも回覧を回して総勢6名で参加することになった。
メンバーは前の「武雄嬉野」にも参加したヒロシ君とホセ君と大分くん。加えて今回は,武田さん(仮名)と上杉くん(仮名)が参加してくれることになった。武田さんは職場そしてランニングの大先輩でベテランランナーでもある。職場の運動部長の異名もある。
上杉くんはぼくよりも若い人でローン持ち,妻子持ちの(ぼくと同じだ)優男(ここはぼくと違う)で,ことしの佐賀桜マラソンの10キロにエントリー済みである。実はあまり10キロ以上の距離を走ったことがないという。そんな彼でもこの駄マラニックなら,大丈夫だという確信がある。初心者にも,自信をもってオススメできる大会なのである,駄マラニックは。


さて,当日はせっかくのお別れ会なのに,夜が開けてみたら,あいにくの雨だった。
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ただ,あまり心配はしていないのである。途中でだいたい晴れるからだ。とはいえ,寒いのはやだなあなどと思いつつ,JR武雄温泉駅に向かった。
スタート地点のある武雄市役所横の公園は小雨模様。晴れたらいいのだがなあ。とはいえ,この武雄嬉野には他の駄マラニック大会と比べても大きなメリットがある。それは「武雄温泉」という強力な温泉の存在だ。武雄嬉野フルは,武雄を出発して,長崎街道塚崎道を北方分岐までもどり,長崎街道塩田道を通って南下し,塩田の町並みのあたりでこんどは川沿いに西へ嬉野温泉方面へと向かう。そして嬉野温泉の手前で北に進路を変えて,こんどは長崎街道塚崎道を北上して再び武雄温泉へと向かう。そしてゴール地点には,「武雄温泉」があり,冷えた身体を温めつつ,ゆっくり汗を流せるということなのである。
走り終わった後の温泉ぐらい素敵なものはない。

ということを考えているうちに午前9時,スタートとなった。ぼくはいつものウェアに,コンビニの雨合羽といういでたちである。
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この武雄嬉野のコースは忠実に長崎街道をトレースしているのだが,現在の武雄市街を通る部分というのは実のところ,ややわかりにくい面もある。いわば本日の第1の難所だ。
もちろん,あみりん氏は運動会に使う『白線引き』で,迷いやすいところには矢印を引いてくれている。ただ雨で流れてしまうと(流れるのであとを汚さないというメリットもあるのだが),コースがわからなくなってしまうという問題もある。

今回スタート地点は6名揃ってスタートしたけれど,ヒロシ君,ホセ君,大分君は先に行ってもらった。初参加の武田さんと上杉さんが迷ってはいけないからだ。大会の趣旨はあらかじめ説明してある。遅いがえらい大会なので,のんびりと走ってよいし,公共交通機関を使っても良いという説明も。
でも,やはり参加するからには楽しんでもらいたいではないか。

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市役所前を出て北上すると,武雄温泉の楼門が見える。
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お色直しが終わって,朱色が鮮やかだ。

さて,路上の矢印もところどころ消えている。だから,武田さんと上杉くんとぼくは一緒に行く。
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長崎街道は,小倉を出発して長崎まで向かう脇街道であり,江戸時代に整備された。この道を通って砂糖など貴重品が運ばれたから,「シュガーロード」ともいう。また,シーボルトやケンペル先生なども通った。
ただ,今は舗装道路になってしまったけれど,道はやや道幅が狭く,曲がりくねっている。あるいは防御上の理由もあるのかもしれない。沿線にはお寺や白漆喰の明治ぐらいの建物も残っていて,風情がある。
雨がいっそう風情を増してくれる。寒いけど。
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コースはその長崎街道を忠実にトレースするのだが,なにぶん現代になっている。クルマにも気をつける必要がある。

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のんびり行くと,他の参加者の人たちがだいぶ先に行ってしまったが,武田さん,上杉くんとぼくはのんびり。ただ,もっと後ろのグループもいたはずなのだが,見当たらなくなった。今日は雨だから,矢印が消えてしまって迷っているのかもしれない。
楽しい思い出に水を差さなければいいのだけれど。
ぼくは上を見上げる。雨はもう少しでやみそうなのだけど,それでも降って来る。
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神社の横を通ると,そろそろ長崎街道塚崎道と塩田道の分岐だ。


さて,上杉くんがちょっと辛そうである。ときどき止まって,足が攣りそうなのか,ストレッチをしたりしている。

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プライバシー保護のため画像を処理すると,あまり辛そうにみえないのが何だが,やはり慣れないと長距離はつらいのかもしれない。考えたらぼくも最初のフルマラソンの筑後川マラソンでは,足の攣りとの戦いだったなあ,と思い出す。
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走っていく武田,上杉の両氏。

そこから南下して,田んぼの広がるのどかな景色の中を,塩田方面へと向かうのだった。
しばらくすると10キロエイド。
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エイド食はカッパ巻き。今日は雨合羽が必要だ。
ここであみりん氏と出会う。
「もうこのあたりで最終ですかね。第一エイド,撤収しましょうか。」
に,してはカッパ巻きが大量に残っているなあ,と思うぼく。

「うーん,ぼくの後ろにも集団がいたはずなんですけど,見えなくなりました。」
あとでわかったことだけど,実はやっぱりまだ後にもいて,ただ,道にちょっとはぐれてしまったみたいなのだった。お疲れ様です。

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10キロエイドを出て,武田,上杉の両雄とともにぼくはのんびりと走っていく。
ただ,寒いせいか,尿意を催してきた。
駄マラニックのコースは普通の田舎道なので,トイレなどは公衆トイレ利用である。ただ公衆トイレと言ってもなかなかない。そこで現代の便利施設「コンビニ」が登場する。(もちろんお買い物をするのが礼儀だ)。ただ,田舎なので,コンビニすらめったになかったりもするのである。自動車向けに「あと10キロ先」なんて看板が出ていても,ランナーは「まだ10キロもあるのか・・・」などと打ちひしがれる気持ちになることも多々あるのだが。

それでも途中で見つけたコンビニを利用させていただいた。用を足すついでに,しかるべきところにワセリンを塗り足す。股ズレ防止のためである。利用させていただいたお礼に,ぼくはここで,秘密携帯食料「はちみつ梅」を買い込む。これをポケットに忍ばせるのである。

それはいいが,ぼくと上杉さんは,先行している武田氏とはぐれてしまった。まあいいやと顔を見合わせて,走る上杉くんとぼく。ただ,上杉くんはやや辛そうで,ぼくはときどき振り返りつつ走る。



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少し行くと,20キロエイド。ここのエイド食はチョコレート大福であった。
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エイドを出て,もう塩田の町並みも近くなった頃,先を行く武田氏に追いついた。

塩田の町並みのあたりが今日の第2の難所である。というのは,本日,鹿島ロードレースや鹿島ハーフマラソンと真っ向からかぶってしまったため,道路に白線矢印が引けなかったのである。もちろん,今回のコースマップ(駄マラニックゼッケンの内側にある)には,そこのところがアップで載ってはいる。しかし,これまでもミスコースがしばしば見られ,昨年は草のつくKさんがだいぶ鹿島方面まで進んでしまったところでもある。

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ノンビリ来たので,ちょうどぼくと武田さん,上杉くんは,鹿島ハーフマラソンの先頭集団と出会う。というかいつ道路を渡ったらよいのか,タイミングがちょっとわからない。
ここで,折り返してこられたご夫婦と出会う。
「こんにちわ。コースがちょっとわからないんですけど,こちらでいいんでしょうか?」
「あ,ご案内しますよ。ちょっとここ,わかりにくいんです」

走ってくる超早いランナーを見ながら,鹿島方面へ進み,橋を渡る手前で川沿いの道へ入る。
「これね,毎年間違う人が出るんですけど,橋を渡ったらアウトなんです。鹿島まで行ってしまうんで。」
ちょっと入ったところに,申し訳なさそうに小さめの矢印が引いてあった。

「こちらをずっと行きます。ここから先は道なりなので,あまり迷う要素はないです」
礼を行って行かれるご夫婦。
夫婦で共通の趣味というのはいいなあ,とぼくはそれを見て思う。

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さて,ここからはしばらく川沿いの道を行く。
と上杉くんが,本格的に辛そうである。足を引きずっている。

どうやらもう無理そうだ。
「どうする?この先も来る?」と武田氏が上杉くんにたずねる。
「無理そうです。ここからタクシー拾って戻ります」と,上杉くん。
このあたりでもう30キロを過ぎている。フル初挑戦にしては出来すぎだ。
上杉ではなく,出来杉である。
などとつまらないことを考えつつ,川沿いから道路方面へ遠くなる上杉くんを見送って,武田氏とぼくは先を進むことにした。

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川沿いの道を離れて集落の間をしばらく進む。そして北上して川を渡る。
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ここはもう嬉野で,嬉野というとお茶が有名だ。茶畑を見ながら進む。
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「どこかにラーメン屋があったはずなんだけどな」と武田氏。
しかし,曇り空だし,ラーメン屋は見当たらない。
駄マラニックだから,うまいラーメン屋に入るのも,もちろんオッケーである。
実は武田氏は,20キロエイドの大福を見逃してしまったらしいのだ。

雨はどうやら上がったようだが,寒い。
どうします?どこかで何か食べますか?とぼく。

そのうち,このコースでおなじみのヤマザキデイリーがあったので,とりあえず休憩を兼ねて,入る。
武雄嬉野フルでは,毎年おなじみのデイリーだが,どうやらもう店を閉めてしまうようだ。
このあたりの地点にはコンビニがなく,貴重な休憩所だったのに,と残念に思うぼく。
商品が少なくなった店内でメロンパンを購入して,栄養補給。

しばらく行くうち,武田氏が,「もう先に行っていいですよ」と言われる。
そういわれると仕方がないので,先に行くことにした。
走り出すぼく。今日はあんまり走っていないので,余力があり,快調快調。
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いつもうんざりするこの付近だが,気持ちよく走る。
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老人ホーム手前のあたりに,第3エイド。エイド食は定番のいなりずしだ。
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ここで先を行く数名の方と出会う。
ここから先,ちょっとだけ,長崎街道の古の姿を残す山道になる。わかりにくいと思うので,皆さんに少し説明して,先を行く。ぼくも初めてこのコースを走ったときには,果たしてここに入っていいのだろうか,と不安に思ったものである。
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しかし,ちゃんとここも長崎街道なのである。
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侍が出てきそうな杉並木を抜けたあと,茶畑が広がる。
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嬉野には,日本に茶が伝わったころの大茶樹もあるそうだ。

去年はあった秘宝館だが,もう跡形もない。その代わり,ソーラー発電施設が広がっていた。
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山道を出て,再び国道沿いに出て北上する。
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しばらく行くと,第4エイド。昨年はダム湖のあたりにあったのだけれど,無人のところに置くのもイタズラされてはいけないということで,今年からは人家の前に許諾を得て設置することにしたのだそうである。

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ここを過ぎると,もうゴールは間近である。
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ダム湖へ向かう道
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ダム湖の眺め。
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まだ足に余力があるので,気持ちよく(のんびりだけれど)快走するぼく。
ダム湖を降りて,東へ,武雄温泉駅へと向かう。
と,JR線の踏切前で,ヒロシ君とであった。

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今日はお別れ会なので,できるだけいろんな人と一緒に走るのは記念になってとてもいいことである。
しばらくヒロシ君と一緒に走ることにした。

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で,ようやくゴール。もう先にゴールしているホセ君,大分君と,ワープした上杉さんが待っている。

いっしょにゴールして記念写真を撮った。

さて,しばらく武田氏を待つが,なかなか来ない。
どうしたのかと心配になったころ,ようやくのんびりした顔で,武田氏が走ってきた。

ちょっと違うコースを走ってきたようである。で,件のラーメン屋にも入って栄養補給してきたとか。

初参加なのに,駄マラーの鑑である。

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さて,そこからは皆で武雄温泉へ行き,皆で汗を流して,佐賀市まで出て,安い焼肉屋で打ち上げ。ふらふらになりつつ,楽しい気分で帰った。

いつも一人で走ってることの多いぼくだけど,大勢で走るのもやっぱり楽しいものである。

4月になった今,これを関西の某所で書いているのだけれど,ちょっと残念なのは,駄マラニックみたいに,安いエントリー料で(しかも締め切りまでだいたい一杯にならない),フルやそれ以上の距離を,十分余裕のある時間で走れる大会,遅くても引け目を感じないで住む大会,ってこちらにはあんまり見当たらないことだ。距離が短かったり,時間制限が厳しかったり,エントリーが厳しかったり。それに何より,あのなんでもないようですばらしい田舎の風景は,あんまり見られない。

職場へ向かうビルの間から空を見上げつつ想う田舎の景色。風の音,海の音,冬の風,夏の日差し。
参加できなくなってわかる駄マラニックのありがたさ。
でも,また,そのうちにアイシャルリターン!
待ってろよ田舎道。待ってろよ松浦,平戸,そして佐世保。
それではしばし,さようなら!

いやあ,寒かった。2月8日の「松浦フル駄マラニック」を走ってきたのです。
ちょうどこの日は,北九州で人気の都市型マラソン「北九州マラソン」が開催されていたこともあったのか,参加者は14人ぐらいだったのだが,ぼくにとってはひさしぶりの「松浦フル」。しかも,コースが新しくなってからは一度も走っていないので,楽しみにしていたのだ。

あみりん氏がなぜ,「毎月マラソン大会を開催する男」なのか,その理由が,この毎月第2日曜日に開催される「松浦フル」のシリーズである。松浦をマラソンのメッカにしたい,と意気込んで始めた大会だったそうだけれど,もうすっかり定着して,松浦の自然を楽しみに訪れるランナーはひきもきらない。

ぼくがマラソンをはじめたきっかけが,「駄マラニック」にあるというのはもうどこかで書いたけれど,初フルマラソン大会の「筑後川マラソン」に先立って走った「松浦フル」は,どれだけぼくに自信をつけてくれたことだろうか。

さて,前日はいつものように,伊万里市の「ビジネスホテルかねこ」に泊まり,翌朝6時30分伊万里発佐世保行きの松浦鉄道(一両編成)にゆられて,午前7時8分に松浦駅に到着した。ここから,スタート兼ゴールの,「松浦海のふるさと館」の公園までは歩いて30分程度というところだ。だが,とても寒い。

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今日は雪が降りそうだな,とぼくは思う。海も少し波が高い。
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前に松浦フルを走ってから今回までの間に,松浦フルのコースは少し変わった。前のコースは前半のひたすらな上りと,峠を越えて広がる景色,そこからずっと続くやまびこロードのスケール感が魅力だったけれど,難を言えば,体調不良の際のワープなどがやや難しかった。今回は,そこも考慮して,なるだけ松浦鉄道沿線を通るようにし,また,ショートカット可能な部分も数箇所に設けたうえ,さらに松浦の自然を満喫できるコースになっていると聞く。コースはこんな感じである。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=9e7d25c338c85e6d6a33150ab4eb271a


午前8時に受付開始。ただ風が凄く強いので,あみりん氏はあずまやの柱に風除けシートを張った。シートはたちまち風をはらんでヨットの帆のようだ。
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それにしても,ものすごく寒い。身を切るような風が容赦なくぶつかってくる。
こんな日は早く走りきって,家に帰りたいなあ。ぼくはそんな感じで頭の中でぼやいてみる。

ふとぼくは手袋を忘れたことに気がつく。と,あみりん氏は何かごそごそと出してきてくださった。
いぼのついている軍手である。滑らないから,もし新コースに,壁をよじのぼる局面とかがあっても大丈夫そうだ。(ないと思うけれど)。
「粗品」と書かれたビニールに入っていて,スポンサー名が入っている。「前の仕事の関係で」とあみりん氏。

ありがたくお借りする。これ,「駄マラ手袋」ということにしよう。


午前9時,駄マラニックのスタートだ。
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松浦海のふるさと館の前の道路を渡り,駅前を抜けて,松浦局前を右折して志佐川へ向かって川沿いの遊歩道をさかのぼるところは以前と変わらない。ただ,今回は橋を渡ったところで折り返し,川沿いの遊歩道へ入ったあたりまで戻ってくる。

それにしても寒い。腹が冷える。なんだかぼくは体調が悪くなってきた。
志佐川遊歩道へ入る前のコンビニでトイレを借りようか?まあなんとかなるか,とぼくは川沿いの道へ入る。
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運動していていつも気になるのはトイレのことである。今回のコース,川沿いには利用できるトイレがない。
だんだんぼくのペースは落ちてきた。後続のランナーからも抜かれる。もういいや,歩いてしまえ,とぼくはついに歩き出す。
ようやく,折り返しの橋が見えてくる。
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この橋って,少しカーブしていたんだなと気付く。これまでの旧コースでも通っていたはずなのだが気付いていなかった。
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さて,新コースに入る。橋を渡って折り返し。
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折り返しってどうなのか,と思っていたけれど,走ってきた距離感がわかっているというのは精神衛生上,なかなかよいと思う。とくにシビアな便意をこらえているぼくとしてはなおさらだ。

走ると何かがもれそうなので,当然歩きである。だから今回はぼくは最優秀駄マラーをめざすことに決めた。
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雨か雪でも降りそうだった空には,少しずつ晴れ間も見えてきた。
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ものすごく寒いけれど,それも悪いことばかりじゃない。こんな日はとても空がきれいなのだ。今回,ぼくは空ばかり見上げている。こんなに空を見上げたのはどれくらいぶりだろう。
空が広い。ぼくはいま,ぼくを取り巻く世界の真ん中にいる。

スポーツジムを走るのとは違って,外を走るということは天候に左右される。雨や雪はどうしようもない。何事も自分のおもいどおりにならない。こんなに世界の中心にいながら,自分はとても,無力なのである。

ふとぼくは我に返る。そうだ,便意すら自由にならない(笑)。
やや震えつつ,志佐川遊歩道入り口近い橋を渡ってコンビニまでいちもくさん,ぼくはトイレを目指す。空いていた!
それにしても危ないところであった。このままだと,道路上に汚水をぶちまけつつ走っていく迷惑ランナーになるところであった。
おなかもすっかり軽くなった。
ほっとして,コースに戻ると,ほかのランナーはもう影も形もない。これは最優秀駄マラー確定だな。
みな,寒いので早く帰ってしまうつもりで先を急いでいるのだろう。
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ここからはぼくの知らない道である。少し戻ったところから,坂を上がっていく。
ここからはしばらく上り坂になるようだ。
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冬の空のきれいなこと。
日曜日の松浦市は車の姿もほとんどなく,吹き抜ける風の音や揺れる木々の音があざやかに耳を打つ。
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ミカンの実がなっている。
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ここからどうやら山の中腹を走っている見晴らしのよい道をずっと行くようだ。
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冬の空は青く,宇宙まで突き抜けていそうだ。思わずぼくは言葉を失う。
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こんな道を自分のペースで走り,進んでいくのは何にも変えられない駄マラニックシリーズの魅力だ。
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で,そのうちに第一エイドに到着。前にも書いたように,駄マラニックは無人エイドにせざるを得ないのだが,あみりん氏としてはそれでも,なるべく人家の前に頼んで置かせてもらい,問題が起きないように気をつけることにしたそうだ。エイド食はかっぱ巻きである。
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それにしてもこの新コース,なかなかの道だ。前のやまびこロードとはまた違うけれど,爽快感のある道である。せっかく税金で作られた立派な道である。足でも楽しまなくては損だ,という気がする。
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やがて,ちょっとだけ見覚えのあるところへ出る。
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これは,旧コースで,「森林浴ゾーン」を出たあたりじゃなかったかなあ。
たしかに,この風景,どこかで見たようだ。
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進んでいくと,「近江鍛工」の工場がある。これも旧コースで見覚えがある。
工場の前を過ぎて,交差点に出る。ライスセンターの前の交差点である。ここからまた,新コースだ。
進行方向への道は二つあり,旧コースは右よりの狭い道を進んで御厨方面へ行っていたが,今回は左側の広い道を直進する。
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実はこの道は,以前,ぼくが一人で走っていて迷った部分だ。そのときは引き返してきた。
だから,ここをずっと行くとどうなるのか前から気になっていたのである。

進んでいくと,道は下り道になり橋を渡ってこんどは上り道になる。そんな感じで上ったり下ったり,のどかな景色の中を道は進んでいく。
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「未来へ」という石碑が建っていた。
ぼくはこの先の道は初めてだから,どういう道か知らない。未来というのも,よくわからない。だからおもしろいのかもしれない。
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そんなことを考えながら,ぼくはいつもの「やる気のない運動部の朝練のペース」でのんびりと走っていく。
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キャベツ畑や林や,いろんな景色が両側に広がる。
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初めての道は,少し不安だ。
と,見覚えのある白い←が目に入って,安心する。どうやらミスコースはしていない様子だ。
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神社の鳥居の横を抜けて,のんびりと走っていく。
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と,松浦鉄道の路線とぶつかる。
国道204号線(唐津街道)に出たのである。ここは,「伊万里平戸100」などのコースでおなじみのところだ。
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そこから少し204号線を戻り,西木場の松浦鉄道の駅前に向かう。
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松浦鉄道の駅はたいがい無人駅であり,今日は日曜日だから,とくに乗客の姿も少ない。
そこを進んでいくと大崎小学校の前へ着くはずだ。
伊万里平戸100では,あみりん氏の知人の方が,いつも家族ぐるみでエイドをしてくださっているところだ。
今回も第2エイドが設けられていた。
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エイド食は桜餅(道明寺)。塩漬けの桜の葉で包んである。
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桜餅は場合により桜の葉をはずして食べることもあるぼくだが,今回は塩漬けの葉の香と,桜餅のあんこの甘さが絶妙だった。

しばらく余韻を楽しむ。ただ,今日は本当に寒い。欲を言えば,あったかい飲み物が欲しいな。伊万里平戸ではいつもあみりん氏の知人の方があたたかいスープを出してくださるので,余計にそう思う。

特別なスープをあなたにあげる〜あったかいんだからぁ

などと最近流行っているお笑いの人のフレーズを思い出す。ぼくはあったかくない。さむいんだからぁ,だ。

気を取り直して先を急ぐ。新コースはここを左折して,大崎の海水浴場へ向かうけれど,ぼくははじめてだ。楽しみである。

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季節柄,ラッパスイセンが強い,つめたい風に吹かれて揺れている。
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竹林の横を通ると,がしゃがしゃ,がしゃがしゃ,と風に吹かれて竹どうしが当たる音がやや不気味に聞こえてくる。
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いやあ,自然はドラマだなあ,と思いながら,ゆっくり走り抜けた。
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国道204号線に再びぶつかると海が見える。と行く手に看板が出ている。「小嶋古墳群」と書いてある。今,小さなほこらがあるところから,6世紀か7世紀ごろの古墳が発掘されたそうである。
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どうせぼくは最後尾なので,近寄ってみる。
で,戻ってきたら,ぼくのズボンに「馬鹿」がついている。
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考えたら,ランニング大会の途中に寄り道をしすぎるのは馬鹿なのかもしれない。
馬鹿でもいいか,と思いながらジョギングする道の横に,梅が咲いている。
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すぐに,大崎海水浴場だ。
しかし風が強く,波が高い。
サーファーもいない。
というか,様子を見ている僕にも,風に飛ばされた砂が容赦なく当たってきて,痛い。
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冬のこんな日に海水浴場をみている僕は,やっぱり馬鹿なのかもしれぬ。
大崎海水浴場を過ぎてゆくと,「大地の源」という石碑があった。
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意味はよくわからないが,存在感がある石碑である。なんだかよくわからないけれど感心しつつ行くと,牛が放牧されている牧場があった。
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それにしても駄マラニックはどうして,こう牛とご縁があるのか。

さて,新コースは大崎をぐるっと回ってきて,また国道204号まで戻ってくる。面倒ならショートカットをしてもいい。ただぼくは今回,新コースを堪能するのが目的だから,いちいちこだわりつつ走っていく。そうするとやっぱり道の脇に面白いものが見つかる。
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道路わきのフェンスがそこだけくりぬかれていて,そこに小さなお稲荷さんがしつらえてある。
道路わきは高架になっているので,稲荷の土台はどうなっているのかと思って覗いてみると,ちゃんと張り出して土台が作ってあるのだ。いわれはわからないけれど,こんな手のこんだことをしてあるのだからそれなりの由緒があるはずだ。
そこでぼくは持参してきた小銭をあげてお祈りをして,こんごの路程の安全を祈ることにした。
駄マラニックは小銭推奨である。途中,ちょっとしたお買い物や,ワープの電車バスタクシー代など,いろいろと役に立つからなのである。

それにしてもほとんどランニング大会のノリではないなあ,とちょっと反省する。

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この先,国道204号を渡った道は,「伊万里平戸100」で通った「飛び石」を横目にみて(今回は通らない),さらに進んでぐるっと迂回して,御厨小学校の前を通って,この松浦フルの旧コースにつながって,再び御厨のコンビニの前へ出てくる。
ちなみにこの「御厨」と言う地名は全国にある。天皇家に献上するための農産物や漁獲物を取っていた荘園を,御厨といったのである。今でこそ交通の便がよい都会に人は集まるけれど,その昔は,原産地である海や野山に近い人々が一番贅沢をしていたのだ,と思う。うまいもんを食っていたのである。

コンビニでコーヒーを飲んであったまり,外へ出てみると,ばらばらと白い粒が空から降ってきている。あられと言うか雪と言うか,そんなものだ。風も吹き付けてきた。空は底抜けに青いのだが,風がむちゃくちゃ強い。
風に向かっては進めないほどの風である。ここからしばらくは旧コースであり,海沿いの道だ。
強いだろうなあ,風,とぼくは少し憂鬱になる。

案の定,思わずいやになるほどの風だ。
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しかしそんな風も,海沿いの風除けの林の前ではぴたりと止まる。と,空は晴れているから,ふしぎとそこだけ暖かい。風よけの防風林のありがたさを痛感する。なんで風の強い地方の人が,あれほど防風林を植えるのか,その理由が体感できた気がする。
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旧コースはやがて海へ出る。
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風が強く,波が立っている。
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この松浦のあたりも,古くから人が住んでいたところらしく,中世からは,「松浦党(まつらとう)」の武士団が活躍することになる。松浦党は,和寇のメンバーとも言われて,貿易や海賊活動?にいそしんでいたといわれる。普段は漁業や農業を営み,戦争になると武器を取って戦うのがこのころの武士である。
元寇の際も,松浦党に属する石志氏や佐志氏が武器を取って,元と高麗(朝鮮)の連合軍と戦ったそうだ。
あるいは,当時の海もこんなに荒れていたかもしれない。
ぼくはふと,波の向こう側に馬や兵士を積んだ巨大な元の船が停泊している様子を想像してみる。

さて,コースは海沿いにこの星鹿半島をぐるっと回ったあと,半島を横断して,星鹿漁港へと向かう。
その途中はのどかな田舎道である。これは新コースだ。
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途中,畑の中に石が積んであったり,塚があったりする。看板が出ている。「千人塚」という。
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元寇のときに,死んだ元や朝鮮の兵士の遺体が大量にこのあたりにも流れ着いたのだという。それを集めて供養したという。畑を作ったのでいくつかは壊されてしまったが,今でも残っているのだそうだ。

吹き抜けていく風の音が強い。雲が流れていく。
家を離れ,遠く異国の地で命を落とした八百年前の兵士たちのことを少し,思ってみる。

さて,新コースはここから先はほぼ旧コースと同じである。ただ,オプションとして,星鹿城山に上って見よう,というコースがある。ぼくはもう,今回最優秀駄マラーとして,当然のぼる気まんまんである。
便意もない。もっとも,星鹿城山の頂上にはトイレがあるそうだ。

しばらくつづら折れの道を登ると,頂上の展望台に到着した。
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ここは実は「ご来光マラニック」でコースになったところである。
ぼくは高いところは得意ではないし,とくに風が強いのだけれど,せっかくだから上ってみる。
このせっかくだから精神はけっこう大事だと,思っている。
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この島々のある海が,松浦党が活躍した海である。
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展望台から少し行くと,テレビの中継塔が立っている。ここには12世紀に刈萱城という城があったという伝説がある。戦時中砲台が作られたりしたので,城郭の遺構は残っていない。
と,なんだか不思議な,宇宙人と交信しているようなメロディが聞こえたのでそちらの方に近寄ってみる。
その音はテレビ中継塔からしているようだ。
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なんだかラジオのチューナーをあわせるときに,高くなったり低くなったり妙な音がしますよね。あんな感じの音。なんであんな音がしていたんだろうなあ。

トイレで用を足して山を降り,星鹿漁港へ降りていく途中に,例の「ロックなお寺」があり,今日のお言葉を楽しみに近寄ってみる。
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「ご縁はそう簡単に転がっているものではないのですね!」

なんだかロックコンサートで,ミュージシャンが観客席へ
「ご縁はそう簡単に転がってるもんじゃないぜベイベー!」
と叫ぶ感じを醸し出しておる。
しばらくぶりにこのお寺を通ったけれど,相変わらずロックな寺であった。

その近くに第3エイド。
エイド食はいなり寿司であった。
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日曜日の漁港はしずかだ。もっとも,前にここを通ったときは,子どもをしかりとばすおかみさんらしい声と,ソレに続く子どもの泣き声が聞こえたりしたものだった。
あの母と子どもは元気だろうか。
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九州の女は強くて優しい。

刈萱城には,ここを築いた加藤重氏とその息子石堂丸と母にまつわる伝説が残っている。
重氏には正妻がいたのだが,側室の千里姫との間に石堂丸をもうけた。これをねたんだ正妻が,千里姫を殺そうとしたが,身代わりになって千里姫の侍女が刺し殺されてしまった。
重氏はそれをきっかけに思い悩んで城を出て,行方知れずになってしまったという。
石堂丸は,母の千里姫といっしょに父の重氏が住むという高野山(和歌山)へ行き,千里姫はそこで一命を落としてしまう。石堂丸は重氏と再会するのだが,重氏はついに父とは名乗らず,刈萱同心,と名乗り,石堂丸はその弟子として一生を送ったというような話である。高野山には「刈萱堂」なるお堂があるそうである。
この類の話は全国に残っているのであくまで伝説と言えばいえるのだが,なんだかしみじみする話だ。

しみじみしつつ蛸壺なんぞを横目で見ながら,もう,勝手知ったる月イチコースを進んでいく。
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もうこのコースは幾度となく通っているので,なんだかふるさとに戻ってきたような気持ちにすらなる。
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38キロエイドは,定番プチトマトであった。
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この桜の木は季節によっては花を咲かせてきれいなのだが,今日は枝のままである。
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森林浴っぽいコースをとおり,松浦火力発電所の煙突が見える。
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煙突は元気よく煙を吐き出している。ふと,現代俳句の時実新子の

凶暴な愛が欲しいの煙突よ

なんていう句を思い出したりする。
さあ,本日は14番目の最優秀駄マラー確定のぼくは,寒い中を待ちくたびれているであろうあみりん氏のもとへ急いで(しかしあくまでマイペースで)向かっていく。
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この赤い橋が見えたら,もうゴールは間近である。
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ぼくの姿を見つけたのか,寒いので駄マラカーの運転席で風を避けていたあみりん氏がクルマから降りて,迎えてくださった。
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「やりましたね!」とあみりん氏。
「最優秀駄マラーですよ」 駄マラニックは「遅いが偉い大会」なので,最優秀すなわちビリということだ。

しかし,新コース,なかなか楽しいコースだった。前の旧コースが「早く走るには惜しいコース」だとすれば,新コースは「早く走るにはほんとうに惜しいコース」だと言えるだろう。

てなわけで,ぼくの2月の月イチが終わった。

今,ぼくの机の上には,あみりん氏に返しわすれた駄マラ手袋があり,ぼくはこの日の青空の高かったこと,それとほんとうに,寒かったことを思い出している。

さて,次は毎年人気の「武雄嬉野フル駄マラニック」。長崎街道を50名のランナーが思い思いに走ります。乞うご期待!

一昨年だったか,「元祖平戸島!駄マラニック大会」の折,主催者のあみりん氏が言っていたこと。それは平戸島を舞台にして,コースの違う駄マラニックをやりたいんですよね,というような話だった。平戸島に川内峠という大変見晴らしのよい峠があり,そこからの風景をぜひ参加者に見せてあげたいのだという。距離はちょうど42キロのフルマラソン。

その大会がようやく実現する運びになった。http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=ac5847fa72d6c41bf135b80348f6b29d 

というわけで,1月25日,ぼくはその大会を走ってきた。参加者は27名とこじんまりした大会だけれど,いわば日本の西の果ての平戸島で開催される大会に,遠くからこれだけ人が集まるのだから結構なものである。でも,公共交通機関の便が悪い平戸島のこと,ぼくの住んでいる佐賀市からでも,午前8時半の集合時間には間に合わない。そこで,前日は伊万里市で宿泊することにした。宿は恒例の「ビジネスホテルかねこ」。値段が安いだけで,特に快適なわけでもなんでもないが,車をもたないぼくはできるだけ安く宿泊する必要があるのだった。


「ビジネスホテルかねこ」。以前は2500円だった宿泊費が,今回消費税8パーセントを含めて2700円になっていた。アベノミクスはこんなところにも影を落としていたりする。ここは,伊万里グランドホテルの創業者の人が最初に始めたホテルらしく,趣味を兼ねて一人で運営しているので,古いけれど安く泊まれる。一人で運営しているから安いというのは,どこか駄マラニックにも似ている。
で,「かねこ」には,一応は岩風呂風の浴場もある。夕食は近くのトライアルに買い出しに行って済ませ,暖房をがんがんに効かせて就寝。

翌朝,まだ暗いうちにホテルを出て,2つある伊万里駅のうち松浦鉄道側へ行き,午前5時41分発の佐世保行きに乗車する。間違えて有田行きに乗ると逆方向へ行ってしまうので間違えてはいけない。で,窓からまっくらな夜の海を横目で見つつ,一両編成の電車に揺られてうつらうつらしながら,午前6時47分に,たびら平戸口駅に到着した。

今回の集合場所はここから近い田平公園ではなく,平戸大橋を渡って,平戸城を横目にみてさらに歩いていった平戸文化センターということになっている。だから,集合時間は午前8時から8時30分までだけれども,余裕を見込んで出発したのだった。

たびら平戸口を出て坂を下り,また上って,平戸大橋に向かい,夜明けの近い平戸大橋を渡る。
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ぼくは集合場所に向かって歩きながら,平戸市内に宿を取ったほうが良かったかも,と思ったのだけれど,やはり「ビジネスホテルかねこ」の安さは捨てがたいのだった。

平戸城が見えてきたので,手前で坂をくだり,平戸城を取り巻く道を通って平戸文化センターまで向かう。道路の脇に見える学校の石垣が,明らかに平戸城の石垣の一部だ。平戸城は山鹿流の兵法で縄張りを作っているというが,うまく敵を誘い込み殲滅する工夫がこらされているのだろうか。

それにしても,寒いのでトイレが近くなった。どこかにトイレはないかなあ,と思う。平戸城の山のてっぺんにある公園のトイレはきれいだった記憶だけれど,そこまで行くのは億劫だ。石造りの橋など,城下町らしいたたずまいを残す平戸城下の街中を歩き回り,コンビニを探すけれど,どうも付近にはコンビニが見当たらない。城下町らしいたたずまいを堪能する余裕もなくもどってきたら,平戸文化センターの室内に明かりがついており,どうやら,トイレを利用させてくれるようなのだった。

さて,時間になったので,ぼくは受付を済ませる。
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あみりん氏のアイポッドからは,往年のロックナンバーが流れてちょっとにぎやかだ。集まってきたメンバーの中にはあいあいさんご夫妻の姿も見える。
以前,平戸島ではハーフマラソン大会が開催されていたが,不幸にも交通事故があり,それ以後中止となった由。今回のコースはその平戸ハーフを思い出すコースなのだそうだ。あいあいさんの夫の方はバイク乗りでもあるので,車で今回の道を走ったことはあるそうだけれど,足で走るのははじめてだそう。

時間が来て,例によってあみりん氏の大会趣旨説明やら,あいあいさんの選手宣誓などを経て,午前9時になんとなくの感じでスタートする駄マラーたち。
今回,一番遠くから来た人は,名古屋から来ている。見るからにベテランランナーの方で,この「下方街道」の第1回大会を記念して走りに来られた,ということのようだ。
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マラニックという言葉はまだまだなじみがないけれど,起こりは長距離走の選手がトレーニングの一環として,お弁当の入ったリュックを担いで長距離を走ったことらしい。つまり「マラソン+ピクニック」で,「マラニック」。だから,速さを競う大会ではない。速く走りたい人は,速く走ったっていいが,なにしろあみりん氏一人で運営しているので,スタート後,主催者は撤収して,エイドの保守やコースの見回りへ出かけるから,4時間経つまでは戻らない。だから,あまりに早く戻ると,ゴールに何もないので,つまらない思いをすることになる。
「駄マラニック」はこれに加えて,タイムでしのぎを削るようなマラソンランナーに対して,思い思いのペースで走るランナーが自らを「駄マラー」と自称する大会である。でも,マイナスばかりではない。駄マラーは遅いけれど「でも走るのが好き」なのだ。そこに積極的なプラスがある。


今回,コースは,海に突き出している平戸城の下を通って住宅街を抜け,川内峠までずっと上り坂になっている。ただ,坂は比較的ゆるやかで,山登りという感じよりは,丘を登る「ヒルクライム」という感じだろうか。
ご存知だろうか,クラシックカーのミーティングでよく催される競技に「ヒルクライム」というのがある。一応タイムを競うのだけれど,それこそ50年や100年も経ていそうなオープンカーが,それぞれ思い思いのペースで坂を上る様子はいかにもほほえましい感じがする。今回の「平戸下方街道」のコースも,そんな感じである。ぼくなんかはいわば製造後49年の中古軽トラックだから(しかも膝のパーツの調子が悪い),自分なりに上り坂ではローギヤへ入れつつ,のんびりと上っていく。

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ペースが速い人はそれなりに速い。でもそうでなくても全然引け目を感じる必要もない。道はどんな駄マラーも平等に迎えてくれるのである。
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しばらくローギアで走っていくと,道は見晴らしのよい川内峠へ出る。
空を見上げると,それこそ宇宙まで抜けるような青空だ。
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今回の大会名「下方街道」については簡単な説明が必要かもしれない。「旅する長崎学18」歴史の道〜平戸街道ウォーキング,という本によると,「平戸島を北から南に縦断する下方街道は、領民たちに霊山として崇められてきた志々伎山と安満岳に詣でるための「祈りの道」でした。」とある。http://tabinaga.jp/book/history/18.php 
つまり,平戸の南北を結ぶ江戸時代からの道で,これが整備されたのは殿様を含めた,参詣のためだった,という。
今回のコースの半分はこの,「下方街道」に沿っている。祈りの道。正月にぴったりのマラニックじゃあないの,とぼくは思う。それにしても,川内峠に見渡す限り広がっている草原はなかなかの眺めだ。草原の下には赤土が見える。赤土は火山噴出物が酸化して赤色になるものだから,もとはといえば,これも太古の火山活動が作り上げた風景なのである。

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あたかも日本ではないかのような景色は,車のコマーシャルフィルムの撮影にも使われるらしい。時間も早いのであまり自動車は通らない。そこを走っていく参加者の人たち。
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峠からみわたすと,はるか遠くの海がお日様を反射してきらきらと光っている。
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ところで,ぼくは景色を見ながらのんびりと走っていたのだが,見ていると,立ち止まって,道端で何かを拾っている参加者の人がいる。拾っては持参の白い袋に入れる。そして走り出す。

これはいわゆる「拾活」ランナーの人である。コースを走るついでにゴミを拾って掃除していく,というランナーだ。もちろん走力の裏づけあっての活動である。ぼくは感心しつつ,自分の道路わきを見る。意識してみれば,空き缶やペットボトルなど,結構落ちていたりゴミが目立つ。
ぼくは少しだけ残念な気持ちになる。おそらくは車から外に投げ出されたゴミなのだろう。こんなに素敵な自然の中なのに,人はゴミを外に投げ捨てて自分が見えないようにすればそれで安心するらしい。
ぼくは拾活の人を後ろから見ながら,心の中で応援する。けれど注意してみると,実は拾いきれないほどの缶やペットボトルが落ちているのだった。

眺めのよい川内峠を過ぎて,道は気持ちのよい下りだ。外国の方も参加されているが,何かしら英語で話をしながら走っていた。日本のよい思い出になればよいと思う。そんな国際色のあるこじんまりした大会を,ポンコツの軽トラックも,調子に乗って下っていく。
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道を下って走っていると,横を大きなダンプカーが通り過ぎた。と,意外なことにダンプカーの席から,小学校ぐらいの子どもの声援が聞こえてくる。「がんばれー!」「がんばれー!」

いや,駄マラニックって,「がんばらない」大会なんだけれどな,と思いながらも,声援があるとなんだかうれしい気持ちで走っていく。ほんとに,がんばりもしないで,俺,何やってるんだろう。

一方ダンプの運転席には,40代の運転手が乗っている。横には小学生の息子が2人。「パパ,あの人たち,なんか胸につけて走っていたね。何をやってるんだろう?」。うん,たぶん何かの大会だよ,とあいまいに返事をしながら運転手は思う。俺が毎日仕事で走るただの田舎道を,あの人たちはなんで走っているんだろうな。

ぼくはそんな風に運転席の様子を想像しながら走っている。走っていると退屈なのでいろんなことを考える。ぼくって,本当に何をしているんだろう。駄マラニックはあみりん氏が一人で運営しているので,エントリー料は3000円と安い。けれど,佐賀から平戸島まで往復する交通費やら今回のホテルの宿泊費を考えれば,1万円近い都市型マラソンにエントリーするのと実はそんなに変わらないかも。それにもかかわらず,「遅い」ことを決してひけめにする必要がない大会や,走ることを通じて体育会系でもない普通のおっさんである自分の体と向き合う体験は,ほかには代えがたいほどの気分のよさだ。とくに,下り坂は(笑)。
駄マラニックは,心に効くのだ。

やがてコースは「中野」というところに出る。これは平戸島の上半分のほぼ中心部に位置し,盆地のようなかんじに山に囲まれたところだ。場所がよいのか,ここにはホームセンターやコンビニエンスストアなどの店が集まってちょっとした町の風情である。
ここに第一エイドと,それから第四エイドが設けられている。
これはどういうことかというと,コースはこの先,安満岳(やすまんだけ)の南側を通って紐差の町へ抜け,一転北へ向かい,獅子町,高越町,春日町を過ぎて(もうこのあたりは「元祖平戸島」の逆コースである),生月大橋を遠くに見ながら,こんどは東へ向きを変えて,安満岳の北側の荒々しい表情の景色を抜けて再び同じ「中野」へ戻ってくるのだ。
ちなみにコースはその後,今度は川内峠を通らずに,ひとつ北側の「元祖平戸島」のコースである木引町を抜けてスタート地点である平戸文化センターに戻ってくる。
全体が「ひょうたん型」を描く感じのコースであり,くびれがこの「中野」あたり。だから,行きと帰りの第一,第四エイドがそれぞれ設けられているというわけなのだ。

ぼくはまだ,中野に降りてきたばかり。先は長い。
第一エイド兼第四エイドは,地元の薬局の方にお願いしてエイドを設けさせてもらったそうである。
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駄マラニックは人手がないから,基本は無人エイドであり,参加者が勝手に開けて飲み食いしていくというスタイルだ。エイド食は,いなり寿司や太巻き寿司などちょっと特色がある。

今回の第一エイドのエイド食は太巻き寿司だけれど,節分が近いので一応「恵方巻き」という設定である。
恵方巻きのつもりで2個いただく。けれど,駄マラニックは楽しいので,黙って食べるということができない。
黙って食べないと福が逃げるというけれど,おしゃべりしたぐらいで逃げる福よりは,楽しくおしゃべりしたほうがよいと思う。
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一休みして,さて,またエンジンをかけてノンビリと走り出す。
交差点沿いにちょっとした「交通安全」の「作品」があった。風情があって面白い作品群である。
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交差点をすぎると,道は本格的な山の中のワインディングロードに入っていく。いつまでも続くなだらかな登り道を,ぼくは気持ちの中でローギアに落としてのんびりと上っていく。
「ザ・ローング・アーンド・ワインディン・ロード♪」なんてビートルズの鼻歌が口を突いて出る。
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舗装道路だけれど,これも実は下方街道沿いなのだ。
というのは途中には,平戸の殿様が一休みしたという「滝」がちゃんとあるからである。
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スイレンの滝,とはいうものの,ちょろちょろと水がながれているだけである。これを滝に見立てるのが殿様流の風流というものだろうか。
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しばらく山道を走ると,やがて道は下り坂となる。ずっと紐差へと下っていく。気持ちのよい下り道で思わずスピードが出るけれど,車には十分気をつける必要がある。
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そこを過ぎると,紐差町のはずれのあたりに出る。「元祖平戸島」とは異なって,今回は紐差教会までは行かない。そこに道の駅があり,第二エイドは道の駅の方に協力してもらっている。
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エイド食はコーヒー大福で,この道の駅の人がドリンクを注いで下さったりもするので,ほとんど有人エイドと言ってもよい。トイレも借りられる。そのわりにランナーは荷物を持ち運べないので,この道の駅で買い物をして売り上げに貢献することができない。その意味ではまことに申し訳ないのだけれど,申し訳ないなりに道の駅に入り,中を見る。野菜や魚など地元の産物が並んでいる。走る途中でなければ買い物をして帰るのだけれど。
キッコーマンならぬ「キッコータ」という醤油もある。平戸の醤油のブランドのようだ。
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礼を言って第二エイドを出る。少し行くとファミリーマートがあるので,場合によってはここでもトイレが借りられる。平戸にはコンビニがあまりないので,珍しい。何より,トイレがこのあと,しばらくないので,必要ならばいろんな用をすませるのがよい。

さて,ここからコースは北へ向かうことになる。道は広い整備された道路のわきを緩やかに上っていく。途中で,「ようこそ獅子町へ」というような大きな地図看板があり,獅子町の名所が描いてある。獅子町は「ししちょう」と読む。ここに平戸市民の海水浴場「根獅子の浜」(ねしこのはま)があるけれど,元祖平戸島のコースと違って,今回は根獅子の浜には出ず,やや山寄りの道を走っていく。
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途中,昨年の平戸島で見かけたことがあるような,ヤギが繋がれている。
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ヤギの目はまるで鍵穴みたいで,何を考えているのかよくわからない。
写真を取っていると,うしろから別の参加者の人が抜いてゆく。だけど順位は今回とくに競わないから,ぼくはのんびりと景色を眺めて一休みする。
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ずいぶんと登って来た。

平戸島は山がちの島だ。だから,平戸島を走るということは,アップダウンの繰り返しだ。坂道はつらいのだけれど,終わらない上りはない。いつかは下り坂に入り楽になる。でも下り坂もいつまでも続くわけじゃない。どこかでまた,上らないといけない。
まるで,人生みたいだと思って,そこでぼくは反省する。何でも人生に見立てて説教臭くなるのはおじさんの悪い癖だ。

しばらく進むと,遠くに水色をしたトラス式の「生月大橋」とそのむこうに,隠れキリシタンの島である生月島が見えた。
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さて,人家のまばらなワインディングロードを走ったり歩いたりしていると,後ろから車が走ってきた。
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あみりん氏の通称「駄マラカー」である。
駄マラニックはあみりん氏一人で運営しているので,ランナーがスタートするとすぐに荷物を積み込んでスタート地点を撤収し,先回りして無人エイドを設営したり,コースを見て回る。その途中,ランナーに声をかけたりする。こんなあみりん氏の気さくさがこの大会の味だ。
あみりん氏は「第三エイドはすぐそこですよ,頑張って!」と声をかけて去る。
近くには「牛に注意」という看板がある。平戸牛が散歩しているらしい。
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コース脇には寒椿が咲いている。
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ワインディングロードを心のギアをローからセコンド,またローと切り替えつつ走っていくと,第三エイドに着いた。
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ここのエイド食は,いなり寿司だった。駄マラニックのエイド食としてはおなじみの奴であり,甘辛いごはんといなり皮の適度な醤油の塩気や油っ気がなんともいえない。
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エイドを出るとまた,しばらくアップダウンの田舎道が続く。しかし,このあたりは「元祖平戸島」の逆コースだから見覚えがある。たしかに,例のバス停がある。
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さすがに疲れてくる。もうしばらくすると峠を越えて,下り道になるはずだと,それだけを心の支えにして道をのぼる。たしかにコースを知っている,というのは強い。未知のコースだと不安になるけれど,先が見えているというのはどれだけ心強いことか。これも人生とどこか似ている。
また人生と比較してしまった。

人生について考えながら走っているうちに,見覚えのある峠を過ぎて,下り坂になる。
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海を眺めて一息ついた。平戸島最高峰の「安満岳(やすまんだけ)」の南側を走り,西側を北上してきた。
このあとは安満岳の北側を通って,第四エイドのある中野まで戻っていくことになる。
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下ってきた道は,生月大橋から来た自動車道路と合流する。道路には,この大会の道案内のために「白線引き」で引いた矢印が描いてある。
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この自動車道路は,自動車のために作られていて,あまりランナーのために作られていない感じである。だから上り坂が結構続いたかと思うと,下り坂が結構続いたりして,なかなか大変だ。途中,トンネルを抜けたりしながら,遠くに,「くるりん橋」が見えてきた。
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あのくるりん橋を通って,道は島の中央部へと入っていくのである。

疲れてきたので,ぼくはポケットから秘密兵器を出す。今回の秘密兵器は,某所(コンビニ)で調達した,はちみつ味の種抜き梅である。これは塩味と酸味があり,なおかつ甘くもあり,のどのかわきを押さえつつ,塩分も補給できるという優れものだ。これをほおばりながら,ぼくはくるりん橋を上ってゆく。

空はやや雲が出てきた。

くるりん橋を過ぎてまだまだコースは上り。しばらく上り続けると,やがて下り坂になる。下り坂だが,疲れているのであまり走る気力が出ない。だらだらと車の行き交う道路わきを進んでいくと,枯れた田んぼから炎と煙があがっている。「すわ一大事!」と思ってみると,これは田のあぜ道を焼いている様子だった。
あぜ道を焼いて害虫を予防しているのだろう。

さて,第一エイドと同じ薬局の前の第四エイドに到着した。が,その前にぼくはエイドのお向かいのコンビニに入る。実は用足しのためである。それと同時に,微妙なところがヒリヒリするのだ。ぼくは微妙なところの皮膚が弱いので,汗ですぐかぶれる。股ズレ(書いちまった)を防止するためには,薬局で売っている「ワセリン」を塗っておくのがよい。資金に余裕がある人は「馬油(バーユ)」だともっと良いときく。
今回ぼくはその準備をしておくのを忘れてしまったのである。しばらく走るのをサボっていると,こんなところのカンや調子も狂うのだ。反省。
幸い,コンビニのトイレはヒリヒリする微妙なところに優しいウォシュレットであった。神の助けである。

第四エイドのエイド食はかっぱ巻き。通常,フル駄マラニックの第四エイドではプチトマトが出るのだけれど,今回はまだまだゴールまで遠いことを考えてのことだろう。
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第四エイドで休んだあと,ぼくはある決意をした。それはゴールまでしっかり走る,ということである。幸い,膝の駄マラ神は怒る様子がない。ぼくは,いつもフル駄マラニックでは,ゴールまではほとんど歩きになってしまう。しかし,「終わりよければすべて良し」と言うではないか。今回自分に対しての課題は「ゴールまでしっかり走る」ということにした。

このコースは,「元祖平戸島」の逆コースだからだいたい道はわかっている。そこで,心の中でギアをセコンドに入れて走り出した。なかなかトップギアにならないのは,ぼくが駄マラーだからである。でも,人間の足って,最高の乗り物だと思う。スピードを出さなくてもドライビングは楽しめる,というのはつい先日亡くなった「間違いだらけのクルマ選び」の徳大寺有恒氏の至言だけれど,これは足によるドライビングにもあてはまる(ような気がする)。

どれくらい走っただろうか。この間の「元祖平戸島」で見た「薄香別道」のバス停が見えてきた。もう平戸市街は近い。

また走っていくと,道の脇に無人販売で「ザボン」が売ってあった。あまりきれいではないが,1個100円と安いので,料金箱に100円玉を入れて比較的きれいな黄色い玉を一つ手に取り,ぼくは坂道を下っていく。
平戸城が見えてきた。
途中,怪訝な顔でこちらを見ている高校生ぐらいの私服の三人連れの横を過ぎて,石造りの橋を見ながら,城下町を走っていく。
しばらくすると,スタート&ゴールの平戸文化センターが見えてきた。
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ようやくのゴール。午後3時近くになっていたから,6時間ぐらいかけてノンビリと回ってきたことになる。
ゴール地点では,あみりん氏が写真を撮ってくれる。これを「完走状」として送ってくれるのだ。
せっかくだから,「ザボン」を頭に載せて写真を撮ってもらった。あいあいさんのお土産のミカンをつまみながら,ゴールでしばらくほかの参加者の人と話をした。

今,あみりん氏から早速送られてきた「完走状」を見ながらこれを書いている。見るからに鍛えていないかんじのおじさんがザボンを頭に載せてふざけている。なんだか大人気ない感じである。膝の駄マラ神のせいもあってサボり気味の肉体ながら,どうにかこうにかコースを一巡することができた。速くなったり遅くなったり,そんなことを繰り返しながら,これからも元気に年を重ねていこう。

次の駄マラニックは,2月8日の月イチ松浦フル駄マラニック。
新コースになってからぼくは松浦を走っていないため,初めての「新コース」だ。楽しみである。


12月28日,佐世保市を舞台として開催された駄マラニックを走ってきた。
この大会,たぶん「日本で一番遅いフルマラソン(の距離)の大会」である。
この「遅い」には二つの意味がある。今年最後の大会。そしてもうひとつは,駄マラニックは「遅いがエライ」大会だから遅い人でも気後れせずに走れるのだ。
コースはこんな感じ。http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=967a051db1f84c325509c982b0277441

その大会に,今年はだいたい100名の参加者が集まった。

朝8時に佐世保駅の海側の公園に行くと,もうランナーとおぼしき格好の人たちがちらほら。
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やはり一年の締めという感覚なのか,いろんな大会でよく見る人たちが集まり,お互いに話したり,声をかけたりしている。おなじみの「カッパ先生」も来ている。このコースはもともと地元のランニングクラブ「MRCさせぼ」の肝いりのコースなのだけど,そのメンバーもいる。

外国の人もいる。コースはどうするのかという質問に,主催者あみりん氏が,「ホワイトライン」などと説明している。駄マラニックのコースは一般道を使う。何も指示がなければだいたい道なりだ。ただ,曲がり角などには,道を間違えないように,運動会などで使う白線引きであらかじめ道路に矢印を引いてある。
ちなみに「矢印」は英語ではアローである。フォロウ・ザ・ホワイト・アロウ,てな感じだ。

さて,駄マラニックはプライベートなマラニック大会であり,交通整理もないので,参加者はあくまで歩行者として歩道を進むことになる。ただ,今回は100名もの参加者がいるため,通常スタートのほかに,安全のために8時45分スタートの「アーリースタート」,9時15分スタートの「レイトスタート」に分かれてスタートした。駄マラ神を膝におまつりしているぼくは,もちろんアーリースタートだ。

スタートラインもないまま,なんとなくスタートした。参加者はのんびりと,佐世保駅前から大宮町の道を走っていく。
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佐世保の町なかにはたくさんのこじんまりした岩山があり,ぼくは小さい頃そんな岩山によくのぼって遊んだ。ちかごろでは岩山も削られて宅地開発が進んできたが,注意して見ればそんな地形がまだあちこちに残っている。

コースは,佐世保駅前を出発して,JR線に沿ってゆき,日宇駅を過ぎたあたりで東へ向かい隠居岳(かくいだけ)方面へ向かう山登りとなる。今回の「佐世保フル」のコースは2つの山登りを含んでいる。その,最初の山登りだ。

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日宇駅を過ぎるとコンビニがある。山に入ってしまうとあまり綺麗なトイレがないので,女性の方はコンビニを利用させてもらうとよいかもしれない(もちろん買い物をするのがマナー)。

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住宅地を抜けると,ダム湖のわきを通る。ちょうど運動部らしい高校生が挨拶をしてくる。ぼくは運動部ではなかったのだけれど,挨拶を返す。なんだかスポーツマンになった気持ちになり,気分が良い。
道は次第に山登りとなり,ぐいぐい高度を上げていく。振り返ると,遠く佐世保の港が見える。

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と,そこに駄マラカーにのったあみりん氏が後ろから走ってくる。駄マラニックは基本,あみりん氏が一人で運営しているので,参加者がスタートしてしまったら,全ての荷物を車に積んで,スタート地点を撤収する。そしてコースを先回りし,エイドを設営して回るのだ。だから,ランナーがあまり早いと,エイド設営やゴール待機が間に合わないこともある。
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「お?アイフォンですね」とあみりん氏。ぼくは今回いつもの二つ折れの携帯が壊れてしまったので,アイフォンで写真を撮っている。あみりん氏は先へ行ってしまった。
うしろを振り向くと,坂の下から通常スタートの人たちが走ってくる様子が見える。
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隠居岳(かくいだけ)は去年の佐世保フルの記事でも書いたように,古くは烏帽子岳とともに火山だった。烏帽子岳には火口もあった。人が地上に現れる前,太古の噴火活動で溶岩台地が形成されて,それが雨水で侵食されて現在の地形になった。溶岩台地だから,最初は急坂の登りであり,そこをすぎるとなだらかなアップダウンが続く。阿蘇カルデラスーパーマラソンを走ったことがある人なら,なんとなく雰囲気が似ているな,と思うかもしれない。

隠居岳(かくいだけ)は平家の落人が住んでいたという伝説も残っている。そんな雰囲気もある。
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最初の登りを過ぎて道はなだらかになると,隠れ里,という雰囲気の景色になる。
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ここの林の中に10キロエイドがある。駄マラニックはあみりん氏がひとりで運営しているから,エイドに人を置くことができない。だから,飲料水と軽食の入ったクーラーボックスを設置しておき,参加者は勝手に飲み食いして,あとは蓋をしてきちんと片付けていくことになる。
今回は100人分だからけっこうな量である。
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エイド食はカッパ巻き。梅がおいしい。
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さて,ここでぼくはカッパ先生と,それから草のつくKさんと一緒になる。そして道は再び上り坂にまる。
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カッパ先生も草のつくKさんも,いずれもいろんな大会に参加している本格的なランナーである。それに引き換えぼくは,膝を壊したのをいいわけにして今回はほとんど走りこんでいない。だから,今日はゆけるところまでついていくことにした。

空を見上げると曇り空だが,雨が降るような感じではない。「冬でも暖かいけれど,雨が降ると,フリースはたまらんけんね。」とカッパ先生が話している。水がきらいな珍しい河童。

道の両脇に杉林が続く。土の切れ目を見ていると土が赤い。赤土はもとは玄武岩などの溶岩が変じてできた土である。もともと酸性が強く,やせた土地だ。そこに気の遠くなるような時間をかけて今日の林ができている。
こんなところにも,火山活動のなごりがみられるというわけなのである。

「今年は弓張の登りで歩かんように体力を温存しておかんとね。」とカッパ先生が連れの人と話している。
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草のつくKさんは,知人が焼肉店を始めた話なんかをしている。
のんびりした雰囲気だ。
林の中をしばらく上ると,隠居岳のキャンプが右手に見える。さらに上っていくと,道は右折してこんどは下りとなっている。

気持ちよい下りである。カッパ先生と草のつくKさんは,今年70歳を過ぎたランナーの話なんかをしながら軽快に下っている。
「でさ,70歳過ぎてもぜんぜんタイムが落ちんとさ。そのうち1位にならすよ」
「へえ」
ぼくは最近読んだ84歳のランナーという西日本新聞の記事を思い出す。林業をしていた彼がランニングを始めたのはぼくと同じ47歳で,そのあとランニングで通勤するようになり,全盛期は一日30キロを走っていたという。3時間半を切る記録を作ったのが70歳のころ。タイムはだいぶ遅くなったけれど,今でもいろんな大会に参加し続けている,というような記事。ランニングは体には過酷なスポーツだが,無理をして故障しなければ長く続けられるスポーツだ。

遅いがえらい駄マラニックだけれど,参加者はいずれもいろんな大会に参加して,記録を狙ったりもする筋金入りのランニング愛好家たちである。カッパ先生も別大を走ったりしている。だけど,そんな人たちにも愛されているのが,この駄マラニックである。

道は下りのあと,なだらかなアップダウンを繰り返す気持ちのよい道になった。
ただ,ぼくは,ふだんの鍛錬不足が祟って,なんとなく置いていかれる雰囲気になった。
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ここはもう烏帽子岳である。烏帽子岳は火口があったので,二段式の地形になっているそうだ。また溶岩台地のなだらかな地形を生かして,キャンプやスポーツ施設が作られている。

置いていかれたぼくは,スポーツ施設を右手に見ながら,いつのまにか一人で走る。
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右手には教会がある。クリスマスの飾りが残っている。
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後ろから走ってきたランナーに抜かれつつ,しばらくいくと,20キロエイドに到着した。
青少年の天地,という研修施設の前である。ここでカッパ先生や草のつくKさんと再会する。

エイドは民家の庭先を借りている。もちろんあみりん氏は事前に人家の主に話し済みだ。
庭先で去年と同じく犬がほえている。エイド食はコーヒー大福。「コーヒー大福」というシールが貼ってある。
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さて,このあとコースは烏帽子岳を下って,山の田水源地を通って佐世保の町へ出て行く。ぼくが小学校のとき,鍛錬遠足で烏帽子岳に上った懐かしいコースである。そんな山道を49歳になって,こんどは走るとは思わなかったな。

走っていくと電波の中継塔や,白い十字架が見える。
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山道を下る。木々の間からは景色が見える。山から見わたす景色は最高だ。走りながらぼくは,メキシコのタラウマラ族になったような気分になる。タラウマラ族(ララムリ)は,「地上最強の走る民族」なんて呼ばれたりしているインディアンだ。争いに追われた彼らは「銅渓谷」という山奥に住むようになり,小さい頃から山を登ったり降りたりしているうちに脚が鍛えられ,トウモロコシと水の入った瓢箪を腰につけ,ワラーチというサンダルを履いて平気で100キロを走る,という。

そんなタラウマラになった気持ちで走っているうちに,ぼくの脚にちょっとした違和感が来た。脚がつりそうである。このくらいではつらなかったのになあ,などと最近のサボりを反省する。ただ,この脚が全身の痙攣になってしまうとやっかいだ。ぼくはリュックから芍薬甘草湯を取り出して飲む。顆粒状なので水なしでも飲めるのだ。今年の4月,ぼくは練習も積まずに,桜マラソンで記録を出そうとあせるあまりむりをしてしまい,ゴール後全身が痙攣してスタジアムで動けなくなった。体はだんだん冷えてくる。目の前が暗くなり,ぼくは人を呼んで担架で救護所に運ばれた。
もし今日,そんなことになれば凍死の危険もある。駄マラニックはなにしろあみりん一人で運営しているので,救護班もないし,簡単に助けにもこれない。胸の駄マラニックのゼッケンを開くと地図のほか,あみりん氏とタクシーの電話番号が書いてある。電話は持っているが,これで呼んでもこんな山の中にちゃんとタクシーが来るとは思えない。
駄マラニックは交通機関を使ったり,近道をしても「完走扱い」である。そのかわり,無事に帰ってくるのは自己責任なのである。

柱につかまってしばらく呼吸を整える。芍薬甘草湯が効いて来たのかちょっと脚が落ち着いてきた。そろりそろりと慎重に走り出す。
後ろからTさん(女性)が来られる。Tさんは,フルマラソンを1000回以上走っているという凄い人なのだが,普通の格好をしていればお孫さんのいる普通のお母さんと見分けがつかないだろう。しばらく一緒に進むことにした。

山道を抜けて,広い道路に出る。ここはもう山の田の裏山である。
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山の田水源地の公園で一休みして,脚を休めてちょっとトイレ。
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ここの公園の横は市営バスの終点になっており,ここまでバスが来る。
降りていくと町に入る。途中で二つに分かれた道を右へそれる。昨年はここで間違えて直進してしまい,弓張岳の上り口がわからなくなったのだ。今年は無事にコースを進む。
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コースは国道を渡る。ここを渡るとこんどは弓張岳への登りとなる。
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考えたらこの佐世保フル駄マラニックのコースもすごいよなあ,と思う。弓張岳,烏帽子岳いずれも小学校の鍛錬遠足のコースだけれど,どちらかで,一日がかりのコースだ。今日は両方を,しかも走ってゆくのである。これが大人の遊びというやつだ。
タラウマラ族の話にもどると,「Born To Run」という本があって,このクライマックスがタラウマラの若者と白人のレースであり,タラウマラの若者が勝つという話になっている。今,マラソン大会でも,ランニングシューズではなくてサンダルや裸足で走る選手がいるけれど,ベアフットランニングの流行を作ったのがこの本だ。
タラウマラ族のふるさと銅峡谷では,現在,タラウマラ族と一緒に住んでいた白人「カバーヨ・ブランコ」の名前を冠したレース大会が行われている。今年は招待選手が勝ったらしい。
まあしかし,山を登ったり下ったり,忙しいよなあ,とぼくは佐世保フルのコースを走りつつ思う。これこそ,なんちゃってタラウマラ族にはぴったりの大会だ。

と上っていくと,うれしいことに私設エイドがあった。
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ボランティアの人が,温かい味噌汁をくれる。鰹節だけの味噌汁だが,とてもおいしく,あたたかい飲み物がありがたい。「指宿のマラソン大会で出てたのを参考にしたんです」とその人。ほかにも,八朔や,キャラメルなどの菓子類,黒ゴマを載せた赤飯もある。かみしめると黒ゴマがはじける感じと香りが,なんともいえない。
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おもわず走るのなんてやめてずっとここにいようかと思ったけれど,今年は去年の雪辱戦として完走を目的としているので,お礼を言って走り出す。カーブが続く道を,ずっと登っていくと,道は山腹を通る見晴らしのよい道になる。見渡せば佐世保の市街地が見える。
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ぼくは,梅田町に住んで,小学校へ通っていたのでこのあたりは懐かしい場所である。ちょっと山へ入ると石切り場があり,岩石ハンマーで石灰岩を壊すと貝の化石がたくさん取れた。そこも今は家が立ち並んでいる。

ただ,走る元気はそんなに残っておらず,普通に歩いて上っていく。ときどきなだらかな道で少しだけ,走ってみる。道から見える佐世保の眺めが気分がよい。
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そんなことをしながら,30キロエイドに到着。エイド食はいなりずし。ここで,はるか先に行ってしまったと思っていたカッパ先生に追いつく。
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スタートしたカッパ先生たちを見送りながらぼくはゆっくりといなり寿司をほおばる。
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先日の平戸島は膝の痛みを抱えてほとんど歩きだったけれど,今日は膝は痛まない。どうやらあまり急ぎさえしなければ,左膝の駄マラ神さまは暴れないご様子である。そのかわり,トレーニング不足がたたり,少し調子に乗って走ると,すぐに筋肉が攣りそうな感じがある。

30キロエイドを出て,歩いたり走ったりしながらのんびり進む。道の左手には,師走の佐世保の景色が広がっている。
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ここからはしばらくそんなに登りはない。
時刻はもう午後1時を回っている。

やがて去年「ワープ」をした矢岳の郵便局のところへ到着する。今日はワープはしない。後ろから男女ペアのランナーが来て,追い越される。同じ趣味があるっていいですね。
で,こちらも小学校の弓張岳遠足のコースだったので記憶にあるけれど,実際に進んでみると,けっこうきついのぼりで,到底走れるかんじがしない。ちょっと試みに走ってみたが,すぐに筋肉が攣りそうになった。
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あぶないあぶない。トレーニングしていないのだから無茶をしてはいけない。全ては自己責任なのである。

タラウマラ族と文明化されたランナーの対決を描いた「Born To Run」は,当時流行っていたニューエイジやスピリチュアルのムーブメントの影響が強くて,好き嫌いはあるかもしれないけれど,そこにあるのは,「まだまだ人間には能力が眠っている」という人間の潜在能力に対するポジティブな考え方である。そこに共感する。
新聞記事で読んだけれど,川内優輝選手のお母さんもランナーで,まだ小学生であった優輝少年に対して,毎日10キロを走らせたという話である。考えたらタラウマラ族を地でいくような話だ。歯を食いしばって走る癖のある川内選手の歯はぼろぼろだそうである。とある大会で,川内選手がゴール前にトイレに入って「大」をして,出てきて走ったがそれでもトップだったそうである。うん,いい話だ。

ぼくはトレーニングも積んでいないから無茶はしない。のんびりと進んでいく。12月の寝ぼけたような天気の空がそんなぼくをぼんやりと眺めている。ぼくは運動が嫌いな子であったし,成長してからもそうだった。デスクワーカーのぼくは47歳のあるとき,会社の階段を上っていて息が切れる自分に気がついて愕然となった。それから家の周りを散歩するようになり,ジョギングするようになり,3キロのマラソン大会に出て,10キロ,ハーフマラソンと距離を伸ばして,今はこんな大会に出るようになった。一つはあみりん氏の「駄マラニック」のホームページとであったことが大きい。ぼくはもともと「走るのが楽しいなんて頭がおかしい」と思っていた人間だ。それが「走るのがこんなに楽しそうな人たちがいる」ということを知った。そんなら,いっちょ,走ってみっぺ,と駄マラニックを走って,そのあと初めてのフルマラソン大会に出た。そんなぼくだからもともとスポーツとは全く無縁だしいまだに4時間が切れない。だけど,走る人の中にはこんな奴がいてもいいのではないかと思っている。

坂を上っていると,崖にほられた穴がある。これは戦時中の防空壕のあとだ。
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前にも書いたけれど佐世保はもともと成り立ちからしてきな臭い面がある。もともと村だったこの地域が,町を飛ばして一足飛びに「市」に昇格したのは,明治時代に海軍の鎮守府が出来たことがきっかけである。リアス式海岸で奥まった入り江にあるこの場所は,軍の施設をおくのに適していた。そして軍が来たことによって発展してきた。だから,戦争末期にはごたぶんにもれず空襲を受けた。昭和20年6月29日,B29とグラマン戦闘機が来て,佐世保を徹底的な焼け野が原にしていった。弓張岳の頂上には今も高角砲が置かれていた跡があり,ぼくは遠足のときよく遊んだものである。だけど,高角砲もものの役に立たなかった。
佐世保は戦後も米海軍基地が置かれた。佐世保の入り江は,米軍基地と,佐世保重工業のドックと海上自衛隊が仲良く分け合っている。かつては1200トンの焼夷弾の雨を降らせたアメリカだが,今は,佐世保市民と米軍基地は友好的な関係を保っていて,「ニミッツパーク」なんて公園もでき,基地を開放するイベントの日などもある。あみりんの主催する駄マラニックには,去年,前の司令官が遊びに来てくれたこともあった。

そんなことを考えてつづらおれの急な坂道を登っていくと,鵜渡越(うどごえ)の峠に出た。
佐世保の観光名所は九十九島(くじゅうくしま)で,多島海の眺めが楽しめる。島は実際には99ではなく,208ある。佐世保の街中にみられる岩山が海に沈んだと思えばよい。この眺めが楽しめる場所を,大正時代に松尾良吉という実業家が開発しようと思い,鵜渡越まで直登する道を造った。急な山道だったに違いないが,観光で栄えたそうである。
戦後になり,バスが鵜渡越まで来るようになった。ぼくが子供のころ,弓張観光ホテルができ(いま「弓張の丘ホテル」があるところだ),観光名所となった。そのあと一時期観光が下火になったが,今は再び平和な観光都市としてやり直そうとしているところである。

九十九島の眺めが遠くに見えた。

鵜渡越でジュースを買っていたらバイク乗りの人に話しかけられる。「今日はなにかあっているんですか?」
「駄マラニックっていって,100人ぐらいが走っているんですよ。車やバイクの人には迷惑かけてるかもしれません」「いえいえ」などと和やかに話をして,鵜渡越から下る。
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急な下り坂である。調子に乗って走ったら,それこそ膝を壊してしまいそうだ。慎重に下る。
ここを直登していた大正期の登山道はどれだけ厳しかったことか。

ヨタヨタと下ると,道は鹿子前(かしまえ)に出た。
ここで実は37キロのエイドがあったのだけれど,ぼくは見つけることができなかった。もと地元民なのに,どうしてミスばかりするのか。
話によれば,エイド食は最終エイドの定番「プチトマト」だったとか。

このあと,鹿子前を通って,道は佐世保重工業の造船ドックを横目に見ながら再び佐世保駅前に向かう。
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レンガ造りの建物も残る歴史のある佐世保重工業だけれど,今は伊万里の造船所の子会社となっている。クレーンの中には歴史的に貴重なものもあるそうだ。

そこを歩いたり走ったりしていると,米海軍佐世保基地の前を通る。
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神社の鳥居みたいなモニュメントが楽しい。たぶん,基地の人たちも地元のことを考えて共存していけるよう,いろいろ配慮をしているのだろうと思う。兵士たちの年齢は20そこそこだという。日本と違い実際に戦争をしているアメリカでは,いつどこかの戦地へ行き命を落とすかもわからない。
やはり平和がいちばんだ。

駅前に到着したのは午後3時ぐらい。別にタイムを競うような大会ではない(むしろ最後の人が一番偉い)ので,だいたい6時間と15分ぐらいで42キロあまりを走ったり歩いたりしたことになる。
ゴールでは,あみりん氏が待機していて,写真を撮ってくれる。
これを絵葉書にして,あとで家に送ってくれるのだ。思い出サービスである。
ゴール付近では,あみりん氏が知り合いの参加者と話をしていた。笑顔で,「もう来んな,っていわれたけんもう来んバイ」などと冗談を言っている。もともと駄マラニックは,氏が走友たちとあちこちを走っていたり,写真を撮ってホームページに乗せたのが始まりらしい。http://damaranic.com/ホームページをずっと下がっていくと,ちょうど年代記みたいにあみりん氏の歴史のあとがうかがえる。


今回,左膝の駄マラ神は一度も怒り出さなかった。やはり駄マラのペースが合っているからだろうか。

年内の駄マラはこれでおしまいである。来年も,楽しく,のんびりと!

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ずいぶんこのブログを更新していなかったのだけれど,ぼくは別に何もしていなかったわけではなく,たとえば福岡県久留米市の「筑後川マラソン」を走ったり,山口県下関市の「下関海響マラソン」を走ったりなど,それなりにいくつかの大会を走ったりしていた。ただ,そんな風にしているうちに,どうやらぼくの膝には『駄マラ神』が棲み付いてしまったらしい。
駄マラ神というのは,ランナーが速く走ろうとすると腹を立てて邪魔する神様らしくって,ぼくの場合は左ひざに住んでいて,ぼくが快調に飛ばしていると,だんだん膝のあたりを痛めつけてくる。
「遅く走れ!何をそんなに速く走っているのじゃ。狭いニッポン,そんなに急いで何処へ行く!」などとチクチクと痛めつけてくるのである。

そんなわけでこの2大会,ぼくの成績は振るわなかった。いや,振るわなかったのではなく,昨年よりも遅かった。これらは公式大会であって,「タイム」がある程度重要である。そんなわけで,ぼくはこれらの大会についての記事は書かないのだ。


そうこうしているうちに,11月がやってきた。自分でもちょっと早いなあと思うのだけれど,やってきたから仕方がない。世間ではいろんなことがあった。あの高倉健さんが亡くなられたというのもひとつだ。健さんは,若い頃は任侠映画に出て,「死んでもらいます!」などと物騒なことを言っていたけれど,最近は,昔の実直な九州男児の典型みたいに,「不器用ですから。」なんて呟いていた。いや,実際は不器用ではなかったらしいけど,健さんにあこがれて,男どもは,「不器用ですから。」なんて呟いたりするのである。

健さんの最後の映画は「あなたへ」という映画で,このロケ地は平戸島の薄香という漁港だったようだ。11月といえば,ぼくは毎年,駄マラニックで平戸島を走ることにしている。と,いうわけで,ぼくは11月,駄マラニックで平戸島を「不器用ですから」などと呟きながら走ることにしたのである。

11月23日の連休の中日,とてもいい天気になり,絶好のラン日和。ぼくは伊万里市の親戚のうちに泊まって,朝からMR(松浦鉄道)でたびら平戸口を目指した。MRはむかし国鉄だったけれど,今は第3セクターの1両のディーゼル車が走っている。
たびら平戸口は,鉄道としては「日本最西端の駅」だ。到着したのは午前7時38分。駄マラのスタート時間は午前8時なので,それまでに田平公園へ行かないといけない。
と,駄マラニックの主催者あみりん氏から電話が入ってきた。
「大丈夫ですかぁ。もうすぐ始まりますけどぉ」
「あ,大丈夫です。今平戸口に着きました!」あわてて駅を出て,坂を下って上って田平公園へ向かうぼく。
いいウォーミングアップ,かも。

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田平公園についたら,もう,ランナーを歓迎するよさこい踊りが始まっていた。今回の参加者は20名足らず。ちょうど本日,長崎市では,「橘湾岸スーパーマラニック秋のステージ103キロ」があっていて,マラニックのファンはそちらへ流れてしまった感もある。この,平戸島駄マラニックはいちおう橘と兄弟大会ということになっていて,平戸島を一周する52キロのマラニックだ。ぼくの膝には駄マラ神が住み着いているので,103キロなんて走ったらきっと怒り出すだろう(詳細は昨年走ってきたのでそのときの記事を参照)。今年は平戸島を走ることにする。

それにしても,ひとつの島を一周する,ってなんでこんなにわくわくするんだろう。島,というとスチーブンソンの「宝島」とか,なんだかロマンを感じるのだ。冒険とかが待っている気がするのである。

さて,午前8時,20名足らずの参加者は田平公園をスタートした。
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コスモスに見送られる駄マラーたち。

田平公園を降りて,平戸大橋を渡り,いよいよ平戸島へ入る。

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平戸大橋は朱塗りの橋で,とても綺麗だ。で,橋を渡ってしばらく走ると,遠くに平戸城が見えてくる。平戸城は,松浦党の末裔のうち,長崎県方面へ分かれていった松浦氏が治めていた城である。一時期オランダ船貿易で栄えたこともあったけれど,鎖国とともに南蛮貿易は長崎の出島へ移っていった。松浦氏はたいへん経済的に苦しかったらしいけど,陶磁器産業などを興しながら幕末まで永らえた。そんな代々の殿様の中には,平戸から世界を眺めていた松浦静山なんて立派な人もいた。静山が80歳を過ぎてからの「甲子夜話」(東洋文庫)は今でいえばブログである。今静山がいたら,カリスマブロガーになっていたに違いない。

足が調子がよいのでついつい飛ばしたくなる。そこに「ゆっくり走ろう」なんて標識が出ている。そうだ,駄マラ神を怒らせないようゆっくり走るんだっけ。
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城を通り過ぎると平戸市へ入ってくる。中心部を過ぎると道は上り坂になる。そんな上り坂の途中に「薄香別道」なんてバス停もある。こちらを入っていくと,健さんの遺作のロケ地「薄香」に出るのだ。ついつい顔も健さんみたいな気持ちになって「不器用ですから。」なんて呟きつつ,黙って走っていく。

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道をどんどん走っていくと,やがて人家が消えて,気持ちのよい田舎道に出る。ふだんなら思い切り飛ばすところだ。しかしぼくの膝には駄マラ神がいるので,あまり怒らせないようにする。
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道をのんびりと走っていると,烏瓜がぶらりと下がっている。秋だなあ,と思う。

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空は抜けるような青空だ。風はすずしい。道はどこまでも気持ちよく続いている。やはりというか,ついつい走りたくなる。そんなとき,こんな看板。

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そうかそうか。スピード落とすんだったよね。と落とす。柿の実がなっている。秋だ。
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やがて10キロの無人エイドに出る。駄マラニックはあみりん氏がひとりで開催しているので,エイドに人を置くわけにはいかない。だから,だいたい10キロぐらいおきに,クーラーボックスが置いてある。参加者はそこから勝手に飲み食いして,あとはきちんと蓋をして片付けていくのである。
本日の10キロエイドは,かっぱ巻きであった。梅がほどよい酸味で,体の疲れを癒してくれる。もう一個,食べる。
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ここで長崎から来られたご夫婦と一緒になる。ほんとは長崎の,橘のほうに参加する予定だったが,いろいろあってこちらに参加したとか。夫婦で同じ趣味,って素敵である。

途中,ナフコのあるあたりでトイレを借りられるとかで,ぼくは先に行く。
ナフコを少し過ぎたあたりで,交差点を右折する。ここから海沿いの道へと向かうのである。
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ここからの道はほんとに田舎道になる。そしてどんどん進んでいくと,やがて眼前に海が開ける。
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一昨年は公民館でトイレを借りたけれど,本日は人けもない。
右手に海を見ながら,気持ちよく進む。
トンネルがある。それを抜けると,遠くに生月大橋が見える。
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海沿いの断崖絶壁沿いの道を走る。なんだか日本じゃないみたいな風景だ。
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さて,このまま進むと生月大橋まで行ってしまうので,コースは左折して山へ入る。
つづら折りに上っていく道は,さらに狭くなる。
このあたりでぼくの膝に棲んでいる駄マラ神が怒り出したようだ。
我慢して上っていく。しかし,・・・。
ランニングは足で地面を蹴ることである。蹴らなかったら,単なるウォーキングだ。しかしぼくの左足はすっかり駄マラ神がへそを曲げていて,地面を蹴れないのである。だから,左足は自然,びっこを引くみたいなかんじになる。
いやだなあ,と思いつつ,今日はもう,最優秀駄マラーを狙う覚悟で走る。駄マラニックは「遅いが偉い」マラニックなので,大会でもっとも遅かった人は「最優秀駄マラー」として表彰されるのである。

峠を越えるとこんなバス停がある。バスなんてほんとに来るのかしら。来たらネコバスだったりして。
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山道のくねくね道を下っていく。と,20キロエイドに出る。エイド食はコーヒー大福だ。これ,水分補給にもなるし,意外に大福と合うのである。
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大福はパワーフードである。つまり,ここから先は上り坂になるのだ。けっこうしんどい上り坂が続く。
膝が痛む。先ほどのご夫婦は先へ行ってしまわれた。
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ぼくはのんびり進む。昨年も咲いていた黄色い花がぼくを迎え,送ってくれる。

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ここから道を登ったり下ったりしながら進む。そんな道の傍らには,例によって「馬鹿1号」「馬鹿2号」が張り出していて,隙さえあれば,ぼくのランニングパンツやシューズに種をつけようとする。

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晴天の涼しい空気の中,ぼくは気持ちよく歩いていく。そう,走れないのだ。膝が痛くて。でも気分は爽快だ。
曲がり角を曲がると海が見えたり,浜が見えたり。
海が本当にきれいだ。
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だらだらと進むと,やがて道は根獅子(ねしこ)の海水浴場付近へと出る。

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このあたりでも,ぼくは走れない。仕方ないのである。地面を蹴れないのだ。
平戸島はキリシタンの歴史があるところである。生月島は隠れキリシタンの伝説のあるところだ。ぼくらはキリシタンというと弾圧されてきた,というイメージがある。それはマチガイではないのだが,たとえば大村純忠みたいなキリシタン大名がいるところではかえって仏教寺院が弾圧されたりしたという歴史もある。ローマはキリスト教を国教にしたあと,ジュピター神やその他の神々を「異教の神々」とした。宗教の本質は,絶対性にある。「神さまっているかいないかわからんけど,とりあえず信じましょう」ということでは宗教にならない。人間は絶対的なものを信じたい生き物だ。だけど,「わたしの絶対」と「あなたの絶対」は,どこかで必ず衝突するのが宿命ってものである。
ぼくなんかはだから,宗教はなるべく「こころの問題」にとどまっていてくれれば平和でいいと思うのだけれど。
根獅子にもキリシタンがいた。殉教した名前も伝わらない6名の信者のことを,平戸の人々は「おろくにんさま」と呼んだ。今は,根獅子の浜近くには,マリア像が建てられている。「ルルドの聖母」と呼ばれているのだ。

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根獅子の浜を過ぎると,再び道は登りに入る。浜をみわたす坂を上っていくのだ。

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調子が良かったら最高の道のはずなんだけどなあ,とぼくはぼやきつつ上っていく。坂の途中,左折する。根獅子の小学校などもある。そんな坂道を登るぼくを,後ろから来た駄マラーが追い越していく。

しばらくぼくは足を引きずりながら歩いていった。道は山道。そしてまた,下り道に入る。
そこを,あみりん氏が駄マラカーですれ違う。
「やあ,大丈夫ですか?もうすぐエイドですよ!そこを曲がったらすぐだからね」
「ありがとうございます。本日は,最優秀駄マラー,狙っていきますからね!」

あみりん氏は軽自動車のバン「駄マラカー」に乗って走り去った。

そこから,でもだいぶん進んで,やがて31キロエイドにつく。「成功園」というお店の前だ。成功,というのは平戸出身の国際人,「鄭成功」から取っているのだろう。鄭成功(国姓爺)については前の平戸島のときに書いたので繰り返さないけど,平戸の商人の家に生まれ,台湾にわたって,まさに清国の台頭で滅ぼされようとする明の遺臣を助けて戦った人だ。成功は,日本風の戦術を持ち込んで善戦したのだけれど,結局歴史は清国へと流れていった。

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エイド食はいなり寿司。駄マラニックの定番。甘いいなり皮と酢メシのマッチングが絶妙だ。

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そこを過ぎて,やっぱりぼくは歩いていく。どうにも走れないのだ。しばらく行くと,紐差教会が見えてくる。
昼をだいぶ過ぎていて,今日はお昼の鐘の音は聞けない。本日はもう急がないと決めたので,開き直ってのんびりと進む。

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さて,紐差を過ぎると,道は比較的交通量の多い海沿いの道をいく。正直,路側帯しかないから,しんどい。

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だけど眺めは最高だから,まあ,いいとする。
ところで,しばらくいくと,ちょっと見ておきたいところがあったので,ちょっと寄り道をすることにした。本日はどうせ急がないのだ。

見ておきたいのは宝亀教会である。明治時代に出来た木造の教会であり,平戸ではもっとも古い部類に属する。キリシタン関連遺跡が世界遺産候補になったので,今のうちに見ておきたいと思ったのだ。
ぼくはカトリック系の幼稚園に通ったので,お祈りの時間があった。幼稚園内には教会があって,そこでお祈りしていたのである。ただ,ぼくはどうやら,お祈りするよりは居眠りしていた記憶である。そんなことを思い出しながら,道を左折して,宝亀教会へ向かう山道を登る。

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宝亀教会はいっけん,レンガ造りに見えるけれど,実は木造の教会である。教会の近くまで行ってみる。中へ入らないけれど,入り口の窓ガラスから中を覗いてみた。

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ステンドグラス,と言っても本場フランスのものと違って,なんだか甘い幼いころの記憶がよみがえってくるような,そんな教会の中だ。甘い光の中,居眠りをしている幼稚園児のぼくがいるような気持ちになって,宝亀教会を後にした。

さて,コースに戻るけれど,基本的には退屈な道である。右手に広がる海を見ながら,上ったり下ったり。走れたらいいのだけれど,そうもいかない。
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やがて,道は川内漁港へと向かう道を降りていく。川内漁港は,こじんまりした漁港である。ちなみにあの川内優輝選手とはなんの関係もない(と思う)。
ここは川内かまぼこが有名だ。エソなどを原料にして,パイプ状のものでくるんであるカマボコだ。
川内漁港に向かって降りていくと,川内カマボコの店が並んでいる。その中に,さかんに湯気を出している店があった。我慢できず戸口を空けると,おじさんが
「今,てんぷら揚がったところだけど,いりますか?」
と話してくる。
「1枚下さい」
と返事すると,おじさんは物足りなそうな顔をする。ランニング大会があるってことで,もっとたくさん客が来ると思っていたのだろうか。まことに申し訳ない。

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1枚購入。1枚60円だ。口にほおばって,かみしめると甘くて,魚のうまみが染み出してくる。
思わず,1枚しか買わなかったことを後悔した。最高の味である。

でも,その店から100メートルもいかないうち,43キロエイドがあるのだった。

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道路をはさんでお向かいに,おばあさんたちが座っていて,拍手をしてくれる。で,聞いてくる。
「お兄さん,最後のほうかい?」
「たぶん,ぼくがわりと最後のほうだと思います」
お互い,少し黙り込む。

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エイド食は,蔦屋のカスタードプリンだ。カラメルが別についていて,プリンの蓋を開けてから,上に掛ける。そして,スプーンですくって食べる。味は本格的なプリンである。というかこういう手のかかるものを出してくるのが,「急がない大会」駄マラニックならでは,という感じがする。

川内漁港を過ぎた頃はもう3時を回っていただろうか。
傾きかけたお日様が海をきらきらと照らしている。
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川内漁港をすぎて道は,また続いていく。
ひたすら耐えるかんじ。
思わず顔が健さんになって,「不器用ですから。」などと呟きながら上っていく。

このあたりは相当車が多くて,路側帯のぼくは車にあおられるかんじで進んでいく。
あまり楽しくない。ちなみに,来年1月の「平戸下方街道駄マラニック」ではこの部分は通らない。その代わり,自動車会社のロケに使われたという川内峠の爽快な道を通るらしい。

辛抱しつつ道を進んでゆくと,はねられた猫が道端に転がっていた。顔があっちの方を向いてしまっている。
プライベートなマラニック大会は公安委員会に道路使用の届出を出していないから,交通整理も行われていないし,残念なことにはときどき事故も起こる。
気をつけなくてはなあ,と思いながら,ぼくは走っていく。日本全国で1年間に交通事故で亡くなる人はだいぶん減ったけれど,それでも4000人を超えている(警察庁調べ)。こうしている間にもいくつもの命が失われ,その代わりにいくつもの命が誕生していく。ぼくはいつまでこうやって,地上にいられるのだろう。ふと,さきほど見てきた教会の景色が浮かぶ。

それからどれくらい進んだだろうか。48キロエイド。ここのエイド食は,最終エイドの定番であるプチトマトだ。
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さて,ぼくはそろそろ平戸大橋に戻ってきた。のんびりと橋を渡る。
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時間は4時を回っていただろうか。朱塗りの大橋の下をのんびりと船が通っていく。

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橋を渡りきり,スタートのときに見送ってくれたコスモスが再びぼくを迎えてくれる。

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そんなこんなで,今年の平戸島駄マラニックが終わった。
ちなみに,この翌週,薄香では,「健さんをしのぶ会」がしめやかに開催されたそうである。
時代はこうやって移り変わっていくのだ。

さて,次の駄マラニックは,日本でいちばん遅いフルマラソン大会「佐世保フル駄マラニック」の予定ですぞ!




6月22日,昨年に引き続いて,伊万里と平戸を往復する駄マラニックに参加してきた。


旅が好きだ。もちろん交通機関を使っておいしいものを食べに行くというのも嫌いではないけれど,旅の本質ってそういうところではないような気がする。たぶん日常を離れて,ちょっとした非日常を経験しにゆくのが旅というものなのだと思う。
ランニングも,ぼくにとってはその延長みたいなところがある。もう近頃ははっきり自覚したのだけれど,ぼくはタイムを競うのは単に苦手なだけではなく,速く走ることには興味がないのだ。むしろ,普段とおらない旧街道を,そこを通った昔の人たちに思いを馳せながら,走っていくのが楽しい。自分の体力だけで,自分を取り巻く世界を感じながら走ったり歩いたりしていきたい。それがたぶん楽しいのである。

こんな自分に一番向いているのは,駄マラニックだという気がする。駄マラニックはもうおなじみの,「遅いがエライ」大会である。今回の「伊万里平戸駄マラニック」のコースは佐賀県伊万里市から,今福御厨街道という古の街道を通って平戸まで行き,平戸城を折り返して戻ってくるというマラニックだ。
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=c5ea82215704e13171a8658b16f53e07

片道50キロ,往復合計の距離が100キロだが,制限時間がのんびりしているのでぼくのような遅い人でも楽しめるのである。で,おおむね松浦鉄道沿いだから(本数は少ないけれど),疲れたら電車に乗って帰ってくればよいのだ。

この「伊万里平戸」は毎年6月に開催されているのだけれど,梅雨の真っ只中なので,いつもコースは雨の中である。だから,これを走ると,気分はちょうど,安藤広重の「東海道五十三次」の「庄野」に描かれる雨の旅人みたいになる。
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今回もたぶんにもれず,雨の中だった。
JRの最終電車で,スタート地点の伊万里駅に着くと,駅の陸橋の下に,ランナーとおぼしい人たちが10数名集まってきて,ストレッチをしたりしている。ひさしの向こう側では,暗い闇の中で結構な勢いで雨が降っている。
一瞬,本当にやるのかい,と疑う僕。でも,走るって別に雨でもかまわない。もちろん雨合羽で体を冷やさないようにする必要はあるけれど,走ることには支障はないのだ。140621_2350~0001


正式スタートは午前1時なのだけれど,前回の博多唐津で完走していないので,今回ちょっと余裕を見てアーリースタートをさせてもらうことにした。数人がぼくと一緒にアーリースタートをしたので,集団となって,夜の闇の中を走る。雨はカッパの上から打ちつけてくる。靴に雨がしみてくる。今回のシューズはほとんどウォーターシューズと言ってもいいクライマクール(アディダス)なので,ぜんぜん気にならないが。

前の人たちになんとか着いてゆこう,と,点滅する赤ランプを追いながら走る。夜間のランには,点滅ライトは安全のため欠かせない。もちろん照明器具も。中にはくるくる回る円形のランプを付けている人もいて,これは5月の萩往還マラニックで配布していたやつだとすぐに分かる。

しばらくは公道沿いの歩道を走っていく。だから車道とは分離されていて,とくに不安はない。
前にはぼくよりもずいぶん若い女性ランナーが2名,あとは同年輩の男性ランナーと女性ランナー。こちらは駄マラニックでよく見かける方で,結構なペースで飛ばしていく。

道は海沿いを走っている。対岸に造船所があり,天気がよければ夜の闇の中に宝石みたいにきらきらと光る明かりが見えるところだ。しかし今日は雨天の中,そんなに楽しむ余裕がない。

鳴石,久原ときて,やがて10キロエイドに到着する。エイド食はかっぱ巻き。
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エイドを出て,また同じ集団で走る。波瀬,浦ノ崎と来て,福島口をすぎたあたりから,道は上り坂となる。そして上り坂の途中から,山道に入る。ヘッドライトが,雨の当たる暗い路面を照らし出す。暗くて,切り通しや林の中を通り,当然真っ暗だから,ちょっとだけおっかないところである。こんなところも集団で走れば,そんなに怖くはない。それほど上り坂は長くは続かず,やがて下りとなり,今福に出る。ここまで道路はアスファルトだ。しかし,その昔舗装道路などなかったころは,今福御厨街道はすぐに草に埋もれていただろう。

今福の町の中に出る。ファミリーマートで休憩。実際このあと,松浦に向かう山道へ入るのだが,しばらくはトイレも何もないので,ここで用事を終えておく必要があるのだ。マラニックではトイレは大事である。公衆トイレがあるときには利用できるが,そうそうトイレがあるとは限らない。だからコンビニエンスストアは貴重な有料エイドなのである(使わせてもらう以上は,当然何か買い物をするのはマナーだと思っている。)

しばし用事を足して,いよいよ山道に向かう。今福の町をしばらく通り沿いに走っていると,路面に書かれた白い矢印が左折を指示してくる。ここからがいよいよ,長い長い坂の始まりである。
前に走ったときは,左右に墓石がたくさんある墓地の中を通っていた。しかし宅地開発のためか,墓地はあらかた整理されて,更地になっていた。
家を買った人も,もし墓地があったと知っていたらあまりいい気分ではないかもしれない。でも,人類の長い歴史を見れば,死体なんぞが埋まっていない土地のほうが少ないかもしれない。

そんなことを考えつつ,ひたすら登る。やはり雨は降り続いていて,気分は凹んでくる。とともに,もっと雨に打たれて凹んでしまえばいい,とも思う。不思議な心境だ。

登りが終わり,道はなだらかな山道に変わった。ここから松浦まではほぼ道なりだが,とても長い道のりである。
途中に,20キロエイド。折り返しコースなので,80キロエイドでもある。
エイド食は桃の水大福。おいしいのです。
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再び集団で,山道を走る。景色はまっくらでよく見えないが,いつまで続くんだろうとややうんざりしてきたところで,道が細くなり,両側が杉林になる。記憶ではもう松浦への下りに向かうはずだ。
空がやや明るくなってきた。それとともに,林の間から,霧が湧いてくる。映画「ET」なんぞを思い出すほどの霧である。前を走る若い女性ランナー2人は何やらテンションを上げつつ,おしゃべりしながら走っている。

道はどんどん下っていく。そして志佐川沿いの道路に出た。
ここはもう松浦市街のはずれのはずだ。
そして,松浦市街へと入っていく。ファミリーマートがあり,ここで休憩する。
「たしかもう,30キロエイドは近いはずですよ」と,同行のランナーの人と話す。そんなことを言っていると,屋根のある駐車場にクーラーボックス。30キロエイド(70キロエイド)だ。エイド食は定番の「いなり寿司」である。
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今回アーリースタートをしたせいもあり,まだあたりは薄闇に包まれている。

松浦市街を出ると,ここからは月イチフル駄マラニックのコースを逆行することになる。つまり道路を逸れて,登り道に入る。そして風情のある,旧道の山道をしばらく走ることになる。ここはもうおなじみのコースなので,少し明るくなってきたこともあり,あまり不安はない。

御厨を過ぎて,道路沿いから少し入る。ここも旧道という感じの風情のある道だ。ここにトーマさんのエイドがあるはずだ。トーマさんはあみりんさんの友人であるらしく,お子さんと一緒に暖かいスープなどを出してくれる。ただ,アーリースタートをしていて時間が早いせいか,軽トラックにコーヒー大福は積んであるが,スープはまだだった。
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そろそろ明るくなってきた。ほんとうに自然に囲まれた感じの道だ。昔の旅人もこんな風景を見ていたんだろうか。
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そして松浦鉄道西木場を過ぎると,再び道は204号線沿いに出る。しばらく204号線を走り,それからまた,草深い旧道へと入っていく。「御厨今福街道」の標識が出ている。
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道は大変きつい登り坂だ。昔の街道は坂道もまっすぐ登っていることが多い。スイッチバック,なんてあまりしない。駕籠を運ぶ人たちは大変だっただろう。

このあたりから,ぼくは他の人たちとははぐれて,単独行になる。しばらく無心で走る。もう雨は小ぶりになっている。
どのくらい走ったり歩いたりしただろうか。道は再び道路沿いに出る。そしてしばらくスーパーなどが並ぶ道を走ったあと,田平へ着く。ここまできたら,平戸はもう目と鼻の先である。そして,遠くに赤い橋が見えてきた。
平戸大橋だ。
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雨はまだ降っている。この調子だと一日降り続くかもしれないな,とぼくは思う。
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平戸城のエイドにはあみりんさんが待っていた。
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つまり,こういうことだ。あみりんさんは,正規スタートとともに,全員の荷物を積み込んで,駄マラカーでスタートするのである。そしてエイドを設営しながら,平戸城に先回りして,そこでランナーが到着するのを待つ。だから,到着したランナーは50キロエイドで,自分の荷物から必要なものを取り出したり,預けたりできるのである。
ぼくは,もう邪魔になったヘッドライトを預けることにした。
50キロエイドで,ひさしぶりに芋餅に再会。
おいしいけれど,結構腹にもたれる奴である。
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時間に余裕があるので,トイレを兼ねて平戸城を散策。平戸城のトイレは結構きれいで,紙もあるのでお勧めである。
平戸城は,松浦党のうち,下松浦党に属する平戸藩の殿様の城である。
平戸の殿様では,「甲子夜話」を著した第9代の松浦静山が名君としてよく知られている。
貿易でもうけていた時代と違い,財政的に苦しかったため藩政改革も必要だった。そして,インテリの殿様だ。甲子夜話は,正編100巻,続編100巻,三編78巻に及ぶ大著で,当時の情勢や風俗から政治にいたるまで森羅万象に触れた本。静山は,平戸から世界情勢を見渡しているという,ちょっと凄い人だった。正式の名前は,「清」という。以前もちょっと書いたかもしれないけれど,もともと松浦党は嵯峨源氏の末裔で,源氏は天皇家の出身だから,代々一文字の名前を名乗っていた。上松浦党なんかはずっとそうだった。これに対して,平戸の松浦党は2字の名前の人が多かったのだけれど,有職故実を重視して,静山は,一文字に戻したのだそうである。


平戸城の狛犬。140622_0744~0001


トイレで休んで,足が復活してきた。さあ,折り返しに参りますか。
平戸大橋を再びわたり,道を走ったり歩いたり。もうあんまり無理はしないで,歩くときは歩く。体調を壊しても,迎えに来てくれるわけでもない。自分の調子は自分で管理しながら,この「旅」を最後までやりとげなくてはならないのだ。雨は相変わらず降り続いている。こりゃ,もう晴れないね。
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旧街道って激坂が多いのだ。

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きっと昔の旅人もこんな風景を見ていたんだろう。

雨のせいで,靴の中の足はふやけてぶよぶよだ。そのために豆ができていて,ややつらい。走れないのはそのせいもある。でも,この時期に雨が降ってくれるから稲は育つのだ。
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帰りがけはトーマさんが,暖かいスープを出してくださった。雨の中の親切。ありがたくいただく。
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こんどは,松浦フルのコースを順序どおりに走りつつ,発電所を眺めながら,御厨,松浦市を抜けて,ようやく再びあの,長い長い山道へ向かう。
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明るくなってくると,山道沿いにいくつかの史跡なんぞもあるのに気がつく。
松山田の六地蔵,なるものがある。これは円筒形の石にたくさんの地蔵の姿を刻み込んだもので,貴重なもののようである。140622_1301~0001


ここで後ろから走ってきた女性ランナーと一緒になる。
ぼくはヤギの姿を写真に撮ろうと思う。
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しばらく一緒に走って,抜いたり抜かれたり。そして,80キロエイドでひとやすみ。
この方,今回初めてなんだそうだ。ぼくはこのコースはもう3回目。
「駄マラニック,楽しいですよね」そんな話をする。楽しんでくれたらいいなあ,と思う。

正直,相当疲れてはいるけれど,自分の体力だけでやり遂げる楽しさや,肌で自然を感じる感覚など,ほかには代えられない貴重な経験がたくさん。駄マラニック,ってそういう「経験」である。
むかし,旅が成人式の代わりだという時代があったらしくて。若者は見知らぬ世界を知るために「グランド・ツアー」なるものに出かけたそうである。当時の旅は,いろんな危険も待ち構えていた。それとともに,旅はやはり自分の見方を変えてくれる,そんな気がする。駄マラニックは,足で行く旅だ。

今福町仏坂免。山道を終えて,行きは果てしない登り道が,こんどは果てしない下り道になる。爽快爽快。苦労は必ず,爽快感に形を変えて戻ってくるのだ。人生みたい。
やがて道は,今福の市街に戻ってくる。
今福を抜けると,行きにも通った,切り通しのある道を通って福島口へ。

後ろからさっきの方が追いついてこられる。
「もうここまで来たら,完走したようなものです,頑張って下さい」と声をかけて励まして,先に行ってもらう。
ぼくはちょっと,足の裏が痛くてあまり走れない。

切り通しを抜けて,福島口へ出てくる。でも実はここから結構,長いのである。

退屈な道路沿いをしばらく走る。いつの間にか,もう雨が上がっている。
そうか,止まない雨はないのだなあ。

90キロエイドで一休み。そこで今回は正式コースではないのだけれど,前回まで正式コースだった人工島の方へ行って見たくなる。そしてしばらく走っていたら,見慣れた人がいる。
草のつくKさんである。それと,今回スタートしてからしばらくご一緒していた,若い女性の方。
どちらも元気そうだ。
しばらく一緒に走る。

と,義母から電話。今,どのへんですか?ということ。孫が,おじちゃん(ぼくのこと)を待ち構えていて,電話をしろとうるさいのだそうである。小学校1年生のかわいい男の子だ。
ちょっとだけ話して,でもそんなに話すことは無い。
どのくらいに着きますか?と聞かれる。時計を見て,午後5時ぐらいには着きそうだ,と返事。
迎えにはゆけませんよ,と言われる。それでいいです,電車に乗って帰ってきます,と答える。

でも,そのうちに,「もしかしたら迎えに来てるかもしれない」「そんなに待たせるわけにはいかないな」という疑念が湧いてくる。

ふと,草のつくKさんにたずねる。Kさんは伊万里の人なので,土地に詳しい。
「午後5時に着けますかね?」「うーん,ちょっと難しいんじゃないでしょうか」
難しいと聞いても,なんとか間に合いたくなる。
そうすると足が復活してきて,なんだか走れそうな気持ちになる。

ということで,急遽,ぼくは俄かタイムトライアルに走る。
結構いいペースで腕時計を見ながら,伊万里へ向かう道を抜け,橋を渡り,さらに街を走る。
草のつくKさんが言っていたとおり,結構遠いじゃないか。ちょっと気分がへこたれそうになる。
しかし,そうなると,なんだか迎えに来ているような気もしてきて,ここであきらめてなるものか,とまだ走る。
スーパーやホームセンターを横目にみながらしばらく走り,午後5時を数分過ぎたころ,ぼくは伊万里駅に戻ってきた。

当然というか,やっぱり誰も迎えには来ていなかったけれど,ぼくはちょっとだけ,楽しかった。
速く走るのも,たまにはいい。


というわけで,恒例の6月「伊万里平戸」をぼくは十分楽しんだのだった。
この楽しさを一人でも多くの人が味わってもらえたら,いいなあと思う。
来年もたぶん,6月の第4日曜日に開催されるはずである。

そして,きっと来年も,天気は「庄野」ばりの雨になるはずだが,それもちょっとだけ,楽しみである。


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