衆議院議員の江藤拓先生が2006年に書いてくださった「拓コラム」。
今日は由宇月のお父さんの命日ということもあり、当時を思い出しています。
由宇月の父親は、2006年5月27日、自分の誕生日に同級生達の見守る中、旅立ちました。
それは大変ドラマチックな最後でした。
いや、ドラマよりも感動的だったかもです。
人生の最後をどう締めくくるかは、自分で選択できるものではありません。
本当に不思議なことでした。
14年前、二人の子ども達は中学2年と小学5年でした。
息子はその日、運動会の予行練習だったのですが、何故か途中で具合が悪くなり、父親の入院先に来てくれて、旅立ちを見守ることが出来ました。
お父さんが大好きな娘は、父親のそばにピタリとくっついたまま。
そして、病室にはたくさんの仲間や家族が勢揃いし、彼が高校の文化祭で仲間達とバンド演奏したという思い出の曲「22才の別れ」が流れる中、眠りにつきました。
そんなことを鮮やかに思い出す毎年の5月27日です。
アイバンクに登録してましたので、遺志を尊重し角膜移植を最後の感謝として成し遂げました。
同級生で親友だった江藤拓先生にも駆けつけていただき大変お世話になりました。
その場所が、宮崎医大付属病院の6階東病棟の病室です。
そして、今、私は同じ病院の同じく6階の、西病棟に入院しています。
人生には、のぼり坂、くだり坂、「まさか」の坂があるといわれますが、まさに、「まさか」の坂を、回りの支えをいただきながら、乗り越えようと一歩づつ歩いています。
医学は日進月歩。
有難いことに、私にはまだ天命が与えられているようで、ゲノム医療の力をいただき、最悪の事態は避けることが出来ました。
人生、生まれて初めてのお休みをいただき、ご迷惑もおかけしてますが、きっとこの時間は、皆様への恩返しとして、これから生かしていくために与えられたものと受け止めています。
明日からの長崎県スクールコンサートは、由宇月、華映、華陽が令和メンバーとしてこれまで以上の舞台を、スペシャル音響チームのサポートのもと努めさせていただきます。
新しい村上三絃道を仲間たちがしっかりと支えてくれています。
本当に有難いことです。
そんな気持ちで「ありがとう」 をいつも唱えています。
私は幸せです。
感謝の気持ちを、まずは同じ病気と戦っておられる皆さんやご家族に、医大コンサートとして演奏でお届けさせていただこうと思っております。
医大の緩和ケアサポートチームの皆さんに運営をお任せし、7月あたりに開催することになってます。
詳細がわかり次第、お伝えしますね。
私は元気になります。
お約束します。
立派に育ってくれた私の宝たち。
まだまだ二人の成長を楽しみに生きていたいと思います。