Karte_volkerwanderung

1 :  04/11/05 23:40:40
コーカサスよさらばじゃ。また会う日まで。



2 :世界@名無史さん 04/11/05 23:42:06
アフリカ→ヨーロッパ→アジア→北米→中米→南米
               ↓
 ミクロネシア→オーストラリア・ニュージーランド




4 :世界@名無史さん 04/11/06 16:34:15
ゴート族がフン族に圧迫されて、ウァレンス帝に庇護を求めたあたりから
はじめますか?




6 :世界@名無史さん 04/11/06 17:11:06
>>4
スカンジナビア→(現在の)ウクライナらへん、は?





元スレッドタイトル: 【逝き先は】ゲルマン民族大移動【自分で決めろ】
元スレッドURL: http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1099665640/l50

7 :世界@名無史さん 04/11/06 20:08:58
従来フン族の西進は玉突き現象、すなわちある部族がフンを圧迫し、フンが
移動してアラン族を攻撃し、負けたアランがフンと合流して東ゴートに
襲い掛かり、東ゴートは西ゴート領内に入った、というように連鎖的にある
部族が次の部族を追い出す結果をもたらしたと解釈されてきた。
しかし、フンの征服過程をたどっていくと、別の部族を追い出すのではなく、
次々と飲み込んでゆく、玉突き現象というよりも雪だるま式拡大といった
ほうがふさわしい。




10 :世界@名無史さん 04/11/07 05:00:37
その前は、バルト海のゴットランド島だけにしか
いなかったものが、いつの間にかはびこった。




11 :世界@名無史さん 04/11/07 09:16:57
>>10
スウェーデンにgotlandという島がありますが、これは「ゴート族の島」
という意味ですか?
対岸にostergotland(エステルゴトランド)という地名もあるな…




14 :世界@名無史さん 04/11/07 17:46:38
>>11
スウェーデン語でゴートは「イェート」と発音します。
イェート族が住んでたのは現在のイェーテボルィ近辺だと
言われています。




16 :世界@名無史さん 04/11/07 19:28:46
>>14
GOTHENBURG と書いて「イェーテボルィ」と発音するんですね。
サンクス。




17 :世界@名無史さん 04/11/07 20:36:36
>>16
それ英語。カタカナに音写するとゴーゼンバーグ。
Goteborgがスウェーデン語。

ちなみにスカンジナビアのイェート族と東・西ゴート族が
同じであるという証拠はまだ無い。




18 :世界@名無史さん 04/11/07 20:38:58
>>16
違う。それは英語表記。
Goteborgでイェーテボルィ。




19 :世界@名無史さん 04/11/07 21:00:59
>>17
>>18
ありがとうございます。ゴート族が他の地域に移動していったのに対し、
スイオネス族はスカンジナビアに残ったということで。
(ヴァイキング時代になって外へ出て行ったが)




34 :カラジチ ◆mWYugocC.c 04/11/08 12:02:10
>>16-18
ドイツ語のgがスカンディナヴィアの諸語や英語でyになるというやつの好例ですね。
独:Tag→英:day
英語ではyで表記するけど、スウェーデンではgと表記してyで発音する。

ただしイェーテボリ自身はゴート大好きなグスタフアドルフの建設の筈なので、
イェート族やゴート族と直接関係があるわけではない。




41 :世界@名無史さん 04/11/08 22:40:14
>>34
ということは、17世紀の当時から、イェート族=ゴート族ということが
広く信じられていたんですかねぇ。まあ、ニーベルンゲンリングの話とか
いろいろ傍証はあったんですけどね。




43 :世界@名無史さん 04/11/09 19:54:35
ウプサラにはゴート族の神殿があったの?

>>34
カール12世もゴート好きじゃなかったっけ?




8 :世界@名無史さん 04/11/06 20:13:16
画像
6

ゲルマン諸王国と東ローマ帝国




9 :世界@名無史さん 04/11/07 00:59:05
>>8
こうしてみるとゲルマニア地方でゲルマン民族が支配していたのはライン川とエルベ川の間の狭い地域で、
ほとんどはスラブ諸部族の支配下だったんだな




21 :世界@名無史さん 04/11/08 00:23:42
>>9
そう。だからガリアのようにローマが思い切ってゲルマンを攻めてれば、
ゲルマンを征服→ローマ化が可能だったろうが、いかんせんゲルマニアに関する地理的知識が貧弱で、
どこまで攻めていいものかきりがないように思えたから、ローマの征服活動はライン川で止まってしまった。




22 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 00:27:45
>>21
単純に、コストパフォーマンス面で、
割に合わないと言うのが大きいのでは?
ローマ化するメリットがあったとは、
到底思えないのですが。




23 :世界@名無史さん 04/11/08 01:14:13
>>22
コストパフォーマンスだけならブリタンニアも同じ事にならないか?
やっぱりローマ人はゲルマニアの地理に関する知識不足からためらったのだろう。




24 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 02:12:51
>>23
ブリタンニアがローマ化したかどうかは、
兎も角として、
ゲルマニア人をローマ化しても、
地理的に連続しているスラヴ人達の居住地域が、
その次に控えているわけですから、キリがないですよね。

そう言う意味では、地理的知識があったから、
攻撃しなかったようにも見えますが、如何でしょう。 

結局、ゲルマニアもブリタンニアも、
ガリアの安定に必要な範囲で征服したというのが、
真相だと思いますけど。




25 :世界@名無史さん 04/11/08 02:18:38
カエサル時代はエルベ川やスラブ人の存在さえ知らなかったが



26 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 02:34:09
>>25
カエサル時代に限定した話でしたか。
それは失礼しました。

でも、それならブリタンニアも、
本格的な征服はなされていませんが。




27 :世界@名無史さん 04/11/08 02:47:52
タキトゥスの時代になってやっと、ゲルマニアの住民に
いままでゲルマニア人としてきた部族集団と、
その東の広大な地域にいる部族集団(ヴェンド人=スラブ人の一部)の区別が、
おぼろげながら明らかになってきたわけだが。




28 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 02:55:09
>>27
いや、ですからアグリコラ以後も、
(成果をあげたかどうかは兎も角として)
ローマ化が進められたブリタンニアと、
結局、最後までローマ化を試みられなかったゲルマニアとは、
状況が違うのではないでしょうか。

記憶で書いてるので、詳細は忘れたけど、
カエサル時点でのブリタンニアについては、
ゲルマニア同様に、
地理的な知識は限定的であったと思いますし。




29 :世界@名無史さん 04/11/08 02:59:49
>>28
ガリア戦記によるとブリタンニアがどんな形のどんな大きさの島で、隣にヒベルニア島という
いわゆるアイルランド島があることまで大体判っていたようだが。

それにキリスト教以前のローマ人は東からは今のハンガリーまでは北上してローマ化してるわけだから、
ラインでとどまらずともエルベまではローマ化できたのではないかと。




30 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 03:16:31
>>29
そうでしたか。
矢張り、記憶で書くと曖昧になっていけませんね。

やりとりをしていくうちに、話がズレてしまいましたが、
本来、私が主張していたのは、経営コスト面からの主張です。
定住して農耕を行っていたガリア人とは異なり、
定住していないゲルマニア人を定住させても、
気候などの問題から、農作物の収量が低いので、
ゲルマニアを軍事制圧しても、ペイしないと思われます。

ですから、ガリアの安定化を目的とした、
カエサルのゲルマニア戦役、ブリタンニア戦役は、
その目的を十分に果たしたと言えるのではないでしょうか。
それ以上の無意味な戦争を行う必要は、
カエサルにはなかったのでしょうし。




31 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 03:18:23
>>30の続き
で、ゲルマニアに関しては、
カエサルの政策が継続されました。

ブリタンニアに関しては、
追加的に征服活動が行われた理由は何か、
という問題が残りますが、
それは当初の問題とは、別問題です。




32 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 03:29:35
後、素直にローマ化されなかったという点は、
ゲルマニアも、ブリタンニアも同様で、
ボウディッカの乱やら、バタヴィア戦争やらで、
ごたごたし続けますね。

それでもブリタンニアを征服した理由は、
南川『海のかなたのローマ帝国』では、
皇帝の威信を軍事的成功で高めるためとされてたと思うけど、
それが妥当かどうかは、ちょっと分かりません。




33 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 03:49:34
連続にも程があるので、これで最後にしますが、
>>22の主張は、私のオリジナルでも何でもなく、
普通に流布している通説的理解の筈です。
少なくとも、私が院生やってた頃の時点では。




35 :世界@名無史さん 04/11/08 14:26:41
>>30
あなたの経済的な側面で説明しようとすると
アウグストゥス時代のゲルマニア遠征、トラヤヌス時代のダキア遠征なども説明が
つかないように思いますが(特にゲルマニアについてはペイしないと主張されている)、
どうでしょう?
ブリタンニアも金がつぎ込まれるばかりで放棄した方が経済的メリットが大きかった
はずという見方もありますが、どうでしょう?




36 :世界@名無史さん 04/11/08 17:30:41
>>30
定住していないというが、ゲルマニアのゲルマン人は長い間定住生活を送っていたようだが、
農業に従事せず、狩猟採集が主だったとされているが、これも間違いで、主な生業は実際は焼き畑農業。
むしろ隣接するゲルマニアの部族に時々略奪され困ったハエドゥイー族の移動に端を発したガリアの混乱を見ればわかるように、
政治的に不安定だったカエサル時代のガリア人の方がゲルマニア人より定住が困難だったのではないかと。




38 :世界@名無史さん 04/11/08 19:57:04
>>36
>主な生業は実際は焼き畑農業。

なんかアフリカみたいだな。




39 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/08 21:34:45
>>35氏
>>33で述べているように、この分野に関する私の知識は、
専門的ではなく、教科書レヴェルですので、
(現に、事実レヴェルで突っ込まれてますし)
そんなに突っ込まれても、大したことは言えませんが、
恐らく、>>31で、私が単純化して、
>ゲルマニアに関しては、カエサルの政策が継続されました。
というのが問題だったのでしょう。

アウグストゥスのゲルマニア遠征も、
トラヤヌスのダキア遠征も、
一時的なもので、長期的なスパンで見れば、
ローマの支配者は、概ね、
ガリアを防衛する目的が果たせれば良し、
としていたと、一応、理解していたのですが...
(>>32で述べたように、威信を求めるために、
 皇帝達が軍事的栄光を求めたと言えるのかは不明。
 理解はしやすい考え方ですが、説得力のある説明ではなかったので。)

>>36氏が、
>農業に従事せず、狩猟採集が主だったとされているが、
>これも間違いで、主な生業は実際は焼き畑農業。
と述べてらっしゃるので(宜しければ、後学のためにソースを希望)、
どういうことなのか、再考すべきなのかな、とは思いました。

>>36氏(昨晩というか、今朝の人ですよね?)
議論にお付き合いいただき、感謝。
面白かったのですが、他人の土俵での議論は難しいですね。
少々、勉強不足を痛感いたしました。




42 :世界@名無史さん 04/11/09 15:09:22
>>39
漏れは>>36とは別人だけど、
ゲルマニアの部族が農業に従事していたのはカエサルのガリア戦記やタキトゥスのゲルマニアにも書いてあったはず。




44 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/09 20:05:38
>>42
左様ですか。
読んだの大分前なので、抜けてるなぁ。イカンイカン。




37 :世界@名無史さん 04/11/08 19:48:48
ようするにゲルマン人よりローマのが弱かった



45 :世界@名無史さん 04/11/09 20:23:44
けどゴート族はもともとバルト海沿岸に住んでたわけだから
スウェーデン南部にいたとしてもおかしくないと思う




46 :世界@名無史さん 04/11/09 22:47:44
>>45
件のタキストゥスが「ゴート人は海の向こうのスカンザから来た。」と言っておりますが、
そこんとこどうなんでしょ。




47 :世界@名無史さん 04/11/09 23:07:28
>>46
どうなんでしょうね。
証明されてないけど、地名もろもろ考えて
スウェーデン南部にいた可能性は高いと思います
自分の勝手な推量ですけど
スェーデン南部からバルト海沿岸にかけてゴート族が住んでいて
スェーデン南部にいた部族は南下せずそこに留り、
後にベーオウルフに出てくるイエーアト族になったじゃないでしょうか?
古英語の綴りでイェーアトはGEATです
やっぱし似てますよね




48 :世界@名無史さん 04/11/09 23:12:30
イェート人の領域とされているのは、スウェーデン西部では?
スウェーデン南部はスコーネ、ハッランドなどのデーン人の領域です。




49 :世界@名無史さん 04/11/10 00:08:47
>>48
半島に近い南西部がデーン人じゃないですかね?
イェーアト人はネット情報どこ見ても南部になってます




50 :世界@名無史さん 04/11/11 20:35:16
ゲルマンといいつつラテン系の連中の顔は異質だよね。
何らかの説明が無いといけないと思うわけだが。。




51 :世界@名無史さん 04/11/12 11:51:37
ゲルマンと言いつつラテン系の連中とは?



54 :世界@名無史さん 04/11/12 22:47:27
>>51
スペイン人とかじゃないの。




55 :世界@名無史さん 04/11/13 12:59:43
なるほど。でも今のスペイン人ってアラブも混じってそうだね。



56 :世界@名無史さん 04/11/13 14:52:05
スペインてゴート族+アラブかと思ってた。



58 :世界@名無史さん 04/11/13 16:50:31
>>55
イタリア南部もアラブの血が混じってる。




57 :世界@名無史さん 04/11/13 16:03:13
>>55
実際に濃く混血してるよ
なにしろ、イスパニア朝が台頭するまで
約400年前後もアラブ系のムーア人の支配を受けていたから
イタリアも似た感じかな?
でも、同じロマンス系のフランスは全然違うって感じがするな!
なにしろ、ケルト・ゲルマンと複雑な混血を
しているからね、当然イスラム系の血は混ってない




63 :世界@名無史さん 04/11/13 18:33:57
>>57
フランスのイスラム系住民の割合は13%。
これからどんどん混血するだろう。
ドイツも7%だから遅かれ早かれ同じ事態に。




65 :世界@名無史さん 04/11/13 18:40:54
>>63
根掘りする感じになるけど
南ドイツ人は旧くからアジア系
と混血を重ねてる気がするが…
理由は単純!日本人にとって親近感を感じるから
また、ミュンヘンのカーニバルでも案外とラテン的な
ノリが見られる、ビールを飲んでワイワイと…
北ドイツには、英国と同様にそれ感じられない気が…




66 :世界@名無史さん 04/11/13 18:43:58
>>65
プロイセンとバイエルンの違いだろ。文化的にほとんど別民族。
同じドイツ語を喋ってるのが奇跡。




68 :世界@名無史さん 04/11/13 18:53:23
>>66
中国と全く同じだね
北京と上海と広東が同じ漢語を
喋る別系統の種族のようなものだね
それで、ドイツ連邦というのか…




87 :世界@名無史さん 04/11/16 23:02:21
>>66
>プロイセンとバイエルンの違い
出来れば詳しくうかがいたいのです。




92 :世界@名無史さん 04/11/17 17:26:14
>>87
旧プロイセンとバイエルンは誰が見ても全然違うじゃん
国の成り立ち、宗派、人種さえ微妙にちがう




95 :世界@名無史さん 04/11/18 18:25:25
>>92
遺伝子でいえばノルディツクもアルプス人種もほぼ同じ




70 :世界@名無史さん 04/11/13 18:58:13
>>68
大体、ヨーロッパにおけるドイツの位置づけは神聖ローマ帝国の性格からして、
日本ではなくて中国じゃないか?
中国が将来ファシズムになったらナチスと同じことやらかすんじゃないか?




72 :世界@名無史さん 04/11/13 19:10:00
>>70
現在の中国を見るとそれは感じられる




59 :世界@名無史さん 04/11/13 17:05:30
ヘレニズム時代に、ギリシャ人と、ペルシャ人、バビロニア人が混血
ローマ時代を通じて、ギリシャ人と混血
ローマ時代初期に、カルタゴを併合してフェニキア人と大規模に混血
ローマ時代中期以降、エジプト、シリア、モーリタニアの領有により混血
両シチリア王国時代に北アフリカやシリアから渡ってきたイスラム教徒の
改宗により同化、混血




77 :世界@名無史さん 04/11/13 22:04:52
イタリアも北部と南部でかなり違うよね。
北部はランゴバルド族が王国を建ててるし、南部は>>59で指摘されているとおり。
ところでイタリアのヴェンデッタ(復讐)はゲルマン人(あるいはノルマン人)が
持ち込んだ習慣なのかな。




79 :世界@名無史さん 04/11/14 00:44:09
>>77
北イタリアのランゴバルド人って南ドイツ系
に属する、スイス・ドイツ人やアレマン人
(別称リヒテンシュタイン人)などの
ゲルマン語派の民族と親近関係があるの?
地理的も隣接しているし…




60 :世界@名無史さん 04/11/13 17:23:47
それに、同じドイツ人でも高地ドイツ人と低地ドイツ人
に大幅に分かれていて、特に高地ドイツ人は、低地ドイツ人
と比較するとラテン系やアラブ系やアジア系のアルタイ語派
(モンゴル・トルコ系)の血が濃厚に混じってる気がする

(それで、中近東諸国に親近感が沸く理由がわかった)

アリバイは、低地ドイツ人とオランダ&デンマーク人
の容貌を比べて、目があまり窪んでない、雰囲気が
オリエンタルな感じがする、俺的には南ドイツ人は親しみを感じる
北ドイツ人は、典型的な白人顔だから別次元と考える(英国人も含む)




61 :60 04/11/13 17:30:41
さらに具体的には、
このタイトルであるゲルマン民族大移動を
引き起こしたアッテイラ・ハーン率いる
フン族や、中世のモンゴル帝国の親藩である
キプチャック汗国の軍隊やトルコ系ブルガル族
の東欧侵入&大蹂躙の事項が大きいと思う




69 :世界@名無史さん 04/11/13 18:56:06
>>61
でもドイツもその周辺国の住民もab3stやafb1b3のモンゴロイド遺伝子は持ってないよ。
だからモンゴル系との混血はないよ。
歴史的にもヨーロッパに定住したモンゴル系はハンガリーのパンノニア盆地に多少定住したフン族だけ。




71 :世界@名無史さん 04/11/13 19:00:31
>>69
ab3stとafb1b3を持ってるのはヨーロッパでは極北のラップ人と、
カルムイキア人を始めとするロシア連邦南部地帯くらいだろ




73 :世界@名無史さん 04/11/13 19:14:19
>>71
ラップ人とスオミ人は全くの別系統の民族なの?
同じウラル系のフィン・ウゴル語派を言語としているが

また、レーニンもカルムイク人の末裔らしいが…




76 :世界@名無史さん 04/11/13 21:44:34
>>73
言語が近いので同根の民族。かなり離れているけど。
ただし外見などからの特徴ほ見れば、人種はかなり違うというのは
昔から指摘されてた。




85 :世界@名無史さん 04/11/14 15:03:47
>>76
今度はウラル語派の話だけど、自分で昔からいろいろ調べたら、
ある事実が判明した、つまりウラル語派はサモイェード諸族と
フィン・ウゴル諸族に大まかに分かれるとするが、結論として、
サモイェードはモンゴロイド種族で、フィン・ウゴルは一部を
除いてコーカソイド種族らしい、ただ言語はアジア系のウラル
系語で一致して、まとまっているらしい
そういえば、モンゴルのメルキト族も南サモイェード系らしいね




64 :世界@名無史さん 04/11/13 18:38:18
>>60
印欧語族がやってくる前にヨーロッパ半島に住んでいた人種は、
どんな肉体的特徴を持っていたの?




67 :世界@名無史さん 04/11/13 18:49:54
>>64
よくわからないが、セム・ハム系らしいイベリア人
と言語系統不詳のバスク人がいたと思う
スコットランドにいた全身黥のピクト人もいた
肉体的特徴はよくわからないが、印欧語族と多分変わらないのでは…
あと、コーカサス山脈にいるカフカス語派(チェンチェンも含む)
の民族は、バスク人とイベリア人と親近関係があるといわれる




62 :世界@名無史さん 04/11/13 17:36:47
>>60
実際、ドイツはトルコ系の住民に
帰化を認めて、国籍取得を許可している
欧州諸国のうちでも、イスラムに理解が
ある民族とはいえる、俺的には
また、ユダヤ系を弾圧した理由もわかる気がする




74 :世界@名無史さん 04/11/13 20:01:11
S・フィッシャー=ファビアン『ゲルマン民族・二つの魂』には、
ヨーロッパの巨石文化をつくった人々について、

「発見される骨から判断すると、農民たちはその多くが肩幅が広く、
扁平な顔をし、逞しく、ずんぐりしていた」

と書いてあった。




78 :世界@名無史さん 04/11/13 22:47:18
南部でも、べネヴェントやカプアやサレルノはランゴバルド系の侯国。



81 :アクィラ ◆0fUIPC892c 04/11/14 04:48:04
>>78
もっと南のヴェノーザ(古名ウェヌスア、ホラティウスの出生地)にも、
ランゴバルト人が建築した城塞が現存しております。
(今は、博物館みたいな使われ方をしてた筈)




88 :世界@名無史さん 04/11/16 23:04:49
そもそもゲルマンはなんで移動したんでしょ?



89 :世界@名無史さん 04/11/17 00:43:35
>>88
寒くなったとか気候の問題じゃないの?
同じころ、中国でも民族移動があって、漢帝国が滅びて、
で、いろいろな北方民族系の国家ができたし。
世界的に同期しているときってば普通は気候とかの要因が
大きい。

あと、フィン・ウゴル系がモンゴロイドとか、ブルガリア人
がモンゴロイドとか、そういうことをいうが、現状そういうの
は遺伝子的にもあまり見いだせない。ヨーロッパはかなりヨーロッパ
人のところ。フン族がたとえ、そのおおもとは匈奴だとしてもだ、
移動して、ヨーロッパにくるまでには、ほとんどヨーロッパ系の人々
になっているってなもんだ。




90 :世界@名無史さん 04/11/17 00:52:52
> 移動して、ヨーロッパにくるまでには、ほとんどヨーロッパ系の人々
> になっているってなもんだ。

なんだよね。民族移動って、言語や宗教などが、隣の人種グループに
次々と「憑依」していく、というのが実態みたいだし。

少し違うが似ている例として、日本で京都を中心に方言が
同心円上に伝播しているのだけど、文化が広まっているだけのことで、
人が物理的に移動してるわけじゃないんだよね。




91 :世界@名無史さん 04/11/17 01:08:34
>>90
うん。たとえば、モンゴル帝国にしても、日本人には
「元」のイメージだから、しかもフビライの絵とかが
モンゴロイドそのものの顔しているからそう思うけど、
でも、本来「モンゴルウルス」というものは、宗教、
人種、民族を越えた「モンゴルの名のもとにあつまった
人々」みたいな意味だから、当然、宗教も多数あって、
ネストリウス派キリスト教徒もたくさんいたし、ローマ
教皇には、ちゃんとラテン語の手紙を書いているし、
もちろん、色目人として、多数のアラブ系民族やらペルシア系
民族も抱えていた。でもって、結果として、チンギスハンの系統
のモンゴル帝室の遺伝子は、全領土にばらまかれているし。
たとえば、クリミア汗国あたりになると、モンゴル系ともトルコ系
ともいえないような人々だし、もうむちゃくちゃ。
指導者の言語がなんだったか、っていうのはあるけれど、あるいは
人種はどうだったか、っていうのはあるけれど、それ以上に民族的
なものはあんまりないね。現在のモンゴル(これもモンゴルウルス
が正式名称だが)の場合も、染めてないのに茶髪、金髪がかなり
いる。もともと中央アジアはそういうところだ。




93 :世界@名無史さん 04/11/18 02:27:46
北ドイツ=プロイセンという図式も極端な感があるが。



94 :世界@名無史さん 04/11/18 17:24:34
ザクセンも他と違うぞ
とくにナポレオン時代など




96 :世界@名無史さん 04/11/18 20:55:57
>>94
ザクセンって、
確かプロイセンとは仲が悪いと聞いたが…




97 :世界@名無史さん 04/11/18 23:59:37
アルプス人種はヨーロッパの白人の中で唯一黄色人種が混血しているとヴァロアの本に書いてある。



98 :世界@名無史さん 04/11/19 01:30:59
>>97
その人の本は50年代で古すぎる
アルプス人種以外でも基本的に東欧人は黄色人種が極わずかだけど混ざってるよ








104 :世界@名無史さん 04/11/19 18:04:08
>>98
スウェーデンやノルウェーは黄色人種の混血度が高いよ。
ラップ人の影響。




99 :世界@名無史さん 04/11/19 01:34:27
まず君の言うところの東欧の定義を教えてくれ。



100 :世界@名無史さん 04/11/19 01:48:02
>>99
ポーランド、ハンガリー以西
ハンガリー、ルーマニアあたりはアルプス人種が多く
ポーランド、ロシアあたりはノルディクが多い




101 :世界@名無史さん 04/11/19 01:49:17
横レスだが

東欧 ウクライナ以東のスラブ
中欧 ポーランド、ブルガニア ルーマニア以西
間 神聖ローマ帝国 とか
西欧 フランス
その他 スペイン等諸王国




102 :世界@名無史さん 04/11/19 02:00:39
ヤフーで検索した結果
中欧 ポーランド 5828件
東欧 ポーランド 26877件
西欧 ポーランド 12507件 
やっぱり一般的には東欧のイメージが強いみたいだね
それと中欧って言葉自体あんまり使われないね




103 :世界@名無史さん 04/11/19 02:09:04
漏れの持つ東欧のイメージは、正教会と同義だけど。



105 :世界@名無史さん 04/11/19 18:35:28
西欧と東欧の境はその時々で変化している
元々は、①西欧=カトリック圏(プロテスタント含む)、東欧=正教圏だったろう
ソ連全盛時代は、②西欧=資本主義圏、東欧=共産主義圏
今はEU拡大で、ギリシャやキプロスなど(近い将来はルーマニアなど)の例外を除いて①に回帰しつつある
①の時代にカトリック圏でありながら②の時代に共産主義圏でもあった国が便宜的にしばしば「中欧」と呼ばれている
しかし現在の経済格差から、東欧=旧共産主義圏のイメージは根強く残っている




112 :世界@名無史さん 05/02/03 15:45:13 0
「ヨーロッパに侵入したゲルマン民族がどこに国を作ったか、部族ごとに答える」
という問題が西洋史の試験に出るんですが、ここだけノート持ってなくてわかりません。
どなたかご教授してください。留年したくないよう。




113 :アクィラ ◆0fUIPC892c 05/02/03 18:09:24 0
>>112氏
西ゴート族:イベリア半島
スエヴィ族:イベリア半島西北部(西ゴートに征服)
ヴァンダル族:北アフリカ
東ゴート族:イタリア半島
ランゴバルド(ロンバルド)族:イタリア半島(東ゴート族より後の時代)
フランク族:現在のドイツ・フランスにあたる地域、後にイタリア半島
ブルグンド族:現在のフランス南東部(後にフランクに征服)
アングロ=サクソン族:イングランド

大体こんなトコ、ぐぐったら地図くらい出てきそうな気はするけど、
面倒なので、ご自分で探して下さい。




115 :世界@名無史さん 05/02/07 18:23:07 0
スキタイを滅ぼしたゴートとサルマートが黒海北岸の支配権を争っていたところに
フン王バランベルが珍入してきてこれらの民族を平定しアッティラの代で雪だるま式に
ローマに襲いかかってきたようにも見える。




116 :世界@名無史さん 05/03/05 16:21:11 0
フン族がやってきた時、あの辺の人々はみんなローマ帝国に逃げこんだんだと思えますが
モンゴルが来た時は(それはゲルマン人じゃないけど)西欧には流れずアナトリアやエジプトに逃げ込みますよね
なんででしょ?




117 :世界@名無史さん 05/03/05 17:19:44 0
同じイスラム圏の助けを頼りに行ったのでは。



118 :世界@名無史さん 05/03/07 19:07:11 0
当時の西欧が後進地帯だったからでは?
逃げるならば経済などが潤っていてすみやすい地帯に逃げるのが人情

フン族がやってきた時はローマ帝国が先進地帯だったから




119 :世界@名無史さん 05/03/18 23:54:57 0
このスレ見てると
ユーラシア大陸の人間が
中部以南のアフリカ人にくらべて
遺伝的に似通っている理由がわかるな。
お互い殺し合い征服しあいながら
血が交じり合っているから遺伝子が均質化されてくる。

これからもお互いの頭をかち割ながら
人間が均質化されるんでしょうね。




121 :世界@名無史さん 2005/03/23(水) 23:47:00 0
アフリカは食料の供給が抜群に安定してるから、
土地の奪い合いなんてする必要無いからね。




127 :世界@名無史さん 2005/03/25(金) 16:19:24 0
>>119、>>121
ブラックアフリカの歴史は、度重なる民族移動の歴史ですよ?
カメルーンあたりからニジェール・コルドファン系が数度に分かれて南下、
その後もスーダンあたりからのナイル・サハラ系の南下があった。
ナイル・サハラ系が先住種族を征服・従属させて成立したのが、ウガンダ、
アンコーレ、ルワンダ、ブルンジなどの諸国。
ポルトガル人やオランダ人がケープ植民地あたりに来た当時は、まだ
ズールーなどのニジェール・コルドファン系が南下の最中で、ケープタウン
あたりには黒人形質の薄いコイサン系しか住んでいなかった。

お互いの頭をかち割るのはどこも一緒。平和裏な移動・交流も沢山あった
だろうけど、どれもどこでも一緒。




136 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 06:02:33 0
イギリス人の事を言うアングロサクソンについてですが、同じゲルマン系の
デーン朝(カヌート)やノルマン朝(ノルマンディー公ウィリアムス)が
征服した時に移民も多かったと思うのですが混血してないのですか?




137 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 09:59:37 0
精度の高いDNA分析だと、混血したかどうかとかも分かる。
統計調査の母集団を多くしないといけない。




138 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 10:12:12 0
イギリス在住の日本人が、貴族にはブロンド、あるいはそれに近い
明るい色の髪の人が多いと書いていたな。
多分ゲルマン系の血が濃いんだろう。
イギリス以外のヨーロッパの国はどうなんだろうか?




139 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 10:38:21 0
西欧だと王家同士の同族婚を繰り返しており、ドイツは小邦分立で
王家の数がやたらと多かったことは確か。同族婚ばかりしていると、
遺伝病の発生率が高くなる。有名なのが、ロマノフ家の血友病。
これで、ラスプーチンのような怪僧が台頭した。
日本でも一般からお嫁さんを募集するようになった事情は知っているよね。




142 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 20:01:39 0
「ゲルマン魂」と言う言葉がありますがゲルマン=ドイツで定義されている
ように思いますが、ノルマン、フランク、アングロサクソン全部
ゲルマン民族ですよね。「ドイツ魂」と呼ぶべきではないでしょうか?




143 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 21:18:17 0
>>142
ゲルマン民族を前面に押し出したナショナリズムが成立するのは
ドイツだけという事です。
フランスとしてはローマの属州であった事で、ドイツに優越感を抱いていますし
フランク王国にしても同じ。
またイギリスはゲルマンを前面に押し出すと、民族問題が噴出するので。




144 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 21:34:24 0
ドイツ=ゲルマン魂
北欧=ノルマン魂
イングランド=アングロサクソン魂




145 :世界@名無史さん 2005/03/26(土) 21:54:41 0
ドイツ魂?
大和魂を日本魂と呼ぶようなもんだな




152 :世界@名無史さん 2005/03/28(月) 02:23:42 0
ゲルマン魂って、ドイツ人も使う表現?教えて、偉い人



162 :世界@名無史さん 2005/06/03(金) 23:51:56 0
>>152
ワーグナーがGeman Spiritを強調したりしてたけど、
それが勢いユダヤ人批判に結びつきがちなので、
ややタブー的になってる。




155 :世界@名無史さん 2005/04/10(日) 20:05:37 0
もしユスティニアヌスとベリサリウスがいなくて、東ゴート王国とヴァンダル
王国が長続きしていたら、イタリアと北アフリカの歴史は変わっていたかもな。
東ゴート王国は長続きしなかったので、西ゴート王国がスペインで果たした
ような、イタリアの国家形成の重要なモメンタムにはつながらなかった。




156 :世界@名無史さん 2005/04/11(月) 00:02:31 0
>>155
恐らく、イスラム教徒にイタリア全土がのっとられてたのでは?




157 :世界@名無史さん 2005/04/11(月) 09:04:06 0
>>156
そうすると、イタリアでもレコンキスタか。




158 :世界@名無史さん 2005/04/11(月) 13:56:20 0
そうなら今頃、ワインとパスタの代わりに茶とパスタでヒーホー言ってるんじゃなかろうか




159 :世界@名無史さん 2005/04/11(月) 14:08:57 0
シチリアはイスラームに支配されたことがある。



160 :世界@名無史さん 2005/04/30(土) 08:45:55 0
東ゴート族が駆逐された後、イタリア半島北部にはランゴバルド族が流入
してくる。彼らは東ゴート族よりも大きな断絶を半島社会に与えた。
彼らは一気に半島全部を征服しようとせず、当初は半島内で清朝に独自の慣習や
文化の維持に努め、アリウス派の信仰を保持した。しかし、彼らも8世紀までに、
大グレゴリウス教皇の活躍によってカトリック化し、自民族の言語を喪失していた。
また、牧畜社会への変化もいわれているほどではなく、ランゴバルド族の法が
穀作よりも牧畜に関する規定を多く含んでいたに過ぎない。大多数のイタリア人の
食事は、これまでどおり植物性カロリーからなっていた。(山岳民はローマ
時代から牧畜生活を行っていた)




163 :世界@名無史さん 2005/06/05(日) 19:53:22 0
ヒトラーのせいでゲルマンって言葉のイメージが悪くなってるからね



164 :世界@名無史さん 2005/06/05(日) 21:28:45 0
かといって鉄血のおっちゃんもどーかと



165 :世界@名無史さん 2005/06/30(木) 23:34:10 0
ゲルマン魂ってかっこよくない?



167 :世界@名無史さん 2005/06/30(木) 23:44:34 0
フランスでは『大侵略』と言われているようだね



168 :世界@名無史さん 2005/07/01(金) 00:16:28 0
フランス人はよくわからんな
ゲルマン毛嫌いするくせして
シャルルマーニュはフランス人
フランスはフランク王国の正当な後継国家だと主張するし
調子良すぎ




169 :世界@名無史さん 2005/07/01(金) 12:53:00 0
フランスはローマ文明を継承したというタテマエがあるからじゃないの。



172 :世界@名無史さん 2005/07/01(金) 23:17:02 0
>>169
フランスがヨーロッパで優越感に浸っている理由は「フランスが一番最初に
ローマに侵略された」から。ゲルマニアやブリタニアのローマ支配は点と点を
結んだ支配でしかなかったけど、ガリアは面の支配だったからローマの正当な
後継者だと主張している。ヨーロッパではローマ支配でなかった地域は「化外の
地」扱い。




173 :世界@名無史さん 2005/07/01(金) 23:40:28 0
フランス南部はローマ的だと認めるけど
フランス北部はラテン化したケルトとゲルマンの混血って感じだな




174 :世界@名無史さん 2005/07/02(土) 18:03:09 0
フランス語ってラテン語の方言みたいなもんが源なんだっけ?



175 :世界@名無史さん 2005/07/02(土) 23:48:48 0
ガリアの俗ラテン語が源だろうな
ゲルマン人が入ってきて発音が激変した(特にロワール川以北)
アクセントの位置がゲルマン諸語と同じように
語頭にきたので語尾の発音が弱くなった
それまでは基本的にイタ語やスペ語のようなアクセントで話してた
南仏の方言はイタ語やカタルーニャ語の方が標準語(北仏語)より近く
8世紀ぐらいにははロワール以北と以南で言葉が通じなくなった




176 :世界@名無史さん 2005/07/03(日) 19:15:34 0
>>175
>南仏の方言...
オック語のこと?




177 :世界@名無史さん 2005/07/04(月) 23:20:51 0
そうだよ



178 :世界@名無史さん 2005/07/05(火) 00:20:05 0
フランスって結構方言あったけど、革命以後に無理矢理統一したんだっけ。



179 :世界@名無史さん 2005/07/24(日) 17:59:04 0
イタリア北部人はゲルマン人って感じする。文化ラテンで容貌はドイツ。
南部人は容貌アラブで文化ラテン。ゲルマン部族は、ナポリにいかなかったんだね。
イタリア、南北で容貌違いすぎ。




180 :世界@名無史さん 2005/07/28(木) 00:53:30 0
↑いえてるね。精神面でもかなり壁があるみたいだし。
ミラノ人は南部人のことを異文化扱い・・・




182 :世界@名無史さん 2005/07/28(木) 19:20:29 0
>>179
スポレト侯国やベネヴェント侯国はランゴバルド系だけどね。




183 :世界@名無史さん 2005/07/29(金) 19:13:06 0
ゲルマン民族が東へ東へと移動してたらどうなったんだろう
やっぱりウォッカを作ったんだろうか




185 :世界@名無史さん 2005/08/18(木) 01:19:10 0
最近この時代に興味を持ち始めて、本を読むようになったんですが・・
450年頃、フランク王が死に、その息子たちが争う。
弟はローマのアェティウス、兄はフンのアッティラ、それぞれに助けを求めた
・・・ とありましたが、具体的にはその王子たちは誰のことなんでしょうか?
452年のカタラウヌムの戦いの時に、ローマ側に参戦したのはメローヴィス
だそうですが・・・・・・

どなたかご存知の方教えてください
なんか気になっちゃって・・・
変な質問でごめんなさい




187 :世界@名無史さん 2005/08/18(木) 17:35:44 0
>>185
クロディオンとメロヴェウス。




188 :185です 2005/08/19(金) 23:58:49 0
>187さん
ありがとうございました!
スッキリしました~~

また質問なんですが、フランク王国について詳しく知るには
どんな本を読めばいいのでしょうか?
よかったら教えてください。




189 :世界@名無史さん 2005/08/22(月) 14:29:59 0
>>188
五十嵐修『地上の夢キリスト教帝国 カール大帝の〈ヨーロッパ〉』(講談社選書
メチエ)はどう?




194 :世界@名無史さん 2005/08/30(火) 23:26:15 0
>>188
カロリング朝よりメロヴィング朝が知りたいなら、グレゴリウスの「フラ
ンクの歴史」がおすすめ。坊主くささを除けば自身がメロヴィング朝内の
政争に巻き込まれたこともあって臨場感がある




191 :世界@名無史さん 2005/08/28(日) 13:40:20 0
フランク族は、ライン河下流に住んでいたシャマヴィ・ブリュクテリ・
シカンブリその他の小部族の連合体。
ユリアヌス帝への勤務を通じてローマ世界に受け入れられ、4世紀の末には
西ローマ帝国の執政官職をつとめる者さえ出た。
そのうちの一人であったバウトの娘は、東ローマ皇帝アルカディウスの
妃となり、テオドシウス2世を生んだ。




193 :世界@名無史さん 2005/08/30(火) 22:04:38 0
ランゴバルド族は5世紀末には下オーストリアにいたが、6世紀始めに
ハンガリーに移り、ここでブルガール人・サルマティア人・パンノニア人
などの騎馬遊牧民を吸収し、アルボインに指揮されて北イタリアに侵入。
569年にポー河流域を平定し、パヴィアに宮廷を開いた。
これにより、200年間におよんだゲルマン民族大移動は終結する。






画像はSansculotte「Map shows the migrations in Europa from 150 till 500 AD」