330px-Hunnen

12 :世界@名無史さん 2006/01/17(火) 03:37:28 0
匈奴は康居を臣属させてたらしいな。
奄蔡は康居に臣属していたらしいし。
つまり匈奴の影響力は黒海沿岸まで及んでいたって事か。




13 :世界@名無史さん 2006/01/17(火) 04:07:49 0
>>12
その話はもうずいぶんと昔に白鳥庫吉と榎一雄に批判されていて、
今では「匈奴=フン」説の論拠としては使い物にならない。

前スレでは誰も触れていないようだから、いかに前スレが
低レベル(同じ話題の堂々巡り)だったかわかる。




18 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 04:39:27 0
>>13
シツシ単于は康居をアゴで使ってたし。
西域における匈奴の威信は後漢時代まで
それなりにあったんじゃないか?
北単于が康居を頼って西へ移動してもおかしくない。




元スレッドタイトル: 匈奴=フン
元スレッドURL: http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1137415206/l50


14 :初心者 2006/01/17(火) 09:21:51 0
奄蔡と康居ってどこの民族ですか? サルマタイ人とか?



16 :世界@名無史さん 2006/01/17(火) 14:52:26 0
>>14
アラル海北方のアラン族とアラル海北東のカンクリ族




20 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 08:45:13 0
>>16
thx
カンクリってホラズム・シャー朝の頃にも出てきたような・・・?




17 :世界@名無史さん 2006/01/17(火) 23:27:57 0
柔然=アヴァール



19 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 04:57:26 0
匈奴が西へ移動しても大勢力だったという話は
それはソグディアナまでの話で、それはいいんだけど。

黒海まで進出してアランを征服した、という話は間違い、
というのが白鳥説・榎説。




23 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 21:47:39 0
とりあえず、フン族と匈奴は異なるという説では、
フン族はどういう系統というか、出自だと考えられているのかね?
例えば、移動以前はどのあたりを居住地としていて、
どの程度の規模の集団であったのかとか。

少なくともゲルマン人を圧迫して、アッティラという王をいただいていた以上は、
それなりの規模のまとまった集団ではあったと思うのだけど。




24 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 21:51:42 0
>>23
はっきり「フンと匈奴は全く関係ない」と断言できる
根拠はないと思うよ。一般に学者が「フン=匈奴説」に
反対してるのは、その主張を裏付ける証拠は不十分、
ということで、可能性があることは認めてるでしょ。

ようするにわからないことだらけ、ってこと。




38 :世界@名無史さん 2006/01/20(金) 00:39:53 0
>>24
なるほど、
いや、素人考えなんだけど、フン族は前述の通り、
アッティラという王をいただき、ゲルマン人を圧迫していたのだから、
その存在は、かなりの力を持ったある程度の規模のまとまった集団、
つまり、遊牧民国家といって差し支えないものだったのではないかと。
で、それが匈奴そのものではなかったとすると、当時の匈奴の領域とゲルマン人の居住地域の間に、
今まで知られていたものの他に、そういった存在がいたことになって、
ちょっと不自然かな?と思いまして。

まあ、その時期のその地域のことがほとんどわからないなら、
そういうのがいてもいっこうにおかしくはないのだろうけど。




26 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 22:39:12 0
ある時匈奴帝国に属した部族が別の時にフン帝国に属したということは当然あるだろう。
それはまあ確実にありえたのであって、問題となるのは
はたしてアッティラが冒頓の子孫かどうかってことですな。

こんなこと確認しようがありやせん。




27 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 22:53:21 0
もし「匈奴=フン」だった場合、その移動距離ももの凄いが、
ヴァンダルにくっついて中央アジアからアフリカまで
行っちゃった(それも短期間に)アランも充分すごいと
思うぞ。




28 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 23:02:55 0
開封からエステルゴムまで移動してそのまま帰って来たスブタイが最強



29 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 23:44:18 0
フン族の風貌の記述とか見ると朝青龍みたいのを連想するな。
やっぱモンゴロイドじゃねえの?




30 :世界@名無史さん 2006/01/18(水) 23:59:07 0
>29
というか誰もユーロポイドだと言ってないと思うぞ。




31 :世界@名無史さん 2006/01/19(木) 00:03:05 0
まあ、移動距離なら後にモンゴル軍が可能な事を証明してるからな。



32 :世界@名無史さん 2006/01/19(木) 00:43:27 0
AD3~4世紀の中央アジア西部~黒海北岸の状況の、直接的な文献資料が無いのが痛い。



33 :世界@名無史さん 2006/01/19(木) 01:00:34 0
突厥の中央アジア進出前に、南ロシアにうじゃうじゃ
現れたテュルク系民族ブルガルとかハザールとかのこと考えると
やっぱり「フン=匈奴=テュルク系民族」と考えたくなるが、
結局「証拠が少なすぎる」で止まっちゃうんだよな。

多分このスレもその流れで1000まで行くのかな。




34 :世界@名無史さん 2006/01/19(木) 01:50:41 0
なんでサルマタイやサカ、アランといったイラン系遊牧民は
テュルク系遊牧民に駆逐されてしまったんだろう




35 :世界@名無史さん 2006/01/19(木) 01:58:46 0
一見、人が駆逐されたように見えるが、実は
殺されたり移動したんじゃなくて、大半は
テュルク語話者に同化しただけだと思う。




36 :世界@名無史さん 2006/01/19(木) 02:30:59 0
>>35
今のタタール人なんかもユーロポイド的外見の人が多いらしい。




41 :世界@名無史さん 2006/01/20(金) 22:26:52 0
バラミール(バランベル)率いるフンが西洋史の表舞台に現れる
4世紀後半より前に「フン」と称する人々は南ロシア平原にいたらしい。

これが後世のフンの先祖である可能性は高いだろうが、
匈奴とどう繋がるかはわからない。

内田吟風は「北匈奴・呼衍王が蒲類・秦海の間を展転」という記事を
根拠に、延光2年(123年)までに北匈奴が黒海=秦海まで進出
していた、と主張しているが、その他の記事では当時北匈奴は
ジュンガール盆地辺りをウロウロしているだけ。

これは、158年頃に北匈奴が康居に移動する前の記事だから
黒海まで進出という話は怪しい。秦海=黒海というのもどうなんだろ?
蒲類海(バルクル湖)みたいな小さい湖と黒海を並べてるのも
不釣り合いだし・・・。

問題の『魏書/北史・西域伝・粟特国条』については
長くなるからいずれまた。




233 :世界@名無史さん 2007/07/15(日) 13:40:59 0
>>41
なんか中国語のページを検索してみるとその部分の「秦海」を
焉耆(カラシャール)の東隣の博斯騰湖(博斯?湖、ボステン湖、ボストン湖、バグラシュ湖)
とみなす説もあるようですな。これだと北匈奴の呼衍王の領域は現新疆ウイグル自治区
の東北部だけになるのう。




43 :世界@名無史さん 2006/01/21(土) 10:26:20 0
キプチャク草原を東から征服した民族で素性がはっきりしてるのって
モンゴル帝国以外にないのかねえ。




45 :世界@名無史さん 2006/01/21(土) 12:51:09 0
現代モンゴル語では人のことを「フン」というらしいけど



46 :世界@名無史さん 2006/01/21(土) 13:20:42 0
ふーん



48 :世界@名無史さん 2006/01/21(土) 18:31:28 0
匈奴とフン族の同一論拠

① 族名の類委

② 民族性の一致

③ 匈奴西遷の時期・経路とフン族欧州出現時期・地点の一致

④ 共にアルタイ語を使用したらしいこと

⑤ フン侵入期にロシア語へ多くのアルタイ語が輸入されたこと

⑥ 考古学的に匈奴の欧州西移があとずけられたこと

⑦ 『魏書』西域伝にフンのことが匈奴の名で記載されていること

「アッチラとフン族」4Pより

しかし、著書の中では同一説には否定的な見解が多い。しかし、フン族はバイカル湖
周辺から移動してきた民族との見解。




49 :世界@名無史さん 2006/01/21(土) 20:28:01 0
バイカル湖周辺も匈奴の領域だよ。



50 :世界@名無史さん 2006/01/21(土) 20:48:48 0
モンゴル族もバイカル湖が発祥地…
綺麗なトコだから皆使おうとしているんかいな?




52 :世界@名無史さん 2006/01/22(日) 11:54:05 0
バイカル湖って遊牧民の影響の強い狩猟民の土地って感じだが



53 :世界@名無史さん 2006/01/22(日) 20:17:42 0
考古学的には、モンゴルは11世紀頃までバイカル湖側ではなくて東の興安嶺の奥地が原郷。
『元朝秘史』の冒頭でボルテ・チノとコアイ・マラルが「海」を渡ってやってきた、という
件があって、この「海」をバイカル湖に比定する説は確かに有力視されている。

しかし、7世紀頃にあらわれる「蒙兀」「蒙瓦」にしろ興安嶺方面の域をでないので
バイカル湖方面に居たかはかなり怪しい。むしろ12世紀に興安嶺からバイカル南部の
ケンテイ山脈にキヤト氏族などのモンゴル諸部族が進出してきたため、当時バイカル湖畔
の最大勢力であったメルキト族は、バイカルと華北との通商街道をモンゴル諸部族に
塞がれたためにこれと抗争するようになったと見られている。

この「西方進出」の最前線にいたのがチンギス・ハンを出したキヤト氏族で、
『元朝秘史』に、チンギスの父イェスゲイの時代からメルキト部族との戦争が
折に触れてあらわれるのはその状況を反映したものだと現在は考えられている。

ちなみに、ナイマン王クチュルクはモンゴルのチンギスを指して「森の王」と
文字どおり「山出しの田舎者」的な言葉で侮蔑しており、あまり湖水との関係は
述べていない。(実際に山林と草原の入り交じった地域からモンゴル諸部族が出現
してきたことを端的に表したものと考えられている)『黒韃事略』などの南宗側の
記録などではモンゴルは垢まみれで真っ黒に薄汚れて汚らしかったとあり、欧州からの
修道士たちもモンゴル人は身体を洗う習慣が殆どなかったことを述べている。




54 :世界@名無史さん 2006/01/23(月) 19:52:53 0
匈奴について知ってるヤツはフンについてよく知らないし、
フンについて知ってるヤツは匈奴についてよく知らないんじゃないの?




55 :世界@名無史さん 2006/01/23(月) 21:13:28 0
そもそも「匈奴=フン」と言い出したヨーロッパ人学者が
漢文史料をまともに読めなかったのが問題。

ちゃんと読めたら「粟特=クリミア半島のSughdag」なんて言わない。




56 :世界@名無史さん 2006/01/25(水) 21:43:45 0
まあ、ぶっちゃけアラン程度なら北匈奴の軍隊で
十分滅ぼせるだろ。
それよりフンについての情報が乏しいな。




57 :世界@名無史さん 2006/01/25(水) 21:46:13 0
アランは滅ぼされたわけじゃなくて、フンに降参した後
一緒になってゴートに攻め入った。




59 :世界@名無史さん 2006/01/25(水) 23:30:07 0
「アラン程度」って別に弱くないと思うが



58 :世界@名無史さん 2006/01/25(水) 23:26:26 0
結局フン=匈奴を完全否定できる証拠はないんだろ?



61 :世界@名無史さん 2006/01/26(木) 01:56:16 0
>>58
「フン=タイムスリップしてきたモンゴル軍」
「フン=完全に架空の民族」
などを"完全"否定できる証拠もない。




60 :世界@名無史さん 2006/01/25(水) 23:41:51 0
パルティアやササン朝にたびたび侵入してるしなぁ



62 :世界@名無史さん 2006/01/29(日) 23:49:03 0
エフタル=匈奴だっけ?



63 :世界@名無史さん 2006/01/29(日) 23:52:37 0
ちがうよ



64 :世界@名無史さん 2006/01/30(月) 01:01:01 0
エフタル=白フン



65 :世界@名無史さん 2006/02/01(水) 22:36:04 0
しかし、アランを中国が知っていたってのはすごいよな。



67 :世界@名無史さん 2006/02/03(金) 21:00:38 0
>>65
アラン(奄蔡)は昔、アラル海あたりにいて康居の
近くにいたんだから中国人が知っていて何の不思議もない。

ただし「魏書西域伝粟特国条」の奄蔡は、その昔の記憶が
混入してるだけで、西の方に移動した後のアランのことを
知っていたわけじゃない。




74 :世界@名無史さん 2006/02/10(金) 02:03:19 0
匈奴はスキタイの流れをくむイラン系か
モンゴル系かどちらなんだろう?
あとトルコ系ってモンゴル系とどう違うんだ!




75 :世界@名無史さん 2006/02/10(金) 17:17:24 0
ローマ人の描写するフン族はスキタイ系には見えない。



77 :世界@名無史さん 2006/02/15(水) 22:09:26 0
まあ、北匈奴の移動ルートを考えれば康居・アランの兵が
フン族に含まれていた可能性大だな。




78 :世界@名無史さん 2006/02/18(土) 17:09:39 0
フン語と匈奴語の比較ができれば一発



79 :世界@名無史さん 2006/02/18(土) 17:11:06 0
フン語も匈奴語も散発的にいくつか単語が
わかってるだけなので無理




80 :世界@名無史さん 2006/02/18(土) 20:13:00 0
その二つを同時に理解できる人がいないから無理なだけじゃないの?



81 :世界@名無史さん 2006/02/19(日) 20:58:51 O
「二つを同時に理解」もなにも、片方だけ理解できる人も存在しない。
「散発的にいくつか単語がわかってるだけ」で、言語の全体像はわかってないから。




82 :世界@名無史さん 2006/02/19(日) 21:47:08 0
人名と部族名くらいしか記録に無いよね。

匈奴側については漢文資料が秦末から後趙まで500年余り通時代的に記録を
残してるからまだ良いけど、フンに至っては欧州のラテン語とギリシア語文献で
その場限りの断片的記録が残っている程度。

肝心のサーサーン朝やインド方面の連中はそもそも自分達の通史的な記録さえ
ほとんど書かなかったせいで、フンと思しき王の名前もほとんど記録して無い
有り様。

ソグド人あたりがフン語だか匈奴語だかを記録してくれれば、状況も違うんだろう
けど、ソグド語資料自体、書簡や宗教関連の文書の断片とか碑文くらいで対外的な
情報はほとんど望めない。高昌とか中央アジアあたりからドカンと4世紀くらいからの
隊商記録なんかのソグド語文書が数百年分大量に出てくればと思うが、まあ無茶な話か。




83 :世界@名無史さん 2006/02/23(木) 21:59:16 0
匈奴語をトルコ語で解釈する方法に倣って
フン語もトルコ語で解釈できないの?
人名とか断片的な記録でもいいから。




84 :世界@名無史さん 2006/02/23(木) 22:07:35 0
>>1
匈奴なんて糞のような民族だといいたいのか!貴様!
激しく同意する!




85 :世界@名無史さん 2006/02/24(金) 00:08:23 0
>>84
お前が糞




86 :世界@名無史さん 2006/02/24(金) 00:10:26 0
>>85は匈奴



87 :世界@名無史さん 2006/02/26(日) 16:13:11 0
オリンピックにファーストネームがアッチラっていう
ハンガリー選手が出てたな。




88 :世界@名無史さん 2006/02/26(日) 17:33:29 0
ハンガリー人は、フンの子孫だと思ってるからねぇ。



89 :世界@名無史さん 2006/02/26(日) 18:39:17 0
そもそも国名の由来がアレだからなぁ。



95 :世界@名無史さん 2006/04/02(日) 10:19:09 0
>>89
ハンガリーは他称で、自称はマジャールだった気がするが。




90 :世界@名無史さん 2006/02/26(日) 22:16:04 0
ふんがりー人民



102 :世界@名無史さん 2006/04/08(土) 20:50:47 0
>>89
>>90
今は「フン族のガリア」説よりも「ホノグル」説のほうが有力らしいですよ。

>>95
正式名称は「Magyar-Koztarsasag(マジャル・ケスタールシャシャーグ)」




96 :世界@名無史さん 2006/04/02(日) 12:38:17 0
突厥がトルコになったんだから・・・
匈奴=フンでもよかんべ




97 :世界@名無史さん 2006/04/02(日) 16:31:22 0
突厥は言語がちゃんとわかっていてトルコ語との関係も明白。
トルコ人の移動経緯もはっきりわかっている。

匈奴とフンは「集団名が似ている」以上にはなかなか先に進まない。
同様に扱うのはとても無理。




98 :世界@名無史さん 2006/04/02(日) 20:12:13 0
> 突厥がトルコになったんだから・・・
厳密には違う。「突厥」が「テュルク」の集合名詞「テュルクト」の音写だろうというのは、
ほぼ間違い無いことだろうが、突厥帝国西部(ホラズム~トランスオクシアナ方面)にいた
オグズ集団の一部がセルジューク朝時代にアナトリアに入植して今のトルコに繋がる。

一応「テュルキエ」という名を新たに称しているが、「突厥」中核部族そのものの後裔という
わけではなく、その辺縁にいた集団の子孫になる。ハザールの系統からするとタタルスタンや
カザフのあたりとかがより後裔に近いと言えるだろうが、これらはモンゴル帝国の影響の方が
圧倒的に強い。10、11世紀頃の段階ですでにオグズ・テュルクメンやカルルク、キルギズ、
カンクリ、ウイグルなどの集団は「突厥」云々というよりは「テュルク系の人々」で一括りに
されている。




105 :世界@名無史さん 2006/04/15(土) 00:51:34 0
フンと同一視されてるのは北匈奴だろ?
前漢のチツシ単于もかなり西には行ってたけどな。




106 :世界@名無史さん 2006/04/23(日) 12:31:18 0
>105

問題は王族の血(ランデイ氏とかキョレンダイ氏)が
アッティラにつながってるかどうかだろう。

王族以外は全部移動中にサルマートやらアランやらと混血しまくって
るんじゃねーか?

逆に混血してないなら、匈奴から何百年もかけて西進したというのは
すごく無理がある。

バトゥがワールシュタットに攻め込んだときだって、モンゴル統一から
わずか40年。フンの歴史だってせいぜい4世紀後半からだと思うが。

遊牧民ってじわじわ膨張とか移動って基本的にないよね。
基本的に急速に強大化して、そして急速に衰退する。




116 :世界@名無史さん 2006/09/02(土) 22:40:17 0
フン族ってトルコ系?モンゴル系?
アッティラってモンゴロイドっぽい顔だったの?




117 :世界@名無史さん 2006/09/02(土) 23:23:44 0
>>116
今のところそれを確証するものは無いので不明

それとは別に今のトルコ&テュルク系の国々や民族では
匈奴&フンは自分達の民族の歴史として教えている




118 :世界@名無史さん 2006/09/03(日) 19:58:55 0
トルコ史で冒頓単于が出てくるってのも違和感ありまくりだな。



119 :世界@名無史さん 2006/09/03(日) 21:10:25 0
>>118
まあ、俺らは「中国史」or「モンゴル史」として習ってるしな。




122 :世界@名無史さん 2006/09/05(火) 01:03:20 0
因みに余談になるが
少数意見の一部のトルコの自国学者には
スキタイの残党が中央アジアに移り住んだサカ族(塞族)や
中国の西周の時代に出てくる犬戎までも「我が民族の先祖」と主張する人が居て
「世界最古の遊牧民族はキンメリアでもスキタイでも無く我がテュルクこそ真の祖」
と誇っている人も居るみたい
そこまで行くとちょっとトンデモくさくなるんだが




126 :世界@名無史さん 2006/11/08(水) 13:25:06 0
>>122
ウクライナやカザフスタンあたりにいたテュルク系遊牧民って
元からいたイラン系遊牧民をけっこう吸収してるんですかね?




128 :世界@名無史さん 2006/11/11(土) 01:26:34 0
白鳥庫吉は月氏とかをトルコ系としているよなあ。
今はイラン系というのが有力らしいが。




133 :世界@名無史さん 2006/11/14(火) 21:43:35 0
素人目に不思議なんだが、なんで匈奴でもフンでも
いいけど、中国の文明やローマの文明を吸収しなかったのかね
同様に漢と接触したのが匈奴ならローマと接触したときにかつて
接触した漢のことなどをつたえてもいいとおもうんだけど
そういう形跡もないよな?




134 :世界@名無史さん 2006/11/14(火) 22:05:28 0
漢族の文明に染まると弱体化するってのが匈奴の常識



135 :世界@名無史さん 2006/11/14(火) 23:08:03 0
アッテイラも蛮族とおもいきやキリスト教の教皇とあって何を会談したのか
わからないけどローマから引き上げているよな?
ということは語学や素養はあったとおもうんだが、それでもあえて漢やローマの
知識吸収しないのはどういう理由なんだろ




144 :世界@名無史さん 2006/11/21(火) 23:33:33 0
フン族は黒海北岸の原住民ではないのだから
東から来たと考えるしかないんじゃないの?




149 :世界@名無史さん 2006/12/10(日) 16:29:28 0
分かり易いのは武器の構造の比較じゃね?
匈奴弓とフン弓の構造は比較できんのかな?




151 :世界@名無史さん 2006/12/19(火) 23:06:03 0
武器構造と言えば、匈奴=フン説の根拠として
剣について何かを説明されたときのノートがあるんだが、
寝ぼけてて一部しか書きとめてない。これの意味が分かる人いたらおせーて。

・匈奴において、剣はとても神聖なものだった。平時に一尺以上抜いたら死刑。
・匈奴が使っていた剣は、フェンシングみたいな、突いて攻撃するタイプ。
その柄には、鹿がグリフォンに追われる構図の動物文様が描かれている。




152 :世界@名無史さん 2006/12/21(木) 01:10:58 0
あの時代は世界的に両刃剣ばかりだったと思うけど



153 :世界@名無史さん 2007/01/04(木) 18:49:27 0
>>151

剣は基本的に突きが主流。
斬撃は刀の方だな。




155 :世界@名無史さん 2007/01/24(水) 12:40:38 0
フン人がモンゴロイドなら匈奴と同一と見なしてよくね?
あの時代に西の方に行ったモンゴロイドって匈奴しかないし。




175 :世界@名無史さん 2007/04/06(金) 07:49:40 0
>>155
アッティラ王の肖像を見る限りでは
モンゴロイドとは思えないんですが?

h
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A9




179 :世界@名無史さん 2007/04/13(金) 03:12:12 0
>>175
一応、背が低いとか目が小さいとかモンゴロイドと思しき
記録が残ってます。
アッティラの肖像は果たして同時代の写実的なものなのか。
とはいえアッティラが生まれた時点で東ゴート征服してから
既に30年ほども経ってますし、混血してたら案外その肖像画
みたいな顔だったりして。ゲルマン娘ともほいほいくっつく
ようだし。




157 :世界@名無史さん 2007/01/28(日) 11:38:07 0
モンゴロイドとか厳密に分けられるってのが幻想だってそろそろ気付けよ。




291 :世界@名無史さん 2008/03/17(月) 20:02:36 0
遊牧民に人種や民族の考え方は無さそうなんだがな…
有力なリーダーが現れるとそこに結集するのが常だし

アッティラがおそらくモンゴロイドの血を濃く残した風貌だったのは歴史書にでてる通りだとおもうがな
歴史書に出てくる軍事上の話、騎馬兵の戦術なんかはゲルマン騎兵のものと明らかに違う
ペルシャの騎兵に近いからおそらくペルシャとの接触もあったんだろうと思われ




299 :世界@名無史さん 2008/07/10(木) 00:11:32 0
「匈奴=フン」説の日本での代表的な論者・内田吟風って、今だと
「トンデモ学者」といわれかねないお方。

「匈奴=フン」説は榎一雄にコテンパンにされ、「テュルク西方起源説」は
護雅夫にコテンパンにされ、「邪馬台国=インドネシア説」はもう相手に
されてもいない。どれも話の持って行き方に緻密さがないんだよな。




300 :世界@名無史さん 2008/10/06(月) 06:40:00 0
時代によって支配部族の数が違うからなんとも言えないね。



301 :世界@名無史さん 2008/10/08(水) 15:20:41 0
匈奴が国という概念をもってたらヨーロッパは匈奴に支配されてたかもな。



308 :世界@名無史さん 2008/10/24(金) 22:08:09 0
そもそもフンが匈奴と直系の子孫あるいは匈奴とならかの関連のある部族集団
だとしたら、「単于」の名称がアッティラの代でも継承されていいはずだけど・・・・
西進した突厥もアヴアールもブルガリアを建国したアスパルフも皆「カガン(可汗)」
という称号を使っていたわけだし。