Soviet_Union,_Lenin_(55)

1: 世界@名無史さん 2001/12/16 01:17:00
やはりロシアの広大さと、神秘的な雰囲気には魅了されますよね。

2: 世界@名無史さん 2001/12/16 01:48:00
ニコライ1世やアレクサンドル2世のころのロシア宮廷史を知りたいんだけど
余り本ないね。

3: 世界@名無史さん 2001/12/16 02:05:00
雷帝イヴァン4世

引用元: ロシア史好き

4: 世界@名無史さん 2001/12/16 02:09:00
基本書は中公文庫のアンリ・トロワイヤだっけ?
と山川の大系あたりですか。

5: 世界@名無史さん 2001/12/16 02:24:00
ロシア皇帝誌も忘れずにな。

13: 世界@名無史さん 2001/12/16 16:13:00
ロシアって野蛮なところと進んだところがアンバランスなんだよね。

農奴の存在と巨大な都市が同居していたり、宇宙開発や軍事技術は異常に進んでいるけど、軽工業はまるでダメだったり。

それもロシアの広大さが原因なのかもしれないけど

14: 世界@名無史さん 2001/12/16 17:15:00
革命前のモスクワは、四十の四十倍もの正教寺院が建ち並ぶ妖精のように神秘的な都市だった

その美しい都市を革命勢力が正教寺院を破壊しまくることで壊してしまった。
ソ連崩壊以後、救世主キリスト大聖堂も再建され聖なるモスクワの復活がまちどおしいです。

15: 世界@名無史さん 2001/12/16 19:34:00
トロワイヤのほかに手頃な基本書ないかね?

16: 世界@名無史さん 2001/12/17 00:18:00
>15
川又一英『イヴァン雷帝』(新潮選書)
はどうですか?

19: 世界@名無史さん 2001/12/17 03:31:00
ノヴゴロドって何?

20: 世界@名無史さん 2001/12/17 03:50:00
>>19
「新城」という意味です。

21: >>20 2001/12/17 07:14:00
ちょっと違う。ノブゴロドは「新しい街」という意味、ロシア王朝の始祖
リューリックが862年に戴冠した街(名前は不詳)に対して新しい街という意味
でノブゴロドと名付けられた。名前に反してロシアでは最古の街のひとつ。
で、イワン雷帝のノブゴロドの虐殺で有名。この虐殺の影響、で栄華を誇った
ノブゴロドも人口が激減してしまい、地方の小都市になってしまったとか。
詳しくはアンリ・トロワイヤの「イワン雷帝」読んでね。

22: 世界@名無史さん 2001/12/17 07:30:00
たしか「城」っつーのは原義は「都市」の意味でしょ?
だから>>20でもあってんじゃない?

23: 22 2001/12/17 07:33:00
って、それはロシア史と関係ないね。スマソ。

ゴロドとグラードは同じらしいね。
だからレニングラードはレーニンの街って意味。

24: >>22 2001/12/17 09:26:00
ちゅっか、ゴロド(ゴーラド)は純ロシア語、グラードは教会スラブ語起源。
教会スラブ語系の言葉は日本語で言うと漢語みたいな扱いね。
ノブゴロドつながりでいうと、ボルガ河沿いにニージニー・ノブゴロドという
街がある。旧ゴーリキー市。

25: >>21 2001/12/17 11:47:00
リューリクが戴冠した街ってホルムガルドじゃなかったけ?

26: 世界@名無史さん 2001/12/17 21:59:00
「ボリス・ゴドゥノフ」は確かオペラになってますね。

27: 世界@名無史さん 2001/12/17 23:32:00
ロシア史に詳しい方に質問があります。
イワン雷帝の「雷帝」はどのように読むのでしょうか?
「らいてい」でしょうか?
いろいろ調べたのですが、読み方だけはわからなくて。
初歩的な質問ですいません。どなたか教えて下さい。

28: 世界@名無史さん 2001/12/18 01:37:00
>>27
グロズヌイ

29: 世界@名無史さん 2001/12/18 02:56:00
ロシアが大国になるのは歴史の必然だったのか

それともたまたまピョートル大帝の様な天才が出てきてその改革が成功したからか

皆さん考えてみましょう。

30: スラヴァ 2001/12/18 06:53:00
>>29
イワンIII世、雷帝がいなかったら、ポーランドがその位置を占めてたんじゃな
いかな。ポーランドの不幸は中央集権制がが確立できなかったことだと思う。
エルマークのシベリア遠征までのロシアって、領土的には大したことないから。

>>27
日本語だったら「らいてい」っす。

32: 世界@名無史さん 2001/12/18 10:31:00
人が住んでない(住めない)所ばかり領土にしたのは、ある意味先見があるね

40: 世界@名無史さん 2001/12/22 01:57:00
>>32
アラスカは売っぱらったが?

43:   2001/12/22 14:15:00
>>40
カナダから進出してきたイギリスに取られそうになってたので
「取られるくらいなら売ってしまえ!」てなかんじで売った。
決して進んで売りたがってたわけではない。

36: フセヴォロド帝 2001/12/19 22:11:00
キエフ公国ってどうよ。

37: 世界@名無史さん 2001/12/19 22:14:00
いいね。元祖って感じ。

38: スラヴァ 2001/12/20 04:47:00
モスクワ大学日本語科の先生たとえていわく

イワン雷帝(破壊者)=信長

ボリス・ゴドゥノフ(混乱の時期にツァーリに成り上がる)=秀吉

ミハイル・ロマノフ(ロマノフ朝の始祖)=家康

だそうです。活躍した時期も大体同じなのね。

44: 世界@名無史さん 2001/12/22 18:18:00
>>38
なるほど。おもしろいね。


ロシア史大好き!

49: 世界@名無史さん 2001/12/22 23:37:00
>>38

そうすると、サイン・ブラト(セミョーン・ベクブラートビチ)が正親町天皇でしょうか。

41: 2001/12/22 02:42:00
ロシアは歴史上、一旦自分達の領土にした土地は中々手放さない。
アラスカは希有な例で、冷戦時代は売ったことを特に後悔していたのでは。

42: スラヴァ 2001/12/22 07:29:00
やはり、日露戦争ネタになるとあの人がでてくるのかな?
ペテルブルク遷都以前のロシア、特にモスクワって見てみたい。

48: 世界@名無史さん 2001/12/22 23:07:00
もしロマノフ王朝が崩壊しなかったら、世界史の流れはどうなったの
だろうと思う。英国王室のようにロシア帝室のことが日本の週刊誌を
賑わしたかな?沿海州に日本人がたくさん住んだだろうか?

50: 世界@名無史さん 2001/12/22 23:38:00
マスターキートンでロマノフ王朝についてが書いてありましたが非常に面白いですね。
ロシア帝国の金塊をを白海経由でイギリスへ運ぶというストーリー。
そしてロンドンに亡命政権を樹立・・・・
そうなりゃ本当にロシア史は面白くなったのですがね。

51: 世界@名無史さん 2001/12/22 23:46:00
セミョーン・ベクブラートビチは、正親町天皇というより
足利義昭じゃないでしょうか。
一旦は担ぎ上げられながら、禅譲されられているということで。

57: 世界@名無史さん 2001/12/23 13:28:00
ロシア正教にも、西欧のような異端審問て
あったの?

59: 世界@名無史さん 2001/12/23 13:47:00
>>57
総主教ニコンの改革の時に、本来のギリシャ正教に準じた儀式に
従えなかった者たちが、古儀式派もしくは分離派と呼ばれ地方に
逃れていったと聞きます。

でも、西欧的な異端審問があったかどうかは・・・、
誰か詳しい人いるかな?

58: 世界@名無史さん 2001/12/23 13:42:00
ナポレオン戦争時のロシアの宮廷貴族社会や風俗を知りたいのなら
トルストイ著戦争と平和
は絶対おすすめ。
社交描写から人格描写から風俗、戦争の情景まで
ものすごくリアルに描いてある。

62: 世界@名無史さん 2001/12/23 22:33:00
>58

あれは凄いよね。トルストイ自身名門貴族だったから
色々な話を家族や親戚から聞けたというのがあるんだろうけど。

フランス軍が侵攻して来ると、貴族たちが
「会話でフランス語を使ったら罰金」という遊びをする。
でもふとした拍子にフランス語で話してその度に「罰金、罰金!」。
ある貴婦人の言葉「でも、こんな事をロシア語で言えて?」

ロシア貴族が如何に一般民衆と隔絶していたか分かる。

作中の実在人物ではトルストイ伯爵家が父方で
ヴォルコンスキイ家が母方。
で、そのヴォルコンスキイ家から架空のアンドレイ公爵の
「ボルコンスキイ家」が生まれた。

61: 世界@名無史さん 2001/12/23 20:20:00
ロシアには「死んだはずの皇帝が実は生きていた」
というパターンの話が多いですね。
これってやっぱり救世主願望?
日本にも「源義経は生きていた」というパターンの
英雄伝説がありますが。

63: 世界@名無史さん 2001/12/24 01:24:00
>>61
僭称者がたくさん出てきた時は
国が大変なことになってる時期だった
から、その通りでしょう。>救世主願望

121: 世界@名無史さん 2002/02/17 11:28:00
ミハイル・ロマノフがツアーリになれた背景を良く知らないので
誰か教えて下さい。

128: 世界@名無史さん 2002/02/18 20:53:00
>121
モスクワがポーランドから解放された後、
貴族・聖職者・農民代表などが集まって彼をツアーリに
選出しました。

129: 121 2002/02/18 22:50:00
>>128
できれば何故彼が指名されたのかという理由も知りたいのですが?
また対立候補とかいたのかも分かれば幸いですが?

130: 世界@名無史さん 2002/02/19 16:53:00
>129
最初はスウェーデン太子が候補者として挙がったりもしたのですが、
やはり外国人のツァーリはよくないということで、
イヴァン雷帝と姻戚関係にあるロマノフ家(ロマノフ家の娘アナスターシャ
がイヴァンに嫁いでいた)が良いということになったみたいです。
あと、コサックの支持も得ていたし。

210: 世界@名無史さん 2002/03/19 20:40:00
旧ロシア帝国のツァーリであるロマノフ家の皇位継承順位は、西欧の王家と
大きく違う気がするのですが、これってロシアの社会的慣習なんだろうか?

一般的に西欧では皇后や王妃が夫の位を継ぐことはほとんど無いのに
ロシアではエカテリーナ2世を筆頭にロマノフ家の血をひかないツァーリが多数いますよね。

212: スラヴァ 2002/03/20 00:13:00
>>210
パーヴェル一世までは、前皇帝が後継者を指名する継承方法だった。ところ
が、後継者がろくでもない場合、宮廷クーデターが頻発して、これで誕生した
のがエカテリーナ2世。彼女及び、エカテリーナ一世(ピョートル大帝の嫁)
など、非ロマノフ家の女帝の大義名分は、「次の後継者の母親」であること。
で、エカテリーナ2世の息子パーヴェルは、人格がドキュソだったために、廃嫡
されそうになった。エカテリーナ2世の急死でパーヴェルは助かったけど、
彼以降、原則皇帝の直系男子が跡を継ぐようになりましたとさ。
ついでに、パーヴェル帝以降、最後の皇帝ニコライ2世まで女帝はいない。

223: 世界@名無史さん 2002/03/21 16:22:00
専制王朝はイイ。若い侍従武官が大勢。夜な夜な舞踏会が。うーん。いい。

232: 世界@名無史さん 2002/03/23 10:18:00
エカチェリーナ2世が純粋なドイツ人だったのは厨房の俺にとって
非常な驚きだった

233: 世界@名無史さん 2002/03/23 11:14:00
>>232
本来なら息子を帝位につけて、自分は摂政になるべきだったのかもね。
でもロシアという国を自分の思い通りに改造したかったのかな。

241: 北方領土@名無史さん 2002/03/26 23:25:00
日露交渉史はペリーの黒船よりも重要だが教科書ではシカトされてる

243: 世界@名無史さん 2002/04/05 17:55:00
>>241
プチャーチンとかですか?
最近では司馬遼太郎の『菜の花の沖』がNHKでドラマ化されたりも
しましたが。

307: 世界@名無史さん 2002/06/13 23:16:00
☆なぜ、ロシアは先進国になれなかったのか?★
これって、やっぱりソ連という大きな回り道をしちゃったからじゃない。
もし、ロシア革命が起きなくても、さすがに時代の流れから民主化は進んだと思う。
フランスからの投資も続いただろうし。ただ、ドイツでナチが台頭するからな。スターリン体制でないと勝てなかったと言われれば、う~ん…

308:   2002/06/13 23:20:00
>>307 
スターリン体制でなければもっとロシア軍は
緒戦で奮戦していたような気が

309: プラトーン 2002/06/13 23:25:00
将官を含む将校を粛清しまくらなかったらもっと早く勝利してたね 

316: 世界@名無史さん 2002/06/23 22:36:00
ロシアはバイキングの一派ルス族が語源でないの??

324: 世界@名無史さん 2002/07/05 08:48:00
>>316
その通りでロシアはルスからきてスウェーデン系バイキングのことだが、
バイキングは数も少なく支配層のみ。一般人はスラブ(カルパティア山脈
が故郷)

321: 世界@名無史さん 2002/07/03 02:58:00
ロシアとトルコって対ヨーロッパの立場がすごく似てるよね。
ロシアだけが17世紀から西欧化していったのは
ピョートル個人の業績?人種の問題?宗教?

346: 世界@名無史さん 2002/09/09 00:58:00
質問ですが、
いまのロシア人って、自分達の歴史の中で
どの時代を最も誇らしく感じてゐるのでしょう?

1)帝政ロシアの時代?
→ピョートル大帝とかエカテリーナ女帝とか、華やかな時代だったね。
でも、あの時代は皇帝の専制で、国民は字も読めない極貧の者が多かった。
2)ソ連の時代?
→世界の2大大国だったし、国民の生活水準はそれなりに向上した。
でも、あの時代は共産党の弾圧がひどかったね。
3)いまのロシア共和国?
共産党の弾圧はなくなり、自由がある。
でもロシアの国力は下がり、治安も悪化した。

さて、ロシア人にとってどの時代が一番よかったと、
ロシア人たちは考えてゐるの?

347:      2002/09/09 03:11:00
スターリンの時代だよ。

351: 世界@名無史さん 2002/09/13 00:19:00
想像するにブレジネフ時代ではないだろうか?
キエフあたりを見てると物質的、金銭的にはともかく、
他の面では(市内交通機関網の合理性や緑地面積の多さ)
同レベルの日本の都市よりはるかに住みやすそうだ。

361: 世界@名無史さん 2002/09/24 12:51:00
>>351
ブレジネフ期といっても、商店に行列ができていたのは
間違いありませんよ。それに、この頃から経済成長が
止まり始めましたしね。でも、ソ連崩壊後の
ロシアの経済政策は、もっとダメダメでしたが。

352: 役人の腐敗は 2002/09/13 03:28:00
スターリン時代が一番少なかったんだよ。

363: 世界@名無史さん 2002/09/24 14:42:00
ロシア史

帝政時代に皇帝が民衆を圧迫
   ↓
革命が起こる
   ↓
スターリンの独裁
   ↓
共産党の圧政
   ↓
ソ連崩壊
   ↓
経済破綻

366: 世界@名無史さん 2002/09/29 19:15:00
モンゴル帝国の後継帝国では都は複数あり、
中国では元や清など避暑宮といって草原に宮殿をおいて
普段は北京にいて夏の間だけ遊牧民のハーンになったりしますが
もしかしてモスクワにもそういう機能があったのでしょうか?

皇帝としての宮城:北京:サンクトペテルブルグ
ハーンとしての都:承徳/開平:モスクワ

サンクトペテルブルグとモスクワの関係について詳しい方教えて下さい。

368: 世界@名無史さん 2002/09/29 19:38:00
>>366
モスクワとペテルブルグの関係はむしろ京都と東京の関係に近い。
モスクワはロシア的な都。
ペテルブルグは西洋的な都。
「ロシアの伝統文化にどっぷり漬かった環境のモスクワに居たら近代化(=西洋化)ができん」
ということで、西洋的な新しい都としてペテルブルグを建都した。

ソ連で再びモスクワに戻ったのは西洋文化(=ブルジョワ文化)拒否の意図があったのかもしれない。

373: 世界@名無史さん 2002/10/01 00:15:00
>>368
面白い。モスクワっていつからあるの?
モスクワももともと草原になかったっけ?

386: スラヴァ 2002/10/17 17:36:00
>>373
モスクワが初めて文献で確認できるのが1147年、スズダリのユーリー公が友人
をここに招待したときのこと。もともとはこの地方の有力都市だったスズダリ
からルーシの首都キエフの間に設けられた中継地点だったとか。
それからモスクワ川とネグリンナヤ川の合流地点にクレムリ(城塞)が建てら
れましたと。モンゴル・タタールの来襲時にも主要街道から僅かに外れていた
ので、比較的被害を被らなかった。これが後のモスクワの台頭につながる。
以上「ロシアの精神」からの抜粋

>>371
ところがペテルブルクには本物のモスクがあったりする罠

371: 世界@名無史さん 2002/09/30 16:52:00
なんでモスクワにはイスラム風(モスク)の宮殿があるの?
ロシアではイスラム教がさかんなのですか。

375: 世界@名無史さん 2002/10/01 02:06:00
モスクワのシンボルになってる建物はモスクのてっぺんに似てるね。
ロシア建築はああゆうまるい頂上がついてる。金色がおおいけど。
ロシア南部はイスラムが多いし、
モスクワという地名はモスクからきてるのか?

376: 世界@名無史さん 2002/10/01 03:05:00
>>371
逆。ビザンツ・正教のドーム建築をイスラムが取り入れた。

>>375
モスクワの名前は街を流れるモスクワ川から。
モスクはマスジド(礼拝所)の西欧語なまりで
アラビア語でもロシア語でもモスクとは言わない。

377: 世界@名無史さん 2002/10/01 03:43:00
>>376
おー!!ちゅうことはですよ。あのイスラム風建築のモスクは
東ローマ帝国発で、イスラムに伝播したわけ?それならばイスラム風
というよりも正教型(キリスト教)建築というべきか。でもあれ
トルコ風というかインド・イスラム風のエキゾチックさがあるよね。
純粋なヨーロッパの風土から生まれた建築物だとは思えない。

確かアラビア後だとミナレット(尖塔)と呼ぶんだっけか。

391: 世界@名無史さん 2002/10/20 15:07:00
>>371

ロシアは国教をイスラム教にするか、キリスト教(東方正教会)にするか悩み
キリスト教にしたという経緯がある。当時はイスラム圏の方が文化的に優れていたし
地理的にもイスラムに傾く傾向は有ったのだが、結局キリスト教に落ち着いた。

イスラムにしなかった理由は、イスラムって禁酒だから寒い所ではやってられない。

394: 世界@名無史さん 2002/10/20 16:17:00
>>391
タタール民族も寒いところに住んでいますが?

395: 世界@名無史さん 2002/10/20 16:34:00
>>394
タタール人などトルコ系の遊牧民たちとは違って
ロシア人はウオッカを飲まずには生きていけません。

400: 世界@名無史さん 2002/10/21 12:53:00
>>391
ロシアの公が各宗教を比較して結局東方正教を選んだという
エピソードが原初年代記にあって、その中で、酒を禁じてい
るのが気に入らなくてイスラム教は採用しなかった、という
ところからそう言われているんだろうけど。
年代記の、そのエピソードがそもそも疑問。
各宗教の宣教師が同時期に公のところに来て自分たちの宗教
を勧めていたなんて、話としてできすぎている。
当時、年代記を記したのは修道士だから、東方正教の修道士
が、自分たちの宗教がありがたいものであることを大げさに
記したものなのだろう。「おまえら、イスラムなんかに改宗し
たりしたら、酒が飲めなくなるんだぞ、だからうちの宗教が
いいだろ?」と遠回しに言ってるのかもしれない。
実際には、当時のルーシ(ロシア)の最大の貿易相手国はビ
ザンティン帝国だったので、酒とは関係なく、東方正教化す
るのは必然だった。

406: 世界@名無史さん 2002/10/22 23:41:00
>>400 ウラジーミルがビザンチンの皇女を妻にしたがってたのも
   関係ありでは?

433: 下r-印具 2002/12/18 22:42:00
>>400
北方の蛮族ロシアは文字がなくて、ビザンチンに文字をたのんだそうだ。
イタリア系かギリシャ系をえらべといわれて複雑な(とみえた)装飾的ギリシャ
文字を選んだという話がよく出てくる。
当然正教も一緒についてくる。