後村上天皇

1: 2002/06/07 02:11:00
みんな護良や懐良ばかり注目するけど、
後村上天皇も実は甲冑を着て戦っていた。
たしかどっかの戦で撤退する時、甲冑を見たら矢が二本
突き刺さっていたとか。
古代以降、こんな戦闘の経験をした天皇もいないだろう。
ちなみに後村上天皇は書道も上手かったらしい。

3: 日本@名無史さん 2002/06/07 08:29:00
後醍醐と違って、個人的な人となりがあまり知られてないね。
性格的にはどんな人だったのかな?

4: 日本@名無史さん 2002/06/07 11:56:00
親父がアレだと息子が苦労するという典型的なパターンですな。

引用元: 後村上天皇ってどうよ?

5: 日本@名無史さん 2002/06/07 11:59:00
母親もアレだしね。

7: a 2002/06/07 16:13:00
>3
さいとうたかをの漫画では、楠木正行が出征する時
涙を流して「武運を祈る」みたいなこと言ってたね。
後醍醐のブチキレぶりからすれば、かなり温厚だったんじゃない?

10: 日本@名無史さん 2002/06/07 20:43:00
北畠親房の女を中宮にしてたが
なんとその中宮が某公家と駆け落ちして連れ戻されたそうな。

その際、逃亡を手引きした農民たちを
親房が斬首している。

と聞いた。

11: 日本@名無史さん 2002/06/07 21:25:00
たしかに天皇が自ら戦闘に加わったのは神武以来。

12: 日本@名無史さん 2002/06/09 19:23:00
>11
指揮能力はどん位だったんだろう?
一応、東北で北畠顕家の戦い振りを見てるはずだから、
それなりにあったとは思うんだけど。

13: 日本@名無史さん 2002/06/23 13:09:00
父親のせいで苦労した人。

14: 日本@名無史さん 2002/07/08 20:14:00
中宮に駆け落ちされるってことは、どういう人物なんだろ?

15: 日本@名無史さん 2002/07/08 22:09:00
>>14
あてにおおどか(太平記)

16: 日本@名無史さん 2002/07/08 22:23:00
後村上天皇っていつ生まれたの?なんかはっきりしない部分も多い気がする。
あと長慶は本当に後村上さんの子供なの?

17: 日本@名無史さん 2002/07/09 21:45:00
>>16
山奥に住んでる人は謎が多いね。

18: 日本@名無史さん 2002/07/13 05:25:00
>>16
嘉暦三年

まあ、足利方の事情もあるけれど
何はともあれ、正平一統とかしてるし
いいんじゃないかと思う。
後醍醐よりある意味名君だったりして。
後醍醐の資質はむしろ長慶が継いでるような気がするが如何。
後亀山は後村上っぽいね。
印象論なんで突っ込まないでね。

19: 日本@名無史さん 2002/07/26 06:21:00
>>18
村上天皇との共通点は?

21: 日本@名無史さん 2002/07/26 10:05:00
>>19
醍醐の後。

醍醐天皇の次:村上天皇
後題号天皇の次:後村上天皇

後醍醐帝は自分の諡と息子の諡を自ら決定。
史上唯一の例だそうですね。
天皇親政を行った醍醐天皇の再来という立場を印象づけることが
狙いのようです。

22: 日本@名無史さん 2002/07/26 15:12:00
>>21
醍醐天皇と村上天皇の間に朱雀天皇って人がいたような・・・・・。

23: 日本@名無史さん 2002/07/26 15:46:00
>>22
朱雀の系統は後に続いてないから
村上にしたんじゃないでしょうか。

24: 日本@名無史さん 2002/07/26 16:09:00
>>22
ご指摘ありがとうございます。

60代 醍醐  61代 朱雀  62代 村上
ですね。

継承の順番でなく、真に醍醐天皇の政治を引き継ぐ後継者
というイメージで、幼くして即位してまだ年若い内に半ば
無理やり譲位させられている朱雀より、同じ醍醐帝の息子
であり、天皇中心の善政をおこなった村上の名を選んだと
いうことなのでしょうね。

34: 日本@名無史さん 2002/08/29 05:44:00
>>22

>醍醐天皇と村上天皇の間に朱雀天皇って人がいたような・・

朱雀院のときは、藤原忠平が摂政・関白になっているので、
摂関・院政を廃して天皇親政を行うという後醍醐の理想と合わなかったのでしょう。
延喜・天暦の治と言っても単に摂関が居なかっただけで、見るべき事蹟は無いのだけどね。

25: 日本@名無史さん 2002/07/26 16:30:00
醍醐、村上の両帝は「延喜・天暦の治」と称される親政をなさったけど、
間の朱雀帝はその治世に「承平・天慶の乱」がおこってますしね。
戦乱という事なら、この時期に後朱雀ってのは洒落にならんでしょうし。
何よりも第69代に後朱雀天皇が既にいらっしゃいますから、
醍醐→朱雀→村上
の順番通り
後醍醐→後朱雀→後村上
ってのは物理的に無理な話ですわな。

27: 日本@名無史さん 2002/08/11 03:58:00
>>25
そのまえにちゃんと後宇多天皇がいらっしゃいますよ

28: 日本@名無史さん 2002/08/21 08:56:00
さいしょの後ってだれよ?

29: 日本@名無史さん 2002/08/21 16:32:00
後一条でしょ。
藤原道長の外孫。
道長が、
この世をば我が世ととぞ思ふ望月の
かけたることもなしと思へば
の歌を詠んだときの天皇。

30: 日本@名無史さん 2002/08/21 21:00:00
肖像、あるにはあるんだけど
インターネットでどこにあるか検索しても分からん。

容貌はかなり太め。
「親王時代や正平一統の際には甲冑を身にまとって戦陣を駆け巡った天子」
というイメージとはかなり違う。
いかにもおっとりとした感じ。

31: 日本@名無史さん 2002/08/21 21:06:00
自分がしってるのは
座って手をかざしている直衣姿の肖像。

昔見た少年向け歴史ものの挿絵では
鳳輦に甲冑姿で乗っていた。

32: 日本@名無史さん 2002/08/29 02:00:00
そもそも、村上天皇って、そんなに良い政治をしたのか??

33: 北畠 2002/08/29 04:33:00
後村上天皇は、大阪市住吉区の住吉大社の宮司の津守氏の館の住之江殿を
約10年間御座所としていたことはあまり知られていませんね。
現在、同地は、史跡・住吉行宮跡として整備されています。
次の長慶天皇は、この住吉行宮で即位したそうです。
また後村上天皇は、住吉三寺の一つの荘厳浄土寺で津守氏の後援のもとに
後醍醐天皇の大法要をしたらしく、大きな石碑が荘厳浄土寺にあります。

37: 日本@名無史さん 2002/09/07 11:42:00
>>33
住吉まで進出できたってのがすごいね。
あそこって吉野みたいな山奥じゃないし、
港があるからけっこう栄えてたとこだったんじゃない。
攻め込まれても維持できるようなとことは思えないんだけど。
このころの戦況はどうだったのかな。

38: 日本@名無史さん 2002/09/07 12:23:00
>>37
南朝も吉野の山奥に逼塞していただけでなく、北朝の弱体化にともない、
移動していた。住吉大社宮司の津守氏は南北朝当初から南朝方だったとのこと。
住吉大社の住吉神は海神だから、住吉神を奉じる瀬戸内の一族のネットワークが
南朝の連絡網として、とても重要だったらしい。

39: 日本@名無史さん 2002/09/11 23:41:00
>>38
なるほど

46: 日本@名無史さん 2002/11/09 15:27:00
村上天皇はどうよ?

47: 日本@名無史さん 2002/11/09 16:14:00
すッげー奴

48: 日本@名無史さん 2002/11/09 16:30:00
最初は護良・宗良・懐良のように戦場に出される
予定だったが(実際に出されたが)、
後継ぎにするはずだった世良親王が死んだため
呼び戻されて皇太子→即位になったようだ。

49: 日本@名無史さん 2002/11/16 17:48:00
世良親王が天皇になっていたら、後村上と付けられることはなかっただろう。

50: 日本@名無史さん 2002/11/29 16:35:00
即位前から後村上と決められていたという珍しい例なんだよね。
即位前から決定してた例って他にあったっけ?

51: 日本@名無史さん 2002/11/29 17:05:00
>>50
即位前どころか即位後でも生前に決定してたのは他には後醍醐くらいだろ。

52: 日本@名無史さん 2002/11/29 18:14:00
後村上天皇の兄である恒良親王は北陸で即位してなかったっけ?
たしか1340年頃に「白鹿」とかって元号を使っていたはず。

54: 日本@名無史さん 2002/12/11 13:58:00
>>52
日本酒みたい

53: 日本@名無史さん 2002/12/10 18:31:00
恒良親王は、たしかに即位していて、それが正統なはず。

ただし、後醍醐のいつもの手のひら返しで、あとから無効にされた。

55: 日本@名無史さん 2002/12/22 23:22:00
>>53
後醍醐は偽の三種の神器をばらまき過ぎ

56: 日本@名無史さん 2003/01/04 06:40:00
後醍醐天皇がいくつ偽神器を作ったか知ってる?

58: 日本@名無史さん 2003/01/12 22:14:00
偽神器はたしか5つだったか?

だまされたやつも5人・・・

59: 日本@名無史さん 2003/01/12 22:28:00
偽神器の5つってそれぞれ誰がもってたの?

62: 日本@名無史さん 2003/01/12 23:08:00
>>59
北朝にとられそうになるたびに新しく偽造したが、その北朝も何度もとりかえされてる。
恩賞めあてで命がけでとりかえしてきた者に対してまさか「それは偽造品じゃ」ともいえないから、
南朝方には似せ神器がふえる一方で、後醍醐天皇崩御の後、似せ神器であることは隠して
名宝ということで功績ある皇族に分け与えた。ところが数世代たつと、そんなことも忘れられ
「後醍醐天皇から皇位を継承した皇族の子孫である証拠」と考えられるようになった。
これが全国に後南朝の子孫と称する「自称○○天皇」が大量発生した原因のひとつ。
ちなみに現在の皇室にある神器もこの中の似せ神器のひとつ。
本物は吉野の山奥に隠されている可能性もないではないが、まず行き先不明というのが妥当。
もし本物である可能性にわずかでも賭けるなら天正六年に滅亡するまで
浪岡北畠氏が奉護していた神器がそれかな?その後いろんな経緯があって江戸時代には
伊達氏領内にあった。今でも、その神器はとある小さな神社に祭られてるが、まあこの伝承は
江戸時代の偽書のたぐいであろう。期待しないように。

61: 日本@名無史さん 2003/01/12 22:42:00
北畠親房の指導に素直に従い、文字通り「延喜・天暦の治」の世に戻そうとした
穏やかな人柄だった。お父さんの後醍醐天皇は天皇親政というより天皇独裁を
目指した過激派だったから、後村上天皇は混乱した時代の収拾者として適任。

72: 日本@名無史さん 2003/01/30 09:29:00
偽神器で即位した天皇には何の権威もないでしょ.

鏡が象徴する「正直さ,まっすぐさ」こそ正統性の証しの第一.
「日本ハ神国ナレバ」不正直者をいただくわけには参りませぬ.

73: 日本@名無史さん 2003/02/07 23:33:00
本物の神器は伊勢と熱田にある方だって話もありますな。
勾玉はどうなのか知らんけど。

76: 日本@名無史さん 2003/02/09 05:57:00
>>73
勾玉はモノホンということになってる

77: 日本@名無史さん 2003/02/09 11:48:00
鏡は伊勢に、剣は熱田に、勾玉は宮中にましますので
ご安心ください。

78: 日本@名無史さん 2003/02/16 03:34:00
本物は後醍醐がどっかやってしまったはず。

80: 日本@名無史さん 2003/02/27 23:05:00
後醍醐は5回くらい偽物をみんな(実の子にまでも‥)に渡してますが、
あの中に実は本物があったらしいとのこと。

84: 日本@名無史さん 2003/03/19 00:41:00
後村上と北畠との主従関係ってちょっと萌えない?
幼少のときから自分に仕えてきた顕家の死を乗り越えて
成長してゆく・・・みたいな

86: 日本@名無史さん 2003/03/21 22:52:00
>>84
やっぱ六つや五つの頃から親元を離れて奥州で一緒にいたわけだから
それなりの信頼関係はあっただろうね

88: 日本@名無史さん 2003/03/22 01:41:00
後醍醐、光厳、後醍醐重祚、光明、崇光、後村上、後光厳、後円融、後小松‥‥
これが学問的歴代。

98: 衣笠宮 2003/03/30 22:56:00
後について調べてみました。

前→
桓武(柏原)-平城(奈良)
桓武(柏原)-嵯峨-仁明(深草)-文徳-清和(水尾)-陽成
桓武(柏原)-嵯峨-仁明(深草)-光孝(小松)-宇多-醍醐-村上
桓武(柏原)-淳和(西)

後→
後鳥羽-土御門-後嵯峨-亀山-後宇多-後醍醐-後村上-後亀山
後柏原-後奈良-正親町-誠仁-後陽成-後水尾-後西

*後光明天皇の前がよくわかりません。
 まさか光明皇后ではないですよね。

99: 日本@名無史さん 2003/03/30 23:02:00
>>98
光明院っているじゃない。光厳院の弟の。

167: 「後」がつく天皇 2003/12/31 02:53:00
>>98
50代桓武(柏原)・・・104代後柏原
51代平城(奈良)・・・105代後奈良
52代嵯峨・・・88代後嵯峨
53代淳和(西院)・・・111代後西
54代仁明(深草)・・・89代後深草
[55代文徳・・・102代後花園(後文徳)]
56代清和(水尾)・・・108代後水尾
57代陽成・・・107代後陽成
58代光孝(小松)・・・100代後小松
59代宇多・・・91代後宇多
60代醍醐・・・96代後醍醐
61代朱雀・・・69代後朱雀
62代村上・・・97代後村上
63代冷泉・・・70代後冷泉
64代円融・・・北朝5代後円融
66代一条・・・68代後一条
67代三条・・・71代後三条

168: 「後」がつく天皇 2003/12/31 02:56:00
>>98
72代白河・・・77代後白河
73代堀河・・・86代後堀河
74代鳥羽・・・82代後鳥羽
78代二条・・・94代後二条
80代高倉・・・後高倉院(守貞親王)<後堀河天皇実父>
83代土御門・・・103代後土御門
90代亀山・・・99代後亀山
92代伏見・・・93代後伏見
95代花園・・・102代後花園(後文徳)
北朝1代光厳・・・北朝4代後光厳
北朝2代光明・・・110代後光明
北朝3代崇光・・・後崇光院(伏見宮貞成親王)<後花園天皇実父>
115代桜町・・・117代後桜町
116代桃園・・・118代後桃園

なお、後花園は、いったん後文徳という名を送られたが、文徳が謚号であることにあとで気付いて、後花園と訂正された。

101: 日本@名無史さん 2003/04/07 00:55:00
なんで光明皇后と同じ名を?
光明天皇って子供いたかな?

132: 日本@名無史さん 2003/07/21 23:49:00
後醍醐による建武の親政が始まるのだが、後醍醐は自分が
隠岐に流されていたときに光厳が即位していたことを認めない。
その間も自分が天皇だったと言い張る。この時、光厳は太上天皇の位を贈られるが
「天皇だったものではないが特別に」と後醍醐にいわれる。
(この屈辱を約60年後に今度は彼の孫の後亀山天皇が味わうことになる)

なぜこの時、「治天の君」(上皇)や重祚(歴史的に見れば後醍醐はこれが正しいだろう)
しようとしなかったのか私にはよく分からない。宋学の視点で「天皇が国を治める」と
思っていたから上皇にならなかったのはまだ分かるが重祚した人は以前にもいるし
かまわないと思うけど後醍醐にとってそうはいかなかった。

結局これは3種の神器を持っていたものでも天皇ではないということだ。

151: 日本@名無史さん 2003/09/06 14:27:00
>>61
北畠は村上源氏と摂関家がすべてを仕切る摂関政治の復活が信条の究極の「抵抗勢力」。
後醍醐の新政は武士の時代からの逆行は不可能と悟り、臣下に特定の権力者を置かず、公武双方を治められる体制「天皇による院政&幕府」を目指していた。
どちらが現実的かは明白。
>>132
後醍醐の兄・後二条天皇の在位3年での急逝で正統な後継者・邦良親王(後二条嫡男)が小さかったため、
持明院統の花園の即位が繰り上がり、なおかつ大覚寺統が不利にならないように邦良の前に後醍醐を立てた。
従って後醍醐の皇位は中継ぎでしかなかった。
だが、邦良も急死したためその次の皇太子の予定だった持明院統の光厳が繰り上がり、その次は邦良の息子とされたために後醍醐系の即位の芽が潰えた。
このため、後醍醐は倒幕という実力行使以外に自分の子に皇位を継がせる方法がなかった。
ちなみに光厳の皇太子は邦良の息子・康仁親王である。恐らく以後は崇光→康仁の子にまわして両統迭立を守るつもりだったのだろう。

後宇多-後二条-邦良親王-康仁親王(嫡流)

   -後醍醐-後村上(傍流だが実際の流れ) 

153: 日本@名無史さん 2003/09/14 01:49:00
>>151
後二条の在位は7年の誤りです。

137: 日本@名無史さん 2003/08/01 22:33:00
>>132
彼は父親から「天皇はおまえ一代かぎり、おまえの子孫に皇位は伝えさせないぞ」と言い渡されていた。
当時としては父親の遺言は絶対だからね。
要するに後醍醐は退位したらそれっきり、治天の君にはなれない立場だった。
だから「退位した」とは絶対に認めたくなかったんだろうね。

154: 日本@名無史さん 2003/09/27 03:26:00
後醍醐は5回くらい偽物を渡してますが、あの中に実は本物があったらしい

157: 日本@名無史さん 2003/10/06 22:04:00
正平の一統のとき、南朝は北朝の神器を没収している。
実はそれまで北朝が持っていた神器こそ本物だったのではないか。
つまり、光明院に渡した神器が本物。

158: 日本@名無史さん 2003/10/06 22:47:00
↑根拠は?

159: 日本@名無史さん 2003/10/08 19:21:00
梅松論だしょ。

162: 日本@名無史さん 2003/10/19 09:11:00
>>159
足利系だから即信用は出来ない、勿論尊氏も馬鹿じゃないから花山院に後醍醐を閉じ込めたときに確認はしただろうが。

173: 日本@名無史さん 2004/01/01 22:17:00
偽神器をいくら作っても、本物は、かなりぼろいだろうし、
錆びもついているから、後から作った偽神器とすぐ見分け
がつくと思うが?(当時は古く見せる技術も現在ほど、
ないだろうし。)
それと後醍醐天皇自身、神器本体を実見したことがあるのか?

175: 日本@名無史さん 2004/01/03 10:18:00
南朝を正統とする場合でも光厳を認めていいんじゃないか?
南北分裂は光明からとしてみることも可能。

176: 日本@名無史さん 2004/01/03 13:25:00
後醍醐の花山院幽閉から正平一統までの間は、明らかに北朝側が本物の三種の神器を持っていた可能性が高いと思うのですが?

187: 日本@名無史さん 2004/03/13 15:09:00
甲冑を着て戦った天皇かこいいーー

190: 日本@名無史さん 2004/03/17 00:16:00
>>1
>戦で撤退する時、甲冑を見たら矢が二本
>突き刺さっていたとか。
>古代以降、こんな戦闘の経験をした天皇もいないだろう。

つーかそこまで戦場のさなかに入っちゃうのは古代にも滅多にいないだろ