3_(part)

1: 【^▽^】←はアフォ 2002/07/21 08:25:00
細川勝元 VS 山名宗全
斯波・畠山など有力守護大名を巻き込んだ争乱について
語りましょう。

3: 日本@名無史さん 2002/07/21 12:09:00
◆東軍
細川勝元
足利義政
畠山政長
斯波義敏
京極持清
赤松政則
富樫政親

◆西軍
山名持豊(宗全)
足利義視
畠山義就
斯波義廉
六角高頼
大内政弘
土岐成頼
一色義直

16: 旧安東スレの1 ◆ANDObCPY 2002/07/22 09:49:00
>>3

そう簡単な図式ではない。
ちょっと専門書を読んだだけで分かることなのに。
義視が東軍になったり、東西の武将が入れ替わったりと、混乱を極めたのが応仁文明の大乱。
それと、西軍に担がれた南朝の子孫が抜けてる。

引用元: 【^▽^】応仁の乱について語る【^▽^】

4: 日本@名無史さん 2002/07/21 14:26:00
畠山義就は最強だろ

5: 世界@名無史さん 2002/07/21 14:29:00
やっぱり足利義政だろ
戦乱の真っ只中でどんちゃん騒ぎ これ最強

8: 【 ^▽^】つーかー 2002/07/21 15:58:00
朝倉さんが大変なことをしてくれました。とりあえず寺社領だろうが
貴族領だろうが横領です。つーか管理してる地元勢力が所有でいいじゃん
ってことで。幕府内で分裂してるから双方から役職とか官位斡旋されるし。
漁夫の利を取りまくりなり。おかげで一乗谷は繁栄したよ。

公卿とかは”死ね”とか日記に書いてるし、本当に死んだら”死んでよかった。”
とかさらにムチャクチャ言われたりしてるけど。

9: 日本@名無史さん 2002/07/21 16:28:00
結局この争乱で一番得した奴は誰よ?

15: 日本@名無史さん 2002/07/22 03:39:00
>>9
意外と足利将軍家

369: 日本@名無史さん 2003/01/26 13:31:00
>>15
乱の端緒の畠山家の相続争いを唆したのも、義政じゃなかったっけ。

10: 日本@名無史さん 2002/07/21 17:14:00
なんかいつのまにか幕府の印持ってた大内とか
成り上がりの朝倉とかいろいろありそうだが・・・

日野富子は両軍に融資して大儲けって説があった。

13: 【^▽^ 】 2002/07/22 03:37:00
大内って最後の辺で配下の毛利とか尼子が見限って戦線離脱
したのに逆転勝利(別働隊の陶が後背ついて混乱したところを突撃)
したんだよね・・・。

29: 日本@名無史さん 2002/07/24 00:47:00
>>13
それって応仁の乱じゃなくって義興の上洛ん時の話とちゃうの?
違ったらスマン。

20: 日本@名無史さん 2002/07/23 16:13:00
あの応仁の乱、細川の方が早く兵が参集したのにぐずぐずして攻めなかった
から長引いたんだよねえ?やはり、山名宗全は舅だったからためらったのかな?
それとも、単に怖気づいただけ?

35: 日本@名無史さん 2002/07/25 15:59:00
細川勝元=野村萬斎
山名宗全=萬屋錦之介
だっけ?大河の出演者だけど

あと、実際の山名宗全って本当に強かったの?

36: 六分 2002/07/26 13:40:00
旗頭って感じで兵を集めるのには、なかなかの力量を発揮したけど
室町御所を結構奪還されてるので・・・強いかは微妙。
細川も維持できてないが。

37: 日本@名無史さん 2002/07/26 17:33:00
嘉吉の乱最大の功労者

38: 日本@名無史さん 2002/07/26 17:42:00
細川=名門で、山名=成り上がり。
嘉吉の乱で、赤松ぶっ潰した山名。

39: 畠山戻ってくるか!? 2002/07/27 15:43:00
赤松の所領を山名が受け継いだから結局、幕府にとってなんの解決にも
なってなかった。

まぁ基本的に近隣の連中でカタをつけさせるってのが基本。
応仁もなんか将軍ってなんの意向も発揮してないし・・・。
山名のいいなりか細川の傀儡かの違いしか。

49: 日本@名無史さん 2002/07/30 16:07:00
結局畠山政長は何がしたかったの?

50: 日本@名無史さん 2002/08/01 14:07:00
復権でしょ。

54: 人の世ムナシ1467 2002/08/03 13:14:00
トップが死んでも戦争は終わらない。利害でやってるくせに
みんな長期帯陣で損をしている。戦争ってむなしいな。

55: 畠山、細川 2002/08/04 11:26:00
お互いに相続絡みの同族が関わっているので
妥協とか和議が成立しません。本当は将軍家が仲介や裁定するのが
筋なんだけどね。

58: 日本@名無史さん 2002/08/06 19:50:00
>>55
>>トップが死んでも戦争は終わらない。
応仁の乱は、トップの勢力争いに、地方の武士達の鬱憤が便乗したものです。
小領主レベルでは、相続争いとか、隣りとの境界争いを整理する為に参戦する、
なんて事もあったでしょう。
だから、戦争は根が深くてコワイ。

59: 日本@名無史さん 2002/08/06 19:52:00
うえ、
>>54の間違いだ。

56: 日本@名無史さん 2002/08/04 12:01:00
しかし、11年もよく続いたなあ。細川・山名という当事者が死亡しても
戦争継続する意味ってあったのか。

57: 日本@名無史さん 2002/08/06 17:41:00
なまじ均衡してたので・・・どっちも損害を恐れて無理をしなかった。
足軽とかは、どっちにでもついて稼いだそうだし。
どっちの勢力にも資金融資して儲けた層もいたそうだ。日野富子が
有名だが、軍事物資供給で死の商人やってた寺社やそれと結んだ商人
の存在も軽視できない。
堺や近江の資本拡大もこの戦乱が招いた面が大きい。それぞれの
物資補給拠点として急激に発展している。

60: 日本@名無史さん 2002/08/07 17:50:00
物流は大規模になったそうだ。軍需だね。

61: 日本@名無史さん 2002/08/08 11:56:00
消費してるだけだから既存勢力は、皆没落していき
下克上の風潮が加速した。

62: 日本@名無史さん 2002/08/09 16:41:00
どっちが正当化なんて下にとっては、どうでもいいことやもん。

63: 日本@名無史さん 2002/08/10 15:30:00
なんか権威が曖昧になってたわけだ。
そりゃ将軍が管領によってどうこうなったり
有力者しだいで将軍が変わったりしたりすれば・・・

66: 日本@名無史さん 2002/08/11 17:23:00
万単位で兵力上洛させんなよ・・・

68: 日本@名無史さん 2002/08/14 12:55:00
兵力がでかくなるとかえって
動けません。

69: 日本@名無史さん 2002/08/14 19:26:00
>>68
兵制が稚拙なんで、数の論理は成立しないかも・・・
市街戦だしね
ある意味、経済の持久力戦だったんじゃないの
兵を在京させておける国力が無くなったほうが負け

70: 日本@名無史さん 2002/08/15 01:52:00
双方100万とか10万とか無茶苦茶な数字だと思うが...

71: 日本@名無史さん 2002/08/15 16:07:00
5万とか7万じゃなかったっけ。
それでも多過ぎるけど・・・。命令系統がバラバラで
強制権がないからズルズル帯陣。

79: 日本@名無史さん 2002/08/27 12:09:00
あいまいにされがちな勝敗だけど、一応東軍(細川方)勝利でOK?

80: 日本@名無史さん 2002/08/27 12:32:00
>>79
何をもって勝ちとするんですか?
当初の目的であった義視の擁立という意味では、東軍は当初の目的を達成できなかった。
しかしながら、当初の名目など何ら意味を持たず、管領家や守護家の相続争いという意味なら、
決着はついていない。
細川家と山名家の争いとするなら、細川家の勝ちっぽい。
将軍と富子の争いなら富子の勝ち。

83: 日本@名無史さん 2002/08/27 12:51:00
>>80
義視は途中で西軍に移ったと思ったが。
それに、大内あたりっていちおう詫び入れなかったっけ?

84: 日本@名無史さん 2002/08/27 12:55:00
>>83
だから『当初の』目的って書いてるじゃん。
それに、大内は退陣にあたって幕府(富子)から相当の支度金を送られている。

81: 79 2002/08/27 12:46:00
当初は西軍(義尚)VS東軍(義視)
途中か西軍(義視)VS東軍(義尚)

だから、名分の点では、曲折はあったものの、東軍の「勝利」だと思うんだけど。
あと、西軍の主力だった大内なんかも、「賊軍」の汚名を拭うために、(今や東軍となった)
富子・義尚以下の重要人物にたいして、莫大な献金をおこなっているわけだし。
まあ、確かに本当の意味での決着には遠かったかもしれんけど。

82: 日本@名無史さん 2002/08/27 12:48:00
勝者は日野富子

85: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:01:00
途中で目的が変わったんだろ。だから東軍の勝ち。
当初の目的なんて何の意味も無い。

86: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:02:00
>>85
んじゃ、変更後の目的に意味があったとでも?

87: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:06:00
勝ち負けの話をしとるんだが。

88: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:14:00
>>87
意味のないものを達成しても勝ちとはいえないと言ってるんだが。

89: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:27:00
なにいってんの?意味があろうが無かろうが、
義尚を担ぎ上げて名分を達成したんだから東軍の勝ちじゃん。

何で意味が無いのかよく分からんが。

90: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:31:00
>>89
東軍は、西軍の当初の目的をまんまと達成させられちゃった。

91: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:32:00
>>89
達成した目的が何の効力も発しなかったからね。

92: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:35:00
東軍は西軍の嫡子擁立と言う大義名分を奪い取り、
西軍は賊軍となってわびを入れる羽目になった。
西軍惨敗、残念無念。

93: 日本@名無史さん 2002/08/27 13:36:00
畠山義就が消え去ったわけでなし、
朝倉孝景や大内政弘、斯波義廉が力を失ったわけでなし、
畠山政長、斯波義敏、武田信賢の勢力が増大したわけでなし。

96: 日本@名無史さん 2002/08/27 14:03:00
勝者:富子
敗者:義政

99: 日本@名無史さん 2002/08/30 03:48:00
大内と朝倉が洛内以外でも活躍しすぎ。畿内の連中が下克上されてるうちに
いいとこ取りだ・・・。

100: 日本@名無史さん 2002/08/30 08:49:00
朝倉って後の浅井・朝倉の朝倉氏?

101: 日本@名無史さん 2002/08/30 08:56:00
そう。朝倉は西軍方の越前守護代だったけど、越前守護職を条件に東軍に寝返った。

102: 日本@名無史さん 2002/08/30 14:59:00
典型的な成り上がり大名。荘園の横領常習者で公卿の日記には
当時の朝倉当主が死んでよろこばぬ者無しって書かれているほど。

でも地元勢力にとっては貴族とかに取り分引かれるより朝倉の
庇護下のほうが利権的にありがたかったらしい。
近隣に対しても土岐氏や斯波氏の内乱で亡命を受け入れたり
浅井を援助したりしてる。斎藤や六角からはその分嫌われるが。

117: 日本@名無史さん 2002/09/08 15:44:00
>>102
朝倉は浅井に肩入れしたんじゃなくて浅井を牽制してたんじゃないか?
無論ある時期までだけど

103: 日本@名無史さん 2002/09/04 15:55:00
朝倉って斯波氏の家来だっけ・・・

105: 日本@名無史さん 2002/09/05 17:27:00
管領家ってみんなこの大乱の頃に
没落していったんだよ。

下克上を促進させたってのはそういうこと。
家督をめぐって同士討ちやってたから
その家来にとっては権威というより担ぐ駒に
なってきたわけ。

109: 日本@名無史さん 2002/09/07 02:11:00
朝倉義景は名君だった
後世の印象が悪いのは
信長、秀吉、家康と
司馬さんのせいです
誤解しないであげてくれ

111: 日本@名無史さん 2002/09/07 02:16:00
息子が死んで自暴自棄になったとか
>>109

122: 日本@名無史さん 2002/09/08 20:42:00
伊勢宗瑞(北条早雲)って足利義視の家臣だったの?

123: 日本@名無史さん 2002/09/09 01:57:00
>>122
よくわからんが伊勢貞親の親戚だったから、どうのこうのって
聞いたことある

165: 日本@名無史さん 2002/09/17 17:14:00
なんで応仁の乱は人気ないんだ?おもろいのに。

166: 日本@名無史さん 2002/09/17 17:15:00
>>165
あまりにも敵味方が入り乱れてるからじゃない?

172: 日本@名無史さん 2002/09/23 13:27:00
どっちも攻めた方が被害大きくなるの分かってるから
睨み合い。

173: 日本@名無史さん 2002/09/25 18:35:00
   
朝倉が名門になった漁夫の利大乱

230: 日本@名無史さん 2002/10/23 15:38:00
当時の日記では、
「どうして、この乱がこんなにもなってしまったのか
いくら理由を考えてもわからない」
と、ありますた。

東の幕府に西の幕府。
たわいもない原因だったのか、
それとも、
時代が大変革のきっかけを求めたのか。

ともあれ、日本史のキーポイント。
日本史はここから始まるとも言う。

231: 日本@名無史さん 2002/10/23 15:40:00
どっちも引けなくなったんだろうな・・・。
しゃれになんない兵力を揃えたんで負けたらヤバイってことに。