2012年05月23日

第38話 「周瑜を怒らせる」

こんばんは! 哲舟です。

皆さん、いつも温かいコメント、ありがとうございます。
いただいた中から、いくつか「孔明の着物の着方がおかしいのでは?」という
疑問を頂戴したので、今日は、ちょっとそれについて触れておきましょう。

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諸葛亮(孔明)が、このドラマの中で着物をこのように
「左前」に着ていることに気付く方が、けっこういらっしゃるようです。

「左前」とは、体に着物の左側をくっつけて着る着方のこと。
最初に登場した隆中の時や、それ以降も時々やっています。

和服を着たことのある方はご存知だと思いますが、
着物は男女とも「右前」(着物の右側を体にくっつけて着る)が普通です。
本作の登場人物も(孔明以外は)写真でお分かりのように、みんな右前に着てます。

では、なぜ孔明は左前で着るのか? 
・・・結論からいえば、「そういう服を着ているから」です(笑)。
上の写真をよく見ていただくと分かりますが、孔明のこの白衣って、
襟だけを右から左へかぶせ、差し込むように作られているようですね。

その下の生地を見ると、合わせ目はちゃんと右前になっています。
見た目だけ「左前風」になっているだけで、実際は右前に着ていることになります。
こういう仕掛けはこの白衣を着ているときだけで、他の服を着るときも右前です。

これは、実際に聞いてみないとわかりませんが、
おそらくは監督や衣装担当者が、孔明の個性を出すために、
意図的に用意したのではないでしょうか?

ちなみに、三国志の人物たちが着ている服は
「漢服」と呼ばれるもので、日本の和服(着物)の原型になったものです。
漢という国から生まれたためで、漢民族という呼び方や漢字もここから誕生しました。

もっと古い時代の中国では、高貴な身分の人は着物を左前で着ていたそうですが、
いつからか右前で統一されたようで、
日本も、その影響を受けて右前で着るようになりました。
8世紀、奈良時代の始めに朝廷から「そうしなさい」という法令まで出されたほどです。

では、なぜ右前で着るようになったのか・・・?

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諸説あります。野蛮人が狩りで弓を使いやすくするために左前に着ていたので、
その彼らの風習を嫌ったからであるとか、
武人が剣を体の左側に差すため(この写真の劉備のように)、
左前だと襟に引っかかって使いにくいからとか、単に右利きの人が多いからとか、
色々な説があるようで、はっきりしません。

ただ、ワイシャツなどの洋服だけは男女で違いますよね。
男性は右前、女性は左前に着るようにボタンがついています。

いうまでもなく、今広まっている洋服はヨーロッパから来た服で、
漢服や和服に比べれば、その歴史は全然たいしたことがないのですが、
今では日本人も中国人も、みんな洋服を着るようになってしまいましたね。

なぜ、洋服だけが男女別なのか。これも説明すると長くなるので、
ご興味のある方は、各々調べてみていただきたいと思います。

・・・孔明の服の着方から、ずいぶんと話がそれてしまいました(笑)。


さて、昨日までの話は、その孔明が、
江東の柴桑(さいそう・現在の江西省九江県)に乗り込み、孫権に謁見するまででしたね。

しかし、孫権は自分を見下すような孔明の態度に怒り、座を立ってしまいました。
とりなそうとした魯粛に、「無礼だ、すぐに追い返せ」といいます。

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しかし、それは早計、と魯粛は諭しました。すると、
孫権は曹操を討つ策も尋ねないで席を立った自分を恥じ、
今度は酒席を張って改めて孔明をもてなすことにしました。
すぐに過ちに気付けるあたり、孫権も並の人物ではありません。

座に通された孔明は、曹操軍の現状を滔々と述べます。
曹操の軍兵は、ほとんどが北方出身で南方の風土に合わず、
病に冒され、長きにわたる強行軍に疲弊、
最近加わった兵は投降兵で士気も鈍い・・・。

しかも、江東を攻めるには水軍が必要ながら、曹操軍には優れた水軍がない。
つまり、100万といっても実質的な戦力はわずか1割程度の10万に過ぎず、
孫・劉が連合して力を合わせれば、打ち破るのはたやすいと。

これに力を得た孫権は、開戦に向けてほぼ意を固めますが、
その夜、老臣の張昭がそれを諫めに来ます。

「孔明の口車に乗せられてはなりません。曹操が憎むは主君ではなく劉備、
 劉備は我々を利用して窮地を脱しようとしているに過ぎない・・・」
たしかに道理ですし、一理あります。

老臣の忠言を無下にもできず、孫権はなおも悩むことになります。
しかし、孫権が悩んでいるのは実は開戦か、降伏か、ではありません。
むしろそれで分裂しかかっている家臣団をいかにまとめていくかなのです。
この点に心を砕いているわけです。

そうするうち、孫呉第一の将・周瑜が、孫権の求めに応じて、
赴任先の鄱陽湖(はようこ)から、戻って来ました。

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孫権の母・呉国太が言っていたように、孫呉が開戦か降伏するかは、
この人物が実質的な決定権を持っている
といっても過言ではないのです。

周瑜の一言が、孫権に最後の決断を下させる。
それほどの影響力を持った人物を、ほかの家臣たちが放っておくはずもありません。
その夜、自邸に到着した周瑜は、一息入れる暇もなく、大勢の客人を迎えます。

最初に訪ねてきたのは、張昭、顧雍(こよう)、薛綜(せっそう) 歩騭(ほしつ)の4人。
彼ら穏健派の重鎮たちは、孫権に対して降伏を勧めるよう周瑜に懇願します。
周瑜は「江東を思う気持ちは私も同じ」と賛同し、丁重に挨拶し彼らを家に帰しました。

次に訪ねてきたのは、程普、黄蓋、韓当、周泰の4人。
彼ら強硬派の功臣たちは、降伏するなら死ぬ方がマシと言い、
孫権に対して徹底抗戦を勧めるように懇願しに来たのです。
周瑜はこれにも賛同し、「私も降伏などあり得んと思っていた」と言って彼らを帰します。

その次は諸葛瑾、呂範、陸績ら。
彼らは中立派ともいえる立場で、「降るは易し、戦うは難し」と述べます。
定まった考えを持ちませんが、どちらかといえば穏健派です。

お次は呂蒙、甘寧、徐盛、丁奉の4人。
彼らも勇猛な将軍たちですから、やはり抗戦を主張します。
周瑜は「心得た。明日、主君にお会いして決める」と返答して帰しました。

実は周瑜の心はすでに決まっているのですが、
この場でそれを表明するわけにはいきません。
ただ、いずれの将士も目先のことしか見えていない現状を心中、嘆くのでした。

そこへ、待ちわびていた魯粛、諸葛亮(こうめい)が訪ねてきました。
勇躍、周瑜は真の客が来た!と喜んで奥へ通します。

魯粛は、周瑜に考えを訪ねます。
周瑜は2人に対し、意外にも曹操には勝ち目がない。
孫権に降伏を勧めると言い出しました。
周瑜は自分と同じ志を持つと思っていただけに驚き、怒る魯粛。

孔明も、周瑜の言葉を聞き、「魯粛殿は時勢に疎い」といって
降伏することに賛同したうえ、曹操を撤退させるための策を献じるといいます。

周瑜が訪ねると、孔明は
「貢物として、2人の美女を差し出せば曹操は引き揚げます。
 その2人とは大喬・小喬の姉妹です」
と言い放ちました。

大喬・小喬は「江東の二喬」と呼ばれる絶世の美女。
曹操は以前から「二喬を得たい」と宣言しているそうで、
彼らを差し出せば、曹操は兵を引くというのです。

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これに周瑜は大激怒。大喬は義兄孫策の妻、小喬は自分の妻であるからです。
さらに、孔明は曹操が人妻好きであることに触れ、
張済の妻・鄒氏、袁術の妾・呉氏、呂布の妾・貂蝉などを
曹操が狙ったことを挙げて、周瑜の怒りに火を注ぎました。
これで、周瑜の心は開戦に固まった、ということになります。

ただ、孔明が魯粛に明かしたところによれば、
周瑜の心は初めから開戦と決まっていたのですが、
策を弄して孔明と魯粛の心を試そうと、わざと降伏するなどと言ったのだとか。

孔明は、周瑜が本心を打ち明けないことを不快に感じ、
二喬が孫策・周瑜の妻であることも知りながら、あえて周瑜を怒らせたわけです。

翌日、軍議の席が設けられて、
文武諸官が居並ぶなか、いよいよ周瑜が出馬し、
昨晩とはうってかわって堂々と宣言します。

「江東は父兄の代より大業を成すのみ。数万の兵で曹軍を破ってみせる」
と。

これを聞いた孫権も、いよいよ開戦の意を固めました。
「天下は我らに託された」と言って、机の角を剣で斬り、
今後、降伏を口にすればこの机のようになるということを示します。
もうちょっと格好良く、ここは机を真っ二つにでもして欲しかったですが。

孫権とて、まだ血気盛んな27歳。
一戦も交えずに降伏するのは、父兄以来の孫呉の誇りにかけて耐え難く、
本音は戦いたい一心だったに違いありません。
家臣団の分裂を心配して決断できずにいたのですが、
それを後押ししたのが、周瑜であり、魯粛の進言であったといえます。

孫権は周瑜を大都督に、程普を副都督に、魯粛を参軍に任じ、
5万の兵の指揮権をゆだねました。
その一方、張昭を武器や兵糧の運搬などを司る長官に任じ、後方支援を命じます。

張昭は、自分が降服を勧めたことを恥じ、辞退しようとしますが、
孫権は降伏論をとなえた文官たちも、
それはみな忠義心から出た言葉であるとして、その補佐を命じます。

孫権は、自分が生まれる前から江東の政務を司ってきた張昭を
決して蔑ろにせず、重責を担わせることで全軍の士気を高めました。
面目を失いつつあった張昭も、これには感涙にむせび、力を尽くすことを誓います。

ここも、本作中で屈指の名シーンといえるでしょう。
原作「三国志演義」では、張昭の良いところはほとんど表に出てこないのですが
本作では彼の長所、孫権の彼に対する敬いの気持ちがしっかりと
描かれ、孫権の名君ぶりも遺憾なく発揮されていて、
とても見事なつくりだと、私は感心しました。

ところで、皆さんは「レッドクリフ」(2008年~2009の映画)をご覧になったでしょうか?
あの映画は、ちょうどいまの本作で描かれつつある「赤壁の戦い」を題材としたものです。

登場人物もほぼ同じですし、長坂の戦いや孔明の舌戦なども登場します。
ただ、演じる役者も人物の描き方もかなり異なるので、
未見の方はぜひ一度ご覧になり、本作と見比べていただきたいと思います。

「レッドクリフ」は、あくまでアクション映画であり、時間的な制約もあるので、
原作とは異なる部分、無理やりまとめてしまっている部分は、
本作に比べても非常に多いです。
すでにご覧になった方も、また今見ると、新たな発見があるかもしれません。

さて、この結果に、魯粛は珍しく喜びをあらわにします。
孫権が成長を遂げ、自分の言葉で江東の文武諸官の心をひとつにし、
一丸となって曹操に挑むよう見事な振る舞いを見せたことが嬉しくてならないようです。

周瑜とともに喜び合う魯粛。しかし、周瑜はあまり喜んでおりません。
孫・劉同盟はなったものの、漁夫の利を得んとする孔明の思惑を見抜いたからです。

周瑜は孔明の才能を危険視し、
このまま生かしておけば必ず後の災いとなると思い始めます。
魯粛は周瑜に、孔明を殺せば腕を斬り落とすも同じとして必死に諫めます。

それを聞きいれた周瑜は、それならば孔明を孫呉に寝返らせたいと考え、
魯粛にその任を負わせようとするのですが・・・。


【このひとに注目!】
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◆虞翻(ぐほん) 
生没年不詳
前回、孔明に舌戦を挑むも論破されてしまった人物のひとり。今回は、なぜか出番がなかったので敢えて紹介しておきたい。
もとは会稽郡の太守、王朗の家臣だったが、後に孫策に召し出された。学問にすぐれ、矛の扱いも巧みな文武両道の人物だったが、協調性を欠き、率直な物言いをするため孫権にはあまり好かれなかったという。
後に孫権が呉王になったとき、祝いの宴会が開かれた。孫権は自ら酒を勧めて回っていたが、虞翻は酔い潰れたふりをして呑もうとせず、孫権が通り過ぎてから平然と起きあがったために孫権は怒り、斬り殺そうとした。しかし側近に止められて虞翻は助命された、孫権は反省し、「酒に酔ったときに自分が出した殺害命令は無効」という触れを出す。しかし、その後も孫権を軽んじる振舞いをしたため、交州(現在のベトナム北部)に左遷された。

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第36話~第40話 

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コメント一覧

1. Posted by 僭称二代目人生幸朗   2012年05月23日 20:52
呉の魯粛を演じている俳優さん、どこかで見たような顔だと考えていて、今日気が付きました。大阪のしゃべくりタレントと発音は同じで字だけ違う故「浜村純」氏。眼がちょっとこっちの俳優さんのほうが優しいけれども。

それにしても韓国俳優より総数そのものが多いせいか、中国俳優は日本人と殆ど変わらない顔をしていることに一種の感慨を覚えます。

前から言おう言おうと気になっていたのが「孫乾」役。最初から、「渥美清や!」と思いました。
2. Posted by 二代目僭称人生幸朗   2012年05月23日 21:06
誰と誰が似ているなどと愚にもつかぬ事を並べるのが好きで、ついつい投稿してしまいます。人物は全てその役者さん。

劉琦は桑田真澄
張飛は元高見山大五郎(東関親方)
劉備は辻元清美民主党議員+大阪落語月亭八光(八方の子)
曹操は顎髭が麻原彰晃、眼は北島康介
諸葛亮は、少しだけ草刈正雄
孫権は少しだけ若き日の入川保則
3. Posted by yamaneko5646   2012年05月23日 21:06
こんばんは=!

見事な 舌の使い手!「周喩を 怒らせ」て先に怒らせた 孫権を決断させるまでが 鮮やかで 面白かったです。

日替わりで、キャラクターがクローズアップされますしね。

孫権が 日ごとに凛々しくなり、今日の軍議は 絶好調!!息子に 欲しい!

武人には 勇ましく、文人には 礼を尽くす 好青年!

孔明が ますます 不気味な存在になってきました。 のは わたしだけでしょうが!!!

若者たちの 活躍楽しみに!また!
4. Posted by おりひめ   2012年05月23日 21:32
哲舟さんこんばんは~♪

着物の疑問、1枚目の画像を見せていただいたのと、
わかりやすく説明してくださっていたので
よ~くわかりました。

>おそらくは監督や衣装担当者が、孔明の個性を出すために、
意図的に用意したのではないでしょうか?

たしかにこの白い着物、とってもよく似合っていてステキだなぁ~と思いながら見ていました。
この着物によって魅力もですね。

そうとも知らず、“間違えて左前に着せてしまった” だなんて思った自分が恥ずかしいです。

おかげさまで大変勉強になりました。
ありがとうございました。

それにしても哲舟さん博識家さんで
感心しました。すばらしいですね。
5. Posted by sanabo   2012年05月24日 14:33
どの俳優さんも、特に「目」の演技が素晴らしいと思います。

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