2012年08月02日

第88話 「曹真、兵権を譲る」

こんばんは!哲舟です。

馬謖の軍令違反などによって、第1次北伐は失敗したものの、
その後、軍の整備を行い、準備を完了した諸葛亮(孔明)は、
次は陳倉(ちんそう)城を攻めるべく、第2次北伐を開始しようとします。

孔明は、改めて出陣の意志を表明すべく、
劉禅への上奏文「後・出師表」をしたためていました。

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しかし、その矢先・・・。
姜維(きょうい)が悲痛な面持ちで部屋に入ってきて、告げます。

「趙雲死去」の報でした。

聞くや否や、筆をとり落とす孔明。
常に冷静な彼が、声にならない叫びをあげ、我を忘れて取り乱します。
趙雲は自邸で病にかかり、ただ、「北伐」と三度叫んで遺言もなく逝ったとか。

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その場に倒れ込む孔明。あふれ出る悲しみをこらえ切れず、号泣します。
趙雲は孔明にとって、一番の忠実な部下であり、
また、ともに先帝劉備に仕え、その志を生で知っていた戦友同士でもあります。
孔明にとって、彼は部下と言うより兄に近い感情があったでしょう。

その嘆きの深さ、無念さを思うとやりきれません。
人材不足の蜀軍にとっても無二の存在であった
彼の死の損失ははかり知れません。

孔明は涙をこらえ、「後・出師の表」の続きを綴ります。
「前・出師の表」と異なり、こちらは『正史』の本文にはなく、
裴松之が引用した史料にあるだけなので、実在を疑われることもあるのですが、
本作では採用されているため、その意訳を、再び紹介しておきましょう。

 「私は、先帝から魏の討伐を託されました。敵の力はあまりに強く、蜀の力は弱く、放っておけば蜀は魏に滅ぼされるでしょう。しかし、だまって滅亡を待つよりは、先手を取って魏を討つべきです。識者は無謀だといいますが、魏軍は東西で戦をしているために疲弊し、今が進撃の好機です。かつて曹操は、常に危険を省みず戦っていました。私のような小人物は、なおさら身を危険にさらさなければなりません。
最近、趙雲をはじめ優秀な将兵を数多く失いました。四方から集めた精鋭も数年後には大部分が失われるでしょう。いま戦わず、じっとしているのは愚策です。先帝は呉と結んで蜀を獲得し、夏侯淵の首をとりました。のちに呉が同盟を破り、関羽は敗北を喫し、先帝は挫折しました。物事とはこうしたもので、何事も予測しがたいのです。北伐の成否は予測できせんが、私は戦います。死ぬまで力を尽くす覚悟です」

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劉禅は引き留めようとするのですが、孔明の決意は固く翻りそうもありません。
許しを得た孔明は、こうして再び北伐を開始したのです。

さて、いっぽうの曹叡(そうえい)は、なんら功績もあげずに
ぬくぬくと過ごしている大都督の曹真(そうしん)を叱責。
無理矢理、蜀との最前線である雍涼(ようりょう)へと派遣し、蜀を迎撃させます。

司馬懿が失脚したのも、もとはといえば曹真の讒言です。
病と称した司馬懿は前線に赴くのを拒んだ以上、
曹叡としては、曹真に責任をとってもらうしかないと考えたのです。

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こうして、西暦228年、「陳倉の戦い」(孔明の第二次北伐)が始まりました。
果敢に陳倉に攻めかかる蜀軍ですが、
司馬懿が防衛の指揮官として推挙した郝昭(かくしょう)は、さすがに名将。
その鉄壁の守りをなかなか攻め落とせず、戦死者は増えるばかりです。

さすがの孔明も攻めあぐねているところへ・・・
敵の大将曹真が、陳倉の近くまで援軍として出向いてきたとの報が入ります。

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孔明は、曹真が来援したことで、
計略が仕掛けやすくなったことを喜び、姜維(きょうい)に命じて実行させます。

曹真は、まんまと計にかかりました。
姜維は偽りの投降の密書をしたため、魏の陣営に届けたのですが、
曹真はこれを喜び、すっかり信じ、姜維を迎え入れようと進軍するのです。

曹真は、姜維が指定した地まで進軍し、
約束通り、孔明の陣営に攻めかかります。

合図と同時に、姜維が内側から挙兵する手筈になっていたのですが、
姜維は、曹真軍を万全の態勢で待ち構えてり、たちまち包囲してしまいます。

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曹真軍を取り囲んだ姜維の総攻撃が始まりました。

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曹真の将兵は次々と討たれ、自身も魏延(ぎえん)に斬りかかられて落馬し、
この場で討たれるよりは・・・と自害を覚悟しますが、
息子の曹爽(そうそう)と王双(おうそう)が援軍に来ます。
王双が魏延を食い止める間、曹真は命からがら退却していきます。

孔明は、この一戦で曹真を討ちとろうとしたのですが、
追撃があまく、取り逃がしてしまったことを残念がります。
また、兵糧も残り少なくなってきたことで、追撃をせずに撤兵するよう命じました。

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撤退は、曹真をおびき出すための孔明の策だったのですが、
行軍中の魏延は酒をあおり、追撃をかけない孔明の慎重な戦法を批判します。

孔明に呼び出され、咎めを受けても、魏延は反省の色も見せませんでしたが、
曹真軍を待ちうけるために伏兵として待つよう命じられ、しぶしぶ出兵しました。

孔明の読み通り、蜀軍が撤退したことを知ると、
曹真は反撃のチャンスとばかり、大軍をもって追撃にかかりますが
曹真軍は孔明の罠にはまり、伏兵にかかって大敗を喫します。

その後、陳倉城も蜀軍の攻撃にさらされ、
郝昭(かくしょう)は兵の半分を王双に与えてしまったため、防ぎ切れず陥落。
郝昭は責任をとって自害してしまいました。
曹真が頼みとする猛将・王双も戦死します。

またもや敗れ、陣営に戻った曹真は、絶望するばかりでしたが・・・。

部下の郭淮(かくわい)の進言により、
息子の曹爽を洛陽へ戻らせ、弁明に行かせたのです。

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傷だらけの曹爽を見て、曹叡もさすがにそれ以上責める気になれず、
ついに司馬懿を呼び戻すよう、命令を下すのでした・・・。


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sangokushi_tv at 17:55コメント(5) 
第86話~第90話 

コメント一覧

1. Posted by yamaneko5646   2012年08月02日 22:20
こんばんは=!

「鞘雲」が 病死とは!
今まで 果敢に闘いぬいた武将の最後としては 無念!

「劉禅」の言うように、このあたりでゆっくりして欲しい!

と 思うのは 三国志初心者だからでしょう!

やっぱり「孔明」は 痛々しい!
2. Posted by 悶朗   2012年08月03日 01:03
あれ?劉禅が228年に17歳って…?
207年生まれなので、228年には21歳では?
これでは趙雲が208年に長坂で阿斗を救出した時に、まだ生まれてない事になってしまう。
3. Posted by 翔   2012年08月03日 01:26
5 大好きな趙雲まで亡くなってしまい、悲しいです。

孔明のあの取り乱す姿は、趙雲が孔明にとっても、蜀にとっても大きな存在だったのだと考えさせられました。

先帝・劉備の志を近くで見ていた人達が皆逝ってしまい、孔明も寂しさが込み上げてきたのだと思います。

本当に、孔明が趙雲のことを兄のように慕っていたのだとしたら、とても感動的だと思います!


孔明の北伐はまだまだ続きますね。
孔明には、志半ばで亡くなっていった劉備、関羽、張飛、趙雲達の分まで頑張ってもらいたいです。

頑張れ、孔明!
4. Posted by Reiss   2012年08月03日 07:52
出師表は歴史上の名文章ということで、中国では小学校?で丸暗記すると聞いたことあります。私も小中学校で古典、例えば平家物語や枕草子の冒頭文章を丸暗記させられましたが、出師表の方がはるかにカッコいいし、号泣する感動の名文章に感じます。個人的には、日本の教育にも取り入れて欲しいです。
5. Posted by ずぅ   2012年08月11日 21:19
軍師は戦術だけではなく
人を見て振舞うことも大切ですね☆
司馬懿も苦労が尽きないですね・・・
孔明、魏延の心もつかんで~

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