2012年08月07日
第91話 「諸葛亮、軍を返す」
こんばんは!哲舟です。
みなさん、現在実施中の人気投票に多数の投票をありがとうございます。
現在、人物のほうは上位「4人」が激しいデッドヒートを演じております。
誰だと思いますか? ただ、5位以下の争いも熾烈ですし、
まだ下剋上の可能性もあり得ます。
それに対し、ストーリーのほうは、上位3話が突出しているほかは、
あとは、みなさんそれぞれに思い入れがあるためか、横一線です。
みなさんのコメントにも思い入れがこもって素敵で・・・
まだ発表できないのがもどかしい限りです(笑)。
まだまだ実施しておりますので、投票されていない方はぜひ!
むろん、順位などにはとらわれず率直な思いで、気軽に投票してくださいませ。
投票いただいた方は、発表までもうしばらくお待ちくださいね。
さて、祁山の戦場において、陣頭で顔をあわせ
陣形くらべをする司馬懿(しばい)と諸葛亮(孔明)。
「奇門八卦の陣だ。9つのときから知っておる」
孔明の敷いた陣を即座に見破る司馬懿に対し「ならば破ってみよ」と孔明は挑発。
孔明は、この陣が敗れたなら二度と魏を攻めぬと約束、天に誓うとまでいいます。
司馬懿は半信半疑ながら陣へ戻り、諸将へ指示を与えます。
「八卦の陣」といえば、207年(第32話)に曹操の従弟・曹仁がこれを用い、
徐庶(じょしょ)が、趙雲に攻略法を教えて突破させたことを
懐かしく思い出す人も多いでしょう。
司馬懿は東から入り、北へ向い、生門から出るという、
あのときの徐庶と同様の指示を、将軍らに与え、出陣を命じます。
魏軍が陣に入ったのを見た孔明は、すばやく陣形を変えるよう指示しました。
このため、戴陵(たいりょう)らの魏将たちは陣の内に封じられ
兵に囲まれて出ることができなくなってしまいます。
しばらくすると、蜀兵に捕らわれて裸にされ、顔を黒く塗られた3人の将が
司馬懿のもとへ送り返されてきました。
「3年後に出直して来い!」
孔明の伝言に対し、屈辱のあまり体を震わせた司馬懿は、全軍に総攻撃を命じます。
息子の司馬昭が攻撃をいさめますが、めずらしく怒りで我を忘れた司馬懿は、
みずからも馬を躍らせて蜀軍へ攻めかかります。
当然、見透かしていた孔明はこれを散々に撃ち破り、
司馬懿は一目散に退却していきました。
姜維(きょうい)、王平(おうへい)は、孔明に対して追撃を願いでますが、
孔明は兵糧が尽きたことを理由に、それを退けます。
なぜか、届くはずであった兵糧が来なかったため、
蜀軍は兵糧不足の状態で戦っており、
司馬懿を討ち取る絶好の機会を逃してしまいました。
その理由は、兵糧運搬係の苟安(こうあん)が、
道中酒を飲みながらのんびり行軍していたため。
聞けば、なんと15日も遅れてしまったのです。
孔明の前に引き出された苟安。
本来は兵糧が3日遅れれば斬首に処せられるところでしたが、
苟安が、蜀の大臣・李厳(りげん)の甥であることや、
斬ることで兵糧係をつとめる者がいなくなることを危惧し、
孔明は棒叩き80回の刑に減じます。
斬られるところを棒打ちで済んだのですから、
本来は自分の怠慢を恥じて孔明に感謝すべきところ、
この男、そんなに人間ができていません。
かえって、孔明にうらみの言葉を吐きながら帰途につきます。
しかし、その途中で魏の兵に見つかり、苟安は捕らわれてしまいました。
・・・どこまでも使えない奴。
苟安を捕らえた司馬懿は、この男が兵糧を遅らせたことで
自軍が助かったことや、李厳の甥であることを知ります。
そこで一計を案じた司馬懿は、苟安に密書を持たせて蜀へ帰しました。
その密書は、孔明が司馬懿と独断で和睦し、撤退の約束をしたと書かれたものでした。
成都(蜀の都)に着いた苟安は、さっそく叔父の李厳にそれを届けます。
李厳は孔明が逆心を抱いたという格好の証拠を得たことを心中喜び、
劉禅(りゅうぜん)のもとへまかり出ました。息子の李豊(りほう)が止めるのも聞かず・・・
皇帝・劉禅は密書を読んでたいそう驚きますが、孔明には軍権を預けているし、
司馬懿と和睦し、撤退するのならそれでいいと言います。
しかし、李厳は孔明が国を乗っ取る野心を抱いており、
和睦も独断で結んだことを問題視し、
さも重大事件のように劉禅に吹き込みます。
李厳は野心家で、もともと孔明と仲が良くありません。
それは劉備が臨終のさいにも危惧していたことでしたが・・・
もはや、その遺言を忘れてしまった李厳は、いずれは孔明にとって代わり、
自分が蜀を背負って立つことを、ひそかに夢見ていたのです。
劉禅は、孔明が自分に対して叛意を抱いていることが信じられません。
彼の孔明に対する信頼感は並々ならぬものがありますが、
しかし、李厳は言葉巧みに劉禅を丸め込み、孔明を呼び戻すよう促すのでした・・・。
劉禅の詔を受け取った孔明は、急な呼び戻しを不審に思い、
これが司馬懿の「離間の計」であることを見抜きます。
「将、外にありては君命も受けざるところあり」
姜維(きょうい)は、そう言い、ここで戻っては今までの戦果が
無になるということで引き止めますが、孔明は自分が戻らねば不忠を疑われるため、
大軍を祁山に残し、成都へ戻ることを決めます。
孔明が不在のあいだ、軍を止めねばならず、魏軍に軍備増強の時間を
与えてしまうことになるのですが、それもやむなし・・・。
李厳は、あわよくば孔明を捕らえようと兵を置いて待っていましたが、
その息子の李豊(りほう)が出迎え、先導したことで無事成都へたどり着きました。
成都の宮殿では、李厳が劉禅への説得を続けています。
そこへ孔明が戻ってくると、劉禅も李厳もバツが悪そうに黙ります。
いわゆる「キレ気味」に、劉禅に対して弁明を始める孔明。
よもや、味方の中から足を引っ張る者が現れるとは・・・
孔明にとって不運極まりないことです。
李厳は密書の存在を口実に、孔明の罷免を願い出ますが、
そのとき李豊が、父・李厳の罪を暴いたうえで孔明の無罪を証明、その忠義心をたたえました。
これで劉禅も、ようやく孔明が無実だったことを確信し、李厳の不忠を激しく責めます。
逆切れして息子を殴打した李厳は退室、みずから牢へ入りました。
李厳の牢を訪ね、酒を振舞う孔明。
さしもの李厳もこれには少し心を改め、本心を話します。
李厳は最初から北伐に反対だったのです。
昔から益州に住む者として国力の限界を
肌で知っているのですが、後から国を乗っ取りに来た連中(孔明ら)が
国政を動かし、限界を超えて北伐を敢行することを快く思っていませんでした。
孔明は先帝・劉備の大願を果たすこと、座して滅亡を待つよりは、
魏を討つための努力を続けることを李厳に諭すのですが、
その心を動かすことはできず、両者の意は平行線のままでした。
しかし、李厳の本心が明らかになった以上、城内に置いてはおけません。
後日、劉禅は李厳の身分を庶民へと降格し、
二度と登用しないことを諸官の前で宣言したのです。
同時に孔明の進言を受け、李厳の名跡を息子の李豊に継がせることを決めます。
劉禅は、劉備が生きている頃は頼りないばかりでしたが、
今は着実に勉学に励み、君主として立派になるために
努力を重ね成長している様子が見てとれます。
庶民に降格され、故郷へと出発していった李厳が
これまで以上に生き生きと嬉しそうな顔をしていたと、李豊から聞かされた孔明は、
「そなたの父がうらやましい。私も南陽(荊州)に帰って山中で余生を送りたい」
思わず、そうこぼします。
何気なく出た言葉と思われますが、
私は、これは孔明の偽らざる本心であったと考えています。
李豊も、孔明が自分に本音を話してくれたことを嬉しく思ったはずです。
本作のこの言葉ひとつとっても、色々な思いを抱くファンがいらっしゃるでしょう。
何気なく聞き流す人もいれば、孔明がそんな言葉を
口にするわけがない、と思う人もいるでしょう。
しかし、私はこの言葉をここでいわせた脚本・演出に拍手を送りたいです。
この台詞のあと、すぐに「言っても詮無いがな」と寂しげな顔で打ち消す彼を見て、
私はなぜか、深い思いにとらわれてならず・・・落涙してしまいました。
むろん、結末が分かっているからかもしれませんが、
三国志という悲哀に満ちた物語の主役のひとり、諸葛孔明という男の人生。
そのすべてが、このシーン、この言葉に凝縮されているように思えたのです。
また年の瀬が近づきましたが、いまだ北伐の大業を果たせぬと嘆く孔明。
彼は劉禅から贈られた新しい屋敷を封鎖させ、
「洛陽を落とすまでここには入らぬ」と誓うのです。
そして、姜維(きょうい)に2日休んだら、
すぐに祁山の陣営へ戻る、と告げるのでした・・・。
◆昨日に引き続き、皆さんからのご質問にお答えします。
Q.81話の陸遜のセリフ「30万の精鋭が 天より降り立つ!」と言われてもねえ! 理解できるように 説明出来なかったのでしょうか? (yamaneko5646さん)
A.どなたかもコメントしてくださったように「敵を騙すにはまず味方から」。堂々と公言しては、どこに蜀の密偵(スパイ)が潜んでいるかもしれませんし、武将の中には呉が負けると思って蜀に寝返る人もいるかもしれません。だから陸遜はギリギリまで本当のことをいわなかったのです。
Q.第83話「白帝城に孤を託す」で劉備が亡くなるとき、いつ趙雲を呼んで何を言い遺して逝くのかと思いながら見ていましたが、趙雲…何か言って貰ったのでしょうか?(くららさん)
A.劉備が臨終のとき、趙雲にも何か言って欲しかったのに、その場面がなくて残念だったのは私も同感です。そう思って、手元の「三国志演義」(立間祥介 訳)下巻と、「三国志」(吉川英治)七巻を取り出して確認してみましたら、原作の劉備は、ちゃんと息を引き取る直前に趙雲にも声をかけています! さて何と言ったのかは・・・ここに書くのは無粋ですから、是非みなさんの目で確認してみてください。欲をいえば、ドラマでも再現して欲しかったですけどね。
Q.「夷陵の戦い」になって孔明の活躍が減ったような気がしますが…出兵に反対だったのかな?(ヤッターさん)
A.そうです。78話のときにも書きましたが、「夷陵の戦い」に孔明が同行しなかったのは、出兵に反対したからといわれています。だから劉備は孔明を連れて行かずに留守を固めるよう命じたのです。趙雲も同じです。あるいは劉備不在のあいだ、占領したばかりの益州(蜀)を治められるのは、孔明しかいなかったからと見ることもできます。
Q.第83話で孔明と劉禅がお茶を飲みながら戦略会議していた時の、孔明の衣装。袖に点と線の折れ線グラフのような模様が見えますが、あれはひょっとして星座、北斗七星なような気がしますが、どうなのでしょう。 両手を広げて頂いて、柄の全体像を見たいところです。(Zoe さん)
A.第87話のブログに、両手を広げた写真を載せてみましたが、ご覧いただけましたか? 確かにそれっぽいですね。孔明は「三国志演義」において、北伐のときに北斗七星の旗を掲げさせる場面があったり、己の寿命を延ばそうと北斗七星に祈る場面があったり、赤壁の前に風を呼ぶ祈祷をするため「七星壇」を築いています。そういう意味で、北斗七星と孔明は縁があります。この衣装は、それに基づいて製作したのでしょう。大胆なデザインが、孔明の性格とアンバランスですが、それが逆に良い感じに思えます。
コメント一覧
仰いましたが、孔明先生の奥様はどこに住んでおられたのでしょうか?
てっきり孔明先生が蜀におちつかれてからは奥様を
よびよせれたかと思っておりましたが・・・
「三國」はおやじ濃度が異様に高いドラマで
登場する英雄豪傑の奥様方はほとんど登場しません。
(ドラマが、というか原作の「演義」にも登場しないけど)
「女太閤記」ではないですが奥方様目線の「三国志」が
あったら面白いかも?
孔明先生お疲れです・・・
でも「よく頑張ったね、もういいよ」といつでも優しく声を
かけてくれた玄徳さんは亡くなって久しく、
孔明先生が縋れるひとは誰もいないのです。
切ないです・・・
孔明先生を中心とした、心理戦の面白さに今更ながらうなっております。孔明、司馬懿、魯シュクの三名こそ三絶!今更ながら、中国の文化の深さに敬服しています。
ところで、
気になることは、撮影中の馬のケガ。中国では、映画作りでの動物への虐待はどのように考えておられるのでしょうか。馬が転倒するシーンを見るたび、胸が痛み、戦闘シーンはあまり楽しめません。馬達について、哲舟様ご存知の範囲でお教えください。よろしく御願いいたします。



●操





サイコーに楽しい企画ですね

痛快!痛快!「司馬い」を分けも無く 打ちのめした「孔明」の かっこよいこと!
しかし ここ!と言う絶好の機会を逃す運命が 無念!
「李厳」の企みを見破るのも、牢内で酒を飲み交わして 心を通わせるのも胸打たれる!
「孔明」があの草庵で 静かに暮らしていたら幸福だったろうに!
「国家3分の計」を理想する楽しみ、実現の困難と苦労の数々!
残り人生が少なくなった「孔明」の心情にyamanekoは いたく共感します!
先帝の恩に報い、その遺志(漢の復興)をなんとしても遂げたい、そしてそれは亡き主君の思いのみならず、儒教の思想に基づかれた孔明自身の大志でもあったと思うのです。
この切なる思いが、孔明をあの晴耕雨読の日々にあった隆中から下山させ、劉備亡き後も彼を蜀漢に留まらせ、幾度も北伐へ向かわせてるのだと思うと、この乱世にあって、その尊い忠誠心に胸を打たれます。

孔明と仲達の知略戦を毎話楽しみに視聴しています。
後の結末を知っているので、ちょっと寂しいですが(孔明の最後のセリフを聴くと)。
孔明は、知略に長けてて格好いいですが、人を見る目があまりないですね。
もっと魏延を重用すればいいのに、と思うこともあります。
仲達は、顔に性格を出さない不気味な所がいいですね。しかし本当の仲達は曹操からの登用のくだりや、勇猛な将を失った時の行動を見ると、良くも悪くも正直者なんだなと思えてきました。(乱世の世の中だから、いちいち顔にだしていたら命をがいくつあっても足りないでしょうに)
あと4話ですが楽しく観させていただきます。
個人的には一番好きなシーンになったかもです。
そしてまた北伐へ向かう孔明、見てるこっちもいよいよかと切ないような熱いような何とも言えない気持ちになりました。
こういうシーンがやっぱいいですね
孔明先生が望んでいるのは、本当は草廬で静かに暮らすことなのかなと。昼間は畑を耕し、夜は星をみながら琴を奏でて…そんな普通の生活をする事が「本音」で、大業を成すことは「理」。
大業を成すことも孔明先生の偽らざる意志である事も分かっていますが、あのセリフを聞いてしまうと切なく、心が苦しくなります。
劉備さんの前で「天下三分の計」を語っていた時のような、楽しげな孔明先生の笑顔が懐かしいです…。
哲舟さん…私の質問を取り上げて頂いて感激でしたが、(・_・)エッ..?(しばらく放心)
そんな訳で調べてみました(≧ヘ≦)!
そうなんですね!そうだったのですねo(^-^)o!
大業うんぬんより、何よりも一体感と信頼を感じさせる言葉で、それまで仕えて来た事が一気に報われる気がした言葉でした。それでいて誰にでも言えるわけではない…趙雲ならではって感じで…私が趙雲でもこれは嬉しい…(ToT)
三国志は作品によってイロイロな見解の違いや表現の違いがあるので中2息子に尋ねてみたら『僕のもっとる本では…』とアッサリと同じ内容でした。その本は中学生向きに書かれているもので、たしか小2の時に私が与えた物です。何回も読み直していて、何でも答えてくれる息子…。何で早く尋ねなかったのかな…私…(^_^;)
親子三人、後わずかですが充実した親子関係を築く事の出来るこのドラマとの出会いでした。(父は話にはついてこれますが明らかにアウェー感が漂っています)
保育園児の息子は保育園では誰も分かってくれない事にようやく納得しかけましたが…諦めたって事でしょうね…(^_^;)しかし、戦いごっこの剣さばきとやられ方は半端ないです!彼の師匠は関羽・趙雲。
孔明の一言は胸にジーンときました。
晩年になってひとりで蜀漢を背負う苦しさは
並大抵のものではなかったのでしょう・・・
魏延や李厳のような考えをもつ者もいる一方で
李豊や姜維の存在もありがたいのですが。。。


さいきん、スリーキングダムにハマりだした者です。三国志の漫画や本も少しだけかじっています
哲舟さんのブログはわかりやすくて勉強になります。
劉禅は演義において流されやすく愚かな一面が強調されているように描かれていましたが、哲舟さんのお書きになった感想を拝見して、そういった面はあれども、劉備の死や孔明の北伐が転機になって良い意味で変わったなと思いました。
『劉禅は本当に暗愚だったか?』という疑問を持っていた私としても新しい解釈で良かったと思います(吹き替えが古谷さんというのは声優の無駄遣い感がハンパなかったのですがw)
哲舟さんはこれについてどう思われますか?