2012年08月10日
第94話 「星落ち、五丈原に逝く」
『三国志』。
歴史書なのに「史」とは書かず、「志」と書きます。
中国では、「志」という言葉には「記録」という意味があるそうなので、
「三つの国の歴史書」ということになります。
しかし、これには色々な説があるようですから、もしかすると
日本人が連想する「志」の意味も、あるいは込められているかもしれません。
三国を興した英雄たちが抱いた大いなる志・・・。
意味としては間違っているかもしれませんが、そう信じてしまいたくなるような
人々のさまざまな「思い」が、『三国志』には詰まっているように感じられてなりません。
こんばんは! ストーリーテラーの哲舟(てっしゅう)です。
いよいよ、最終回を残してのラストウィークも金曜日・・・。
孔明との別れを潮に、このドラマも結末を迎えようとしていますが、
みなさん、どうか涙をこらえて読んでください。
上方谷に降り注ぐ滝のような雨。
その勢いは、孔明が苦労して灯した勝利の炎を瞬時にして消し去り、
司馬懿(しばい)率いる魏軍の命の綱を、ふたたびつなぐものとなりました。
勇気百倍した魏軍は、谷の入口を固める
廖化(りょうか)の軍を蹴散らし、脱出に成功します。
9ヶ月も雨が降らなかった祁山、今日に限っての雨は、
孔明の命までをも、無情に流し去ろうというのでしょうか。
天は無慈悲。もはや、天命という言葉で片付けるしかありません。
雨に打たれ、絶望した孔明は勢い良く血を吐き、倒れました。
陣中で床についた孔明は、自分の命がまもなく尽きようとしていることを悟り、
枕元に姜維(きょうい)を呼びます。そして、これまでに編み出した
24篇の兵法書と連弩(れんど)という兵器の製法書を授けるのでした。
孔明はこれまでの人生を思い、かつて水鏡先生に
「孔明は主君を得たが、時を得ていない」
と評されたことを振り返り、それが自分の運命であったことを知るのです。
あのとき、水鏡先生は独り言のように言っていましたが、
孔明にも伝わっていたようですね・・・。
孔明はまた、楊儀(ようぎ)に、自分の死後は魏に悟られぬよう
撤退するように言い、撤退しやすい五丈原(ごじょうげん)に
陣営を移すよう命じるのでした。命を受けた楊儀ですが、
ひとつ、気がかりは魏延の存在だといいます。
日頃から孔明とはソリが合わない魏延ですが、
趙雲や黄忠なき今、その実力は軍中ピカ一であり、
蜀軍の中でも最強の精鋭5万を従えています。
孔明が健在であるからこそ大人しく従っていますが、
その孔明が死ねば、彼は誰の命令にも従わなくなる恐れがありました。
孔明は魏延の心のうちを探るべく、
気力を振り絞り、陣中に大量の蝋燭をともして、彼を呼びます。
天に祈り、命を永らえようとする孔明の姿を見て、
魏延もさすがに神妙な態度になったようです。
いや、顔には出しませんが孔明の死が近いことを知り、内心喜んだかもしれません。
孔明は「自分の死後に軍権を担える人物は誰か」と問い、
魏延が謙遜していると、孔明は「そなたこそがふさわしい」といい、
彼に軍権を任せたいと告げるのです。
魏延はそれを喜び、必ず蜀の大軍をまとめてみせると誓うのでした。
彼は日頃からそれを自負しており、まさにその言葉を待っていたのです。
魏延の様子を見た孔明は、彼に野心があることを確信しました。
ちなみに、原作では孔明はここで延命の祈祷を行い、灯が7日間消えなければ
寿命が延びると信じて堂に籠もったのですが、そこに魏延が入ってきて
誤って火を消してしまう、という描写になっています。
本作では、これが延命のための祈祷であることには触れていません。
孔明を、そのような超常現象を操る存在には描かず、
あくまで人間として描いていることが分かります。
さて、孔明は続いて馬岱(ばたい)を呼びます。
馬岱(ばたい)は、かつての五虎大将軍のひとり、馬超(ばちょう)の弟分。
かの馬超は蜀に降ったあと、目立った功績も立てることがないまま、病で早世しました。
馬岱は馬騰(ばとう)から続く馬一族の生き残りとして、
ひとり奮戦を続けているのです。
孔明は、その馬岱の武勇と忠義心を見込んで、自分の命はもう長くないこと、
自分が死んだら必ず魏延が謀反を起こすであろうから、
その際に彼を始末するよう頼み込むのでした。
驚く馬岱ですが、改めて孔明と蜀に対して忠誠を誓い、拝命するのでした。
陣営を五丈原(ごじょうげん)に移し終えた蜀軍。
孔明は、いよいよ死の床につきます。
その命の灯火はますます細まり、まさに尽きようとしていました。
(五丈原の場所は地図でご確認ください)
孔明は、劉禅に対してこれまでの恩を謝しながら、
今後の蜀がとるべき道を静かに語り続け、それを楊儀に遺書として書き写させます。
孔明は最後に、自分の一族は衣食に余りあるため厚遇しないよう言い残します。
ドラマには登場しませんでしたが、彼の妻と幼な子(2人または3人)は、
成都で暮らしています。ほかの将軍たちの家族も同様で、
いわばみな単身赴任です。過酷な北伐の戦場には呼べるはずもないからです。
その言葉が、終わるか終わらないかのうちに、
手にした羽扇を取り落とし、孔明は息を引き取りました。
最後まで、蜀漢の行く末を案じたまま、ついに帰らぬ人となったのです。
時に西暦234年8月23日、享年54歳。
死因は、詳しくは分かりませんが、一説によれば過労による衰弱死といわれます。
朝は早くから起き、夜は遅く休み、粗食に甘んじた孔明。
27歳からの生涯のすべてを、劉備と劉禅、
そして蜀漢のためにささげ、命を削って働き続けたのです。
正史『三国志』を編纂した陳寿(ちんじゅ)は
「時代に合った政策を行い、公正な政治を行った。
どのように小さい善でも賞せざるはなく、どのように小さい悪でも
罰せざるはなかった。多くの事柄に精通し、建前と事実が一致するか調べ、
嘘偽りは歯牙にもかけなかった。みな諸葛亮を畏れつつも愛した。
賞罰は明らかで公平であった。その政治の才能は管仲(かんちゅう)、
蕭何(しょうか)に匹敵する」と評しています。
またその一方で
「毎年のように軍隊を動かしたのに北伐があまり成功しなかったのは、
臨機応変な軍略が得意ではなかったからだろうか」とも評しています。
陳寿は断言していないので、なんとでも解釈できますが、
つまり、優秀な政治家であったが、将軍・軍人としては
やや物足りなかった、ということかもしれません。
しかし、思うに孔明のほかに誰が蜀という国の全軍を率いて
魏に攻め込むことができたか・・・。
これはよく言われることですが、たとえば司馬懿や陸遜であっても
勝つことは無理だったかもしれませんし、魏の指揮官が司馬懿でなかったら、
成功していたかもしれません。歴史に「もし」は禁物ですが・・・。
孔明の晩年の行動、すでに滅びてしまった漢を再興するなどという志を
不思議に思ったり、「愚かである」と批判する人もおられるでしょう。
大局的にみれば、その通りです。
戦争とは、何千何万という兵士の命を犠牲にするものですし、
三国志の登場人物に限らず、歴史上の軍人というものは、
みな少なからず、愚かしい行為をしているし、愚かしいところを持っているものです。
後世を生きる我々は、そんな彼らを好きなように批判し、好きなように解釈できますが、
乱世では明日をも知れぬ身、日々とにかく生きることに必死だったに違いありません。
孔明が「なぜ無理な北伐をしたのか?」と考えるのは、
登山家に何千メートルもの過酷な山へ登りに行く理由を尋ねたり、
ボクサーに危険なリングに上がる理由を尋ねたりすることに近いのではないかと思います。
もしかすると、孔明自身は、ドラマのセリフにもあったように畑を耕して
山中に暮らすほうが幸せだと思っていたかもしれませんし、
北伐など興さなければ、もっと長生きして余生を穏やかに過ごせたかもしれません。
しかし、もしそうしていれば、諸葛孔明という名は
2000年後の未来にまで残ったかどうか・・・。
死して名を残す、それにはどういう生き方をすべきなのか、
それは望んで可能になるのかどうか、私はよく考えてしまいます。
さて、孔明の棺の前に、重臣たちが集っています。
姜維(きょうい)が、孔明の遺言にしたがい、
兵を漢中へと引き上げる準備にかかるため、
兵符を楊儀(ようぎ)に渡そうとしていると、魏延がズカズカと入ってきます。
魏延は、孔明の遺志に反し北伐の続行を名言します。
孔明が死んで、魏延は何も恐れるものがなくなった今、
軍権を一手に握ろうというのです。
孔明の葬儀も済まぬうちに、早くも野望をむき出しにした魏延を、
跡を託された、姜維(きょうい)らは睨みつけ、なじります。
「誰がわしに逆らえるか!」
それに少しもたじろがず、大言壮語する魏延。
すると、今まで通り魏延に従っていたかに見えた馬岱が
やにわに剣の鞘を払ったとみるや、抜き打ちに一撃を浴びせ、
返す刀で斬り倒してしまいました。
魏延は馬岱の早業に、言葉を発する間もなく倒れました。
反骨の猛将も、完全に油断していたのでしょう。なんとも、あっけない最期でした。
いっぽう、孔明が倒れたことを知らない司馬懿は、
その後、蜀軍が攻撃してこないことをいぶかしみますが、
攻めて来ないのであれば、魏軍も動くことはないとして、
引き続き持久戦を続けるのでした。
そこへ、蜀軍が五丈原から撤退を開始した、との報告がもたらされます。
このタイミングで蜀軍が退くのは、何か深い理由があるはず・・・
しかし、これまで孔明の策にさんざん痛い目にあわされた司馬懿です。
なおも慎重な姿勢を崩しませんが、
諸将の勧めに応じ、五丈原へ真相を確かめに行きます。
五丈原の陣中は白い旗が掲げられていたため、
「孔明は死んだ」と確信するのは郭淮(かくわい)。
司馬懿は、なおも孔明の策ではないかと疑いますが・・・
結局、そのまま追撃を続行。陳倉道へと達します。
すると、にわかに蜀の伏兵が襲い掛かってきますが、
司馬懿はその数が少ないこと、谷に入り込む前に襲い掛かってきたため、
敵が焦っている様子から、孔明が死んだのだと確信して
追撃を続けようとします・・・
しかし、続いて四輪車に乗った人影を押し出して、
姜維(きょうい)が陣頭に出てきたため、
「やはり孔明の策であった」として、被害が広がるまえに全軍撤退を命じます。
蜀軍は、その隙に漢中へと撤退していきました。
その夜、孔明の訃報が確実なものとわかり、司馬懿のもとにもたらされます。
司馬懿が見たものは、孔明が生前に造らせた木像でした。
大変な恥辱に、司馬懿はのたうちまわって悔しがります。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
現地の人々には、そのように噂されるほどだったそうです。
司馬懿は、かくも孔明を恐れていた。
後世の者たちはきっと噂をし続ける、100年先までも・・・
そして、司馬懿が言ったことは本当になりました。
100年どころか、2000年近い時を経た今も私たちの間に伝わっています。
正史によれば、蜀軍が退却したのち、司馬懿は五丈原の陣跡が
整然として実に機能的な構造をしていたことに感心し、
「諸葛亮は天下の奇才だ」と漏らしたといいます。
この北伐における勝負は、持久戦のすえに死んだ孔明が敗れ、司馬懿が勝ちました。
しかし、司馬懿は、真に勝ったとは思わなかったのかもしれません。
決しておごらずに相手の力量を認める司馬懿の姿勢は、
勝利者として大変に立派ではないかと思うのです。
そこに、オリンピックでメダルを獲得しても兜の緒を締め直す、
武道家の振舞いに似たものを感じます。
孔明の棺は、遺言により漢中の定軍山に葬られました。
そこは、かつて黄忠が夏侯淵を討ち、劉備軍が曹操軍を破った地でもあります。
魏・蜀・呉の国境で、行く末を見守ろうとの彼の意志だとされます。
墳墓は山の中に棺を入れるだけにとどめ、
遺体は着用していた衣服のままで、副葬品は一切入れないよう言い残したそうです。
実は曹操もほとんど同じことを言って亡くなっています。
両者は、同じ死生観を持っていたといえましょうか。
死後、彼を祀る者は庶民にいたるまで後をたたなかったとか。
彼の偉業、才能は伝説となり、いつしか万能な軍師像に変化して後世に伝えられます。
その墓は「武侯墓」と呼ばれ、今は公園化され、祀られています。
・・・さて、その後、司馬懿は曹叡(そうえい)の命令で
大都督の任を解かれ、呼び戻されました。急ぎ、洛陽へ向かう司馬懿。
後任の夏侯覇(かこうは)が早々に着任し、
司馬懿は将兵に別れを告げることなく去ったのですが、
彼を慕って郭淮(かくわい)や孫礼などが追いかけてきて、見送りました。
郭淮たちは、司馬懿との別れを惜しみ、涙で永遠の忠誠を誓うのでした。
司馬懿はそんな彼らに礼をいい、馬車を出発させるのです・・・。
さて、司馬懿を呼び戻した曹叡の真意は・・・?
次回は、いよいよ最終95話。楽しみにお待ち下さい。
みなさん、また月曜にお会いしましょう!
【このひとに注目!】
◆劉禅(りゅうぜん) 字/公嗣 207~271年
次回の最終話ではあまり触れられないため、孔明が死んだ後の劉禅と蜀漢の行く末について綴っておきたい。孔明の死の知らせを受けた劉禅は、3日間喪服を着て哀悼の意を表した。孔明の後継者には、内政に優れた蒋琬(しょうえん)が選ばれ、軍は姜維(きょうい)が率い、北伐を続行した。劉禅は当初、臣下たちの助言によく従い、蜀の政治は安定した。
246年、蒋琬や董允(とういん)といった有能な人材が没すると、劉禅はみずから政務を行なうようになったが、宦官(かんがん)の黄皓(こうこう)を重用し、政治の実権を渡してしまったことで国政は大いに乱れた。魏への北伐は姜維が毎年のように繰り返したが、戦果をあげることができず、国力は疲弊する一方だった。
263年、国の内外から疲弊した蜀の隙をついて、魏の司馬昭(司馬懿の子)が大規模な攻勢をかける。防衛にあたった姜維は、成都の劉禅に援軍を要請したが、黄皓の讒言を信じた劉禅は兵を送らなかったため、満足な防衛ができずに蜀軍は各地で敗退。孔明の子、諸葛瞻(せん)が討たれるなど敗報が続き、魏の大軍に迫られた劉禅は、文官らの勧めによって魏に降伏。蜀漢は滅亡した。孔明の死から29年後のことだった。
劉禅は妻子たちとともに洛陽に移され、安楽県公に任命されて静かに余生を過ごし、65歳で没した。ちなみに妻のうち2人は張飛の娘(姉妹)である。洛陽で司馬昭に宴へ招かれたときの逸話があるが、それは昨日解説したとおり。
劉禅は、原作小説『三国志演義』では、「劉備や孔明が苦労して築いた蜀を滅亡に追い込んだ暗君」というイメージが増大されて扱われている。彼の幼名「阿斗」は、中国では「愚か者」の代名詞とされており、劉禅の評判はきわめて悪い。本作ではそこまで描かれなかった点で救いといえるか。
しかし、正史『三国志』では、決して無能とは書かれていない。その代わりに、自分から何かを積極的に行ったという記録もなく、「白い糸は染められるままに変ずる」と形容されている。つまり、孔明などの有能な人に囲まれているうちは良い人間だが、悪い人に囲まれれば途端に駄目な人間になるということ。ただ、三国のうち最弱の蜀を40年(孔明の死後29年)も存続させたことは事実。それを評価するか否かで、見方が分かれる人物といえる。
※人気投票、引きつづき実施中です。
いよいよ月曜締切り! みなさん、本当に多数の投票、ありがとうございます。
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コメント一覧
1.諸葛孔明
2.司馬懿
3.周瑜
有能な後継者が居ないことが残念です。
あの馬謖が孔明並みに有能であれば、その後の蜀ももっと滅亡せず強国になれたかも。
死せる孔明 生ける仲達を走らす
この諺を昔、確かに聞いたことがあります。
武田信玄が影武者を置いたり、自分が死んだ事を隠すように遺言そたことが有りましたね。これは孔明のこの作戦を真似たのですね。
司馬懿が大都督の任をとかれ、一人京へもどるのを追いかけてきた多くの有能な部下達、やっぱり司馬懿は本物の軍師で指導者ですね。それを部下たちは見抜いているのです。
私も司馬懿大好きになってしまいました。
でも、ブログの花に囲まれる曹操と劉備に思わず爆笑!!お陰さまで明るい気持ちになりました。
もしかしてそれが狙いですか?このアングルと表情は怪し過ぎるWW
違った意味で只ならぬ関係に見えてしまう。
諸葛亮孔明。。。
残念です。まだ54歳だというのに、今の時代ならこれからでも一旗あげられるのに。。
あまりにも激務の為、過労による衰弱死!?
司馬懿の方が年上なのに、元気で。。妬ましくさえ思ってしまいました。
でも、諸葛亮の人形を前に、何故死んだのだ。。。とむせび泣く司馬懿の姿には
ある意味では、大きな心の支えであったことを感じました。
魏延。。。
どうして、諸葛亮の心に添えないのか。
力もあるのに、もったいない。
本当に、魏延が後をまかせれるくらいの人であれば、
諸葛亮もの寿命も、もう少し長かったかもしれないのに。
でもこれで、諸葛亮も劉備の元へ行けるのですね。
孔明よ。大儀であった。
劉備は温かく迎えてくれるはず。。
でも、関羽と張飛もいるから、また、もめるのかな?
な~んてね。
あの世とやらがあって、元気な諸葛亮に戻っていてほしいです。
孔明が亡くなり、あぁもう終わりなのだと思い知らされます。
司馬懿が孔明の木像を前にして、泣くシーンに私も思わず泣いてしまいました…
なんだか、言葉にして言うことができません。すみません…
天は何故、諸葛孔明に味方してくださらなかったのか…
不運と言っていいのか分かりませんが…
でも、孔明が劉備や劉禅、そして蜀に忠誠を尽くした人物であることは確かですね。
こんなにも、後世の私たちにまで慕われているのは孔明の忠義ある姿に誰もが心打たれているからです。
なんだか、まとまりがなさすぎてすみません…
頭が混乱しております…
最終回まで、ちゃんと見届けたいと思います
今日のイントロは 若い「曹操」と「劉備」の映像!
懐かしさで 思わず胸があつくなりました!
「死せる孔明 生ける仲達を走らす」とは こういうことでしたか!
「司馬い」が 「死せる孔明」に本心を語るシーンが印象的です!
たしか、「周喩」も 同じような心情を吐露したような!
「劉禅」が「孔明」亡きあと29年も蜀蜀を守ったのですか!
複雑な気持ちですが、「劉禅」贔屓でして!
長い間、ドラマとブログを楽しみに暮らしてきましたが、ブログ編集のご苦労をねぎらいたいです!
どんなときも、バランスの良い解説には膨大な学習、研究が積み重ねられていることがよくわかりました。
知的財産を無料で享受できることは、幸せなことです!
また、コメントのいろいろを読ませていただけるのは 楽しみでした。
センスいい!と叫んだりしました!
こうした 楽しみが終わるのは ドラマ終了と同じ寂しさです。
最後に つたない書き込みを毎日公開していただき、3回も 回答までいただいたこと!有難うございました!
最終回までに 投票できるか?
それが 問題なんですよ!
ところで、全話通してのことですが、伝令や使い、側近役として魏、呉、蜀、すべての国の配下役で登場している役者さんがいませんか?具体的に言うと曹操を訪問した張松にワイロを要求する人です。
どこの会社にも一人くらいはおられると思うのです。
「仕事ができすぎてなにもかも自分でやってしまう人」
人に任せるより自分がやった方が速いし上手くできる、特に期限が迫っている時には。
それが続くと周囲もその人につい頼ってしまうし、
些細なことでもその人の指示をあおがなければなにもできなくなってしまう・・・
「智絶」とまでよばれた孔明先生の唯一にして最大の欠点
それは「後進を育てなかったこと」ではないでしょうか・・・
孔明先生が北伐を繰り返した真意は正直わたくしには
理解しがたいものがございます。
「兵とは国の大事なり」
10年先のことよりただ今の民を苦しめてもよいものでしょうか?
ことに優れた政治家であった孔明先生のなさりようとも思えせん。
ただ・・・孔明先生にとって劉備玄徳というお方は
唯一無二のひとであった、ということなのでしょうか・・・
ふと思うに玄徳さんはなんでもかんでも孔明先生に
お伺いをたてているようで、その実なんでもかんでも
いうことをきいていたのは孔明先生の方なのですから。
孔明先生が下山するとき水鏡先生が仰った
「時を得ていない」ということばが実はずーっと
気になっていたのですが・・・そういう伏線であったとは。
長文失礼いたしました。
胸が痛み苦しいです。この臨場感はいったい、何。
ルー・イー氏、素晴らしい孔明先生を、本当にありがとうございました。できれば諸葛亮伝を同じキャストで作って下さいませ。今まであまり中国映画をみたことがなく、損をしたと思います。衝撃的な
怪優ニーターホンさんにも、拍手喝采です。
三国志を読まない、知らない、というのは、凄く勿体ない、人生を半分失うも同じ。
いにしえの人々の知恵と心=志に満ちた、生きる勇気を与えてくれる物語です。
あと1回。
感慨深いです。
大病を患っており、最後まで見届けることができるか自信が無く、そんな身で高価なDVDの購入などする気にもなれず、毎回録画して、体調の良い時に見続けてきました。
子供の頃から親しんだ三国志。
横山三国志
吉川英治三国志
北方謙三三国志
そしてこのドラマ。
本当に楽しませて貰いました。
哲舟様の解説も楽しみでした。
人はいつか死ぬ。
それを噛み締めています。
有り難う御座いました。
あと1回、楽しみです。
孔明も司馬懿も立場こそ異なりますが、皇帝から受けた命を忠実に実行するために、それこそ命を削って戦った、それが世代を超えて今の世の私たちの胸に響くのです。
二人は孫子の兵法に言う智、信、仁、勇、厳を備えた稀有な指導者であり、そもそも同時代に並び立つわけがない人材でした。しかし、天がもたらした運命か悲運か、同時代に降臨したのですね。
今回の戦いは結果通しては孔明がその死という避けることができない天命により、蜀が敗れた形ではありますが、戦いの本質としては、孔明に軍配が上がったものと思います。
さて、全編を通してですが、事業(大業)を隆盛に導くには指導者の能力はもちろんですが、やはりいい人材をいかに発掘して獲得し、それをいかに使いこなすかが重要であるかを訴えてきたこの作品。本当にすばらしい作品でした。
しかし天は、孔明ではなく仲達を選んだと、なんか悲しすぎますね。
散々、諸葛亮に苦汁を飲まされた司馬懿は、いままで以上に狡猾に、なっていくんでしょうね。
司馬懿は、最大のライバル諸葛亮に育てられた感じですね。
司馬懿にしたら諸葛亮以外もう敵じゃないですね。
死せる孔明生ける仲達を走らす、最高でした。
残り、最終回楽しみに観させていただきます。
ついにあと1話…!!
最終回楽しみにしています^^
危急存亡編になってから呉の出番は有りませんね;呉はその間何をしていたのでしょうか?気になります
30年近く全身全霊で戦ってきたのに・・・・・
あの最後の雨は本当に孔明を打ちのめしたでしょうね。想像を絶する絶望感・・・・
ただ、孔明は物知りだから気象にも精通しているのかと・・・。予想できない大雨?!異常気象?
しかし、孔明亡き後も北伐を続けたなんて!
死んでいった兵士が気の毒。単に数字で5万とか70万とか言うけれど、恐ろしい人数・・・・・
蜀の民もかわいそう・・・・
昔、劉備が民に慕われるエピソードがいくつかありました。
少し治めた土地の民が「ずっとここに居てほしい」
と懇願したり、移動(逃げる)する際「一緒に行きたい」と多くの人々がついてきたり・・・・
また、「領土より民が大事・・・・」というセリフがあったような!
毎年のように北伐をして国力は衰え、人々の生活も貧しくなるのでは・・・・。
「座して滅ぼされるより・・・」もわかるけど孔明亡き後は守りに徹して少しでも国を豊かに建て直していくとか、無理ですか?
最終的に、蜀の人々に劉備が君主になったことを
恨まれたんじゃないかと心配です。
劉禅!劉禅!劉禅!!
「阿斗」=「愚か者」なんて・・・・
あの趙雲が命がけで守った子供なのに!悲しい
ひとつ不思議だったのが魏延が殺された時。
まわりの武将達、あまり驚いていませんでしたね!
魏延の部下達も平気だったのかなぁ・・・・・
最終回!
どうして劉でも曹でも孫でもないの?って驚いたのを思い出します。
どんなふうに描かれるのかなぁ・・・・
さて、今回の話。他の方も書いていらしたように、私も司馬イの違う一面・才能を目の当たりにし、司馬イに好感が持てるようになりました。上方谷での死ぬ覚悟をする中で曹操の詩を口ずさむ司馬イはカッコよかった・・・。横山三国志ではこうも大人物に描いてなかったような気がします。
余談ですが、曹操とキョウイが、水泳の北島選手に似ていると思うのは私だけでしょうか?笑
残すところ最終回のみで寂しい限りですが、この夏の暑さと共にかけ抜けます!
以前ジュンイク・郭嘉・程イクのスリーショットありました(笑)
あの時のストーリーも重い展開でした。哲舟さんのお気遣いありがたいです
いつも書きにくいのですが…本日は特に肩身の狭い思いで司馬イの事書かせて頂きます…(^_^;)
93話94話と最後の2人の戦いはまさに死闘。雨粒が刀にピタピタと落ちてきた時は司馬イ“時を得た”と思いました
が熟成され本物の時を得たのは…たぶん人気投票でもはっきりするのでしょう…孔明だったと
でも曹操以来曹家にあれほどまで危険視され続けたことは司馬イのまさに勲章だと思います
それにしても司馬イ…筋金入りの“うさん臭さ”だったんだわきっと…(笑)
初めて 書き込まれた貴方の思いを、このブログを読んでいる たくさんの人が受け止めていると 思います。
「やっと」の ハンドルネームには 貴方の厳しい状況が 込められているように お察しいたします。
よく 頑張って ドラマとブログを観てこられましたね!
あと一回のドラマが 貴方の奇跡になることをyamaneko老人は 天に祈っておりますよ!
孔明と同じくして司馬懿という軍師が存在した事に運命の皮肉を感じました。
志半ばで天へと召された孔明。彼にもう少し時間があったら・・・。
司馬懿が孔明の木像を前に語るシーンに涙を流してしまいました。
孔明の一番の理解者は、何を隠そうこの敵である司馬懿なのだと私は感じました。
残り1話。
楽しみにしています。
三国志を読むたびにその処世術に感心する賈詡が出て来ないのは残念でした。(処世術と知謀は、三国志登場人物の中でも超一流) あと、荀攸も。 陳寿は賈詡と荀攸について「打つ手に失策が無く、事態の変化に通暁していたと言ってよく、前漢の張良や陳平に次ぐ」と高く評価しているらしいのですが・・・。
賈詡の主人であった張繍と曹操の関係も味わい深いのですが、95話という制約の中ですから仕方ありませんね。
細かいことですが、孔明先生まで派手に血を吐いたことと、山の頂に鉄塔が建っている映像を観たときは吹き出しそうになりました。劉禅の吹き替えが古谷徹氏であるのも笑えました。戦闘シーンの派手さは言うまでもありません。
些末なことはさておき、この4カ月間本当に楽しかったです。
今日の最終回は、楽しみでもあり、残念でもあります。
小説は、宮城谷昌光氏の三国志が一番面白く、とても勉強になり、あの時代を一番理解しやすいのではないかと思っています。
この回の最初の写真に
桃花の下の劉備と曹操の写真を持ってきた
哲舟さん、さすがです
最終回にも出てきたように思いましたが、
このドラマの節目に桃の花がでてきますね。
それも良かったです
孔明の死の悲しみと運命の非常さを感じる回でしたが、
人は死後にも志は残ることを感じた回でもありました。
録画を続けて見て、ようやく追いつきました
是非ともルー・イーの「諸葛孔明」で、スピンオフ映画を作って頂きたい
苦労した子供時代も映像で観てみたいのです。
人ひとりの人生を、2時間余りの作品におさめるのは至難の技でしょうが(特に三国志ものは外せないシーンが多すぎ)
実現できたら凄いデスよね!!
何とお礼申し上げたら良いか。
この所、調子が良いので夜の涼しい時間に起きてます。
来月、大山が来る予定で、それを乗り越えると暫くは何とか頑張れそうです。
それまで体調に気をつけながら、哲舟様のブログを見返したり、録画を少しづつ見直そうと思ってます。
何回か天候の為に不良映像や中断があるのが残念ですが、想像力と哲舟のブログで補いながら観ます。
しかし、同好の士が沢山居られて、嬉しいです。
24の書き込みで、「哲舟のブログ」なぞと失礼にもお名前を呼び捨てにしてしまいました。
決して他意はありません。
入力ミスなんです。
申し訳ありませんでした。
やっと様
調子が 良いとのこと!
うれしいコメント発見しましたよ!
日中の 酷暑を避けて 涼しい時間に起きておられるのは 賢明ですね!
「哲舟」と呼ばれてうれしい!と思われていますよ、きっと!
だって、人気者は「孔明」「魯粛」「曹操」って 呼びますよ!
人気投票にも「哲舟」が あったそうですからね!
意気盛んな証拠です。
その調子で、9月を飛び越えてくださいよ!