第21話~第25話

2012年05月04日

こんばんは! 哲舟です。
ゴールデンウィークのせいか、なんだか1週間があっという間に
過ぎてしまった感がありますね。どうか皆さん、残りの土日2日間、満喫してください!

さて、劉備が河北に居ることを知った関羽は
いてもたっても居られず、曹操のもとを去ろうとします。

義を重んじる関羽は、これまでの厚遇への礼を述べてから立ち去ろうとしますが、
曹操も張遼も、仕事や病気を理由に居留守を使い、会ってくれません。
仕方なく、これまでに賜ったすべての金銀珍宝の類、下僕らを残して出発します。

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原作「三国志演義」の中でも人気の高い「関羽千里行」「五関突破」の始まりです。
劉備の奥方、甘夫人と麋夫人の2人を馬車に乗せ、
孫乾と従者だけを共にさっそうと許都を発しました。

それを知った曹操は、挫折感に打ちのめされます。
引きとめられないばかりか、関羽が袁紹につくことも自軍にとってはマイナス。
しかし、曹操は関羽を殺そうとはせず、わずかな供を引き連れて見送りに出ます。

さすがの曹操も、関羽との約束は破れません。
黙って行かせることで、恩を売ろうとする計算はあるようですが・・・。
錦入りの羽織を贈られた関羽、馬からは下りませんが、さすがに感動したようです。

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曹操は、せつない顔で、いつまでも関羽の後ろ姿を見送っています。
程昱もそんな姿の曹操を見るのは初めてで、戸惑うばかり。

「一人の心もつかめぬのに、どうして天下をおさめ、民の心をつかめようか」
曹操はそういって、関羽の心を攫む劉備の恐ろしさに、改めて気付くわけです。

その頃・・・。
張飛は古城に辿り着き、役所を乗っ取ってねぐらにしていました。
そこを拠点に兵馬を集め、劉備たちの行方を探させていたのです。

なぜか、県令の裁判仕事まで始めている張飛。
政治力はゼロにひとしいので、当然めちゃくちゃな裁判をやって、
村人や兵士たちを混乱に陥れています。
暴力事件の被害者に、「なんで殴り返さねえ!」といって逆に罰を与える始末(笑)。

「男は殴られて成長するんだ!」
と兵士の鍛練も行っています。
そんな折、関羽が曹操に投降したとの情報が入り、張飛は怒って暴れ狂います。
酒甕を割り、庭園の草木を引き抜いて、やり場のない怒りを爆発。

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本当に張飛役の康凱さんはハマり役といえましょう。
この張飛を演じるために、20kg近くも太ったといいますから、
すさまじい役者魂を感じますね。

そんなことは露知らぬ関羽は、東嶺関に到着。
通行手形を持っていない関羽は守将の孔秀に妨害されますが、
一撃KOで、あっさりとまかり通ります。

その後も、洛陽関では孟担と韓福を、
沂水関では卞喜を斬り捨て、関所を突破していきます。

とくに、沂水関での戦いは見せ場でした。
素手で大勢の敵を打ち倒してしまった関羽、いわゆる「無双状態」。
原作もそうですが、この場面の関羽はまさに主役の扱いです。

さて、黄河の畔まで来たところで、関羽の行く手を阻んだ武将がいます。
出ました、ここで猛将・夏侯惇(かこうとん)の登場です!

呂布軍との戦いのさなか、曹性という武将に左目を射られ、
矢を引き抜いたときに一緒に飛び出た目玉を食べてしまった豪傑。
残念ながら、本作ではその場面は描かれませんでしたが・・・。

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夏侯惇は、味方を殺された恨みと、
関羽の武勇を試したい個人的思いから一騎打ちを挑んできます。

激しい一騎打ち。息をもつかせぬ展開に、目が離せません。
青龍刀と槍が激しく火花を散らし、ちゃんとその重さまでが伝わってくるよう。
一騎打ちというものを上手に描いていると思います。

夏侯惇の馬があばれ、馬上から白兵戦へと移行しますが、
2人の戦いはまだまだ続き、勝敗は決しそうにありません。

夏侯惇も強いですね。
顔良、文醜さえも一合とて打ち合えなかった関羽と互角に戦っています。
今まで出番がなかったのが不思議なぐらいです。

そこへ、張遼が追い付いてきて、曹操の伝言をつたえ、やっと両者は停戦。
「なかなかやるな」と、お互いの武勇を称え合います。
2人とも最高に格好いい。夏侯惇、いい味を出しているので、もっと見たいですね。
武器を収めた関羽は、さらに先を急ぎます・・・。


【この人に注目!】
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◆孫乾(そんけん・そんかん) 生没年不詳
 
劉備が陶謙に徐州を譲られたときから仕えている文官。ドラマでも早くから登場し、地味ながら活躍している。劉備が曹操のもとを離れて徐州へ戻ったときは、関羽の参謀として下邳(かひ)城に入った。そのため、関羽と行動をともにして劉備の夫人たちを警護する。
「軍師」まではいかないが、武闘派の多い劉備軍の中では貴重な文官であり、外交官であり、補佐役。弱小勢力だったころから、しぶとく劉備を支え、貢献を続けた。後に、劉備が益州に入って蜀の地を得たときは、麋竺や簡雍と同等に厚遇される。

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2012年05月03日

みなさん、こんばんは! 哲舟です。

曹操が、関羽への新たなプレゼントに用意したものは、
あの「馬中の赤兎」とうたわれた、かつての呂布の愛馬・赤兎馬でした。

今まで何をもらっても喜びの色を表さなかった関羽ですが、
この天下の名馬を前に興奮気味。

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赤兎とはいっても、あんまり身体が赤く見えないですが・・・
赤いからそう呼ばれたのでなく、「汗血馬」という種類のことで
「血のような汗を流して走る馬」だったという説もあるらしいのです。
まぁ、アニメとは違って馬を真赤に塗るわけにもいきませんからね。

関羽は、「この名馬があれば、劉備のもとにすぐに駆け付けられる」と言ったため、
曹操の思いはまたも空振りに・・・。

曹操の多くの部下たちは、恩をあだで返すがごとき、関羽の振舞いを見て
彼を殺そうとしますが、曹操はもちろんそれを制止します。

そのころ、袁紹は一度は起こした兵をふたたび休めていました。
徐州が陥落したことで、戦機を逸したからですが、
結局、曹操とは戦うでもなく和睦するでもなく・・・、無為に過ごすばかり。

漢室再興を誓う劉備としては、いまや袁紹の力だけが頼り。
その説得によって、袁紹はようやく重い腰をあげ、許都遠征を決意します。

曹操も袁紹の出陣を聞いて、これを迎え撃つための準備を命じました。
かくして、「白馬の戦い」が幕をあけます。

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両軍が対峙し、袁紹軍の先鋒・顔良(がんりょう)が
次々と曹操配下の武将を斬り殺し、曹操軍の出鼻をくじいて気勢を上げます。

そこに駆け付けたのが関羽。
赤兎馬にまたがり、さっそうと敵陣へ斬り込んでいきます。
関羽は、顔良に名乗りさえもせず、たった一太刀で斬り殺してしまいました。

第3話の華雄との戦い以来、久々に関羽の武勇がいかんなく発揮される名場面。
「正史」でも、ちゃんと関羽は顔良を斬っています。

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顔良を失った袁紹、翌日はその仇を討たせようと文醜(ぶんしゅう)を出陣させます。
自軍最強の猛将を送り出し、
両側に劉備と、軍師の許攸を従えた袁紹は得意満面です。

そして、前線には「顔良の仇を討つ!」と息巻く文醜。
公孫瓚(さん)討伐で、敵将3人を斬り、4人に傷を負わせた武勇の持ち主です。

曹操軍からは、張遼と徐晃が出撃し、
張遼は薙刀、徐晃は斧をふるって文醜に挑みかかります。

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しかし、さすがは袁紹軍が誇る最強の将。文醜は奮戦します。
張遼、徐晃の2人がかりでも容易には討ち取れそうにありません。
呂布と劉備三兄弟の戦いも見事でしたが、
脇役ながら、この3人が同時に戦うシーンは迫力満点。

そこへ、赤兎馬を躍らせた関羽が乱入してきます。
「雲長、気をつけよ!」と張遼が忠告しますが、関羽はまっしぐらに突進し、
文醜をたちまち、一刀のもとに斬り殺してしまいました。

文醜、もうちょっと粘って欲しかったような気も・・・。
まあ、張遼・徐晃との戦いで疲れていたということにしましょう。

武の二枚看板を立て続けに失い、動揺を隠せない袁紹軍は撤退。
「顔良、文醜を斬ったのは劉備の義弟の関羽」ということが明らかになり、
袁紹は、劉備が曹操と通じていることを疑って処刑しようとします。

しかし、劉備は「関羽に書簡を送り、味方に引き入れてみせます」
と、うまく言い逃れ、その場を切り抜けました。単純な袁紹も袁紹ですが、
不思議と人から恨みを買わない劉備。生き延びる術にかけては天性の才があります。

一方、書簡を受け取った関羽は、劉備が袁紹のもとにいることを知り、
いよいよ曹操のもとを去る決意を固めます・・・。


【このひとに注目!】
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◆徐晃 (じょこう) ?~227年
曹操軍の武将。張遼とともに文醜に挑みかかるも苦戦する。大斧の使い手で、本作でもちゃんとそれを使って戦っている。
原作では、顔良とも戦うがその武勇に圧倒されて敗走する場面がある。しかし、その後に文醜とは互角に打ち合った。また、許楮(きょちょ)とも互角に戦う腕前を持っている。以後、曹操軍の中核をになう名将として数多くの戦いで活躍。これからおよそ20年後、荊州を守る関羽を窮地に追いつめることになるのは、この徐晃である。



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2012年05月02日

こんばんは! 哲舟です。

ゴールデンウィークたけなわ、いかがお過ごしですか?
昨日今日あたりはお仕事、という方もいらっしゃるかもしれませんね。

さて、曹操に敗れた劉備のもとへやってきたのは、
袁紹軍の軍師・許攸(きょゆう)でした。

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許攸は、袁紹が遅れながらも出兵を決めたことを満足げに告げますが、
すでに徐州は曹操の手に落ち、将兵ともはぐれた劉備は、
やるせない思いを許攸にぶつけます。

許攸は、徐州の戦況を調べるためにやってきたのですが、
劉備から徐州が陥落したことを聞き、曹操軍の予想外の強さに愕然とします。

折れた剣、水(酒?)を飲みほしたひょうたんを投げ捨てる劉備。
珍しく、感情をむきだしにして怒りをあらわにしました。
半分は自分へ、残り半分は袁紹への怒りでしょう。

しかし、どうすることもできぬ劉備は、
袁紹のもとへ身を寄せることを許攸に勧められ、やむなくそれに従います・・・。

一方、難なく徐州と小沛を占領した曹操軍は、軍議を開いていました。
まだ関羽の守る下邳(かひ)が残っており、曹仁が「5日で落としてみせる」と豪語。

しかし、曹操は「関羽を自分の部下に欲しい」といいます。
曹操はかねてより関羽の武勇や忠義心に惚れ込んでいたのです。

そこで、張遼が関羽のもとへただ一騎で派遣されます。
力攻めをすれば、関羽は必ずや戦って討死する道を選ぶため、
親交のある張遼が使者に選ばれたのです。

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「酒を飲みにきた」という張遼の申し出を、関羽は受けます。
豪傑2人、男同士腹を割って酒を酌み交わす。なんとも粋なシーンです。

以前、張遼は呂布の部下でした。

関羽と張遼は、おそらく呂布が存命中に徐州で親交を深めたのでしょう。


原作では、呂布が処刑された後、刑場に連行されてきた張遼の助命を、
関羽が曹操に頼み込む場面があるのですが、
本作では、あの場に関羽の姿はありませんでした。
そうした伏線があったら、なお良かったかな・・・と思います。

頃合いをみて張遼は、関羽を曹操軍にスカウトします。
関羽は下邳を失った失態を恥じ、劉備の行方も分からぬことを嘆き、
あくまで討死を遂げようとしますが、
張遼は「そなたが死ねば3つの罪をおかすことになる」と告げます。

生死を共にすると誓った劉備との契りを破ること、
劉備の奥方たちの身を守れぬこと、漢の再興を実現できぬまま死ぬこと。

「ここは、恥を忍んで機会をうかがうべき」
関羽はようやく、そう言う張遼の言葉にじっと耳を傾けます。

関羽は、曹操ではなく漢帝に帰順すること、奥方たちを優遇すること、
劉備の居所がわかれば出ていくこと。
この3つを条件に投降を決めます。

曹操は、3つ目の条件に対して難色を示しますが、
厚遇すれば自分に忠義を尽くすようになると考え、条件を飲みました。

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許都に身を寄せた関羽に、曹操はさまざまな貢物を贈り、厚遇します。
物品だけでなく美女10人までをも送って寄こす待遇に、関羽も困惑気味。

曹操は、うまい鹿の肉があればすぐにそれを届けさせ、
うまい酒があればすぐにそれを届けさせ・・・といった具合に、
関羽に次々と贈り物攻勢をかけます。

そんな様子を見て、曹操の部下の中には嫉妬の眼を向ける者もいました。
蔡陽などは、「やってらんねぇよ」という具合に愚痴ります。

まあ、当然ですよね。みんな曹操に目をかけてもらおうと必死で仕えているのに
新参者の関羽を、目に余るほど厚遇するのですから・・・。

しかし、当の関羽は何を贈られても素直に喜べず困惑、
曹操のために手柄を立ててもいないのに、いたたまれぬ思いをしていました。
劉備や張飛の行方も依然わからず、連日心配するばかりです。

それを聞いた曹操は、さらなる贈り物を用意させるのでした・・・。
次回は、あの名馬が久々に姿を見せます。


【このひとに注目!】
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◆喬国老 (きょうこくろう)
今回、ところ変わって久々に登場した孫策と周瑜。江東の美人姉妹(大喬、小喬)が奏でる琴の音色に聞き惚れ、その家を訪ねるシーンがある。姉妹とともに、その父親として登場するのがこの喬国老だ。
正史の「周瑜伝」では、橋公という名で登場する。孫策が周瑜に「橋公の2人の娘は確かに美女だが、我らを婿にできるのだから、2人も幸せであろう」と語ったと記録されている。出番はこれだけだが、大喬・小喬姉妹も含めて実在した人物である。



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2012年05月01日

こんばんは! 哲舟です。

皆さん、コメントや拍手、ありがとうございます。
執筆作業って、実は結構孤独なもので、とても励みになっています。

時間の関係で、なかなかご質問や要望にもお答えできていませんが、
いずれ時間ができたら必ず・・・と思っていますので、
これからもお待ちしています! よろしくお願いします。

さて、吉平(きっぺい)と、董承による暗殺計画を知った曹操は、
まず吉平を拷問にかけますが、追い込まれた吉平は口を割らず、
勢い良く、柱に頭をぶつけて自害。・・・ものすごい胆力です。

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それを目の前で見せられた董承も覚悟を決め、
献帝の詔勅も見つかって計画が露見、ついに処刑されてしまいました。

それでは飽きたらず、曹操は甲冑姿で宮中へ踏み込み、
献帝の側室であり、董承の娘である董貴妃を絞殺させてしまいます。

わが子をも宿している董貴妃が殺されるところを、
献帝は止めることができず、ただ黙って見ているしかありませんでした・・・。

「人、我に背くことゆるさじ」
今回はこの言葉こそ吐きませんが、曹操は容赦なく実践しました。
非情です。そして自分の娘である曹妃(そうひ)を献帝にその場で嫁がせ、
曹皇后としてしまったのです。これで献帝の義父ととなり、さらに権力が高まるのです。

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曹皇后の本名は曹節(そうせつ)といい、曹丕の妹にあたります。
彼女も、のちに悲劇的な末路をたどるのですが・・・それはまだまだ先の話。

足元の憂いを取り除いた曹操は、すぐさま劉備討伐のため、徐州へ向かいました。
曹操としては、袁紹が動く前にすばやく徐州を攻め落とす必要があります。
さもなくば、袁紹に留守中の許都を突かれてどうにもならなくなるからです。

軍師のひとり、程昱はそれを心配しますが、
荀彧は「袁紹には決断力がないから動くことはない」と見抜き、
そんな袁紹の性格を知る曹操もまた、徐州攻めを強行。
劉備もここに至り、反・曹操の意思をいよいよあらわにして迎え撃ちます。

その頃、袁紹陣営には、劉備が送った使者・糜芳(びほう)が到着していました。
糜芳はまず軍師の許攸に会い、出兵をうながします。

しかし、袁紹は幼い息子が病気にかかったことを心配するあまり、
なんと自ら介護にあたり、出兵を見送ってしまいました。
許攸が再三諫言し、しまいには大声で「愚かな主君!」と罵りますが、
袁紹はその許攸を棒叩き20回の計に処する始末・・・。

第18話で、呂布が病気になった貂蝉を心配して
出撃をやめるシーンがありましたが、あれと全く同じパターンで
戦機を逸してしまうのでした。

公私を混同するどころか、全軍の利を見捨てて私を優先させる・・・
こんな人物が、何十万もの人命を預かっているなんて、嫌になりますね。

まあ、すべての結果を知る後世の人間だから言えるのかもしれませんが。
結果として、袁紹は許都を奪う絶好のチャンスを逃すわけです。

さて、徐州では曹操軍と劉備軍が一進一退の攻防。
曹操軍20万に対し、劉備軍は5万足らず。
袁紹の援軍が頼みの劉備は、ひたすら猛攻に耐え籠城します。

下邳(かひ)を守る関羽は、徐州の加勢に行こうとしますが、
わずか8千の兵ではどうにもならないし、まして城を空けるなどもってのほか。
関羽は最高の武人ではありますが、優れた将軍とは言いがたい面があります。

側近の孫乾が「行くなら私の屍を乗り越えていってください」とまで諌めたため
関羽もようやく思いとどまります。この頃は、まだ素直な面もあるようです。

徐州へ帰った糜芳は、息を切らせ、袁紹の体たらくを劉備に報告。
「ハァ、息子の病で??!!」と、さすがの劉備もあっけに取られます。

援軍が来ない今、自力で切り抜けるしかなくなった劉備は、
曹操が一時的に包囲を解いたことを知り、夜襲をかけることを決めます。

しかし、それは曹操の罠であり、誘いでした。
劉備は、まんまとはまり、伏兵にあって大敗。
曹仁、徐晃、夏侯淵らがいっせいに襲い掛かってきました。

乱戦のなか、張飛や趙雲ともはぐれ、単身落ち延びていきます。
あらら、いつぞや陳宮の策に騙されたときと同じ失敗を・・・。
曹操にかかれば、劉備の策など子供の遊びのようなものかもしれません。

逃げに逃げた劉備は馬を乗りつぶしてしまい、
ひとり絶望にうちひしがれます・・・。敗戦のショックと己の無力さを嘆き、
とうとう崖から身を投げようとしたとき、一隊の軍馬が現れました。


【このひとに注目!】
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◆糜芳(びほう)
 生没年不詳
劉備が陶謙に徐州を譲られたころから登場し、主に使者として駆け回っている恰幅の良い武将。元々は陶謙配下で、兄の糜竺(びじく)とともに劉備に仕えた。本作では糜竺は登場せず、糜芳のみに多くの出番が与えられている。劉備の妻、糜夫人の兄でもあるため、重用されているようだ。これといった長所のない人物だが、原作でもドラマでも終盤まで登場し、物語のキーマンになるので、よく顔を覚えておきたい。



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2012年04月30日

こんばんは! ストーリー・テラーの哲舟です。

大型連休の真っ只中ですね。
どこかへ旅行や遊びになど行かれている方も多いでしょうから、
番組やブログを見てくれる人が減ってしまうだろうなぁ、と思いつつ、嘆きつつ・・・
連休中も休みなく、月~金は、番組・ブログとも継続してまいります!

さて、劉備は曹操から兵を預かり、袁術討伐のため徐州へ向かいます。
そこへ、曹操が派遣した張遼、許楮(きょちょ)が追いかけてきました。
曹操は劉備がこのまま戻らないのではないかと危惧し、追手を差し向けたのです。

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劉備はそれと知るや、臨戦態勢をしいて迎えます。
さすがの張遼たちとて、500の兵しか連れてきていない状況では、
5万の劉備軍を前に、何もできぬまま引き返すしかありませんでした。

劉備がここで言った、「将、外にありては君命も受けざるところあり」という言葉。
これは「孫子の兵法」の著者として知られる、春秋時代の名将「孫武」が言ったとされます。

古代中国では、君主から遠征軍を預かった将軍は、その全権を任されました。
全権を任せた以上、現場の状況を把握していない君主は口を出すべきではないし、
将軍も、たとえ君主の命令が来たとしても無視して良い、ということです。

うまく曹操の追手を追い返した劉備は、逃亡中の袁術軍を攻撃。
とうとう小さな砦の中へと、袁術を追い詰めました。
袁術軍との戦闘シーンは省略され、あっさりとした描写にとどまっています。

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袁術は、この期におよんでも玉璽(ぎょくじ)を手放さず、
「喉が渇いた。蜜の入った水が飲みたい」という迷言を吐きますが、
すでに飲み水さえありません。
かつて、華やかな反董卓軍の副将格だった男が、追い詰められています。

そこへ劉備の使者・趙雲が自決を勧める密書を持ってきました。
打つ手のなくなった袁術は、それを認めて自害し、見事な最期を遂げます。

最後は潔く、ためらいも見せずに逝ったところは立派といえましょう。
かくして袁紹と同族の名門、袁術は滅びました。時に西暦199年。

袁術が持っていた玉璽は、劉備が曹操へと送り返しました。
劉備の率いた軍には、お目付け役として曹操が同行させた朱霊と路昭という
2人の将軍がいましたが、彼らはまんまと劉備に出し抜かれ、
兵を奪われてやむなく帰還してきました。これには、さすがに曹操は大激怒し、2人を斬首。

さらに、劉備は狡猾さを発揮し、
徐州の守将・車冑(しゃちゅう)を奇襲し、たちまち徐州を自分のものにしてしまいました。
劉備を侮っていた曹操は、報告を聞いて昏倒してしまいます。
倒れた曹操の看病役として、息子の曹丕・曹植兄弟が早くも初登場です。

曹操の兵を借りたまま、徐州一帯を手に入れた劉備。
怒った曹操が近々攻めてくると読み、河北の袁紹へ使者(糜芳)を派遣します。
袁紹軍に曹操を攻めさせ、挟み撃ちにする作戦です。

袁紹にとっても、劉備との共同作戦は曹操を倒す絶好のチャンス。
しかし、袁紹陣営は一枚岩ではありません。

袁紹の参謀には、積極派の郭図と許攸、慎重派の田豊の3人がいます。
彼らは、ことあるごとに対立して反対のことを言い、
優柔不断な袁紹をますます混乱させます・・・。

許攸が、「敵を知り、己を知れば百戦してあやうからず」と励ましたことで、
いよいよ袁紹は30万を率いての出兵を決意。
袁紹は文才に優れる陳琳に檄文をかかせ、全軍の士気を高めます。
この報は許都の宮中にも届き、献帝を喜ばせました。

檄文の内容は、曹操の出自に対する皮肉に満ちたものでしたが、
それを読んだ曹操は怒るどころか、「名文だ」と感心したぐらいです。

いよいよ袁紹軍が動くと聞いて、曹操は重臣たちを集めて軍議を開きます。
孔融が「袁紹とは戦うべきではありません」と和睦を提言しますが・・・。

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それを制し、荀彧(じゅんいく)が「袁紹の十敗、主君の十勝」を主張し、
その根拠を分析したうえで、徹底抗戦を勧めました。(左にいるのが孔融)
曹操は荀彧の意見を採用し、袁紹を迎え撃つための準備を命じます。

実は、この「袁紹の十敗、主君の十勝」を分析したのは、
原作では郭嘉の役割なのですが、ここでは姿が見えず荀彧がその任を負っています。

さて、一方で董承が進めている曹操暗殺計画。
劉備はなかなか戻ってこないし、袁紹が攻めて来るのを待ち切れず・・・
曹操の侍医である、吉平(きっぺい)が董承と密談し、計画を練っていました。

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吉平は、曹操に処方する薬の中に毒を盛って暗殺しようとしますが、
さすがは用心深い曹操。董承の使用人の密告で事前に知っていたのでしょう。
曹操は薬を投げつけて吉平を捕らえ、計画は失敗に終わってしまいます・・・。


【このひとに注目!】
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◆陳琳(ちんりん) ?~217年
建安七子の1人で名文家として知られる。はじめは大将軍の何進に仕え、その死後は冀州に逃れて袁紹の参謀となった。「官渡の戦い」の前に、袁紹の命令で「曹操打倒」の檄文を書く。その内容は痛烈なもので、曹操の祖父や父たちをも辱め、「曹操は宦官の子」などと罵倒。
のちに曹操に捕らわれたとき、陳琳はその檄文を読まされ、なぜこれほどの内容の檄文を書いたのか問われると、「引き絞った矢は、放たぬわけにはいかない」と言い、その気骨と才を惜しんだ曹操に用いられることになる。


【今週の放送スケジュール】
2012年5月1日(火) 17時~ 第22話「三兄弟離散す」
2012年5月2日(水) 17時~ 第23話「関羽、三事を約す」
2012年5月3日(木) 17時~ 第24話「白馬の戦い」
2012年5月4日(金) 17時~ 第25話「単騎、千里を走る」
 



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