第41話~第45話

2012年06月01日

皆さん、こんばんは! ストーリー・テラーの哲舟です。
さあ、早くも今週も金曜日。ひと区切りの日ですね。早速、参りましょう。

「わしを襲った刺客は、まだ許都に留まっているはず。
 そなたたち、この刺客をどうすべきだと思う?」


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曹操は、4人の息子たちにこう訊ねます。すると、右端にいた
二男の曹彰(実際には四男ですが、本作では二男として扱います)が・・・

「即刻城門を封鎖し、城内をくまなく調べましょう。
 日没までに刺客どもを捕らえ、成敗して見せます!」
と、自信たっぷりに言います。

曹彰(そうしょう)は、父の武の才能を継ぎ、猛獣とも格闘することができたと
言われるほどの腕力と武勇をもった豪傑です。(年齢不明ながら20才前後か)

「加えて、懸賞金をかけましょう。すべての民を動員すれば
 賊に身を隠す場所はありません」
と続けたのは、三男(実際は五男)の曹植17才。
詩の才能は父以上で、後世、唐の李白や杜甫に並ぶ詩人という評価を受ける男です。

弟たちに先をこされ、長男(実際は三男)の曹丕22才は、
「2人の言うとおりです・・・」と付け加えるしかありません。

すると若干13歳、四男(実際は八男)の曹沖(そうちゅう)が、
「城門を開けて、刺客を逃がすべきです。
 しくじった刺客など成敗しても意味がありません。
 むしろ(刺客を放った)馬騰に父上のご無事を報告させ、慄かせるべきです」
と発言。

曹操はこれに感心し、「その通りだ。そなたらは、何故このように考えられない」
ほかの3人を叱り、曹沖を連れて自邸へ帰りました。

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傍らにいた司馬懿(しばい)は、その様子、とくに曹丕を見て何かを感じたようです。

馬騰、韓遂は、曹操がいない間に許都を襲撃しようとしていましたが、
曹沖の読み通り、曹操の無事を知って撤退したようです。

面目を失った曹丕は、師父の陳羣(ちんぐん)に相談に行きます。
新たに曹操に召抱えられた司馬懿について、その実力を知る陳羣に尋ねると、
陳羣は「私ごときは足元にも及びません。彼は孔明、周瑜に匹敵します」と評価。
「そんなにすごいのか・・・」と驚く曹丕。

曹丕は、司馬懿が曹沖の師父に任じられたことで自分が、ないがしろにされ、
弟の曹沖が後継者として台頭しつつあることに、危機感を募らせるのです。

曹丕から、司馬懿の動向を調べるよう頼まれた陳羣は、
彼に会って曹操に仕えることにした真意と、曹沖のことを訪ねます。
司馬懿は、陳羣の来訪が曹丕の頼みであることを見抜いていました。

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そこへ、曹沖が重篤となったと報告が入ります。
先刻まであんなに元気だった曹沖が・・・。

医師は、見舞いにきた曹操に、毒鼠(どくねずみ)に腿を咬まれ、
すでに毒がまわって助かる見込みがないと告げます。

毒鼠など、実際はいるはずがないことを曹操はいぶかしみます。
荀彧は、これは毒鼠などではなく、毒蛇に咬まれたものだと見抜きます。
その毒蛇は、何者かによって、曹沖の屋敷にしかけられたもの。
犯人は、曹操の息子のうちの一人に違いないと・・・。

荀彧は口ごもりますが、しつこく曹操に尋ねられ、こう漏らします。
「曹沖様の死が誰にとって一番、益をもたらすか・・・」

そこへ、曹丕も毒鼠に咬まれて重体に陥ったと報告が入りました。
驚いて曹丕の屋敷に出向く曹操。

曹操は、曹丕が首謀者であると怪しんだのですが、その矢先、
曹丕もまた、毒にやられて寝込む有様。
曹彰と曹植は、それぞれ狩りや酒宴に出かけ、留守でした。

曹沖は、看病の甲斐なく死亡し、曹丕は回復へ向かっていると診断されます。
曹操も珍しく、息子たちの死と危難にうろたえ、父の一面を見せました。

曹沖は明らかに暗殺された・・・。
「誰が殺したのか?」との疑念は消えません。

曹操は曹沖の「棺の間」を自ら偵察します。
棺の間は曹操の息子たちが寝ずの番をしていますが、すでに3日経っています。
曹操の見立てでは、罪なき者は眠り、罪ある者は後ろめたさから寝ていないはず。

曹操が見に行くと・・・やはり、起きていた者が一人だけいました。
首謀者に気づいた曹操ですが・・・
戻って荀彧に、「やはり曹沖は毒鼠に咬まれて死んだ」といい、
このことには二度と触れるな、と命令するのでした。
曹操は、賢すぎる曹沖は、いずれ殺される運命にあったことを悟ったようです。

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次の日、曹丕は司馬懿を訪ね、自分の師父となってくれるよう依頼します。
司馬懿は、曹沖の喪に服し、3年の間御霊を守るといって城を退去していました。

曹丕の後、陳羣も司馬懿を訪ねてきます。
司馬懿には、曹沖が一番聡明であるがゆえにその才を隠せず死を招いたこと、
その一方で、忍耐強い曹丕こそが曹操の後継者に一番ふさわしいこと、
そしてまた、結局だれが曹沖を殺したか・・・悟っていたようです。
一時、表舞台を退いた司馬懿は、この後どう振舞うのでしょうか。

そうそう。「司馬懿が30歳に見えない」とのご意見がありましたね。
たしかに役者の倪大紅(ニー・ダーホン)は1959年生まれなので今年54歳。
ドラマの撮影時は、50歳ぐらいだったと思われます。

ライバルとなる孔明役の陸毅(ルー・イー)は
1976年生まれの36歳だから、だいぶ差がありますね。
史実では、司馬懿が孔明より2歳上という程度なのですが(笑)。

まあ、司馬懿については、これから司馬懿がドラマの中で
歳を重ねていくと相応に見えてきますから、ご心配なく。


【このひとに注目!】
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陳羣(ちんぐん) ?~236年
司馬懿の幼なじみとして登場する政治家。ドラマでは曹丕の師父としても活躍。正史においては194年、豫州刺史の劉備に登用されて世に出た。曹操が徐州を攻略したとき、徐州にいた陳羣は降伏し、仕官する。以後は曹操の側近として活躍するが、誠実な性格のため、不真面目な郭嘉とはそりが合わなかったという。220年、曹丕が曹操の跡をついで王位に就くと、「九品官人法」を建議し、採用された。九品官人法は中国における人材登用の基本制度となり、後世に強い影響を与える。次代の曹叡の代まで生きた。

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2012年05月31日

皆さん、こんばんは! 哲舟です。

いただいたコメントの中に、
「地理関係が分かりにくいので、地図などで説明してほしい」という
ご要望があり、私も至極もっともだと思いました。

そうですよね。たとえば許都とか、赤壁とか、烏林とか、地名を出したって、
初めて三国志に触れる人には、中国のどのへんにあるのか分かりませんよね。

曹操がどのように領土を拡大したのか、
劉備がどんなルートをたどって荊州まで逃げたのか、
そもそも荊州が広いと言うけど、どのぐらいの大きさなのか・・・
など、地図で説明できれば、どんなにか分かりやすいでしょう。

そういう地図が、時々ドラマに出てきてくれると一番いいんですが、
ドラマには一切出てこないんですよね。これは残念な部分でもあります。
ぜひともこのブログで、地図を作って説明したいところなのですが、
しかし、なかなか、その時間がありません・・・。

昨年発売された『三国志ThreeKingdoms 公式ガイドブック』(上・下巻)には、
各話ごとの関連地図や、主要な合戦の図解などが載っており、
資料としてもかなり優れた本なので、お勧めしたいのですが、
すでに在庫が少ないようで、ネット上でも値段が高騰してしまっています。

したがいまして、書店で一般的な三国志のガイドブックを探していただくのが
一番手っ取り早いといえます。今のところ、ご期待に添えず申し訳ないです。

さて、これまで一介の馬丁としてひそかに従軍していただけの司馬懿。
これまで仕官要請を断っていた理由を、曹操に話します。
それは「県令」という小さい役職に対する不満からだといい、
また、強い者に力を貸すのではなく、本当に力を必要とする者に
自分の才能を貸したいと思っていたと、大胆にも言うのです。

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今、曹操は赤壁に敗れ、自分の才を活かすに足る時が来たとして、
司馬懿はようやく仕官することに同意します。
なかば、曹操の脅しで無理やり納得させられたような形ではありますが・・・。

曹操が司馬懿にとりあえずの役目として与えたのは、
息子・曹沖に勉学を教える補佐役でした。
曹操は自分一代で天下統一を成し遂げられない場合を想定し、
優れた後継者を育てる必要があると悟ったのです。

曹操は、久しく留守にしている華北(許都)へ引き返すことを決めます。
都へ戻り、軍を立て直さねばなりません。

曹操が引き返したと知るや、南郡は必ず孫権や劉備の
攻撃対象となるため、従弟の曹仁に守らせ、十分な備えで臨むよう伝言します。

そこに、西涼の有力者である、馬騰(ばとう)と韓遂(かんすい)が、
曹操がいない間に準備を整え、
8万の大軍で許都に攻め込もうとしている・・・との知らせを受けます。

敵は孫権や劉備だけではありません。西にもいたのです。
曹操は頭をなやませ、頭痛を発して倒れ、
気分が悪くて馬に乗れないために馬車に乗って帰途につきます。

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そのころ、許都では留守をまもる荀彧(じゅんいく)や、
曹操の息子たちが、帰還する曹操を迎える準備をしていました。
荀彧が久しぶりの登場。彼でなくては、曹操の留守は守れません。

荀彧は、翌日に曹操が帰還することを公表し、
南門を清掃させ、出迎えの準備をさせます。

曹丕(そうひ)は、荀彧に曹操が帰還する情報を聞き、
曹操の嫡男として、第一の後継者候補として、
まっ先に曹操を出迎えようとしますが、
荀彧に「お迎えは無用」と止められます。

荀彧が言うには、曹操は明日には戻ってこないと言います。
曹操の帰還を公表したのは、馬騰と韓遂への牽制。
曹操が帰ったと知れば、馬騰と韓遂は攻撃を躊躇するためです。

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翌日、荀彧と曹丕は南門で曹操の到着を待ちます。
曹丕は、「曹操は今日は戻らない」と荀彧に言われたにも関わらず、
ほかの兄弟には黙って、あえて出向いてきたのです。

しかし、自分だけだと思っていたところに、末弟の曹沖もやってきました。
曹沖の聡明さに改めて驚いた曹丕は、末恐ろしいという感情さえ抱きます。

そのころ、曹操は馬車の中で頭痛に苦しんでいました。
頭痛は持病であり、この先も終生、曹操を苦しめることになります。

立ち小便を済ませ、すっきりした曹操は、
心配して見に来た司馬懿に謎かけをします。
「足の裏が、顔や足より白いのは何故か?」

司馬懿が「分かりません」と返すと、
「常に隠れているからだ」と答えます。

この、「隠れている」とは司馬懿のことを言っているのでしょう。
曹操は、司馬懿が自分を恐れてまだ全ての力を出さずに
才能を隠していることを見抜いており、それを暗に司馬懿に知らせたのです。

まさに、能ある鷹は爪隠すといったところ。

司馬懿は曹操の警戒心を解くため、
馬車の周りの砂を払い、自ら踏み台となって曹操を馬車に乗せます。
そんな司馬懿の小芝居の意図を知ってか知らずか、
曹操は、かがんだ司馬懿の背中を踏みつけて自分だけ乗り、先を急がせます。

曹操は、司馬懿の才能を明らかに危険視しているのですが、
この危険な男を使いこなしてこそ、天下を得られると見ているのでしょうか。
なぜ、曹操がそれほどまで司馬懿を危険視するかは、後々わかりますが、
深い描写です。

さて、許都では曹操の帰還を、今か今かと諸官たちが待っています。
結局、その日は戻らないと知って荀彧が帰るよう促しますが、
曹丕は、曹操が夜を徹して戻ってくるのではないかと思い、
その場で待ち続けるといいます。

曹丕は、兄弟たちを出し抜いて曹操を一番に迎えることで、
曹操の歓心を買い、自分が後継者であることをアピールしようとしているのです。
もちろん、長兄としてのプライドもあるでしょう。しかし、なかなか曹操は戻りません。

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3日目になり、ようやく曹操の馬車が到着。そこへ、馬車に向けて矢が射かけられます。
西涼軍が曹操を暗殺するため、刺客を送りこんできたのです。
馬車の中の人物は射抜かれて車から転げ落ちますが、
それは曹操ではなく影武者でした。

そのとき本物の曹操は、西門から入城を済ませていました。
そこでは八男の曹沖が曹操を迎えます。

0531-007
南門で荀彧が3日間も諸官を待たせていたのは、西涼軍へのまやかしでした。
幼い曹沖はそれを見抜き、兄たちを見事に出し抜いたのです。
幼子の聡明さに満足した曹操は、曹沖に司馬懿を紹介し、師父として崇めるよう諭します。

そこへ長男の曹丕、次男の曹彰、三男の曹植が慌ててやってきます。
曹丕は、刺客を取り逃がしてしまったことを曹操に報告。
そうと知るや、曹操は4人の息子たちが揃ったところで、謎々を出します。

「わしを襲った刺客は、まだ許都に留まっているはず。
 そなたらは、この刺客をどうすべきだと思う?」

さあ、息子たちは、これにどう答えるでしょうか?
皆さんも考えてみてください。また明日をお楽しみに!


【このひとに注目!】
0531-003
◆曹沖(そうちゅう)
曹操の八男。曹丕、曹彰、曹植の弟。この年13歳。幼くして学問を好み、曹操に処罰されそうになった倉庫番をかばうなど優しい心を持っていた。
以前、曹操に孫権から動物の象が贈られてきたことがあった。曹操はその重さを訊ねたが、誰も答えられる者がいない。曹沖はそのとき、「象を船に乗せ、船が沈んだ水面の所に印をつけ、その後で象と同じ高さになるまで重しを乗せ、その重さを量ればいい」と答えて曹操を喜ばせたという。
曹操は曹沖を溺愛し、嫡男の曹丕ではなく曹沖を後継者にしようと考えていたとされるが・・・。


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2012年05月30日

こんばんは! 哲舟です。

ちょっと書き忘れていましたが、昨日までで第3部「赤壁大戦」が終わり、
本日、第43話からは第4部「荊州争奪」に入ります。

「赤壁」は終わりましたが、三国志の物語は、むしろこれから。
というか、まだ「三国」すら出来ていませんからね・・・(笑)。
今回のタイトルからも分かるように、
新たな知将、策士、豪傑も続々と登場してきますので、これからもご期待ください!

208年、赤壁の戦いで、孫権・劉備連合軍5万は曹操軍83万を破り、
大勝利を挙げましたが・・・。実は、ここからが問題山積み。

一番の争点となるのは、荊州問題でした。
これより先は、曹操軍が撤退した後、
空白地帯となった荊州北部を、孫権と劉備が奪い合うことになります。

肥沃な土地、交通の要衝でもある荊州。
これが欲しいのは、劉備だけではなく孫権も同様です。
天下の主導権は、荊州を得た勢力が握ると言っても過言ではありません。

まさに、昨日の味方は今日の敵。
にわかに敵同士となるわけではありませんが、
諸葛亮(孔明)も、周瑜も、勝利してなお喜ばず、
それぞれ勝ちに乗じて、今度は独力で荊州を奪うための準備に移ります。

周瑜の本陣には、吉報が続々ともたらされていました。
そこへ孫権が戦勝祝いに訪れ、周瑜をねぎらいます。
周瑜は次なる展開を孫権に告げたうえで、
まずは荊州の様子を探るため、さっそく魯粛を劉備のもとへ派遣しました。

曹操が、はたして劉備軍によって討たれたかどうか。
戦の常道としては、敵の大将を自軍が討ち取ってこそ勝利の証であり、
大手柄ですが、周瑜はそうは考えません。
自軍の手を汚さず、劉備軍の手で曹操を討たせることが
最上の勝利と考えていたのですが・・・。

さて、夏口(江夏)の劉備陣営に魯粛が訪れます。
魯粛を迎え、まずは祝杯をあげる劉備たち。

そこへ、華容道から関羽が帰ってきました。
みな、曹操を討ち取って大手柄をあげたものと思い、喜んで迎えますが、
当の関羽は「曹操を取り逃がした」といって悄然としています。

0530-007
この大失態に、諸葛亮も魯粛も大激怒。軍令状を突き付けて関羽を責めます。
孔明は軍法に照らして処刑を言い渡しますが、
張飛がそれを食い止め、孔明に剣を突き付けます。が、劉備が「無礼者!」と一喝。

3人には「桃園の誓い」があります。誰かが死ねば、残り2人も死なねばなりません。
この誓いを守るため、とはいえ軍法にも逆らえず劉備は先に自決すると言い出します。
死なせてほしいという関羽、先に死ぬという劉備、それに続こうとする張飛。

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放っておけば、3人とも死んでしまいそうな勢いに、
魯粛は、「劉備殿に死なれては困る」といい、
見かねたふりをして彼らをなだめ、孔明に許しを乞います。
孔明はそれでようやく関羽の罪を許しました。

孔明は関羽が曹操を殺せないことを知っていたうえで
わざと華容道を守らせ、あえて曹操に活路を与えたのです。

また、関羽を処刑しようとしたことも芝居でした。
本当に殺すつもりはなく、公の場で関羽を軍法に問うことで、罪を清算させたわけです。
処刑を自分から止めず、魯粛に止めさせることで、軍律や体面を保ちました。

実は魯粛も、孔明の意図を見抜いていましたが・・・
あえて劉備との同盟を保つために、その芝居に乗ったのです。
魯粛もまた、「ただの良い人」ではありません。賢人です。

自陣に帰った魯粛は、孫権と周瑜にそれを報告。
魯粛は孫権が天下を取るには、劉備との共同・両立が不可欠と見ていますが、
周瑜は孫権・劉備の両立はあり得ないとして、真っ向からそれに異を唱えます。

周瑜と魯粛、同じ志を持ちながらも、その戦略には大きな隔たりがあります。
それが後々にも影響してくるのですが・・・。

いっぽう、南郡へと退却した曹操は、敗戦の傷をいやす日々を過ごしていました。
曹操は食事にも手をつけず、静かに床に横たわっています。

前線基地があった烏林から、続々と曹操軍の将兵が敗走のすえに戻ってきていました。
許褚(きょちょ)が、3000の直属の部下を失ったといって号泣しているときき、
曹操はそれをなだめに行きます。すでに曹仁、曹洪らも戻ってきています。

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手塩にかけて育てた精鋭たちを亡くし、なかなか泣くことをやめない許褚。
曹操は「勝敗は兵家の常。3千の兵が死んだなら3万の兵を与える」といって、
無理に笑わせ、起きあがらせ、太鼓を叩くよう命じます。
仕事を得た許褚の顔に、もう涙はありませんでした。

太鼓の音に、全軍集合してくる曹操軍の兵たち。
曹操は将兵を前に、今回の敗因の分析を始めます。

曹操は80万が5万に負けたのは、自分も含め、
将兵が連戦連勝に驕りたかぶっていたからであり、
それで計略を見抜けず、負けるべくして負けたと言って将兵に説いて聞かせます。

曹操は今回の敗戦は致命的なものではないと続けます。
依然、曹操軍は中原を有しており、朝廷もわが軍のうちにあること、
そして劉備と孫権はいずれ、領地をめぐって争うであろうと言います。
曹操の将兵も元気づけられていきます。

そのとき、軍営の片隅で眠りこける一人の男の姿がありました。
曹操は「けしからん」といい、その場では追い出すよう命じますが、
その只者でなさそうな様子が気になったのか、後で単身、男のもとを訪ねます。

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男は、「赤壁の敗戦は奢りでも失策でもなく自然の道理」といいます。
にじり寄る曹操。

「人心は漢室にあって曹操にはない」
「孫権・劉備のどちらを攻めても今は無理。10年後に南征すれば勝利を得られる」

先ほど将兵に聞かせたことは建前であったことを、男は見抜いていました。
曹操は、自分とまったく同じ見識を持つ彼に目を見張ります。

ただ10年というのは自分の見積りより、少々長かったようです。
「10年か。あと10年生きられるかどうか・・・」と、曹操は自問します。

男は曹操の詩「短歌行」の写しまで所持し、感嘆したと口にします。
曹操はその卓見ぶりから、彼の正体を司馬懿(しばい)だと見抜きます。

司馬懿は若くして俊才として知られ、その評判は、
曹操の本拠地である豫州(許都があった土地・現在の河南省)に鳴り響いていました。

曹操はかねてから、司馬懿を登用したいと思い、
「捕らえてでも連れてこい」と部下にいって探させていたのですが、
彼は長らく身をひそめ、仕官を拒み続けていました。

0530-004
司馬懿、あざなは仲達(ちゅうたつ)。このとき30歳。
その軍才は、曹操・孔明・周瑜に引けをとらぬばかりか、
彼ら以上といえるかもしれません。いわば、三国志・最強の軍略家。
この司馬懿を早くから召抱えていれば、
曹操が赤壁で負けることはなかったかもしれません。

ではなぜ、いままで彼は曹操に仕えようとしなかったのでしょうか・・?
それはまた次回。


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2012年05月29日

こんばんは! 哲舟です。
さあ、いよいよ三国志・中盤のクライマックス、「赤壁の戦い」が本番を迎えます。

ストーリーに入る前に、これまでに、
孫権・劉備(周瑜・諸葛亮)連合軍が打った布石を振り返りましょう。

1.総大将・孫権に抗戦を決意させる。
2.蒋幹をだまし、曹操陣営の水軍都督、蔡瑁と張允を始末させる。
3.水上戦のために必要な10万本の矢を曹操軍から奪う。
4.黄蓋の偽りの投降を、曹操に信じ込ませる。
5.火攻めに有利となる東南の風が吹き、風上に立つ。

0527-033
もう、ここまで来たら、孫・劉連合軍に負ける要素などいっさいありませんね。
周瑜は、これらの総仕上げに諸葛亮(孔明)の命を奪おうとしましたが、
取り逃がしたために失敗。その代わりといってはナンですが、
すでに「用済み」となった蔡和、蔡中の首を斬って戦陣の生け贄としました。

述べるまでもありませんが、蔡和、蔡中の2人が曹操から送られたスパイであることは、
周瑜は最初から見抜いており、自分と黄蓋が不仲であることを
彼らに見せ、それを曹操に報告させるよう仕向けたのです。
曹操からも周瑜からも良いように使われた兄弟、哀れな末路といえます・・・。

そのころ、無事に劉備のもとへ戻った孔明は、
敗走するであろう曹操を追跡する役割を各武将に指示しますが、
ただ一人、関羽にだけは何の任務も与えず留守番を命じます。

憤慨した関羽が、その理由を問うと、
「あなたは曹操に恩があるため、出会っても殺せないはずです」と孔明はいいます。
関羽は誓約書を記し、必ず曹操を討つと約束したため、出陣を許されました。

さて、曹操の水塞では、約束の日を迎えて
投降してくるはずの黄蓋(こうがい)の船団を迎えようとしていました。
まっしぐらに舟を進め、水塞に突き進む黄蓋。
百叩きの刑で体中についた傷も、どうにか癒えてきたようです。

ドラマではあまり触れられていない部分ですが、
このころ、曹操軍の中では慣れない風土に長期滞在していたため
疫病が蔓延し、満足に戦える兵が少なかったようです。
一応、それを念頭に入れたうえでこの先の展開を観ていただくと良いでしょう。

曹操の周りには、軍師の程昱(ていいく)や都督の于禁(うきん)がいます。
彼らは黄蓋の舟の速度が異様に速いことを怪しみ、
曹操も、ようやくこれが「偽りの投降」だと見破りますが、時すでに遅し。

黄蓋の舟は、みずから火を帯びて燃える弾丸と化し、一気に曹操の水塞に突っ込みます。
さらに、後続の舟も続き、それを合図に火矢が次々と射掛けられました。

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火は東南の風にあおられ、たちまち曹操の船団に着火し、燃え移っていきます。
しかも、曹操の船団は安定度を増すために鉄の鎖でしっかり結ばれているため、
それが仇となって離れようにも離れられず、次々と燃え広がるばかり・・・。

0527-020
こうして、「赤壁の戦い」は曹操軍が準備をする間もなく、
孫権軍の先鋒、黄蓋の奇襲によって始まりました。
まあ戦争は「何日の何時から」と決めて、するものではありませんが。

すでに炎の中に包まれた曹操軍の将兵は、満足に応戦もできません。
こうなっては、80万の大軍はまさに烏合の衆。進むことも引くこともままならず、
火にまかれ、煙に苦しみ、河に飛び込み、壊乱状態に陥ります。

0527-021
船団が燃え、焼け崩れる様子を呆然と眺める曹操。
江東制覇の野望が、灰燼に帰した瞬間です。
曹操は部下にうながされ、舟を降りて陸へ戻り、退却にかかります。

烏林の本陣を出て、西へと逃れた曹操。
しかし、その途中で趙雲、張飛の伏兵に襲われ、
敗残の兵はたった27騎まで打ち減らされてしまいました。

曹操は、周瑜や孔明の追撃の仕方が緩いことに気付き、
彼らが牽制しあっていることを知ります。
孫・劉連合といっても、やはり形だけで互いに漁夫の利を
得ようとしているのだという悟り、それを笑いました。

曹操が華容道にさしかかったとき、今度は関羽の軍勢が待ち受けていました。
孔明は、曹操が煙のあがっている道を通るであろうことを予測し、
裏の裏をかいて関羽を配置しておいたのです。

戦い疲れ、退却につぐ退却で疲弊しきっている曹操以下の将兵は、
もはや抵抗する気力もありません。絶体絶命です。

しかし、義理堅い関羽の性格を知る曹操は、
その関羽の心に訴えてみることにしました。

曹操に厚遇された恩を、決して忘れてはいない関羽ですが・・・
「そのご恩には、顔良・文醜を斬って報いたはずです」と、返します。

しかし、曹操は 「五関で我が将を斬ったことを不問にし、
 三兄弟を再会させた恩もあるぞ」
と続けました。

それを聞いた関羽は、「確かにそうだ」と戸惑いの表情を見せます。
曹操は斬らなければならないが、とはいえ義は無視できない・・・。

0527-011
 「わしは断じて楚囚の辱には耐えられぬ。昔の恩情を思うなら
 この剣を受け取り、我が首を刎ねよと」 
曹操はさらに続けます。

曹操の部下たちの中には、旧友の張遼や、
許都で同じ釜の飯を食ったであろう程昱、徐晃らも居ます。
彼らは泥にまみれた姿で、主君とともに死ぬと口々に言い、涙にくれます。

その哀れな姿を見た関羽は、かつて自分が曹操軍に包囲され、
死を覚悟したときのことを思い出したのかもしれません。

それに、弱っている者を斬ることは、武人の美学、彼の信条にも反します。
この戦乱の時代に「甘さ」は禁物なのですが、
これもまた、関羽という孤高の武人の生き様・・・。

「道をあけてやれ」

関羽は静かに命じます。
窮地を脱し、曹操軍はそろそろと退却していきます。
曹操は関羽が自分を殺せないことを知り、自分を斬ってくれと懇願しますが
関羽は突っ立ったまま、曹操を立ち去らせます。

これまでのこともあり、曹操はこれも計算で言ったのかもしれませんが、
半分は、関羽にならば本当に斬られてもいいと思ったのかもしれません。
弱気な曹操を見るのも、たまには良いですね。
こうして、「赤壁の戦い」は連合軍の圧勝で幕を閉じました。

0527-004
曹操を見逃してしまったことを悔い、「軍師に会わせる顔がない」と
自害しようとしますが、息子の関平、周倉らに止められます。
思いとどまった関羽は、軍法に照らしてもらうことにして本陣へ帰っていきます。
しくじった関羽に、孔明はどのような裁きを下すのでしょうか・・・?


【このひとに注目!】
006
◆馬謖(ばしょく) 
190~228年
劉備の陣営に戻った孔明の助手として、早くも初登場。荊州の名門、馬氏の五人兄弟の末っ子で、のちに長男の馬良も登場する。馬謖もまた、優れた才能の持ち主で、軍略を論じることを好み、孔明に高く評価され、寵愛を受ける。本作においても、孔明の右腕としてこの先も長く活躍するが・・・。

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2012年05月28日

こんばんは! ストーリーテラーの哲舟です。
今週もよろしくお願いします。

さて、前回は周瑜と諸葛亮(孔明)が、
「火攻め」の策で意見を合わせたところまででしたね。

そんな折、周瑜の陣中を蔡和(さいか)、蔡中(さいちゅう)という
2人の男が訪れ、投降を申し出てきました。

この2人は、曹操に処刑された蔡瑁(さいぼう)の弟で、
曹丕の密命を受け、スパイとして送り込まれてきたのです。
それを知ってか知らずか、周瑜はあたたかく彼らを迎え入れます。

その後、周瑜の陣営で軍議が行われます。
周瑜は、3ヶ月分の兵糧を用意したといって、
持久戦の用意をするよう、諸将に告げました。

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すると、黄蓋(こうがい)という老臣がそれに異をとなえ、
「ここに駐屯して、すでに半年もたっている。いつまで留まるつもりだ!」
周瑜の作戦を批判したうえ、その無能ぶりをさんざんに嘲ります。

無礼な物言いに激怒した周瑜は、「黄蓋を斬れ!」と命じます。
ただ、黄蓋は孫堅以来3代にわたって仕えてきた功労者。
程普、韓当といった同僚の将が必死で助命を嘆願します。
甘寧(かんねい)も、ここに初登場しています。

それを受け、周瑜は一命は助けることにしますが、
代わりに100回の棒叩きを命じました。

引き出され、背中や足腰を激しく叩かれる黄蓋。
叩かれながらも、「この若造!」と、周瑜への罵りをやめません。
皮膚は破れ、肉が裂け、両足の骨が折れるほどの厳刑です。

周瑜、黄蓋という敵の主たる将の不仲・・・。
それを見て、潜入したばかりの
蔡和、蔡中は密かにほくそ笑み、その様子を曹操に報告。

黄蓋も、曹操へ密書を書き送り、
周瑜への恨み事を連ねたうえ、投降を申し入れます。
戦いを前に、曹操軍へ寝返ることを約束したのです。

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曹操は、黄蓋の書簡だけでは信用しませんでしたが、
蔡和、蔡中の報告を聞いて裏付けが取れたとして、
黄蓋の裏切りが本物だと信じることになります。

お分かりのように、黄蓋の一連の行動は、すべて芝居です。
ひそかに周瑜と打ち合せ、公の場で周瑜に盾突いて
不仲であることを蔡和、蔡中、ひいては曹操に信じ込ませようとしたのです。

一説によれば、これは黄蓋が自分から申し出た策で、
己の身を犠牲にしてまで、敵を破るために尽力したのだとか。

これが有名な「苦肉の策」
言い換えれば、肉を切らせて骨を断つ、といったところでしょうか?
現代社会でも、よく使われていますね。

それを知っていたのは、初めは孫呉の陣中でもごくごく少数の者。
周瑜、黄蓋のほかには魯粛ぐらいでしたが、やはり、孔明は即座にそれを見抜きます。

「なぜ、黄蓋が叩かれることを止めなかったのです」と孔明をたしなめる魯粛。
策に気付かないふりをしていれば、周瑜から睨まれることもなかったはず。
孔明も、まだ28歳。対して魯粛は37歳。実は、歳の差がだいぶ離れていますから、
魯粛は人生の先輩として、孔明に忠言しているのです。潔くそれを認め孔明も詫びます。

いっぽう、その夜、曹操は黄蓋の投降を信じて喜び、
陣中で出陣の酒宴を催し、有名な「短歌行」を吟じます。

酒に対しては当に歌うべし、人生幾何ぞ 譬(たとえ)ば朝露の如し、
去れりし日、嘆きは深く、慨して当に以て慷すべし、
幽思は忘れ難く、何を以て憂いを解かん、ただ杜康(とこう)あるのみ・・・

意味は・・・

酒を前にしたら大いに歌うべきだ。人生など、短いのだから。
そう、それ(人生)は、朝露のように儚いものだ。
過ぎてしまった日々は、はなはだ多いが、
まったく悲憤にくれるばかりで、物思いから離れられない。
この憂いを何で解き放とうか、ただそれは酒を飲むしかない!
(まだ続きますが以下、略します)

当時、酒のことを杜康(とこう・酒の神様)と呼んだとか、
あるいは、そういう銘柄の酒がすでにあったようで、
曹操は、天下統一を確信し、これまでの労苦を思って詠んだといいます。

1800年の時をへて現代にまで伝わっている詩で、
誠に詩人の曹操らしい、素晴らしい詩ですね。

ドラマでは、一人でしっかりとした足取りで歩きながら
やや緊張感を持って吟じていたのが、個人的にはちょっと驚きでした。
なぜなら、これは宴の席で酔いが回る中で諸将に向けて、気分よく聴かせるように
吟じるものだと思っていたし、そのほうがふさわしいと思っていたからです。

一人歩きしながら吟じる曹操の姿は、
戦いの結末を予見させるようで、なんだか、やや寂しく見えました。

さて、一方の周瑜陣営。
計画は順調に進んでいるはずですが、ある晩、
周瑜は急に体の不調を訴え、血を吐いて倒れてしまいます。

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床に伏した周瑜に、小喬や魯粛がその原因を訪ねますが、周瑜は何も言いません。

窮した魯粛の頼みを聞き、孔明が周瑜を見舞います。
周瑜は、胸の痛みを訴え、体というより、心の病であるというので、
孔明はすぐにそれを察します。

「曹を破らんと欲すれば、火攻めを用うべし、万事備われど、ただ東風を欠く」
処方を書いた孔明に対し、周瑜は「それこそが私の病の根源」と心中を吐露します。

火攻めをするには、仕掛ける側が風上にいなければなりませんが、
この時期の風向きは、西北の風で周瑜の陣営が風下になり、
これで火攻めをかければ、火は自軍を焼くばかりになってしまいます。

悩みを訴える周瑜。
風向きは天命によるもの。こればかりは、人間の力ではどうにもなりません・・・。

しかし孔明は、「3日3晩、風を吹かせてみせます」と自信満々に言い放ちました。
なんと、天気や風向きまで操ってみせるというのです。
周瑜はそれを頼みにします。

孔明は魯粛に頼んで七星壇を築かせ、
そこで道士の扮装をして、風向きを変えるための祈祷を始めました。

もちろん、これは孔明の芝居。
いかに孔明でも、風向きを変えることなどできません。

ドラマではフォローされていませんでしたが、
孔明は、実は地元の漁師にあらかじめ聞いて知っていました。
この時期、西北の風が3日だけ風向きを変え、東南の風が吹くということを。
前回の霧もそうですが、孔明は天文に関する情報収集に努めていたのです。

地元である孫呉の諸将が、地元の情報を知らず、
気付かなかったというのは少々、情けないような気もしますが・・・。

祈祷をはじめて3日目、まだ風向きは変わりませんが、
周瑜は呂蒙に、孔明を捕えるよう命じます。

風向きが変わっても変わらなくても、
周瑜はこれで孔明を用済みとみて、命を狙おうとするのです。

呂蒙の手勢が、孔明を捕えようと七星壇へ向かいます。
しかし、その前に小喬が馬車を遣わし、孔明を乗せて川岸へ急いでいました。

小喬は、周瑜が孔明の命を奪うことを見越し、独断でその命を助けました。
川岸の燕子磯(えんしき)には、趙雲が迎えにきていて、
小喬は孔明をそこで下ろし、陣営に戻ります。

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船に乗って江夏の劉備のもとへ戻る孔明。
「大都督にお伝えくだされ!よき采配を振るわれよと!」
呂蒙は、孔明を取り逃がして歯噛みします。

周瑜は仕方なく、孔明の始末は
曹操を倒した後で考えることにして、自邸へ帰ります。

・・・と、庭先に馬車が置いてあることに気づいた周瑜は、すべてを察します。
愛する妻が、孔明を逃がしてしまったのだと・・・。

張り裂けるような思いで剣を突き付け、詰問する周瑜。
周瑜は涙を浮かべ、小喬に「出てゆけ」と静かに言い放ちます・・・。

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小喬は、周瑜の偉名を傷つけたくないために孔明を助命したようなのですが、
周瑜にとっては、殺したいほど心憎く思っている不倶戴天の敵。
それを、こともあろうに自分の妻が助けたことを、許せるはずもないのです。

確かに、小喬のしたことは許されざる裏切り行為
現代の価値観に照らし合わせれば美談になるかもしれませんが、
戦乱の時代では、軍権を無視しての出過ぎた行動に他なりません。

これは、周瑜は大都督というよりも、
夫としての立場から、妻の裏切り行為に耐えられなかったのでしょう。

なぜなら、周瑜は孔明に何もかも・・・愛する女性の心まで
虜にされたような気持ちになってしまったから、かもしれません。

ただ、原作では、孔明は自力でいち早く七星壇を降り、
趙雲の待つ岸辺へ逃げることになっていて、小喬の出番はありません。
ここで何も、小喬と周瑜の愛憎劇を挟まずとも良いように思ったのですが・・・。
ただ、これも含めての『三国志 Three Kingdoms』なのでしょう。

ともあれ、夫婦はここに突然の離別を迎えることになってしまいました。
拍子ぬけするほど呆気ない描写かもしれませんが、
小喬の出番はこれまでとなります。

次回は、いよいよ「赤壁の戦い」本番を迎えます。
いわば、ここからは男だけの戦場の世界となるわけです。
では明日をまた、お楽しみに!


※昨日、5月27日(日)さいたま市民会館おおみやで開催された
「三国志TK公式朗読CD」発売記念イベント に行ってきました。

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トークあり、クイズあり、プレゼントあり、5人共演の朗読あり。
ドラマ本編でも孔明の声を演じられた堀内賢雄さんをはじめ、
朗読CDで各キャラクターに命を吹き込んだ声優陣による、楽しいイベントでした。

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DVD、ブルーレイ、朗読CDの販売コーナーも設けられ、盛況でした。
皆さん、テレビ放送はもちろん、本編DVD、ブルーレイ、公式朗読CD
合わせてよろしくお願いします!(詳しくは公式サイトTOPへ


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