第51話~第55話

2012年06月15日

皆さん、こんばんは!ストーリーテラーの哲舟です。

孫小妹(そんしょうめい)と結婚した劉備は、
南徐に屋敷を与えられ、連日酒宴にふけり、
快楽をむさぼり、自堕落な毎日を過ごしていました。

055-24
孫権からの月の給金が届いても、「それでは足りぬ」と追加金を要求する始末。
連日の御馳走に、美酒に美女。ちょっとうらやましい・・・
と思われる方も、いらっしゃいますかね?

055-23
・・・それはさておき、諫めにきた孫乾も趙雲も、
話を聞こうともしない劉備に、あきれ果てるばかり。
ついに趙雲は、酒に酔った劉備と言い争いになり、
荊州へ追い返されてしまいました。

その報告を聞いた周瑜はほくそ笑み、
「これで荊州を得られれば安いもの」と、
劉備の要求をはるかに上回る10万銭を新たに送りました。

さて、荊州へ追い返された趙雲、
劉備を置いて戻ったことで諸葛亮(孔明)に罰せられ、棒打ち30回を受けました。

趙雲から、事情を説明された関羽と張飛は、
すぐに劉備奪還のため出兵することを提案しますが、孔明はそれを固く禁じます。

江東は10万、荊州にはわずか4~5万で守るだけで精一杯の状況。
うかつな出兵は命取りになります。
しかし、関羽、張飛はいよいよ、孔明に対する不信感を募らせていきます・・・。


その後、南徐へ戻った趙雲は、
荊州の様子を劉備に報告します。

もうお分かりでしょうが、すでに劉備は正気になっています。

冒頭の堕落ぶりは、敵も味方も欺くための大芝居。
それを知っているのは、趙雲と孔明のみ。

冒頭で、趙雲が開封した錦の袋は、
江東へ来る前に孔明から授けられた、3つの袋のうちのひとつでした。

おそらく、その袋の中には、
年末を待って劉備の堕落ぶりを、これまでにないキツイ言い方で
諌めるように指示する孔明の密書が入っていたはず。
それを合図に、劉備もわざと趙雲に暴言を吐き、荊州へ送り返したのです。

趙雲の棒叩き30回も、孔明版「苦肉の策」の一環です。

頃合よしと見た劉備は、いよいよ江東を脱出する計画を練ります。
しかし、陸を行くも水路を行くも、必ず周瑜の追手に狙われるであろうことは明白。
どうすれば無事に脱出できるか・・・。

また、妻・小妹のことも気がかりでした。
劉備は、美しいわが妻を、すでにどうしょうもなく愛おしく思っていました。
小妹も劉備を、すでに離れられがたいほどに慕っていました。

055-28
劉備は、小妹にも真実を話すことにしました。
それを聞いた小妹は、「私はすでに劉玄徳の妻」といい、
劉備とともに荊州へ行くことを決意します。

小妹は、久々に母のもとへ戻り、相談しました。
呉国太は、劉備について荊州へ行きたいという娘の意を汲み、
それに協力することを決意します。
小妹は、髪を切って母のもとに残し、江東を発つ決意を新たに固めました。

そのころ、荊州では、
「諸葛亮(孔明)が呉にいる兄・諸葛瑾と通じ、荊州を乗っ取ろうとしている」という
噂が、民の間で流れていました。これは周瑜の計略です。

055-05
張飛が、孔明のところへやってきました。
劉備が骨抜きにされているというのに、動こうともしない孔明をさんざん罵り、
机をひっくり返し、しきりに彼を責めたてます。

さすがの孔明も、この仕打ちに耐えきれず、
部下の馬謖(ばしょく)に当たり散らし、珍しく泣きごとを言いました。

それにしても、張飛も関羽も浅はかな描かれ方で、ハラハラします。
孔明も人が悪い。2人に何も打ち明けずに事を進めるから、
このような事態を招くように思います・・・。

「苦肉の策」とはいえ、元来、これだけ性質の異なる人物を、
もっとうまく扱う方法はなかったのでしょうか。


そのころ、南徐では呉国太が文武諸官を集め、酒宴を開いていました。
美酒を味わい、諸官は上機嫌で酔い、話に華をさかせていきます。

055-13
文官の重鎮、張昭も上機嫌で杯を傾ければ、
呉国太みずから杯を干し、孫権に酒を勧めます。

055-09
母に勧められた手前、諸官の献杯を次々と受け、
孫権は次々と酒を飲み干し、ますます酔っていきます。
酒豪として知られる孫権も、さすがに酔い潰れ、突っ伏してしまいました。

呂蒙と張昭は、ようやく気付きます。
これは劉備らの企みで、呉国太も一枚噛んでの芝居だったということに・・・。

あわてて、劉備の様子を探らせるも、すでに屋敷はもぬけのから。

周瑜が気付いたように、これは「金蝉脱穀」(きんせんだっこく)の計。
兵法三十六計のひとつで、蝉が殻を脱するように、
現在地にとどまっているように見せかけ、密かに移動する策略です。

さて、脱出した劉備一行は、陸路を急いで走っていましたが、
そこへ周瑜が派遣した追手が迫ります・・・。


【このひとに注目!】
055-20
◆周泰(しゅうたい) 
生没年不詳
今回、呉国太に呼ばれ、酒宴の準備を命じられる武将。孫呉では、甘寧と並ぶ猛将である。蒋欽とともに孫策に仕え、その側近となる。孫権は周泰を気に入り自分の配下にもらい受けたという。後に、孫権は諸将を集めて宴を開いたとき、その席上で周泰に服を脱ぐよう指示。周泰の体は傷だらけで、それはすべて孫権を守るために刻まれた傷だった。孫権は、傷の由来をひとつひとつ語らせたうえ、「私が今在るのは、そなたのおかげだ」といって涙を流して感謝した。以来、周泰の部下たちは彼に尽くすようになったという。

ではみなさん、また来週、お目にかかりましょう!

sangokushi_tv at 17:55コメント(4)トラックバック(0) 

2012年06月14日

こんばんは!哲舟です。

孫権や呉国太との対面のため、甘露寺(かんろじ)に赴いた劉備。
孫権に迎えられ、劉備は趙雲、孫乾、簡雍と
数名の衛兵のみを従えて邸内へと入っていきます。

呉国太は、劉備に一目会っただけでその人物を気に入ったようです。

会見場の周囲には、劉備を殺すために伏兵が潜んでいましたが・・・、
護衛の趙雲は、剣が鞘を払う音に気づき、障子を斬り破ってそれを見抜きます。

055-30
どうやら、周瑜の司令は、劉備を「捕える」のではなく
「殺す」ほうへ方針転換されたようです。

劉備は表情も変えず、身じろぎもせず、
趙雲に剣を納めるように言うと、部屋の中央へ出て、跪きます。
こういうときの劉備は、本当に肝が据わっています。

周瑜の腹心の部下である呂蒙(りょもう)は、
劉備が荊州を騙しとり、そのために自軍の兵が
多数犠牲になったことを主張し、劉備を斬り殺そうとしますが、
趙雲の青釭の剣が、呂蒙の剣を真っぷたつにしてしまいます。

孫権は、「無礼を働く呂蒙を斬れ!」と命令しますが、
劉備がそれを止め、孫権へとりなします。
表情を見るに、劉備が処刑を止めるのは孫権も想定内だったようです。

劉備は、荊州はお借りしているだけのこと。
漢の再興のみが自分の志で、「それを疑うなら斬ってください」と言い放ちます。

劉備に趙雲の剣を渡された呂蒙は、遠慮なく斬ろうとします・・・が、
そこへ笛の音が聞え、呂蒙が一瞬動きを止めます。
趙雲はその隙をつき、呂蒙の手を蹴り上げ、剣を奪って鞘におさめました。

・・・どうやら趙雲がいる限り、劉備は斬られることはなさそうです(笑)。
劉備はそれを見越してふるまっていたのか、
それとも、本当にここで命をも落とす覚悟だったのか・・・。
私としては、後者を推したいところですが。

05415
笛の音は、孫小妹(そんしょうめい)が吹いたものです。
小妹が劉備を気に入り、結婚に同意したとする呉国太への合図でした。
これをもって孫権も、劉備と妹の婚礼を承諾せざるを得ませんでした。

命を拾い、邸外へ出た劉備は、傍らにあった石に剣で斬りつけます。
「無事に荊州へ戻り覇業を成せるなら石よ、真っ二つに割れよ!」と念じて
剣を振り降ろすと、石は見事に2つに割れました。

05421
遅れて出てきた孫権も、同じく運だめしをします。
荊州をとり、帝業を成せるなら、真っ二つに斬れよう・・・。
孫権の剣もまた、石を両断にします。

曹賊は滅び、漢は中興する・・・孫権は建前を口にします。

「我らの大業、必ずなる」
そういって、孫権と劉備は手を握り合いますが、
曹操を倒す目標は同じでも、その先の目標は異なるのです・・・。

しかし、両者とも石は割れました。
天は、両者に等しく機会と試練を与えるということなのかもしれません。

その夜は、新婚初夜を祝っての酒宴となりました。
孫権はじめ、呉には大酒飲みが多いのですが、
呉国太も「100杯は飲まねば」と、劉備に酒を勧めます。恐るべき酒量。

劉備はいい気分で宴会を辞し、花嫁の待つ屋敷へ案内されます。
そこには2本の剣が用意してありました。

劉備が剣をとると、花嫁はいきなり劉備に斬りかかってきました。

05403
「この劉備は取り得のない男だが、剣術だけは誰にも負けぬ」

たしかに劉備は剣の名手。
しかし、泥酔しているうえに、本気で小妹を殺そうとはしていません。
剣を交えるうち、劉備の取った剣は粗悪品だったようで、ポッキリ折れてしまいました。

05407
小妹は、自分よりも武芸の劣る男には嫁ぎたくないと思っていたために、
剣の勝負を挑んだようなのですが、しかし、昼間からの一連の劉備の行動や
剣で打ち合ううちに、どうやら劉備に惹かれた模様です。

ちなみに、孫権の妹は史実においても武装させた女官200人に身辺を
守らせていたといいますから、劉備も床入りの際には非常に緊張したようです。

それから、質問にもありましたが、「孫小妹」はこのドラマだけの名前です。
「孫尚香」という、最近の映画やゲームで見られる別名は、
中国において京劇で使われている名前のようです。
京劇は清の時代、18世紀の末頃に始まったので、比較的新しいですね。

今までの多くの三国志作品では「孫夫人」が一般的な呼ばれ方だったのですが、
それだと「孫家の奥さん」みたいな意味なので可哀想に思うのか、
作品ごとに作家がつけた違う名前(弓腰姫など)が使われることも多いです。

05308
さて、ひとつの寝台に座った2人。
こうなると、もう48歳の経験豊富な中年男と、
今でいう高校を出たばかりのギャルとでは、今まで重ねてきた経験が違いすぎます。
あとは劉備、しっとりと口説き落とすのみです・・・(笑)。

かくして、その夜2人は「夫婦」となりました。
今では歳の差夫婦などと呼ばれますが・・・
体力さえあれば。30歳差なんて、戦乱の世ではさほど珍しくもありません。
日本でも、徳川家康は70歳を過ぎてから17~18歳の側室を可愛がっていました。

一夜明け、小妹はすっかり妻の顔となり、清々しい顔をしていました。
呉国太は、劉備に惚れ、一夜で女らしくなった娘を見て大変に喜びます。

・・・さて、そこへ周瑜が訪ねてきます。
劉備をこのまま荊州へ帰してはならない。そう、呉国太へ言い含めると、
彼女もまた、娘とすぐに離れるのは嫌なので、それに賛同します。

劉備は、周瑜の策と知りつつも、その意を汲むふりをして呉へ留まり、
時機を待ってから荊州へ帰ることにし、趙雲にもそう言い含めました。

次に周瑜の打った手は、劉備を江東にできる限り留め、
金銀財宝や女性をたくさんあてがって厚遇し、味方に取り込むこと。
劉備が、もとは草鞋売りという貧しい暮らしをしていたことを
利用して、骨抜きにしてしまおうというのです。

劉備のもとに、さっそく珊瑚や玉(ぎょく)といった財宝、
さらに大量の銭が送られてきます。
劉備は目の色を変えて喜び、有難く頂戴することにしました。

その日から、劉備は連日宴にふけり、
小妹が日課である弓の訓練に行くよう促しても起きず、
二度寝をするようになってしまいました。
劉備は、かつて味わったことのない贅沢な暮しを満喫し始めていました・・・。



昨日に続き、皆さんからいただいたコメントへの回答です。
すべてはフォローしきれていないかもしれませんが、あしからず御了承ください。

Q.第33話 「三顧の礼」で孔明が起きがけに詠んだ歌はなんという意味ですか?  「平生我れ自ら知る」みたいな歌です。調べてもよくわかりません。有名なのでしょうか?(ららさん)


A.大夢、誰か先ず覚む。平生、われ自ら知る。草堂に春睡足りて、窓外に日は遅々たり・・・ですね。出典はこのドラマの原作小説「三国志演義」です。意味は、何度も読んで頂くとだいたいわかるんじゃないかなと思います。よく寝てから目覚めたことを、自分が長く暮らした庵から出て、世に出ることを暗示している、と深読みすることもできますね(笑)。


Q.曹操の詩歌を楽しめる(全くの素人なので)お薦めの本あったらどこかで独り言して下さいマセ。 (ももさん)


A.個人的なお薦めですが、書籍では三国志漢詩紀行(集英社新書)、曹操~矛を横たえて詩を賦す(ちくま文庫)、三国志と乱世の詩人(講談社)など。三国志漫画では「蒼天航路」(講談社漫画文庫)も、曹操はじめ、曹丕・曹植の詩の才能をかなりクローズアップして描いてあるので、お薦めです。


Q.今日、公式ガイドブック上・下巻の在庫があると某本屋から連絡がきましたッ!!  あきらめないでよかったー!! (ヤッターさん)


A.良かったですね!ネット上では在庫がないようですが、このように、もしかしたら書店によっては本棚の隅とか倉庫の中などに、まだ在庫があるかもしれません。諦めずに問い合わせてみてください。あと、復刊ドットコムにリクエストしてくださった方も、ありがとうございます。リクエストが集まれば、再販の可能性も出てくるかもしれませんよね。それから、版元(学研さん)に直接、予定がないといわれても再版のリクエストをしてみるのもアリだと思います。よろしくお願いします。



sangokushi_tv at 17:55コメント(7)トラックバック(0) 

2012年06月13日

こんばんは!哲舟です。

「この江東の主はそなたか? それとも私か?」

これまで、常に周瑜を尊重し、彼に全軍の指揮権を委ねてきた孫権。
しかし、周瑜はいつしか臣下としての立場を忘れ、
独断で兵を動かすなど、度を過ぎたふるまいをするようになっていました。

それもこれも、すべては先君・孫策の志を果たそうとする思いから・・・
しかし、孫権にそう言われてしまっては、もう仕方ありません。

05302
周瑜は乾いた笑い声を残し、兵符を置いて立ち去りました。
「赤壁の戦い」開戦前に授かった大都督の兵符です。

自邸に戻り、めずらしく大酒を呷る周瑜。
十数年、江東のために尽くしてきた結果、
大都督の称号を失った彼の思い、察するに余りあります。

「そんなに飲んではお身体にさわります」と、
呂蒙(りょもう)が、体を張って止め、ようやく酒を飲むのをやめましたが・・・。

数日後、孫権の命令で、前線の将兵たちに撤退命令が下りますが、
周瑜に心服している甘寧、丁奉、蒋欽、徐盛ら諸将はそれに従おうとしません。
孫権は激怒し、彼らを罷免しようとします。

そこへ、母の呉国太が来て、孫権を諭します。
諸将の尊敬を集め、信望の厚い周瑜を罷免し、
さらに他の将軍をも罷免しようとしていることをとがめ、
孫権に君主としての心得を説きます。

「大切なのは、主君と臣下の心をひとつにすることです」
大勢を考え、周瑜の計画を採用するようにといい、
わが娘と劉備との婚礼を進めるよう助言します。

考えるに孫権も、まだまだ30歳の青年。
迷い多き若者に過ぎません。

母の知恵と度量に心打たれた孫権は、
さっそく周瑜邸を訪ね、周瑜に兵符を返しました。

「私が間違っていた。そなたは私の兄と同い年。兄と同じだ。
 そなたは江東にかけがえのない存在だ。兄として私を許してくれるか」
周瑜は、その言葉に感激し、兵符を受けとります。

周瑜はさっそく、荊州攻撃をふたたび正式に願い出ますが、
そこへ魯粛がやってきて、猛反対します。
・・・魯粛、いつもタイミング良すぎませんか?

魯粛は、あくまで皇族の劉備とは和平を保つべきで、
これと争えば曹操に付け入る隙を与えるだけだと主張。

しかし、孫権は周瑜を許した手前もあって、
劉備こそ、災いの元凶であって打倒しなければならない相手と言い、
意見をはねつけたうえで、魯粛が劉備や孔明と親しいことを咎めます。

魯粛は、それでも諌言をやめません。
周瑜の孔明に対する敵意は曹操以上で「度を過ぎている」とし、
恨みにかられ、天下の形勢を省みなければ
大局を見誤り、江東を失うとまで言うのです。

孫権は、「そなたは私と周瑜を、暗主と暗臣といい愚弄している」として、
魯粛から参軍の職を取り上げてしまいました。

周瑜の意見を採用したことで、今度は魯粛の主張を退け、
罷免することになってしまったのです。
あちらを立てればこちらが立たず・・・。
国のかじ取りの難しさを感じてなりません。

翌日、周瑜は魯粛の屋敷を訪ねます。
周瑜は、その身分の高さのわりに魯粛邸の貧しさに驚きます。

貧しいどころか、客をもてなす酒と肴を買う金にすら、事欠く様子です。
それは、魯粛は俸禄を自分の兵たちにみな分け与えてしまうからなのですが・・・。

05303
公務を忘れ、友達に戻って酒を酌み交わす2人。
周瑜は、政敵になってしまった今でも
自分を精一杯もてなしてくれることに感激します。

「我らは政敵などではない。争うべきは私的なことではなく天下の諸議ですぞ」
魯粛は、改めて周瑜にいいます。

周瑜も、心からそれに賛同しますが、
「自分の体は限界で時間がない」ことを魯粛に打ち明けます。
やはり、話は次第に政局のことに移っていきます。

「あと20年の猶予があれば、私も劉備と手を携え曹操に対抗したい、
 だが、いつ消えるかもわからない自分は、近道を行くしかない」
・・・そう訴える周瑜。

このとき、関羽・張飛を臣下にしたい、という周瑜の台詞が唐突に出てきますが、
これは正史に、周瑜がそう考えていたと記録されているからかもしれません。

史実においても、関羽・張飛の武勇は天下に轟いていたようで、
周瑜は「あの2人を私が用いれば、天下統一の大業も成せる」と言い、
曹操の軍師・程昱(ていいく)も、「関羽、張飛は1万人に匹敵する」と評したとか。
欠点も指摘される2人ですが、その強さは本物で、敵国をも恐れさせていたようです。

魯粛は、曹操が赤壁での敗戦後に仇打ちのための兵を挙げず、
人心を集めて機を待っていることを挙げ、周瑜を諭しますが・・・
生き方、考え方の違いから生じる溝は埋まらず、2人の意見は平行線をたどります。

本当に、どんなに親しくても考え方が異なる人はいるわけで、
普通の人はその相手を遠ざけようとしますが、
しかし、そういう人とこそ、こうして意見を交え語らわねばならないのかもしれません。

さて、そうこうする間も、劉備は南徐に留まっているわけで、
婚礼の問題を先送りにするわけにもいかなくなってきました。

呉国太は、「かくなるうえは嘘を誠にするしかない」と、
婚礼を進めようとしますが、当の娘、18歳の孫小妹(そんしょうめい)は、
30も歳の離れた劉備に嫁ぐことを泣いて嫌がります。

05301
今回、初登場の孫小妹。本名は不明なので、
作品によって異なり、「孫夫人」や「孫尚香」(そんしょうこう)という
架空の名でも知られます。映画「レッドクリフ」では、孫尚香でしたね。

結局、甘露寺での孫権と劉備の対面の席で、
劉備の様子をひそかに見て、気に入れば嫁ぐということになったようです。

05315
その劉備、趙雲らは、南徐に来てから7日間も待ちぼうけを喰らっていました。
そこへ魯粛がひそかに訪ねてきて、周瑜が兵を伏せているため、
荊州へ急いで引き返すよう勧めますが、劉備は去らず、
孫・劉連盟維持のため留まる道を選択します。さて、劉備の命運は・・・?



今日と明日は、いただいたコメントのいくつかにお答えしたいと思います。
順不動です。全部ではないかもしれませんが、答えられる範囲で!

Q.趙雲は生涯妻帯 しなかった・・・と思うのですが、「最近結婚して孔明先生が仲人をした」(第52話)???  出典をご存じでしたら教えてください。(ぴかさん)

A.結婚して孔明が仲人をした、というのはこのドラマのオリジナルエピソードでしょうね。本作は、オリジナルエピソードが多いだけに、慎重に解説する必要性をいつも感じています(笑)。しかし、趙雲には趙統、趙広という子供がいたので、孔明の仲人ではないにしても、妻や側室がいたことは確実だったと思います。

第49話で描かれたように、「趙範の兄嫁を娶らなかった」ことは正史にも記述されている逸話です。ただ、生涯妻帯しなかったというのは疑わしいです。こんなことを言うと、女性ファンをがっかりさせてしまうのかもしれませんが(?)、三国志で活躍する人物は、庶民ではなく基本的に身分の高い人ですから、跡継ぎを作らないのは不自然です。99%の人に、妻や側室は居たと思っていただいたほうが良いと思います。そういう私的なことは、あまり記録されてないだけなんですね。

Q.第31話の「的驢」(てきろ)の跳躍は、オリジナル・エピソードではありませんよね(yamaneko5646さん)

A.はい。これは、原作小説「三国志演義」にあるシーンを、そのまま映像化したような形です。小説上の創作というわけでもなく、「正史」の注釈部分にも「檀渓の水中にはまりこんで動かなくなったが、劉備が一声あげると、飛びあがって対岸に渡った」と書かれているので、崖を駆け上がったのは作り話にしても、跳躍したのは本当のことだったかもしれません。名馬です。

Q.ここまでで、あの龐統(ほうとう)が出てきませんね。 このまま登場はないんでしょうか。残念です。(三国志ゲーマーさん)

A.赤壁では出てきませんでしたが・・・ご心配なく!もうすぐ登場しますので、ぜひ見続けていただきたいです。


※PCの拍手欄から、コメントをくださっているみなさんへ。「拍手」欄を押すと表示されるコメントも、有難く読ませていただいておりますが、コメントとして公開することができません。公開ご希望の方は、必ず「コメント」欄を開き、そこから投稿していただきますよう、よろしくお願いします。都合により、公開しない&できないコメントもございますのであしからずご了承ください。

・・・明日に続きます。 

sangokushi_tv at 17:55コメント(5)トラックバック(0) 

2012年06月12日

こんばんは! 哲舟です。
50話を超え、毎日書き続けることの大変さ、また楽しさを
今さらながら感じています。皆さんのコメント、拍手に励まされる日々です。

さて、孫権から妹との縁談を持ちかけられた劉備は、
孔明の勧めもあり、それを受け入れることを決めます。

劉備が孫権の妹を娶れば、両雄は親戚になるということ。
これがうまくいけば、曹操の新たな脅威となりますので、
孔明は好都合と考えました。

しかし、孫権はまだ年若い妹の身を、母の呉国太が案じているため、
「呉(江東)で挙式したい」と申し入れてきます。
劉備が婿に入ることを求めてきたのです。

江東へ出向くことについては、さすがの孔明も心配し、
命が危ういと言います。たびたび占いをするも、結果はすべて「凶」と。

関羽、張飛も「周瑜の策略に決まっている」といって引き留めますが、
孫権からの縁談を断れば、それはまた周瑜に荊州攻めの口実を
与えることにもつながるため、劉備は婿入りを承諾することにしました。

劉備は、決死の覚悟で江東へ出向くことを、関羽・張飛に宣言。
そのさい、劉備は孔明に荊州を任せるべく、軍政を一手にゆだねます。

05203
しかし、関羽は劉備がいない間に、
「孔明に荊州を乗っ取られるのではないか」と心配します。
2人は、孔明に心服していない様子。それどころか、
趙雲ら同僚をも心服させてしまう孔明の才能を相当に警戒しているようです。

これも、関羽・張飛にとっては劉備以外の主君は考えられず、
彼らがいだく、劉備に対する思いが強すぎるからなのですが・・・。

孔明を警戒するどころか、その忠誠心を疑う2人を劉備は激しく叱責。
留守中、必ず孔明に従うよう厳命します。
「耳を切り落とす」とまで言う劉備に、2人もようやく折れました。

当の孔明もまた、関羽・張飛が自分に心から従っていないことを危惧。
劉備が留守のあいだ、必ずや自分に反発するであろうことを恐れていました。
そんな孔明に対し、劉備はその場合、2人を始末しても良いとさえ言います。

05205
荊州という基盤、漢室の中興に比べれば、我ら兄弟の情など取るに足らぬ・・・。
その言葉に、孔明は感激を新たにし、改めての忠誠を誓うと同時に、
劉備が書いた密書を燃やしてしまいます。
関羽・張飛を処断してもいい、と書かれていた密書を、です。

05201
かくして、劉備は南徐へ旅立ちます。見送る諸将たち。
万一のため、劉備には護衛として趙雲、従者として孫乾が随行します。

いっそ、関羽・張飛が随行すれば良いではないか・・・と思われるかもしれませんが
2人はすでに領地を持ち、多くの兵を従える大将の身分。軽々しくは動けないのです。
趙雲が護衛に選ばれたのは、2人に比べて身分が低いからだと思われます。

船で、南徐をめざす劉備一行。
趙雲は、周瑜が計略をめぐらしていることを察し、警戒します。
そこで早速、孔明から受け取った3つの袋のうち、1つを開封。

一読した趙雲は、廬江に船をとめ、結納の品を兵に買い求めさせます。
派手に買い物をさせることで、
江東の人々に「劉備が婚礼のために来た」と触れまわさせたのです。

これは見事に的中し、江東の人々は口々にそれを噂しあったため、
孫権軍は道中で劉備を捕えることができなくなったばかりか、
母の呉国太(ごこくたい)が、縁談を知るところとなってしまいました。

呉国太は、孫権が自分に相談もせず妹を政略の道具に使ったことを叱責。
この策が周瑜から出たことを知るや、「周瑜を呼びなさい」と怒鳴りつけます。

重ねていいますが、呉国太は孫権の実の母で、
孫呉の創業者・孫堅の妻だった人です。
魯粛はもちろんのこと、孫権もまったく頭が上がりません。

徐庶も、母が曹操に捕らわれたと知って劉備のもとを去ったように、
父母に孝養を尽くすことは、中国では最高の美徳とされます。
とくに母の立場はとても強いようで、孫権が母に頭が上がらないのは当然です。

日本でも、表向きは父や長男が主ではあっても、
実質、一番権力をもっているのはお母さんという家庭が多いですよね。
それは古来から、あんまり変わらないようです。

05208
そうこうするうち、劉備は南徐に到着。魯粛が丁重に出迎えます。
劉備が到着する前に捕えようとしていた呂蒙たちは、それを見て計画を断念。

つづいて周瑜も、南徐へ到着しました。
孫権に会った周瑜は、「荊州を取り戻すことがまず第一」として、
世間の非難を恐れず、孫呉全軍一致して劉備を捕えることを提案。

周瑜はまた、すでに6万の軍勢を
荊州へ送って準備させていることを報告し、孫権を驚かせます。

「荊州を得たら、すべての罪を私にかぶせ、
軍法にかけて処分してください」と周瑜。

実は周瑜には、もう残された時間は多くないのです。
もしかすると、本人もそれを悟っているのかもしません・・・。

周瑜は、先代・孫策への思いを胸に、
真に孫呉の覇権を思って行動しているのですが、
そのあまりに強引なやり方に対し、主の孫権はついていけなくなります。

「呉公は私である。そなたは断りもなく兵を動かした。
 この江東の主はそなたか? それとも私か?」

孫権は、周瑜にズバリ問いかけました。
これまで江東を支えてきた2トップ体制に、にわかに綻びが生じます・・・。

sangokushi_tv at 17:55コメント(5)トラックバック(0) 

2012年06月11日

皆さん、こんばんは! ストーリーテラーの哲舟です。
今週も1週間、ご試聴お付き合いのほど、よろしくお願いします。

先週の話は、魯粛が「劉琦(りゅうき)の死」を、
孫権に報告しに来たところまで、でしたね。

劉琦の死。それは、荊州の領有権が劉備ではなく、孫権に移ることを意味します。
ただ、以前約束はしていますが、劉備と諸葛亮(孔明)が
素直にそうする(荊州を譲る)とは思えません。

そこで、孫権は魯粛を派遣し、荊州を渡すよう要求してこいと命じます。
そのころ、大都督・周瑜(しゅうゆ)は、最前線の巴陵に戻っていました。

07
しかし、まだ療養は十分ではなく、咳き込めば読んでいる書物には血がつく有様・・・。
孔明に出し抜かれ、荊州を奪われたままの周瑜、心の傷もまだ癒えていません。
部下の甘寧(左)、呂蒙も心配そうに見つめます。

周瑜の陣営についた魯粛は、周瑜が出陣の準備をしている様子なので、
勢力を増強した劉備との戦を避けるよう釘を刺しますが、
周瑜はすでに荊州へ8万の兵を進めていました。

魯粛は、それを聞いて「主君を無視しての越権行為では?」と憤りますが、
実は、それは周瑜の策で、劉備を牽制するためであり、
今のところは実際に戦うわけではないことを明かします。
魯粛は納得し、荊州へ向かいました。

劉琦への弔問を名目に、荊州へ到着した魯粛は、
さっそく荊州を返還するよう要求しますが、
はたして、劉備と孔明は、理由をつけて応じようとしません。以下、要約文です。

魯粛「約束通り、荊州をよこしなさい」
劉備「またそのことか。今度話そうよ」
魯粛「今度っていつだよ」
劉備「いまは劉琦さんの葬儀中だから、勘弁してくれよ」
魯粛「劉琦さんのご霊前なんだから、なおさら約束守ってもらわないとな」
孔明「いや、荊州は誰のものでもないし、漢室(献帝)に返すべきだから、
    献帝の血をひく、劉備さんが荊州を預かっているだけなんだよ」
魯粛「いいかげんにしろ。無駄なことばっかりいって。約束は約束だ」
孔明「でも、こっちは漢室の中興をめざしてるんだからね。
    荊州を渡したら、それもできないし曹操も倒せなくなるから、もう少し待ってよ」
魯粛「そっちがその気なら言っとくけどね、孫権さんが黙ってても周瑜さんが黙ってないよ。
    孫呉の全軍つれて、マジになって攻めてくるよ」
劉備・孔明「わかったわかった。荊州は孫権さんのもの。蜀をとったら渡してあげる。
    それまで、もうちょい待ってください」
魯粛「まったく、しょうがないな。じゃあ借用書をもらったら帰るよ」

・・・なんだか、魯粛の借金の取立てみたいになっていますが、
結局、魯粛が譲歩した形で帰ることになります。
ただ、約束を果たさねば、必ず孫呉は全軍で攻めると脅して立ち去ります。

魯粛は、それをまず周瑜に報告に行きますが、
周瑜は「奴らが10年蜀を取れなければ、10年荊州は戻らない」と憤慨。
しかし、交渉によって「荊州は孫呉のもの」と劉備にいわしめただけでも
魯粛は大手柄であり、それは周瑜も認めます。

その晩、周瑜と魯粛は久しぶりに陣営で、同じ部屋の床に入り、
2人きりで酒を酌み交わしました。

12
「曹操は逆賊ですが、いいことを言いました。
 酒に向かいては、まさに歌うべし。人生いくばくぞ・・・」

魯粛の言葉に、周瑜も心から愉快そうに笑います。

01
曹操が赤壁の戦いの前に詠んだ歌が、
すでに孫呉まで伝わっているのは、ちょっと不思議ではありますが、
まことに、この場にふさわしいものだといえます。

2人は、昔話をしながら、美味そうに酒を愉しみます。

周瑜が孫策にしたがって旗揚げしたばかりのころ
食糧に困り、魯粛の宅を訪ねたさいのこと。

大富豪だった魯粛は、2つの穀物蔵のうち1つを周瑜に差し出しました。
3000の兵が救われ、さらに3000の兵を集めたことを
周瑜は昨日のことのように思い出し、改めて謝意を表します。
(この、魯粛が周瑜に蔵を与えるエピソードは、正史にも記録されています)

03
魯粛は、若き周瑜の才能と大器に惚れ、「大業をなす人物だ」と認めたのです。
2人はそれ以来、刎頸の友として深く付き合ってきました。

目を細め、昔を懐かしむ2人・・・。

・・・しかし、周瑜は唯一の気がかりは諸葛亮(孔明)の存在であるといい、
他の誰にも言えない本音を、友である魯粛につぶやきます。

「私がもっとも憎いのは曹操ではない。諸葛亮だ。
 尊敬できるのも曹操ではなく、諸葛亮だ」

2人は決して並び立つことはない・・・そう決意を語る周瑜に、
魯粛は、自分にはどうにもできない運命というものの存在を感じるのでした。

このくだりは、本作オリジナルの展開なのですが、
ドラマ中、屈指の名場面として個人的に大変好きな場面です。
先日の『三国志 Three Kingdoms朗読CD発売記念イベント』では、
孔明役の声優・堀内賢雄さんも、この場面を気に入っていると仰っていました。


・・・さて、何日かして、劉備の奥方である
甘夫人(かんふじん)が亡くなったとの知らせが、周瑜の陣営にもたらされます。

それを聞いた周瑜は、その後添えとして
孫権の妹を娶わせ、江東に招いて捕える策を思いつきました。
劉備を捕え、その引き換えに荊州を得ようという魂胆です。

孫権は魯粛の勧めもあり、この策を受け入れてさっそく劉備へ使者を遣わします。
縁談の使者は、呂範(りょはん)という孫呉の重臣でした。

11
呂範は、孫権からの縁談をもちかけ、その仲人になりたいと申し入れます。
劉備は孫権の妹と自分では年齢差がありすぎるとして戸惑いますが・・・
呂範は、孫権の妹は美しく男勝りの志を持ち、余程の英雄でなければ嫁ぎたくないと言っていること、
劉・孫が親戚となれば、さらに曹操の脅威となることを示し、説得を続けます。

劉備は、とりあえず孔明に相談することにして、呂範を宿舎へ通しました。
さて、この縁談を立ち聞きしていた孔明の判断やいかに・・・?


【このひとに注目!】
10
◆蒋欽(しょうきん) 
?~219年
孫権と魯粛が話しているとき、周瑜の様子を報告に訪れる将軍のひとり。本作ではあまり目立たないが、孫策の代にその側近として仕えている。合肥の戦いで、張遼に孫権が苦戦を強いられていたとき、奮戦して孫権を守りきった。武勇に優れるが教養に乏しいとして、孫権から勉学に励むように諭されたため、必死に書物を読んで勉学に励む。やがて呂蒙とともに孫権にその成果を称賛されたという。

sangokushi_tv at 17:55コメント(7)トラックバック(0)