2005年07月15日
浅草観音裏店人情一つ話し(番外篇)(BlogPet)
ビクターは、告別するはずだった。
ただ氷川神社と看病されたみたい…
そして氷川神社で、引退しなかったよ。
それにしても五反田で見舞いしたかったの♪
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ビクター」が書きました。
2005年07月08日
2005年07月03日
浅草観音裏店人情一つ話し(番外篇)
───若葉の頃の野辺送り───
今日、頭の告別式に参列してきた。五反田のとび、桐政の頭、山田進さんは、全身のすみ(入墨)の入った体を白い経かたびらに包んで静かに野辺の旅へ出て行ってしまった。
しかし、見事なケジメのつけ方であった。1年半程前総領する桐ヶ谷氷川神社の夏祭りを終えた日、おかみさんと若い衆に向かって突然、実に突然「この夏の終わりには桐政の看板をおろす」と宣言した………あとは「俺が決めた事だ」の一点張りで何の理由も話さない。おかみさんの山田政江さんは、チョピリほおのあたりをピッと張っただけで頭の顔を見て、それと解らぬ挙作でうなずいた。ただそれだけで夫婦(めおと)の話は通じていたのだろう。仕事仕舞いを宣言してからの三ケ月というもの、頭は、仕立おろしの印半天をシャキッと着こなして挨拶廻りに余念がなかった。ゆく先々の得意先では桐政、突然の引退挨拶に対して皆驚き遺留もした。
頭が近くの病院に入院したのは、秋も終わりの神社の欅の木が色付いた頃であった。人伝てに聴いた何人もの人々が見舞いに訪れたが、かたくなな迄に徹底して、死の日迄誰とも会うことはなかった。最後の三ケ月を末期の見取りと心して気丈に看病に明け暮れた妻、政江さんの心境は如何ばかりであったろう。五反田桐ヶ谷のとび職で、愛妻の名が政江、それで二人で「桐政」。この男にしてこの女有りの夫婦善哉ぶりはつとに人の知るところであったが、その相方
の末期においても遺憾なく発揮されたのだと思う。
の末期においても遺憾なく発揮されたのだと思う。
それにしても、一本気の男っぷりで仕事の仲間内はもとより、地域の人からも何かと頼りにされ勘定抜きで駆け回っていた。そして、頭の後にはいつも政江さんの静かな、しかしキレの良い笑顔が輝いていたものである。野辺の送りの時、静かな哀しみに面を伏せている政江さんの横顔の中にあのいつもの「ハイ、あんた、行ってらっしゃいよ!後はまかせておいて!!」という小意気のいいセリフとキレのいい笑顔を二重映しに聞いたのは私だけの幻聴であったろうか。仕事を仕舞いにして1年も過ぎているというのに野辺の送りに駆けつけた人の多さには、泉下の頭も驚いたり照れくさかったりではなかったろうか。
出棺の際には頭の好きだった祭ばやしと、印伴天、「桐政」の若い衆にかつがれて、宮出しそのままのいなせな送り出しであった。かつがれながら寝棺の心地良い揺れにフッと目覚め、いつもの夏祭りの片肌脱ぎ、ねじりハチマキの頭が立ち上がってくるのではと、五体が震え出してしまい拭っても拭っても涙が止らないのには、ほとほと困ってしまった。それでも後からポンと肩を叩いて頭が立っていそうで、嬉しいような哀しいようなそして、なんだか寂しい気持ちに遠い日の子供の頃を思い出し、時間の流れの止まったままの不思議に満ちた野辺の送りであった。
(追記)
桐政の頭、今年も又夏祭りの頃がやってきましたよ。
合掌
桐政の頭、今年も又夏祭りの頃がやってきましたよ。
合掌
2005年07月01日
2005年06月24日
くらしの共生舎の動き(BlogPet)
今日、くらしを仕事したかったの♪
私はくらしの共生舎で、やっております仕事、これから行います仕事、くらしの共生舎の専務理事です
と、せいちゃんは考えてるはず。
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ビクター」が書きました。
2005年06月17日
浅草観音裏店人情一話(BlogPet)
ビクターが日活は店もびっくりしたかった。
そして花屋に浅草寺と段取りしたかったみたい。
*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「ビクター」が書きました。
2005年06月07日
2005年05月31日
2005年05月26日
浅草観音裏店人情一話
(あさくさかんのんうらだなにんじょうひとつばなし)
さて、浅草観音裏へは歩いてきて下さい。
浅草観音裏にはネコが多く住んでいるんです。街のあちこち、露地のそこにも、ここにもシッポをピーンと立てて、はた又なんじゃらもんじゃらくねくね立ちゆらせて歩き回っています。人が近づくとジーツと見つめて、一向に逃げ出す気などありません。
「浅草のネコは犬より強い」 これは事実です。ネコは飼いネコよりノラネコが圧倒的に多いのに、犬は飼い犬ばかり。しかも人間様に従順なこと、ぴったりくっついて側を2mと離れません。そしてどの犬も実に優しい、「ようこそ浅草観音裏へ、ご案内します」と人なっこい顔をしています。
浅草観音裏にはネコが多く住んでいるんです。街のあちこち、露地のそこにも、ここにもシッポをピーンと立てて、はた又なんじゃらもんじゃらくねくね立ちゆらせて歩き回っています。人が近づくとジーツと見つめて、一向に逃げ出す気などありません。
「浅草のネコは犬より強い」 これは事実です。ネコは飼いネコよりノラネコが圧倒的に多いのに、犬は飼い犬ばかり。しかも人間様に従順なこと、ぴったりくっついて側を2mと離れません。そしてどの犬も実に優しい、「ようこそ浅草観音裏へ、ご案内します」と人なっこい顔をしています。
しかし、猫はこれが違う。「他所者がきた どこから来た」とジーツとにらみます。しかも愛想なしで逃げない。みつめられて、人間様がネコなで声、まねき声を出して手を差し出しへつらって寄っていくと。サッ! パッ!と一定の距離の線まで引きます。
これが又絶妙の間合いの取り方ときている。その後ジーッと見つめて品定めをしている。こちらが又一歩近づくと、サーッと姿を塀や家のすき間に半身だけ入れて、今一度ジーッと流し目をくれ、やがて姿が消えます。「実に絵になっている」んです。
一方、お散歩中の鎖に繋がれた犬が飼い主の顔を伺いながら、ネコの側にうかつに近寄ろうものなら、これはすごいです。四つの手足をピシッとのばすだけのばして、しっぽをピンブルブルとこきざみにふるわせてシャーッと犬をにらみつけ威嚇します。
私の知る限り、どの犬も目をひるませてスーッと知らぬ存ぜぬ顔をして、シッポをまいて静かにその場を去るのです。これ事実です。
これが又絶妙の間合いの取り方ときている。その後ジーッと見つめて品定めをしている。こちらが又一歩近づくと、サーッと姿を塀や家のすき間に半身だけ入れて、今一度ジーッと流し目をくれ、やがて姿が消えます。「実に絵になっている」んです。
一方、お散歩中の鎖に繋がれた犬が飼い主の顔を伺いながら、ネコの側にうかつに近寄ろうものなら、これはすごいです。四つの手足をピシッとのばすだけのばして、しっぽをピンブルブルとこきざみにふるわせてシャーッと犬をにらみつけ威嚇します。
私の知る限り、どの犬も目をひるませてスーッと知らぬ存ぜぬ顔をして、シッポをまいて静かにその場を去るのです。これ事実です。
何故、浅草観音裏の猫は犬より強いのか。それには理由があるんです。実は浅草観音裏店のその又裏小路を入ると、木造アパートが結構残っています。独り住まいのおばあちゃんがいっぱいです。みーんな下町で働いている、そろって元気で明るくそして強い。なるほど、昔はそれなりに一つ二つの浮き名は流したことでしょう、と想像される美形が多いんです。
さて一方、浅草観音表店のどの店にも、年配の美女が必ず一人二人働いていてお局を張っていらっしゃるのに、お気付きですか。お気付きでない方は、浅草○○店デパートのフロアをズーッと歩いてみて下さい。必ずや納得なさることうけ合います。
夜浅草観音裏店の「めし処 酒処」と看板の掛かった間口一間そこそこの小店に入ると、必ず一人二人の元美女に出会えます。「一見さまお断り」「会員制」とか小さな札が掛かってますが、そんなことおかまいなしに入ってみてください。「ハイ、ここ空いていますよ」と小さなおしり(大きなおしり)をヒョイと浮かして隣にさそっていただけますことうけ合います。 誰が店のおかみなのかが一発で解かれれば、あなたはそりゃもうたいしたものです。もてもてにもてますよ。
さて一方、浅草観音表店のどの店にも、年配の美女が必ず一人二人働いていてお局を張っていらっしゃるのに、お気付きですか。お気付きでない方は、浅草○○店デパートのフロアをズーッと歩いてみて下さい。必ずや納得なさることうけ合います。
夜浅草観音裏店の「めし処 酒処」と看板の掛かった間口一間そこそこの小店に入ると、必ず一人二人の元美女に出会えます。「一見さまお断り」「会員制」とか小さな札が掛かってますが、そんなことおかまいなしに入ってみてください。「ハイ、ここ空いていますよ」と小さなおしり(大きなおしり)をヒョイと浮かして隣にさそっていただけますことうけ合います。 誰が店のおかみなのかが一発で解かれれば、あなたはそりゃもうたいしたものです。もてもてにもてますよ。
さてそれで猫と元少女の関係について
そうです! 双方実に孤高で気位い高い、独立不遜、他人様にこびづに美的生活圏を確保しつつ、「間合いのよい人間関係(猫間関係)を楽しんでいらっしゃる。馴染みの店から露地裏の独居房に帰る道すがら何がしかの手土産を、なじみの猫の友にお持ち帰になるのです。深夜の呼びかける人、応える猫、しばしの秘め事と対話のひととき。これはもう人間界と猫界を混然一体ゆうづう無礙この世に「生きとし生けるもの」の生命の触れ合い、ふるえ合う一瞬、、たまゆらの時、「実に絵になる」光景なのです。
「お互い死ぬ時も寄り添って…………………」と信頼のきずなが結ばれていると誰か歌うように言っておりました。
そうです! 双方実に孤高で気位い高い、独立不遜、他人様にこびづに美的生活圏を確保しつつ、「間合いのよい人間関係(猫間関係)を楽しんでいらっしゃる。馴染みの店から露地裏の独居房に帰る道すがら何がしかの手土産を、なじみの猫の友にお持ち帰になるのです。深夜の呼びかける人、応える猫、しばしの秘め事と対話のひととき。これはもう人間界と猫界を混然一体ゆうづう無礙この世に「生きとし生けるもの」の生命の触れ合い、ふるえ合う一瞬、、たまゆらの時、「実に絵になる」光景なのです。
「お互い死ぬ時も寄り添って…………………」と信頼のきずなが結ばれていると誰か歌うように言っておりました。
家で飼われて人間様のひざの上でスヤスヤいい子ちゃんの犬たちも、それはそれなりに幸せ者です。みないい顔しています。お上の鑑定書を首につけて年一回の予防注射も「チャンとキャイン」としてもらっている犬たち。一方孤高の生を毅然と露地裏の青い炎としてもやすピーンとシッポを立てた猫と、背すじののびた孤老の元美女。なま半かの生を生きているわけではないのです。
そいうわけで、真に寄り添う生命の賛歌をBGMに「浅草観音裏店のネコは犬より強い」生を今夜も謳歌しているのです。
どうぞ、浅草観音裏へ歩いてきてください。
つづくよ
そいうわけで、真に寄り添う生命の賛歌をBGMに「浅草観音裏店のネコは犬より強い」生を今夜も謳歌しているのです。
どうぞ、浅草観音裏へ歩いてきてください。
つづくよ