2009年09月
2009年09月17日
言葉の背後
池上先生から直接方法論を語って教えていただいたという経験がない。
池上先生が示してくれるのは、いつもサジェスチョンのみ。
我々は物事に対する姿勢を観察させていただき、それを感じとり、学びとっています。
しかし、どうしても自分の世界感から抜け出すことが出来ず、
簡単に質問をしてしまい、答えが簡単に手に入るのではないかという浅はかな期待を持ってしまっている。
器の小さい私は、自分の信念体系の中で、言葉だけにフォーカスしてしまい、池上先生が方便として使われる言葉の背後を感じることが出来ず、一喜一憂してしまう。
少しでも多くこの言葉の背後を感じることが出来るようになるとここの文章もまた違った感じになると思います。
学びとは受身では決して得ることが出来ないもの。
自発的に自分の器を少しでも大きくしようと日々努力し、その状態で、先達に触れて、啓発され、自分流のものを育ていく。
これは果てしない道のり。
それでも進むかどうかは、自分次第。
私は進みます。
藤巻由崇
池上先生が示してくれるのは、いつもサジェスチョンのみ。
我々は物事に対する姿勢を観察させていただき、それを感じとり、学びとっています。
しかし、どうしても自分の世界感から抜け出すことが出来ず、
簡単に質問をしてしまい、答えが簡単に手に入るのではないかという浅はかな期待を持ってしまっている。
器の小さい私は、自分の信念体系の中で、言葉だけにフォーカスしてしまい、池上先生が方便として使われる言葉の背後を感じることが出来ず、一喜一憂してしまう。
少しでも多くこの言葉の背後を感じることが出来るようになるとここの文章もまた違った感じになると思います。
学びとは受身では決して得ることが出来ないもの。
自発的に自分の器を少しでも大きくしようと日々努力し、その状態で、先達に触れて、啓発され、自分流のものを育ていく。
これは果てしない道のり。
それでも進むかどうかは、自分次第。
私は進みます。
藤巻由崇