社長顔2のコピー8月8日、今から40年前の暑い朝、
弊社は‘株式会社山嘉精練’という屋号を掲げて仕事を始めました。
当時京都は絹織物(特に和装)全盛期であり伝統と格式を重んじる業界では
新参者が入り込める隙間は容易くは無かったそうです。
その様な事情がありましたので、和装に固執せず伝統的な技法を
洋装分野に活かす方向で活路を見出しました。
当時の業界は活気に溢れ、目の前に仕事は沢山ありましたから、
寝る間も惜しんで一生懸命、いや、それ以上に無我夢中で働いてきました。
その姿勢を認めて頂き、業界の繁栄と共に会社も成長させて頂きました。

それから40年、弊社会長に感想を伺うと、
『アっという間の出来事だったのような気もするが、
当時飛ぶ鳥を落す勢いだった会社が既に無くなっていたりして、
早いようで、短いような、永い
40年
これが率直な感想だそうです。
しかし、弊社はお陰様で40年間無事過ごす事が出来ました。
これは多くのお客様からの御支持のお陰であり、支えてくれた社員や家族の協力の賜物です。
次の50周年ではなく、日々1件1件のご依頼を大切にしながら、更なる経験と知恵を積み重ねて参ります。
本日までありがとうございました。
そして、今後とも宜しくお願い致します。

さて、私的に見ると、
この40年の間にも世間の景気が良かった年もあれば低迷した年もありました。
低迷が何故起こるかという原因も大切ですが、そもそも低迷とは誰がどの基準で判断するのか?
という部分で大きく変わると思います。
野球に例えれば試合終了時の結果や終わり方が大切なのであって、
その9回裏という時間軸は其々の会社や社長によって異なるという事だと思います。
京都には100年以上続いている会社が沢山あります。
本当に凄い地域だと改めて感心しますが、それらの会社からすれば100年でも
まだまだ途中の回だという事です。

弊社の低迷時期は今から10年前でした。
ちょうど私が社長に就任する1年前辺りでしょうか。
当時の社長である現会長が‘時代の変化’‘お客様からのご要望’‘価値観の移り変わり’
‘業界の将来像’など、多くの部分で未来が見出せなかった時期でした。
『目標が設定できない』
とは、大海原を闇雲に泳いでいるのと変わりませんから、
体力を消耗し、限界が近づいてくる事だけが脳裏を過ぎったそうです。
『こんな考えの者が会社のトップに君臨していたのでは、お客様からの期待に応える事はもちろん、
生活の基盤、自分の人生を託してくれている社員に応える事すら出来ない。』

という想いが大きくなり、社長を降りる事を決意されました。

それから10年の年月が過ぎ、お陰様で当時見出せなかった未来も明確な形となりました。
それも当時からすれば想像を遥かに越えた光り輝いた未来
次を任された私は、創業者の想いを正しく受け継ぎ、お客様には更にご安心頂けるよう、
社員のみんなには安心して仕事に集中できる職場になるように努力を積み重ねてまいります。

昨年11月から病気療養のため長期休暇していた社員も大病に打ち勝ち、
今はまだ短時間勤務ではありますが、7月より職場復帰してくれました。

夜中に『今の現場の問題点とその解決策がわかりました』と
電話してきてくれる素晴らしい仲間も居てくれます。

先程の野球を例えとすると、今は第2試合のこれから3回裏が始まる辺りでしょうか?

 ‘良い心で良い仕事をする’
この方針を更なる発展への原動力として、高校球児に負けないようがんばります。
こんな想いを巡らした創業祭でした。