井上雄彦さんの絵が好きで、書店にあったこの2冊を衝動買いした。
眺めていると、様々な模様が湧きでては消えることを繰り返す不思議な感覚を体験することができる。
特に面白いと感じたのは、「墨」は古き良き日本の姿であり、「WATER」は
今の 日本の姿に思えてきたことである。


blog1804


日本人の感覚の中には“あえて”全てを伝えず、触れた人の赴くままに、感じるがままに委ねることで、
要するに完結しない終わり方が人も作品もさらなる進歩・発展を推し進めてきた事例がたくさんある。
「墨」も、作者も目にした人も、赴くままに自分にとって理想的な古き良き日本の姿を思い描き、
想像を膨らませ、時代を生きた迸る若者の生き様と無限の可能性を感じる。

これに対して、「WATER」は直接的に美しいと感じたが、
色が付き、よりわかりやすくなったことで、制約が生まれ、行く末を束縛する。

そう考えると、私が作り、また提案することも、完成させないこと、
または出来た物に執着しないことが、さらなる進化の種となる可能性が生まれる。

人々の暮らしも価値観も、ものすごい速さで変化することを時代というのであれば、
その都度都度に立ち止まり、白黒はっきりさせることなど無用の長物である。
逆を返せば白黒はっきりさせない日本人には未来が残されているのかもしれないと思った。

様々な開発に携わる中で、物に執着すれば、自ら制約を生み、行く先を拘束する。
やはり人にスポットライトを当てるのが本筋だと思う。
迸るほど生きているのは物ではなく人だから。