日々是好日(にちにちこれこうじつ)

めまぐるしく移り変わる日々に一喜一憂するなかで、昭和47年生まれの若輩が人と出会い、書物と出合い、多くを考え、学び、
そしてシルクの糸と社員の成長へと注ぎ込む。そんなプロセスを断片的ではありますが、お伝えしていきたいと思います。

社長ブログ

2つの比較

井上雄彦さんの絵が好きで、書店にあったこの2冊を衝動買いした。
眺めていると、様々な模様が湧きでては消えることを繰り返す不思議な感覚を体験することができる。
特に面白いと感じたのは、「墨」は古き良き日本の姿であり、「WATER」は
今の 日本の姿に思えてきたことである。


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日本人の感覚の中には“あえて”全てを伝えず、触れた人の赴くままに、感じるがままに委ねることで、
要するに完結しない終わり方が人も作品もさらなる進歩・発展を推し進めてきた事例がたくさんある。
「墨」も、作者も目にした人も、赴くままに自分にとって理想的な古き良き日本の姿を思い描き、
想像を膨らませ、時代を生きた迸る若者の生き様と無限の可能性を感じる。

これに対して、「WATER」は直接的に美しいと感じたが、
色が付き、よりわかりやすくなったことで、制約が生まれ、行く末を束縛する。

そう考えると、私が作り、また提案することも、完成させないこと、
または出来た物に執着しないことが、さらなる進化の種となる可能性が生まれる。

人々の暮らしも価値観も、ものすごい速さで変化することを時代というのであれば、
その都度都度に立ち止まり、白黒はっきりさせることなど無用の長物である。
逆を返せば白黒はっきりさせない日本人には未来が残されているのかもしれないと思った。

様々な開発に携わる中で、物に執着すれば、自ら制約を生み、行く先を拘束する。
やはり人にスポットライトを当てるのが本筋だと思う。
迸るほど生きているのは物ではなく人だから。

平成30年も3月ではなく「春」を迎えた

最近、制約が成長を妨げるなーーと感じることが多くなった。

例えば、このブログ。
私の場合、過去に書いたことを私自身が読み返すことはまったく無い。
ただ私が居なくなった後に、私を直接知らない人や未来において、平成に生きた日
本人の考え方や、ものづくりに対する価値観など参考になるものもあるかもしれないから、
少しぐらい残しても迷惑にはならないだろうという感覚で、
心が動いたときに、文字で残すくらいである。

以前に増して、ある程度の文章量に収めようとか、定期的に書こうという、
無意識の制約が更なる拘束を招き、文字におこしたことで、
物事をはっきりとさせてしまう、区切りを決めてしまうように感じてしまう、それが嫌になってきた。
物事の終焉は、寂しいという感覚だけではなく、自分の器量では決められないこと、という思いもある。

FaceBookやTwitterと違い、ここのブログは相手のところへ押しかけない。
ご自身の意思で見に来た人だけが見られるから、続けているということもある。



2月と3月。
2月といえば「寒い」「雪」を連想し、3月と書いた途端に「春」「桜」を連想する。
しかし3月でも「4月上旬の陽気」と言ったり、かたや「雪」も降るのに、
「春」と「桜」に縛られる感覚が、私自身嫌なのである。

その点、春夏秋冬という四季や、立春や啓蟄という二十四節気は、微妙に変化するあたりが好きである。
「お日さんがだいぶ伸びてきたなぁ」
まさに立春のころ、母が毎年口にする言葉。

「また草が生えてきたなぁ」
これは清明のころ、毎年聞く言葉。

知識ではなく、自然と調和し、五感に頼り、循環することだけを意識した生き方をする中で、気付ける人に成れる気がする。
また、そんな生き方の方が好きである。

こんなことを書いてるのも「春」のせいかもしれないが。。

私の文化と文明

早いもので、今年も11月の半ばに差し掛かりました。
活気の溢れる暑かった夏がおわり、空気の澄んだ冬の時期を迎えると、
日本の四季の移ろいが、如何に豊かな感性を磨き上げてくれるのだろうと感慨深くなります。
特に田舎に住む私にとっては日々目にする景色の移り替わり、草花の香り、風の音、季節毎の旬の食材などなど、
40年以上にわたり無意識に刷り込まれる自然との調和から心地良さや懐かしさを感じています。

私が夏から秋への移り替わりを感じる最初の変化は夕方の風。
「何がどう変わったのか」と聞かれると困るのですが、あきらかに風の感じが替わる瞬間があります。
秋から冬への移り替わりを感じるのは夕暮れの空の色目。
夕方、車を運転していてまだ5時なのにこんな色になってきた・・と思いながら冬の訪れを感じています。

そんな私が日々絹のお仕事を通じて、様々に求められるご依頼事と向き合っていますと、
暮らしの移り替わりとともに求める豊かさも移り替わってくることに気付きます。
その移り替わりを敏感に、そして的確に捉えるためには、私自身の心のゆとりや余裕が重要だと思います。
これからもその役目が担えるよう、常に柔軟な心で過ごせるような生き方を心掛けて参ります。

たぶんですが、こういう生き方で人生の豊かさ追求し、意識し、行動することが文化を創り出し、
それに対して、早く、的確に、決められたことをテキパキと行動することから生まれるモノが文明かと。
お商売としてのモノづくりも大切ですが、豊かな心を育むためのモノづくりも大切にしたいです。



平成29年11月 9日  山内 伸介

人の死の先の出来事

私が仕事を始めて間もない頃、取引先のご年配の社長さんに声を掛けられた。

「君は〇〇さんのお孫さんか?」

「はいそうです」

「ワシが若い頃、あんたのお祖父さんに『□□青年、今日も気張ってるな。頑張りや』

と、よく声を掛けてもらった。本当によくしてもらった。だから、わしはあんたを信用する。あんたも頑張りや。」

と、言って頂いた。

まだ何の成果もあげてないのに初対面の私を信用してくださる。

私が幼い頃に亡くなったお祖父さんの影響を20年以上過ぎても受けている。

有難いとう気持ちよりも先に、お祖父さんの信用を壊してはならないと思ったのと同時に、逆だったら恐ろしいなぁと感じた事を今でも覚えている。

そして今もこの誇りは私の中で生きている。 

 

今朝、小林麻央さんが亡くなられたという速報が流れた。

ご自身も34歳という若さでもあり、2人の幼いお子さんがいらっしゃったことを思えば、何とも居た堪れない。

改めて、どんなお立場や境遇の人であっても、人は必ず死ぬのだな・・ということを実感した。



人の死は必ず訪れる。

どうせ死ぬなら懸命に生きよう。


そして自分が死んだ後に残された人々が誇れるような生き方をしよう。

 

ご冥福をお祈りするとともに、大切な事を思い出させて頂き、その想いをここに記しておきます。
 

平成296 23日 山内 伸介

大きな仕事

7月に入り、これから夏だ〜と、気分アゲアゲの準備をしているのですが、
未だ涼しい日々が続いていますね。

九州を中心に大雨で河川が氾濫し、家の中に水が流れこみ生活が出来ない人や、
家が流され避難している人が大勢出ていると連日報道されています。
九州 大雨











東北では地震は治まっても原発事故の影響で自宅に帰れない人が大勢いますし、
ガレキの処分も未だに決まっていません。
東日本大震災がれき









それだけではなく、大津波で流されたガレキが太平洋を横断し
アメリカやカナダ、アラスカの湾岸にまで漂着しているそうです。
漂流がれき










桟橋がれき 漂着











漂着がれき 地図















未だ解決への方向性が決まらないまま、
原発の安全宣言だけが急がれました。


うううっ。
何かが違うと思うんですよね〜。

担当者1人1人の発言を聞くと、一見納得のいく様な理屈が有るのですが、
大義というフィルターを通して聞くと、誰の為の仕事なのか?
全く以て`ちんまい`気がしてなりません。

大義とは
人として守るべき道義国家君主への忠義、親への孝行など。
重要意義大切事柄。「自由平等の―を説く」
だそうです。

明治維新を成し遂げた幕末の志士たちが求めた
「上も下もない自由な国」の行く末がこの結末では、うかばれません。

完璧な人はいませんが、
リーダー的な役割を担う人はこの大義を意識した行動や決断が求められます。
大きな仕事、
自分が遣るべき仕事
誇りと責任を持って取り組むことが、生きる証だと。。
そんな志を持って日々過ごしたいと思っています。
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