2014年06月
2014年06月26日
『くらしの百科』8月号と寺山修司と私、そして死を肯定すること
※本日は久しぶりに長文&個人的な内容が多く含まれています。お時間のある時に目を休めながらお付き合いください。
現在制作中の弊誌『くらしの百科』8月号の巻頭特集はナント、終活。就活ではなくて終活です。終活と言うとなんだか暗い雰囲気になってしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、終活は生を肯定する前向きな活動だと私は思います。また、日本初の終活誌である『ソナエ』とも協力し、『ソナエ』の赤堀編集長にもインタビューいたしました。とても気さくな方です。『くらしの百科』8月号は7月15日発行です。乞う、ご期待!
さて、改めて考えてみた終活。私の場合はまだ30代なのですが、終(つい)の準備というか、終の心構えのようなものは常に持っていました。それは私が小さい時から仏教に興味があったこともあると思うのですが、物理的な準備は置いといて、精神的な準備のようなものがなんとなくある気がするのです。
私が“死”というものを意識に置いたのは2つの影響からだと思います。1つは親鸞。先ほども書きましたが仏教への興味が小学生頃からあり、最初は仏教美術だったのですが、次第にさまざまな宗派の考えを勉強するに至りました。その中でも私が惹かれたのが親鸞。親鸞の説いていることは仏教の到達点にあるような気がして、その当時(高校生?大学生?)は貪るように関連書物を読みました。因みに現在の私は葬儀以外は宗教の類とは無縁ですが。
もう1つは寺山修司。 劇作家であり詩人でる寺山修司。天井桟敷の、『さらば箱舟』の、『田園に死す』の、『書を捨てよ街へ出よう』の、70年代を強烈な個性で駆け抜けた寺山修司。彼は19歳の頃ネフローゼに罹り、医者から「長生きはできないよ」と宣告されました。それ以来彼は“死”と生きることになるのです。
【写真】別冊太陽 寺山修司‐天才か怪物か‐
私は寺山修司の作品には常に“生と死”が提起されている気がします。言葉にすると難しいのですが、逸〈はや〉る、と言うのが近いでしょうか。生きるに逸る印象を受けるのです。
実は私自身も寺山修司と似たような過ごし方をした時期がありまして。私の場合は生死に関わる程ではないのですが、目の病気を抱えていまた。見た目ではわからないのですが、原因不明の病気であり、医者からは「処置もできないし、失明するかもしれない」と宣告されました。それ以来、目の見えるうちに何でも見てやろうと映画や小説、勉強に没頭しました。大学では雄弁会に入り、友人と映画を作り映画賞をいただきました。
当時を振り返ると非常にマセていたと思うんです。読んでいた本も埴谷雄高や高橋和己、映画だって東欧映画を観たり。その当時読んだり見ていたものがようやく最近になって理解出来るようになったのですが、きっと私も失明の不安から生きるのを逸っていたのでしょう。幸いにも現在の私の目は病気の進行もなく日常を過ごすことが出来ていますが。
さて、寺山修司に話は戻りますが、彼は生と死を同一のものとして考えていたと思います。生は死であり、死は生であると。曰く、自分の誕生を不完全な死体とし、それが完全な死体に向かう。ギョッとするような文章ですが、真意は何か。
【写真】別冊太陽 寺山修司‐天才か怪物か‐より「懐かしの我が家」
これは単純に物質としての死を書いたのではなく、むしろ精神的な、いわば心理学における自我の統一のようなものなのではないでしょうか。自我の統一、つまり、成功も失敗もあったし、苦労や幸せもあった。辛いことも嬉しいことも。でも、終(つい)に差し掛かり私の人生、なんと素晴らしき哉!と言える境地。全てを肯定できる境地。
寺山修司は死と並走しながらそれでももがき、友人の谷川俊太郎や山田太一に葛藤を打ち明けたりします。思想家・吉本隆明との対談でも割り切れない自分の想いを吐露しています。
【写真】別冊太陽 寺山修司‐天才か怪物か‐
繰り返しになりますが、私にとって終の準備とは、成熟された死の準備だとも思うのです。これこそ寺山修司が「人間というのはは“不完全な死”として生まれ、やがて“完全な死”に向かうプロセスみたいなもの、 つまり、成熟していくことは死に向かっていくことだ」と喝破したように。
【チーフY】
現在制作中の弊誌『くらしの百科』8月号の巻頭特集はナント、終活。就活ではなくて終活です。終活と言うとなんだか暗い雰囲気になってしまう方もいらっしゃるかもしれませんが、終活は生を肯定する前向きな活動だと私は思います。また、日本初の終活誌である『ソナエ』とも協力し、『ソナエ』の赤堀編集長にもインタビューいたしました。とても気さくな方です。『くらしの百科』8月号は7月15日発行です。乞う、ご期待!
さて、改めて考えてみた終活。私の場合はまだ30代なのですが、終(つい)の準備というか、終の心構えのようなものは常に持っていました。それは私が小さい時から仏教に興味があったこともあると思うのですが、物理的な準備は置いといて、精神的な準備のようなものがなんとなくある気がするのです。
私が“死”というものを意識に置いたのは2つの影響からだと思います。1つは親鸞。先ほども書きましたが仏教への興味が小学生頃からあり、最初は仏教美術だったのですが、次第にさまざまな宗派の考えを勉強するに至りました。その中でも私が惹かれたのが親鸞。親鸞の説いていることは仏教の到達点にあるような気がして、その当時(高校生?大学生?)は貪るように関連書物を読みました。因みに現在の私は葬儀以外は宗教の類とは無縁ですが。
もう1つは寺山修司。 劇作家であり詩人でる寺山修司。天井桟敷の、『さらば箱舟』の、『田園に死す』の、『書を捨てよ街へ出よう』の、70年代を強烈な個性で駆け抜けた寺山修司。彼は19歳の頃ネフローゼに罹り、医者から「長生きはできないよ」と宣告されました。それ以来彼は“死”と生きることになるのです。
【写真】別冊太陽 寺山修司‐天才か怪物か‐
私は寺山修司の作品には常に“生と死”が提起されている気がします。言葉にすると難しいのですが、逸〈はや〉る、と言うのが近いでしょうか。生きるに逸る印象を受けるのです。
実は私自身も寺山修司と似たような過ごし方をした時期がありまして。私の場合は生死に関わる程ではないのですが、目の病気を抱えていまた。見た目ではわからないのですが、原因不明の病気であり、医者からは「処置もできないし、失明するかもしれない」と宣告されました。それ以来、目の見えるうちに何でも見てやろうと映画や小説、勉強に没頭しました。大学では雄弁会に入り、友人と映画を作り映画賞をいただきました。
当時を振り返ると非常にマセていたと思うんです。読んでいた本も埴谷雄高や高橋和己、映画だって東欧映画を観たり。その当時読んだり見ていたものがようやく最近になって理解出来るようになったのですが、きっと私も失明の不安から生きるのを逸っていたのでしょう。幸いにも現在の私の目は病気の進行もなく日常を過ごすことが出来ていますが。
さて、寺山修司に話は戻りますが、彼は生と死を同一のものとして考えていたと思います。生は死であり、死は生であると。曰く、自分の誕生を不完全な死体とし、それが完全な死体に向かう。ギョッとするような文章ですが、真意は何か。
【写真】別冊太陽 寺山修司‐天才か怪物か‐より「懐かしの我が家」
これは単純に物質としての死を書いたのではなく、むしろ精神的な、いわば心理学における自我の統一のようなものなのではないでしょうか。自我の統一、つまり、成功も失敗もあったし、苦労や幸せもあった。辛いことも嬉しいことも。でも、終(つい)に差し掛かり私の人生、なんと素晴らしき哉!と言える境地。全てを肯定できる境地。
寺山修司は死と並走しながらそれでももがき、友人の谷川俊太郎や山田太一に葛藤を打ち明けたりします。思想家・吉本隆明との対談でも割り切れない自分の想いを吐露しています。
【写真】別冊太陽 寺山修司‐天才か怪物か‐
繰り返しになりますが、私にとって終の準備とは、成熟された死の準備だとも思うのです。これこそ寺山修司が「人間というのはは“不完全な死”として生まれ、やがて“完全な死”に向かうプロセスみたいなもの、 つまり、成熟していくことは死に向かっていくことだ」と喝破したように。
【チーフY】
sankei_kurashi at 16:34|Permalink│Comments(0)
2014年06月24日
台北 國立故宮博物院始まる【東京国立博物館】
本日6月24日(火)からいよいよ台北 國立故宮博物院の展示が上野公園の東京国立博物館にて始まりました。今回は門外不出と言われている「白菜」の出品があるなど、話題の多い内容になっています。
6月24日~9月15日まで容共国立博物館にて開催。
【観覧料・スマートフォンなどで読むと列がずれてしまう可能性があります】
当日料金 前売り料金 団体料金
一般 1,600円 1,400円 1,300円
大学生 1,200円 1,000円 900円
高校生 700円 600円 500円
必ず下記公式ページにてご確認を。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647
※「翠玉白菜」の展示のみは6月24日~7月7日の2週間限定です。
【チーフY】
6月24日~9月15日まで容共国立博物館にて開催。
【観覧料・スマートフォンなどで読むと列がずれてしまう可能性があります】
当日料金 前売り料金 団体料金
一般 1,600円 1,400円 1,300円
大学生 1,200円 1,000円 900円
高校生 700円 600円 500円
必ず下記公式ページにてご確認を。
http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1647
※「翠玉白菜」の展示のみは6月24日~7月7日の2週間限定です。
【チーフY】
sankei_kurashi at 14:57|Permalink│Comments(0)
2014年06月23日
【閑話休題】MY収穫祭と黒田夏子さん『感受体のおどり』
先週一週間の強い日照りと週末の雨により、先週末の収穫は期待が高まっていました。かたくなに宮沢賢治の農法を標榜し、傍から見ると雑草の茂る私の畑は、目を凝らせば法則性がある訳でして。「それは雑草ではなく、マリーゴールドですよ」と声を大にして言いたいのだけれど、やっぱり本格的な自然栽培はまだまだ珍しいようです。マリーゴールドは防虫効果があるのです。
さて、夏野菜の収穫はもう少し後がピークなのですが、畑に着くと収穫を待ちきれないほどに実った野菜が出迎えてくれます。ゆっくりと時間をかけて収穫したのがコチラ。
ナス、トマト、ししとう、ピーマン、パプリカ、大葉、イタリアンパセリ、パクチーです。わかり辛いかもしれませんが、同じ緑でも表面が滑らかでゴロッとしているのがパプリカ。小ぶりで表面にしわが多いのがピーマン。緑が少し薄く、細長いのがししとう。私は30代なのですが、学生時代の友人に畑の話をすると、一様に驚きます。毎週これだけの野菜が収穫できる立派な自然農法の畑を作り上げることが出来ました。
収穫した足で魚と肉を買いに行き、夕食の準備を。先ずはコチラ。
カツオとパクチーのカルパッチョです。こちらは山盛りのパクチーと生姜の摺りおろしでさっぱりと仕上げます。白ワインにとても合いますが、パクチーと生姜どちらも個性が強いのでスパークリングワインでも良いと思います。もう一皿はコチラ。
豚肉と夏野菜です。近所の八百屋さんに頼むから買ってくれと言われ購入したニラがたくさんあるので、どっさり投入。収穫した野菜のうち、ナス、ししとう、ピーマンを使いました。味付けは塩とお醤油のみでこちらもシンプルに。収穫したばかりの野菜は香りも味も良いので、味付けをシンプルにすると本来の味が楽しめます。豚肉の臭みを十分抜いてから野菜と合わせると一層味わいを楽しむことが出来ます。こちらは酸味の強い赤ワインが合います。
さて、充実した収穫と美味しい食事の後には音楽と読書で一日の締めくくりを。読書の妨げにならないようにかすかに聞こえる程度のピアノクラシックを。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」から始まりショパンへ。本日読むのは芥川賞を最年長で受賞した黒田夏子さんの『感受体のおどり』です。
『感受体のおどり』
文藝春秋社より2013年12月15日発行。
定価(本体1850円+税)
365ページにも及ぶ大作を350の章(作品内では番と書かれています)に切り取った素晴しい小説です。日本舞踊が舞台なので取っ付きづらい方も多いかもしれませんが、黒田さんのスタイルである逆めくり横組みと卓越したひらがなの使い方に感服。そして小説の魅力をこれでもかというくらいに堪能させてくれる虚実の皮膜。お手に取り辛いかもしれませんし、読むのにご苦労されるかもしれませんが、良いですか読者皆様、こういう作品を書ける人って黒田さん以外いないですからね。こんなに小説愛に満ちていて、小説の魅力を堪能させてくれる作家さんいませんよ。初めて読むと何か実験的な小説に感じるかもしれませんが、全ては必然であり、筆力が説得力。私のような若輩者が言うのも憚られますが…お見事の一言。
【チーフY】
さて、夏野菜の収穫はもう少し後がピークなのですが、畑に着くと収穫を待ちきれないほどに実った野菜が出迎えてくれます。ゆっくりと時間をかけて収穫したのがコチラ。
ナス、トマト、ししとう、ピーマン、パプリカ、大葉、イタリアンパセリ、パクチーです。わかり辛いかもしれませんが、同じ緑でも表面が滑らかでゴロッとしているのがパプリカ。小ぶりで表面にしわが多いのがピーマン。緑が少し薄く、細長いのがししとう。私は30代なのですが、学生時代の友人に畑の話をすると、一様に驚きます。毎週これだけの野菜が収穫できる立派な自然農法の畑を作り上げることが出来ました。
収穫した足で魚と肉を買いに行き、夕食の準備を。先ずはコチラ。
カツオとパクチーのカルパッチョです。こちらは山盛りのパクチーと生姜の摺りおろしでさっぱりと仕上げます。白ワインにとても合いますが、パクチーと生姜どちらも個性が強いのでスパークリングワインでも良いと思います。もう一皿はコチラ。
豚肉と夏野菜です。近所の八百屋さんに頼むから買ってくれと言われ購入したニラがたくさんあるので、どっさり投入。収穫した野菜のうち、ナス、ししとう、ピーマンを使いました。味付けは塩とお醤油のみでこちらもシンプルに。収穫したばかりの野菜は香りも味も良いので、味付けをシンプルにすると本来の味が楽しめます。豚肉の臭みを十分抜いてから野菜と合わせると一層味わいを楽しむことが出来ます。こちらは酸味の強い赤ワインが合います。
さて、充実した収穫と美味しい食事の後には音楽と読書で一日の締めくくりを。読書の妨げにならないようにかすかに聞こえる程度のピアノクラシックを。ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」から始まりショパンへ。本日読むのは芥川賞を最年長で受賞した黒田夏子さんの『感受体のおどり』です。
『感受体のおどり』
文藝春秋社より2013年12月15日発行。
定価(本体1850円+税)
365ページにも及ぶ大作を350の章(作品内では番と書かれています)に切り取った素晴しい小説です。日本舞踊が舞台なので取っ付きづらい方も多いかもしれませんが、黒田さんのスタイルである逆めくり横組みと卓越したひらがなの使い方に感服。そして小説の魅力をこれでもかというくらいに堪能させてくれる虚実の皮膜。お手に取り辛いかもしれませんし、読むのにご苦労されるかもしれませんが、良いですか読者皆様、こういう作品を書ける人って黒田さん以外いないですからね。こんなに小説愛に満ちていて、小説の魅力を堪能させてくれる作家さんいませんよ。初めて読むと何か実験的な小説に感じるかもしれませんが、全ては必然であり、筆力が説得力。私のような若輩者が言うのも憚られますが…お見事の一言。
【チーフY】
sankei_kurashi at 11:18|Permalink│Comments(0)
2014年06月20日
追悼・鈴木則文監督 『映画秘宝』8月号が特集
映画『トラック野郎』シリーズを筆頭に『パンツの穴』や『伊賀のカバ丸』などで名を馳せた映画監督の鈴木則文さんが今年の5月15日にお亡くなりになりました。任侠映画からポルノ、ギャグ、アクション映画と、それこそ東映を支えた名監督です。
『映画秘宝』8月号にて鈴木監督の特集が組まれています。『映画秘宝』さんらしい、とっても愛情にあふれた特集です。まずは表紙をご覧ください。
『映画秘宝』8月号
洋泉社より毎月21日発行
定価1080円(本体1000円+税)
映画秘宝さんホームページはコチラ↓
http://www.eigahiho.jp/
表紙は星桃次郎(菅原文太さん)とやもめのジョナサン(愛川欣也さん)の映画「トラック野郎」名コンビ。やっぱりこれが一番ハマる。私は鈴木則文監督の作品を観始めたのが実は遅く、「トラック野郎」シリーズから「女番長」、「伊賀のカバ丸」に「パンツの穴」と進み、いつかは「聖獣学園」を観たいナ…、と思っていたのです。そんな時期に突然飛び込んできた鈴木監督の訃報に大変驚き、改めて偉大な足跡と反逆精神に感銘を受けました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。私たちにできる供養は監督の作品を胸に刻むことだと思います。不世出の映画監督、鈴木則文氏に送る歌はやっぱりこの歌。映画『トラック野郎』より、「一番星ブルース」です。
男の旅は一人旅
女の道は帰り道
しょせん通わぬ道だけど
惚れたはれたが交差点
アーアー アーアー
一番星 空から 俺の心を見てるだろう
【チーフY】
『映画秘宝』8月号にて鈴木監督の特集が組まれています。『映画秘宝』さんらしい、とっても愛情にあふれた特集です。まずは表紙をご覧ください。
『映画秘宝』8月号
洋泉社より毎月21日発行
定価1080円(本体1000円+税)
映画秘宝さんホームページはコチラ↓
http://www.eigahiho.jp/
表紙は星桃次郎(菅原文太さん)とやもめのジョナサン(愛川欣也さん)の映画「トラック野郎」名コンビ。やっぱりこれが一番ハマる。私は鈴木則文監督の作品を観始めたのが実は遅く、「トラック野郎」シリーズから「女番長」、「伊賀のカバ丸」に「パンツの穴」と進み、いつかは「聖獣学園」を観たいナ…、と思っていたのです。そんな時期に突然飛び込んできた鈴木監督の訃報に大変驚き、改めて偉大な足跡と反逆精神に感銘を受けました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。私たちにできる供養は監督の作品を胸に刻むことだと思います。不世出の映画監督、鈴木則文氏に送る歌はやっぱりこの歌。映画『トラック野郎』より、「一番星ブルース」です。
男の旅は一人旅
女の道は帰り道
しょせん通わぬ道だけど
惚れたはれたが交差点
アーアー アーアー
一番星 空から 俺の心を見てるだろう
【チーフY】
sankei_kurashi at 17:23|Permalink│Comments(0)
2014年06月17日
作家志望の方こそ読むべき!『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』は映画『ジャッカルの日』である!
昨日、増田俊也さんの『七帝柔道記』を取り上げましたが、多くのお問い合わせと反響をいただきました。同じく増田俊也さんが書かれた『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』についてです。ノンフィクション作品ですが、侮るなかれ。事実を読んでいるうちにふと気が付くと虚構との境界線上を読者は歩かされる。ノンフィクションですが、この本は作家になりたい方は絶対に読むべきだと思うんです。小説的虚構と史実の到達点と言い切っても過言ではないと。
そう、あの日確かに木村政彦は力道山を殺したのだ。映画『ジャッカルの日』で暗殺者ジャッカルがドゴール大統領を追い詰めたように…。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
新潮社より2011年9月30日発売
定価:本体2600円(税別)
この本の凄味をお伝えするために、プロローグから一部をまずは抜粋いたします。作家の猪瀬直樹氏が木村政彦の自宅を訪れ、力道山との試合について取材したときの模様が書かれています。少々長くなりますがどうぞ。
以下、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』本文25ページ抜粋
«「あいつは卑怯な男ですよ」
と木村は僕に言った。
「だから、殺したんだ」
しかし、彼はあなたに殺されたのではなくヤクザに刺されて死んだんですよ。
「いや、殺した」
どうやって?
「ここですよ」
と木村は額を指さした。僕は意味が分からなかった。
「ここに“殺”と書いたんです」
ああ、イメージで前頭葉のあたりに字を描いたわけですね。
「そうだ」
そんなことしたって人は死にません。
「いや、死ぬんだ」
念力ですか。納得できませんね。
「信用しないのなら、あなたについても“殺”を書こうか」
しばらく気まずい沈黙が続いた。木村は、目を閉じ昔話を始めた。
「柔道の選手権の前夜、座禅を組んだ。何時間も、ずっとだ。すると額のところに“勝”という字が浮かんできて黄金色に輝き始める」
試合の前は、いつもそうなさるのですか。
「“勝”が出てこないときには、日本刀を腹に当て、切っ先を肌に食い込ませる」
痛いですね。
「痛くない。そのままじっとして待つ。すると“勝”が出てきたときもある」
木村は誇り高き勝負師であった。たった一度の過ちが彼の後半生を台無しにしたはずだが、世間が何をどういおうと、力道山を自分で始末したのである。
取材の岐路、拭い難い疲労感に襲われることがたまにある。あの時もそうだった»
(『週刊文春』1993年5月6/13日合併号「『枯れない殺意』について」猪瀬直樹)
ー抜粋終わりー
いまとなっては“一度の過ちが後半生を台無しにした”と仰られる猪瀬直樹さんにも趣深いのですが、それは置いといて、これが木村政彦という男の凄味です。私たちは史実の世界で物事を判断します。しかし、史実がどうであれ、事実は個々の中にあると思うんです。事実が必ずしも真実とは限らないように。
突然ですが、岩釣兼生という名前をご存知ですか?木村政彦がプロレスへの復讐のために心血注いで鍛え上げた人物ですが、皆様が知らないのも当然なんです。なぜなら彼は地下格闘技(何でもアリ)のチャンピオンで、表には決して出てこない名前だからです。
そして、この本の出だしは、その岩釣兼生さんが全日本プロレスと行った(実際には破棄になった)契約から始まります。そこで岩釣側はジャイアント馬場にこう提案するんです。
岩釣に負けろ、飲まないなら真剣勝負で潰す…と。
本当に未読の方は今すぐお手に取ってください。こんな作品滅多に読むことできませんよ。柔道にご興味のない方も歴史をしっかりと見届ける面白さを十分に堪能できる一冊にです。
因みにボリュームも凄いですよ。どれくらいブ厚いかというと…
当然ながら立つ。横から見ると…
このボリューム。この程度で驚いてはいけません。中を開くと…
まさかの二段組み。ここから本の中で使用されている写真をご紹介。
これが拓大時代の木村政彦氏。貫禄なんて生易しい物じゃぁない、カリスマってェのはこういう人のためにある言葉。惚れてまうやろ。そしてとっておきの一枚がコチラ…
一番右…ではなく、当然一番左が木村政彦氏。この肉体が説得力。
以上、本日は他誌の編集長と打ち合わせを控えているのでこの辺でおしまい!
【チーフY】
そう、あの日確かに木村政彦は力道山を殺したのだ。映画『ジャッカルの日』で暗殺者ジャッカルがドゴール大統領を追い詰めたように…。
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』
新潮社より2011年9月30日発売
定価:本体2600円(税別)
この本の凄味をお伝えするために、プロローグから一部をまずは抜粋いたします。作家の猪瀬直樹氏が木村政彦の自宅を訪れ、力道山との試合について取材したときの模様が書かれています。少々長くなりますがどうぞ。
以下、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』本文25ページ抜粋
«「あいつは卑怯な男ですよ」
と木村は僕に言った。
「だから、殺したんだ」
しかし、彼はあなたに殺されたのではなくヤクザに刺されて死んだんですよ。
「いや、殺した」
どうやって?
「ここですよ」
と木村は額を指さした。僕は意味が分からなかった。
「ここに“殺”と書いたんです」
ああ、イメージで前頭葉のあたりに字を描いたわけですね。
「そうだ」
そんなことしたって人は死にません。
「いや、死ぬんだ」
念力ですか。納得できませんね。
「信用しないのなら、あなたについても“殺”を書こうか」
しばらく気まずい沈黙が続いた。木村は、目を閉じ昔話を始めた。
「柔道の選手権の前夜、座禅を組んだ。何時間も、ずっとだ。すると額のところに“勝”という字が浮かんできて黄金色に輝き始める」
試合の前は、いつもそうなさるのですか。
「“勝”が出てこないときには、日本刀を腹に当て、切っ先を肌に食い込ませる」
痛いですね。
「痛くない。そのままじっとして待つ。すると“勝”が出てきたときもある」
木村は誇り高き勝負師であった。たった一度の過ちが彼の後半生を台無しにしたはずだが、世間が何をどういおうと、力道山を自分で始末したのである。
取材の岐路、拭い難い疲労感に襲われることがたまにある。あの時もそうだった»
(『週刊文春』1993年5月6/13日合併号「『枯れない殺意』について」猪瀬直樹)
ー抜粋終わりー
いまとなっては“一度の過ちが後半生を台無しにした”と仰られる猪瀬直樹さんにも趣深いのですが、それは置いといて、これが木村政彦という男の凄味です。私たちは史実の世界で物事を判断します。しかし、史実がどうであれ、事実は個々の中にあると思うんです。事実が必ずしも真実とは限らないように。
突然ですが、岩釣兼生という名前をご存知ですか?木村政彦がプロレスへの復讐のために心血注いで鍛え上げた人物ですが、皆様が知らないのも当然なんです。なぜなら彼は地下格闘技(何でもアリ)のチャンピオンで、表には決して出てこない名前だからです。
そして、この本の出だしは、その岩釣兼生さんが全日本プロレスと行った(実際には破棄になった)契約から始まります。そこで岩釣側はジャイアント馬場にこう提案するんです。
岩釣に負けろ、飲まないなら真剣勝負で潰す…と。
本当に未読の方は今すぐお手に取ってください。こんな作品滅多に読むことできませんよ。柔道にご興味のない方も歴史をしっかりと見届ける面白さを十分に堪能できる一冊にです。
因みにボリュームも凄いですよ。どれくらいブ厚いかというと…
当然ながら立つ。横から見ると…
このボリューム。この程度で驚いてはいけません。中を開くと…
まさかの二段組み。ここから本の中で使用されている写真をご紹介。
これが拓大時代の木村政彦氏。貫禄なんて生易しい物じゃぁない、カリスマってェのはこういう人のためにある言葉。惚れてまうやろ。そしてとっておきの一枚がコチラ…
一番右…ではなく、当然一番左が木村政彦氏。この肉体が説得力。
以上、本日は他誌の編集長と打ち合わせを控えているのでこの辺でおしまい!
【チーフY】
sankei_kurashi at 19:21|Permalink│Comments(0)