2013年05月24日
【閑話休題】大手町と馬、そして読む読む…ひたすら読む。
昨日の絲山さん新刊『忘れられたワルツ』のご紹介を多くの方に読んでいただいた様子、ありがとうございます。昨日私が言いたかったのは絲山作品は出たら全部読めってことのみなのです。
本日はまず絲山さんの補足を。文学作品、特に中・短編作の賞と言えば芥川賞と川端康成文学賞が真っ先に浮かびます。この両賞を受賞する作家は結構いらっしゃいます。しかし、芥川賞は新人作家が対象(異論あると思いますが)なので、当然ながら芥川賞受賞→川端康成文学賞受賞の流れだと思うんですね。
ところが
2000年以降、この芥川賞受賞→川端康成文学賞受賞の流れに逆らって、川端康成文学賞受賞→芥川賞受賞となった作家さんが二人いらっしゃいます。その二人が田中慎弥さんと絲山秋子さんなんですね。
話は変わりますが、絲山さんの作品を拝読して、文学や小説の中に現代の空気感を閉じ込めるっていう事はなんと難しい事か…なんて思ったりもするんです。重厚な作品を作ろうとするとどうしても作者の意図することや伝えたい主題=内側に向かっていく作業になってしまうと思うのですが、そこに現代との接点=外側との接点を持つことで読者の想像の手助けになる反面、時代は常に動いているわけで、例えばデジタル描写とかが次の世代のタームになったとき果たして文学作品として語り継がれる作品足りえるのか、なんて考えたりもするのです。
私事ながら、先日実家に帰った際に久しぶりに父親と文芸談義をする機会がありまして、そこで出た会話も文学作品における時代描写みたいなことでした。つまり、こんなことを話していたのですが…
高橋和己はなぜ再評価されないか
あくまで私と父との駄話の延長線上の議論ですので、いや、そんなことはナイ!と目くじらを立てずに。前提として私も父も高橋和己のファンです。
こちらは私物ですが河出書房の作品集です。
高橋和己の著作の中でも評価の高い「邪宗門」は私も折に触れて読み返す一冊なのですが、私の周りに高橋和己を読んだって声、聞かないんです。で、例えば村上春樹さんの小説は時代が変化しても再評価されるのだろうと。その違いがひょっとしたら作品内における時代描写にあるんじゃないか、みたいな会話をしました。
さてさて、小説を読む毎日です。ひたすら読む。朝起きながら課題作を読む、記事のために関連作を読む、社で文献や関連情報を資料室で探し読む、昼を食ずに課題作品を読む、諸々出版社の方にご案内を頂き、読む。帰宅時の電車で読む、帰宅したら映画配給会社さんからご案内いただいている映画一本観ながら食事。風呂入りながら読む、長い時は2~3時間は読む、知らないうちに本がふやけても気にせず読む、布団に入って読む、半眠のまま読む、目をつむって読む…。
そんななか太田出版さんのこの素敵な装丁が一服の清涼剤。コマツシンヤさんのフルカラーマンガ作品集「8月のソーダ水」は5月29日発売予定です。コチラの作品紹介は後日改めて。
さて、タイトルの大手町と馬ですが…
…。
…。
…すみません。私、お馬さん詳しくないんです。
明日はできれば磯崎憲一郎さん新刊「往古来今」と鹿島田真希さん新刊「暮れていく愛」の芥川受賞作家ダブル紹介です。週末に向けて素晴しい小説をどしどしご紹介しますので、読者の皆様引き続きお付き合いを!
【チーフY】