その場に立つ

浦和興産株式会社・社長ブログ

2018年JOY耐のレースウィークは6月28日金曜日から始まった。

この日、関東地方には6月としては異例の梅雨明け宣言が出され、ツインリンクもてぎには朝から真っ青な空が広がっている・・本格的な夏の到来。

明日の予選、明後日の決勝は酷暑の中で人にもクルマにも厳しい戦いになることが予想される。

6月29日の予選、Aドライバーの森下陽介、Bドライバーの銘苅翼共にクラス最速のラップを刻むことが出来た。
Cドライバー登録の私もクラス2位を記録する。

狙い通り、クラス(フィット1.5チャレンジカップ)のポールポジション、総合でも21位の好位置。
勝利に向けた第一関門を越えることが出来た!
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スターティンググリッドでの記念写真。
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そして、7月1日日曜日午前10時に7時間耐久レースがスタート。

スタートドライバーの森下陽介は順調に周回を重ね、スタートから1時間後には総合2位までポジションを上げる。

昨年、大失敗をした1回目の給油ストップ、ドライバー交代も無事にクリア(ここが第二関門!)
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銘苅翼操る我が6号車はスタートから2時間後の正午すぎには総合トップへ。
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その後、順調に6号車は周回を重ねる。
給油ストップ、タイヤ交換、ドライバーチェンジもスムースに行い、我が6号車は上位争いをしながらレースは中盤から終盤へ。

スタート後、接戦を続ける7号車フィット、9号車フィット、そして75号車シビック、813号車ロードスター、そして我々の6号車フィットに優勝争いが絞られてくる。

いよいよ勝負も残り1時間。
スタートから6時間を経過した134周目から、我が6号車が、この日4度目のトップに立ちます・・ここからが、いよいよ詰めの第三関門。

そして・・
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最終ランナーである私が『第18回JOY耐7時間耐久レース』をトップでチェッカーフラッグを受けることが出来ました!!
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周回数は154周、距離にして740kmを走破しての総合優勝。
あわせて”フィット1.5チャレンジクラスの優勝。

チェッカーフラッグを受けスローダウンすると、コース上各ポストのマーシャルの方々が皆さん、手を叩き、手やフラッグを振って祝福してくれます。私も「勝った!」という喜びと安堵感、そして何とも言えない感謝の気持ちで一杯になって、精一杯手を振り、彼らに応えます。

マーシャルカーに導かれメインストレートに戻って来ると、我がチームのメンバーたちが総出でピットフェンス越しに喜ぶ様子が目に飛び込んできます。

7時間ノントラブルで走ってくれたフィットのエンジンを止めたとき、
「ああ、終わったんだ」
昨年のレースから、ずうーっと続いてきた悔しい気持ちから、やっと解放された気がします。

クルマから降りると、共に戦った7号車フィットの浅野選手が祝福の言葉と握手を求めてきました。
「おつかれさま!」
お互いの健闘を称え合う。

ピットウォールのフェンス越しにはレースマネージャーのサダト君とミミさん、そしてレオ君。喜びの握手を交わす。
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今回の勝利の中でサダト君の果たした役割はとても大きかった。
わが社のブレインメンバーからも絶大の信頼を得ていたし、私にとっても最高のレースマネージャーとして活躍してくれた。
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ありがとう、サダト。

ピットロードへの入り口には、海老澤紳一さんが待ち受けてくれていた。
海老澤さんと歓喜の中、抱き合う。
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2年前に海老澤さんの"ヴァーサスレーシングサービス"の門を叩いて以来、私たちのJOY耐にかける夢を真正面から受け止めてクルマのセットアップを進めてもらって来た。

今年の6号車フィットには、海老澤さん自身が"フィット1.5チャレンジカップレース“で培ってきたノウハウの全てがつぎ込まれた結果の勝利。
海老澤さんの汗と涙が私たちに総合優勝の栄冠をもたらしたと言っても過言ではない。
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勝利の瞬間、海老澤さんの目に涙が・・
わが社のスタッフが見ていましたよ!
ありがとう、海老澤さん!

そして、チーフメカを務めてくれた吉成さん・・プロの仕事を見せてくれました。ありがとう!
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あの若いふたり・・森下陽介と銘苅翼が・・
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3人でしっかりと抱き合う。
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「いやあ、おまえたち、よく走ったなぁ。陽介も銘苅も、この日のもてぎで間違いなく最速、最高のレーシングドライバーだよ。俺もお前たちから一杯刺激を受けて、みっともない走りは出来ない!そんな気持ちで走ったよ!」
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ふたりには、予選で「頭をとってこい!」と送り出し、それに応えてそれぞれ見事ポールタイム。
銘苅は昨年の悔しさを晴らしたことが嬉しいね。
ふたりとも、決勝の走りも同じクラスの他のドライバーを圧倒していた。そんなふたりから刺激を受けて走れるしあわせ。
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ありがとう、陽介、銘苅。

ブレインメンバーひとりひとりと握手をしてお互いの労をねぎらう。

7時間に渡って、サインエリアからドライバーにサインボードを掲示し続けた佐野誠と野口英一。
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君たちにとっても長い耐久レースだったね。
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サーキットの路面温度が60度に達する中での作業はお疲れ様でした。
ありがとう。


キッチンタイマーを握りしめながら、給油所の混雑状況を刻々と伝えてくれた嶋田貴之と天野隆一のふたり。
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給油後はキッチンタイマーを持ってピットへ走り、大声でピットアウトへ向けたカウントダウン始める姿は我がチームではお馴染みの光景。
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そして、司令塔付きの小山純、梶田裕吾、大俣克興の3名。

小山がブレインメンバー全員の動きに目を光らせてくれたことが統率されたチームの雰囲気を作ってくれた。
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梶田は昨年までのドライバーへのヘルプに加えて、今年は司令塔でタイミングモニターからの情報を整理する役割も担ってくれた・・大活躍だった。
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大俣は広報活動や清掃を行う。
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そして、会社のブレインメンバーへの最高の研修プログラムを提供してくれたCS研究所の浜田先生、ありがとう。
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3年前から我々のチームの幸運の女神の舞ちゃん、遠くから応援にやってきてくれてありがとう!
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我が社からもレースクイーンズのふたりが・・青木さん、酒井さん、熱い声援をありがとうございました。
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チームの皆と喜びをかみしめる表彰式。
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そして、歓喜のシャンパンファイト・・
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この日の最後は、3日間苦楽をともにした13番ピットでヴァーサスレーシングの僚友7号車のメンバーと記念写真。
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7号車は153周して総合4位。
惜しくも表彰台へ上がれなかったけど、来年は一緒に上がりましょう・・
もちろん、僕たちが壇上では上だからね!!



激動の昭和を生きた大物政治家の家を訪ねて大磯へ行きました。
そう、旧吉田茂邸です。
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吉田茂(1878~1967年)は、戦後の混乱の時代に通算5回首相を努め、日本の復興と今日の繁栄の礎を築いた人物として知られています。

国道1号線沿いに位置するこの屋敷は、元は吉田茂の養父である横浜の豪商吉田健三が1884年(明治17年)に別荘として建てたものだそうです。
吉田健三の跡を継いだ吉田茂は1944年頃(昭和19年)から亡くなる1967年(昭和42年)まで暮らします。
その間に吉田茂は都合8回増改築を繰り返したそうです。(きっと、愛着も湧きますね)

吉田茂の死後から40年以上の時を経た2009年3月、この邸宅は原因不明の出火で消失してしまいます。
この事態に大磯町は「大磯町旧吉田茂邸再建基金」を設置して寄付金を募り、それから7年後の2016年に
消失した建物を再建してしまいました。(凄いです)
そして、今年2017年4月から一般にも公開されています。

旧吉田茂邸への来訪者が最初に目にするのは「兜門(かぶともん)」です。
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この立派な門はサンフランシスコ講和条約を記念して建てられたそうで、前述の火災による消失を免れました。

兜門をくぐり、見事な日本庭園を左手に上ると数寄屋風の玄関が来訪者を迎えてくれます。
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玄関を入った右手が「楓の間」です。
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この楓の間は応接室として使われ、内外の要人たちがやって来ました。

正面南から東の方角には相模湾が広がり、冬の明るい日差しがキラキラと輝いています。

左手に見える階段を上がります。
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立派な階段を・・ドキドキしますね。

応接間の2階は吉田茂の書斎です。
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佇まいが良いです。
この部屋は吉田茂にとっても、気持ちが安らぐ場所だったであろうことを思います。

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書斎の北西の縁からも冬の富士がくっきりと見えます。

書斎に隣接して浴室が・・
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30年以上に渡り外交官としてきた吉田茂にとっては浴室と云うよりはバスルーム。
洋風のバスタブに似せたものを船大工に造らせたものが・・まさに『湯船!』
吉田茂の茶目っ気のある人柄が見えてきます。
ちなみに、ここからも富士山は見えます。

応接間棟の階段を降りてゆくと・・
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アール・デコ風の「ローズルーム」(食堂)が現れます。
地階にはワインセラーもあり、この大きなダイニングルームでは晩餐会が開かれたそうです。

左手から中庭を望み、新館2階の「金の間」「銀の間」へ。
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こちらは「金の間」
装飾に金を多用し、床は寄木細工(箱根も近いですし、関係しているのでしょうか?)

当時、国賓の来日の際には旧朝香宮邸(現在の東京都庭園美術館)が使用されていましたが、吉田茂は、ここでお迎えしようと考えたそうです。
なるほど・・
旧朝香宮邸は「アール・デコの館」と呼ばれる洋館に対して、こちらは近代の数寄屋建築です。
美しい富士の眺めも相まって、純日本風のこちらの方が外国からの要人には受けるかも知れません。
外交官暮らしも永く、とてもユニークな発想を好む吉田茂らしいですね。

それにしても・・
この部屋からの眺めは絶景です。
正面には煌めく相模湾。
右手には冠雪の富士山。
それぞれが冬の透明な空気の中にあって美しく輝いています。

そして、「銀の間」
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1967年(昭和42年)10月20日、この部屋で吉田茂は息を引き取ります。
享年89歳。
明治に生まれ、大正、昭和を外交官として生き、太平洋戦争開戦には反対し、開戦後は戦争終結を画策、いわゆる「ヨハンセングループ(吉田反戦)」と軍部・憲兵隊から監視下におかれ、ついに投獄。
戦後は内閣総理大臣を5度に渡り勤め、戦後日本の復興とその後の発展に大きく寄与した人でした。

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邸宅に隣接した高台に吉田茂の像が立ちます。

そのおだやかな眼差しは眼下に広がる太平洋に向けられています。

彼の目には、今の時代はどう写っているのでしょうか?

今、私たちの国は戦後の復興から高度成長を成し遂げ、多くの人々が豊かさを享受しています。
しかし、世界の平和はさまざまな危うさの中にあり、日本の安全保障の問題も大きな曲がり角を迎えています。
戦後、制定された世界に誇るべき平和憲法も改憲への動きが現実のものとなりつつあります。

吉田茂・・
あなたの眼には今の日本はどう写っているのでしょうか?

そんなことを知りたい。
叶わぬ願いを想う、旧吉田茂邸への訪問になりました。











 

 

秋から冬にかけて見た中から、ふたつの建築を振り返ってみます。

先ずは、『安藤忠雄展 挑戦』
国立新美術館開館10周年を記念して、建築家安藤忠雄の出発点から今日、そして未来へと・・
安藤忠雄が渾身のチカラと圧倒的なスケールで見せてくれました。 

この展示会の為に、野外に原寸大で建ててしまった!『光の教会』
いつか、大阪の茨木へ見に行きたいと思っていた『光の教会(1989年)』が東京のど真ん中で見られる。
しかも、教会の建物にガラスを埋め込んでいない・・安藤忠雄が望む本来の姿で。

ちょっとした物語性のあるエントランスから教会の中へ・・

礼拝堂の正面に開けられた十字のスリット から差し込む光。
ああ、なんて素敵な光だろうか。

打ち放しのコンクリートと型枠の木材を使った床。
とてもシンプルだけれども、その教会の内部には豊かな空間と時間を感じます。
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「(『光の教会 1989年』のガラスを)いつか取ってやろうと思っている!」
安藤忠雄が茶目っ気たっぷりに言っていた言葉を思い出します。

それにしても・・
自身の建築展に代表作の一つである『光の教会』を自腹で建ててしまうなんて(建築確認許可はもとより建築費も以前の倍くらいかかったそうです!)
あっぱれな人です!


若き日の安藤忠雄はヨーロッパへ旅に出て、いろいろな建築を見て歩きます。

その彼が強く印象を受けた建物がフランスにある『ロンシャン礼拝堂』だそうです。
ここで彼は、教会の内部に差し込む光をを見て衝撃を受けたといいます。
そして、この若い日の強烈な出会いは、その後の建築に大きな影響を与え、この『光の教会』が生まれます。

ロンシャン礼拝堂は20世紀を代表する建築家ル・ゴルビュジェの作品ですが、その弟子である坂倉準三が岡本太郎の依頼で青山に建てたのが『岡本太郎邸』(1954年竣工)です。

現在は『岡本太郎記念館』として一般に公開されています。
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右手の庭園から岡本太郎の家を見てみましょう。
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モダニズムを感じさせるバルコニーには・・
いますね、太陽の塔くん。
鎧戸の雨戸がいい感じです。

家の中に入ると・・
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岡本太郎さんと彼が生み出したキャラクターたちが迎えてくれます。

2階の展示室へ。
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この建物のユニークな屋根を支える構造が判ります。
おそらく、当時のものと思われる空調のダクトが目を引きます。

そして、アトリエへ。
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創作活動の空間として、興味津々・・
岡本太郎の想像力が形になって行った場所なんですね。
このアトリエから『太陽の塔』も生まれたそうです。


最後に、このアトリエを外から見てみましょう。
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坂倉準三は岡本太郎の求めに応じてコンクリートブロックを積み上げました。
予算の関係でしょうか?

このコンクリート打ち放しの部分は竣工時はどうだったのでしょうか?
坂倉準三がコンクリートの打ち放しを使うのは、もう少しあとかな?
とても微妙な時期・・?

いろいろと疑問が湧いてくる建物です。
教えて頂ける方がいたら・・知りたいところです。

人の住む家、あるいは住んでいた家を見るのは楽しいですね。
その主(あるじ)のいろいろな思いや生活が浮かんできます。
 

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