その場に立つ

浦和興産株式会社・社長ブログ

みんな大好きな自転車が誕生して200年。
世界最高峰の自転車レースとして知られるツールドフランスも100年の歴史を越えました。

今回は「誕生から200年、新たな自転車の100年が始まる」と銘打った『自転車の世紀』展を紹介します。

この自転車の世紀展は、今年の春から茅ヶ崎市美術館で開催されていました。
夏から会場が変わり、この日は郡山市立美術館での展示会です。

まだ行ったことのない美術館に行く・・ちょっぴり心が躍りますね。
数多くの公共建築の中にあって、設計者のこだわりを感じさせる・・

思うに、美術館を設計するというのは、建築家にとっても特別なものではないでしょうか? 
美術館はアートを発信する公共の場ですから、そこに様々なものが求められたり 、
多くの制約・・勿論、コスト上の問題も大きいでしょう。
しかし、建築家ならば、自身の思いや芸術的な側面も表現したいはずです。
だから、美術館は面白いですね。

この郡山市立美術館には何も予備知識がなく行ったのですが・・

エントランスへのアプローチを歩くと、すぐに設計者の思いが伝わってきます。
敷地の中に建築物をどう配置して、どう誘い、魅せるのか。
来訪者に、いくばくかの高揚感が沸き起これば・・
設計者にしてみればしてやったり! ではないでしょうか?
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良かったですよ。
駐車場にクルマを停めて、エントランスまでのアプローチ。
平らな石を敷き詰めた庭園が石の大海原のよう。
海を渡って美術館へ入ってゆく・・
そんな感じです。


自転車の魅力は色々とありますが、そのひとつに開放感があると思います。
風を切って走るのですから当たりまえですね。
漕ぐペダルの足を止めたときの滑空感もいいです。
まっ、漕がなきゃ駄目ですけど。

自転車を愛好する人や自転車の仕事をする人も開放的でフレンドリーな方が多いような気がします。
実は、この『自転車の世紀』展も、そんな開放的な展示会でした。

展示品の写真はご自由にどうぞ。
それらをSNSやブログに投稿もOKです。
嬉しくなります。

約200年前に生まれた自転車。
1817年、ドイツで生まれた「ドライジーネ」は木製で重く、方向を変えるハンドルは付いていたものの、まだペダルは無く、足で地面を蹴って進むものでした。

この、足で地面を蹴る方法は4年間変わりませんでしたが、1861年、フランスのミショー親子が、自転車にペダルとクランクを取り付け、現在のようにペダルを回して進むことが出来るようになりました。
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ミショー型自転車 「ボーンシェーカー」(1870年)


1867年、パリで始まった自転車レースは1870年頃には盛んに行われるようになり、速く走るための工夫が進んで行きます。
前輪を大きくしてペダル1回転で進む距離を大きくしてスピードが出るようにしました。
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オーディナリー型自転車(1884年)

前輪が大きく、人の乗る位置が高くて前方にあり、不安定で急ブレーキでは前方に投げ出される事故が多かったようです。
明治の頃、日本にも多く輸入され「だるま自転車」と呼ばれたそうです。

1879年、イギリスのハリー・ローソンが製造した自転車は前輪が方向を決め、後輪は前へ進ませるためと、前輪と後輪の役割を分けました。
この結果、前輪を小さくすることが出来、人の乗る位置も低くなった。
このことが、より速く、より安全な乗り物になりました。

この自転車は「ビシクレット」と名付けられました。(我らがビチクレッタ・ホッタのルーツかな?)

1885年、イギリスのスターレイはこの「ビシクレット」を参考に前後輪が等しい大きさの自転車「ローバー」を製造します。
この安全性の高まった「ローバー」自転車を「セイフティー・バイシクル」と呼びPRしました。

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セーフティ・バイシクル 安全型自転車(1892年)

明治28年(1895年)、日本でも初の自転車レースが横浜の外国人居留地内グラウンドで開催されたそうです。
翌年(1896年)には横浜〜国府津まで東海道を使いロードレースが行われました。
自転車レース熱は高く、明治31年(1895年)には上野不忍池畔で第1回内外連合自転車競争運動会が開催され約500人の選手が出場しました。

戦争という日本の自転車競技には暗黒の時代がありました。
しかし、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催が、日本の自転車競技の増加や競技車製作の進歩につながりました。
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「エバレスト チャンピオン」(1962年)

東京オリンピック候補選手のために土屋製作所が作った試作ロードレーサー。
日の丸のヘッドエンブレムが誇らしく見えます。

1970年のインターハイ(全国高校総体)自転車競技に出場した高校生の私は、当時、本郷3丁目の交差点にあった「エべレスト」(土屋製作所)へロードレーサーに乗って良く通いました。
ですから、この会場に展示されたエバレストを見て、懐かしい思いがこみあげて来ちゃいました。

「ツール・ド・フランス」の歴史は1903年に始まりました。
今年で104回の開催となりましたが、この展示会には興味深いバイクがありました。
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ロードレーサー「イノー」(1985年)

フランス人選手の「ベルナール・イノー」が1985年のツール・ド・フランスで5度目の優勝した時に乗っていたマシンです。
フレームの製作は「LOOK」社だそうです。

LOOK社はスキーのビンディング・メーカーとして知られていましたが、この年、LOOK社のビンディング付きペダルが初めて自転車レースに使用されました。
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近未来のスタイルで目を惹いたのが「スバル」の電動アシストバイク。
スバルのルーツはかつての航空機メーカー「中島飛行機」
航空機に大切なエアロダイナミクス(空気力学)は現代のバイクにも通ずるものがあります。
近い将来、是非市販して欲しいですね。
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「SUBARU VIZIV Two Wheels Concept」(2015年)

そうそう・・近未来と言えば、こんな美しいバイクも。
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「ケルビム  ハミングバード」(2012年)

イギリスのデザイナー集団TOMATOを牽引するSimon Taylorと、CHRUBIMUのチーフビルダー今野真一が共同でデザイン、製作をしたバイクです。
このバイク、実車はとても美しもありレトロな暖かみを感じさせてくれます。

まぁ、こんな感じで自転車の歴史を辿ることが出来ます。
郡山市立美術館での展覧会は終了しましたが、2017年10月28日〜12月17日まで千葉県の佐倉市立美術館で開催されます。

最初にご案内した、ここ郡山市立美術館は東京都現代美術館や新国立劇場など多くの公共建築を手がけて来た柳澤孝彦です。

石の大海原を想起させたエントランスへのアプローチ。
夜になったら、どうになるのかなぁ・・
美術館のカフェで日の暮れるのを待ちます・・

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やがて、こんな風景が現れました。
やはり、美術館は面白いですね。



















 

この春、我が家の庭で生まれたカラスの雛。
5月の末にブログで紹介してから2ヵ月余り。
いつからか、この雛を『かぁくん』と呼ぶようになっていました。
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なかなか親離れが出来ない様子でしたが、最近は我が家の空を羨ましいほど自由自在に飛び回っていました。
私は『かぁくん』のそんな様子を見るのを日々の中でとても楽しみにしていました。

けれども、別れは突然にやって来ました。

一昨日、8月3日木曜日の朝7時。
私は仕事に向かおうと家を出ます。

視線を上に上げると、我が家の敷地に建つ倉庫の屋根に『かぁくん』と番いの親ガラスが・・・
「かぁくん、おはよう!」
我が家の3羽のカラスへの朝の挨拶、これがすっかり日課になっています。

この日も元気そうにしていると思ったのですが・・

それから2時間半後、悲報が入りました。

「かぁくんがどんぐりの木の下で死んでいる・・」
「えっ、そんな馬鹿な! さっき会ったばかりだよ!」

突然のことに、私は仕事場で混乱するばかりでした。
何故・・何故・・一体どうしたの・・嘘でしょ・・・

『かぁくん』はヨチヨチ歩きを始めて3ヵ月。
自在に空を飛び始めて2ヵ月ちょっと。
あまりにも短い生涯を終えてしまいました。
とても悲しい・・
なにかとても大切なものを失ってしまったような感じ・・
辛い。

ちょうど2ヵ月前、『かぁくん』は巣のあるヒバの木から地上に降りて(落ちて?)ヨチヨチ歩き始めます。
警戒心も全くなく、私や飼い犬が近づいても丸い目をキョトンとさせるだけ。
雨が降っても一晩中、我が家の玄関脇でじっと耐えるだけ。
庭石めがけてジャンプの練習を繰り返す。
思い切ってジャンプをしたものの、ドウダンツツジの中で悪戦苦闘。
そんな我が子の様子を常に見守る親カラス。
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やがて、木の枝に飛び移り、我が家の屋根まで飛んでみせた!
空を飛び始めると日に日に飛行術が向上し、翼を広げで自在に滑空する様子はお見事!
空を舞う様子はなんて美しいのだろう。
感嘆することしきり・・
私も『かぁくん』と同じように空を飛びたい・・

そうそう、『かぁくん』の翼には白色・・部分アルビノでしょうか?
他のカラスとはハッキリと見分けがつけられる、とても美しい翼を持って生まれて来ました。
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なかなか親離れが出来ない甘えん坊。
いつまでも、親から食べ物を与えてもらうのが好きだったね。
最近は皆んなで水浴びをするのが好きで、あなた達はいつも仲良く水遊びをしていました。
お父さんカラスとお母さんカラスといつも一緒に幸せな様子を楽しませて貰いました。

暑い日、ドングリの木の中が涼しくて良かったのでしょうね。風にそよぐ葉のなかで、いつも鳴いていました。
『かぁくん』の鳴き声はいつの間にか、私の中では日常の当たりまえに聴こえるものになっていました。

それなのに・・
そのドングリの木のいつものお気に入りの枝の下で旅立ってしまいました。
一体何が・・
悪いものでも食べたのでしょうか?
まさか、足をすべらせた訳ではないよね?

この日は一日忙しく、
夕暮れ時、家に戻った私は玄関脇に横たわる『かぁくん』に会いました。

初めて触れた『かぁくん』の身体は思いのほか小さく、とても軽く感じました。
小さな丸い頭をそっと撫でます。
ああ、やっぱり。
まだ小さな子供のようなとても柔らかな毛並みです。

『かぁくん』
短い命だったけど、自由自在に空を飛べてよかったね。
白い色の混ざった翼を広げて空を舞う姿は恰好よかったよ。
ホントは、これから長いつきあいをしたかったんだけども・・
でも、しょうがない。
『かぁくん』は精一杯生きたんだ。

さようなら『かぁくん』
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今、『かぁくん』は我が家の畑の一角でリボンやモモと眠っています。
いつかまた飛ぼうね・・・















 

我が家の庭で生まれたカラスの雛の物語です。
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カラスの番い(つがい)が我が家の庭に現れだしたのは昨年の秋でした。
 
常連のスズメや鳩、そして毎年決まってやってくるツグミやヒヨドリ、オナガに混じって、カラスのつがいを見かけるようになっていました。

その頃は気づかなかったのですが、子育てを行うための、言わばマイホーム探しをしていたんですね。
我が家は4匹のワンコが時々、庭を駆け回るものの、総じては子育てには安全な環境と判断したのでしょう。

やがて、つがいのカラスはマイホーム造りの建築材料を集めて来ます。
カラスの頭の良さには感心してしまうのですが、何処から探して来たのか?ワイヤー製のハンガー を見つけて来ては、庭に隣接した電柱の上に置き始めました。それも7〜8本あるでしょうか?
電柱ですから、周囲から丸見えです。

「こんな無防備のところに家をつくるの?」
なんて思ったりしたのですが、やがて気づきます・・・
実はマイホーム造りの本命場所は我が家の庭のヒバの木でした。高さは7メートル位でしょうか?ヒバは常緑樹なので葉に隠れて周りからは良く判りませんし、北風や冬の雨や雪からも守ってくれそうです。
最初の電柱の上は建築資材の倉庫だったのです!

ヒバの木の見えにくいところにワイヤーハンガーを工夫して設置します。そこに集めて来た小枝、さらに剥がした樹皮、苔、そして我が家のワンコの毛(2代目リボンの毛なんか最高です)を敷き詰めて周りを囲って行きます。
さながら、軽量鉄骨?で家の構造を作って床や壁は木造+自然素材の断熱材での家造り・・・なかなか理に適っています。実際には家と云うより巣なんですが・・
うーん、感心。

おそらく、3月の下旬あたりで雛が生まれたのでしょうか? 何匹生まれたのかは定かではありません。この時期の親カラスはデリケートなので、こちらも静かにそっとしていました。

異変が起ったのは4月の中頃でした。
カラスの親が凄い声を張り上げてタヌキを追いかけていたのです。タヌキは柿の木によじ登ったのですが、木の上では形勢不利と思ったのでしょう、木から飛び降りて隣地に逃げて行きました。

この時、タヌキがカラスの雛から一羽を連れ去ったのではないか? そんな気がする程の叫び声をカラスの親は張り上げて、タヌキに向かって行くのを目撃しました。

そんな自然界の厳しさを垣間見る事件もありましたが、
ゴールデンウィークの終わる頃に、カラスの雛が一羽、我が家の庭でよちよき歩きを始めました。
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笹の茂みを歩いたり、庭石の上にちょこんと登ってみたり・・
羽をバタバタさせますが、まだ飛べる様子はありません。
つがいの親カラスは近くの少し高いところで見守っています。
いよいよ巣立ちの訓練が始まったようです。

まだ飛べない雛には危険が一杯です。
タヌキや猫、青大将あたりが狙うかも知れません。
地上に降りてからはこちらも落ち着きません。
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そんな心配をよそに、カラスの雛は庭をヨチヨチ歩き、庭石の上によじ登ったりしています。

そもそも、この時期の雛には警戒心が全くありません。
近くに行っても、カメラを向けても、ワンコたちが近づいても、こちらを見ているだけです。

勿論、カラスの親は常に雛を近くで見守っています。時々、注意を呼びかけるように鳴き声を出したり、餌を与えに雛の傍らに舞い降ります。
一日中、雛を見守る姿はちょっと感動的です。

こちらの心配は夜です。
まだ飛べない雛はねぐらに帰ることが出来ません。
1日目の夜は笹の茂みで一晩過ごしたようです。でも、茂みの中ではタヌキに襲われないだろうか?
こちらもゆっくり眠れなくなりますね・・笑
翌朝、元気に歩きまわる姿にホッとします。

2日目の夜は我が家の玄関脇にある丸太に組み込まれた水栓柱の上にちょこんと座って眠りました。すぐ脇には常夜灯が灯って明るいのですが、前夜、茂みの中で寂しい思いをしたのでしょうか?
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近くに行っても、キョトンとしています。
ここで保護したら、きっとペットになりますね・・・
でも、それはダメでしょう。親カラスは雛が一人前になるように一生懸命なのですから。

3日目は一日中雨降り。カラスの雛は一日中ずぶ濡れになっています。まだ、木の下で雨宿りするとかの術を知らないようです。
風邪など引きはしないか? 心配になってしまいます。
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地上に降りて4日目になると、カラスの雛の動きも活発になります。小さな石から石へ飛び移ったり、ちょこちょこ動き回っています。親ガラスは盛んに、雛の近くで木の枝に飛び移って見せています。お手本を見せているのですね。

「あなたは、こうやって飛ぶのよ!」母カラスの誘いに雛も飛ぼうとチャレンジを始めるのもこの頃です。
今居る場所より高いところへの意識が目覚めてきます。
飛ぼうか?(まだジャンプですが)飛ぶまいか? そんな葛藤をしている様子が可愛いです。

思い切ったのはいいですが・・失敗もありました。
庭石から隣りのドウダンツツジへ(思い切って!)飛び移りました。
ドウダンツツジは低木なので、これならいける!と考えたのでしょう。
けれど、ドウダンツツジの細い枝ではカラスの雛を支え切れません。
カラスの雛はドウダンツツジの中へもがけばもがくほど吸い込まれていきます!

しばらく、悪戦苦闘したあげくに雛はドウダンツツジから脱出に成功しました。
やれやれ・・こちらもハラハラと気がきではありません。

この日も笹の茂みで夜を過ごしました。

そして5日目。
この頃の私は、朝と夕方のバード(カラス)ウオッチングに夢中です。
この日もカラスの雛は早朝からトレーニングを開始しています。勿論、親カラスも我が子を見守っています。
もう少しで飛べそうな気配を感じます。

出勤前の私は、シャワーと朝食を済ませると庭に出て雛を探します。ちなみに、雛を見つけるには親カラスの居場所から探します。
けれども、この時はいくら探してもカラスの雛は見つかりません。
もしや?と思い、視点を上にして目を凝らします。親ガラスがいるから、この辺り・・・

あっ、いました! 地上から2メートル、目線より少し高いところにある木の枝に停まっています。
やったぁ〜、ついに飛んだんですねぇ。
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雛カラスが得意げに鳴いています。

地上に降りて(落ちて?)5日目、親カラスが見守る中、ついに雛カラスは木の上まで飛びました。鳥類なので飛ぶのは当たりまえですが、カラスの雛の場合は大変なんですね。親カラスも嬉しいでしょうが、私もなんだか嬉しい日になりました。

この日は平行棒のようになっている木の枝を行ったり来たり。高いところでのトレーニングを繰り返しました。
夜は木の上で眠ったようです。
こちらも木の上なら安心です。

6日目も飛ぶ練習を繰り返します。 目測を誤ったりしている様子がまだ危なっかしく見えます。

そして、7日目は我が家の屋根に飛んできました。
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この頃から飛行距離や高度は格段に向上します。
しかし、お腹を空かせると鳴いて親にご馳走をねだります。親カラスも地上や木の幹等から食べるものを探すように仕向けますが、肝心の雛は親から貰いたがる様子がありありです。親カラスの気持ちを考えると気の毒になってきます。
いやぁ、親は大変です。
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そして、今。
飛べるようになってから約2週間の時間が経ちましたが、今も親カラスの監視下で雛カラスは生活をしています。
雛カラスの飛行術は格段に向上し、私も羨ましく思えるほどカッコ良く飛び回っています。

雛が親元を離れる巣立ちまでは、もう少しの時間があるのでしょうか?
こんな時間をもう少し見守ってあげたい。
そんな、風薫る5月です。
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