冬の日のある週末、山形県酒田市にある『山居倉庫』へ向かいました。

山居倉庫は明治に建てられた倉庫です。しかし、現在も庄内米の保管倉庫として使われています。
永い年月を経て現在に続いている倉庫・・・
そんな山居倉庫と倉庫業に携わる先人たちの残してくれたものを探してきたいと思います。

酒田への旅。
選んだルートは関越自動車道で関越トンネルを抜けて新潟県へ。
新潟県長岡JCTから北陸自動車道を北上し日本海東北道(新潟県と山形県の県境は国道7号線)を行くルートです。

関越自動車道を関東平野の終わる辺りまで来ると上毛三山が見えた来ます。
向かって右から赤城山、榛名山、妙義山です。
この三つの山を眺めながら車を上越国境(群馬県と新潟県の境)へ走らせます。

やがて、関越トンネルがあります。
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この辺りに雪はほとんどありません。

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上越国境にある関越トンネルは全長約11km。
谷川岳を貫通しています。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」とは、川端康成の『雪国』の冒頭の言葉です。
ちなみに、この国境の長いトンネルとは、やはり上越国境にある上越線の清水トンネルです。

冬の時期はこの上越国境を境にして天候が大きく変わります。
ですから、
群馬県側からトンネルに入る時は晴れていても新潟県側の出口を出たとたん、大雪の風景を見るのです。
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やはり、長いトンネルを抜けると雪国でした。
しかし、暖冬のせいか雪も少なめです。

新潟平野を抜けて、山形県との県境は羽州街道(国道7号線)を走ります。
山間部を抜けると日本海が開けて来ます。
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新潟県山北町辺り。
雪はほとんどありませんが、厚い雲が低く垂れこめています。
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日本海を左手に見ながら山形県へ。
雪が降り始めました。
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夜のとばりと共に雪も強くなり、酒田は雪でした。




翌朝目覚めると
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青空が広がっています。
雪を冠った街の佇まいはとても静かな感じです。

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山居倉庫は1893年(明治26年)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川(手前の川です)に挟まれた通称「山居島」に建てられました。

庄内平野は古くから稲作が栄え、良質な庄内米が船を使って山居島に運ばれて来ました。
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現在の鶴岡市出身の棟梁であった高橋兼吉が設計した土蔵造りの倉庫です。
屋根は二重になっていて、その間を空気が流れるために湿気や屋根からの熱を逃がす役割をしています。

1897年(明治30年)までに15棟建てられましたが、現在は12棟残っています。

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見事なケヤキ並木は日本海からの強い季節風と夏の西日を遮って、倉庫内の温度を一定に保つ役割を果しています。
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倉庫の基礎の下には長さ約3.6mの杭が打ち込まれていて、倉庫の完成の翌年1894年(明治27年)に発生したマグニチュード7.0の庄内地震でも建物への損害は僅かなものだったそうです。
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12棟の内の1棟が『庄内米歴史資料館』になっています。
ここでは「山居倉庫の歴史」「米の歴史と米作り」「農家の暮らし」を判りやすく展示されています。

その展示の中にとても興味を引くものがあります。
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『山居倉庫綱領』と記された山居倉庫の経営理念です。

さらに、この綱領を判り易く解説した『山居倉庫従業員の心得』があります。

山居倉庫は庄内米の改良を図り、地方の福利を増進し、以て国家に報ぜんことを目的として経営するものなれば、徳義をこれ生命とす、故に倉庫員は常に忠孝を本として心身の修養に努め、職務に勤労し、日本一の倉庫として益々光輝あらしめんことを心掛くべし

以下は、山居倉庫綱領の解説にして、実に従業員たらん者の日夕服膺(にっせきふくよう)すべき信条なり

1、己を正しくすべし
  人をとがめず、まずこれを己に求むべし、己が志操を正直高潔にし、品行を慎み礼儀を正しくせよ

1、親切を旨とすべし
  親切は同情より発し事業繁栄の基なり、客人に対し篤く(あつく)これをつくすべきは勿論、広く事物に及ばさんことを要す

1、公平にして確実なれ
  公平無私にあらざれば信望を保つ能(あた)わず、厳正確実ならざれば長久なるべからず、質実を尊び成功を急ぐことなかれ

1、米を敬し倉庫を愛せよ
  米は事業の主体なり、倉庫は我が家なりと心得よ、されば常に神仏に祈願する誠心と敬重の態度ともって米を取り扱うべし、審査、改良、貯蔵、保管等、その従事する所、各々異なりといえども敬愛の念に深浅あるべからず

1、上下 力を協(あわ)せよ
  協力一致は事業成就の基なり、規律を尊び、上を敬い下を慈しみ、相励み相助くべし

1、克く勤めて怠ることなかれ
  職責を重んじ、勤勉努力、昨日の吾(われ)にてはすまぬと倦(う)まず措(お)かず、身を修め、事にあらば克く天下に模範たるを得ん乎(か)



『山居倉庫綱領』の最初には、
「山居倉庫は徳義を本とし事業を経営し以て天下に模範たらんとす」とありました。

これは、人としてふみ行うべき道徳上の義務をもって事業を経営して、それを広く世の中の模範となろう・・・こんな意味だと思うのです。

現代の世の中にある会社の理念より道徳を事業の柱にしている・・・
ちょっと感動的な想いがこみあげて来ました。

私も経営者の端くれ・・・
山居倉庫の理念をもっと知りたくなります。


「山居倉庫員は己を正しくし、親切公平を旨とすべし」

ことがあったら、人をとがめずに、真っ先に自分にこれを向けなさい・・という意味でしょうか。
自分自身の志を正直に清らかに持ち、品行を慎んで礼儀正しくしよう。

そして、親切は事業を発展・繁栄させる根本であるので、お客様は勿論のこと、あらゆるものに親切な気持ちであたろう。
また、仕事をするにあたっては公平であること、私利私欲を持たないことが人々の信用と人望を得ることになる。

そして、仕事の基準に厳恪に従って間違いのない仕事をしないと事業は長くは続かない。
飾る事なく真面目に仕事を行ない、目先の成功を急ぐな。


「米を敬し、倉庫を愛せよ」

米を敬し・・我々にとってはお客様の商品を大切に扱うことです。
自分たちの働く倉庫とその仕事に対して『愛』を持ってあたろう・・・


「職責を重んじ上下力を合わせ克く勤めて怠けることなかれ」

倉庫に従事する社員の協力は事業が成功するカギを握っている。
そして、職務の責任を重く受け止めて克く勤め、仕事に飽きたり辞めたりしないで仕事を身につけることが出来れば、そのことは社会の良き模範となるであろう。

真面目に仕事と向き合い、一生懸命にその職務を行うことが他の模範となる・・・
困難なことがあっても、それに向き合う勇気とその意味を思うことができます。


『山居倉庫綱領』は今から100年ほど前に掲げられたものです。

現代からみると、道徳的に人としての道を極めてゆくことに事業の理念の主軸が置かれていることが判ります。
現在の社会の規範と少し異なる部分もあることは否めません。
しかし、現代人が忘れつつある明治を生きた人たちの大切にしてきたものがあることを強く感じます。
自分への責任を第一とした武士道の精神が働いていたのでしょうか。

「名こそ惜しけれ」(自分の行動には自分が責任を持ち、恥ずかしいことはしない)は司馬遼太郎さんが好んだ言葉ですが、
ここ山居倉庫で業務に従事してこられた従業員にはこの言葉が当てはまる気がしました。

永い歴史の中を、山居倉庫に働いた多くの先達の方々にあらためて畏敬の念を抱きました。

私たちも倉庫業に従事する者として先達の方々に恥ずかしくない生き方を仕事を通して実践していきます。
そして、これから後に続く者にも、大切なものを伝えていきます。

今日は、かけがえのない多くの教えを頂きありがとうございました。
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