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森鴎外の小説『うたかたの記』の主人公のモデル、『洋画家・原田直次郎』(1863~1899)

森鴎外はドイツ留学で出会い、生涯の友となる原田直次郎を評して、
「原田は素(も)と淡きこと水の如き人なり。 余平生甚だこれを愛す。」 
と、自著『独逸日記』に記しました。

鴎外が愛して止まなかった洋画家・原田直次郎の個展が実に106年ぶりに開催されています。(現在は神奈川県立近代美術館 葉山にて開催中。その後全国を巡回します。)
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全国巡回展の最初は埼玉県立近代美術館(私はひそかにウラキンと呼んでます)
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私には一番通いなれた『ウラキン』です。
黒川紀章の設計で1982年に開館しましたが、約2年間続いた大規模改修工事を終えて、昨年リニューアルオープンしました。

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いやあ、かっこいいポスターです。

明治の頃に使われていた漢字と現代的にデザインされた書体が・・その気にさせますね。
でも、なによりもインパクトのあるのが、中央に配された原田直次郎の描いた『靴屋の親爺』(1886年)です。
迫真の姿の肖像画に負けないように腐心のデザインだったのでしょう。


原田直次郎は文久3年(1863) 備前岡山鴨方藩士 原田一道の次男として江戸で生まれます。
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     『原田一道(1830~1910)』

父一道は若い頃より江戸に出て蘭学を学び、大村益次郎と西洋兵書の翻訳研究に励み、共に英語を学んでいます。
万延元年(1861)には、長男の豊吉が生まれます。

直次郎が生まれた年の暮れ、父一道は遣仏使節団の随行員として横浜を出港します。
翌年、一道はオランダのハーグにある陸軍士官学校で兵学を学びます。
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スフィンクスの前の『遣仏使節団一行』この中に原田一道がいます。

明治と改元した新政府は大阪に陸軍所を設置し一道は兵学校教授となります。
豊吉と直次郎は父に従い移転し、共にフランス語や漢学を学びます。

福沢諭吉らとともに幕府の洋学研究に携わった一道は、維新後の明治4年(1871)には岩倉遣欧使節団に随行して再度渡欧します。

一道の帰国と共に兄弟は東京外国語学校でフランス語を学びはじめますが、豊吉は明治7年(1874)13歳でドイツに留学。鉱山地質学や古生物学を学びます。

陸軍大佐となった一道は明治9年(1876)に、今の神田駿河台に"原田家三千坪"といわれる広い敷地を購入し、洋館や日本家屋を建てたそうです。

西洋の文明を実際に見て来た一道は、西洋文化に対して開かれた思想を持っていた訳で、直次郎と兄の豊吉はその影響を存分に受けて育ったことは特筆すべきことと思います。

直次郎は高橋由一の画塾・天絵学舎に明治16年(1883)入門。
さらに、直次郎は修行の場を西洋画の本場に求めます。

翌年(1884)2月、直次郎は横浜港を発ちます。
留学先は兄豊吉の知己のあるドイツのミュンヘン。
この国際的な美術都市で本場の油彩画を学び、終生の友となる森鴎外と出会います。
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     船中で描いた『男性スケッチ』(1884年)

1884年4月21日 ミュンヘン美術アカデミーに入学した直次郎は本格的な美術教育を受けながら、兄 豊吉と旧知の画家ガブリエル・フォン・マックスにも師事し、画家の友人たちとお互いに刺激あって制作に励みました。
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        『ミュンヘン美術アカデミー』

また、森鴎外ら日本人留学生とも親しく交わります。
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『ミュンヘンにて、友人らと』 1886年(前列中央が直次郎、後列左から2番目が森鴎外)


ミュンヘンでの直次郎は多くの人物画を描いています。
そのほとんどは、身の回りにいる労働者や庶民の人たちでした。
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        『神父』1885年

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        『老人』1886年

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      『ドイツの少女』 1886年

そして、あの『靴屋の親爺』1886年が生まれます。
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実際に展示会場で、この『靴屋の親爺』を目にすると、
靴屋の親爺のリアリティー溢れる存在感、その醸し出す空気感に圧倒されてしまいます。

単なる写実を越えて、この靴職人の男の内面からにじみ出るものを余すところなく伝えてくるのです。
この親爺のこれまでの風雪に耐えた人生や中世から続くドイツ・マイスター制度の歴史の重さ・・・
そんなことも想ってしまいます。

この絵の持つ力の凄さ・・・こちらの気持ちが激しく揺さぶられていることに感動しちゃいます。

当時23歳の原田直次郎の相対する人物を観察する並外れた力と感受性、そしてそれを充分に表現する技術力の高さ。
これらが非常に高いレベルによって生まれたのが、この『靴屋の親爺』なのでしょう。

この人物画は日本西洋画史上における傑作のひとつだと思います。


森鴎外の『うたかたの記』の冒頭に登場するのが『カフェ・ミネルバ』です。

この原田直次郎を主人公のモデルとした小説の中で、
授業を終えた画学生たちが、夕刻に美術アカデミーの向かいのカフェ・ミネルバに集い、自由な身なりの彼らが、このカフェでコーヒーや酒を飲みながら議論をかわす様子を生き生きと伝えています。
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この『カフェ・ミネルバ』は実在しました。
正面建物の1階にあり、直次郎はこの建物の2階に住んでいました。

鴎外は『独逸日記』に、直次郎がカフェ・ミネルバの女給 マリイ・フウベルと恋愛関係にあったことを記しています。
カフェ・ミネルバは直次郎と鴎外がミュンヘン留学中に青春を謳歌する場所として象徴的に描かれています。

ミュンヘン留学時代の直次郎は人物画を多く描きましたが、風景画も残しています。
恋人のマリイと一緒にミュンヘン郊外のコッヘル村に避暑に行った際のもので、明るい光りと緑豊かな自然が印象的な絵です。
子供たちや鶏が戯れ、白い鳩が舞う、心の安らぐ牧歌的な風景です。
直次郎のこの時の・・穏やかな心境が伝わってくるようです。
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           『風景』1886年


病にて早世する原田直次郎にとって、2年7ヶ月に渡るミュンヘン留学時代は人生の中で実りの多い時間でした。
そして、1886年11月22日早朝、直次郎は鴎外らに見送られミュンヘンの停車場を後にします。


帰国後の直次郎については次回書きますね。