若い日に出会った一冊の本や一本の映画、そして一つの音楽 が、その後の人生に大きな影響を与える。
程度の違いはあっても、そんな経験はだれにでもあることではないでしょうか? 

今日は、私にとって、その後の生き方に多くの影響を与えた一本の映画の話をさせて下さい。

その映画はクロード・ルルーシュ監督の『男と女』 
1966年公開のフランス映画です。
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この『男と女』 は1966年のカンヌ国際映画祭で最高賞である "グランプリ"を受賞。
翌1967年のアカデミー賞 "外国映画賞とオリジナル脚本賞" 、ゴールデングローブ賞 "外国映画賞と主演女優賞"など各国で映画賞を総なめにしました。
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しかし、当時、高校生だった私は、そんなことは知りませんでした・・

もっとも、高校生の頃、映画に目覚めた私は学校帰りに池袋辺りの2本立てや3本立ての映画館でフランス映画を楽しんでいたんですが・・

あっ、そうか!
当時、見ていた映画は公開から何年も経った古い映画ばかり・・ 
最新モノのロードショー公開には縁がなかった・・だったんだ!

それと、思うにこの映画のタイトルは『男と女』 
高校生の私にとっては、ちょっぴり恥ずかしい映画のタイトルだった ・・のかも知れない!?


大学へ入って間もない頃。
友人の女の子とおしゃべりをしていたら、
「私、今まで見た映画の中で『男と女』が一番好きよ」な〜んてマセタコトを・・

それで、私はコレハ見ないと・・
なんて思ったのか?
どこかの名作ものをやっている映画館へ・・

初めて見た『男と女』にビックリ!
あまりに衝撃的だった!

なんといっても、スクリーンに描き出される映像の隅々にみずみずしさが溢れていた。
海辺の町(ドゥーヴィル)のシーンなんかは最高!
冬の冷たい空気や淡い陽光。
ノルマンディーの海の匂いまで伝わって来る。
カメラも固定されずにぐるぐると自由に動き回る。
今まで見たことのない新しい映像の世界へ惹きこまれてゆく・・・

いやぁ〜、クロード・ルルーシュ監督ってのは凄い!と思った。
(彼は、この映画を29歳で撮っていました)

それと音楽!
当時、この映画の音楽を担当した『フランシス・レイ』は知っていた。
1968年のグルノーブル冬期オリンピックを描いた『白い恋人たち』がヒットして・・
この白い恋人たちのメロディーはお馴染みでした。
『白い恋人たち』もクロード・ルルーシュとフランシス・レイのコンビで作られた美しい映像のドキュメンタリー映画でした。

『男と女』の過去のある者同士のストーリーはあまり深くワカラナカッタ・・と思う。

でも、ジャン=ルイ・トランティニャン演ずるところのジャン=ルイ・デュロックには憧れちゃいました・・
彼はフランス・フォードチームに所属するレーサーでありラリードライバー!でした。
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私はこの当時、クルマの免許を取ったばかり・・
ラリードライバーへの憧れから・・
この世界へ突っ走り始めてしまいました・・笑



それから、
半世紀近くの時が流れ・・・

昨年(2016年)、『男と女』制作50周年を記念して、デジタル・リマスター版による全国ロードショーが行われました。
50年も経って、再びロードショーとは・・
普通はあり得ない話ですが、

50年前の、あの新鮮な感動を与えてくれた映画は、今の私にはどう映るのか?
少し怖い気もしますが、勇気を持って、東北地方にあるロードショー館へクルマを走らせました・・

『男と女』のジャン=ルイ・デュロックのように・・笑

朝一番の開演でしたが、お客さんの入りはまずまず。
やはり、オールドファンが目立ちます。

『男と女』冒頭はドゥーヴィルから始まり、このノルマンディー地方の小さな町が何度も登場します。
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老人と犬の散歩のシーン。
このシーンを初めて見たときは心が動きました。
今までの映画には見られなかった、とても新鮮な映像でした。

それから、50年を経ても古さは感じません。
瑞々しさしさに溢れています。
現代の映像の先駆けになったと思わせるものがあります。

このシーンをさらに印象的にしているのが、
老人と犬の散歩をする光景を見ながら、男(ジャン)と女(アヌーク・エーメが演じるアンヌ)の会話です。

ジャンが彫刻家ジャコメッティの言葉を思い出します。
「ジャコメッティの彫刻を知っているかい?
彼はこんなことを言っている。もし火事になったらレンブラントの絵よりも私は猫を救う・・・とね。」

アンヌも応えます。
「知っているわ。
・・・そして、放してやる・・ね。」

ジャン
「そう、芸術より人生を・・・」

アンヌ
「素敵だわ・・」

ジャンとアンヌ、互いの心の距離がぐっと近づきます。
バックにはフランシス・レイの哀愁を帯びた曲が流れています。

そうかぁ、ラリードライバーたる者、芸術も知らなきゃダメなんだぁ・・・なんてね。


昔、見た際には気づかなかったこともいろいろと見えてきます。

例えば、レストランでの食事中の会話。
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ジャンが自分の仕事(レーサー)の話をします。
ここのシーンの会話は、もう完全にアドリブです。

カーブを抜けるスピードについてアンヌに説明をしています。
とても判り易く説明していますが、理由があります。

ジャン役のジャン=ルイ・トランティニャンは大のクルマ好きでレーサー。
この『男と女』の撮影のために1966年のモンテカルロラリーに出場しています。
ですから、クルマやレースの話はお得意です。

ちなみに、彼の伯父モーリス・トランティニャンはフランスのF1ドライバー。
1955年と1958年のモナコGPで勝利を上げていますし、1954年のルマン24時間でも勝っています。
半端ではありません。

クルマ好きにとっても、この映画には魅力が一杯詰まっています。

主役のジャンがフォード・フランスチームの一員としてモンレリー・サーキットで、ラリーバージョンのマスタングやルマン仕様のフォードGT40、さらにはフォーミュラーのブラバムBT21をテスト走行するシーンなんかはファンにとっては涙!ものです。
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この頃、フォードはルマン制覇に力を入れていました。
1964年、1965年とフェラーリに敗れたものの1966年には、フォードGT40Mk.2が24時間を平均時速210.795kmで初優勝を遂げます。これはアメリカ車としても初優勝でした。

フォードがチカラを入れていたこともあるのかも知れませんが、
この『男と女』に登場するのが米国のフォード。そのフランスチームというのが、この映画を一段と洒落たものにしているような気がします。
これが、フランスのマトラやアルピーヌ・ルノー、シトロエンではローカル色の強い映画になったのではないでしょうか。
個人的にはフランス車は大好きですが、この1965年〜1966年だったらフォードのマスタングやGT40のデザインが映像にも影響を与え、新しい感覚の映画にしていると思います。


『男と女』のストーリーはジャンがフォード・マスタングを駆ってモンテカルロラリーを走るあたりから、急速に展開していきます。

過酷なラリーを走り終えたジャンのもとにアンヌから電報が届きます。

「 Je vous aime ( 愛しています) 」

電報を受け取ったジャンはモンテカルロのパーティー会場から駈け出します。
走りながらスーツを脱ぎ(ジャンの気持ちが出ています)、
チームメイトの184号車(これは私の解釈です)に飛び乗って、モンテカルロからパリへ向けて走り出します。
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モンテカルロラリーを約5000キロ走り終えた直後、夜を徹してパリへの道(約1000キロ)を走る。
普通に考えたらあり得ない距離を走るのですが・・・

若き日の私はこの『男と女』を見て、ラリードライバーとか、ルマン24時間に出場するレーサーは、いくらでも走れる・・そういう人なんだと信じ込んだのでしょうね。

ちなみに約1000キロというと、浦和から西へ行くと、関門トンネルの辺りまで!
北上すると、青森で約700キロです。

ジャンはアンヌの住むパリのモンマルトルへ早朝到着します。
しかし、アンヌは娘の寄宿舎があるドゥーヴィルへ行き不在です。

ジャンはまた走り出します。
パリからドゥーヴィルは200キロ。
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結局、モンテカルロからドゥーヴィルまでは約1200キロメートル。
浦和から長崎県の佐世保(つまり、日本の西の果て!)までの距離です。

ラリードライバーは女の人に「愛してる・・」なんて言われると、夜を徹して走ってしまうのですね・・笑

まっ、そういうことはありませんが、
この日、40数年ぶりに劇場で見た『男と女』から、私は相当に影響を受けていたことを思わずには居られませんでした。

興味のあるもののためなら、どこまでも走って行く・・
それを全く苦にしない・・
むしろ楽しめる。

運転免許を取ってから、ラリードライバーになり、世界選手権を走って・・
未だに耐久レースを走っている・・

私の行動の原点?を、この日の『男と女』を見ながら想うのでした・・・


クロード・ルルーシュ監督はこの映画を作る際に資金的にも相当な苦労をして自主制作したそうです。
しかし、今回、改めてこの『男と女』を見ると、監督は勿論のこと俳優さんやスタッフの皆が楽しんで作り上げたことが映画のシーン一つ一つから伝わって来るんです。
お金は無くとも、若さと情熱のある者たちの生み出すもののチカラとその清々しい心地よさを十二分に感じることが出来ました。
・・・シアワセです。
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この『男と女』を、これから50年後、制作100周年を記念して後世の人々に見てもらえたらいいですね。