3月の中旬、九州からは桜の開花の知らせを聞く頃、私の母の住江(すみえ)は94年の生涯を閉じた。
私たちに見守れながら静かに眠るように息を引きとった。

私たち子供や孫、そしてひ孫による浦和の自宅での家族葬を行い、母は生まれ育った高崎へ。
母の愛した郷里高崎の街や榛名山、赤城山を見渡せる高崎斎場で母を荼毘に附したあと、お骨になった母と私たちは高崎の街をドライブした。
 
高崎の中心街に今まで通ったことのない路地があった。
進入禁止でなかったので思い切ってクルマを入れる。
すると突然、レトロな雰囲気の映画館が私たちの前に現れた。
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高崎で最古の映画館「電気館」
 
私たち兄弟のあいだでは有名な父と母の初デートにまつわる話を思いだす。

1952年(昭和27年)2月
母 住江24歳、父 彰28歳の初デートは高崎の映画館でした。
若いふたりは洋画を見て気分が高揚し、映画館を出たのち、おしゃべりに夢中になってしまいました。
住江がハッと気づくと帰りの電車の時間。
当時は東武鉄道伊香保軌道線の高崎線が「井出」(母の家のあった町)の近くを走っていました。
住江と彰は駅に走りましたが、すんでのところで電車が走り出しました。
とっさに彰は電車の前に両手を広げて立ちはだかりました。
驚いた電車の運転手は直ちに急停車!
彰は住江をエスコートし電車に乗せました。

「あの人は私のために電車を停めてくれた・・」

その年の4月、彰と住江は結婚しました。
翌年には私、翌々年には妹、その1年半後には弟が誕生しました。
彰の一世一代の大勝負とそれを受けとめた住江。
若き日のふたりのおかげで私たちの今日があることを思うエピソードです。

突然現れた「電気館」を前にして、高崎斎場からの帰り道、お骨になった母ではあるけれど、母にとっての思い出の場所に私たちを導いたのでは?
そんなふうに思えてなりませんでした。
 
「最初のデートでふたりが行った映画館は?見た映画は?停めた電車って何?その駅は?」
いろいろな疑問が湧いてきました。

「母にもっといろいろな思い出を聞いておくんだった・・」


それから1か月後の早朝(この日はちょうど私の誕生日)
私は高崎の駅前から自転車を走らせた。

私の父が停めた電車は「東武伊香保軌道線・高崎線」
明治時代に馬車鉄道として開業し、1927年(昭和2年)に東武鉄道の路線となり、1953年(昭和28年)に廃線となった路面電車。

母と父の初デートの場所や停めた駅、そして若き日の母が見た車窓の風景を知りたくて、この路線の跡をたどってみます。

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今の高崎駅
そして、
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これが、おそらく母と父の初デートの頃の高崎駅と伊香保軌道線。

4月の中旬、朝の空気は冷たい。
駅前通り(シンフォニーロード)を進みます。 
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この先の「あら町」から駅前通りを振り返ると、
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タイムスリップ!
これは当時ですね。
正面に小さく見えるのが高崎駅です。
駅前通りの中央に伊香保軌道線の線路があります。

ここ「あら町交番前」から、かつての 「電車道」に入ります。
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この先の右手に「高崎銀星座」という映画館がありました。
開館は1952年1月。
母と父の初デートの直前にオープンしています。
当時いちばんの繁華街に出来た新しい映画館。
新しいもの好きの母はここに父を誘った可能性も大きいと思います。
最寄りの駅は「あら町交番前」か「大手町」です。
「高崎銀星座」は残念ながら1963年頃閉館し現存していません。

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高崎のメインストリートには「田町1丁目」「田町2丁目」「田町3丁目」「九蔵町」と駅がありました。

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この「電車道」実は旧中山道でした!
自転車で走るとこんなことに気づかされます。
母の青春時代の場所とその後、暮らすことになる浦和がつながっていることが嬉しい発見になります。

この田町北交差点には「田町3丁目駅」がありました。
ここを西に入ると電気館通り。

「電車道」に並行して「高崎中央銀座」があります。
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この辺りには昭和を思わせる懐かしさがあります。

「高崎中央銀座」を突っ切ると、
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「電気館」です。
こんな風情の映画館が残っているなんていいですね。

「電車道」に戻りましょう。
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本町3丁目の交差点を左折します。
ここには「本町3丁目駅」がありました。

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「本町2丁目駅」を過ぎ本町1丁目交差点を伊香保軌道線は右に折れ、渋川街道に入ります。
ちなみに旧中山道はこの交差点を直進しています。

「本町1丁目駅」「相生町駅」を過ぎると「住吉町駅」のあった住吉町交差点があります。
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当時はこの交差点を東に曲がった先に母の通った高女(たかじょ・群馬県立高崎高等女学校)がありました。
母は自宅から自転車で片道5キロほどの道を通っていました。

この先、伊香保軌道線はしばらく渋川街道を離れます。
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ここを斜め右に入ります!(私のビアンキ があるところ)
電車1台分の幅しかない道ですが、ここを伊香保軌道線が走っていました。
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水路の先にある遊歩道があるのが判りますか?
遊具やあずまやが見えますね。
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この水路を渡る伊香保軌道線です。
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遊歩道の先は真っすぐに伸びる道になって信越本線にぶつかっています。
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信越本線を跨いで走る伊香保軌道線。
なんだかユーモラスでかわいいですね。
晴れた日には正面に榛名山、右手に赤城山、そして左手には妙義山が良く見えたことでしょう。
母の少女時代から青春時代の日々にこれらの山々が常にあったと思います。

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信越本線を跨いで渋川街道に戻った辺りに「追分駅」がありました。
現在は信越本線の北高崎駅から渋川寄りの場所です。
この辺りから視界はグッと広がったのではないでしょうか?

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現在の高崎前橋バイパス(17号国道)を横切ります。

渋川街道を真っすぐに線路は伸びていました。
「大八木町駅」を過ぎて、
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「福島駅」

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「中泉駅」のあった辺り。
彰さんに会った帰り道の電車の中で24歳の母は何を思っていたのでしょうか?
恋心が芽生えたのだろうか?
彰さんが王子様のように思えたのだろうか?
青春時代の住江さんに会いたいものです。

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そして初デートの帰り道、母が電車を降りたと思われる「三ツ寺駅」のあった辺り。

ここから井出の自宅までは10分ちょっと。
家への道をどんな気持ちで歩いていたんでしょうね。
ワクワクした感じ?フワフワした感じ?
運命の人に出会ったと思ったのかな?
家に帰った時の様子は?
この夜は眠れたの?
いつか会ったら聞きたい母住江の謎です。