2010年02月05日
2010年02月03日
山を登り尾根にでる2010年1月29日然別
然別の森へ出かけた、雪は60センチ、笹は雪の下に隠れスノーシューでどこでも自由に歩く事ができた。この時期、鹿がいるのは南斜面の日当りが良い場所。スキーやスノーシューをはいて森に入れば鹿の気配は濃かった。仕留められた1頭の鹿は、道路からすぐ斜面を上がったエゾマツの森の中に立っていた。
玉は喉にあたり、その場で倒れたエゾシカ2歳雌2010年1月29日然別にて
空高くをオオワシが飛んでいた。黒い体に白い肩と尾が青空に映え大きく羽ばたく姿はぼーっと見るほど雄大だった。雲と青空のコントラストの中を逆光で飛ぶ姿、鷲という勇ましさがある。森を5時間もさまよえば、いろいろな動物に出会う事ができる。警戒するのはエゾシカだけで、気配を殺して歩く私の前に、他の動物たちは何の警戒もなく現れてくれる。ケーン、ケーンと遠くで鳴き声が聞こえ、キリキリと鳴きながら飛びよって来たのは、大きさがカラスほどあるクマゲラだった。
2010年02月02日
悪戦苦闘の結果なんとか抜けてくれた。2010年2月2日
ワカサギ釣りで氷に穴をあけるドリル。このドリルの歯が切れるか切れないかは、はじめの穴あけ作業に大きく影響する。分厚い氷に穴をあける作業でドリルが切れないとくたくたに疲れてします。ドリルの歯が切れると、気持ちよく穴があく。購入して4年目、一度も歯を研いだ事がなく、試しにダイヤモンドヤスリで研いでみると、研げてはいるのに、全く氷に切れ込んでいかず、逆効果だった。アイスドリルの歯を研ぐのは素人には不可能だとあきらめ、釣具屋に研ぎにだすと、ドリルの歯が錆び付いて抜けなくなっていた。釣具屋からも見放されてしまった。海水が流れ込む海岸の湖でドリルを使うと、塩水でさびてしまうという。夏の間もドリルを外しておいた方がいい。そんな事言われても錆び付いてしまったものはどうしょもなく、どうしたらいいものかしぶしぶ家に持ち帰った。
悪戦苦闘した結果、うまくいったのがタガネだった。錆び付いた歯の取り方は、まずCRC556を隙間にたっぷりとしみ込ませ、タガネを根元にあてて、トンカチでたたいた。すると少しずつ動き外れてくれた。歯で手を切らない注意すること、力みすんでドリルの歯を曲げない事。ドリルの歯は2シーズンに1度くらい研ぐべき。研ぎ代は音更のオオツキ釣り具店で2100円程度。
タガネをここにあてて、トンカチでタガネをたたくと少しずつ抜けてくれた。
2010年01月31日
サッポロクラシック、サクラマスの刺身、ワカサギの天ぷら。
1月30日に6人で糠平湖へ。8時には5の沢駐車場には車20台ほど。氷の上にはテントが立ち並んでいた。沖のポイントにドリルで穴を空ける。試しに自分で歯を研いでみたら、全く切れずガックリ。氷の厚さは約50cm。
仕掛けを落としたら、すぐにワカサギのアタリが来る。8時から1時頃まで釣って、初心者で10尾、N氏が30尾だった。サクラマスも1尾釣れ、すぐに刺身で食べてしまった。ワカサギを釣りに行くというよりも、「氷の上まで宴会をしにいく」そんな感じで冬でも楽しい。
とどめがワカサギのテンプラそば。体の芯まであったまる。2010年1月30日糠平湖にて
糠平湖のワカサギ釣りは3月中旬までの予定。一緒にいきましょう。
2010年01月29日
2010年1月26日宮崎さんの工場にて
最近は清水の宮崎さんの工場にちょくちょく行って、ロッジの大テーブルや床板のカンナがけ作業。
大テーブルは4年くらい前に、ドコモのアンテナが建つので、サトウさんと一緒に50年生のカラマツを倒した。それを丸太の状態で乾燥させ(約3年間)、昨年12月にログソールで板にした。長さ3m70cmの長い板をカンナをかけたり、合わせたり、体の温まる作業が続く。悪名たかいカラマツだけど、なんとかいいものに仕上がることに期待したい。十勝開拓にカラマツあり。カラマツに愛を!詳しくはこちらhttp://lodgeluckyfield.com/
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2010年01月28日
右が長節湖、左が太平洋。ポイントを目指しソリを引く1月26日長節湖にて
長節湖は海岸に広がる湖なので、波の音、カモメやクロガモなどの海岸の冬鳥たちの声。山奥のワカサギ釣り場とはまた違う風情がある。周辺は原生花園に囲まれ、ハマナスの色あせた身が潮風にさらされ、フリーズドライになっていた。
長節湖は漁協などの管理はなく、遊漁料もない。車を止めて10分ほど歩くとポイントにつく。踏み後があるので、雪はしまって歩きやすい、湖面の雪も風に飛ばされほとんどない。長節湖のポイントは、車から10分ほどの場所と、車から30分の沖のポイントの2カ所。もちろん沖の方がよく釣れるというはなしだけど、手前でもそこそこ釣れていた。下見でたちより2時から3時の1時間で2人で12尾釣った。水深が1mと浅く、群れが来ればバタバタと釣れ、去るとぱったりだった。早朝の7時から9時の早朝が入れ食いになり鯉のぼり状態になるという。多い人で6kg釣った人もいるらしい。
ちょっとグラマーなワカサギが釣れた 1月26日長節湖にて
1月28日糠平湖のワカサギ情報 五の沢沖のポイント、朝7時から10時頃まではアタリが続く。その後スローペース。水深20m。多い人で300尾くらい。初心者で20尾程度釣れていた。サクラマスの反応は少なかった。
ワカサギの釣りをやってみたい方はこちらをご覧下さい。http://lodgeluckyfield.com/
2010年01月27日
2010年1月24日然別湖にて
帯広クロスカントリースキークラブの村田さんの案内で然別湖から東雲湖(しののめ湖)を歩いた。氷がはった然別湖を歩く。クロスカントリースキー(歩くスキー)は、スノーシューよりも小回りはきかないものの、行動範囲が広い。初めてでも歩く感覚でできるのがゲレンデスキーよりものんびりとして楽しめる。今回参加した最高年齢の方が83歳。長く楽しめる健康的なスポーツだ。東雲湖までの往復8km程度。程よい汗を感じで歩いた。
然別湖周辺の自然の魅力は、周辺の山々が噴火で作った地形の観察。噴火によってせき止められた然別湖で独自の進化を遂げたコバルトブルーのオショロコマ。ミヤベイワナ。そして、永久凍土が眠る山にすむナキウサギ。亜寒帯の森を代表するアカエゾマツの純林。長い長い時間が作った然別の自然の姿。足をとめて木々の隙間から広がる青空には風をつかんだオジロワシがゆっくりと舞っていた。
東雲湖から少し歩き尾根に登ると十勝平野を一望する事ができる。
然別湖は全面結氷しているとはいえ、所々にガス穴と呼ばれる穴があったり、岸際には氷の薄い場所もある。また吹雪や霧で方向がわからなくなる事もある。相手は自然。何が起こるかわからない。現地に精通した人と行く事をお薦めします。
今回案内してくれた、村田さん。十勝のクロスカントリースキーを支える重鎮。かれこれ7年くらいおつきあいしている。歩くスキーについてはホントに頼りになる大先輩。スキーは十勝スキーのメーカー、スノーブランド。かっこいい。
今回の然別湖から東雲湖のコースをロッジラッキーフィールドのHPでも詳しくご紹介したいと思います。体験されたい方はこちらをご覧下さい。http://lodgeluckyfield.com/
2010年01月25日
バックのテレビに写っている右の美女がモデルのKIKIさん、右が高橋さん 「NHK日本釣りの旅」2010年10月放送
典型的なちょい悪オヤジというか、独特の世界感と雰囲気をかもし出す高橋さんは、私の大先輩でもあり悪友の1人。高橋さんを知ったのは、フライフィッシャーという釣りの雑誌だった。「BIG SKY」というタイトルで、でっかい十勝の青空のした釣りのガイドとして活躍する姿が紹介されていた。もちろん憧れたし、今でもその記事はどっかにとってある。この高橋さんが昨年NHKでも紹介され、最近はコッパズカシガル高橋さんを見るのが楽しいと思う仲になった。しかも昨年の解体作業の大量の廃材を薪にする作業にご協力いただいてしまった。ご縁とはおもしろいものである。
中札内の隠れ家で、楽しい時間をすごした 2010年1月23日中札内にて
・・・ワカサギ釣り情報・・・
1月24日サホロ湖に行った友人は、7時から13時までで2尾のみ、全体的にさっぱり釣れてない。ポイントは奥のポイント。
1月25日、長節湖へ:13時から14時の2時間で私が2尾N氏が10尾。アタリはぽつぽつ。群れが寄るとバタバタと釣れる。水深は1mほどでとても浅い。氷は40cm厚。駐車スペースは10台くらい。他の釣り人は5人グループくらい。車から歩いて30分の奥のポイントは水深2m、7時から9時までが入れ食いで鯉のぼり状態になる、数キロ釣れる。かなり安定しているようだけど、とにかく歩く。ワカサギのサイズは大きい。ちなみにホロカヤントーは小さい。ゴミを捨てないこと。

2010年01月22日

西へ ラストチャンスを目指しアクセルを踏んだ 1999年8月
農業実習 inアメリカ パート1
始まりは友人とのニュージーランド釣行だった。
1998年2月、大学2年の冬だった。友人に誘われ、ニュージーランド南島を約14日間釣りまわった。初めての海外。初めてのニュージーランドその衝撃、カルチャーショックは頭のてっぺんから足の小指の爪先まで強烈な電気ショックが走った。日本は数メートルの雪に埋もれた冬真っ只中なのに、半そで短パンの強い日差しのニュージーランド。鼻高の、目がくぼんだ白人たち。ペラペラと飛び交う英語。花々で飾られたゆとりある庭。個性的な家々。見たこともない美しい山。澄んだ川、でかいマス。本当に面白いフライフィッシング。
日本で生まれ日本で育った私には、見るものすべてが新しく、「世界ちゅーのは広い。いろんなところがあるんだなぁ」と、日本で十分満足していた自分だったのに、新しい大地、地球の魅力に取り憑かれた。まだ見ぬ大地に夢が大きく膨らんだ。そんな感動のニュージーランド釣行の中で、自分を熱くしたモノがあった。それが、フィッシングガイドという仕事だった。ニュージーランドでは同じマス釣りでも日本と少々違い、フィッシングガイドという仕事が成り立つ自然がある。川で魚を見つけ、客に魚を釣らせる。そしてともに喜ぶ。そんな魅力的な響きに私は取り憑かれ、将来の目標がスパッと見えた。このときかから、私の行動に理由が出てきた。
翌年1999年、彼女とのニュージーランド釣行24日間。川を知り、魚を見つける目を鍛え、たくさんのマスを釣った。彼女も釣った。技術が上がり、たくさん釣れるようになる自分を感じた。
英語にも慣れてゆく自分。このままやれば、ガイドになれる。そんな自分のちっぽけな頭だけで考えて、面白いところだけを、自分の自由気ままに鍛えていった。
ニュージーランドから雪で埋もれた北海道に戻る。今年は、大学4年。学生最後の年。就職難の中進路を決めなければいけなかった。大学の進路相談室に呼ばれ、一対一でこれからの進路、自分の希望などを聞かれる。迷わず、「ニュージーランドでフィッシングガイドになります。」と答える。どう対応していいか困っている学生課の人。それでもさすが進路の専門家。私にアメリカ農業実習を勧めてくれた。
「アメリカで一年間農業をやりながら、アメリカの文化、農業を学ぼう、生活を知ろう」
という内容のものだった。さらに自分が働くので生活費は農場もち、お小遣いももらえる。無料でアメリカ生活を堪能できる。英語も身につくし、うまくいけばアメリカのマスと遊べるかもしれない。そんな甘っちょろい夢を膨らませて、大学を1年休学して初めてアメリカに飛び発った。1999年3月、当時22歳だった。
でっかいアメリカ、ファームステイに決まったのは、なんとハワイ。それもハワイ島のコナだった。コナといえば釣りキチ三平の、ブルーマーリンの舞台の場所だ。頭の中に、クルーザーに乗って、青い海をトローリングし、巨大なカジキを釣りあげる自分を想像した。けれどハワイはハワイ。私はアメリカに行きたい。アメリカのマスが住む大地に行きたい。ということでわがまま言ってウイスコンシン州の酪農家に行くことが決まった。
ここからが大きな事件の始まりだった。一日3回の乳搾り。夜中の2時から乳を出す牛、家族経営の農場はトラクターの整備まで自分でやり、次から次にやることばかりで、自分の時間はすべて牛に奪われた。それでも空いた時間を、釣りにいけないストレスを発散するために、英語の勉強をしたり、トウモロコシ畑の片すみでキャスティングの練習をした。そんな生活を2ヶ月もやれば、いっぱいいっぱいで、「俺の未来に酪農は無い」という言う答えが出た。
「今はフィッシングガイドになる夢を追いかけなければ」と、乳絞りを続けながら行動に出た。
その行動というのは、
「アメリカのフィッシングガイドに弟子入りする計画」だった。
インターネットでモンタナ州、アイダホ州、ワイオミング州などなど、トラウトの聖地のフィッシングガイドを見つけては手紙を書いた。その手紙の内容は、
私をあなたの弟子にしてください。
あなたの仕事を手伝わせてください。
釣りを教えてください。
もちろんお金は要りません。
ベッドと食事を提供してくれれば、私は何でもやります
といった内容の手紙を、約20人のフィッシングガイド宛に出した。かなり押し付けがましく、突然な無理のお願いだとは自分でもわかっていた。だけど今の自分を改善するには、これが一番の方法だと思っていた。答えが待ち遠しかった。ラストチャンスに行けるかもしれない。毎日毎日楽しみに返事を待った。もちろん農場のボスには、何も言っていない。採用が決まったところでボスに話そうと考えていた。
けれど帰ってくる返事は、どれもNOだった。
「あなたに仕事を与えることはできないけど、その魂はわかった。遊びに来い」。
そんな内容の返事に、私のラストチャンスへ行きたい気持ちはさらに強くなった。
ガイドからの返事のひとつを、私の世話をしてくれるディック爺さんに見せて、「2週間の休みがほしい」と交渉してみた。「もし休みがもらえなくても、その農場を抜け出してでも荷物をまとめてラストチャンスを目指すんだ!」そんな大それたことを本気で考え、農場脱走計画もディック爺さんに話した。話してみるもので、すんなりと2週間の休みを私に与えてくれた。
これでラストチャンスに行ける。
一ヵ月後の出発に、長距離バスの行き先やキャンプ場の場所。釣り場。現地ガイドとのコンタクト。順調に計画を進めていった。もちろん農場の仕事もがんばった。
7月上旬。出発まであと半月となったとき、突然ディックから「お前に2週間の休みは与えられない」と言われた。その理由はそもそも農業実習ではそんな長期休暇は許されず、外泊も禁止されていたのである。それを承知で個人的にディック爺さんに頼んだんだけど、コーディネーターの耳に入りストップが掛かってしまった。脱走してでもモンタナに行こうと考えたが、許可無くその農場をでるとビザの問題が生じ警察沙汰になるという。さすがにそれには私も怖気づき、再び沈黙の日々に戻ってしまった。
ミルクマシーンは一日中大量の餌を食い、大量のうんこと牛乳を生産する。そんな巨大なマシーンに夜中の2時からつき合わされ、睡眠は2回に分けられ、牛から開放される時間は3時間のみ。車の運転を禁じられ、食料も本も買いに行けない。トウモロコシ畑に囲まれた田舎でやれることはひたすら牛とたわむれる。そんな同じリズムの生活は、
とてもいい感じに私の中にストレスという原動力を貯めていったのだった。
だけどそれは、ディック爺さんが10日間のアラスカ旅行に出発した後、浮かんではいけない考えが、頭の中にひらめいてしまった。つづく
2010年01月19日
北海道音更町東音更。2010年1月18日
奥(北)に見えるは東大雪の山やま。赤い屋根の建物は今は物置になっているけど、北海道で育ったカラマツやミズナラの木材で作られた。マンサードという建物。北海道各地に当時は建てられたけど、今では鉄筋の牛舎に代わり、少なくなった。右の一面の雪は、今年は秋まき小麦が植わっている。雪の布団が小麦を冬の寒さから守ってくれている。雪がとけたらここは一面の緑になる。4月頃だ。
敷地内の除雪した雪山から北をむいて 2010年1月18日
1月18日十勝晴れ。宿を建てるのは赤い屋根の右の空き地。11月に古い住宅の解体作業を終え、さら地になった。2月から基礎工事が始まる。完成は6月下旬になる。工事は、工務店さんに7割をお願いし、残りの3割を私と知り合いの大工さんの2人でやる。金額を下げるために、工務店さんから羽目板張りや断熱材入れ、床はりなどの仕事を請け負わせてもらうことになった。どちらかと言えば、やらなきゃいけない建設工事を工務店さん。遊び心やセンスが問われる、ある意味面倒な時間がかかる作業を私と友人の大工さんで行うという形で進めることになった。
清水町でシアンルルめぐみというレストランの宮崎さんHPはこちら 2010年1月18日清水町にて
古からの友人で大工さん。宮崎さんの工場に昨年引いたカラマツをはこみ、あーだ、こーだ言いながら大テーブル作りに取りかかった。古い家から回収した無垢の床材みがきなどもここでコツコツ進めている。