~三鮮商事のブログ〜

研修等で自分の短所と長所を書き出すように言われると、短所はたくさん挙げられるのだが、長所は少ない。
中には長所が見当たらないなんて人もいる。
日本人の気質はどちらかというと謙虚でありながら、自分の長所を並べるのが苦手なのかもしれない。
しかし、それは能力開発という観点では、あきらかに開放の妨げになっている。
自分の能力を最大限に発揮できる状態を維持するためには、心を活性化しなければならないからだ。
つまりストレスで縮こまっているのではなく、のびのび、活き活きとした状態にしておくべきだ。
心の活性化というのは満足感であり、そのためには短所ばかりに目を向けていては、いつまでたっても心の満足感を得ることはできない。

一つの捉え方であるが、例えば、人間関係がまったく築けないわけではなく、ただ仲良くなるまでに時間がかかるというだけで、社交性が足りないと自分のマイナスポイントを過剰に考えてしまう。

自分の特徴に気づくというステップは踏めているわけで、要はその後の意味づけをどう解釈するかだけである。
時間がかかったとしても、ひとたび信頼し合える関係性になれば、その絆は非常にゆるぎないものとなれば、それはそれで素晴らしい人間関係構築であるといえるだろう。

できないことを考えるのではなく、何ができるかを考えた方が、自分自身の自信につながっていくと同時に選択の基準が定まっていく。

ある調べによると「自分がやれば、たいていのことはうまくいく」と考えている人ほど、年収が高い傾向にあるという。
自分はできるという思いを「自己効力感」というが、自己効力感が強いと成功しやすいには自信や逆境にめげない気持ちや運命を自分で切り開いていこうという意欲など精神力やポジティブ思考によって生まれてくるのだろうと容易に想像できる。誰もが分かっていて、そうあればいいとも思っている。

そのため、多くの人が自己暗示やイメージトレーニング、発想の転換などの心理テクニックを使いメンタルをコントロールしようとしているが、なかなか不十分であることはそれぞれに感じているところだ。
確かに自己暗示やイメージトレーニングは重要なのかもしれないが、その前提として「自分を認め、好きになっている」かが重要だ。
自分に疑いを持っている状態では効果は出ない。
様々なメンタルコントロールのやり方が世に出ているが、中にはいくらやっても効果が上がらないという声も少なくない。
それはやり方が間違っているとか、真剣にやってない、条件設定が合ってないというのでなく、大半が「どうせ、そんなことをやってもムダさ」という思いがあるからだ。

「オレは最高だ!」というような過度な自己愛は問題になることもあるが、実は人間というのは、誰もがかなりの能力を備えていることは事実だ。
ただし、その能力を自分自身で知って、さらに開放しなければならない。
自分の力を信じ、自分が自分のファンになったときに、能力の解放の扉は開かれる。

相互依存は互いの交流を活性化し、飛躍的な進歩を生み出す可能性を秘めている。
これに反して「相互不信」は停滞を意味している。
現在、不景気感が感じられる大きな要因としてお金が動いていない
ある哲学者のコメントに「お金は肥料みたいなものであり、散布しなけれは役に立たない」というものがある。
これはいつの時代も変わることのない真理であろう。
つまりお金は使わない限り生きてこない。
中には貯め込むことによって信用度合が増すという人もいるだろう。
個人レベルではそういったこともあるが
経済の仕組みの観点からみるとやはりお金が流れていないと社会の健全さが保てない。
今、我々は国に対して「相互不信」状態にあるがゆえにマイナスのスパイラルが働いてしまっている。
先日、ある雑誌に掲載されていたのだが、今年入社した社員の中にわずか数ヶ月しか経っていないのに既に貯金をしている社員がいるというのはいささか驚いた。
若い世代ですら「当面使わないでいよう」と考えているのに、ゼロ金利状態で使えば確実に目減りしてしまうとなれば、そう考える人が多くいてもいたしかたない。

ではどうしたらこの状態を打破できるのだろうか?
どうしたら国民が前向きにお金を使うようになるのだろう?
それはやはり国がお金を使いたくなるような施策を実行しないことには始まらない。
ところが国は国民が使ってくれることが確実なら、安心できる施策を出してもいいというスタンスだ。

つまり相互不信状態とはどちらかが先に行動を起こさないと打破できない状態をいっている。

数年前ソニーピクチャーズが北朝鮮の金正恩第1書記暗殺を題材にしたコメディ映画「ザ・インタビュー」の公開を見送った。
サイバー攻撃をはじめとする社会的損失が大きいと判断されたためだ。
独裁者をパロディ化したという社会的風刺で1940年にニューヨークでプレミア公開されたチャップリンの「独裁者」(The Great Dictator)を思い出す。
チャップリンの自伝によると「あの恐るべき醜怪な化け物、アドルフ・ヒトラーがせっせと狂気をかきたてていて、戦争が始まろうとしている」という認識があの映画に取り組む大きな動機だったと話している。
この作品はチャップリンの映画の中で最初のトーキー映画、つまり音声が同期した映画だった。
その理由はラスト6分間の「独裁者の結びの演説」でチャップリンが演説という音声言語によって独裁者の非人間性を糾弾し、観客に新しい希望の世界を提示したかったからだという。
この結びの演説で「私は機械よりも、人間性を必要としています。私は賢さよりも、優しさと思いやりを必要としています」のような対比法と平行法の組み合わせを用いている。
さらには「貪欲が人間の魂を毒した」、「あなたたちは家畜ではない」のようなメタファー(イメージを奮起させるような比喩)を使い、「人間の憎悪が去り、独裁者たちは死ぬ」という断定的な表現を入れ込むことでレトリック(効果的な言語表現)としての巧みな表現がなされている。
今も昔もメッセージの送り方というのは様々であるが、効果性をより高めていく工夫は常に考えていたいものだ。

カーブスにおいて、月曜日の朝イチは非常に混み合う!
これは週明けという事もあるのだが、ウィークリーマネジメント的にスタートとしての位置づけが明確である。
つまり、月曜日に終わりから始めるという終了時点とその先のターゲットを見据えて行動を起こすことは、まさしくエクササイズだ!
基本事項を整理して、目標とその答えを頭のエクササイズとして図式化するのだ。
終わりから始めることはタイムマシンのキーを手に入れるようなものだ。
1週間どころか、半年先や1年先に進んだら取り組むべき事柄がどのような改善を生み出していくのか?
具体的に思い描き、書き出しておくのだ。
それが明確な目標へと進化していく。明確な目標を立てたという満足感は自信につながり、その1週間の支えになる。
時には短時間ではその目標を見出せない、なかなかチーム内で合意できないこともあるだろう。
しかし、なんらかの決め事は必要だ。
そうでないと、よい出発点を決められずにゴールに向かうことになる。
これは着実にゴールに近づくことにもつながる。
良い出発点というのは、例えばBRにあるホワイトボードの一番上に書いてあることが全員の合意のものであり、それゆえに全員が同じ方向に導いてくれるエクササイズの賜物である。
そして、忘れてはならないのは「洗い出し」である。
目標を描くときはそれが長期であればあるほど、楽観的になる。
そうなるとその目標は危険な前提が潜んでいると見るべきである。
前提を検証するということは、失敗のリスクを下げ、効果性を高めていくということだ。

ジョージ・クルーニーとブラッド・ピットが主演した映画「オーシャンズ11」は、泥棒映画の最高傑作だ。
クルーニーが演じる前科者のダニー・オーシャンは、プロの犯罪集団を組織して、空前絶後の現金強奪を計画する。
ターゲットはラスベガスのカジノ。
ボクシングのタイトルマッチが開催される夜、カジノの金庫には1億5,000万ドルを超える現金が入っている。
勝算は薄く、時間は刻々と過ぎていく。
うまくやり遂げるには周到な戦略のもと、チーム全員の特殊技能を結集しなくてはならない。
メンバーは多彩でスリに爆破専門家、曲芸師までそろっているという痛快な映画だ。

限られた時間の中で狙った結果を得るためには、あの完璧に仕組まれた現金強奪プロジェクトのような組織編成が必要なのだ。
チームは与えられた才能と時間、エネルギーを最大限に活かして、とんでもない課題に取り組み、機転と少しばかりの裏ワザで、行く手を阻む障害を乗り越える。
成功するには適切なチームが欠かせない。
まあ、スリはいらないがリーダーと多様な人材が必要なことは確かだ。
まずはダニー・オーシャンのような意思決定権を持つ人間を決める必要がある。
この「決定者」は問題を深く理解していて、明快な意見と価値基準でチームを正しい解決策に導いていく。
そしてチームの人数は7人以下にすると、時間を有効に使えるという。
これは生産性のデータからだが、8、9人だと明らかに進行が滞り、集中力と生産性が保てなくなるのだという。

ビジョンを実現させるべく、人も道具も取り揃え、前向きに取り組んでいるのに、その組織は少しも思った方向に進んでいかないとしたら、その組織のリーダーは失格だといえよう。
物事が前進しない限り、成功はありえないからだ。
このような状況では「勢いの法則」というものに注目する必要がある。
勢い?というと何か抽象的なものに聞こえるが、実はリーダーにとってこんなに強い味方はない。
それはなぜか?
勝敗を決めるのは勢いだけだからだ。
勢いがないときはどんな簡単なことでもうまくいかないし、小さな問題でも解決不可能に見えてしまう。
やる気がなくなり、お先真っ暗となる。
それとは逆に勢いにのっているときは、未来は明るく、障害もとるにたりないものに思われる。
多少の障害など難なくぶち破ってしまうことができるだろう。

では、勢いに乗るというメリットを書き出してみよう。
勢いがあれば「すべてが大きく見える」、「周囲の目が変わってくる」「実力以上のものを出せる」
「最強の変化誘発剤となる」
などが挙げられる。
また勢いに乗せるパワーより乗った勢いをコントロールするほうが数段、楽なはずである。

それゆえに最初の勢い付けはリーダーの責任において生み出さなくてはならない。
勢いを自分で生み出し組織を盛り立てていくのがリーダーの責任だからだ。
勢いはリーダーの内面(内なる声)つまりビジョンと情熱からうまれる。
「自分のハートが火のように燃え盛っていなければ、人のハートに火を点すことはできない」
勢いとはリーダーの最良の友なのだ。

大企業の社長でも中小企業の社長でも、スポーツチームの監督でも小さなグループのリーダーでも、優れたリーダーなら必ずやらなければならないのが「優先順位」を決めて行動するということだ。
優秀なリーダーなら、優先順位の大切さを直感的に感じているが、全員が優先順位を決めているわけではない。
それにはいくつかの理由がある。
まずは、人は忙しいと、何かを成し遂げたような勘違いをする。
しかし忙しければ、仕事の成果も上がっているかと言えば、決してそうではない!
行動がそのまま実績になることはない。
また優先順位をつけるためには、常に先を読み、何が重要なのかを考えなくてはならない。
次に何が起こるか。
あらゆることをチームの組織やビジョンと関連づけていくことは難しいことだ。
そしてもう一つ言えることは優先順位を決めることによって、「やりたくないこと」にも着手していかねばならないということがある。
ではどうして優先順位をつけていくとよいのか?というポイントを確認していく。
それは「パレートの法則」。世にいう2:8ニッパチの法則というやつです。
要するに重要度の上位20%に入る仕事に集中すれば、利益の80%を得られるというものです。
逆説的に見ると対して重要でない80%のことに注力していても成果は20%しか得られないということがいえます。
そこで優先順位の指標となる3Rを紹介しておきます。
*Requirement(何が求められているか)
*Return(成果)
*Reward(報酬)
です。
この3Rを頭において「やるべきこと」の順番を決めていくのです。

相乗効果を考えるとき、互いに決断するシーンというのが付きまとう。

一番シンプルに考えるとき、何かをまず捨てることを決めて、その後どうするかを考えるとき。
もう一つは何かを加えると決めて加えたものをどう生かすか考えるとき。

この二つを比較してみると事後的な成果が対照的に現れるという。
意外に捨てる場合にはその後発展し、加える場合には思わしい成果が出ていないというのである。
それを方程式mに落とし込むと*捨てる2−1=3であり、*加えるは2+1=1といった感じである。

ともに算数の答えとしては間違っているのだが、人間の心理を考えると、正しい方程式になる。
1をマイナスした場合は穴ができるので、それを何かで埋めようと懸命に考えたり、あるいは1をマイナスしたことにより、それが邪魔していた別のものが表に出てきたりする。
いずれにしてもマイナスするプロセスから何かが生まれることを意味している。

逆に加える場合、1が加わったため、それまであった2との関係が複雑になる。
あるいは2が安心してしまう。だからねじれや歪み、緩みなどが出てしまう。
プラスすることで何かが余分となり、それが邪魔して思わぬ結果が出ないことが多い。


資源不足と嘆くのではななくむしろ余分なものを捨てることをまず考えてみたらどうだろう?
捨てた後に、新しい資源が生み出されてくるかもしれない。
それは人々のエネルギーだったり、眠っていた能力や設備であったりするかもしれない。
切断の痛みを押さえようとする力は強い。

勝利を手にするリーダーと、惨敗してしまうリーダーとの違いは何か、考えたことがあるだろうか。
何がチームを勝利を導くのか。

勝者と敗者を分ける資質を特定するのは難しい。
リーダーを取り巻く状況も異なれば、危機を乗り越えるために解決すべき課題も様々だ。

ただ、勝者に共通しているのは、敗北を受け入れないことだ。
勝利以外の選択は存在しないと言ってもいい。
彼らは常に「勝利するために何をすべきか」に意識を集中させている。
これが「絶対勝利の法則」だ。

最高のリーダーとは困難に立ち向かい、人々を勝利に導くためにはどんな努力も惜しまない。
次の7つの特質に着目してほしい。
♢リーダーシップとは責任である。
♢敗北は許されない。
♢情熱の火が消えることはない。
♢創造性は不可欠である。
♢途中でやめることは考えられない。
♢献身は議論の余地なし。
♢勝利は必ず訪れる。


リーダーはこのような心構えで、ビジョンを掲げ人々を勝利に導くという固い決意をもって困難に立ち向かう。
さて、それではチームとしてはどのような要素がそろっていれば、絶対勝利が可能となってくるのだろう。

大きく分けて次の3つが考えられる。
まずは何といっても「ビジョンの統一」
それそれがバラバラの目標を掲げていては話にならない。
次は「スキルの多様性」
いうまでもないがどんな組織にも、成功するには多彩な才能が必要だ。
3つ目は「リーダーによる的確な采配」
つまり、ビジョンは放っておいて、自然にまとまるというものではないということだ。

仏教の教えは言葉で伝えるものだが、さらに多くの人に伝えるために、目に見ても教えが伝わるように作ったのが仏像だと言われている。
仏像の並ぶ立体曼荼羅の中心にあるのは、大日如来を中心とする五知如来、その右に五大菩薩、左に五大明王が配置されている。

如来は世界を照らす存在として中心に位置し、その如来が変身した姿と言われているのが菩薩と明王だ。
菩薩はやさしい顔をしていて慈悲の心を表現していて、明王は悪を憎んでにらみつけている。

この明王のいかめしい怒りの表情は外の魔に向いているだけでなく、人の心の中にも向けられているという。
そしてその手には、人の煩悩を縛るロープと煩悩を断ち切る剣を持っているのだ。

つまり如来は慈悲のやさしい顔だけでは人を救えないこともある、そういう追い払えないものを人間の心は持っているがゆえに、その部分に向いている明王の存在を造ったのだ。

今でふうの教育理論に充てると、きちっと叱って導く、つまり正しく成長させていくという考え方なのだ。
そしてさらに不動明王の像をよく見ると、顔の丸みや肌などで優しさを表現の中に含め、この怒りは人を救うという慈悲の心から発しているということを表しているという。

厳しいが優しいといったところだろうか。

慈悲と怒り、この二つの要素が、人を導いていく制度の中には必要で、そしてそこには人間の欲望のエネルギーがベースにあり、段階ごとに上位レベルで浄化されていき、成長していけるのだ。

人生には3つの課題があると言われている。
それは「仕事の課題」「交友の課題」「愛の話題」である。
そして、後の方にいけば行くほど課題は難しくなる。

ある会社員の男性はこのような悩みを持っていた。
それは「商品を売り込む商談は全く緊張することなく普通に話せるのだが、雑談になると途端に緊張して話せなくなってしまう」というものだった。
また、この男性は女性と話すときも同様に緊張してしまうという。
この事例をもとに先の3つの課題に当てはめると、そのものズバリである。
商談とはすなわち仕事。
これは人間関係の中では一番簡単な?ものである。
しかしそれ以上に難しいのが交友の課題であり、愛の課題なのだ。
雑談や異性との付き合いの方が仕事より難しい。

では、なぜそうなのか?
それは交友の課題や愛の課題は、仕事以上に「濃い」関係だからである。
従って難しさが増すとは当然のことだと言えよう。
では、どう対処していったらいいだろう?

一番難しいと言われる「愛の課題」にフォーカスしてみる。
夫や妻に対して注意や助言をしても、全く聞き入れてもらえなかったのに、赤の他人が自分とまったく同じことを伝えたらすっと聞き入れられて腹が立った。
なんていう話は誰もが経験があるだろう。
人は身近にいる人の忠告を疎かにしがちなのだ。

距離が近い人よりも、適度に距離がある人の方が話を受け入れられやすいのだ。
富士山は遠くから見ていると美しいのだが、いざ近づいてみると岩だらけ。
近くに寄らねば見えないこともあるが、距離感は大事である。

「もう年で若い人には勝てません・・・」は個人の悩みのように聞こえるが実はそうではない。
そう言いながらも「年の割には結構頑張っているでしょ?」と他人にアピールしている。
「最近、鬱(うつ)っぽくて・・・」などという言葉も、鬱(うつ)になりそうなほどに、繊細でナイーブな自分をアピールしている人がいる。
「忙しくて貧乏暇なし。たまには休みが取りたいですよ・・・」という言葉も忙しさをアピールしているだけで、決して落ち込んでいるわけではない。

このように一見すると内面の悩みの吐露のような言葉も、すべてそこには「相手」がいて「目的」がある。
つまり「使用の心理学」というやつなのだろう。

我々の言葉や感情にはすべて相手がいて目的があるので常に観客を意識して言動を発している。
それほどまでに対人関係というものは大切なものだから、悩みも対人関係に帰結する。

体調が悪いことや神経症に冒されていることもまた、対人関係上の問題であり、病気になることで特別な存在となり、相手への優越をアピールできる。
その為に、その人にとっては病気は必要なものとなってくる。

会社や社会全般という人の集まりの中で自分の居場所を確保できるかという悩みは、そのために、自分がどのような役割を果たし、どのように貢献すればいいのかという悩みにつながる。

つまり人は常に悩みに直面しているのだ。
人は一人では生きられない。
もし、この悩みから解放されたいと願うのなら、宇宙でたった一人になるしかないのである。

全ての行動の動機は「愛」と「怖れ」の二つから起きており、自分の行動の背後にあるものがどちらであるか認める必要がある。
時には怖れは怒りなどの感情のブレの前段階で必ず抱いている気持ちであることを認める必要がある。
それではどうやって自分自身の怖れという感情をなくしていけばよいのだろう?
それは自尊心を育むということで解消されるのではないだろうか?
つまり自分の存在を認め、信頼する心を持つということで、これが欠落してしまったり、不足してしまうと、その不足分を人に依存してしまう。
依存するということは常に人からの評価を怖れてしまう状態を指す。

最近ではめっきり、見かけなくなってしまった「水車」。
水車は川の流れ、つまり地球の重力を変換させ、異なる形でエネルギーに変えていけるツールである。
しかしこの水車が軸を持たなかったら、エネルギーを発することができるだろうか?
答えはNOである。
水車は車輪の中心に軸があるから水の流れを効率よく、異なるエネルギーに変換できているのだ。
つまり「中心軸」がしっかり定まっていなければならない。

これは人間にもいえる。
人間の持つべく中心軸は価値基準だといえる。
真の豊かさを追求していくには不可欠なものだろう。
言いかえれば自分の人生において、最も望んでいること、これが中心軸。
これが定まっていると、感情や衝動によるブレはなくなるだろう。

大手の百貨店であった、ある女性接客係の話なのだ。
彼女の接客態度はとてもよく、また日ごろからよく勉強をして豊富な商品知識を持っていることから、お客さんたちから好評を得ていた。
また職場の上司からも期待をされていた。
しかし、ある日、彼女はある一人のお客さんから「あなたのような態度が悪い店員は会ったことがない。失礼にもほどがある」と、散々文句を言われた。
彼女はひどく落ち込み、それがトラウマとなって、その後仕事への意欲を失ってしまった。
上司からは「君はたくさんのお客さんから喜ばれている。たった一人のお客さんから文句を言われたことだけを気にすることはない」と慰められても、彼女はなかなか立ち直ることができなかったという。
このように、「沢山のお客さんに喜ばれている」という全体像を見ずに、たったひとりのお客さんという限定的な事実のみ意識をとらわれてしまう傾向を「トンネル視」という。
トンネルの中からは出口の光景しか見えない。
周囲の全体の光景は見えてこないことから、物事の限られた一部分しか見えなくなる心理状態をいう。
常日頃、文句やクレームなど無縁の人ほど、陥りやすい傾向にある。
ではどうしたらトンネルを出て、全体像をみることができるのだろう?
それは自分の行為に対して喜んでくれた数多くのお客さんの笑顔や感謝の言葉、また満足そうな表情を具体的に思い出せばいいのである。
視野を広く幅の広い考え方で捉えることは、感情的に何かを捉えるのではなく、理性的に物事を判断していける自己リーダーシップなのだ。

人は相手への信頼感があってこそ、「あの人の喜ぶことをしてあげたい」とやる気になることができる。
信頼感がない相手に対して、人はやる気になることはできない。

ゴールデンウィークの初め、4/28-30にシンクロナイズスイミングのJapanOpenが開催された。
いよいよ2020の東京オリンピックへ向けて「マーメイドジャパン」の指導である。
日本代表というと、あの有名な井村ヘッドコーチがすぐイメージされる。
昨年のリオ五輪では3大会ぶりに日本にメダルをもたらした。それ以前では今や世界第2位というランキングを誇る中国も井村さんの指導のもとで掴んだレベルだ。

彼女の指導方法は徹底したスパルタ式と呼ばれ、一日10時間以上に及ぶ練習を課すという。

彼女の理論は「人生経験少ない子たちに自主性を重んじたり、褒めて伸ばすなんてのは無責任だ」と言い切る。
そして本当に彼女たちにメダルを取らせてあげたいから、人として成長させてあげたいから、私は責任を全うする。とも言う。
いまどきは根性論やスパルタ式は非科学的だと捉えられたり、やれパワハラとかいう風潮がある。
彼女は根性論だけでは勝てないことなど十分知っている。
しかし根性がないと勝てない。
根性は必須条件だという。
以前「チームに必要とされていない」と離脱した子がいた。
その子に「必要とされてないんじゃなくて、必要とされる人間になるのが先」だと言ったという。
過度に練習を課すのも選手の限界を伸ばすためなのだ。

そのためにも基礎の身体づくりには力を注いでいる。
こういった指導力も互いの信頼関係の強さあってこそだ。

アドラー心理学のなかに「人間はいつも{特定の人}のことを考えて行動している」という言葉を残している。
人のやる気をという感情についても同じことが言えるのではないだろうか?
人がやる気になるのは、もちろん「自分の幸福のため」「自分の思いを実現するため」「自分らしい生き方をするため」という側面がある。
その一方で「大切な人のため」「家族のため」「自分らしい生き方をするため」という側面がある。
言い換えれば「自分のため」だけを考えて行動しても、強いやる気は生まれてこないのである。
それに加えて「人のため」を思ってこそ、力強いやる気が生まれてくる。

これは人の精神力に働き、自分の夢をどんどんかなえていく人に共通している。
「こんな商品を」「こんなサービスを」「私がガンバレばみんなが喜ぶ」というように他人への意識を働かせることで充実感を得られる。
そのときの重要なポイントは相手の立場になる」というスタンスである。

いくら頑張っても、喜んでもらう相手のためになっていなくては意味がないし、喜んでもらえない。
そうなると自分のモチベーションも下がってしまう。
ここであらためて確認しておきたいのが「3つの感」である。
ひとつは相手の気持ちに寄り添う「共感」
二つ目は相手を信頼する「信頼感」
三つ目は人に貢献する「貢献感」

この3つの要素はひとりの人間が意欲的に充実した人生を実現していく上で、とても重要な要素となってくる。
相手の目となって看て、耳となって聴いて、相手の心になって感じていくという事だろう。

正常な人間は、人生の課題と困難がやってきたときに、それに対処するために十分なエネルギーと勇気を持っているとされている。
これを言い換えるとエネルギーと勇気を得ることができるのだろう?
これは日常生活の中でちょっとした工夫と心得を持つことが得られる。
例えば生きていくからエネルギーを作り出すために大切なのは「好奇心」というものがある。
「こんなことを試したら、うまくいくのではないか?」「これを解決したら、どんな世界が待ち受けているのだろう?」「この先、自分の人生には何が訪れるだろう?」
このような好奇心が人生の課題と困難を乗り越えていけるエネルギーを創りだしてくれる。
小説家、森鴎外の言葉に「未知の世界への好奇心が僕を刺激する」とある。
このなかの「刺激する」ということはまさしく、生きるエネルギーが活性化させると捉えることができる。
人生の課題と困難にぶつかったときは、それを乗り越えた先に見える「すばらしい自分の将来」がどのようなものになっていくか想像してみるといい。
そうすれば、自分の課題と困難を乗り越えるために必要な生きる意欲を作りだしていけるだろう。
何事に対しても、やる気に満ち溢れている人は、このように先のことに対して、いいイメージを抱くことが非常に上手い。
ようするに「将来の先取り」とでもいうか、イメージしたシーンに対して「よし、やってやるぞ!」という気概に変えるのである。

今週は新入社員たちがいよいよキャンプを卒業する週であるが、日々成長を重ねてくれていると期待するところだ。
一つ課題として与えられているのは、困ったときに素直に助けを求められるかどうかである。
というのも、ある傾向として、自分に自信のない人ほど、周囲に「助けてください」と言えないからである。
人は、他人に「助けて欲しい」と援助を要請した場合、相手からどう思われるかということを考える。
また、そのことで自分はどういう立場に立たされるかということを考える。
こういったことを「要請コスト」という。
自分が得る利益と払う犠牲とを計算し、周りの人たちに助けを求めるかどうか判断することなのだが、では払う犠牲とはなんだろう?
それは周りの人たちから無能な人間だと思われ、プライドが傷つけられたり、自分の評価が下がって、今の立場が危うくなり、将来性がなくなるとかである。
その他、恥をかく、助けてもらった相手にこの先、頭が上がらなくなる。

なんていうこともあるだろう。
その為に、周りの人に助けを求めたり、やめてしまうのだ。
結果はどうなるだろう?
問題を一人で抱え込んでしまい、どうしようもない状態にはまり込み、最後には問題を解決すること自体から逃避してしまう。
ところが自信のある人は恥をかく、無能と思われる、評価が下がるというようなことは気にしない。
困った問題に直面したら、余計な心配はせず、素直に助けを求めるということを忘れたくないものだ。
これは新人に限った事例ではない。
やる気のない自分に陥らないようにするには、すべてオープンしていくことである。

「自己決定感」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
聞いたことがなくても、7つの習慣的発想をしていけば、なんとなく理解はできるだろう。
自分の行動を他人に決定されるのではなく、自分自身で決定していること」とあり、想像した通りの内容だと思われる。
個々で大切なのは自分自身で決定しているということよりも、それを「実感」できているか否かである。
自己決定感の強い人は、何事にも積極的なので、意欲的に自分の人生を切り開いていくことができる。
逆であれば、消極的でやる気のない生活を送ってしまいがちになる。
世間でいう、指示待ち人間などがこれに当てはまっていくのだろう。
これは人から言われて、どうこう変わるものではない。
自分がやりたいことを持ち、それを実現するために自らが積極的に働き掛けていくしかないのである。
もちろん、自分がいくらやりたいことを貫いても、周囲の環境がそれを許してくれないシチュエーションも多々あろう。
また、周囲からの要請で、やりたくないこともしなければならない場合もある。
そういった「社会的なジレンマ」はチームで動いている組織では日常茶飯事だ。
こういった思い通りにならない状況の中でも自分がやりたいこと、自分の夢や希望、、志を実現していこうという気概を持っていたいものである。
アドラー心理学に「自分次第で、状況が変えられる」という考え方がある。
自分がやりたいことを実現するための努力を続けていれば、いつかチャンスが巡ってくるということだ。
状況は変えられる!

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