2017年04月03日

得手不得手

自分が持っている能力に適していることをするときには、すべてのことがうまくいく。
しかし、自分の能力が適していないことをするときには、苦労ばかりが多くて得られるものは少ない。
真言密教の開祖、空海の言葉である。

人の能力には向き、不向きがある。
誰もが得意とするもの、不得意とするものがあるのだ。
人付き合いはうまいが、一人でコツコツ何かをやるのは苦手だという人がいたり、頭が良くて考えるのは得意だが、手先は不器用で何かを作るのは苦手とか。

まあいわば長所と短所みたいな捉え方なのだが、大切なのは自分が何に向いていて、何に向いていないのか?ということを自分自身でよく知っておくことだ。そして、できるだけ、自分に向いているもの、自分の能力を活かせることに従事していけるように努力することが大切だ。

自分の得意とすることに特化することにより、事がうまくいき、自信も得られ、やる気も増してくるという好循環が生まれてくる。
これが逆のパターンになると自信もやる気も失ってしまう。

もちろん人生には自分の思い通りにはいかず、いろいろな事情でその意に反したことに従事しなければならないシチュエーションのときもある。
そんなときは、とりあえずやってみる!

意外に上手くいったり、後から振り返ってみると、それなりにできていたりするときもある。
それはそれで新たな自分と出会えたりするときもある。
確かに自分をよく知ることは非常に大切なのだが、最初からそれがよく分かっている人はそうはいない。
つまりそれを知るために、それを見つけることができるまであきらめないことだ。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年03月27日

GEST

牛角の接客のスタイルに「GESTオペレーション」というものがある。
「GEST」すなわち、お客様に接するときのスタンスをGESTの頭文字を使って、皆で共有していくというものである。
最初のGはGenki(元気)、EはEyes to Eyes (目から目ということで、しっかり相手に目線を合わして、気持ちを伝える)、SはSmile(笑顔)、そしてTはTalk(話す)。
つまりこの4要素は人がコミュニケーションをとるときの礼儀ともいえるスタンスである。
オペレーションという形で紹介したが、実は心の持ち方、すなわちマインドである。
これはお店を運営していく上で、対お客様だけではない。
スタッフ同士でもこれがしっかりと実践できたなら、どれだけ生産性を高めることができるか、計り知れない。
その他に「10大接客用語」というものもある。
 屬△蠅とうございます」
◆屬い蕕辰靴磴い泙察
「はい、よろこんで」
ぁ屬しこまりました」
ァ崋採蕕い燭靴泙后
Α屬待たせいたしました」
А嵜修渓ございません」
─崑今、お伺いいたします」
「ありがとうございました」
「お気をつけてお帰りください」
          以上である。
よく見ると、ありがとうという感謝の言葉が,鉢の2つの枠に掲げられている。
,里△蠅とうはお客様を出迎えるいらっしゃいませの言葉の前に来店に対する感謝の気持ちを心で発するありがとうで>、はその気持ちをお帰りの際に再度言葉で発して、お客様に感謝の意を伝えていくのである。
これらはたしかにマニュアル化されたものなのだが、これをいかに一人ひとりがマインドに変えていくかが重要だ。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年03月20日

自信

人生を有意義に生きていくには自分に自信を持つということが非常に重要な条件となってくる。
自分への自信があってこそ何事にも意欲的に取り組んでいけるものだ。

アドラーは「すべての人の目的は、優れたことを成し遂げるということだ。しかし自分への自信を失ったとき、その人の人生は生産的なものから非生産的な方向へと転じてしまう。」と言っている。
生産的な人生とは生きることに意欲的に取り組み、大きなことを成し遂げたり、すばらしい作品を創造したり、つまり自分の夢を叶えていく人生で、非生産的な人生とは生きることにやる気を失い、実りあることを何ひとつ創り上げることができない人生をいう。

人間にとって幸福なのは、もちろん、生産的な人生を生きることだ。
そして、その原動力となるものが自信だ。

では自信とはどのようにすればもてるのだろう?
自信とはどこかよそからもたらされるものではない。
自らの気持ちの持ち方や行動によって、意欲的に作り上げていくものなのだ。

自分の中に生きる自信をただぼんやりと生まれてくるのを待っているだけではいけない。
自分のほうから積極的に生きる自信を創り上げていこうという努力をしている人が「やる気に満ち溢れている人」ともいえるかもしれない

もうひとつは「自分に与えられたものを、どう使うか?」である。
誰も特別な才能があったり、とび抜けた能力に恵まれているわけではない。
ありふれた才能の中にこそ、人を驚かせるようなことを成し遂げることが可能なのだ。
それは自分の才能をいかに上手に使うかということだ。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年02月27日

2つの心理

先週、新しいチャンレンジについて記したのだが、確かにそれは人のやる気を高めていくものであり、効果性は高いものがある。
しかしながら、そこにはマニュアルも確実な成功法則もない。
すべて手探りで始めていかねばならず、当然のことながら、試したことが失敗することも数多くある。

しかし失敗することを恐れていたら、そもそも新しいチャレンジなんてできるわけないし、強い意欲も湧いてこない。

人には2つの心理がいつも働いている。
ひとつは成功したいという「成功達成欲求」。もう一つは失敗したくないという「失敗回避欲求」。
この2つは誰の心にもある

ただし人によって、「失敗回避欲求」よりも「成功達成欲求」のほうが強いのだ。
心理学では「成功したい」という気持ちより、「失敗したくない」という思いのほうが強いタイプは物事に消極的でチャレンジ精神が弱いと言われているが、一方でその逆の人は何事に対しても意欲的でチャレンジ精神が旺盛だ。
面白いことに失敗を恐れれば恐れるほど成功したいという気持ちは薄らいでいく。

ではどうしたら失敗することに対して怖れなくなるだろう。

それは楽観視するしかない。
「失敗したら失敗したときのことだ」ぐらいの気持ちを持つことができれば、恐れる気持ちは薄れ、成功したいという気持ちはおのずと強まっていく。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年02月20日

新しいチャレンジ

向上心とは「よりすぐれたもの、より高いものを目指して努力する心」という意味だが、心理学では「自分が何を目指しているかによって、そのやる気の度合いに変化が出てくるという。

人は働くときに目指していることを「職務満足」というが、それは自分の努力が認められるであるとか、責任ある仕事を与えられる、自己成長を感じられる、周囲が自分に対して協力的、自分の望む報酬が得られている、健康的な環境等々である。

これらはすべての人間の向上心を高める原動力となっているのだが、最も人間の向上心を高めるものは「新しい仕事にチャレンジし、いい仕事をやり遂げる」ことだと言われている

「新しい仕事にチャレンジする」こと自体に人はやる気を感じる。

その上に、いい結果がでればさらにまた新しいことにチャレンジして、もっといい仕事をやり遂げたいという、さらなる向上心が生まれる。

考えてみれば人間の歴史は、絶えず新しいチャレンジのもとにある。

ふと考えると人間はなぜこのように絶えず新しいことにチャレンジすることが好きなのだろう?

それはたぶん、新しいことにチャレンジすると、そこに強い働きがいであったり、やりがい、生きがいというものが存在していくからだろう。

この「〜がい」という存在自体が人間の生命力を活性化させていき、新しいチャレンジをしていくやる気に火をつけるのである。

新しチャレンジを続ける限り、いつまでも若々しい意欲を生み出していける。


sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年02月13日

内発的動機

老子の言葉に「足るを知るものは富む」というのがある。
足るとは満足する意味だが、富むとはお金が儲かるとか家が裕福になるという意味ではない。
ここでいう「富む」は心に大きなエネルギーが満ち溢れた状態になれる」という意味だ。

つまり富む状態であれば、人生を意欲的に生きていけるという解釈になる。
人には「外発的動機」と「内発的動機」がある。

例えばお金が欲しいという欲望があって、それが仕事への意欲ややる気に繋がっていく。
こういった頑張る感を外発的動機という。
お金だけに限らず地位や名誉、権力といった、いわば外発的な価値を得るためのやる気だ。

一方で「より良い仕事をしたいという意欲」で自分の意欲ややる気に繋げていくのが「内発的動機」だ。
これは人間の内面から湧き出てくる意欲を意味しているので、外発的動機よりも持続性があり、長続きするといわれている。

お金が欲しいちう一心で頑張っていくと、ある程度のお金を得た段階で目標を見失ってしまう。
目標を見失うとやる気を喪失してしまうのが人間だ。
そういった意味では内発的な動機は常に目標設定がレベルアップしていき、目標を見失うことはない。
その人の心の中でずっと持続されるのだ。
内面から湧き上がってくる意欲があれば、心に大きなエネルギーで満ち溢れた状態でいることができる。
つまり「富む」である。

どんどんと新しいチャレンジをして、自分の可能性を大きく広げていくことができれば、
「足るを知る」つまり満足する心を持てる。
意欲的か否かの選択は「全て自分次第」である。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年02月06日

明日へのやる気

明治、大正、昭和と長きに活躍した大倉喜八郎という実業家がいる。
鹿鳴館、帝国ホテルなどを設立、東京経済大学の前身、大倉商業学校の創設者でもある。
彼の手がけたビジネスは建設はもとより、貿易、化学、製鉄、食品など非常に多岐にわたる。

そんな彼の残した言葉に「今日はよく働いたと夕方になって満足することほど、私にとって大きな楽しみはなかった」と述べている。

この言葉は、日々新鮮なやる気を持続して暮らしていくためには「いかに満足する」ということが大切かを感じさせる。
「今日のよく働いた」という満足感はあるへのやる気に繋がっていくからである。
ところが、人によっては、どんなに一生懸命働いても満足感を得られないタイプの人間も意外に多い。

このタイプの人間は自分の努力に満足するどころか、「自分にはまだまだ努力が足りない」、まだ頑張れたはずだ!と自己卑下してしまう。

自分に厳しい、完璧主義、まじめな頑張り屋さんといった性格が強い人にこういう人が多いといわれる。
これはこれで素晴らしいと思うが、来る日も来る日もこれではどうか?と思う。

次へ次へという発想はマネジメント的には必要だが、ある意味、完結することも必要であり、その上で更なる高みにチャレンジしていくほうが効果性は高い。

「もうこれ以上頑張れない」という状態になるより、満足感の得られる「今日一日、一生懸命生きる」という目的にしたほうがよい。
仮にその日、成果が得られなかったとしても、明日へやる気に繋げていくためには、「よく働いた」という満足するように心がけたい。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年01月30日

やる気の優先

先週、物事を始めるきっかけや継続性のことについて記したが、いずれにしろ「まずはやってみる」という優先事項がなければ、それこそ何も始まらない。
よく、「しばらく経って、やる気になったら、やってみます」というスタンスの人がいる。
これは「やる気にならなかったら。いつまで経ってもやらない」と言っているのと同じである。

勉強もそうでしょう。
「勉強をやる気になったら勉強する」と言っている子供も
「やる気にならなかったら勉強なんてしない」と言っているのだ。
こんなことを言っている人は往々にしていつまで経っても勉強を始めることはないだろう。
結局は「やる気にも、その気にもならなかったから、まだ何もしていない」と言い訳するのがオチだろう。

つまり、「やる気になってから、やる」などと考えていては、やる気は来ない。
やらなければならない勉強があるのなら、とにかく「やる」というスタンスでいなければならない。
「やってみるから、やる気が出てくる」というのがほとんどだからだ。

まずは勉強を始めるとき机に座って、本を開いてみるというアクションが次へと進む。
ある有名な画家が「まずは絵筆を持って、何でも描いてみなさい」と衆に述べた。
これもまずはやってみることを優先する、やってみれば、やる気が湧いてくるという意味を述べたものだ。

ではなぜやってみるとやる気が出てくるのだろう。

例えば1枚目の絵は花の絵を描いた。
その次じゃ風景画を描いてみたいというように次のステップが見える時にやる気というものは出てくるのだ。
つまり、行動は次の行動をイメージさせるということだろう。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年01月23日

七日間

人のことは言えないが、世の中には「飽きっぽい」と言われている人が多い。
何かを始めてはすぐに放り投げる。という行動を何度もい繰り返してしまう。
それが行動習慣として身についてしまうのだ。
また、何をするにしても「どうせ自分には長続きするはずがない」と思い込んでいる。
そういう考え方が癖になっているのだ。

健康のために30分のウォーキングをする気になったとしても、身についている「何かを始めては、すぐに放り出すという行動習慣「考え方の癖」を変える必要がある。
そのための方法として、なにはともあれ「七日間がんばって続ける」という方法が有効だという。

何をやるにしても最初の七日間は大変だが、七日間頑張れば、精神積にも体力的にも少し楽になってくる。
その段階で「これからまた七日間頑張ってみよう」と考える。
短い期間に限って頑張り、その期間を積み重ねていくことによって、「始めたことを長く続けていく」という
新たな行動習慣が身についていけるだろう。

それに従って、「長続きするはずがない」という考え方に癖も改まり、「粘り強く物事を続けていける」という自信も生まれてくるだろう。
人は「1つのことが習慣になると、それを変えることを嫌おうとする。これは人間の普遍的な本能のようなもの」といわれている。

それゆえ「とりあえず七日間がんばってみる」ということが有効な手立てとなってくるのだ。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年01月16日

環境

2017年も好調にスタートした、テニスの錦織。
今年はGS4大大会の優勝が期待される。
彼は14歳のときにアメリカの名門、「ニック・ボラテリー・テニス」に留学している。
プロテニス選手を養成する完全寄宿制の国際テニス選手養成学校である。

プロスポーツのコーチたちは皆、偉大な選手になるには偉大なチームに入るしかないという。
少し不思議に聞こえるかもしれない。
というのは、まずは偉大な選手にならなければ偉大なチームに入れないのではないかと普通思う。
誰もが偉大なチームに入れるわけではなく、本当に優れたチームは限られているだろうし、試験もあれば厳しい基準もあるだろう。
優れたチームほど、自分たちの基準の高さを死守しようとする。
プロのコーチが言いたいのはそういったチーム特有の文化と選手のあいだには、互恵関係が生じるということだ。

先週、記した「対応原則」に基づいていうなら、ある特徴によって集団に選ばれた者がその集団に属したことで、さらにその特徴が強化されるということになる。
人は周囲のやり方に合わせていくようにできている。
集団に溶け込もう、周りのやり方に合わせようとする人間の欲求は非常に強力なものだ。

またこういった見方もある。
無意識のあいだに集団に溶け込み、新しい行動のしかたや考え方を身に着けていけるということだ。
このことから、いかに組織や集団が個人に及ぼす影響力が大きく、環境が人を形成していることが理解できる。
またそれぞれの組織が個々へ良い影響がいきわたるようなレベルを保つことも肝要だ。


sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2017年01月09日

対応原則

人間形成の理論に「対応原則」というものがある。
人の考え方や感じ方、行動に持続的な変化をもたらす要因を掘り下げていくと、
人間の性格は幼年期を過ぎても変化することが最近分かってきている。

「対応原則」が示唆しているのは、私たちは自分の性格特性に合った状況に引き寄せられて、そのような状況に身を置くことで、その性格特性がさらに育まれ、強化され、増幅されるということだ。
この関係は好循環と悪循環のどちらにもつながる可能性があると言われている。

ある追跡調査で、数千名の青年たちがやがて成人して就職するまでの間で
敵愾心(てきがいしん)の強い青年たちの多くは社会的地位の低い職業についており、
生活費を稼ぐのにも苦労していた。
そうした状況のせいでさらに敵愾心が強くなり、ますます社会的な地位を下げていった。

一方、人付き合いのいい青年達は人格形成の好循環を経験していった。
社会的地位、高収入で安定し、ますます社交的になっていった。

幼い女の子が自分のレーズンの箱を開けられず、
「こんなのムリだ、もういいや!」とつぶやいたときから、なんでもすぐあきらめる悪循環に陥ってしまうかもしれない。

新しいことに手を出してはすぐにやめるの繰り返しでは好循環に入るチャンスを逃してしまう。
好循環とは「もがきながらでも、努力を続けることが進歩につながり、それによって
自信が生まれ、もっと大変なことにも挑戦できるようになることだ。

小さな勝利を励みにするスタンスを忘れたくない。

sansen_itto at 10:29|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年12月05日

継続

脳は筋肉のように鍛えられるという。
能力を「固定思考」でとらえてくると、逆境を悲観的に受け止めるようになってしまう。

このようになると、困難なことはあきらめてしまうだけでなく、最初から避けるようになってしまう
それとは逆に「成長思考」で捉えていくと、逆境を楽観的に受け止められるようになり、粘り強くなれる。
新しい試練が訪れても臆せず立ち向かうため、さらなる強さが培われる。

あるエビデンスによると、脳の構造の変化で突出した分野ごとに、その領域が強化されることが解っており、
ある1つの分野に特化すればするほど、脳は適応力をいかんなく発揮するらしい。
これは筋トレと同じで、ある個所を鍛えれば、そこは発達していく。

こういった特性を活かしていくためには、壁にぶつかったり、挫折したときに、どういう対処をしていったらいいのか?が重要になってくる。

「挫折してもめげない!」なんていうのは少し現実離れしている。
挫折してもめげない人はいない。
しかし、挫折してめげても、めげたままではなく、立ち直るという行動や考え方をとれるかどうかで、大きな違いが生まれる。
立ち直れる人の特性は、「いつも自分ひとりで立ち直らない」という点である。
人に助けを求め「希望」を持ち続けるという行動をとっている。

助けを乞うというと、何か他人任せに自分では解決していかないと思いがちであるが、ここでいう「助け」とはやる気を継続するために、希望を持ち続けるために、困難な局面に際したとき、応援してもらうという意味である。
これがあるとないとでは大違いである。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年11月28日

「意義」と「目的」

もし人類の祖先が食物と性交に対する強い意識を持っていなかったら、命を長らえ、多くの子孫をつくることはできなかっただろう。
人間は誰でもある程度は「快楽原則」によって動かされている。
一方で、人間は進化し、「意義」と「目的」を探求するようになった。

もっとも、深い意味において、人間は社会的な生き物であり、周囲の人たちとつながって、互いに奉仕することも、やはり生存の確率を高め、孤独な人よりも周囲の人たちと助け合って生きるほうが生き残りやすい。
つまり、繋がりを求める気持ちも、快楽の欲求と同じように、人間の基本的欲求だといえる。

したがって、我々はある程度快楽とを得られる幸福も「意義」と「目的」を得られる幸福も、どちらも同じように追及するようにできているのだ。
つながりからくる、意義も目的も基本的に人の役に立つというスタンスがある。

ある消防士が「人々を助けたい!」という、すばらしい動機があったとしよう。
どころが、いざ仕事となると、今一つ実が入らない。
なぜか?
それはもうひとつの動機である、「仕事そのものに対する興味」が欠けていたからだ。
いくら「人を助けたい」という思いがあっても、本人が仕事に興味をもって楽しんでいない限りは、大きな努力に結びつくことはないのである。


この社会的動機(仕事を通じて人の役に立ちたい)と仕事そのものに対する動機(仕事が楽しい)の関係性はどこか「意義」と「目的」に通じるような気がする。
そう捉えていくと、この社会的動機という意義は誰もが養えるということになる。


sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年11月21日

意図

何十年も同じ仕事をしていても、中程度のレベルにとどまっている人は世の中にたくさんいる。
1つのことを長い間しているのに「まあまあ」か「そこそこ」というスキルの程度を指す。

一方、トヨタ方式といわれる、今や世界的な用語となった「カイゼン」がある。
継続的な改良という意味で用いられるのだが、世界中のビジネス文化に大きな影響を与え、成功者の誰もがこれを行っているのだ。
卓越した技術や知識を身に着けているにもかかわらず、さらに上を目指したいという強い意欲だ。
常に、「もっと!」という気持ちを抱いており、これはスポーツ界のアスリートたちにもよく聞く言動だ。

そこにはある秘密が隠れている。
先に例としてあげた時間にある。

「どれだけ長時間取り組んだか?」ではなくどれだけ集中して、質の高い取り組みを行ったか?」ということだ。
ある機関の調べで、エキスパートたちの練習量が並外れて多いわけではなく、練習に仕方が他とは一線を画するという。

何千時間の練習を積み重ねているだけではなく「意図的な練習」を行っているというのだ。

その方法は3つあるといわれ、
まず「ある1点に的を絞り高めの目標を設定する」
この際具体的な弱点の克服に努め、達成していない困難な目標を選ぶ。

二つ目に「しっかりと集中して努力を惜しまない」
意外にもチームプレイで競技するものでも、練習時間の7割はテクニックを磨くため1人で練習し、調整する。

3つ目は「改善すべき点を理解し、うまくできるまで何度でも繰り返す」
克服を積み上げることが熟練の境地に至ることができる。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年11月14日

情熱と粘り強さ

「やり抜く力」とは「情熱」と「粘り強さ」の二つの要素でできている。
「情熱」が深い人は「粘り強さ」も強いと思えるが逆もまたある。

Gritスコアの統計では粘り強さのスコアが情熱のスコアをわずかに上回る人が大半らしいのだが、
必死に努力したり、挫折から立ち直ったりすることよりも、長い間わき目もふらずに、同じ目標にずっと集中し続けるほうがはるかに大変なように思える。

共通していえるのは「情熱」と「粘り強さ」」は同じものではないということ。
それではそれぞれの相違点はどのようなものなのか?

情熱という言葉は激しい感情を表すのに使われていることが多い。
多くの人は「情熱」を「夢中」や「熱中」と同じような言葉だと思っているのだが偉業を成し遂げた成功者たちは、成功に必要なものとして「夢中でやること」とか「熱中すること」と答える人はいないという。

口を揃えて言うことはひとつのことにじっくりと長い間取り組む姿勢だそうだ。
ここで見えてくるのは、人はなにかに熱中するのは簡単でも、それを持続するのは難しいということだ。

逆説的に捉えてみると「やり抜く力」がない状態とはどのようなこと指すだろうか?
ひとつに目標の上位度合がすべてが関連づけされているかされているか否かがある。
最上位に掲げてある目標と中位と下位の目標がなんら関連づけられていないと「やり抜く力」は弱いといえる。
つまり最上位に掲げている目標に関して、いかに関連付けられた中位、下位の目標を見出せるかが大きなポイントとなってくる。そもそも最上位の目標が存在していないのは論外である。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年11月07日

見失わない

人は生きていく上で「不満を持つ」ということが沢山ある。
しかし、それは考えようによってはそれだけ生きることへの意欲とやる気が満ち溢れた証でもある。

「幸せな生活を実現したい」という目的があるからこそ、その思いに反する事態に直面したとき、「やってられない」という不満が生じるのだ。

大切なことは不満を持ったとしても「幸せを実現したい」という目的を見失わないことだ。
目的を見失わずにいれば、その不満をどう解消すればいいのかという解説策を見つけ出せるからである。
また、周囲の人たちと話し合って、お互いにハッピーになれる着地点を探すこともできる。

以前、記したアルフレッド・アドラーの考え方に「人生には目的がある」という目的論がある。
原因によって後ろから押されて生きるのではなく、目標を設定し、それを追及するという考え方。
その目的を果たすために人は、自らが選択しているのである。
前向きにでも後ろ向きにでも、常にそうなろうという目的を持っているゆえに、意欲を継続させることは非常に需要だ。

意欲を失わないためには一つの目的が叶えられなかったら、ほかの目的を叶えるというスタンスがある。
大きな目的を果たすべく、小さな目的をいくつか叶えていくことで、到達に向けて、前向きになれるのである。

また、自分の限界を超えて頑張りすぎたときは「適度に休む」をいう活力を得る方法もある。
気力というものはそうそう、長く、強く持ち続けるのは難しい。
頑張る目的とは例えば「仕事を成功させる」ということであって、失うことではない。
抑制力も必要なのだ。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

7日間

会員制ビジネスの特徴は幽霊会員が必ず存在する。
健康のためにスポーツクラブに入会したが、飽きっぽい性格だから3日間でやる気を失ってしまったとか、英会話の勉強を始めようと思ったが、テキストは机の上に積んだままというような話は山ほどある。

しかし、このように「飽きっぽい性格」を言い訳にしている限り、こういったタイプの人は、何事も長続きせず途中で挫折することになる。おそらくこういったタイプの人は自分の飽きっぽい性格は永遠に変えることはできないと心にどこかで思っている。

しかし、ここで大切なことは性格は自分次第で変えると自覚することだといわれる。
ではどのようにしたらできるのか。

それは普段の行動習慣と考え方のクセの積み重ねを変えることらしい。
行動習慣、考え方、この二つのことを心がけることによって、自分の性格は変えることができる。
とはいえ、実際にこの「やる気」を持続させていくには、あるテクニックが1つある。

目標設定と同じように、最初はハードルをあまり上げずに少しづつ、且つ確実に達成していく。

例えば期間設定にしても、なにはともあれ7日間頑張って続けるという方法は有効である。
最初の7日間は大変かもしれないが、7日間頑張れば精神的にも体力的にも楽になってくる。

このように短い期間に限って頑張り、その期間は段階的に積み重ねていくことによって「何かを始めては、すぐに放り投げる」という行動習慣から抜け出すことができ、自分が粘り強いという自信も生まれてくる。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年10月24日

置き変え

目標を明確にするということは、ただ単に数値に落とし込めばいいというものではない。
目標に対して、どう捉えていけば、自分にとって明確なものになっていくかが重要である。
それゆえ、目標は自分自身で設定する。自分なりの目標を定める。
ということが、目標達成へのやる気が増してくる。

ところが、目標には2種類ある。

1つは「自分で決める目標」
そしてもう一つは「与えられる目標」である。
プライベートの生活においての何かの目標であれば、自分で決められる。

ところが、会社では仕事の成果など、ほとんどが自分では決められない。
その目標は、会社や上司から与えられる。
しかし、たとえ「与えられる目標」であっても、そのなかに「自分で決めた目標」を組み込むことは可能である。

例えば「今月の売上目標は〇〇円」という目標を会社から与えられたとしよう。
その目的の中に一切残業をしないで、それを達成しようとか、10日間で半分の〇〇円を作ってしまおうとか方法は自分で選べるし、それが「自分の目標」とすることで、意欲的にそれに対して取り組むことができる。

小説家の夏目漱石は「自分のしていることが、自分の目的になっていないほど苦しいことはない」という言葉を残している。

問題はどのようなシチュエーションとなっても、自分事として捉えることができれば、与えられたことでも、自分のやりたいことを直接、関係性が感じられなくても「自分の目的」を叶える方法は見つかってくる。
様々な可能性を探し、自分の目標に置き変えていく取り組みを模索していきたい。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年10月17日

自分しだい

自分の人生は自分自身の力で作り上げたいという欲求の強い人はいつも意欲的に、やる気満々で立ち向かっていく。
他人から与えられるものではないので他人の影響や生活環境にかかわりなく、自分自身の意志によって創造していくものといえる。

アドラー心理学にあるように自分自身が自分の人生の主人公だから、主体的に生きていくことが大切という「自己決定」がある。
同じ仕事を同じ待遇でしていながら、Aさんは意欲的にイキイキしているのに対し、Bさんはやる気をまったく感じていない。
イヤイヤ会社に行き、イヤイヤ仕事をしている。
この違いは何なのか?
それは自分の創意工夫や夢や希望といったものを仕事に活かし、自分の力によって仕事を創造していくという意志が強いからだろう。
つまり「すべては自分次第」ということになる。

それでは、どのように考えていけば良いのだろう?

沢山の考え方があるのだが、まずは自分の生きていることに対する価値観を持つという自己肯定感が必要だ。
これを実感できないと、「他人のために自分は何ができるのか?」という発想が出てこない。
自分のモチベーションは「自分の為」ではなく、「他人の為」でないと高くキープできないのだ。

自分の為となると、どうせ誰にも迷惑は掛からないからということで途中で途切れてしまう。
また他人のためにというスタンスであれば、自分が周りの人たちに受け入れられているという「受容感」を得られることができ、人間関係にも意欲的に取り組めるという効果が出てくる。
自分にしかできないことは何だろう?

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!

2016年10月10日

哲学

日本人のみならず、今や世界中で愛される「寿司」。
日本においては週末ともなると、回転すしは大賑わいである。
ある人が寿司屋は正直、そこまで味に大差はないのに、なぜ板前寿司とすきやばし次郎で一桁値段が違うのか?」という議論を投げかけた

そこにある寿司マニアがこう言った。
寿司の代金は、寿司の哲学に払うんだ。」という名言ともいえるような説得力のある一言である。
その寿司マニアも、「確かに安価チェーン店でも非常に鮮度と質の高い寿司を出しており、ミシュランを獲得するような高級すし店と比べても値段ほどの差はなかったと認める。

ところが値段が10倍も違うのは、やはり哲学であり、こだわりがそこにあるか否かである。
例えば、都内の某老舗の寿司屋は、シャリをすべて特定の土鍋でゆっくり炊き上げ、すべて特定の赤酢(関東風)でしめるという。
そこには赤外線のヒーターのジャーでコメを蒸して、普通のすし酢を混ぜたほうがおいしいといった効率性は二の次である。

ネタに丁寧に切り込みを入れて値段が3倍するなら、そのまま新鮮なネタを3倍出してくれというような野暮な人はこういう店には行くべきでないだろう。

哲学の表れの1つに味もさることながら、その職人の凛とした佇まい(たたずまい)と細やかな仕事ぶりにある。こういった一つの職人気質は特別な世界だけではないように思える。

要は自分が思うところの一流の仕事に関する哲学は何なのか?
そして、そのような価値を自分はお客さんにもたらしているのかを、自問してみるところに意義がある。

sansen_itto at 12:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)clip!