2007年03月09日
住友銀行の黒い霧・略年表
1982年
都市企画設計、住友商事、住友不動産が、町田市野津田で地上げ(町田プロジェクト)を開始。
1983年
・港区の不動産会社サム・エンタープライズ(社長・盛田正敏)が、住友商事と住友不動産の斡旋で、都市企画設計に地上げ資金約17億円を融資。サム社の融資は、住友2社の債務保証を受けたうえで行われた。
・経団連本部襲撃事件(1977年)で服役していた、野村秋介が府中刑務所を出所。
1984年
都市企画設計と住友2社による、地上げ資金の流用などが原因で、町田プロジェクトが失敗に終わる。
都市企画設計は債務不履行のまま倒産。住友2社は、サム社などに債務保証を行った中堅幹部3人を懲戒免職とし、『債務保証は元中堅幹部らの個人的行為であり、会社側に債務弁済の責任はない』との姿勢をとる。
サム社の盛田社長は、住友2社を相手取った、融資金返還訴訟を起こす(12月)。
1985年
・野村秋介、盛田正敏、後藤忠政(後藤組組長)らが、フィリピンのモロ民族解放戦線に拉致された、日本人フリーカメラマンの救出活動に当たる。
・平和相互銀行で、創業者一族と監査役の対立が表面化。住友銀行の意を受けた、川崎定徳社長・佐藤茂と住宅信販社長・桑原芳樹が平相株の買い占めに動く。翌年、住銀が平相銀を吸収合併。
1986年
・野村秋介が、『新雑誌X』誌上で住友2社の、町田プロジェクトへの対応を批判。右翼団体や総会屋による、住友グループへの攻撃始まる。
・住友グループと関係の深い後藤田正晴、豊田一夫らが、盛田に訴訟を取り下げるよう圧力。佐藤茂、桑原芳樹らは、右翼・総会屋グループの切り崩しに動く。
・住友不動産会長・安藤太郎邸に、時限発火装置が仕掛けられる(10月)。
1987年
1月
・大悲会会長の蜷川正広らが、安藤太郎邸を襲撃。安藤夫人を人質に取って籠城(13日)。
・浜松町にある野村秋介の事務所に、何者かが銃弾を撃ち込む(18日)。
・住友銀行東京本部で、右翼団体員が拳銃を乱射(31日)。
2月
住友グループ・日本電気会長宅に銃弾が撃ち込まれる。同日、住友商事と安藤太郎邸に、青酸カリと脅迫状が送りつけられる。
4月
右翼団体員3人が、住友銀行東京本部などにバキュームカーで乗り付け、糞尿を撒き散らす(27日)。
6月
住友不動産の安藤太郎会長が、東京新聞のインタビューで、自邸を襲撃した右翼団体員らを揶揄。統一戦線義勇軍の木村三浩らが、名誉毀損で安藤を告訴。
7月
住友不動産社長宅などに、発火装置が送りつけられる(28日)。
9月
・稲川会の石井進会長の仲介で、野村秋介と川崎定徳の佐藤茂が会見。
・佐藤茂の仲介で、野村秋介と安藤太郎が会見(23日)。安藤は東京新聞紙上での発言を謝罪。町田プロジェクト問題については、佐藤に全権を委ねて解決に当たると述べる。
・サム社の盛田と、佐藤茂・桑原芳樹の和解交渉が始まる。盛田は、和解金7億円と、住友銀行による神戸市西区のゴルフ場開発支援を条件に、住友2社への告訴を取り下げる。
1988年
・桑原が社長を務める住宅信販が、神戸市西区のゴルフ場用地を、サム社の子会社マリブインターナショナルに売却。
1989年
・マリブインターナショナルが、住宅信販を通じて住友銀行から200億円の融資を受ける。マリブ社は、ゴルフ場用地周辺の未買収地の取得と、暴力団対策に動く。
・茨城県のゴルフ場・岩間カントリークラブの経営母体である岩間開発の役員に、佐藤・桑原と、稲川会の石井進会長の関係者が就任。石井は、同カントリークラブの会員証売却で得た資金で、東急電鉄仕手戦を展開していく。
【住友】
佐藤茂、桑原芳樹、石井進、後藤田正晴、豊田一夫
【サムエンタープライズ】
野村秋介、蜷川正広、木村三浩、後藤忠政
申します
http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/51392362.html
田中清玄 単独のタグがなかったので こちらに
安藤太郎の過去がちらっとかいまみれて おもしろかったです
それから 三上卓の評伝は読まれましたか?
コメントありがとうございます。凄く励みになります。
三上卓の評伝ですが、実はまだ読んでないんですよ。読みたい本がたくさんありすぎて、なかなか手につかない感じです
更新遅くて、知識も浅いですが、暖かく見守っていただければ幸いです。。田中清玄のことも自分なりに調べてみようと思ってます。