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町井久之関連人物・重光武雄

  

 

ロッテ創業者重光武雄(辛格浩)は、1922年10月に現在の韓国慶尚南道に生まれる。町井久之は翌年の7月東京で生まれている。



重光は41年に、関釜連絡船日本に渡る。戦後間もない頃、進駐軍兵士が持ち込んだチューインガムに興味を持ち、ガム製造に乗り出す。



48年荻窪ロッテを設立。数年後には新宿に拠点を移し、ガム業界最大手のハリスへの追撃を開始した。



同時期の町井は、左派系の在日組織既存のヤクザ団体との間で激しい抗争を繰り返していた。



54年、重光は町井の呼びかけに応じて、サッカーW杯予選出場のために来日する、韓国代表チームの支援活動に協力。町井は、スポーツ振興を通じて在日の有力者との関係を深めていった。



60年代前半、ロッテは激しい宣伝攻勢天然チクル製ガムの販売で、ハリスを打ち負かした。町井は児玉誉士夫との関係を深める一方で、東京オリンピックで来日した韓国選手団を支援した。



日韓基本条約の成立以降、重光と町井は、自民党親韓派の重鎮である岸信介と、韓国大統領朴正煕と関係を深めた。



重光は、朴大統領の要請を受けて、ソウルホテル建設を開始。町井も、韓国外為銀行の支援を受けて福島県リゾート開発を進めた。



73年、東京で金大中拉致事件が起きる。拉致の首謀者とされたKCIA長官李厚洛は、重光・町井と親しく、駐日大使を務めていた時には3人でよく食事をしたという。



町井は李厚洛との関係から、拉致への関与を疑われた。事件以降、町井は日韓癒着の中心人物として、国会などでも取り上げられた。3年後にはロッキード事件が発覚。町井のイメージはさらに悪化し、韓国外為銀行はリゾート開発への支援を停止した。



マスコミや日本社会への不信感を強めた町井は、周囲に、「自分のやってきたことを決して表に出すな」と命じた。自民党親韓派との関係を取り沙汰されるようになった重光も、積極的な事業展開とは対照的に、個人としては控え目に振る舞うことが多くなった。



81年ソウルオリンピックの開催が決定。重光が79年に、開業させていたロッテホテルは、オリンピック景気の波に乗って成功を収めた。在日社会で、オリンピックへの募金活動が始まると、重光も3億円を寄付した。88年のオリンピック期間中は、ロッテホテル新館五輪組織委員会本部が置かれた。翌年には、百貨店やテーマパークを含むロッテワールドを開業し、ロッテは新興財閥として急成長を遂げていった。



長年、在日社会や韓国のスポーツ振興に尽力してきた町井は、韓国外為銀行問題を理由にオリンピック開会式への出席を辞退した。町井は韓国オリンピック委員に対し、「いま私は国に対して顔向けできない立場です」と語ったとされる。









ロッテ 際限なき成長の秘密

『猛牛と呼ばれた男・東声会、町井久之の戦後史』『文芸春秋87年4月・在日の英雄、ロッテ重光武雄伝』『週刊ダイヤモンド04年9月11日・総資産なんと3兆円! 知られざる巨大財閥 ロッテの全貌。重光武雄インタビュー 。生きる伝説が初めて語るロッテ創業56年の自叙伝』『魂の相克・在日スポーツ英雄列伝』より


コメント
1. Posted by くれど   2013年07月02日 15:40
http://d.hatena.ne.jp/josaiya/20130420/1366450711

まんざら 町井も関係ない話ではないはずと思うんですが 元の本が 国会図書館にもない!
2. Posted by 55   2013年07月03日 20:08
くれどさん、コメントありがとうございます。

そんな大物がいたんですね。

産経新聞の『呪縛は解かれたか』に、拓大OBの右翼が出てくるのですが、この人が飯島さんなんでしょうか。
3. Posted by 名無しの権兵衛   2015年04月21日 00:45
47年前に町井と会いましたが意外と小柄な印象で驚いた事思い出します、奥さんが韓国人だと知らされて
居たので合点もし同時に、興行には付きものな社会
だと初めて納得もしました。
恐らく現在も芸能界には蔓延って居る事は容易に判断出来ますね。
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