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朝鮮戦争・ベトナム戦争と日米韓関係





1950年6月、朝鮮戦争が勃発。トルーマン米政権は在日米軍に朝鮮半島への出動を命じる。米空軍は、嘉手納、立川などを朝鮮爆撃の発進基地とした。




日本政府は50年7月に米軍への協力を決定。外務省「朝鮮における民主主義のための戦いは、とりもなおさず日本の民主主義を守る戦いである」。




海上保安庁は元山沖や仁川沖などで掃海活動を行い、米軍の上陸作戦を支援した。日本人の基地労働者や船員は、兵員や物資の輸送に従事した。




米軍の特需により、繊維産業や自動車産業が息を吹き返した。敗戦により衰退していた兵器工業や航空機工業も基盤を復活させた。




民団は韓米政府の協力のもとに、約六百名の在日義勇兵を仁川上陸作戦などに参加させた。日本人の参戦を米軍に求める国会議員や右翼もいた。




米国はサンフランシスコ講和条約と日米安保条約によって、日本や沖縄の基地を朝鮮戦争のために自由に使用できる権利を確保した。




米軍は朝鮮戦争休戦後も、インドシナ情勢の悪化やソ連との軍拡競争に対応するため、立川や嘉手納基地などの強化を進めた。




基地強化や水爆実験によって反米感情が高まっていく中で、日米両政府は安保条約の改定を行うが、日本は東南アジア有事への協力や防衛力強化を義務付けられた。




米政府はベトナム戦争介入以降、日本と韓国にある米軍基地の連携を強化するため、日韓国交正常化を推進した。日本は米国に代わって韓国への経済援助を担った。




ベトナム戦争の前線基地となった沖縄では米兵による凶悪犯罪が激増。韓国軍事政権は日本の支援で経済開発を進める一方で、ベトナム派兵を行い残虐行為を繰り広げた。




沖縄の本土復帰運動を受けて米政府は、ベトナムや朝鮮有事における沖縄基地の自由使用を条件に施政権を日本に返還した。日本政府は米軍のベトナム介入への支持を明確にした。






『新安保体制下の日米関係』『占領復興期の日米関係』『朝鮮戦争と日本』より


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