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小池隆一

神戸製鋼所の内紛





1965年、神戸製鋼と尼崎製鉄が合併。





神戸系の外島健吉が社長、尼崎系の曾我部秀雄が副社長にそれぞれ就任。





68年、曾我部の意向で、経営難に陥っていた尼崎スチール物産の株買い増しが行なわれる。





尼崎スチール物産は、尼崎系の子会社で、曾我部の遠戚が社長を務めていた。





外島は、倒産寸前といわれていた尼崎スチール物産の救済に反発し、曾我部に辞任を迫った。





これに対し曾我部は児玉誉士夫に支援を要請。児玉は外島に退陣を迫った。





69年、尼崎スチール物産が倒産。児玉は外島側に寝返る。





70年、曾我部が副社長を辞任。





神戸製鋼は、児玉への謝礼として、東亜相互企業が那須白河高原に所有していた土地を約30億円で買い取った。





白河土地の実際価値は5億〜10億円であった。





総会屋の木島力也は児玉の代理として、神戸系と尼崎系の折衝や、土地取引の交渉に当たった。





木島は、神戸製鋼所有の競走馬牧場を入手し、名馬ハイセイコーの馬主として知られていく。また長男を神戸製鋼に入社させた。





木島の影響力は、神戸系を支援していた第一銀行(後の第一勧銀)にも及んでいく。





当時、第一銀行神戸支店次長を務めていたのが宮崎邦次だった。





木島は神戸製鋼を通じて、第一銀行会長の井上薫とも関係を深めていく。





90年に行われた木島の長男の結婚式には、神戸製鋼の歴代社長や、宮崎ら第一勧銀の幹部が出席した。





式を取り仕切ったのは、木島の後継者とみなされていた小池隆一だった。木島と小池の用心棒的存在だった町井久之も出席した。





97年、第一勧銀による小池への利益供与が発覚した。











『戦後60年史・九つの闇』『会長はなぜ自殺したか』『見えざる政府』より


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富国の先生・西山広喜の晩年




1997年第一勧銀四大証券総会屋事件が発覚。西山広喜は、既に故人となっていた木島力也とともに、事件の黒幕とされた。




西山は、小池隆一との関係を否定したうえで、「小佐野賢治に児玉誉士夫、木島力也・・・皆死んだ。そうするとあの小池も僕の名を利用しているかもしれない」と語った。一方で、自殺した宮崎邦次との関係は認めた。





2000年5月、西山が理事長を務める日本政治文化研究所に、新日鐵NTTなどの大手企業が、会費を納めていることが報道される。




第一勧銀の事件と、00年の報道の影響で、日本政治文化研究所の会員は減少。さらに警視庁が、同研究所の調査に乗り出す構えをみせたこともあり、西山は02年富国生命ビルの事務所を一旦閉鎖した。





事務所を閉鎖する前、西山は、作家の高山文彦から松本治一郎に関する取材を受けた。




西山は、治一郎や松本家との関係を詳しく語る一方で、自身の右翼や総会屋としての活動については口を閉ざしたという。




取材の中で西山は、自身が大逆事件で処刑された大石誠之助の親族であることを明かした。




西山が松本家の一員となった背景には、大逆事件や大石に対する、治一郎の思い入れがあったとされる。大石は医師として、被差別部落の人々の救済に当たっていたという。




大石の地元である和歌山県新宮市では、90年代後半から大逆事件の見直しと、大石の再評価が始まり、01年9月に、市議会が大石の名誉回復を決議した。





西山は04年に、肝臓ガンであることを周囲に明かした。闘病中も高山に、部落解放運動に関する資料を提供し続けたという。




05年2月、死去。葬儀では、松本龍が親戚代表として挨拶に立った。墓は、松本家の墓の隣に建てられた。









【関連エピソード】

・新宮では、長らく大逆事件がタブーとなっていた。事件の影響で「新宮には天皇は来ないし、熊野から近衛兵も採用されない」と信じられていた。西山家は新宮を追われ、宮崎に移住した。大逆事件は国の同和政策にも影響を与えたといわれる。










許されざる者 上

『現代97年8月・大物右翼が総会屋、木島力也を語る』『新潮45.05年7月・水平記外伝、西山広喜と松本治一郎』『水平記・松本治一郎と部落解放運動の100年』『日本の右翼』『月刊タイムス05年4月・最後の黒幕、西山広喜見聞録』『呪縛は解かれたか』『大逆事件と大石誠之助・熊野100年の目覚め』より


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第一勧銀

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旧第一勧銀本店。このビルの31階で「呪縛」の引き継ぎが行われていたという。

第一勧銀の本店ビルは、合併からちょうど10周年の年に竣工した。当時、31階と32階の役員専用フロアの中に、第一勧銀の創設者である2人の名誉会長―井上薫と横田郁の部屋があった。そこは役員といえども、気軽に行き来することはできない。しかし、木島力也だけは、部外者にもかかわらず、何の気兼ねもなく出入りしていた。(会長はなぜ自殺したか・22頁)


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木島力也の墓がある九品仏浄真寺(世田谷区)。1993年の9月に同寺で行われた木島の通夜と葬儀には、大手都銀・証券会社の役員から、小池隆一、東亜相互企業の幹部までが姿を見せたという。

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小池隆一・略年表

 
1943年
新潟県加茂市で生まれる。


1960年代前半
地元の高校を中退後、ヤクザ組織に出入り。傷害や恐喝事件を起こし服役。


1960年代後半
総会屋を目指し上京。小川薫の義弟である玉田大成に弟子入り。


1970年代前半
小川や玉田とともに、王子製紙、理研ビニル、東洋電機などの株主総会に出席し、巧みな質問で総会を長引かせる。


1970年代後半〜80年代前半
四大証券に影響力を持つ上森子鉄、木島力也らに接近。商法改正直前に小川の元を去る。


1980年代後半
木島らと第一勧業銀行や野村證券の株主総会の進行に協力。木島の口利きなどにより、両社から小池への利益供与が始まる。


1990年代前半
木島の死後(93年)も、第一勧銀と野村證券を始めとする四大証券による、小池への利益供与は続く。


1997年
利益供与発覚。

5月
商法違反容疑で逮捕される。

6月
取調中に、第一勧銀の宮崎邦次元会長の自殺を知り、「元会長の命を奪ったことで、この稼業がつくづく嫌になった。総会屋小池隆一は宮崎元会長とともに死にました」(経済マフィア・301頁)と引退を宣言。


1999年
懲役9ヶ月、追徴金約7億円の実刑判決を受け服役。


2001年
妻の故郷・鹿児島県で主夫業にいそしむ。



参考にしたのは、『経済マフィア』『呪縛は解かれたか』『実録総会屋』『会長はなぜ自殺したか』『週刊ダイヤモンド』。



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上森子鉄


1901年、石川県生まれ。菊池寛の書生から、久保祐三郎の紹介で総会屋の世界に。久保の死後は、児玉誉士夫系の総会屋とみなされていた。1989年死去。




【影響下にあった企業】
三菱銀行、日本債券信用銀行、野村證券、日興証券、山一證券、大和証券、アサヒビール、日本航空




【主な役職】
千代田商事社長、キネマ旬報社社長、鎌倉商工会議所会頭、日本中央馬主協会会長




【主な門下生】
上野国男、藤江三郎、吉田耕作、小池隆一





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児玉と総会屋 4

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戦後六〇年史九つの闇―有森隆/グループK
「戦後最大のフィクサー児玉誉士夫の正体」 「総会屋は死なず」
戦後の企業社会を裏から支えた総会屋たちと、その元締め的な存在だったといわれる児玉誉士夫の正体に迫ったもの。高度成長期に総会屋が急増した理由から、児玉を始めとする右翼・ヤクザによる総会屋業界への進出までが分かりやすく書いてあったが、そこには常に企業側が総会屋など闇社会の力を頼り、積極的に利用してきた背景があったという。

児玉誉士夫が総会屋の親玉としての顔を見せ始めるのは1960年代半ばから70年代の初め頃だったという。この背景には、佐藤政権の誕生や党人派政治家たちの相次ぐ死による政界での影響力低下があったらしい。また60年安保前後から児玉を中心に進められた、東亜同友会構想や関東会の結成は山口組と関東勢力の対立を激化させたばかりでなく、自民党への抗議文を巡り世論の反発を呼び、結果的には警察による取締の強化を招いた。こうしたなかでヤクザも新たな資金源を求めて総会屋業界への進出を始めたそうだ。この時期の総会屋たちも久保祐三郎(大物総会屋)の死去や新左翼運動(ベ平連や公害問題)の活発化の影響から、ヤクザや右翼などの暴力装置を必要としていたらしく、最終的にはその多くが児玉の配下に組み込まれていったという。

昔かたぎの総会屋と入れ替わりに、台頭してきたのが暴力団や右翼を背景とする武闘派総会屋である。長老の統制が利かなくなり、総会屋業界は戦国時代に突入した。 (97頁)

当時、総会屋のターゲットとなったのは銀行、証券、鉄鋼業界だったという。特に、1969年に起きた神戸製鋼の内紛劇は、企業が裏社会との関係を深めていく大きなきっかけになったらしい。この内紛に介入した児玉、西山広喜、木島力也などの右翼や総会屋たちは巨額の報酬を得ただけでなく、神戸製鋼や、その有力取引銀行であった第一勧銀に強い影響力を持つようになった。それを象徴するのが1990年に行われた木島力也の長男(神鋼社員)の結婚式で、この式には神鋼を始め、第一勧銀、野村證券などの社長・会長、頭取クラスが揃って出席したという。そしてこの式を裏で取り仕切ったのが木島の後継者として恐れられた小池隆一だった。1997年に起きた金融スキャンダルは、小池が、児玉や木島から受け継いだ「呪縛」によって引き起こされたものでもあるようだ。

小池にとって、この結婚式は木島直系であることを出席者に認知させる絶好の機会だった。(68頁)

また木島長男の結婚式には在日韓国人ヤクザで、児玉誉士夫や岸信介と朴政権のパイプ役であった町井久之も出席していた。町井は木島や小池に、自身の率いる東声会を暴力装置として提供する一方で、神戸製鋼の内紛にも関与していたらしい。この本によれば、児玉らが神戸製鋼から受け取った巨額の報酬は、町井が那須白河高原に所有していた土地を売買する形で捻出されたものだったという。当時の町井は朴政権との深い繋がりを背景に、韓国外換銀行や日本不動産銀行(日債銀・現あおぞら銀行)から数十億円の融資を受け、数多くの土地を所有していたといわれる。これらの土地は、町井が社長を務める東亜相互企業と西武不動産やロッテなどとの取引の際にも重要な役割を果たすことになる。

総会屋たちが企業に深く食い込めた裏に、児玉や町井などの威光があったことは確かなようだ。しかし企業の側にも派閥争いや不祥事隠しなど、総会屋の介入を許すスキが数多くあったということが分かった。ここ最近は、かつてのように総会屋が株主総会を仕切ったり、表だって利益供与を要求することは少なくなっているらしい。その数も、商法改正や取締の強化で激減しているという。しかし右も左も不祥事や隠蔽だらけの日本で、総会屋に変わる新たな企業ゴロが生まれる可能性は決して低くないのかもしれない。


日債銀と裏社会、政界・・・
ロッキード事件や金丸脱税事件などにも顔を出す日債銀は、政界や闇社会との関係が深い銀行として知られていたらしい。戦前の朝鮮銀行を母体としていたことから韓国との関係が深く、町井久之の東亜相互企業にはTSK−CCCビルの建設費などを融資していた。町井が、これらの融資を引き出せた背景には朴大統領の女性問題などがあったとされる。また東亜相互企業の取締役でもあった児玉誉士夫は、戦争中に築いた膨大な資産を朝鮮銀行に貯め込んでいたともいわれる。政界との関係は、戦後に日本不動産銀行として再建されたときからのものらしい。特に関係が深かったとされるのが岸信介、福田赳夫、安倍晋太郎ら清和会系の政治家たちだった。この安倍に政商・小針暦二を紹介されてからは、福島交通を通じて経世会や青嵐会などにも金が流れていたとされる。


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木島力也・略年表

 



1926年 
新潟県紫雲寺に生まれる。



1950年頃 
政治家を目指し上京。豆腐屋などで働いた後、大物総会屋の谷口勝一の門下生となる。(谷口は久保祐三郎系の理論派総会屋で、同門には島崎栄治、宮元昭雄などがいた)

当時の木島について、広島グループの小川薫が語っている。

木島氏は、最初は谷口勝一氏の番頭みたいなことをやっていて、総会で発言していたこともある。しかし、彼の発言など中身があったとは思えない。他人を「バカヤロー」と恫喝、罵倒するのが得意な男だった。(実録総会屋・103頁)




1960年頃
谷口から独立し、新左翼系雑誌『現代の眼』を創刊。



1962年
中央区京橋に現代評論社を設立。



1960年代後半
同じ京橋に事務所を構えていた西山広喜(昭和維新連盟)に接近。西山から三浦義一や児玉誉士夫を紹介される。

当時の木島は『現代の眼』のブームによって多くの企業への影響力を強めていたが、新左翼系雑誌の発行者として右翼団体の攻撃にさらされたり、総会屋業界に君臨していた久保祐三郎の死(68年)に直面し、新たな後ろ盾が必要となっていたという。

彼は資本主義のドブみたいな所で金をかき集め、それと正反対の本を出していたから、右翼の連中が「総会屋のくせに左翼の本を出しやがって」と年中小遣いをたかってくる。だから児玉先生のバックがほしかったんだろう。児玉先生は彼を「なかなかいい青年だね、たまに遊びに来なさいよ」と誉めていた。 (現代97年8月号・西山広喜インタビュー)

これ以降、木島と西山は総会屋業界における児玉の尖兵役となり、北星会の岡村吾一を含めて児玉門下三羽ガラスと呼ばれるようになる。




1970年前後

・八幡製鉄の内紛に介入。この事件で木島、宮元ら久保系の総会屋と、西山、太刀川恒夫ら児玉グループの共闘が始まる。

・児玉、西山、町井久之らと神戸製鋼の内紛に介入。神戸製鋼や、その有力取引銀行であった第一銀行への影響力強まる。木島の長男は神戸製鋼に入社。また神戸製鋼所有の牧場を手に入れ、名馬ハイセイコーの馬主としても知られるようになる。ハイセイコーの「セイコー」は神戸製鋼の「製鋼」から取ったものとされる。

・島崎らと第一銀行と三菱銀行の合併阻止に動く。合併反対派の急先鋒であった井上薫(当時第一銀行会長)との関係が深まる。

・政界進出を試みるが、同郷で当時自民党の幹事長だった田中角栄に阻止される。以後、田中を恨むようになる。




1983年
・商法改正の影響を受け、『現代の眼』廃刊。

・元広島グループの小池隆一との関係深まる。



1980年代後半
小池と共に第一勧勧業銀行と野村證券の株主総会の進行役となる。木島の口利きになどにより、両社による小池への利益供与が始まる。



1990年
長男(神戸製鋼社員)の結婚式がホテルオークラで行われる。式には神戸製鋼、第一勧銀、野村證券他各社のトップや、町井久之などの暴力団関係者が多数出席した。



1993年
66歳で死去。



1996〜97年
第一勧銀・四大証券による小池への利益供与が発覚。事件の黒幕として取り沙汰される。





参考にしたのは、『見えざる政府』『会長はなぜ自殺したか』『呪縛は解かれたか』『実録・総会屋』『経済マフィア・昭和闇の支配者』『戦後60年史・9つの闇』『月刊現代』『月刊TIMES』




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