パニック障害

2009年04月11日

自立神経失調症とパニック障害

お酒に出会ったのは16の時だが、 実は14の時に石油をたしなんでいた。
いわゆるシンナーという奴だ。

中学3年の時に転校した学校が これまた悪い奴ばかりで 友達作りの苦手な俺には自然とそういう奴が近寄ってきた。
典型的なパターンで、俺がそいつらに誘われて悪い遊びに付き合うようになったのは言うまでも無いだろう。。。
しかしそれも酒と出会えば いとも簡単に手を切れた・・というよりそれこそお付き合い程度にしかシンナーはやらなかったが、子供ながらあれは吸うもんじゃない!石油だろ? と思っていた。。  なかなかやめれないアホも居たが、おれは流石にはまる事はなかった。。

時効だから言えるが19の時に3回程覚せい剤もやった。

一回目は?ッて気分だ  

二回目は少し気分が良くなり なんか興奮して眠れなかった・・

三回目は打った瞬間なんともいえない快感につつまれたのを覚えている。。

なぜ4回目をやらずにすんだかと言うと、その時良く遊んでいた先輩が 遊び半分でやりたがってる俺に少し分けてくれてたんだが、それから数日後にその先輩は刑事に連れてかれて1年半ほどくさい飯を食ってきた。前からマークされてたらしいが・・

おれはやはり運がいい!

もしその先輩がパクられ無ければ、意志の弱いおれは必ずシャブ中になっていた自信がある。。
しかしその反動でそれから半年程 また悪連れとシンナーをふかしラリってた。  当時付き合っていた2つ年上の彼女にも愛想つかされ まぁそこらへんが一応底ツキなのかな?
わかんないけどもともと好きでないシンナーは止まる。。。

それから問題飲酒はつづいて21の頃だったと思う・・

突然昼飯を食っていたら周りがグルグル回りだし 慌てふためく俺は、床に転がる・・・   流石にビビッた・・・   
 暫く横になってその日は仕事の途中で帰るが それが苦しき日々の始まりだった・・
突然息苦しさや 耳鳴り 目眩 ふらつき 酷い時はこのまま突然死ぬんじゃないかって強迫感に襲われるときもしばしば・・ 
看護婦だった姉に相談し勤め先の病院でCTやMRI ホルター心電図などなど・・  色んな検査を受けるが結果はいつも一緒。  健康そのもの・・・

「よかったね」などとよく言われたが 悪いとこがあったほうがどれだけ楽か・・・・いい加減なことはいうな!!となんど思ったことか。

結局医者には自律神経失調症とだけ告げられて 1年近くそんな日々が続いたように思う。。
流石にその頃は酒飲む気分ではなく ほとんど飲まなかったように思う。。

のちにそれが、(あくまで自己診断だが)パニック障害だと知る。

ある日テレビで、長島一茂や女優の高木美保が熱く語っていて 俺もまさしくそれだ!とうなずいていた。
特に「歩道の真ん中歩くのが怖かった・・とか、近くにベンチがないと不安だったとか、エレベーターとか密閉された個室に入ると息苦しくなる」などなど・・
物凄く共感したのを覚えている。。
実際俺なんか 電車乗ってる途中で急に息苦しくなって 何個か手前の駅で降りてベンチで横になったこともあった。。
 
もう15年以上前の話だが 当時は本当に辛かった。 
なにがというと、職場の親方や同僚に言っても 「気のせいじゃないの?考えすぎだよ」とか 「またフラフラ感か?頭いたいのか?」と半分あきれるように言われることだった。。

当時親方の弟とそりが合わず、口論がきっかけで関係がギクシャク・・
その上出張が多く 民宿などではよく2人部屋などで一緒に寝泊りもした
ストレスも相当感じてた。。(まぁ向こうも嫌だったはずだが・・)

直ったわけではないが、ある日姉が勤めていた病院の 大変著名的な脳外科医のドクターから直筆の手紙をもらった・・
内容は確か
【筋緊張性頭痛とかナントカとか?世の中 色々原因不明の症
状を訴える人は少なくありません、、いま言えるのは とりあえず生きてる証
拠ぐらいに思って前向きになってください。体は健康なんですから・・・】
と、こんな文面だったような気がする。。

この事があったぐらいからか?開き直ったような気がする。。
そして 体は健康なんだから・・・と酒を飲み続けて今に至るのかもしれない

今思えばそういった症状も 14歳ぐらいから無茶な事ばかりしてきたツケなんだなと 書いていて改めて思う今日この頃・・・

明日は専門医に診てもらう。。 今日飲まねば断酒28日

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santarodx1971 at 17:26|PermalinkComments(2)TrackBack(0)