2013年11月22日
御幣餅
みすゞかる信濃の国の御幣餅です (昭和14年5月4日の日記より)
(ちょっと一言)
たった今「みすずかる」について知ったばかりのことを知ったかぶり。
「すず」とは篠竹(すずたけ)の意。
信州は篠竹の産地であるところから「みすずかる」は「信濃(しなの)」にかかる枕詞。
山頭火にまた一つ教えられました。
御幣餅もいまどきほとんど目にも見ず、耳にしなくなった食べ物(少なくとも私にとっては)。
中部地方の郷土料理というが、静岡に住んでいたころには何度か食べた記憶がある。
五平餅とも言うそうな。
(ちょっと一言)
たった今「みすずかる」について知ったばかりのことを知ったかぶり。
「すず」とは篠竹(すずたけ)の意。
信州は篠竹の産地であるところから「みすずかる」は「信濃(しなの)」にかかる枕詞。
山頭火にまた一つ教えられました。
御幣餅もいまどきほとんど目にも見ず、耳にしなくなった食べ物(少なくとも私にとっては)。
中部地方の郷土料理というが、静岡に住んでいたころには何度か食べた記憶がある。
五平餅とも言うそうな。
2013年11月15日
山頭火の「酒」語録−その16
「アルコールを止揚せよ、先ず焼酎を止めろ、酒は日本酒に限る、燗してちびりちびり飲むべし、時としてぐいぐいビールを呷るもよからう。」
昭和12年5月31日の日記より
昭和12年5月31日の日記より
2013年11月08日
草餅
草餅のふるさとの香をいたゞく(昭和7年の句)
旅は何となく草餅見ればたべたくなつてたべ(昭和8年の句)
よばれる草餅の香もふるさとにちかく(昭和8年の句)
(ちょっと一言)
草餅と言われても、私にはピンと来なかった。
要するによもぎ餅のことだ。
古くは母子草を使って作ったそうだが、山頭火が旅の途上で食べたのはよもぎのそれだろう。
私の子供時代、昭和三十年代には広島には随分と原っぱがあった。
「原っぱ」と言う言葉がそもそも死語になっているようだが、その原っぱに自生しているよもぎを摘んで、季節になると母がよもぎ餅を作ってくれたものだ。
この習慣ももはやほとんど消えてしまったようだ。
旅は何となく草餅見ればたべたくなつてたべ(昭和8年の句)
よばれる草餅の香もふるさとにちかく(昭和8年の句)
(ちょっと一言)
草餅と言われても、私にはピンと来なかった。
要するによもぎ餅のことだ。
古くは母子草を使って作ったそうだが、山頭火が旅の途上で食べたのはよもぎのそれだろう。
私の子供時代、昭和三十年代には広島には随分と原っぱがあった。
「原っぱ」と言う言葉がそもそも死語になっているようだが、その原っぱに自生しているよもぎを摘んで、季節になると母がよもぎ餅を作ってくれたものだ。
この習慣ももはやほとんど消えてしまったようだ。
2013年11月01日
きゅうり−その2
(以下は昭和8年の句)
これでもわたしの胡瓜としそよいでゐる
わたしの胡瓜の花へもてふてふ
胡瓜の手と手と握りあつた炎天
もつれあひつつ胡瓜に胡瓜がふとつてくる
茄子胡瓜胡瓜茄子ばかり食べる涼しさ
朝風のいちばん大きい胡瓜をもぐ
風が落ちて雨となつた茄子や胡瓜や
胡瓜の皮をむぐそれからそれと考へつゝ
きのふもけふも茄子と胡瓜と夏ふかし
胡瓜もをはりの一つで夕飯
これでもわたしの胡瓜としてそよいでゐる
もいでたべても茄子や胡瓜やなんぼでも
(昭和7年9月21日の日記より)
この胡瓜は何ともいへないうまさだつた、私は単に胡瓜のうまさといふよりも、草の実のほんとうのうまさに触れたやうな気がした。酒なしではすまないので、ちよんぴりシヨウチユウを買ふ、
これでもわたしの胡瓜としそよいでゐる
わたしの胡瓜の花へもてふてふ
胡瓜の手と手と握りあつた炎天
もつれあひつつ胡瓜に胡瓜がふとつてくる
茄子胡瓜胡瓜茄子ばかり食べる涼しさ
朝風のいちばん大きい胡瓜をもぐ
風が落ちて雨となつた茄子や胡瓜や
胡瓜の皮をむぐそれからそれと考へつゝ
きのふもけふも茄子と胡瓜と夏ふかし
胡瓜もをはりの一つで夕飯
これでもわたしの胡瓜としてそよいでゐる
もいでたべても茄子や胡瓜やなんぼでも
(昭和7年9月21日の日記より)
この胡瓜は何ともいへないうまさだつた、私は単に胡瓜のうまさといふよりも、草の実のほんとうのうまさに触れたやうな気がした。酒なしではすまないので、ちよんぴりシヨウチユウを買ふ、
2013年10月25日
山頭火の「酒」語録−その15
「Nさん来訪、いつしよに散歩、そして酒、酒、酒、みだれてあばれた。―まつたく酔狂だ、虎でなく狼だ。」
昭和12年4月6日の日記より
(ちょっと一言)
この日の前後には次のような言葉が日記に記されている。
「食べる物がない一日。水を飲む」
「憂欝たへがたかつた、立つても居てもたへきれないものがあつた。……」
「身心バラ/\だ、夢とも現とも何ともいへない気分だ。」
この前後から山頭火の酒は乱れ始める。
もっともまっとうな人間から比べれば以前から乱れてはいたのだが、それがさらに乱れ始める。
2013年10月18日
かぼちゃ
岩のあひだにも畠があつて南瓜咲いている
かぼちやごろゝ汐風に
かぼちやおほきく咲いてひらいておばあさんの顔
これが最後のかぼちやたゝいて御馳走にならう
かぼちやごろゝ汐風に
かぼちやおほきく咲いてひらいておばあさんの顔
これが最後のかぼちやたゝいて御馳走にならう
2013年10月11日
牛尾酒造の山頭火
昭和10年代、山頭火がその庭先で写真をとったといわれる広島市牛田の牛尾酒造。
果たして牛尾酒造は本当に存在したのかと言う問いから始まった今回の探索。
私の話を聞いた瀬野在住の、瀬野川流域郷土史懇話会の寺島さんは早速動いてくださり、県立図書館に牛尾酒造に関連した資料があることを突き止めてくださった。
彼は80歳を過ぎてなお行動の人であり、アイデアだけで腰の重い私は今回反省させられることがあった。
今日、県立図書館に行ってその資料をコピーしてきた。
貴重な資料だ。
今度は私が行動の人に成らなければならない。
果たして牛尾酒造は本当に存在したのかと言う問いから始まった今回の探索。
私の話を聞いた瀬野在住の、瀬野川流域郷土史懇話会の寺島さんは早速動いてくださり、県立図書館に牛尾酒造に関連した資料があることを突き止めてくださった。
彼は80歳を過ぎてなお行動の人であり、アイデアだけで腰の重い私は今回反省させられることがあった。
今日、県立図書館に行ってその資料をコピーしてきた。
貴重な資料だ。
今度は私が行動の人に成らなければならない。
2013年10月04日
山頭火の「酒」語録−その14
「ほろよひ人生か、へべれけ人生か、―私は時々泥酔しないと生きていられない人間だ!」
昭和12年2月20日の日記より
(ちょっと一言)
この頃、山頭火は意気消沈気味。
前日の日記にはこうある。
「風が出て来た、風はさみしい、何よりさみしい、いつもさみしい、やりきれない。
うつうつとして一日が過ぎる。」
昭和12年2月20日の日記より
(ちょっと一言)
この頃、山頭火は意気消沈気味。
前日の日記にはこうある。
「風が出て来た、風はさみしい、何よりさみしい、いつもさみしい、やりきれない。
うつうつとして一日が過ぎる。」
2013年09月26日
お茶漬け
(句)
お茶漬けさらさらわたしがまいてわたしがつけたおかうかう(昭和7年の句)
(ちょっと一言)
昭和9年5月28日の日記に、山頭火はお茶漬けについて、また自らの食欲についてこう記している。
「山頭火の胃袋は何とデカイかな(その実例) 朝食-お茶漬さらさら三杯、手製の新菜漬で。昼食―小鰯を焼いて独酌一本(二合入)、温飯四杯。夕食-うどん三杯、飯二杯、蕗の佃煮で。」
彼は胃拡張だったと言うべきですね、この食べっぷりは。
お茶漬けさらさらわたしがまいてわたしがつけたおかうかう(昭和7年の句)
(ちょっと一言)
昭和9年5月28日の日記に、山頭火はお茶漬けについて、また自らの食欲についてこう記している。
「山頭火の胃袋は何とデカイかな(その実例) 朝食-お茶漬さらさら三杯、手製の新菜漬で。昼食―小鰯を焼いて独酌一本(二合入)、温飯四杯。夕食-うどん三杯、飯二杯、蕗の佃煮で。」
彼は胃拡張だったと言うべきですね、この食べっぷりは。
2013年09月24日
彼岸花
今朝、車で一時間かけて瀬野川公園へ彼岸花を見に行ってきた。
昭和8年9月19日、俳人の種田山頭火は旅の途中、瀬野に一夜の宿をとった。
それを記念して瀬野川流域郷土史懇話会は毎年山頭火祭りを主催し、11回目の今年は50人の参加者でにぎわった。
山頭火は瀬野で次の句を残している。
「まことお彼岸入の彼岸花」
会の寺島さんたちはこの句にちなんで瀬野を彼岸花の里にすべく、瀬野川公園の一角に手ずから彼岸花を植えた。
今年それらが花をつけた。
管理事務所の方に、「最近は昼でも猿や猪がいるから気をつけて」と言う言葉に送られて人気のない林の中の細道を下った。
繁茂する夏草に囲まれて、彼岸花は野趣豊かに咲いていた。
昭和8年9月19日、俳人の種田山頭火は旅の途中、瀬野に一夜の宿をとった。
それを記念して瀬野川流域郷土史懇話会は毎年山頭火祭りを主催し、11回目の今年は50人の参加者でにぎわった。
山頭火は瀬野で次の句を残している。
「まことお彼岸入の彼岸花」
会の寺島さんたちはこの句にちなんで瀬野を彼岸花の里にすべく、瀬野川公園の一角に手ずから彼岸花を植えた。
今年それらが花をつけた。
管理事務所の方に、「最近は昼でも猿や猪がいるから気をつけて」と言う言葉に送られて人気のない林の中の細道を下った。
繁茂する夏草に囲まれて、彼岸花は野趣豊かに咲いていた。